はてなキーワード: 一言とは
いやまじめに読んでみたら「あてがえ論者ですか?」「はい」って答えて自認してるの島本と鈴木の二人だけじゃん
黒屋は
言い方をお上品にしてるだけで結局あんたらの言ってる事も「女を宛がえ」と同じ程度には非人道的だよね、というのが私の主張なので、そう書かないと伝わらんでしょ。
と発言しており、フェミが非難として使う「宛がえ」という言葉を意図的にカウンターとして採用したことを明らかにしている
赤木は話のオチとして彼女募集しただけで一言もあてがえと言ってないし、tufozi2は引用ないからどこを指してるのかわからんけど基本お見合い論者みたいだし、すもももあてがえ論者ではないと自認している
沢山でもないし求められてるのと全然違う例ばっかりじゃね?
まともな反論を思い付かなくなった人が、相手そのものに難癖をつけることで他者に「こいつの話なんて聞く必要ないぞ」とアピールしたり、どうにか一言反撃してる感を出したいときなどに使用されます
ただの通りすがりの他人じゃん。態度もクソもないしへたすりゃ一言も発しない客だっているし、コンビニの店員と客ってイメージすると、ほぼ自販機に相対してるようなもんでほぼ存在を意識しないだろ。
ブラック校則の問題が取り上げられるたび、学校も先生も頭おかしい!おかしいルールは即撤廃すべき!って吠える人多いけど、どういう世界を望んでいるんだろうか。
子供たち自身が、自分たちで決めたルールに則って学校生活送る世界?それともすべての頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限を撤廃した上で、個々の子供と家庭に任せる世界?
自分が過去、学校生活で味わった理不尽さを思い出して憤り、「現在の学校や先生」に八つ当たりしてんじゃないかと思うことがある。
わたしは、子供の頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限、学校側が頭ごなしに決めるのは問題だと思うし、どれもなくていいと考える方だけど、
たとえばだけど、小学校卒業式の服装。とくに女子で和装の流行が問題となってきて、実質規制する学校もある。
着崩れ問題とか着慣れない服でトイレいくのが難しいとかいう、児童一人で始末付けられない問題のせい。
誰が始末をつけるかったら、それは保護者じゃなく先生になるわけよ。
じゃあ一人で始末を付けられる服装という制限だけにしたらどうか。
それならと、和装着たい子のすべての家庭がきちんと練習して着用させるかったら、あやしいものだよね。
じゃあこの規制は「合理的理由」かったら、不合理と考える人だっているでしょう。うちの子は着付け習っててちゃんと着られますとかね。
合理的理由って一言でいうけど、線引き考えてルール決めるって本当にむずかしいよ。理由づけなんていくらでもできるから。
もちろん、下着着用問題、下着色問題とかは、明らかに不合理だし、女子もちでこのルールあったら学校にねじ込んでると思うけど。
なんかまあ、全部学校のせい!先生が悪!教育委員会はクズ!みたいな論調に違和感覚えるんだよね。
ルールを撤廃したり、子供に決めさせる、家庭に任せるにしても、実際の学校現場で子供たちに対応するのは先生たちだからね。
保護者が責任持って現場でサポートしてくれるわけじゃない。子供の学校外行動に、管轄外ですから!って割り切って電話切れる学校はない。
服装、頭髪どんな表現で登下校していても、個性的ねーってみんながみんなあたたかく見守ってくれる世界に生きてる?
家庭の問題だろっていうけど、制服着てる以上、学校に登下校する様子見てる以上、どうしたって評価は学校の方についてしまう。
規制がない私立の学校説明会で聞いたけど、生徒の「華美」な服装でイチャモン電話があったら、うちは生徒の自主性に任せる学校ですって応えてると言ってた。
公立小中、公立高校、すべての学校がこういう覚悟を持てるだろうか?
まあ一度、頭髪規制、服装規制、持ち物規制、学校外行動の制限とかなくしてみたらどうかとも考えるけど。面倒を考えると踏み切れんだろうね。
俺は2年半かけてアタックして今の妻を得た。最近のはてなを見ていて、どうせ恋愛できないよ、と諦めてる奴が多そうで、俺だってなんとかなったんだからみんな頑張ってほしいと思って書く。
妻とは趣味関連の友達だった。複数人で趣味活動をしたり、その後飲みに行ったりしてるうちに、仕事に対する真摯な姿勢と飲んだ時のギャップにやられて惚れ込んだ。笑うと顔が犬みたいでかわいい。
妻は星野源みたいなのがタイプという。ヒョロヒョロっとした文化系のが好きだそあだ。俺は、どっしりしたオヤジ顔で一言で言うと出川哲郎みたいな感じだ。しかも遺伝でハゲてるし超汗かきだし、ニキビクレーターだらけ。いままでの人生、恋愛対象に見られないとか暑苦しいとか基本的に振られてきた。給料も別に高くない。
友達付き合いをしばらくして、告白したが、当然振られた。昔大失恋をして恋愛はもうこりごりと思っているうえに、俺がまったく恋愛対象じゃないそうだ。覚悟していたが思わず泣いた。涙ってコントロールできないもんだ。
でも友達としては好ましいと言われた。出川だが、話が面白いし、優しいと言ってくれた。俺は別に面白くもないのだが、彼女との話題を作りたくて、彼女の仕事についてたくさん調べたし、彼女がやっているという乙女ゲームもやってみた。彼女が釣りをしてみたいと言えば、釣りを練習して、ある程度うまくなってから誘ったりした。皮膚科にも行ったし、ファッションも図書館で雑誌を読んで勉強した。ウェストポーチって女性は嫌いらしいとか学んだ。
2年半くらい、誘い続け、時々遊び、惚れてるのもバレているのでひたすら告白し続けたら、ついに彼女が折れた。釣りをしてたら彼女が船酔いして吐いて、バケツに吐いてるあいだずっと背中をさすった。そのとき、こいつでいいやと思ったそうだ。背中を触られてもそんなにいやじゃなかったから俺と付き合えると思ったそうだ。
このとき俺は背中に触れてラッキーと思っていた。余談だが背中撫でてるときにブラジャーの感覚がなくて、ノーブラなのかとドキドキしていた。ブラジャーが前にだけついてる下着を着ていたらしい。
そんなこんなでついに付き合えることになり、結婚もした。俺は子供が欲しかったが妻は仕事に集中したいとのことで話し合って子供は作らないことにした。もう結婚して6年になるが、妻は相変わらずかっこよくて超かわいい。あと妻に少しでも好かれたくて運動始めたら、健康診断全部◎だった。いいことだらけだ。
親にも、同級生にも、お前がよくこんな子を捕まえれたなと言われた。40年近くモテない人生だったが、諦めなかった俺の粘り勝ち。
だから、恋愛弱者だとか言って諦めないでほしい。好きな人がいるなら一回振られたくらいで諦めるなよ!俺みたいなクリーチャーでもなんとかなったんだ。もう会ってくれなくなったら諦めたほうがいいと思うけど、友達からだって恋愛対象に昇格できるんだぜ。
なので新人に何かを教えるとか、会社に若い人が来るとかの経験を久しくしていない。
しかも弊社は業務内容的に、毎年4月頃は閑散期なので超ヒマだ。
取引先の多くは毎年新卒が入社してくるので、早い会社だとこの時期もう研修を兼ねて外線電話デビューする所がある。
弊社の人間は、各社の新人さん達とお電話できるこの時期を凄く楽しみにしている。
(配属先が事務系以外だと固定電話全然使わない業務になってしまう人もいるので、研修のこの時期はベストなのである!)
それになんといっても近年の新卒世代は、固定電話なんて触るのも初めてな人々がかなり多い。
なので新人さん達は物凄い声が震えていたり
敬語が色々混ざってるどころか、日本語でおkな電話がかかってきたり
横から別の声で「番号番号」とか指示してる感じの声が聞こえてきたり
保留押さずに先輩探しに行ってて声が丸聞こえだったり
電話切れるまで待ってたら新人本人はすっかり切るの忘れてるようで
「おーできたじゃん」「できました…ハァ…」とか聞こえてくる事もある。
いやーかわいい。
失礼かもしれないが、非常にかわいい。
フレッシュな若手の皆さんは、我々の変わり映えのない毎日にとって心のオアシスである。
なのでもうすっかりこの感覚を忘れていたのだが
昨日、研修中を名乗る男性から電話が掛かってきたのでちょっと思い出した。
(関係ないけど新人に「株式会社○○ 研修中の△△です」って名乗らせる会社はマジ有能。あの一言だけで客は穏やかになるし新人の電話ストレスも格段に減る)
まあ最近は完全テレワークの会社も増えたし、今年の電話もさほど多くはないだろうが。
http://blog.livedoor.jp/natirou/archives/52316146.html
リベラルな人からは絶賛されているが、ネトウヨの自分から見ると
最初から問題提起ありきの行動というか、プロ市民っぽい行動でどうも好きになれない
(チェリーピッキングした)法律に基づく指摘が出来たり、新聞社数件に自分から連絡したりはプロじゃない市民はできんのよ
「来宮駅は階段のみ。バリアフリー(笑)」みたいな愚痴記事で終わるか、せいぜい携帯での撮影くらいまでなんよ
この話題は「車いす利用者全体の意見」として広げるのではなく、「1人のプロ市民の意見」として扱うべきである
実際、車いす利用者でも「事前に確認を取る」「そもそも車で移動する」みたいな意見は出ているっぽいし
ブログ記事からは以下の目的があってこのような活動・情報発信をしたと読み取れる
これは周知できたので成功だとは思うが、どの程度バリアフリー化が進んでいるかくらいも併せて周知してほしい。
以下はブログ記事投稿後のニュースだが、バリアフリー推進活動をしてきたなら大まかな整備状況は把握していたはず
何も知らずに感覚だけで「バリアフリーって全然進んでいない」とツイートはしないだろうし…
https://twitter.com/izenanatsuko/status/1378535246841274371
改正バリアフリー法施行 地方の駅やバスターミナル 整備に課題
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210404/k10012955911000.html
国はこの10年間、1日平均3000人以上が利用する鉄道や、バス、船などの施設でエレベーターやスロープの整備を重点的に進め、鉄道の駅では、去年3月時点で全国3580か所のうち92%で移動の妨げとなる段差が解消されたということです。
実際に行った行動が攻撃的すぎて批判が集まっている現状を見ると「広く浅い」仲間を募集することに関しては失敗だと思う
ただ、本人のTwitterを見ると「リプ欄が地獄」みたいなツイートをどんどんRTしているので
自分の思想に100%賛同してくれる「狭く深い」仲間を募集する方針っぽい
これに関してはネットであの記事を炎上させたのは危険だと思う。数多くの人がコメントしているが
「各公共交通機関に多数抗議」→「改修が不可能なため、駅を廃止」→「問題そのものが無くなったので解決」
という危険性がありうる。改修にはコストがかかるし、今回問題になった来宮駅は無人駅なのでそこまで利益も上げていないだろう。
なので、改修を要求するのはJR等の公共交通機関ではなく、その駅がある各市区町村や都道府県の議会に訴えて予算をもぎ取る方向性がベターなのではないだろうか。
「健常者も障碍者も自由に行動できる」という理想論は理想でしかないので、プロ市民なら現実的な落としどころまで提示まで頑張ってほしい
「JRに乗車拒否された」車イス利用者のブログに賛否 駅員の対応は問題だったのか、国交省に聞いた
https://news.yahoo.co.jp/articles/735e41744a2eb47c169a5e03b290b474a8dd23aa
社民党としては今後取り組む予定の課題だそうなので今後に期待。
複数の駅にバリアフリー設備を設置した実績を重ね、国会議員に1-2人程度、現在の各地方のバリアフリー状況を詳しくいる議員が出たら
「特定の話題に強い議員 / その議員がいる党」としてええ感じになるんでないでしょうか
(社民党にそんな体力も議員数も無い、と言われたらそこでおしまいだが…)
2020年11月に既に似たような案件で訴訟を起こしているケースがあるのを今日知った
コスト面に関しては全く触れていないので本当に解決する気はある? というお気持ち
https://www.asahi.com/articles/ASNCP7DBYNCJPTFC001.html
ブログ内で来宮神社はバリアフリーが進んでいます! みたいな一言があってもよかったのでは?
俺の書いてないことを妄想して言及するの止めてくれる? 「日常的にタクシー使え」なんて一言も書いてねーから。
俺が書いたのは「何においても優先する必要のある急用がある(当日思い立った含む)」で、複数回発生したとしても、それは制限された回数の話だ。
この本を選んだのには理由がある、校内の誰よりも難しい本に挑戦し、書物の一部だけでも
自らの血肉とすることが出来れば今後の人生にも活きようと思ったからだ。
先に結論を述べると分からない、この一言に尽きる。学校の先生達も理解していないのではないかと思えるほどである。
単語の意味がつかめない、困る、読み進めるのに苦労する。そんな中目次を読み込んだり、副読本のようなものをあたりキーワードを集めたり、分からない場所を一旦飛ばして読んだりもした。
そもそも私のように元々哲学のバックグラウンドもなく、そのような授業も受けておらず、ユーチューブの動画すら見たことが無い、そのような者にこの本の読書感想文を書くのには夏休み期間はあまりに短すぎる
結果的に惨敗であったがただ本を開き辞書と格闘し夏休みの大半を部活に費やし時間が取れない中、仲間などと意見交換を活発に行い、本の中身を分かろうとした経験は今後自分の人生において役立つと確信している。
(ナントカ)という概念は勉強や部活にも通じるところもあったが学問の奥深さをおぼろげながら感じている。今年の収穫はそれである。
来年以降も挑戦し、今度はいい結果が出せるように頑張りたいと思った。
なお、本を出来るだけ読み込んだうえで書きたいと思い、感想文を書き始めることがなかなか出来ず、本の内容が頭に入らず、生半可な知識ですら喋ることははばかられるのに、そのようなよくつかめない、宙に浮いたような、抽象的な言葉が飛び交う中、現在期限の日である。かなり混乱しながら書き上げている。
来年は早期に取り掛かりたいと思った。
ところで実は実質的に自分はその本を読んでないのではないかということも考えた。
そう思うと心が暗く、重くなってしまう。
読書感想文というのは読書と感想文に分けられる。読書経験は良かった。先生達で読んだことある人は半分もいないだろう。僕は戦ったのだ。
前提として、以下を読みました。
1. 元記事 https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/03/31
2. chokudaiさんの返信 https://chokudai.hatenablog.com/entry/2021/04/01/115755
3. nucさんの謝罪(?) https://nuc.hatenadiary.org/entry/2021/04/02
ふだんはインターネットのあれこれについてROM専ですが教育と教育倫理に携わる者の端くれとして3の記事に対し、このような方が教育を大声でかたることの危険を感じたため筆をとった次第です。
私は教員→ソフトウェアエンジニアとして数社→公教育ではないとある教育機関で勤務、といった経歴にあり、大学で学ぶ程度の教育学と小中高領域の教育に関しては多少通じています。ちなみに務めた会社にGoogleは含まれず、競技プログラミングについてはソフトウェアエンジニア時代にちょっとかじった程度で歴史やコミュニティに詳しいわけではありません。
1の記事についても賛同・異論含めていろいろあるのですが、そちらは各個論点についての意見が異なる程度の話ですので割愛します。なお、両者の知り合いでもないので通りすがりによるネットの怪文書程度の位置づけで結構です。
いきなり教育の話から逸れて恐縮ですが、謝罪慣れしていない方がやりがちな失敗がいくつもあり、謝罪文として看過できない点をいくつか指摘します。
教育哲学・児童心理などを学んだり活用する立場にある私にとって、トラブル対応や謝罪について考え実践する機会は山程あるのでその経験から思ったことでもあります。
他人のためを思ってやったことが相手に対して失礼だったとき、傷つけたとわかったとき、「そんなつもりはなかった」と言い放つことがどれほどひどいことか、私は見てきました。
ハラスメントやそれらにまつわる謝罪で最も悪手の1つです。間違えた側にできるのは一切の言い訳なく謝ることです。
https://note.com/tm88817/n/ne5025239f31a から私が肝要と思っている節を引用しました。
この文章がタイトルに示されるような謝罪文であるならば、この一点においてすでに重大な間違いを犯しています。
余談ながら、謝罪の本質を中学生ぐらいの子どもにそのように教える機会があります。経験上、成績がよく普段は問題を起こさないが内実プライドが高く誤り慣れていない子どもは「そんなつもりはなかった」「相手が勘違いした」といった言い訳をする傾向にあります。私の個人的な体感ですので一般化はできませんが。
これについては、意図せず失礼なことを書いたとお詫びしたいと思うと同時に少し背景の説明と本来の意図をご説明させてください。
先述と同様です。失礼なことを書いたと自覚しているなら本来の意図の説明は不要です。
背景と意図を説明するのは「自分に過失がないと確信しており、誤解を解くために誠意を尽くす」場合です。過失が誰にもなくても誤解やすれ違いというのは生まれるものですから、そのときは真摯に伝え直すのみです。
私は、このけんちょんさんのために仕方ないと思って記事を書いたのですよ。本当に面倒で書きたくなくて、他に書くものもあり、ツイッターで書こうかなと宣言して自分を鼓舞までしたのに、2ヶ月以上かかりました。
nucさんがchokudaiさんを不快にさせる文章を書いたことについて謝るために、矛先を向けさせるような形で第三者を巻き込む必要もなければ、あなたの事情を説明する必要もありません。
また、自分を鼓舞までして2ヶ月以上かけて書いた事実があったとして、謝罪を受けた側に何の意味があるでしょうか。過失を避けるように努力したのであれば法的にも情状酌量の余地はありますが、「努力をしてやったことだから引き起こしたことの罪が軽くなる」、なんてことはないのではないでしょうか。
言いたいことはたくさんあるのですが、「教育者として避けてもらいたいこと」に焦点を絞ります。
結論だけ言うと、これだけの悪手を悪意なく行う人に、教育者として後進の育成に関わってほしくないと感じました。成功者だけでなく被害者が生み出されることを危惧しています。直接指導でなくとも、技術力を活かして別の形で関わって頂くこともできるのではないでしょうか。
そりゃそうじゃないですか、「競技プログラミングをする」という表現は当時はなくて、「プログラミングコンテストに出る」と言っていたわけです。だから、競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指すわけです。
発端となった1の記事では田舎初段といった言葉を用い、まさにそのことをご自身で説いておられたかと思うのです。
特に後者の「競技プログラミングといえば、自分たちが大学生の頃の集まりを指す」は少なくとも私にはまったく自明ではありません。ある程度客観性を持った事実なのかどうかを確認するためGoogleで「競技プログラミング」について検索をかけてもnucさんと同じ解釈を見つけることはできませんでした。
5歳くらい歳が離れると一部の言葉が通じなくなることがあるのは、少し前に「アンチ」という言葉で強く実感したことがあります。これもそうなのでしょう。
唐突に、。穿った見方をすれば、今回のコミュニケーションの失敗の原因を年齢差に帰しており、自身には過失がないといった主張に読み取れます。
歳が離れると一部の言葉が通じなくなることは、年の離れた相手の教育に携わっていればどうやってもわかることです。
ですがこれを理由にしてこちらから対話を閉じたり、「言ってもわからないだろう」といった態度をとるような方に教育を声高に語っていただきなくないです。
私がかつてドラゴン桜に対して抱いた印象を思い起こさせます。東大に入るのは「かんたん」、かんたんには但し書きのカッコが付きます。
ただし適切な素地があり適切な対策を十分かつ継続的に行えた場合、です。場合によっては家庭からの適切なサポート、障害やハンディキャップを持っていないこと、も条件に含まれます。
1の記事で以下のように述べられており、大学院に行くことが人生の選択肢にない人の存在にショックを受けたとありますが、そのときに培われた想像力を今一度働かせて頂ければと思うのです。
まさか戦後生まれで大学院に行くことが人生の選択肢にないことがあるとは思わなかったので、私は本当にショックでした。30を過ぎるまでこれにまったく気が付かなかった自分自身への怒りで、視界がおかしくなっていました。
とある医学部教授から「読んだよー。文章はいいけど、お前が卒業生をひょいひょい適当にエンジニアにすると教授会で問題になることがあるから、するんだったら出来の悪いのにしてよね。いいね。ほんと頼むよ。特にそこにいる生徒会長みたいなのはだめだから。」ということなので、今後は、あらかじめ「出来が悪いかを問い合わせる」約束をしてきました。
ちょっとした怒りが湧きました。
今後nucさんに面接対策を依頼し、OKをもらえた学生は医学部教授が出来が悪いと認定した医学部生になる、ということとなります。
このような文書を公開し、残し続ける限り、nucさんの生徒・元生徒が目にする可能性があります。
教え始める前にせよ後にせよ、もし私がnucさんの生徒としてこの一文を見たらと思うと激しい動悸がします。
この一文をどんな思惑があって追加したのかわかりませんが「諸事情により今後は医学部生の生徒を取ることを控える可能性がある」程度で良かったのでは。
「かわいそうなことに、りりあんさんは、いかれた3人の模擬面接官が今まで何をやっていたんだと慌てふためいたことにより、2週間のリアルタイムアタックを宣告され、無理やりクリヤーさせられました。コスパがよかったですね。でも、こっちの胃までおかしくなるから真似しないでね。」で終わるのですが、これだけ書いてもぜんぜん広まらなさそうですよね。そこに、フィロソフィーと教育関係の問題意識の話を突っ込むとこうなります。
1の記事における教育関係の問題意識の話については首肯できる箇所もあり、志の高い方という印象を受け共感もありました。しかしながら1の記事で持ち込まれた教育関連の話が、自身の記事を広めるための方便・道具であったことをここで暴露しておられます。
自身の教育論を手段として使われることは主張自体の価値や正当性を毀損するものではないですが、3の謝罪文の端々にあらわれる不味さから、教育を声高に語らせてはいけない方だという印象に修正されました。
特に教育と一言に言っても指す領域は広いことを認識されておられない点。アカデミックな領域についてはnucさんは私などより遥かに広く深い見識をお持ちなのだと思いますが、それが全てであるかのようには誤解されたまま教育問題をバズるための方便として喧伝することは事実認識を歪めることにつながります。
以上が教育関連で私が主張したいことです。