はてなキーワード: 三半規管とは
今日、飼い犬の老犬が死んだ。
炎天下の中で水を求めて、苦しみながら死んだ。
安楽死させてやればよかったのだ。
犬は三半規管を悪くして自力で起き上がれず、半年くらい寝たきりのオムツ生活だった。
水、エサも自力で口にできない。
水を注射器で吸い上げ、口元にもっていく。それを1日に数回しなければならなかった。
オムツは気持ち悪いのか、つけようとすると手足をバタバタさせて嫌がった。
でも、オムツをしないとコンクリートの上に糞尿がぶちまけられて掃除に1時間以上かかる。
嫌がる犬をなだめてオムツをつける。
オムツをしていても、大便はいつのまにかオムツの外にもれている。
暖かくなると犬にもハエが飛び回った。
世話をしに行くと、ハエ数匹がいっせいに飛び立っていった。
自分は虫が苦手なのでこれはこたえた。
さらに夏が近づくと、皮膚に卵を産み付けたハエの卵が孵化してウジになるだろう。
それをピンセットでひとつひとつ除去していくのだ、とどこかのブログに書いてあった。
老化による吠え声も、家族を苦しめた。
中型犬なので、吠え声も大きく、苦しいのか甲高い声で吠えまくる。
夜鳴きもひどかった。
水をやっても、オムツをかえても、目が回って苦しいのだろう。
苦しいし、寂しいのだ、と犬好きの友達が言っていた。
そばにいて頭でもなでてやればいいのだろうが、1日中つきっきりで介護できる者はいなかった。
犬が鳴いていなくても犬の鳴き声がする。幻聴だった。
目が覚めると犬が吠えている。
仕事を中断して、料理を中断して、食事を中断して、犬の世話をしなければならなかった。
寝不足状態だと、攻撃的になるし、頭は働かないし、食欲もなくなり、IQが2くらいになるので本当によくない。
介護殺人、乳児殺しが起こるメカニズムが手に取るようにわかってしまう。
他者をケアする能力がない者は、はやく介護現場、育児現場から逃げ出してほしい。
母は昔に病気をして痩せているので、中型犬でそこそこ大きい犬の世話をするのも一苦労のようだった。
夜中に吠えまくるので、寝不足で仕事に行かなければならなかった。
もう世話をするのが限界だった。母も私も。
母や私の介護も限界で、犬も生きているのが苦しそうで見ていてつらかった。
しかし、安楽死反対派の父親に安楽死を何度も打診したが、すべて無視をされた。
父は、自分が死ぬことや、自分の知っている命が死ぬのが怖いのである。
家を出る覚悟もした。
しかし、ツイッターでデスハラスメントがバズっていて、自分は死の押し付けをしているのかもしれない、と思い直した。
「勝手に犬を安楽死させたら、自分のお気持ちゴリ押し主張マンの父親と同じ土俵に立つことになる」
「どれだけ劣悪な環境でも犬に生きる権利はあるかもしれないし、獣医に殺生の罪をかぶせるかもしれないし、死の押し付けでデスハラスメントになるかもしれない」
「けど、父親の介護はお粗末だし、劣悪な環境で苦しんで死んでいくことが予想されるぞ」
そんなことをツイッターに書いた。
脱水状態は、死ぬ時は頭の中がボーっとして気持ちよく死ねるというデータもあるけど、自分には楽に死んだようには見えなかった。
これは、看取る側の意見だ。
看取られる側も、同じ意見だろう。
しかし、犬は苦しんで死んだように見えた。
吠えないように口輪の上からヒモグルグル、ヒモがこすれて赤い肉が見えて、ハエの卵をビッシリ生みつけられハエ数十匹ブンブンの中で、苦しんで泡を吐き、脱水で死んだ。
ずっと苦しんでいた。
水をやっても、エサをやっても、動かない不自由な体に苦しんでいた。
苦しみを除去するために、安楽死があるのに。
適切にそれを使えなかったのだ。
死っていうのは綺麗なもんじゃない。
綺麗にパッケージされた死ばかり見せられてるけど、死んだらみんなハエブンブンなんだよな。
死ぬっていうのは本来、こういう残酷で惨めで惨たらしいものなんだろう。
そして、死には必ず苦しみが伴う。
でも、もっと苦痛を取り除いてやれる方法があったのではないか?
父のやり方は、苦痛に目を向けず、息さえしていればいいという感じだった。
後悔している。安楽死で楽にさせてやれなかったことを、後悔している。
命日の2日前でも安楽死させてやればよかった。
でも、父も母も積極的安楽死反対派であり、父に関してはどんな惨めたらしい姿でも生かしておきたいようだった。
家族の意見を押し切り、自分が勝手に安楽死させる罪までかぶれなかった。
犬は話せるわけではないので、犬の意見も聞けない。
でも、人間だってこんな状態になったら生きていたくないはずだ。
今日は例によって睡眠リズムが狂っていて、目覚めたら15時だった。
暑い。喉がかわいている。ペットボトルの水を乱暴に口に流し込む。
犬に注射器で水をやらなければいけない。
ベッドから起き上がれなかった。
犬に水をやりにいかなきゃいけないし、オムツも替えなきゃいけない。
でもハエブンブンの中で介護することで、その日の1日が最悪な感じで終了するのだった。
眠れなくなる、病む、自傷行為に走る、安楽死安楽死安楽死。昨日は安楽死について6時間くらいネットで調べていた。
自分のお気持ちを防衛しなきゃ、体が動かないな。動きたくない。
日記にそう書いてあった。
水をあげたらよかった、という気持ちと、水をやらずに死ねてよかったのだ、という気持ちが交互に襲ってくる。
犬が死んでしまった虚無感と、
7月に入る前に、卵が孵化しウジに変わる前に死ねてよかったのだ、という安心感と、
やっぱり安楽死させてやればよかったな、という後悔と、
もう世話をしなくていいのだ、という解放感と、
安楽死が適用される犬にも安楽死を施しにくい遅れた文化への絶望感と、
犬が死んでもなお、自分の死や家族の死について向き合わなければいけないしんどさと、
色んな負の感情がないまぜになっている。
何が正解だったのか、わからない。
これは、答えを出す作業ではない。
犬、苦しかっただろうな。
ごめんな。
文章にしてみてハッキリわかったのだが、これは、犬の介護の問題だけではない。
自分ひとりで犬を飼っていたら、お別れを言って楽に旅立たせてあげられていたのだ。
自分が無力で、決定権が父親にあり、逆らえないがゆえに犬は苦しんで死んだ。
母は「どうしたらよかったのか、家族で話し合いたい」と言っていたが、父は貝になったままだんまりを決め込んでいる。
犬の死に顔が頭に浮かんできてキツい。
当分、寝れずに悪夢をみるんだろうな。
口ヒモグルグル、歯を食いしばって、目は濁っていて空洞の穴ぼこみたいだった。
体はまだ暖かかったが、蝋人形のように手足が硬直していた。
動いていた犬が、動かない時のあの心臓が冷えたような感じを、忘れられないだろう。
コンクリートの糞尿の掃除をしていると、父が会社から帰ってきた。
「お父さんが世話するから」
いや、もう生きてないんだよ。
犬が死んで悲しい気持ちが100点、父への憎しみ1万点、安楽死が後進国文化の日本への怒り10億点、無力な自分への虚無感100億点ってかんじだ。
ベッドから煎餅布団にクラスチェンジしたんだけど、床に直接寝てんのと大差ないくらい固い。起きると体バッキバキだし、痛くて寝た気がしない。
でも3ヶ月もしたら体が慣れて布団の固さは気にならなくなって、体バキバキもしなくなった。床でも寝られるようになった。ただ、寝た気がしないのだけずっと変わらない。寝汚いから寝れるは寝れるんだけど、半日寝ててもずっと眠いし、最近は寝不足由来のめまいも頻発するようになった(めまい怖いから病院行ったら寝不足って言われた。血液検査異常なし、三半規管異常なし)。確かに体は休めてないように思う。
寝ても寝ても寝た気がしない人の中にはこういう寝具環境の悪さとかもあるんじゃないだろうか。日本は食事に気を使って寝具気にしないけど、アメリカは逆に食事気にしなくて寝具に気を使ってるってどっかで聞いたし。
さておき、そんなわけで寝具を変えたいんだけど、床で寝れる体になったから展示されてるベッドに寝転がっただけじゃ寝心地が分からなくなった。寝具盲。あと腰痛持ちだから柔らかすぎるのもダメで、最低1晩は寝ないと体に合うのかどうか分からない。柔らすぎがダメだって体感できる機会を得たのは僥倖だった。だからまぁ1日〜数日レベルでお試ししたいんだけど、寝具ってお試しのハードルが高い。お試しできるメーカーも限られてるし、エアウィーヴのためにホテル泊まると結構なお金がかかる。そもそもそんな高いメーカーのベッドマットじゃなくていいんだけど、メーカー名が分かる状態で寝に行けるのがエアウィーヴくらいしか見つけられない。
とにかくぐっすり寝たい。起きた時に「あー、よく寝た」って感覚が欲しい。みんなどうやっていい寝具選んでんの?
選民思想といっても過言ではない。
電車、新幹線、フェリー、飛行機、高速バス。なんでもござれで瞬時に酔う。
なんなら車の助手席で窓を開けてても偶に酔うくらいには酷い。
(自分で運転してても段差が多かったり長時間運転してると酔う)
酔い止めもダメ、ストレッチもダメ、三半規管を鍛えようと色々やったけど症状全く寛解せず。
そのせいで、乗り物に乗る時は、必死で前を見ているか眠ることしかできない。
横や後ろを見ていたら、十分もしないうちに気持ち悪さで限界になるから。
だから、私は移動時間を上手く使う発言が憎らしいし、同時に羨望の対象になっている。
新幹線でスケジューリングとかPCで作業をやるサラリーマンが眩しい。
夜行バス、隣の席でプロレスだかの週刊記事を遂行して書いていたライターのおっちゃんが羨ましい。
電車でのどかな山村地域をバックに、小説を読みふけっていた眼鏡のお姉さんが輝かしい。
移動時間を上手く使え、と執拗に言ってくる輩に文句の一つでも言ってやりたい。
その選択肢が無い人が、少なくともここにいるんだ、って。
会社の人がいるのでtwitterでも愚痴れないのでここで愚痴らせて
隣の席の人がクチャラーでつらい
ゆるいウェブ系IT企業だからお菓子食べながら仕事するのも会社の規則的には何の問題もない
で、隣の席の人は「(朝ごはんやお昼ご飯など一定量の)食事をすると眠くなるから、こまめに食べる」と公言し、ほぼずっとお菓子を食べてる。飴とかグミとかチョコとか
で、クチャラー
飴とかグミを舐めてるときに「ちゅぱっ」って音がするのホントいらつく。なんなのばかなのしぬのこっちがしぬわばか
眠気を覚ますために伸びをする際に「うぅ〜〜〜〜〜〜ん」とか普通の声量で言う。
お菓子を食べてるせいでゲップをする。
服装が汚い。襟だるんだるんのTシャツとか着てるし、シャツもよれよれ。
姿勢が悪くて立膝をついてる。
姿勢が悪くて前傾姿勢になりがち、故に頭を支えるために頬杖をついてる。
集中しだすと独り言を言い出す。
ケータイを頻繁にいじって、いじり終わったら机に軽く放り投げるので「ガンッ」って音が響く。
貧乏ゆすりをする。ひどいときはその振動が机越しに伝わってきてこっちのディスプレイが揺れる。(私の三半規管が弱いので文字を読もうとすると酔う)
自衛策として音系はイヤホンで遮断、視界系は体の向きを変えて視界に入らないようにする(こっちの姿勢が斜めになるのでつらい)、貧乏ゆすりなどはもう離席するしかない。
皆さん覗き込んでますか?
さて、先日増田にて3D酔いの克服方法を記載しましたが、それよりも簡単に、それでいて且つ誰にでも効果のある3D酔い軽減方法を発見したので知見を共有したいと思います。
と言っても、これは一部のVRに効果のあるもので、通常のモニタで行なうFPSなどのゲームに対する克服法は前回の増田から方法だけを抜粋してあとで記載します。
本題。
3D酔いの原因は、視覚情報の揺れと実際の身体の揺れの差異に生じるバランス感覚の狂いにあると言われています。
簡単に言うと、視覚が揺れているのに身体が揺れていないから、三半規管がバランスを取れずに酔ってしまうということです。
止まっているエスカレーターを歩こうとするときの違和感や、電車のドアが閉じてからなかなか発車しないと身体が傾いてしまうのは、全て視覚(や聴覚)の情報をもとにしたバランス感覚が起こすいたずらです。
それはとても簡単なことです。単純に目を閉じればいいのです。
でも全てにおいて目を閉じていたらVRの意味がありませんよね。
ならば、特定の場面に限り目を閉じるように心がけてみてはどうでしょうか。
激しい上下
著しい落下、上昇
激しい左右の揺れ
激しい前後の加速
酔いの主な原因は、とにかく加速度と揺れです。
VR内でこうした動きが起こりそうな場面で数秒目を閉じているだけで、3D酔いはかなり緩和されます。
ちなみに、ダイバシティのVR体験施設にて友人数名と実践したところ、全員で酔いの緩和を実感できました。
そしてさらに、自身が体験して見て最も酔いやすいと感じたプレイ方法も発見しました。
それは、移動の伴う場面で下ばかりを見ていることです。
ぐるぐるバットの要領かと思われますが、下向きのときに移動や回転を知覚(実際に動いていなくても)するとかなりの短時間で一気に酔います。
下方向の確認は最短で行い、視点を送るときには目を閉じるなどするのが良いでしょう。
尚、頭を激しく動かす限りではあまり酔いは感じませんでした。
ただ、その場合は外部モニターを眺めている人が酔う可能性があるので注意です。
おまけに、以前書いたFPSなどの3D酔いを克服する方法です。
FPSのほとんどは臨場感を演出する為に移動に揺れを伴います。
その揺れに合わせるように肩を上下するだけで、かなり酔いは緩和されます。
また、左右の激しい動きに対してもそれに合わせるように肩を左右に振ると良いでしょう。
首は正面のままで構いません。
あくまで、身体が取ろうとするバランスを中和させることが目的です。
つまりこの理屈で言うと、車酔いする人は揺れに逆らおうとするのではなく、むしろ委ねるほうが酔いにくくなるということになります。
車の場合はさらに座っている位置によって視覚情報も変わってくるので、いわゆる一般的な方法であるできるだけ視覚が揺れない正面の遠くを見るのが効果的といえます。
もしかしたらそういう人の方が、視覚情報に順応しやすいことが原因で3D酔いになりやすいのではないかと思います。
それでは快適なVRライフを。
でも、覗き込むのはほどほどにね。
今日は金曜日なのでいつもだったら週末に向けて気が抜けてダラッとしていたが、エイヤッ(IT業界語)と公園に行ってきた。
そもそものきっかけは、はてなブックマークでラジオ体操の話題を見ていたのが記憶に残っていたという点は大きいと思う。
ただ、常駐先で一挙手一投足を監視されながら定時まで嵐のように仕事をするとヘトヘトだし、緊張状態が続くので体が
凝り始めたというのが大きな理由だった。「追い込まれてもヘラヘラ笑っているIT超人」みたいな人がたまにいるが、
なるほどああいうタイプはしぶといだろうなとようやく理解出来た所もある。
本当ならば、夏休みの小学生のように朝日を浴びながら体操すれば心にも体にも良いんだろうが、現状でも基本定時帰り
とは言え6時起きで通勤しているので、現実的には厳しい。では帰ってきてから、リラックスモードに入る前にパパッと
着替えて3:16の体操をこなしてくればいい。
音源は落ちていたが、自分の逃げ道を防ぐためにiTunesStoreで購入。200円。
一日目。体操を終えてみると「なぜこんな事に?」という疑問点が出てきた。ウルトラマンである。
二日目。ある程度一日目の疑問が解けた。
三日目。かなり腑に落ちた。
アニメ刀語の主人公の姉であり、「天才」「化物」の鑢七美(やすりななみ)の特技は「見稽古」である。
大抵の技は一回見れば覚える。二回見れば盤石。
もちろん筆者は単なる凡人であってフィクションの天才とは比較にならないが、経験とは馬鹿にならない物で宮本武蔵の
五輪の書における「観の目」的な物が自動的に整理される。パターンの見切りが早くなる。おそらくゲームをあまり
やらなくなったのもその辺が原因だと思う。
まずかなりの人はラジオ体操を学生時代以来やっていないと思うし学生時代に苦になった人は余りいないと思う。
筆者も運動神経は鈍い方だったが、特に苦にはならなかった。ただ、中年の身では余裕だと思っていたが、結構しんどかった。
思い出したのは、小学校時代の運動会で保護者のやっていたラジオ体操だったのだが、それがなんだか子供心に無様に見えた。
早送り気味のチャップリンの映画のように、挙動がせっかちで芝居がかっているように見えたし、テンポも遅れている。
それから昔テレビで見た芸人のラジオ体操。余裕綽々で始めるが体操が終わってみると、半ヤケ気味に満員電車の中で
揉まれたように髪は乱れメガネがズレてシャツがズボンから出ている。オーバーアクションでもなかなか面白かったのを
記憶している。
おそらく原因は二点あって、一つは「年を取ると感情の抑制が甘くなる」という点があると思う。
動作に感情を込めると間違いなく「力む」のだが、その力みがぎこちなさや無駄な動きに繋がっている。
だから感情が豊富なオタクの言動は芝居がかっているし、機械的動きが必要な楽器演奏で情感を作り出す音楽を
やっている人は動作が軽やかで年を感じさせない。多分ラジオ体操もうまくこなすと思う。ただ、オタクも
例えば弓道のような精度を高めてくスポーツにハマれば感情を込めない動きがマスター出来るだろうし、
作品を作る方の漫画家も反復作業が膨大に発生するので技は磨かれるだろうが。
それで連想したのは「料理は愛情」と言うけれど愛情は感情だから品質にムラがあるのでは?
プロとしてそれはどうなのかな?古来からの言葉なのかな?と軽くググると、起源は
『1980年代にオールナイトフジの「結城先生の真夜中のお料理教室」や料理番組「夕食ばんざい」などに
出演していた料理研究家の結城貢のキャッチフレーズ』とある。最近の言葉だった。
どうも、どこかで「愛情を込めて歌う」という文章もあった気がするが、「心を込めて歌う」という表現の方が一般的だし、
理にかなっているような感じがある。感情を込めて歌うとロックのように力んでがなり立てるような歌い方になるか
まともに歌えなくなるだろうし、心を込めるというのは丁寧にやるということでクラシックのオペラ的な歌い方とまでは
行かないまでももっと純粋な歌唱力の問題になるのでは、とここまで考えて、筆者自身「心を込める」という言葉が
どういうことかということを厳密に理解していないなと思い、またもやググってみたが、「いかに相手に真剣に向かい合うか」
それから整理してみると、どうも感情量を増やすような構造に嵌められている気もするが、穿ち過ぎかも知れない。
閑話休題。二点目。
3日目で詳細まで分かったがラジオ体操は「前半は緩いが、ドンドンしんどくなる」ということだった。
一番始めの「腕を前から上にあげて大きく背伸びの運動」。これは緩い。ここで大抵のおっさんは油断してしまう。
粛々とこなして、「前下に曲げます!柔らかく弾みをつけて3回そして、うしろそりぃぃ」。ここで「あれ?俺テンポ少し
遅れてね?」。
クライマックスはその後の「身体を回しましょ~(`・ω・´)!!」からのコンボ。上半身をグルグル回す。クラクラする。
漫画のキャラクターを笑えなくなった。三半規管が弱まっているな……。動作も遅れ気味だ。
続けて「足を戻して両足飛びぃ~」。クラクラしている中、暗い空間をジャンプする。なるほど。これが目眩か。
SFのセンスオブワンダーが目指している領域。ゲームデザインに興味のある人ならおなじみのカイヨワの
「遊びと人間」における「眩暈(イリンクス)」。4分類(他は「競争(アゴン)」「偶然(アレア)」
といっても重病なわけではないのだが、いわゆるメニエールというものらしい。
夜に突然左耳に風切音のような耳鳴りが始まり、翌朝になっても治らないので病院に行ってみたら検査の結果そのように診断された。
耳鳴りによって低音の聴力が半分ほど失われ、三半規管の不調によって奪われた平衡感覚によってめまいとは行かないまでも地に足のつく実感を無くしていた。
ひどい人になると立ち上がれないほどのめまいに襲われるらしいが、それに比べれば症状は軽い方なのだろう。
振り返るとここ2ヶ月位まともに家にも帰れず、家に帰っても育児に追われる毎日でゆっくり休んだという記憶はなかった。
これが20代の頃なら何とかなったのかもしれないが、いまや40を数える肉体には少々過酷だったようだ。
そんな中、身の回りにメニエールを経験していた人が多かったためか思った以上にまわりの反応が優しかった。
何故かこの時、多少症状を大げさに話ながらもなんとなくその優しさに甘えたい気持ちになってしまった。
いつもなら「大したことないです。」と答えてしまうのを今日はやめ、「そうなんです。はじめてのことだから不安で。」と、相手の心配を受け入れてみることにしてみたのだ。
こうして人に甘えてみたのはどれくらいぶりだろうか。
会社ではそれなりのポジションにはなった。それでいて多忙だったのは今回が特殊な案件だったということと、なんとなくどこまで無理できるのかを確かめたいというのもあった。
家庭に帰れば2児の親であり、甘えさせることはできても甘えることは難しい。家で子どもたちにだらけた姿を見せられるでもなく、なんとなく気持ちが落ち着かない日々を過ごしていた。
会社にも大げさに病状を話し思い切って2日間も会社を休むことにした。
なにせパートナーがメニエール経験者ということもあり、家でゆっくりすることをすんなりと許してくれたのだ。
気分転換を兼ねて幼稚園の送り迎えには参加しつつ、出来る限り家では横になっていた。
それでも文句を言われることなく、むしろ気を使ってくれることへのちょっとした罪悪感を楽しんでいた。
発症から2日目。耳鳴りもずいぶんと和らいだのだが、症状はまだ相変わらずだと説明した。
なんとなく甘えさせてくれるかどうかを試してみた気持ちになったのだ。
そんなわたしの気持ちを推し量ったのか、蒲団に横になり続けることは優しい言葉とともにあっけなく許可されたのだった。
それどころか晩のご飯には精のつくような料理までしっかりと用意してくれていた。
その頃、少しずつ罪悪感と甘えたい欲求のバランスが崩れ始めてきたのだ。
わたしはいつも何と戦っていたのだろう。
つらいことをつらいと言えず、だれに何のために強がっていたのだろう。
そんな疑問がふと浮かんできたのだ。
この年になっても自分が泣くきっかけというものがよくわからない。
ただ、この時は幾重にも蓋をしていた感情が溢れかえるようにして目からこぼれ落ちていくのがわかった。
その中にはとてつもない情けなさもあった。
もっと辛い思いを抱えたまま毎日を過ごしている人だっていくらでもいるのだ。
それがこんなことぐらいで何をいちいち感情を乱しているのだ。
診察を受けたところ症状はなくなったとの説明を受けた。
ステロイドを処方しているので、それが切れてから再発しなければ治ったと思っていいらしい。
医者からも薬局からも必ず飲み切るようにとの念を押されたことから考えるに、状況によっては重い症状になり得る病気なのだということを物語っているようにも思えた。
多分、これくらいで済んだのなら運が良かったのだろう。
人は思ったよりも優しいのかもしれない。
多少人に煙たがられても、もう少しだけ肩の力を抜いて生きていこうと思った。