はてなキーワード: 期間限定とは
田舎の宿命として、子どもは学齢期が終わるとみんな街を出て都会へ行ってしまう。若い人は少ない。
介護サービスを提供する事業所は少ない。都会のほうが選択肢は多くサービス量も厚い。
行方不明者が出た場合、ところによって異なるが、捜索願を出すと地元の消防団が期間限定で捜索活動をしてくれる場合がある。
消防団なので、団員は一般人だ。みんな平時は他の仕事をしている。
若い人が少ないというのもあり、団員は減少している。国は消防団の強化策を打ち出しているが、効果はない。新しいが使い勝手の悪い可搬ポンプ車や使いもしない小道具類が届いたくらいか。強化策を敷くからには団の数を減らすわけにはいかず、統廃合で体制維持を図ることすら許されない。
そもそも団の運営は綱渡りだ。人が入れ替わらないから組織は硬直し、年長者は威張り散らして団員を恫喝し酒を強要する。仕方ないから下は上を持ち上げ褒めちぎり、繰り返すうちに疲弊する。田舎に残った若い人も消防団を嫌うが、付き合いとして入らないわけにはいかない。村八分にされる。これぞパワハラ以外の何なのか。
認知症の高齢者が行方不明になるたび、みんな仕事を休み、農作業を放り出し、漁をあきらめて捜索に出る。
これから先、出動の機会はますます増えるだろう。そして出られる人は減り続ける。
凍てつく寒空の下、いろいろなものが削れている。
16年前の冬、ディズニーランドに行って衝撃を受けた。
北海道の田舎から親に連れてきてもらった自分はいつも正月と冬のイベントの間の激安北海道ウェルカムウィークという期間にディズニーランドに行っていた。
連れて行けてもらえるだけありがたいし贅沢だというのはわかっていたが、ディズニーファンを読んでいた自分はどうしても期間限定イベントに漠然と憧れていた。
ホテルに帰るぎゅーぎゅーのバスの中、次の期間限定イベントの告知を見ながらいいなぁと思ったのをずっと覚えている。
そして2006年の冬、2005年のディズニープリンセスデイズの様子がバスで流れていて衝撃を受けたのを覚えている。
ディズニーファンを読んでいたし、テレビの特集で去年見ていたはずなのに、その時バスで聞いたブーケオブラブを未だに忘れることが出来ない。
そしてこのイベントを生で見たいと思ったことも二度と無理だろうと思ったことも覚えている。
イベントが始まる日、それは私が北の国に送り返される日なのだから。
北の大地に帰ってからも忘れられず生まれて初めて自分でCDを買った。沢山色んな家の雪かきして買ったそのCDを一生忘れないだろう。
そして曲を聴いている内にもしかしたら来年は何かカレンダーの都合でイベント1日目にはいけるかもしれないという根拠のない期待をしていた。
結局その期待は叶わなかった。ディズニープリンセスデイズは翌年タイトルもミニーの衣装も変わってしまった。
それを知った時なんだかとても悲しかったのを覚えている。
なぜ田舎で生まれたのだろうかとか、どうしてもっと努力して自分の力でお金を稼いで(そんなの雪かきどんなにしても無理とわかっているが)イベントに参加しなかったのかと考えて落ち込んだ。
いつか王子様もやって来ないし自分で動かなければ田舎の小娘では何も叶えられないと初めて思い知った。
そんなことを忘れていた16年後、無力で必死な田舎の小学生だった自分は浦安から東京に出稼ぎする無気力なOLになっていた。
舞浜には年パスがあるものの、誰かさんの顔と声帯が変わってからというものの足が遠のいていた。
そんな2020年の1月10日、朝お腹を壊して会社を休んで家で寝ていた。
しかし家で寝ていると昼には快調し、家にいるのは勿体ないそんな気分で舞浜に向かった。
その日からイベントがあることは知っていた。ディズニープリンセスデイズの衣装が選ばれていないことも。
しかしたまたまアプリで抽選して当たって向かったショーベースで何の期待もせずに見たイッツベリーベリーミニーを見て、ブーケオブラブを聴いてボロボロに泣いてしまった。
そしてあの時無力だった小学生の自分が報われたようなそんな気がしてしまった。
顔と声帯が違っていて衣装が違ってマリーではなくクラリスと並んでいても、デイジーと笑い合って歌う素敵なミニーがそこにいた。
もう二度とパークで会えないと思っていたのに、頑なだった子供の私を赦してもらえたような魔法があった気がした。
またいつか会える魔法があると信じて、今はアプリを抽選し続ける。
たとえ使い回しと指摘する人がいても、私は救われた。
あまり当たらない魔法だし、自由席並びに行ったら突き飛ばされたり外から見ようと待ってたら押されたり酷い目にあったりするけど、今だけは何があっても貴方を見ていたい。
もうあの頃のパークと今のパークは何もかも違う、きっと戻ってくることはないのでしょう。
使ってないだけでLV100でLB18個振ってるから育ててはあるよー
期間限定キャンペーンクエは、クリュサオルジータのディストリームでやってます。(のことであってる? 期間限定バストダンジョンクエって)
うちの夫も同じように出産後から育児してくれる人です。お手伝いではなく「自分の子だから当たり前」と参加するタイプで、私が産休育休中は日々の買い物・お料理をしてくれました。私が眠たい日は夜中の粉ミルクも対応してくれる夫です。育休明けは保育園の登園準備も登園も夫がしてくれるし、私が迎えに行けない日は夫が早上がりして迎えを交代してくれます。
育児に加え、家事も仕事もこなせるし、私から見ても家庭外から見てもいい夫ですよね。日々感謝しています。
元増田と私の違いは「もっと育児負担をしてほしい」と言えるでは、と思いました。
時に「自分は育児に不向きだ」という理由で、時に「仕事が忙しい」、あるいは「睡眠不足で眠たい」「ひとりの時間が欲しい」など、その理由は様々です。それと、夫は「育児は簡単」と公言しているので、負担してもらえているのかもしれません。
育児負担を増やすと言っても一時的なものです。逆に私にも負担がのしかかることがあります。夫の国内外出張、一人旅、期間限定の出勤時間変更、病気(夫はすぐ風邪をひく)など・・・ 短期でも負担増でストレスがたまるし、疲労が抜けませんよね。けれどもこれはワーママの私にも同じことが起こりえるからお互い様です。腹を決めてうまくやるしかありましょう。
我が家は幸いにも育児者が複数(私と夫の2名)いるため片方が主担当、もう片方はサブというイメージで動いてます。子供が私に甘えっぱなしで動けない時は、サブである夫が家事をこなします。夫が子供をお風呂にいれている間は、サブの私が掃除や洗濯物をします。日常に自由時間はありませんが、子供と離れる時間を相互に作ったり、自分時間を確保することで元増田の精神面が安定するのでは?と思いました。自分時間は大切ですよ、産後ずっと「誕生日プレゼントはいらないから一人の時間が欲しい!」と言っています。メンタルが安定していないと、育児もロクに回せません。
去年の今頃、元増田のように疲弊していたので、何かの参考になればと思います。育児お疲れ様。サンタさんが増田の一人時間を与えてくれますように。
まず注意いただきたい。
以上気をつけて欲しい。
そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。
みんな思ったでしょ。
いや別にだから悪いってことではないんだけど、安易に気持ちの問題で強くなるっていうのを連発しすぎじゃないか?(少年週刊誌のバトルものにありがちだが)
ちがうんだ、それは別にいいんだ、私も歳だしそういったことには慣れている。だが今回私が言及したいのはどうして心理描写が曖昧なまま強くなるんだ? 共感できない部分が多々あったということだ。
少し応援されたからと元気になったりしすぎだろうと、いい加減そんなゲームじゃないんだからと、せっかくのボンズ屈指のバトルシーンで映画に入り込んでいた自分が急に覚めてしまったりして非常に残念。
まあ、それもいいだろう。どうせファンタジーだ。
しかし、ヒロアカ原作に関してはファンタジーでも確かにそこにキャラクターたちが生きていて、それがリアルに、まるで自分がその世界で生きているような引力のような没入感が素敵であり、だからずぼらな私も1ファンとして単行本、アニメ、映画を欠かさず見ているのだろう。
キャラを大事にし、そのキャラの迷いやこういうこと考えていてこういうことに重きを置いていて、ストーリ進行時には蚊帳の外にいるときはちゃんと外でモブやってたりする、といったリアルな感じがいいのだ。
たぶんこれは、心理描写のために一時戦闘を中断させたりする、漫画ならではの表現なのかもしれない。映像はテンポだ。リズムが全てだ。わかる。わかるんだ。でもそこを上手に見せれなくてはヒロアカには、いったい何が残るんだ?
とまぁ、いろいろと「おや?」と思う点はあるものの、実際の脚本に文句はない。
個性譲渡、別に良い。そもそもデクもそんなこと言ってた(うろおぼえだが)
めっちゃドラゴンボール。すっごいドラゴンボール。髪の毛そんなとげとげにならんでもいいやん。いやいやそんな規模の攻撃受けてふつうそうじゃん、まじ鉄人じゃん。っていうのがほんと何度も出てくる。4日目のカレーの気分だ。「え、また?!」なのだ。
特になにが嫌って言うとだ、個性遺伝した後のバトルだ。爆轟がすぐフルカウルを使えることや100%っぽい力が使えたこともそれ全て含めてワンフォーオールの奇跡って言いたいのかい・・?それは、あまりに投げやりすぎないかい? ヒロアカって、”なんでも個性のせいにしてしまおう”っていうのがなくて、“個性を持ってるからこそこういう悩みがあってそれをどう解決して行こうか向き合う”みたいな葛藤と成長を描く作品なんじゃなかったのかな?
余談だが、私は海外のグロやバトルものの映画でよくある、音楽だけで効果音なしのバトルシーンが大嫌いだ。
馬鹿の一つ覚えと言うと言葉の悪さが際立ってしまうが、まあその表現方法はあまりに使い古されてしまった。
なのでラストバトルの音楽だけですごいバトルを見せられた時、冷めてしまった。映画館でやるんだ。もっと音響を意識して、音速を超えた一撃みたいな表現でも面白かったんじゃないかとか思う。 パッと思い返すのが映画 幼女戦記だが、常にバトルしてて、音があちこちから聴こえてきて自分もその場にいるという臨場感がほんとうに素晴らしい映画だった。
それを、こういってはなんだが1曲に全ての感情を背負わせるのは重荷すぎたのではないだろうか。
私は、そこで完全に映画からリアルの世界に戻ってきてしまった。
(ただこの映画に限っては、ボンズの全力のバトル映像のおかげでまだ見入ることができた。本当に動画がいい。ほんとコマ送りで見たい。ガンダムやAKIRAや攻殻機動隊なんかをよくコマ送りで見た口だ)
少し話が脱線したが、豚カツカレーマーボー天津飯みたいになってしまった可能性はあるか?
起承転結で、転結はかなりテンポよく進めるのがスタンダードだが、それにしても端折りすぎたように感じた。
見せ場のバトルはほんと多彩に入っていてこれはもう大満足で言うことなしなんだがちょくちょく強敵との対峙で勝てない描写をとことんやりたいが為にどうしてもワンパターンなキャラパワーアップに違和感を覚えてしまって、没入感の減少を感じた。
映画だけでなく、どんなアニメも、漫画も、ゲームも、小説も。 その世界に、私が存在できるかどうかでその作品を好きになるかどうかが決まる。
本作に関してはラストに行くにつれ、私はこの映画の世界と融合できなかった。非常に残念だ。
私は、今作でヒロアカ製作陣に何かお偉いさんからのお達しがあったのではないかとか深く勘繰ったりしたほど様変わりを感じた。
とにかく派手に、とにかく意外性を、とにかく話題性のあるものを! みたいな思いを感じてしまった。
もちろん商業作品なのでそういったことを意識して作るのは当たり前だし、別に反対もしない。だが作品を生かしてくれ。頼む。
ここら辺の違和感の解のようなものは、パンフレットを読んでいて考えたのだが、先生監督脚本の皆が口を揃えて「1作目を超えたかった」と言っていた。(1作目はほんとうに良かった。作品を通して”ヒロアカ”していたし、オールマイトの過去の描写や共闘も原作の延長として受け止めることができた)
大変受けた1作目の後の2作目、3作目と作っていく際にやはり重荷になったんだろうか
パンフレットの対談インタビューを読んで、堀越先生が原作ラストで使うネタ候補の一つ「ワンフォーオールの譲渡」を提供し、制作側もそれに飛びついたような発言がうかがえた(個人の感想だよ)
やっぱり人間が作っているんだなぁと実感したし、これからも応援を続けたい。
(なんだ急に媚びうるのか?)と思った皆様、違うんだ、聞いてくれ。
その作品の感想って好きなところ・嫌なところが入り乱れた上で成されるものじゃないか。
もう間違いないやつだ。ボンズファンにとっては言うことなしすぎて、逆にボンズ色強めな印象で、純粋なヒロアカファンは大丈夫か?とか思ったが、そもそもアニメも体育祭やらUSJやらワンフォーオール戦でアニメ視聴者は調教済みだった。
何度でも見れる。ほんとうによく動くし、戦闘の表現のパターンがすごい。これは良い。ほんとうに良い。
ちなみに私が一番好きなヒロアカアニメシーンは体育祭の轟vsデクの回だ。あの回を見た後そっと忘年のザムドを見に行った(私のボンズを意識して見た初めての作品だ。デビューはハガレンだ)
本作を見た後、一番印象に残ったのが雲やなんかの描写なんだが、すまない語彙力がなくて伝えられない。だがみんなの心にも残ってるでしょ?私は今すごくひそねとまそたんが見たい。映画に何度も行く余裕がないので、今作の空の映像を思い出すべくnetflixでひそねとまそたんを見たい
最高だ。原作やアニメでは活躍の少なくなりがちな1-Aのみんなが余すことなく活躍する。各々の連携や委員長の指示なんかも見れてほんとうに良い。
キャラへの愛がほんとうに感じられたし、この人たちはこういう動きをするのか、と私の記憶の中の1-Aの皆に命が宿ったようだった。
尾白くんはやっぱり弱い印象を持って残念だったが、いつもの8割マシで戦っていた。たぶん。 (私は尾白くんを推している)
青山くん、瀬呂くんなんかもしっっっかりと活躍をしていて、ファン大歓喜だ。次回は砂藤くんにも頑張ってもらいたい。
(この活躍というのがちゃんと戦っていて大変興奮もので、本作で印象深いバトルの一つだ。といっても本作は常に戦っているのでどこからどこまでを一戦と見るかは謎だが)
(無理やりな理由で少し違和感を覚えたが)大人を排除した上での各々のヒーロ像というものがしっかりと見て取れて本作はほんとうに原作の延長線にあるもののように感じた。
「君はヒーローになれる」
こんなことわざわざ書く必要ある?って思われるかもしれないけど、客観的に意見が欲しい。
世の中には星の数程カップルがいるし、別れる理由もそれなりにある。
もうすぐで付き合い初めてやっと1年になる彼氏がいる。同じ大学の同級生だ。1年の間にめちゃくちゃ大喧嘩したし別れを切り出されたこともあった。でも大概は私が原因だったから、毎回私が謝って何とか別れないでここまできた。
喧嘩の度に「やっぱ別れた方がお互いのためかな」と思ったことが何度もある。喧嘩することは多いけど、結局楽しいことがあればすぐ忘れる。だから私は、過去のことは水に流そうって精神だった。
今日は違った。
一緒にモンスターハンター:ワールドをプレイしていた。期間限定のクエストがあって、2人でそれをやっていた。
モンハンの基本的なこととして、1クエストにつき2乙(2回力尽きること)まで許されている。つまり3乙でクエスト失敗となる。
目標のモンスターは赤龍って言って、一撃必殺技を持つ厄介なやつ。その技を回避するたった一つの方法が、マップ上にある岩陰に隠れることだ。
その時はスキル発動のおかげで3乙まで許される状況だった。MAX4人までクエストに参加できるので、私と彼、野良ハンターの3人でクエストを始めた。
まず野良ハンターが通常攻撃で1乙、その後一撃必殺技がくるって場面だった。
岩陰に隠れている間、武器の斬れ味を戻そうと砥石を使おうとした。だがその砥石をショートカットに登録してたこともあって、操作をミスして岩陰から出てしまい、一撃必殺技で乙った。同時に野良ハンターも乙っていた。これで合計3乙。あと1回乙ればクエスト失敗という状況だ。
自分のミスで背水の陣になってしまったこと、ボイチャであからさまに彼のキレ気味な声が聞こえ、私は何も言えなくなった。
終始彼の機嫌は悪かった。声色は低いわ、口数少なくなるわだったけど、これは以前にもあったことなので特に何とも思ってなかった。これだけで別れようとはならん。
私が乙った直後、何で乙ったかキレ気味に聞かれ、その後は「クソが」「ふざけんなよ」「ヌーブ(下手なプレイ)かますな」と本気で怒ってるときのトーンで言われた。急に一緒にゲームする気がなくなってやめた。
彼のほうは声量低いと会話が聞こえないっていう音量でゲームする人だから、ボイチャも切って、LINEで正直に言った。
「見えない聞こえない画面の向こうの相手に言うなら構わないけど意思疎通できる相手に暴言は言われていい気しない」。
返ってきた言葉は、
「じゃあ意味わかんないヌーブしなきゃいいでしょ。ただ乙っただけじゃあそこまで言わないし、時間もかかるクエストなのにあんなミスで足引っ張られたんじゃ迷惑」。
正直、衝撃だった。
確かに私がクソみたいなミスで乙ったのは申し訳ないと思ってた。でも真っ先に頭に浮かんできたのは
『3乙して一番足引っ張った野良ハンターより1乙した私のほうが悪いのか?』
ということだった。急にいろんな思いが込み上げた。
”期間限定とはいえ、年明けまでやれるクエストだ。あと数十分でクエストできなくなるとかならわかるけど、まだ時間ある中でそんなヤケになってやるほどでもないんじゃない?”
”野良さえ3乙してなければクエスト失敗にはならなかったんじゃないの?”
”クエスト失敗したのは私のせいでもあるけど、逆に私だけが悪いの?”
まぁいろいろ言いたい気持ちはあったけど、「暴言は単純に傷付いた」「完璧な人間じゃないからヌーブしたことについてはごめんなさい」と謝った。
「傷つけたなら悪かった。ただこっちだって完璧な動き求めてるわけじゃないけど押し間違えて死ぬとかマジでやめて」
と、私からしたら『傷付けて悪い < ヌーブやめろ』って言ってるようにしか見えなかった。
心の中で何かが弾けた。
お互い3乙でクエスト失敗っていう場面を何度も経験してきたはずだ。個人でも一緒でもそうだ。
このときばかりはずっと心に残った。どうもスッキリとしなかった。「私が悪い」ではあるだろうけど、「私だけが悪い」ではないと思ったからだ。