はてなキーワード: オタク差別とは
いやサブカルでもなんでもいいけど
インテリでもいいわ
別に普段の会話で雰囲気で使うのはいいけれども、それを集団として扱うのはおかしいんじゃないの?って話
オタクはちょっと批判されたくらいで「俺たちは差別されている」なんて言うけど、オタクも同じことをやっている。
たとえばホスト。オタクはホスト馬鹿にしてるだろう。それもホスト差別。これからは気をつけてほしい。
たとえば体育会系。オタクは体育会系馬鹿にしてるだろう。それも体育会系差別。これからは気をつけてほしい。
たとえばフェミニスト。オタクはフェミニスト馬鹿にしてるだろう。それもフェミニスト差別。これからは気をつけてほしい。
オタク差別なんてのはオタクがやってるホスト差別と同程度の問題でしかない。ホストがいちいち「俺たちは差別されてる」などといって騒ぎますか?
きみたちはほんとに幼稚だよ。
今オタクがそれなりに地位を確立してるのは差別されたからこそなんだよなぁ
差別された側というのは集団で固まるため、有象無象の一般人には必ず勝てるようになる
相手は差別する側で団結し始めて、有象無象から集団の勝てない相手に成長する
数が唯一の優位性なのにそこを捨てることになるわけ
という話だったのが何故か
「オタクは自分たちが差別されていることを声高にアピールして回っている」
にすり替わっている。
これだけオタク差別のなくなった時代に「オタクは差別されている!」などと言っている連中はフェミニストと同じでカルト化しているように見える。
現代の30歳以下の普通のオタクはオタク差別が存在するかどうかについてそもそも考えたこともない。被害妄想の強い一部のカルト化したオタクだけが騒いでいる(彼らの多くは古参オタクで40代以上だろう)。
彼らにはどうも選民思想みたいなものがあるように見える。自分たちは神々しい悲劇の存在であるとでも言いたいかのよう(このあたりは「キモくて金のないおっさん」に近い)。現代ではもう世間はオタクのことなんかどうとも思っていないのに。
ネットでオタクを叩いているのは一部のこじらせたオタクとカルト化したフェミニストだろう。
一部の過激なフェミニストは相変わらずオタクを攻撃しているが、そんな連中など社会のごく一部というかほとんど無視していいカスみたいな存在でしかない(いまどき気の狂ったフェミニストの言葉をまともに受け取る人間もいないだろう)。オタクはフェミニストの攻撃を真に受ける必要はない。少なくとも世間はオタクのことなどどうとも思ってはいない。
フェミニストという一部のカルト教団が攻撃してくるからといって、日本社会全体から差別を受けているなどという思い上がった語り方はやめるべきだ。情けない。
きみらの被害妄想が強くなればなるほど、世間はきみらのことを冷ややかに見るようになるだろう。きみらはオタク差別と戦うのではなく、フェミニストというカルト教団と戦うべきである。オタク差別があるのではなく、フェミニストというカルト教団がきみらのことを攻撃しているだけなのだ。
そして、いまきみらはカルト教団から攻撃されているということをもって、被害妄想をこじらせ、日本社会全体から差別を受けているかのように語っているが、これもまたカルト化である。そんな事実はないのだから。
このままきみたちがカルト化した場合、カルト対カルトの宗教戦争になるだろう。そこにはもう理性はない。きみらはそんな人間になりたいのか? それこそまさに畜生ではないか。
「旧名しばき隊」の連中とか「オタクは犯罪者予備軍か」「オタク差別のあるなし」とかの話 妙なオマケ付き - Togetter https://togetter.com/li/1219885
今回の火元になっている人の話です。
これまで「差別」という語は、民族とか性別とか宗教とか、とにかく生得的な属性、後天的に変えることが不可能あるいはきわめて困難な属性に対して適用されてきた。
大昔ならともかく現代は変更のしやすい職業なんていくらでもあるが
それに対する偏見差別その他も許さないという立場の人は大勢いるんだが
それもオタク差別ガーど同等に理論武装が不十分という主張なのだろうか。
勿論そういう考えもありだとは思うけど。
宗教に関しては現実に改宗者がいる上に、改宗の困難度が人それぞれ違う以上、
こういう話に持ち出すのはそれはそれでなんらかの偏見どうこうになりそう
「オタク差別は存在するか」議論、いくつもの論点がゴッチャになってて混乱するので自分なりの整理をしてみた。
これに関しては、まあまっとうな疑問なんで「オタク差別」論者の分が悪いと思う。
これまで「差別」という語は、民族とか性別とか宗教とか、とにかく生得的な属性、後天的に変えることが不可能あるいはきわめて困難な属性に対して適用されてきた。
人はオタクに生まれるのではなくオタクになるのであり、後天的に獲得される「趣味」という属性を共有する集団がオタクである以上、それに対する「差別」という語の適用に違和感を持つ人が出てくるのは当然だろう。
この点については「オタク差別」論者がもっと理論武装した方がいい。今の論理じゃ多くの人を説得できないと思う。
あったに決まってる。
十万人の宮崎勤は虚構だったかもしれないけど、探せばオタクへの不当な扱い、迫害、蔑視の証拠なんて山ほど出てくる。そもそも「オタク」自体がもとは侮蔑語として造語されたものだし、オタクであることを理由にいじめられた人も自殺した人もいる。
今の20代以下にはそんな実感は薄いかもしれない(それはいいことだ)。でも年長のオタクたちはそれを経験してきてる。なかったなんて言わせない。
論点aにもとづいて「オタク差別」を否定するなら理解するし「オタク差別」論者も真摯に向き合うべきだと思うけど、論点bの否定を始めたら……戦争だろうがっ! 戦争じゃねえのかよっ……!
「過去は迫害の対象だったかもしれないけど、今は別に迫害されてないだろ」という議論もある。
確かに若い世代だとオタクが普通になってきたりするみたいなので、若い人たちにとってはあまり実感のない話かもしれない。これに関しては周囲の環境も大きく影響するので、「別に迫害なんてないじゃん」と思う人がいるのは当たり前っちゃ当たり前なのだろう。いい世の中になったもんだ。
でも議論の最中に平気で(自虐ではなく相手への侮蔑として)「キモオタ」とか言う人なんかを見てしまうと、いやいやまだ蔑視は残ってるじゃん、という気になるんだよなぁ。完全に解消された、とするには時期尚早なんじゃないかと思う。
(「キモオタ」はオタクの中でもキモいやつを指しているのであってオタク全体への蔑視ではない、って言う人もいるけど、「ヒス女」は女性の中でもヒステリーを起こすやつだけを指す言葉であり女性全体への蔑視ではないなんて理屈が通じるとでも思ってるのかお前は)
ただ論点b’に関しては、繰り返すけど個々人の置かれた環境の問題も大きいから、論点bを否定する人と同列の扱いをするのはよろしくないと思う。論点b’に疑問を呈している人がオタクなら、素直に迫害を経験しないオタクが増えたことを祝いでおきましょう。
もちろん論点b’を持ち出す人の中にはそんな言葉を使ってオタクを罵倒する人なんていないはずである。いやだな~まさかそんなアホがそうそうその辺にいるわけないじゃないですか~HAHAHAHAHA!
これは論点がずれている。ある局面で被差別側にいた人が別の局面で差別側になっていることは、その人に被差別者としての側面があることを否定しない。
オタクの中に、性差別や民族差別に加担する人が一定の割合でいたことは事実で、ネット上で差別カルチャーが大手を振ってのさばっていた(そして未だにのさばっている)ことに対しては反省が必要だろう。オタクは自分たちのなかの差別主義に向き合うべきだ。
でも、だからオタク差別なんてない、とか、オタク差別を言い立てるべきではない、という論理はおかしい。
ヘテロセクシュアルでシスジェンダーの日本人女性の中に同性愛者やトランスジェンダーや外国籍者への差別に加担する人が一定数いたとして、それをもって女性差別の存在を否定するのは違うよね。
パレスチナ人を差別するイスラエルのユダヤ人や、レバノン人を差別するリベリアの黒人(※)も、アメリカやヨーロッパではユダヤ人差別や黒人差別の標的になるかもしれないし、そういう時には差別の被害者として怒っていいよね。彼らが自国に帰ったときには自分の差別を反省するべき、という話と、それはそれとして彼らはこの局面では被差別側であり彼らへの差別は非難に値する、という話は矛盾しないよね。
※ http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-43538302
自分たちにも抑圧者としての側面があるから自分たちへの抑圧を言い立てるのはおかしい、とオタクが考える分には倫理的な態度だと思うし、オタクに抑圧された人が被害者面すんなと言いたくなる気持ちはわかるけど、それを認めちゃうと他の差別問題も封殺できてしまうので、あんまよろしくない理路だと思う。
論点aは「オタク差別」を訴えるならちゃんと理論武装してほしい。そこがガバガバだからツッコまれまくってるんだよ。
論点b’は個人の実感によるところが大きいから色んな人の話を聞くのが大事だと思う。
論点cは本題にはあまり関係ないがオタクも身を律すべき。女性や外国人を差別しておいて「自分たちを差別するな」と言っても説得力は薄い。
論点bを持ち出して実際の迫害の歴史を否定しようとするやつはただのクズなので耳を貸す必要はない。論点bを持ち出して史実の否定を始めた段階で、他の点でどれだけ正しいことを言っていようがこの点に関してはまともに取り合うべき相手ではなく、「オタク差別」に関する議論から退場するべき存在。
大事なのは、誰が何を言ってるか。論点bに固執する論者に対する反論を論点aにこだわってる人に向けても意味がない。無意味に敵を作らないようにしましょう(戒め)
「オタク差別」というのはオタクの大好きな言葉で言うと、それこそ「筋が悪い」と思っている。オタク差別があるのではなく、オタク顔差別があるのであり、要するに容姿差別があるのだろうというのが私の主張だ。
「容姿差別反対!」というのは賛同できても、「オタク差別反対!」というのは意味がわからない。そもそもオタクは差別などされていないからだ。
アニメゲーム漫画等は日本が世界に誇れる文化である。宮崎駿が世界でも評価されてるということは誰もが知っているし、ジブリアニメは国民的作品で、何度も何度も繰り返しテレビ放送されて、いまだに視聴率は悪くない。
日本のサブカルに傾倒している外国人もたまにいて、ナルトのコスプレなんかをしたりしている。
東大を始め、日本を代表する大学であるいわゆる旧帝の生協でラノベが売れているというのは学生なら誰もが知っていることだ。
実際に大学に通ってみるとわかるが、インテリ層にもオタクは多い。うちの大学では教養課程のとき教授が講義のつかみで漫画ネタを使っていたし、気持ち悪がる学生などおらず、みんな楽しんでいた。それに大学にはサブカル研究自体もあり、アニメ漫画などを研究している人たちも普通にいる。
ONE PIECE、ドラゴンボール、名探偵コナン、ドラえもん、クレヨンしんちゃんなどは広く受け入れられているが、その事実を否定する人はいないだろう。
ポケモンは国民的ゲームだし、ポケモンGOはもう話題にこそならないものの広く浸透して、根強い人気だ。
妖怪ウォッチは大ブームだったとき、いまだに高視聴率をとる国民的イベント「紅白歌合戦」にも出場もした。
これだけ広く浸透しているオタク文化を愛するオタクのどこが差別されているっていうんだろうか。本気でわからない。
「オタクって気持ち悪いよなw」というのは、顔が気持ち悪いということを意味している。
オタクコンテンツが批判されているのではなく、オタクの顔が気持ち悪いことが揶揄されているだけだ。
もちろんそれは許せない。容姿差別反対だ。しかしそれはオタク差別ではない。
「オタク差別」などというのは主語がでかい。名探偵コナンファンの美少女女子高生が名探偵コナンファンであるという理由で差別されているだろうか?
現実は「オタク趣味でオタク顔のオタクがバカにされている」ということなのだ。
「オタクが差別されている」では主語がでかく、問題の本質を正確に捉えられていない。当然、オタクでかつ美少女という人物は差別などされていないという反証が可能だからだ。
すべてのオタクが差別されているわけではない。しかし、差別されているオタクは確かに存在する。私はそのことを否定しない。だが、重要なのは「差別されているオタクもいるが、それはそのオタクの顔が気持ち悪いからである」という事実を真摯に受け止めることだ。
オタクではないにもかかわらず、「絵に描いたオタクっぽい見た目」という理由で「お前オタクだろw」とバカにされる人もいるのだ。これはオタク差別ではなく、容姿差別である。