はてなキーワード: 中学生とは
ちなみにコラボは2億かかると言っているけど、今のところお金を使っていない。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1387745184243347456
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
活動を始めて10年、これまで夜間に18歳未満の子が保護を求めても、一度も児童相談所に保護をしてもらえたことがなかった。その現状を訴え続けてきたが、最近、東京都では児相の対応が変わりつつある。3月末からの1カ月で、4人の中学生を、夜間に児相が保護したのだ!かなり強めの交渉が必要だったが。
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
現在、都内で夜間でも保護を希望する18歳未満の子を受け入れたのは
当然のことだけど、これが当たり前ではない現状。他の児相にも働きかけていきたい!
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
活動を始めて10年、これまで夜間に18歳未満の子が保護を求めても、一度も児童相談所に保護をしてもらえたことがなかった。その現状を訴え続けてきたが、最近、東京都では児相の対応が変わりつつある。3月末からの1カ月で、4人の中学生を、夜間に児相が保護したのだ!かなり強めの交渉が必要だったが。
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
むしろ、保護を求めてる子に「こんなに夜中に、こんなにクタクタなのに、不安と緊張の中で、安心させてあげられず、寒い中何時間も待たせてごめんね」と思う。そして、児相が夜間対応を初めてしたとき、「道を切り開いてくれてありがとう」と、その子に対して思う。
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
子どもの安全を守るために、児童相談所の責任で夜間も対応することは当然です。職員の方個人には、夜間でも対応してくれて感謝の気持ちはありますが、それは当然のことでなければなりません。現状が問題なので、行政職員も声をあげ、夜間に子どもを保護できる体制をつくるために動く責任があります。 twitter.com/ushi_102/statu…
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
返信先: @colabo_yumenoさん
児相や女相を動かすにはかなりのテクニックがいる。誰がいつ相談しても適切な対応をするべきだけど、現状違うから、ノウハウを共有したいが、コロナ禍で目の前の対応で手一杯。それでも私たちは力になるので、もし児相が動かないとか、保護してもらえなかったという人も諦めず気軽にColaboへ連絡下さい
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
そもそも、これは「本人が児童相談所で保護してもらうことを希望しているケース」についてであり、Colaboに繋がる女の子の中では、そういう子はわずかだ。過去に児童相談所が不適切な対応をしているケースや、児相の保護所のルールが厳しすぎることなどから、「児相には関わりたくない」という子も多い
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
夜間に保護したのは素晴らしい(当然だけど!)んだけど、こんな感じでものすごく時間かかるので、保護してもらえるとわかるまで3-4時間かかるのは当たり前。(そこから迎えにきたり、連れて行く)
コロナ禍で店もしまっているため、虐待から逃げてきたクタクタの子を、何時間も夜中に外で待たせることも。 twitter.com/colabo_yumeno/…
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
本人に児相への不信感がある場合は、その日の夜に無理に対応してもらおうとせず、まずはその日からColaboへ保護委託をかけてもらい(最近は都内では、これまでの関係や経験からスムーズに対応してもらえるが、保護委託をかけて児相に責任を持ってもらうための交渉も、これまでかなり大変だった)
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
翌日以降に、その子の担当者と本人も一緒に話をして、これまでの対応を謝罪してもらったり、本人が信頼できると思った場合のみに児童相談所の保護所で保護してもらうことにしています。
だからColaboに連絡したら児相に連れて行かれるということではないので10代の方は安心してください😊
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
ちなみにColaboはGW中も、年末年始も365日休まず活動を続けています。
Colaboも活動を続けるため、よりよい体制で適切な対応ができるチームになるためにも、細くても長く、たくさんの方からのご支援が必要です。こちらからサポーター会員になってください!👇
https://colabo-official.net/support/
仁藤夢乃 Yumeno Nito
@colabo_yumeno
緊急事態宣言が出されることになりました。Colaboでは家に帰れない、いたくない10代女性を支える活動を行っています。
コロナ禍の今、20代の方にもホテルでの宿泊を無料でサポートしています。気軽にご連絡ください!
相談はこちらから👉https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSdjgWihg-aGl_bSghsGoldsf6LJbE-0--NKdGFDJNNsCuCzuQ/formResponse
☘️『福祉のよろず屋』ぽれぽーれーPolePole 포레포레ー🐸🐣🐞
@116_kkk
返信先: @colabo_yumenoさん
児童相談所の現状を話すと、仕事用の携帯は配付されていないため私用の携帯番号を教えるのは難しいかと、完全担当制で担当職員しか子どもの状況を把握しておらず対応もできないため24時間対応は難しく、夜間の電話対応は外部委託、警察の身柄の場合に限り一時保護になるというのが一般的です
https://twitter.com/saorin0212/status/1614136754243764224
@saorin0212
児童相談所の知人数人が切実に訴えてたのだがコラボは深夜に帰りたくない子が居ると児相の人をタクシーで呼びつけるそうで現場の人は嘆いてます。通常は児相まで送り届けるのにコラボだけはシェルターに泊めるでもなく呼びつけられるから自宅が遠い人→
@saorin0212
9時間
謎にこの現象は続くな…
colabo叩いてないし同じ若者支援する身として、4団体の某代表の椅子取りゲームや若者を手段とするやり方に物申してるだけなのに、何故colabo擁護派なる人達がこぞって私の粗探しや嫌がらせをしてくるのかほんっとに謎。何度か言ってるけど私仁藤さんに何の恨みも接点もないけど twitter.com/saorin0212/sta…
@saorin0212
8時間
返信先: @saorin0212さん
→は本当に生活に支障をきたすと。コラボというより言いなりになって何も言えない東京都が問題だと多数声が上がってたけど、どうして東京都は現場の職員の声より外部の委託団体を容認するのでしょうか?
そもそもシェルターもある団体なのだし、どこの団体も同じやり方で良いと思うのだけれど…
@saorin0212
6時間
返信先: @bSNtBgvVCClaJuqさん
この件に関しては、機会があれば声を上げて欲しいと現場の人達から言われてたので。
tmp
@tmp33690828
7時間
返信先: @saorin0212さん
彼らは夜は保護しないのですね。
バスでやってるのも常設したら駆け込んでくるから嫌なんですかねぇ…
本当に配ってるだけで終わりなのか…
実際の現場での対応としては正しいし、売ってる子に説教したら来なくなってアプローチできなくなるわけで
俺もそう思うけど、誰かが止められるもんでもなし。
あとNPOビジネス藤田が、知らないオジサンとするときに必要でしょとか余計なこと言ったのがね。
Colaboの性暴力・性搾取から10代女性を守る、という方針や代表の性嫌悪的スタンスとの整合性や、
公金支出に対して「お客さんとする時にゴムつけるよう指導しました」という実績は大きな声では誇りにくい。
Z李情報では、新宿のネットカフェがその手のやり取りの拠点となってるらしく、売る方買う方も終電は関係なさそう。
26時にリリースするのはどうか、という論はあるけど、その時間までそこに居る補導対象の手合いに
ごくありふれた、あと2, 3年で30歳を迎える交際経験ゼロの童貞男性。
昔から性嫌悪や男性嫌悪の傾向があって、元々強い方ではなかったが最近、性欲を完全に失ったのではないかと思う。
友達が少なく、こういう下の話をする機会がなく、一般的な男性の性欲がどんなものか分からないので聞いてみたい。
同い年の唯一の友人はまだまだ現役で、年間1000回も自慰をするというから驚きだ。
性欲減退について、MSDマニュアルにあるように「性的思考を抑圧する考え方が身についていること」これは非常にあてはまる。
自分はいわゆる「賢者タイム」の影響を強く受けやすいタイプなのもあって、幼少期から自慰行為そのものに罪悪感を覚えていた。自慰をしたことで何か罰が当たるのではないか、という思考だ。
「性的思考を抑圧する考え方」を持つに至ったきっかけを説明するとかなり長くなる(読む人がいればだが)。
兄が中学生になって性に興味を持ち始めた頃、小学生だった自分もエロサイトを(半ば強制的に)見せられた。
内容の理解は出来なかったが、こうして性知識を得たのは小学2, 3年生とかそれくらいだったろう。
その当時(20年くらい前)はフラッシュ全盛期で、AVよりもアニメ調のエロフラッシュに多く触れたということが後の志向に影響していると思われる。
小学生・中学生の頃はまだ、好きな女子をオカズに自慰をすることがあったが、中学3年生の時に好きになった女子のことをどういう訳か神聖視するようになった。
(自分が厳格な家庭環境で育った、あるいは宗教的背景があった、などが一切ないことを述べておく)
自分の中で勝手に彼女を美化して穢れのない女性だと認識し、この子で自慰をしてはいけない、と強く思うようになった。受験期だったのもあるが、中3の1年間は一切自慰を行わなかった。
自分が高校生になって、アニメを見始めると自慰のオカズに二次元キャラクターを多用するようになった。
(そもそも、AVの成人女性よりも自分と同年代のJC, JKに興味があったが、無論そのような児童ポルノが存在するはずもなく…)
その反面、無垢で可愛らしい二次元の女の子に、己の薄汚い性欲をぶつけることに強い罪悪感と嫌悪感を抱くようになった。性欲と相反する罪悪感・嫌悪感の二律背反に苛まれ、自慰の度に自己嫌悪を増していった。
次第に、自分の愛着のある作品のキャラクターのエロ二次創作を避けるようになり、全く知らない作品へ、更にはオリジナルイラストへと範囲を狭めていく。
そんなことを繰り返していくうちに、「可愛いアニメキャラクターを正当に愛するためには、エロから脱却しなければならない。(オリジナルだとしても)裏で二次元の女性に欲情するのは不誠実である」との思考に至り、自慰行為を控えるようになる。
意思が弱く、なかなか自慰を完全に絶てなかったが、大学院で研究・社会人で仕事が忙しくなると自然と回数が減った。そして最近、コロナ禍でテレワーク環境が生まれたことで家に常に親がいる環境になり、完全に自慰を絶つことに成功した。
ところで性嫌悪に関する記述がすっぽり抜けてしまったが、自分の見てきた二次元のエロの世界では
女性が凌辱されたり、あられもない姿で羞恥を受けたり、(和姦であっても)太った気持ち悪いおじさんと性交していたり、
煽情的な仕草をしている(させられている)という風に、極めて男性が喜ぶように歪められた世界のように見えた。
(初めて観たエロアニメが、「奥手な両想いの男女関係に対して、降って湧いたチャラ男が強姦して無垢な処女を快楽漬けに寝取る」というもので非常にショックを受けたのも大きいと思う)
また、生きていくうちに自然と、「女性は慎ましく淑やかでいなければならない」という思考が染み付き、スラット・シェイミング的にAVに関しても嫌悪感が強かった。
獣のように腰を振り、はしたなく懇願して嬌声を上げる男女の姿が非常に醜く映った。
自慰による自己嫌悪とともに、性に対する嫌悪も強まっていった。
2次元・3次元同様に、性に対する男性の「加害性」のようなものを強く感じ、己の男性性(女性を性的な目で見てしまうこと、性的消費すること)にも嫌悪している。
自分を棚に上げているように見えるかもしれないが、自己嫌悪を拡大させて男性嫌悪しているということだ。
話が長くなったが、つまるところ本能的な性欲を理性で押さえつける構図が成立したことで、性欲を失った。
正直なところ性欲が全くない訳ではなく、経験として一度は性交してみたいという感情も恥ずかしながらある。
前述の性嫌悪と相反する感情であり、だからこそ己を恥じて、よりいっそう自己嫌悪を深める原因なのだが。
しかしながら、やはり二次元の女の子を愛するには童貞を守り、性から離れ、女体を知るなどということは避けるべき禁忌である。それに(今は後ろめたい理由で仕方なくやっているのではないのかもしれないが)風俗など「金で女を買う」という行動も、そちら側の人間になってしまうと一生二次元の女性を愛する資格を失ってしまうため、これもまた禁忌だ。
地方の中学だと言うこともあり、中学1,2年のクラスはすごく荒れてた。教室の備品が壊れるのは毎日だったし、テスト中に叫ぶやつとか、授業がおしゃべりなどで成立しないなど、つまり、学級崩壊してた。そんな中で、それなりの偏差値の学校目指して、塾に通い高校受験に頑張ってた自分は偉いと思う。無事、偏差値65ぐらいの地方だと上位の高校に入学し、今そこで勉強している。それで、中学でバカになれなかった私は同級生と全く連絡を取らず、SNS(instagram)で繋がることもしていない為、中学の同級生がどんな風な生活を送ってるのかわからない。(今ここでは、将来のことが考慮されてるマトモな学校とは、偏差値60以上か、専門学校を指してる。)そんなマトモな学校に行ってるやつは学年で、20人ぐらいしかいなくて、後はDQNか、何も考えてない人が多かった。実際、当時から見下してたし、プライドが高い優等生として孤立してたんだと思う。まあ、個人的に親しい友人は何人かいたからクラスの雰囲気に馴染めなくとも、学校に行きたくないというレベル嫌と言うわけではなかった。そんな中、中学3年になると1,2年の時にバカをやって授業の妨害をしていた連中が、いよいよ焦り出して勉強を始める時期。中学生3年の夏がやってきた。ずっと馬鹿やってれば良いのに、高校受験を意識してる人が増えてきたことに流されて、これまでの分まで取り返そうとか、思っちゃうあたり本当に残念なんだな、と思っていた。良い学校に行くとか、将来この仕事に就くとか、一切考えないで、周りが勉強しているからという理由で勉強する計画が微塵もない連中が、一斉に勉強を開始してバカだなと思っていた。そんな奴らと、後2年後、成人式で会う。おそらく、碌なことになっていないだろう。彼らの人生のピークが中1,2の時で、そのあとは誰でもできる仕事に従事してクソみたいな人生歩むんだろうなって今も見下してる。
横だけど、相手が一番魅力的だった瞬間を知っているというのは大きいやで。
関西弁はテレビの中でしか知らなかったので物凄いびっくりした。
私は標準語で喋っているつもりなのに、口にすると何故か関西弁になってしまう。
自分でも不気味だった。いわゆるエセ関西弁とかではなく、イントネーションも完璧だった。
もちろん周囲も驚いていて、親や教師にはちゃんと喋れと凄い怒られた。
何かの病気だったのかもしれないが、親は病院に連れて行く気はなく、いつか治るだろうと楽観的だった。私も治ると思っていた。
高校に入ってからは、中学まで関西で暮らしていたという設定を作ったため比較的受け入れられた。
親もしょうがないという感じで、それからずっと関西に暮らしている。
標準語というか、自分が意図した言葉をしっかり口にできるというのが喜びであり、そして今までの自分は何だったのだろうという不気味さがある。
【追記】
反応ありがとうございました。
あと「外国語様アクセント症候群」ではというご指摘ありがとうございます!
https://www.credentials.jp/2019-10/medical-diagram-201910/
中学生はアホなので謎ルールと上下関係やばすぎなブラック部活が出来上がる。
そして下級生がいじめられるも、先生は責任を取りたくないので「嫌なら辞めればいいじゃん」と雑に対応する。
俺?そんときの下級生だよ
顔にあったデカいほくろを除去した。
しかも結構大きくて8mmくらいあったと思う。ロッチ中岡さんのほくろをもう少し大きくした感じ。
小さい頃は2mm程度だったのが体の成長と共に大きくなってきた。
外見のコンプレックスなんて他人はあまり気にしてないなんて言うけど、大体の人が目を見てコミュニケーションをとる中で気にしてないとは思えなかった。
幸いにも出会ってきた人から面と向かってバカにされたことは無かったけど、初対面の時は一番に気になっただろうなと思う。
あと陰であだ名付けられてたとしたら100%「ほくろ」だったと思う。
一度だけバイト先のレジで客から「取った方が良いんじゃない?」って言われたときは殴ってやろうかと思った。笑顔でかわした自分を褒めてやりたい。
中学生くらいから本気で嫌になってきたけど、思春期真っ只中で顔をいじるなんて、友達からなんて言われるか考えたらそっちの方が嫌だった。
高校の時も大学の時も同じ。大学入る前に取っちゃえばよかったのに免許取るのに忙しくて結局できなかった。
というか一番のハードルは親に言うことだった。なんとなく気まずくて言い出せずに社会人になってしまった。
会社に入ってからもバカにしてくる人は居なかったし、上司や同僚にも良くしてもらった。
けれど、このままこの顔でいたら結婚なんて一生できないだろうなとずっと思いながら生きていた。恋人も出来たことなかったし。
仕事がつらくて精神的に落ちていたとき、とあるネットニュースを読んでいた瞬間に自分の中で何かがぷっつりと切れた音がした。取ろう、ほくろを、と思った。
仕事もこれ以上続けていくのは無理だと思っていたから、タイミング的にはちょうどよかった。
親にはやっぱり言い出しづらかったけれど、それ以上に悲しい気持ちが上回って言えた。
会社を辞めてすぐに美容整形の予約を取った瞬間、本当に清々しかった。
友人たちにはラインで伝えた。あっさりした反応だった。
なぜ疲れていたか、それは私がいるせいで世話をしなければならないからである。
なぜそんなに働いていたか、それは私がいるせいで金がかかるからである。
とにかく私は手間と金のかかる女だった。
生まれてくる前に障害が発覚、生まれてから中学生まで継続して医療と手術が必要であると判明。
生まれてきたあとに持病2つが判明、一方は治療してなんとかなったものの、もう一方は現在(アラフォー)になっても治る見込みはない(多分死ぬまで無理)
ミルクも自力で飲めない病気だったため、母親は気が狂いそうになりながら私を育てたようだ。
もちろん乳飲み子のときの記憶はないが、当時の日記を発見したが、典型的なうつ病患者の日記だった。
3歳頃からの記憶があるが、母親は常に私の世話を焼き、常にピリピリしていた。
小学校に入ってからも世話を焼く地獄は続き、中学年からは塾に通い出したため今度は教育費という課金が始まる。
医療費だけで数百万単位の出費をしたのに、さらに中学受験のために数百万追加である。
手間と金を湯水のように使った私は、なんとか社会人になることはでき、結婚することはできたが、自分がその手間と金をかけて自分の子供を育てることなど恐ろしくてとてもじゃないが考えられない。
親に虐待されていたわけでも、愛情をかけてもらえなかったわけでもなく、めちゃくちゃ愛されていたし大切にされていたと思う。
子供はいらない、などというと親が毒親だったのでは?とか思われがちだが、めちゃくちゃいい親であったと思う。
「お母さん見てたら、私はお母さんみたいになりたくないし、なれないなって思ったんだ。めちゃくちゃ疲れてたし大変でしょ?
だから育ててくれたことには感謝してるけど、自分がやるか?って言われたら絶対やらないって物心ついたときからずっと思ってる。
中学の頃にはっきり決めて、40歳近づいた今でもその気持ちは一度も揺らいだことはないよ。」と答えた。
ただ、それだけのこと。
過労死寸前の管理職を見ていたら出世したがらないのと同じ話なんだけどな。
育ててくれたことには感謝してくれるけど、親が見せた「子育て」というコンテンツは地獄のコンテンツにしか見えなかったんだよ。
当時はGoogleよりYahooのディレクトリ検索のほうが主流だった。
確か何かしらの機能が使えなかったので、生年月日をごまかして登録していた。
それから20年ずっとメインのメールアドレスとして使い続けてきた。
確かに過去の自分が悪かったけど、あれから20年立って今更ログイン認証だけじゃなくて生年月日が必要と出てきた。
そして、これは変更不可能。20年前にどう入力していたかなんて覚えているわけがない。
ヤフオクでも色々買っていたり、色んな思い出のメールも見れない。
もちろんこのメールアドレスを登録してるWebサービスも山程ある。
メールアドレスに確認コードを送るタイプのWebサイトだともうログインできなくなってしまったし、今使っているサブスクの解約すらも出来なくなってしまった。
片や女、片や男。片や左翼、片や右翼。片やミサンドリスト、片やミソジニスト
共通するのはどちらもルサンチマンを無駄に溜め込んで、攻撃的で、自分は弱者だと信じていて、なかつ空気を読まないこと。これは北海道の何もない広大な空間で育ったことが原因
この二人と鈴木宗男と旭川の中学生のせいでもう北海道民のイメージは最悪。「北海道は開拓者の大地だ!」とか言ってないでアイヌに返還すべき
叔母が亡くなった
59歳だった
今の私を形成している三分の一は叔母の影響じゃないか、と思うくらい
私の従姉にあたる人
もちろん私は従姉のことも大好きで尊敬している
だからこそ、この叔母の死がどうしようもなく
悲しくて空しくて、未だに実感が湧かないのだ
叔母にはたくさん迷惑をかけた
叔母からはたくさん楽しみをもらった
たくさん甘やかしてもらった
私の実家は母親の実家でもあるので、叔母が帰ってきてみんなでお酒を飲みながら、くだらない話で笑うのが大好きだった
叔母の死因は最終的には悪性リンパ腫ということだった
私は例えば反ワクチンのような考えではないし
頭では「新しい薬が生まれるときにはこれまでもこういうことが起きていたんだろう」ということは理解している
けれどもやはり、じゃあなぜそれが叔母だったのか
叔母は自身で「この苦難に立ち向かえる闘える人だから選ばれたのだ」と綴っていたが
いくら叔母が強い人だからって、こんなのってないだろと思うことしかできないのだ
叔母の父親、つまるところ私の祖父を4年前にガンで亡くしている
昨年、入院中の叔母の写真を見たときに闘病中の祖父とそっくりになっていて、本当にショックだったのを思い出す
私が最後に会った叔母は、美味しそうにバーベキューの肉を頬張る姿だったから
叔母らしい戒名を見て、少し綻んで
そして、やはりずっと「なぜ叔母なのだろう」という気持ちがぐるぐると巡るだけだった
最後に、たくさんのごめんなさいとたくさんありがとうをちゃんと伝えたかった
全然伝えきれてない
と言われたことをずっと忘れず覚えて生きていた
私はまだ、良い経験値を積むことはできていない
俺はガキの頃から潔癖症で静かに過ごしてる方が好きだったせいか、色んな意味で情報量が多い学校がマジで苦痛でストレスだった。
そのお陰で初不登校が小1という社不エリート街道を歩むことになった。
親にブチ切れられながら大嫌いな学校に通ってた俺が学校で身につけた物といえば精神的なストレスぐらいで学力はゴミだった。
中学生になるとブサイク故に雑なイジりをされるようになったので、とうとう人間嫌いになった。学校も休みがちになった。
学校に通うのが苦痛過ぎたので高校は通信制に行きたかったが、偏差値40程度の高校に通うことになった。
その後、予備校に通い市役所で採用されて公務員になった。俺はその時に勉強が嫌いだったんじゃなくて学校が嫌い故に、学校と切っても切れない勉強が嫌いだったことに気づけた。
しかし社不は治っていなかったので、長期フリーターを経て今は別の仕事をしている。
みたいな話を久々に会った高校の友達にすると「お前なんでそんな学校嫌いなん?」って不思議がられるんだけど、みんな学校好きだったん?