はてなキーワード: 孤立とは
当時18歳だった千葉県の高校生が事故を起こし特定少年という扱いになった、というのをTwitterで見た。増田も残念ながらゲスな人間であるため、実名探せば見つかるか、なんて思って調べてみたが、全く出てこず。
不思議に思って調べたところ、特定少年は事件当時18歳と19歳だった加害者に適応されるもの。
今回、地検は報道機関に実名を伝えるが、実名報道するかどうかは各メディアに判断を委ねている。
成人年齢を18歳に引き下げたのはまだ最近のことであるように感じる。
そのため18歳を大人とみなすか子どもとみなすか、人によって判断が分かれる。
増田自身は18歳当時、自分はすでに子どもではなく、大人と同じように責任を取らなければならないと思っていた。褒められたような善人ではないが無責任ではない。
しかし成人を18歳としたのはあくまでも国であり、当事者たちではない。「責任?知ったこっちゃねぇな」という人もいるだろう。
まぁ無責任さは20歳以上の人間にも言える話なので、1年も2年も変わらない、という意見はごもっともだ。
しかし彼らはあと1年もしくは2年、大人になるまでに猶予があったはずであることは確かだ。その期間を国の都合で取り上げた。だから国も特定少年という区分を設けたのではないだろうか。
今回実名報道がされていないのは、彼女が引き起こしたのは事故であり事件ではないからだろう。
特定少年でも実名報道されたケースはあるが、それは事件だからマスコミは踏み切れたのだと思う。
気が大きくなっていたのか楽観的だったのかは分からないが、友人を殺してやろうという意思はなかったのだろうし、実名報道されるほど凶悪な人物でもないと思ったために各メディアが名前を伏せたということではないか、と増田は推測する。
メディアはそれぞれ実名報道をするか判断しなければならない。実名報道したことに対してバッシングがくる可能性もある。判断を丸投げされてしまったらメディアもどう動けば良いのか分からなくなってしまうから、これは国がずるいなと思った。
特定少年について考える前に、実名報道をすることによって生じる(加害者側ではなく一般市民に対しての)不利益について、まずは考えるべきなのではないかと増田は思う。
成人という区分はあくまでも法律上のものであり、未成年でもしっかりした人もいれば残念なおじさんおばさんもいるわけだから、年齢で実名報道するか否かを決めるのはナンセンスなのではないか。
実名報道は「この人は社会にとって危険な人間ですよ」と知らせるための手段だ。
刑務所で服役しても更生の様子が見られない人のみを実名報道することができるのが良いのかもしれないが、それだと服役が無意味であると言っているようなものだ。(実際効果がない人もいる)
国としては「代わりに国が裁くし更生させるから私刑はしないでね」というルール(法治国家)を通したい。私刑を許すと物騒な社会になってしまうから。
しかし永遠に刑務所内に隔離させるほどの予算もないから、実名報道を通して自衛してもらうしかない。
実名報道をすると更生の余地がなくなり、社会から孤立する。そしてさらに凶悪な犯罪が生じる。
財政がどうにもならない以上、社会からの孤立による再犯は一般市民が被る最小限の被害だ。現状は受け入れざるを得ないのかもしれない。
以上を踏まえると、実名報道は基本的には年齢に関わらずされるべきだが、それは明らかに(精神鑑定等で判明する)更生の余地のない人間に限るというのが増田の意見だ。つまり現状が最善であるということだ。
この増田は正しい
件の無言とか非表示とか言い続けてる人が孤立してるのは周囲の人にとって都合の悪い真実を語っているからではなく
周囲の人が当たり前のように知ってる前提をすっぽ抜かして喋ってるから対応めんどくさがられてるだけなのだがいつ気づくものやら
「増田に1年くらいいれば肌で感じれるようなことをわからないなんて!」って馬鹿にするのもなんかちょっと人としてどうかという気もちょっとするが
単純にファーストブクマカの人がいなくなったというのは大きいが(今もファーストブクマしてる人はいるだって??増田に1年くらいいれば肌で感じれるようなことをわからないなんて!)、それに加えてはてブでの人気エントリとかのしくみがちょっと変わって増田エントリの露出が減った(意識的にhttps://b.hatena.ne.jp/site/anond.hatelabo.jp/を見ないと見つけられなくなった)というのも追い打ちだと思ってる
なんかちょっと人としてどうかという気もちょっとするのでファーストブクマやってた人に戻ってきてとは言わないことにする
1行しかない増田がブクマに載るようになったのは象徴的だと思っている
たぶんいま増田をブクマするような人は長文を最初から避けがちなのだろう
そろそろ長文判定だろうか
https://anond.hatelabo.jp/20230415175017
文章が下手で色々すまんかったが。
俺が想定してたのは性暴力の場面(性行為するかしないかの密室の場面)ではなかった。
そういう場面に関しては、各自丁寧にやるのが当たり前だ。
そのうえでフェラチオのたとえはどちらかというと「性行為の場面とて例外ではない」って感じで書いてた。
全文を性交渉時の同意の話として読んだ人には俺の文章が下手で申し訳ない。
元増田で言いたかったのは「あなたがYESでも、わたしがNOなら(性)加害」ってフレーズがたぶん今後他のテーマでも使われるようになることへの危惧だった。
「NOが言えない」とか「YESと受け取ってしまう」っていくらでもある話だけど、それを加害被害って文脈に回収してぶった切るのが当然みたいなフレーズ、危ういだろっていうそれだけ。
俺の下手な文章でも受け取ってくれて伝わってるブコメにもあるとおり、切り捨ての方向に行きたくないんだけど・・・って話なんだよな。
あのフレーズを拡大解釈しながら真に受けて、更に被害者意識をこじらせて他責思考に陥る人は、どんどん孤立していってしまうだろうし。
それはみんなが意地悪だからじゃないよ、なんとかうまくやれないかなぁと思ってるけど、うかつに近づくと加害者にされるんじゃ勘弁してくれって人もたくさんいるだろ。
あのフレーズが「そうだそうだ」と持て囃されてしまったら、リスクをとって敬遠して距離を置く(友人関係を作らない、雇用しない等)が最適解になってしまうと思う。
それでいいのか?という話をしたかったんだが、俺の文章が下手なせいでうまく伝わらず、「それでいい」がトップブコメになってた。それでいいのか・・・。
これを書いても「要はこっちが我慢しろってか」とか「脅しか?」とか言われそうだけど。
そういう考えの人も過去に色々ひどい目にあってそういう風に考えてしまうのだろうけど、だからって他の人が完全無傷でいつも元気で相手に常に完璧な配慮ができる超人なわけではないからさ。
お互い歩み寄ってお互い努力してうまくやりたいよねって思うだけなんだけど、難しいのかなぁ。
俺を慰めてくれる増田も一部あったが、世の傾向を憂いてるだけで自分の職場に限って言えば、まぁうまくいってるしビクビクしてた新人が心を開いてくれるのも嬉しいので大丈夫です。
また先回りで書いておくと、「これは性暴力のポスターだって言ってるだろ、勝手に拡大解釈するな」に対しては「フレーズ・ミームだけ引用しての拡大解釈は、みんなこれから絶対するだろ、インターネット初心者の人?」と思う。
会見のネットの反応を読んでいても告発者の人物像にクローズアップした記事や論評がなさすぎて、「被害者」にもなってないというか、ジャニーズ事務所を炎上させたいだけなんだなという感じ。それどころか増田で量産されてる記事は「ジャニーズを叩きたい」じゃなくて「ジャニーズ好きな(好きでなくても)女を叩きたい」ってやつばかりでMeTooとは大違い。増田アノンの連中も告白会見をアンフェに利用する前に自分ごととしてMeTooしようよ
告発したのは岡本カウアン氏。出稼ぎ日系ブラジル人の両親の元に日本で生まれた日系ブラジル人の4世で、ジャニーズ事務所を辞めた後は個人プロデュースで音楽活動をしている。
まだWikipediaの項目もできていないような日本では無名の存在だが、そんな彼のプロフィールが一番詳しく書かれている記事が、日系ブラジル人向けのブラジルメディアのブラジル日報である。
ブラジル日報のカウアン・オカモト特集記事には彼の生い立ちが詳しく書かれており、これさえ読めば人物像がばっちり分かる。
はみ出し4世がアーティストに=ジャニーズ事務所辞めて挑戦!カウアン・オカモト (1) 強い孤立感「日本人じゃない」
https://www.brasilnippou.com/2023/230127-21colonia.html
はみ出し4世がアーティストに ジャニーズ事務所辞めて挑戦!カウアン・オカモト(2)喧嘩三昧の中で心の歌と出会う
https://www.brasilnippou.com/2023/230128-21colonia.html
はみ出し4世がアーティストに ジャニーズ事務所辞めて挑戦!カウアン・オカモト(3)ジャニーさん「歌っちゃおうか」
https://www.brasilnippou.com/2023/230131-21colonia.html
本国とWOWOWで放送された時に江澄のことでTwitterが荒れたから怖くて見られなかった3期最終話をやっと見た。ちなみに原作とドラマは完走済。
結論:なんでこれで荒れたのかわからん。むしろかなり江澄に優しいラストだったのでは?
一月祝いの銀鈴を拾って封棺式で金凌に贈ったのは江澄だよね?
だったら魏無羨との確執を乗り越えられるようになったのだな…と思うんだけど
原作だと江澄は今まで己の愚かさや性格の欠点に真正面から向き合ってこなかったせいで、宗主にはなったものの雲夢江氏の経営が上手くいっていない設定がある(大世家の中で孤立いしていて、近所の人から恐れられている)。プライベートでも人付き合いをしないため彼は常に孤立している。
アニメ3期末で閉関したのは、江澄が自分の性格を見つめ直して、より良い人生を歩むための準備期間として閉関が設けられたわけじゃん?閉関ってそもそも己をレベルアップさせるための修行期間だし。
原作の結末では江澄は魏無羨への執着から解放されただろうが、内省したとまでは描かれていない。観音廟で魏無羨と話し合ったことで江澄の心境にも変化したはず、だから閉関が必要ない…というのは原作には書かれていないから間違った解釈・ただのオタクの都合の良い勘繰りだ。
あの閉関はこの先の江澄の人生には間違いなく必要な期間だった。
アニメはかなり江澄ファーストな優しい結末だったのに、怒っている江澄オタクたちは江澄に幸せになってほしくないのか?
藍忘機が江澄を髠刑に処したのはもっともなことだ。目の前で恋人が罵倒されてるのに素知らぬ顔でいる藍忘機のほうが嫌だ。
そもそも祠堂は家族しか入れないプライベートエリアというわけではないから、藍忘機が雲夢江氏の祠堂に入ったのは失礼に値しない。
アニメの魔道祖師はどのキャラクターにとっても素晴らしい結末だったと拍手を送りたい。良いメディアミックスだった。ありがとう。
書き直させた。
僕は、かつて栄えたある国に住んでいた。その国では、歴史や文化によって礼儀正しさとマナーが重要視されていた。国民は、お互いを尊重し、いつも他人の立場や意見を考慮して行動していた。しかし、僕たちの国での生活は、その過度なマナーがもたらす問題によって少しずつ変わっていった。
過去に戻ってみると、僕たちの国は平和で穏やかな時代を楽しんでいた。国家は繁栄し、国民はお互いに敬意を払い、誇りを持って生活していた。しかし、その安定した時代が、過度なマナーへの取り組みを促進する結果となった。僕がまだ若かった頃、気づいたときには、社会が過度なマナーに取り憑かれていた。
徐々に、マナーが国民の日常生活のあらゆる面に浸透し始めた。人々は、公共の場では声をかけるのを遠慮し、誰もが自分の行動が他人にどのように影響するかを常に考えるようになった。それ自体は美徳であるが、やがて過度なマナーが国家の発展を阻害する要因となっていくことになる。
僕は、ある日、友達とカフェで会う約束をしていた。僕たちが会話を楽しんでいると、隣のテーブルの人たちが互いに遠慮し合い、コーヒーを注文するのに何分もかかっているのに気づいた。その光景は僕たちの国の現実を象徴していた。誰もが他者からどのように見られているかを常に意識しており、その結果、マナーを競い合い、礼儀正しさを追求する風潮が広がっていた。
僕の通う学校でも、同じような光景が見られた。授業中、先生が質問を投げかけると、誰も手を挙げず、みんなが遠慮していた。その結果、議論が進まず、学習の質が低下していた。このような社会的圧力は、僕たちの国のあらゆる場面で現れていた。会社では、部下たちは上司に対して過剰な敬意を払い、自分の意見を言いにくい状況が生まれていた。その結果、効率が低下し、イノベーションが阻害されていた。
僕の父は、地元の自治体で働いていた。彼はある日、家でこんな話をしてくれた。「最近の会議では、みんなが他人の意見を尊重しすぎて、議論が進まないんだ。どんな些細な問題でも、全員の意見を尊重しようとするあまり、意思決定が遅れ、プロジェクトの進行が遅れてしまっている。」彼の言葉は、過度なマナーが僕たちの国でコミュニケーションの障壁となっていることを示していた。
僕の母も、彼女が働く病院で同様の問題に直面していた。患者の治療方針について、医師たちは遠慮し合い、決断を下すのが難しくなっていた。その結果、患者の治療が遅れ、症状が悪化することがあった。このように、過度なマナーは、僕たちの国のあらゆる分野で問題を引き起こしていた。
僕の叔父は、製造業の工場を経営していた。彼は工場で働く従業員たちに、礼儀正しさとマナーを重んじるように教えていた。しかし、過度なマナーが社会に浸透するにつれ、叔父の工場はイノベーションが鈍化し、競争が減少した。結果として、市場の成長が停滞し、失業率が上昇していた。僕は叔父の悩み顔を見るたびに、国家経済がどれほど打撃を受けているかを痛感していた。
また、新規事業の創出も難しくなっていた。起業家たちは、過度なマナーを遵守することで、リスクを取る勇気を失っていた。投資家たちも、他者の意見に遠慮し、新しいアイデアやイノベーションに資金を投じることをためらっていた。その結果、経済は停滞し、僕たちの国の繁栄は遠のいていった。
過度なマナーがもたらす問題は、僕たちの国の経済だけでなく、社会全体にも影響を与えていた。僕の妹は、学校でいじめに遭っていた。しかし、彼女は過度なマナーを遵守し、他人に迷惑をかけることを恐れて、誰にも相談できなかった。僕たちの国では、問題を抱えている人々が、過度なマナーのせいで自分の悩みを打ち明けられず、孤立している場合が多かった。
過度なマナーが原因で人々のコミュニケーションが困難になり、メンタルヘルスの問題も増えていた。ストレスやうつ病が社会問題となり、僕たちの国では自殺率が上昇していた。僕たちの国の人々は、過度なマナーによって他人とのつながりを失い、孤独と絶望に苛まれていた。
僕の従兄弟は、外交官として働いていた。彼は、僕たちの国と他国との関係を築くために奮闘していた。しかし、過度なマナーが僕たちの国の外交政策にも影響を与えていた。他国の代表者たちとの交渉では、僕たちの国は過度に礼儀正しく振る舞い、自国の利益を主張することが難しくなっていた。その結果、国際関係が悪化し、僕たちの国は孤立していった。
国際機関や他国からの援助も、過度なマナーのせいで受け入れがたいものとなっていた。僕たちの国は、他国からの支援を申し訳ないと感じて断り、自らの問題を解決しようとしていた。しかし、過度なマナーが僕たちの国の発展を阻害し続ける限り、その努力は報われなかった。
やがて、僕たちの国は経済の停滞、社会問題の深刻化、国際関係の悪化によって、国家としての機能を喪失していった。政府は崩壊し、社会秩序が崩れ、人々は苦境に立たされた。しかし、この悲劇の中で、僕たちの国民は過度なマナーがもたらす問題に気づき始めた。
人々は、過度なマナーが僕たちの国を崩壊させたことを悟り、自分たちの間違いを認め、新しい価値観を模索し始めた。僕たちは、適度なマナーとコミュニケーションの重要性を理解し、互いに尊重し合いながらも、効率的かつ柔軟な対話を大切にすることで、新しい社会を築き上げることを決意した。
新しい社会では、過度なマナーによる圧力がなくなり、人々は自由に意見を交わし、協力して問題に取り組むことができた。僕たちの国は徐々に復興し、経済や社会問題が改善され、国際関係も回復していった。
最後に、僕たちが築いた新しい社会は、国際的な評価を得るようになり、他の国々にも僕たちの教訓が伝わった。過度なマナーによる苦難を乗り越えた僕たちの物語は、多くの人々が学び、僕たちの過ちを繰り返さないよう努力することになった。適度なマナーとバランスを心に留め、僕たちの国がかつて崩壊したことを忘れず、人々が共生し、繁栄する社会を築いていくことが、僕たちの使命であり、未来への希望であると確信している。
colabo擁護派って擁護する割に具体的にどういう活動してるかを全然把握してないんだよな
ただふわっといいことしてる程度にしかわかってない
本当に意義を理解して擁護してるなら具体的にどう動いてるかを話した方が説得力が出るのに
新宿でcolabo以外に救援活動してる団体はいくつかあるし仮にcolaboが無くなっても
助けを求める人たちが行き場をなくすことはない
むしろそういう団体が機能してるんだから貧しい人たちの救援を優先するならcolaboの擁護より
そちらに援助する方がよほど効果的なのでは
ではなぜ自称正義の善人の皆様方が実効のある実績ある団体への援助よりcolabo擁護を優先するのか
・体のいいオタク叩き
「オタクが貧困女性救援を邪魔している」という理屈は擁護派もだいぶ苦しいと感じてると思う
つまりツイフェミとオタクなのにアンチオタクな左翼(ヨxist)
かくしてcolabo擁護派は一般層に広がることなく左翼に乗っ取られた労働組合のように左翼濃度を高め
孤立を深めていくことになりましたとさ
昔からまとめサイトなどを見てきて、あまりに悲惨な可哀想な話、恐ろしい悪人の話を沢山見てきて、この世に生きるのが嫌になりました
性被害にあった娘に「お前が悪いんだ!お前は汚れている!」と言って虐待した恐ろしい母親。
友達を独占したいがためにその友達の悪い評判を流して孤立に追い込み精神を壊した挙句見捨てた屑。
妹を脅して援交をさせ妊娠させ、自殺に追い込んだ屑。娘の人生を滅茶苦茶にして奴隷にして笑う母親。
努力しても努力しても、義実家や夫にDVされ離婚され、働けなくなって毒親の元でクソ弟の奴隷になるしかなくなった女性。
犯罪者の父親に付き纏われ風俗で働かされ、必死で逃げて結婚していたのに父親に見つかり幸せを壊されまた逃げることになった女性。
友達の父親から性被害にあい、そのトラウマからクラスでいじめられ人と関われなくなった女性。
恐ろしいクズ人間どもと、犠牲になる罪のない人達の話をまとめサイトで散々見てきた。クズ人間はのうのうと生きて、白い目で見られるのは犠牲者の方
世の中に悪はいらない。あるとしてもある程度許せる小さな悪だけでいい。
悪質ないじめ、性犯罪、毒親はいらない。そんなことする奴らは生まれてくるな。子供を産むな。
悪は相対的なものだとか、世の中悪があるから楽しいんだとか私も中学生の頃は思ってたよ。でもそれは悪の犠牲になった人達を知らなかったから言えたんだ
悪なんかいらない。悪がなければ人類滅ぶというなら、滅べばいい。というか人類滅ぼしたい。人類が一瞬で滅亡するスイッチあれば欲しい。
文脈はキングスフィールドにあって厳密にはデモンズソウルの系譜ではない。
デモンズソウルは異質で孤立していたがブラッドボーンが発売されたことで先立ちのデモンズソウルと後継のブラッドボーンの関係性が産まれた。
デモンズソウルは城もテーマに含まれるが正確には「脅威の襲来」がメインテーマとなっている。
ある日、理解できないものが日常を侵食していく世界観、クトゥルフ神話を中世ヨーロッパを舞台に語るRPGだ。
デモンズソウル世界をゆっくりと静かに襲う色のない霧はクトゥルフ神話にたびたび登場する霧と同じものだ。
ブラッドボーンでも驚異の襲来が踏襲されており、理解不能な化物たちを相手にしたRPGが同様に繰り広げられている。
ダークソウル世界の住人は「ソウル」を既知の事実として把握しているし、
今の世界を形作る神話も住人たちは程度の差こそあれ理解している。
デモンズソウルが独りの王の暴走によって、現実の中世からいきなり剣と魔法の世界にされた(過去にも同様の現象はあったが)のに対して、
ダークソウルは魔法があって当たり前の世界であり、似たようで全く違う世界観だ。
人々は原因を理解しているからこそ、諦めに似た心境で緩やかな滅びを享受している。
どちらも世界を救う話ではあるが、デモンズソウルは脅威の原因が人為的なものによってもたらされたのに対して、
ダークソウルは世界そのものの欠陥によって引き起こされた現象の解決を託された話でスケールもかなり違う。
その世界の仕組みこそが王家にあり、王家のいざこざを精算することで世界を救うのはキングスの文脈と同じ構成になってる。
デモンズとブラッドボーンが未知の恐怖だとしたら、キングスとダークソウルは過去の恐怖と戦っている。