はてなキーワード: 産地直送とは
どうもこんにちは!
じいちゃんばあちゃん若返る の第一話を見て、どうしても突っ込みたいところを突っ込むので気が向いた人だけ読んでくれ。
漫画の方は今後買う予定だけど今月クレカの支払いがヤバいので来月以降の予定。
ちなみにこれは「こう書かなきゃ行けない」という話では無く、興味を持ってくれた人により深く楽しんでもらうための解説であるからして、そのつもりでひとつよろしく。
りんごは高木にあたるので、そのままにしておくと凄く大木になってしまう。すると作業性が著しく悪くなる。剪定、収穫、防除が難しくなる。
また、日の光が均等にかからないとまずいので、背が高くならないように、また横に向かって伸ばすように育てる。
そのため、上から見ると、枝が放射状に横に向かってにょろにょろと手を出すように広がっていく。
ただし、こうするとりんごの実がることによって枝が折れたりする。それを木の棒で支えている。これも作中で描かれているね。
じいさんばあさんが昔植えたという、そして黄金りんごを実らせた木がこれにあたる。古木に多い。
一方で、作中には、並木状になっているりんごの木があったと思う。これを「矮化栽培」という育て方だ。
先ほど言ったように、りんごというのはそのまま置いておくと大木になる。またコントロールが難しい。そこで、わざと大きくならないりんごの木を作って、それを高密度に植える育て方、それが矮化栽培だ。
りんごに限らず果樹は基本接ぎ木苗である。根っこの部分には生命力と根が強い木を台木にし、更にその上に目的の木を接ぎ木する。通常はそれだけなのだが、そのままでは大木になる。
そこで、根っこの台木の上に、一度矮台という大きくならない木を間に挟んで、更にその上に目的の品種を継いだ特殊な苗を使う。これを矮化栽培という。これによって木が大きくならずに育てる事ができる。
のだが、しかしこの矮化栽培も、だんだんと木が大きくなってきて、旧来型の丸木栽培に近くなっていく。こうして、並木のように並んでいる大きなりんごの木ができる。
じいさんばあさんは戦中派なので、最低でも90歳オーバーであることを考えると、ちょうどこの矮化栽培の普及時期に開拓をしていると思われる。
若返ったので、今後、じいさんばあさんは改植を進めていくものと思われる。
大きくなった矮化栽培は、矮化栽培のメリットがほぼ無くなる上に、丸木栽培よりも高密度なので丸木栽培のメリットも無い。と言う事で、通常は一定より大きくなったら切り倒してしまって、新しい苗を植える。この時に最新の品種を取り入れたりする。これを改植と言って、果樹農家は基本的に絶えず行っていく。
のだが、改植すると当然一時的に収入が減る。また高齢になってくるとなかなか未来の事を考えて行動するということができにくくなってきて、改植が進まない。
そこで、じいさんばあさんは大きくなった矮化の木を残していた(矮化栽培は枝を支える手を使うレベルまで育てるのは育てすぎ)と思われる。
が、若返ったので、この後は矮化栽培を進めていくと思われる。
さて、今の時代は、更に進んだ栽培方法がある。じいさんばあさんは、日本でりんご栽培が本格化するところ、その近代化を担ってきた世代である。当時最先端の技術を使ったベンチャー企業みたいなものだ。そう言う精神を持っている2人なので、今後は新しいことを入れていくと思われる。例えば以下の様な栽培方法がある
まず、OP 果樹農家が使うのは三脚なのだが、これが脚立になっているのは、おそらく参考になる品物が近くになかったからかな。
基本的に果樹農家が使うのは三脚である。足が多い方が安定するように思うかもしれないが、三脚の場合は3本目の足の位置を調整することで下が安定していない坂などでも安全に安定させる事ができると言う特徴がある。これが脚立の3本足だと、一本が浮いてしまうのだ。
日本では、伝統的に平坦な場所はコメまたは麦を育てる場所として使われる。そのため、果樹園は傾斜地にある事が多いのである。
りんごの栽培が本格化したのはここ150年ほどで、更に言うと戦後である。戦争から引き上げてきた人々が、食っていくために開拓をした土地にりんごを植えた所から本格化している。
日本の農業は米を重視していて、それに適した所はほぼ開拓されていた。その残りと言うのは、傾斜地で水がなかったりとするところである。そこを開拓した所だ。
じいさんばあさんは戦中に生まれ、若い時期を戦後の混乱期を過ごした人たちなので、恐らく先祖伝来の土地よりも、自分たちで開拓した土地の方が多いと思われる。
ただ、聞くところによると、2人とも元々地元の豪農の生まれらしいので、そういう点ではあるのかもしれない。
全国から考えると比較的収益性が高く後継者も多い優良な事例が多い。また、じいさんばあさんは最低でも90歳と考えると、恐らく息子さんは定年直前ぐらいではにだろうか。
一緒に暮らそう、と言うよりも、どちらかというと定年帰農を考える話になっていくのが現実によくある話だと思う。
そうすると話が複雑になってしまうので、省略されたのだと思う。
この元増田の思う理想の広告は「金つんで文化つくりつつなるべく広く(好意的な)人だけに届かせること」だったんだろうけど、
多様化、マッチング社会において標準的な文化にすべて好意的な人ってのはもういないわけ
男女が違うだけで石鹸広告が不快にみえたりする、男でも女でもない人はさらに不快広告の範囲が広い
でも今文化を広めてる人はいる、もっとも手広くやってるのは「趣味で創作」してる人々だと思うんだよね
二次創作のすごくいい人が「趣味でこれをやってるなんて信じられない!」って本つくると原作漫画がガンガン売れるし
醤油やラーメンの同人誌が何種類も(カレーラーメン特化誌とかが)コミケで売ってるし
あらゆるものが検索による最初のマッチング後はプッシュ型じゃなくてプル型になってるのでプッシュ型のもの、おしつけがましい広告なんかもういらないんだ
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逆に、趣味というか個人の感想的なもので「わきまえない・すみわけない童顔萌絵広告類」を毎日のように「批判」してるひともたくさんいるし
批判されたことが気に食わなくて批判?揚げ足取り?やり返すためにクラウドでお金あつめて勤め先に告げ口したり都を訴えてる人もいる
当然ながらニュースバリューとしては泥仕合なんてクズでしかないんだけど一部の人にとってはとてもたのしいプロレスらしい
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広告が完全に文化だったなら、いまごろとっくに教育になりおおせてるはずだろ、それも大学という選択じゃなくて基礎である小学校でも。
でも基礎である小学校で教えていた「文化」のうちそろばんや習字なんかも「もう趣味でいいんじゃないの」って格落ちしてるわけ
新聞を読むこともNHKニュースを見ることも「趣味」にちかい個人の選択になってるのだし。
金融というかフールペナルティ型ネットについては教育しようねということになってるけど子供の貧困に直結してないし。
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昔たまたま一時期洗脳的な能力をもちあわせていたからといって「広告(旧来型の、マスメディアに出稿するタイプのね)」って一体なんなんだろう。
新聞もテレビも出稿してもそもそも新聞・テレビに可処分時間を割く人がどんどん減ってるんだし。https://togetter.com/li/2040678
そんな時代の広告が、Youtubeにかろうじてのこっている「どんとぽっちい」や「カーカキンキン」、「風がかたりかけます」、といった名作以上の存在になれるわけがない。
大人になってこどものころテレビでみたCMが懐かしいというだろうか?
いや、ゲームが懐かしい、ユーチューバーが懐かしいっていうだろう。
まあ、オリンピック開会式に組み入れた文化宣伝とか、スポーツ実況の合間にはさまる程度なら邪魔だなーとおもいながらしょうがなくみてくれるとおもうけど。
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だれがこれから消費者の可処分所得と可処分時間の行き先を決めるのか。
少なくとも、テレビやタイムラインに頻繁にながれてくる見当はずれな「プロモーション」ではないとおもうよ
(あれ右上:をおして興味がない非表示ってやりつづけたらとうとう写真家自身がただできれいな待ち受け用写真を配信してくれるプロモーションが頻出しだして
それは広告=文化としてのこるんじゃないかとおもうけどリツイートされればされるほど個人は資金がきついだろうからどうなんだろね)
あとは日本語の怪しい中国通販サイト(開いた瞬間ワクチンソフトがカンカンカンカン!となる)とか
広告のクズっぷりは痛感してるけどむしろ完璧じゃないところがおもしろネタでもあるね
結局のところどんなに旅行を推されてもコロナと仕事があればいけないわけで
地方住みの俺のタイムラインにどれだけうまそうでも東京のグルメを出してくればまた「興味ない×」だ
グーグルがこないだ広告アレしたからビングもアレだからダックダックゴー枠が強くなるんじゃないとかそんなもん
政府系広告と教育以外プッシュ型文化はもういらないんだと思うよ
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今年は地頭の出来がいいと聞いたので農協会館から外に出て隣の畑を見たらまあ、あるわあるわ、土から丸々としたイガグリ頭が突き出てずらりと並んでいる。一目見て思わず変な声が出てしまった。
その声が聞こえたのか、向坂さんも会館から出てきた。畑一面の地頭にやはり驚いたらしく、しばらく見入ったまま動かない。向坂さんは白い夏のニットにタイトなジーンズを合わせて、黒いロングブーツで畑の土を踏む。月曜はだいたいこの格好をして仕事にくる。
「今年はまたずいぶんできたねえ」
うっとりしたような声を出して、向坂さんはマルメンライトに火をつけると、煙の輪を静かに吹きだした。
「雨が多くて心配だったけど、まずまずだね」と私は相槌を打つ。
「そうねえ、これだけ出荷したら、今年はバケットを買うのに困らないでしょ」
向坂さんがそう言うが早いか、イガグリ頭の一つが目をむいてこちらを見上げ、
他のイガグリ頭たちはどよめいて、「いまだにフランスパンをバケットと言ってる奴がいるとか」「ちょっと教養なさすぎじゃないか?」などと言い合う。
「はあ? なんかくっせー奴らがいるみたいなんだけど、バケットつったらバケットなんだけど? フランスパンとか何の話?」
地頭たちもいきり立って、
「フランス語のbaguetteは細い棒のことだからあのフランスパンの形状を表しているんだろうが、そんなことも……」「教養の問題が」などと早口で唾を飛ばしながら声が高くなる。
そうこうしているうちに向坂さんは会館の裏からメロン色の油圧ショベルに乗って現れ、るあ、という掛け声とともに、掘削用バケットをイガグリ頭に向けて振り下ろす。赤いしぶきがバケットの先端に飛ぶ。
地頭たちのどよめきは一瞬で止む。
向坂さんは油圧ショベルから降りて、ぱっくり割れた地頭の上にしゃがみこむ。
「あのさ、バケットっていったら、これじゃないの? 普通、農協で買うバケットつったらさ、ン?」
ジーンズを下ろし、しゃがんだ白い尻から地頭めがけて有機肥料を投下しようとする向坂さん。その後ろから私は脇に手を入れて静かに引き上げ、まあまあそのくらいで、となだめる。もう出荷なので、売り物なので。
「まあそうだったね、これがこれからバケットになるんだからね」
話しているうちに梱包材屋さんの配達が来てようやく本来の仕事が始められる。地頭を一つずつねじって収穫してからビニール袋に詰め、出荷準備をする。今年の地頭はどれも大きめで、すべて梱包が終わった頃には少し腰が痛かった。
これから道の駅にワゴンを設置して、『産地直送 顔が見える野菜』というポップを立てて、地頭を売る。この光景を見ると、毎年夏も後半だなあと思う。
平日に出来ないから今してるってワケでもないけど
まあそういうワケなのよ。
ワケが大盛り1.5倍ワカメだわ。
そうそう!
まさになんて日だ!の逆を行く感じで
そいで喫茶店でモーニングをバシッとキメて今日はパパッとやってしまおう!って
ワンピースの人みたいに
おれはしま王になるんだー!って
しま王ってなによ?って思う反面、
そういったよく分からないけどとにかく凄い迫力のときってあるじゃない、
そうやって景気付けようと喫茶店行こうと思ったら
なんたるちゃー!って思わない?
いや思っていいと思うわ。
なんだかマスターがセットに付いてないリンゴとかパイナップルとかバナナとか
おまけで付けてくれるんだけど、
時間があるから連続で通ったらなんかおまけ目当てかよ!って思われるのもなんだし、
ちょっとここはAセットBセット以外の
セットではないセットを自分で作ったこないだ食べたホットタマゴサンドが超絶美味しくて、
Bセットのピッツァトゥーストとはまた倍のいや1.5倍のボリュームがあんのよね。
たっぷり挟まったタマゴは山手線の電車の通勤ラッシュ肩に乗っけてんのんかい!って
ボディービルダーの切れてる切れてる!って掛け声みたいに言いたいぐらいなこんな世の中じゃポイズン!って
つまり逆ポイズンで超絶美味しいホットタマゴサンドってことなのよ。
それを楽しみにしていた矢先中の三本の矢の先の如く!
如くよ!
せっかく一つ手前の駅で降りたのに、
私はこのショックを背負ったまま山手線の車両のようにとはいかないものの、
重たい気持ちを引きずったままこんな世の中じゃ、
言わないわよポイズンなんて。
それもそれでニッコリご機嫌産産地直送なんだけどね。
まあこんな日もあるかー!ってよきよき!って
そんな言い方、
よきよき!って誰が言う?
早見優?
北天佑?
しょうゆーことじゃないの。
でさー
お醤油のキャッチコピー研究の第一人者の新書を読んでいてハッと思ったんだけど
いつも聴いてる語呂感と違うのはなんだろう?って
そうよあの言い方
でね、
その丸ってのがなにか普通に言葉を音にして響きがいいから雰囲気で入れた
大豆の原料のその丸い姿を普通に含めて言ってるのかな?って思ったら
丸は丸でも丸大豆って
脱脂してない大豆って
脱脂する大豆って逆に何よ?って思わない、
そこはローランドさんが
俺か俺以外か!みたいなタカトシさんみたいに欧米か!ってツッコミで一世風靡したみたいなセピアで
そうでもないらしいのよ。
ただたんにまあどちらかというと乾燥しただけの何も加工していない丸々のそのまんまの東じゃない方の大豆みたいなことらしいわ。
へー、
私たちはいかに今まで丸大豆醤油を無意識で丸大豆って言ってきたんだーって思ったわ。
知らなかったわ、
ただただ丸って言いたかっただけかと思ったけどね。
リッチーブラックモア味ってのがこっそりあっても普通な顔して佇んでいそうじゃない?
世の中そんなものなのよきっと。
たぶんそのサーティワンアイスクリームの新フレーバーのリッチーブラックモア味ってのは新発売で
でもまだ人気に火が付く前なのでぜんぜん減らなくて、
店員さんがリッチーブラックモア味在庫たくさんあって困ったねって言ってる矢先、
お店に来た人のお客さんが
アイス屋さんだとなんでも歌ってくれるかと思ったそんな世の中じゃポイズンって言いたいぐらい言えないのよ。
サーティワンアイスクリームは歌ってくれない方の、
歌い手さんがいないのかしら?
それとも歌えるほどの店員さんのハードルが高すぎてなのかしら?
今のうち誕生日を歌ってアイス買ってみてはどう?って思ったわよ。
歌えないコールドストーンの店員さんはジンケンない!言っちゃったら私もスポンサーおろれちゃいそうだし辞めておくわ。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃ、
って言いたいわけじゃなくて
スタミナ定食のスタミナや
でもあの
味そのものを表しているわけでなく、
スタミナ定食が豚の生姜焼きかと思ったら大間違い想像と違うスタミナ定食が来たら結構ビックリしない?
だから世間的にはスタミナ定食のスタミナのイメージを持たない方がいいと思うし、
今日のスタミナ何かな?って
ガクトさんが格闘技の実況解説の時にパワーワードがスタミナしかなかったこととは関係ないぐらい
スタミナのイメージを白紙にして挑むスタミナ定食の方がいいと思うの。
概念としてのスタミナってところかしら。
いろいろと概念って言っておけばオブラートに包めて言い逃れられる感じがして、
うふふ。
書いたとおりの内容だったので、
ちょっと豪華でしょ?
うふふ。
ここの鯖朝定って
鯖が焼きたてでまだ表面がグツグツプチプチ言ってるの。
あれってパウチのやつを表面バーナーで焦げ目を付けて焼いているのかしら?
まあ美味しいから美味しく頂くわ。
ちゃんと丁寧なデトックスウォーラーをくらうことが出来るのにね!って
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
感想送ること自体は何の苦でもないし、寧ろお題箱やマロを設けてもらえるのは本当にありがたい。
私は生粋の読み専・鍵垢を貫いてきているので、私の声が届くだけでも幸せ。
ただ一方で、感想を勢いのまま送るから正直推敲とかしない。推敲するとなると作業になるから、ハードルあがるし。
産地直送、作品を読んだ後に私の脳内畑で取れたての感想を土ついたまんまで感想箱に投げ入れるわけですよ。
となると若干の躊躇いっていうか、やべ、これ不快にさせるかな。とか。流石に荒ぶりすぎててきもいな。とか。
これ、相手返しにくくね?みたいな不安から「返信は不要です」ってつけそうになる。
これ送られた側はどう思っているんだろう。
返したくなければ相手は返さないだろうし、そこの自由は受け取った側にあるわけで、そこにわざわざ言及するのはどうよ。
そう思って、よほどのことがなければ、返信は不要です、とか言わないけど。
返信不要って正直、どうなんすかね。きけるもんならきいてみたいっす。
無味乾燥な日々の清涼剤としてか、どこからともなく沸き上がった
「草を食みたい」
というわけ隔てない野生が、僕に200円弱の出費を強いた。
しかし、その袋詰め野菜(非野生性)は胃袋にのみ込まれることなく
これはどういうことか。
買った時点で満足したというならそれも良いだろう。
そういった動機が時折むくりすることは当然御存じであることと愚考する。
飽きもせずにまた同じサラダを、小銭尽き果てるまで買い漁ればいい。
食べるかどうかが問題ではない。やるかやられるか。世は大購買時代。
などと鼻息荒く断行したわけではないのだ。
むやみに健全性を失おうとしている僕にもまだまだ残っている生理的反応なのだから。
ではなぜ故か。問われると嗚呼制限時間はどうだの部分点を稼ぐにはと試験最適化機構が騒ぎ始める部分を
押し込めつつ答えをこしらえると、それは畢竟時間の無さ、と思しき存在による認知の歪みであると言えよう。
ふふん、わからんじゃろ。僕にもわからないさ。この話はいったいどこへ行くんだろうね。
うん、投げてくれても構わない。って馬鹿、そんな振りかぶってまで寄越す奴があるか。
あーあ、中身がこぼれちゃったじゃあないか。きっと空気中で彗星体に衝突して
どうしてくれんだ。このままだと大宇宙物理警察機動交響楽団がかっとんでくるぞ。
物性の不正な改竄は懲役17分の刑だ。まずい、あそこで年明けを過ごすのだけは御免なのに。
え、まさか自分だけ逃げるつもりか?待て、勝手に逃げると僕の産地直送平手を喰らわせるぞ。