はてなキーワード: フリーターとは
だってチケット内野指定なら3000円+酒飲まなくても飲食で1000円くらいなんだかんだかかる。
自分も野球観戦が生きがいだから、お金がかかるってのはなんとなくわかるんだが。もちろんある程度の休みが必要なのも。
もちろん150万で満足ならいいけども、フリーターと正社員だと病気になったときの差がかなり違うよ。
正社員だと病気療養でまるまる二年とか休んでる人いる。そして治ったあと復職する人もいる。(もちろん治らずにやめてしまう人もいるけど)
だから、いいよな?と言われると定年と呼ばれる年になるまでに大きな病気をしなくて済む自信がある、もしくはしたとしても親の資産などで食いつなぐ余裕がある、というのなら問題ない。
フリーターと正社員の一番の違いは結局体壊したときに出る気がするよ。
うちの会社にも派遣社員はいるけど、正社員と同じような仕事してたが体壊したら1ヶ月で即座に切られて次の人置かれてたよ。
衝突しても壊れない福留並に体に自信ニキならいいでしょ。
子供の頃の夢は研究者で、大学院で色々研究してたけど、実験が全然うまく行かなくなってメンタル壊して色々放棄して留年三年目。今年27歳。
そろそろ就職しねーとやべーよなと思ってるけど、年収低くていいならフリーターで良くね?って最近思ってる。大学院やめてフリーターになりたい。
野球観戦が大好きだから、お金より野球を自由に見れる時間のが欲しい。
この年になって未だに初恋すらしたことないくらい恋愛に興味ないから結婚するつもりないし
http://anond.hatelabo.jp/20170325194531
このエントリを見て思うのは、経済格差は確かに友情を維持していくのに問題となりうるということ。
大学時代の友人と、まさにこのような関係に陥って結局友情を途絶えさせてしまった経験が自分にもある。
彼女から結婚の報告を受けたのは、長らくのフリーター生活中に借金を重ね、自転車操業も立ち行かなくなり債務整理をした頃だった。
遠方で行われる結婚式。
交通費の半分は向こうが持ってくれるといえども、往復で2万くらいはかかる。
ご祝儀に3万円。出席するなら服装や髪型、靴やバッグなどに一番少なくしても1万円くらいはかかるだろう。
結婚式の招待状を出してもよいか、と聞かれて即答できなかった。
貯金がないどころか、借金がかさんでいるから行けないと正直に言うのが恥ずかしいし、せっかくのハレの行事に水を差すような気がした。
返事を少し待ってもらって、行けないことを伝えた。ありもしない用事をでっち上げた。
年賀状に書かれた「今年こそは会いたいね!」という彼女の手書きの文字を見ると、心が痛んだ。
って設定なので、考えてみると33歳だ
ちょうど俺と同い年
初出が2008年ごろのようで、当時大学院生だった俺はあのコピペを見て、「お前」側、つまりフリーターのほうになってしまう未来を恐れていたっけ
そして、語り手側の、いかにも真っ当そうな社会人になれることを切に願ったっけ
そして今、こいつらと同い年になって、改めてコピペを読んでみて、わかったことがある
この語り手は、会社でうまくいってない
下手すると彼女もいない
7,8年前の何者でもなかった俺は、表面通りの理解をして、イタイ妄想を語る旧友がすごく格好悪くてダサいような気がしていた
でも、今は、久々に会う旧友と安い店で飲んで、現実逃避したような話の内容に優しい言葉ひとつかけてやれないこいつの余裕のなさが格好悪く見える
そりゃあ、心配して厳しい言葉かけてハッパかけてやる気持ちもわからんではない
でも、こいつの言ってるのはそれじゃないだろ?
それにこのフリーターは、アカポス版みたいな人を見下した夢物語語ってるんじゃなくて、「金余ってしょうがねーんだ」しか言ってない
もう10年、「金余ってしょうがねーんだ」みたいな強がりしか言ってなくて、大口叩いているわけじゃないんだ
「体壊したんだろ?もっと安心できる業態はないの?正社員にはなれないの?」
くらい、言ってやったことはあるんだろうか
高い店行こうぜが言えないくらいそいつの経済状態が心配なら、美味いもの手に入ったから俺の家来いよ、って振舞ってやればいいんじゃないのか?
そんな友人らしいこともせず、不快に不快で返すような余裕のなさはなんだ?
お前こそ、正社員で金は不安ないのかもしれないが、人生うまくいってないだろ
現在23歳フリーターで就職活動をしている。週5は働いているので、合間合間の時間に就職活動をしているんだけど、全然成果が出ない。
ひたすらお祈り。
まあ、学歴もなくてろくな資格も持っていないし、希望職種は事務だから当然っちゃ当然なんだけど。
フリーターでも、働きながらの就活はしんどい。めちゃくちゃしんどい。
就職活動をはじめてから、二か月で20程度はエントリーしただろうか。もっとしなくちゃと思っても、色んな意味で余裕がない。心の余裕も。
日曜と平日が休みということもあって、面接だって数をこなせない。
資格の勉強をしなくちゃ、と思っても気持ちの余裕がない。もっと頑張らなくちゃと思うんだけど。何度も繰り返すようだけど余裕がない。
一度メンタルを壊して働けなくなってしまったこともあり、このまま就職活動を続けるのも怖い。とりあえず資格の勉強に専念したほうがいいと自分でも思うし。
バイトをやめても雇用保険に入っていないから(アルバイトを掛け持ちしている)、失業保険も出ないし。やめて専念しても結果が出るかはわからない。
販売や清掃業なんかにも応募しようと思ったけど、身体がもつとは到底思えない。営業はそもそも運転免許がないから難しい。
消去法で事務職を希望しているんだけど、同じことを考えている人も多いのか書類もなかなか通らない。
どうしたもんかな。
甘えだなんだとこの間彼氏に言われたけど、甘えなんだろうな。
いっそのこと、ずっとフリーターのままでいいじゃん、MOSと簿記くらい取ってれば派遣くらいにならなれるんじゃない?
人生詰んだら首くくればいいじゃん、もうしんどいよ。もうやりたくないよ。
と言ったら、怒られた。
「今頑張らなくていつ頑張るんだ」「職種を選んでいるから内定取れないんだ」「いつもバイト終わってから何してる? 勉強する時間だってあるだろう?」
「俺はお前の将来が心配だから言ってるんだ」「低学歴だなんて言い訳だ」「体力がないならつければいいだけだろう」「過去病んでたことも今は関係ないことだろう」
と散々言われた。
正しいことくらいわかってるけどさ。能力低いんだから仕方ないじゃない。君みたいにうまく生きれないんだよ。元の出来が違うんだよ。何もできないんだよ。
出来の良い人がいいならそっちと付き合えばいいのに。付き合う前からフリーターだって知ってたのに。どうしてわたしを選んだの。そんな言い方するなら選ばなければ良かったのに。
この文章を書きながらぼろぼろ泣いてしまって、びっくりしてる。こんなにしんどかったんだ。知らなかった。
甘えられなくてこんなにしんどいなら、もう生きていたくないよ。
https://www.ncaq.net/2017/03/22/
説明会に向かう電車の中で、偶然この記事を見つけ、読まさせていただきました。私は、18卒で貴方の通っている大学よりランクの低い大学に通いながら、情報学を学び、現在就活中の身分です。
うつ病では無いので、うつ病に関する事は良く分かりません。大企業を受けた訳でもないので、その辺も分かりません。ただ、記事に関して思った感想を述べていきます。読みたくなければ読まなくて結構です。
私が一番思ったのはこれです。社会でのプログラミングは、自社開発であっても受託開発であっても特定派遣であっても、
完成(公開)というゴールに向けて手を動かし、限られた時間内の中でやっていくものだと考えています。まだ、7社程度しか会社説明会を聞いていないですけど、
どこもそんな感じというのはひしひしと伝わってきました。一方で、この記事からは「納期に縛られたくない、でもプログラミングは続けたい」という思いが伝わってきました。
それなら、プログラミングは趣味で続ければ良いと思うのです。趣味としてのプログラミングであれば、誰にも邪魔される事も無く、あれをこうしたい!と思った事を好きな時間にやり遂げる事が出来ます。
まあ、たとえば趣味としてであっても、東京オリンピックに向けて何かやりたい事があれば2020年までにやり遂げる必要はありますが。
国家資格の合格率15%であるネットワークスペシャリストを持っているという事、既にこの時点で高度なITの素養を持っていると思います。
私は大学3年でまだ基本情報といった資格を持っておらず、勉強中です。4月に試験が控えていますが、就活も同時並行でやっているので厳しいと思っています…。
既にそういった資格を持っているというのは強みになるので羨ましいかぎりです。
大学の腐ったWi-Fiに対して自分で利用出来るようなスクリプトを書いた経験があるって凄いことです。
私も何度か「大学のWi-Fi繋がらない死んで」と思った事がありますが、これを技術力でどうこうしようとか考えた事がありません。
これも、情報技術と自分の技術力を活用し、問題解決に繋げている強みだと思います。
いくつかの記事を読むと、自分の考え方に合わない発言に対して、自分の意見を考え、発言されているみたいですね。
自分は教師に「**にしろ」と言われたら「はい(なんだよXXのが絶対便利なのに)」と思いながら、**を用意すると思います。
自分の考えを持ち、それをしっかりと論理的に説明をして反応出来るというのも強みだと思います。いわゆるロジカルシンキングという奴ですね。
『国家資格を持っていて、問題解決のためには自分の技術力を使ってやり遂げる事が出来る。実際にそれをブログでも公開し、他者との情報共有も欠かさない。』
『問題解決や他者との議論ではロジカルシンキングを重要視してきた。大学の英語の授業で(以下略)。』
↑この2つに関してはどの業種であっても強みとして言える事だと思っています。
私はあなたよりもていたらくなので、プログラミングも全然出来ないですし(講義の課題程度なら難なくこなせる)、PaizaではCクラスなので活用も出来ていないです。
だからPaizaでは受けられないIT業界以外も視野に入れて就活しています。就活失敗したら大学院進学で時間を稼ぐか、フリーターという選択肢もあるかなと考えている所です。
まあなんというか、国家資格をたくさん持っている人でも挫折させてしまう就活って本当に恐ろしいなという感想しかありません。クソですね。
あと、ドワンゴさんの技術職採用は普通の採用に見えて3000円払った後に自分で作成したアプリケーションなどの提出があるんですね。払わなくて良かったです。こちらからは以上です。
「俺がお前の普通に会話が出来るのは、俺がお前に気を使って会話の内容を選んでるからだ」
家族構成は父母私弟の四人。十年以上前に離婚して私は母親に引き取られた。
お金の問題があったので両親は離婚しているだけで会っていたし、諸事情で離婚後に年単位で同じ家に住んでいたこともある。
父は切れやすく、母はその愚痴を私に話す。弟は、特に何もしてなかった気がする。
自立する前は両親の間にはいって仲裁をするのはいつも私の役目だった。
その代表が高校を辞めたことだ。国からの奨学金で高校に行ってた。払うのは卒業後の私だ。
田舎なので私立は滑り止めで受けてた。行きたかった市立高校には少しだけ偏差値が足りなかった。
じゃあ一つランクを下げようとしたら当事の担任から「お前の学力だったら受かるけど、ここを受験しろとは勧めらない。そういう校風だぞ」と止められた。ものすごくお世話になった担任だった。今でも恩師だと思っている。そんな人が止める学校を受けようと思えなかった。
結局ランクをもう一つさげた。すると運の悪いことに偏差値もガクンと下がった。
私は少し足りないだけなら挑戦したかったけれど、母親に「私立に行くお金は無い」といわれ結果として行きたくもない高校に行くことになった。
そのこともあいまって結局辞めてしまったのだと思う。私自身ここは後悔していない。
両親の猛反対を押し切って高校をやめたとき、約束を一つした。専門か短大が四年大、どれになるかはわからないけど、高認取って進学するよ。
最終学歴ちゃんと塗り替えるよ、と。
数年掛かったけどフリーターをしながらなんとか無事高認を取ったとき、弟が大学受験だった。
母親に言われた言葉は「弟が受験だから一緒に進学しないで」当事の私はもっともだと思った。
別に普通から逸脱してしまったのだから、一年ぐらい遅れてもいいや、と思った。「別にいいよ。私のまだ進路決めれてないし」と。
弟が受験を失敗した。滑り止めも受けていなかった。それはまぁ、仕方が無いことだとも思う。
来年チャレンジするよ、という弟。母親には「次は待たないからね」とだけ言った。
後に弟が「ほんとは大学受かる気なんてしなかったんだよね。受験の頃から専門学校行きたくてさぁ」と言い出したことに殺意を覚えたけれど、それは今回は流す。
犯罪心理学の勉強がしたかった私は家から通えそうな大学を調べ、受けたいところを一つ見つけた。
ここなら一人暮らししなくても実家からなんとか通えるだろう。家のこともできるし、なんとかなる。
偏差値は高く、しかし予備校に行くお金も無い私はとにかく友人知人に教科書や参考書を貰ったり、勉強を教えてもらったりしてた。
当事は大学キャンパスの中でバイトをしていたので大学生の知り合いに訪ねたりもしてた。
しかしバイトから帰宅してみると母親が電話越しに声を派って喧嘩している金切り声が聞こえてきた。相手は大体父親だ。
電話が終わった母親に呼び出されて言われた言葉は「うちは解散するので貴方たち二年後には自立してください」
当事は百年に一度といわれる不景気真っ只中。ことが順当に運べば二年後は私が大学二年の秋になる。
三年生から就職活動が始まるのに、そんな中で追い出されるなんて溜まったものじゃない。
「私四年大行きたいって言ったよね」と喉まででかかった言葉は「お母さんもうお母さんやめたい」と泣きながら溢した母には言えなかった。
結局私も弟も二年で終わる専門学校に行った。犯罪心理学が学べる専門学校は無く、まったく別に進路を選ぶことになった。
自分で決めた学校なので後悔はしていないが、母のあの言葉が無ければどうなってたのかな、と思う。
母を解放してあげなければならないのだ、と思ったあの頃の私に一言伝えるなら「お前が背負う必要はどこにもなかったよ」とだけ伝えたい。
なぜなら二年以上たち弟が正社員として働いているにも関わらず、家をでたのは私だけだったからだ。
専門学校の進学と同時に父親に頭を下げて家を出た私は、今も一人暮らしを続けている。
二年後の卒業との時「私はあなたの言葉に従って家をでたけれど、弟はどうするの?ちゃんと解散するんだよね?」と母に聞けば「弟ちゃんはまだ仕事が決まっていないから」
弟の就職が決まったときに「就職決まって何ヶ月だったの?家は解散しないってことかな?引越ししないの?」と聞けば「引越しはするよ!あんたも早く残してた荷物取りに来てよ」
弟を言い訳にし、次は飼っていた犬を言い訳にし、最終的に母が私に言った台詞は「お母さんはでていけなんて言ってない。あんたが勝手に出て行ったんでしょ」だった。
一人暮らしをして、知ったのは自分は母親に洗脳されていたことだった。
上京した友人は「いやーインフルかかったって親に電話したら次の日にはおかゆとポカリが黒猫で届きましたね」と言った。
別の友人は「奨学金は私の名前で借りてるけど、親が払ってくれてるよ」と学生生活を楽しんでいた。
年末年始に犬の顔を見に帰った私が母親に言われた言葉は「あんたが帰ってくると金が掛かる」だった。服なんて強請ってない。化粧品だってねだってない。そんなもの買う余裕があるならご飯が食べたかった。食費を世話になって言われる言葉がこれなのかと思った。
スナックとコンビニでバイトしながらなんとか生活をやりくりして二年頑張った。付き合いが悪いといわれてもクラスの飲み会に参加する余裕が無くとも、なんとか卒業を目標に頑張った。
無事に卒業し、一人で生活を回していたけれど、体調を崩しどうにもならなくなった。
母に戻りたいんだけど、と伝えれば今までの喧嘩はどこへやら「戻っておいでよ」と言ってくれた。
泣きながら話し合った。
私は「弟にも許可取らなくてどうするの。貴方一人で決めても安心して戻れないよ。弟と相談しなくていいの」といえば「弟がなんと言ってもあなたが戻ってくればいい」と言ってくれた。
洗脳されてたなんて錯覚だったのかもしれない、私がひねくれてただけなのかもしれない、と思った。
後日母親に伝えられた内容は「弟ちゃんが貴方に戻ってこないで言ってるからうちにはこないで」だった。
泣きながらの話し合いはなんだったのかと思った。母が母であることを辞めれるようになんとか自立した私より、寄生している弟の方が優先されるんだな、と思うと情けなくて情けなくて一人で泣き喚いた。
一人暮らしをしてから、何かと私を助けてくれたのは父親だった。
月に一度は連絡をくれ「ご飯は食べれてるのか」「生活はやっていけてるのか」と心配をし、父も母にお金を渡しているので財布は厳しかったと思う。それでも、時には食費を送ってくれ、時には夜行バスの乗車賃を肩代わりしてくれ、何かと自主的に世話をやいてくれた。
母親から聞かされていた父は「浮気をする」「殴る」「すぐ怒鳴る」「すぐきれる」「女癖が悪い」他にももっとたくさん愚痴を聞かされていた。
そのうちのいくつかは私も目にしているけれど、少なくとも私に手を差し伸べてくれる父は、母よりもずっと親だったように思う。
「毎月やってあげれるわけじゃないけどね」「出来るときだけしかできないけどね」と言いながら、何かしら声をかけてくれたのは父だった。
今も現に父には金銭的にとてもお世話になっているので食事に連れて行ってもらうことが多い。
父は「お前が変だから母親も弟もどうしていいかわからないんだ」「俺がお前と会話できるのは俺が会話を選んでるからだ」となんの悪気もなく言われてしまった。
父から見た私は、私が変だから関係がおかしくなったんだ、と思っているんだなと思うと涙が止まらなくなった。
父は知らないのだ。私が本当は大学に行きたかったことも、それを諦めた経緯も。父がいなくなってからずっと、私は常に弟よりも優先順位が低かったことも。私がどんなに頑張っても、何をしても、何もしない弟の方が愛されていたことを。
父は知らないのだ。
私からすれば両親や弟の方がずっと変なんだよ。
私の知ってる親は、小学生の子供を残して毎日パチンコには行かないんだよ。
責任を問えば「またそうやってお母さんのせいにして!」と自身の発言や責任を認めない母親は変なんだよ。
私の影に隠れてなんの責任も背負ってこなかった弟が「言うことを良くきく子」と評価されているのも、私のとってはなんか違うんだよ。
でもこれを伝えても「お前が一番じゃないことが気に食わないんだろ」って言われてしまうことも変なんだよ。
追記:20170312
まさかこんなにたくさん反応されるとは思っていなくて驚きました。
トラバ(ここでは枝?になるのかな)やブックマークコメントでお言葉を下さった方ありがとうございました。
私とは違った視点の意見や、厳しい言葉などはっとさせられるコメントもありました。
また家族以外の言葉や意見を目にしたことで少し前向きになれました。ありがとう。
上記はあくまで私の視点であり、両親や弟から見れば私はおそらくろくでなしなのだと思います。
両親も変だな、と思いますが私もきっと変なのだと思います。変でも別にいいじゃんと思っているから家族の中で浮くのだと思います。
悔しくて悲しくてやるせなくて泣きながら書いた誤字脱字誤変換(今見返してみると本当に酷いですね。笑)まみれの吐き捨てでしたが、色々な意見をいただけて吐き捨ててよかったと思いました。
病気が治ったら(鬱等のメンタルヘルス系ではないです)バリバリ働いて家族とは少し距離を取ろうと思います。犬ももう死んでしまったしね。
なんというか、何回言うんだよって感じなんですけど、厳しいのも優しいのも、同調するのも、全部コメントありがとう。色々と救われました。
時給900円のうちの職場に優秀な大卒のフリーターがホイホイ入ってくる
見た目もかわいく性格もいい子
職場に取れば喜ばしい事なんだろうけど、高卒でブスでコミュ障の私は居場所がない
私みたいな思いをした奴が、次世代に子を残そうと思えなくなり少子化が加速するのだろうな
私より下にもセックスの相手すらいない人や仕事が無い人とかもいるんだろうけど
普通にその後正社員になって、そのへんの普通の職業とやらの人より稼いでるって話もあったし
若い時代のフリーター経験ぐらいでゴチャゴチャいうのがそんなに正しいんかなあ。
いや
女とフリーターが会話してるところと深く観察したとかなら事情は違うが、
その反応からフリーターへの評価を読み取るって無理な男も相当いると思うぞ。
女と話したことがあるかどうかだとか、それとフリーターをどう評価するかを聞いたことあるかどうかとか関係なくないか。
あまり言い言い方ではないと思うが、フリーターとか縁のない男と、同じような女との会話でいちいち
フリーターの評価だの無職の評価だのが出てくるのが当然ってのはあんまりないと思うぞ。
フリーターと縁がないってのが、まあつきあいが狭いという意味でそれはそれで叩かれるべきっていう考えの人もいるみたいだから
その点はまあ認めるけど。
恋の力は凄いとよく言われるが俺も恋の力で人生がすごく変わったなと思う。
俺は自分で言うのもあれだがまあまあのイケメンだと思う。少なくとも女性10人中7人位はイケメンと言ってくれるかな?でも高校時代はメガネを掛けてたので痩せたオタクよりの顔だった。
高校は地元の偏差値53程度の普通の普通科高校になんとか入ったものの中3の受験勉強の反動なのか高校1年の秋までは全く家では勉強しなかった。特に数学と英語が大の苦手で毎回赤点を取っていた。部活はテニスをやっていた、だが部活仲間と仲が悪くなり部に居づらくなったので高1の12月には辞めてしまった。
まあ部活をやめた後もとくに勉強することもなく、むしろ部活やめれてラッキーだし大好きなゲームができる!ということで学校から帰ったら即PS3の電源をつけてゲームばかりやってた。その当時やってたのはCODMW2だったな。あとBF3とか。
そんなこんなで見事帰宅部根暗ゲーヲタになった俺、数学や英語で毎回赤点取りまくり、親を学校に召喚させられクソ教師と特別3者面談もしたこともあった。
しかしそこで人生の転機が訪れる、隣のクラスにめちゃくちゃ可愛い女の子がいた、とても自分の好みだった、名前は(Rちゃん)にしておこうか。髪の毛もサラサラでツヤツヤ、芸能事務所前を歩かせれば即スカウトされるレベルの女子がいた。定期テストではいつもトップ5に入る、まさに才色兼備であった。「恋人になりたい…!」そう思っていたが頭の悪い俺では釣り合わないだろうし、そもそもこんなにかわいければ彼氏なんてとっくにいるだろうと諦めていた。しかし周囲の話をよく聞いてみると彼氏はいないっぽい、じゃあ後は何をするべきか、才色兼備な彼女と釣り合うために勉強するしかないと思った。そう決意したのは高1の3月であった。
高2になりクラス替えが行われたが、なんとRちゃんと同じクラスになった、もうその時は心の中では雄叫びを上げてガッツポーズでしたよ。
というわけで高2の最初の定期テストで1位を取るという目標を掲げ、ほとんどしなかった勉強(宿題すら解答丸写しで提出してるレベル)を家でもしたがやっぱり今までサボって多分、特に数学はどこから手を付けて良いのかすらわからなかった。まあとりあえず数学の教師に数学苦手だからどうすればいいですかと聞いたら俺のために特別なプリントをくれた。毎日学校がある日は数学のプリントを解き教師に丸付けをして間違ったところを徹底的に復習したりした。
授業も次の授業で習うところを予想して予習した(まあ教科によっては予想が結構はずれた…)その日に習ったことはその日のうちに大学ノートに自分なりにまとめ復習をした。定期テスト前なんか家に帰ったら5時間は勉強した。これで定期テスト対策は万全、最初の定期テストでは320人中17番を取った、けどこれだけ勉強してもトップ3に入れなかったのかよ…と思ったが、けど自分もやればできるじゃないかと自信もついた。一方Rちゃんは学年1位だった。
んでその後は席替えでRちゃんと隣ではないにしろ近くになり結構話すようになった、といってもRちゃんと俺2人ではなく、俺の男友達1人とRちゃんと彼女の友達2人というなんとも漫画やアニメででありがちな男2女3の群れ?が出来てしまった。Rちゃんは政治経済が多少苦手だったので俺によく質問してくれたおかげで仲良くなった。
5人でテスト期間中は勉強を良くし合うようになった。おかげで切磋琢磨でき成績も順調に伸びた、定期テストも模試も学年10位以内はキープできるようになった。
Rちゃんと俺2人だけのときはプライベートな事もよく話すようになるくらい仲良くなった。そして高2の10月にRちゃんに想いを伝えた。「前からRちゃんのことが好きでした!」それ以上の言葉はでなかった。彼女はいきなりの告白に驚いていたが俺の気持ちを受け入れてくれて晴れて恋人となった。
それから休みの日は近くのイオン(地方都市だしもうそこしかデートスポットないよ…)なんかでデートした。Rちゃんの家にも遊びに行った、初キスは彼女の家でした。なんやかんやで彼女の家でセックスもした。
その後はどうなったかというと高3の3月に別れた。理由はお互い別々の大学に行くことになったしRちゃんのほうから別れよっかってなった。意外とあっさりだった。悲しかったがオレと彼女は互いに目指しているものは違うし仕方ないと思った。
んで俺は九州大学に進学し順調に勝ち組人生への道に向かって歩いているところだ。でも彼女ともし出会わなければ?高卒フリーターで一生底辺貧乏生活だったかもしれないと思うとゾッとする。
人生における「勝ち組」とは人によって捉え方は違うだろう。俺にとって「勝ち組」のボーダーラインとはどこかの旧帝大には入り大企業社員か公務員になり、かわいい女性と結婚して子供は2人くらい、そして子供2人とも奨学金を借りさせることなく満足して大学に入れさせるくらいの経済力があることだと思う。批判を承知で言うと世帯年収800万以下で子供を作るのは児童虐待だと思う。子供がかわいそうだ。大学すら満足に通わせることが出来ないのはかわいそうだ。子供に借金を背負わせないと大学に行かせられないのは恥を知れと言いたい。貧乏人は子供を産むな!まあ公務員で2馬力でもなかなか世帯年収800万って難しいだろうしやっぱり大企業を目指すべきなのかな。