はてなキーワード: ケーキとは
「息子はステーキ食べたいって言ってただろ」
「作ればいいじゃん」
「ステーキは外で食べるだろ」
「外で食べると遅くなるから、家で食べると思ってた」
毎回この感じだ。妻を理解するには苦悩が伴う。
それは致命的な感覚の差だと思う。受け取る側はありがた迷惑、送る側は人として当然の気遣い、こんな感じのズレ。
私(前者)と母(後者)がこの関係なんだが、この差を埋めるのは難しい。あげく、いつかは自分にとっての「ありがた迷惑」を「人としての常識だ!なぜできないんだ!」みたいな争いになる可能性がある。
私の場合、何度伝えても伝わらず、他にも理由はあり、縁を切る準備を完璧にしたところでやっと伝わった。今まで良かれと思ってやってたことがそんなに嫌だったの…?と豆鉄砲くらったみたいな顔してた。ずっとやめてほしいと伝えてたのにね。
例えば、友達以上恋人未満の友人宅へはじめて出かける朝に「寝ずにケーキ焼いたよ!自分で焼いたことにして持っていき!ラッピングも可愛くしておいたよ!寝てないけどこのまま仕事いってくるね!」と笑顔で母に言われたのは衝撃だった。
二人で遊ぶのに、ワンホールのケーキはいらんねん…そもそも手作りって人によっちゃ食べれんかもしれんし、はじめは既製品が無難だろ…しかも寝てないアピールキモ…など思った。
結局、YESとNOを言葉通りに受け取り合うよう(言葉の真意?裏側?を読んで行動しないよう)約束したことで私と母の関係は改善に向かってる風にしているが、ずいぶん私のほうが我慢してる。と思っているが、母も同じく我慢しているかもしれない。
親への同情心やいろんな事情があって縁を切れないけど、本当は切りたい。早く死んでくれないかなって思うくらいに毎度毎度、迷惑なことをやってくれる母です。
推しが死んだ。
死んだ、というのには語弊がある。彼はただ私たちには観測できなくなっただけでこの世界に生きている。名前を出していいのか分からないのでぼかしたが、先日活動を終了した某vtuberのことである。
私が彼を観測し始めたのはちょうど活動終了を発表した頃で、リアルタイムで追っていたのはわずか数週間にすぎない。グッズだってボイスだって僅かながら出ていたものを集めただけで、推しと呼ぶにはあまりにも些細なものかもしれないが、便宜上推しと呼ばせてもらう。
そのほんの短い一ヶ月の間に私は彼に落ちた。配信もリアルタイムで追える時は追っていたし追えなくてもアーカイブを見た。彼を描く真似事までした。けれど彼は逝ってしまった。生きる、という言葉と無数のアーカイブだけを残して。
正直居なくなったことに実感はわかなかった。私は新規のオタクだから彼のチャンネルには無数の未視聴のアーカイブが残っていたしそれを見ていればまたたくまにおすすめが彼のアーカイブや切り抜きで埋まった。初めての彼に触れることはそう難しいことではなかった。
それと同時に私は中の人にも興味を持った。vという文化の中で中の人の話をするのはタブーと言われているが、私は彼の中身に興味があったからだ。彼の中身は一ヶ月ほど活動をしておらず、それから稼働し始めた。新しいアーカイブ、新しい情報。中の人とvは違うのはわかっていたが、それはそれで楽しかった。
だけど最近になって彼の引退後の動画が二本立て続けに公開され、彼のいないまま誕生日を迎えた。新規の彼はもう摂取できないという悲しみと、けれどやっぱり動く彼は可愛くてひたすらに筆をとった。そして誕生日が来た。
私も数日前から用意をして、投稿して、無数の作者が彼を描いて、楽しかった、楽しかったはずなのに。彼の箱内の人物は誰も彼の誕生日に言及しない。辛うじて一つだけRTされたイラストがあったのみだ。彼の誕生日は確かに祝われている。しかしそこには祝われる対象であるはずの彼が存在せず、主役不在のまま私たちは祭りを続けた。
何をやっているんだろう、と思った。彼はもういないのに、一体何にすがろうとしているんだろう。新規の私でもこんななのに、昔から界隈にいた方は辛かったに違いない。実際、青鳥のTLでは喜びや感謝と共に彼が居ない苦しみや悲しみが吐露されていた。
ぷつんと糸が途切れたのは、中の人と呼ばれる人が配信を始めた時だった。私はそこに居られなくなり携帯を閉じて一人悶々としていた。中の人がいるのは初めからわかっている。インターネットの海に彼は存在しない。わかっていた、わかっていたはずなのに。
多分私が彼が死んだのだと理解したのはその時だったように思う。生きると言った彼を死んだと表現するのは不謹慎だし許されることではないのかもしれないが、彼はもうここにはいないのだ。私たちが祝っていた彼の誕生日はなんの晴れやかな日でもなかった。
とりあえず、私は中の人を追うのを辞めようと思う。そもそも、中の人に彼の偶像を求めるのが間違いだったのだ。彼は彼でしかない。中の人は中の人でしかない。わかってはいたはずなのに、わかっていなかった。
正直、あんなにたくさんあるアーカイブも、今もまだ亡霊になってしまう私たちや、これから彼を知る人にとって惨いと思う。あれがなければ私はとっくに彼を探そうとするのを辞めていた。だけど彼が好きだから消されたら困る。あまりにも矛盾している。
明日には前言撤回しているのかもしれないが、とりあえず決意を込めて。匿名だからとタブーに触れてしまったかもしれないのは本当に申し訳ないと思っている。誕生日おめでとう。素直に祝えなくてごめん。ケーキは勝手に食った。
駅前にある小さな洋菓子屋で、たまにシュークリームやケーキを買うのが日課だ。
シュークリームは、1個110円と安い。お父ちゃん、給料安いから、110円はありがたい。
家族分4個かって440円だ。440円だけど、家族は喜んでくれる。
ほんのたまにだ。ボーナスが出た時に、ケーキ4個買って帰るんだ。1個400円から500円だから、1800円ぐらいになる。
父ちゃん今日どうしたのって?感じでめちゃくちゃ家族は喜んでくれる。お父ちゃん嬉しいよ。
めちゃくちゃ残業が続いて、家族と接する時間が少なかったから、連続してケーキを買ってきたことがあるんだ。
そしたらどうしたの父ちゃんって感じで喜んでくれた。
でもな、4回ぐらい続いたら、なんかケーキが普通になったんだ。あれれ??
ケーキが日常になったら、じゃ特別ってなんだ。父ちゃんは何を買って帰ればいいんだ。
テイクアウトでそんな値段のケーキ食ったことないから違いがよう分からん。
わが町の洋菓子屋には売っていないけど、会社の近くにはあるのだろうか。
元増田です
たぶん誤解しているが、一応個包装にはなってるのね。
それに使う使わないはその人の自由なわけで、使ってはいけないものならおむつである理由がない。
おむつとして使えるけど使えるようにするのに手間がかかるし面倒だから贈るなってこと。
装飾華美なデザートやデカ盛りメニューがインスタ映え重視ではあるのはわかるが、別に食べられないわけではないよね?絶対に使ってはいけない不衛生なオムツならそれは贈り物以前の問題だし。
贈り物を捨ててはいけないというルールはないが、ことおむつケーキは「贈る側にとっては心理的ハードルが非常に低く、送られる側には邪魔になりやすい」と思うため、結局捨てる率があがる
親戚や友人が出産してお祝いを考えている人
おむつケーキが何かはググれば出てくるが、これは贈答品として厄介だということを覚えてくれるだけでいい
なんで駄目かというと
おむつケーキは紙おむつをロール状にしたものだが、これを開封して使用できるようにするには時間と手間がかかる。おむつは1枚づつビニールに入っていて、それがセロテープで簡易的に繋がっているのが多いだろう。これを解きほぐす作業が面倒くさい。出産前後の家庭にとってこの労力は惜しまれるものだ
そして使用できるようにしたところで入っている枚数なんてのは20枚程度だろう。こんなのは数日で使い切る量であり解体の手間に見合うとは思えない。
そして何より、メーカーやサイズが必ずしも求めるものではないということ。送る側は外観やメッセージカードに注目したがるので、そのおむつがどこのどのサイズかを理解しているとは思えない。
赤ちゃんは数ヶ月でおむつのサイズが変わってしまうことが多く、送る時期によっては現在のサイズとまるで合わないことも多い。
外観は可愛い贈り物だし、赤ちゃん用の消耗品だから人気なんだろう。実際、2人の友達から別々に送られてきた。
だけど上記の理由の通り、解体したりサイズアウト前に使い切ることを考えたりと、無駄な手間と時間を要す。
初産の人は何を必要とするのかもわからないし、出産前後の体調変化や赤ちゃんの成長を予測するのはほぼ無理がある。だから出産祝いが本人や赤ちゃんにとってどれだけ有益かを考えるのはほとんど意味がない。だから一番いいのは現金やアマギフ。物を送るなら、汎用性がずば抜けているおしりふきがイイだろう。おむつを贈るなら使用しているものとサイズをヒアリングしてからにしろ。あとは母親用のお菓子とかが無難か。最悪家族が食べればいいのだから。
あるいはとにかく困り果てている奴。
今ベトナムにいる(いない。これは数日前に書いた)。シャレオツなチョコレートショップでこれを打っている。東京と変わらない値段のケーキを食べながら心を落ち着かせている。何って、陽キャ(推定)に遭遇したおかげで、Independence Palace (統一会堂)を見に行ったのにほとんど集中出来なくて参った。何かを取り戻さないとと思って集中力を欠いている分写真を撮ってみたが、大体こういうの見返さないんだよな。いつか漫画を描く時にでも資料として使いたい。
閑話休題。
午前中に「日本人ですか?」と声をかけられた。
とか客引きからの声かけにはすっかり慣れたし、夏休みという時期と観光地という場所柄も手伝って日本人っぽいなと思う人は今までも見かけたが、声をかけられたのははじめてだった。
彼は多分こんな匿名ブログなんて見ていないであろう今時の大学生ぽかったし、私も年齢と現在無職であることしか晒していないのでここに徒然なるままに書いてもどうってことないだろうから書く。普段(ブログ始めたいな〜けど書くこと別に無〜)ってネトフリで時間溶かしているのに、もやもやすることがあると吐き出したくて堪らなくなるのなんなんだろうね。
まあ何って、タイトル通りなんだが、それともうひとつ、自分が大学生に対してすごい『おばちゃんムーブ』をしたことにすごいもやっている。この「ムーブ」っていうのもいまだに新しい言葉として距離を感じるし、「それな」がようやく体に馴染んできたなと思うくらいに時代に遅れを取っているおばさんである。別に大学生と同じテンションで会話がしたかった訳じゃない。じゃあどうすればもやもやせず、なんか今時の若手俳優に似ているはっきりとした顔立ちの若者と「良い旅を〜」って別れることが出来たのか? また話逸れるけど、「AKB 48のメンバーの見分けがつかない」とか言ってる人みたいに最近肌が綺麗で清潔感がある人間は大体美女だしイケメンに見える。ブラックジャックに出てきた人格変わるアバタ面・素顔は犯罪者みたいな人間じゃない限り多分イケメンに見える。視力の問題か?
閑話休題その2。
取り敢えず心が落ち着くまでやりとりを書く。
「日本人ですか?」、と声をかけられる。なんやかんや話す。なんかの流れでおばさんが携帯電話をいじり始めたら「SIM買ったんですか?」って聞いてくる訳。するとおばさんは「楽天モバイルを使っててね……」と突然ヤクルトレディならぬ楽天モバイルレディに豹変して瓏々と楽天モバイルの宣伝が始まるんだから、多分若者も怖かっただろうね、ごめんよ(ご存じない方のために言えば、こういうのがおばさんムーブです)。若者が「へえ〜」って知らないような反応を示すから、(こんなん格安SIM選ぶかどうかはともかく海外行く前にさらっとググれば出てくる情報でしょ? もしかして)ってここは反省するべき点だが、【知らないことがある→若者か?】って思っちゃったんだよね。若い女性に物を知らない前提でマウント取りにくるおじさんと変わらないじゃん……って今書きながら猛省をはじめた。当たり前だけど、誰でも「なんでもは知らないわよ。知っていることだけ」なんだよな。引用する元も時代を感じるって? うっせえわ。それに、若者も別にそんなん常識だけど話の流れとして知らない風を装っただけかも分からんしな。で、なんかそこで年齢を聞いちゃったんだよな。なんで聞いたんだろう。(未成年かな?)とか思ったからかな。いやでも未成年だろうが赤ん坊じゃないんだしそれがなんだっていう話で。『女性に年齢は〜』とか言うけど、男性にも別に訊かないほうが良いんだな。こんなのL知っているか? だめだ、ふざけないと心が折れそう。
もう今後誰の年齢も訊かない、っていうか普段の生活では失礼にならないかとか地雷がないかとか石橋を叩くあまり相手の個人情報に触れること何一つ訊けなくて……夏。って感じで会話が終わるのにどうして今日に限って訊いたんだ。
はあ、こういうどうでもいい後悔のない人生がよかった。
支部で好きになった推し絵師のツイート遡ったら30代半ばっぽいのに未婚すねかじり子供部屋おばさん全開でキツかった
・写真に写ってる絵師のお母さんの手がもはやおばあちゃん(少なくとも60代)
・お父さんがゴルフ大会でもらってきたゲーム機をゲットして喜ぶ
・好きなアニメをお母さんに見せたら○○くんがかっこいいって言ってた(笑)ツイート多数
・年パス持ち(コロナ前)のDオタだけどインパの同行者がいつもお母さん
・自分の誕生日(繰り返すが30代半ば↑)はお母さんが買ってきてくれたケーキでお祝い
・新しくゲットした推しキャラのグッズを並べているベッドが子供部屋特有の古いくさい茶色の傷だらけフレーム
・実家暮らしで親のすねかじりながらソシャゲ推しキャラのガチャ完凸マウント
・ガチャ爆死して諦めた子持ちフォロワーへの「出るまで回せば出るよ!」リプ(経済状況への配慮なし)
こんな世間ズレ子供部屋おばさんが男子高校生同士のエロ漫画描いてるの、キツすぎ見れなくなっちゃった
◆追記
ところどころフェイク入れてますが客観的にこどおばツイートがどう思われるか反応を知りたかった。
最後の子持ちフォロワーへのリプは自分でも後から反省した事案です。
媒体が誰でも無料で読めるWEB漫画ということで良くも悪くも言及される機会が多く、作者さんをフォロー等してなくてもフォロワーさんのいいねやRTでTLに回って来て読んだことがある人が多いのではないかな。
以前までは特にジェンダー問題に関心が高い人の間で評判の良い作品といった立ち位置だったけど、俗称・山賊回(初対面の人の家に泊まりに行って、家主が寝ている間に食材を根こそぎ漁って、自分達だけ食事を作って食べたモラルハザード回)を皮切りに趨勢が入れ替わり、批判が増えて、遂に「つくたべ批判いいね罪」なる声に出して読みたい日本語まで爆誕したネタ漫画に…。
個人的に作者が描こうとしているテーマと描いている内容に齟齬があるというか、食い合わせの悪さを感じる作品だと前々から思っていたので、山賊回は論外としても、批判が起こるのもまあわかるんだよな。
LGBTQの恋愛というニッチ要素を商業作品として色んな人に読んで貰う為に、“食”という誰しもに身近で流行りでもあるテーマと融合させたんだろうけど、この2つのテーマの接続の仕方が、何とも雑で。
LGBTQ+食を題材にした商業作品というと「きのう何食べた?」が有名だけど、こっちは融合のさせ方にも全く違和感ないし、作中での“食”に対する言及の仕方などから作者の並々ならぬ“食”へ拘りの強さや熱量が垣間見えるので、LGBTQ当事者じゃなくてもグルメ漫画として面白く読めると思う。(だからこそBL畑のよしながふみにとってのアウェイである青年誌・モーニングでの連載ながら売れて、実写ドラマ&映画化までしたんだと思うし。)
他方、つくたべの作者さんは“食”にそこまで拘りがない人なのでは?っていうのは読んでて誰しもが感じる点なんじゃなかろうか。
一点例を挙げると、9/10現在の最新話であるバレンタイン回では、春日さんはバレンタインの催事に出掛けるも「ここはシスジェンダーの人達のための場所で私のようなレズビアンは存在を消されてしまう」と被害妄想を募らせ、野本さんは春日さんにプレゼントする為のチョコレートのパウンドケーキを6個試作する。
昨今バレンタインの催事は「チョコ好きガチ勢にとってのコミケ」状態となっており、一年でここでしか食べられない珍しくて美味いチョコを買う為の真剣勝負の場となっている為、女性相手のチョコを買いに来た女性が爪弾きにされる空気などない。(女性同士で贈り合う友チョコなどは昔からごく普通に行われている。)
野本さんサイドの方も、お菓子を手作りしたことがある人ならば全員が知っていると思うが、製菓用の材料というものは押し並べて割といいお値段がするし、本命用のチョコレート菓子を作る場合に用いるに相応しい種類のクーベルチュールチョコレートは結構高価である。
作者は6個も試作品を作るほど真剣な乙女心!を書いたつもりなのだろうが、非正規で低収入という設定の野本さんが練習用に濫用出来るほど安くはないはずだ。
試作品には普通の板チョコを使ったというならそれもおかしな話になる。本命用の、試作品を何個も作るようなチョコレートケーキを作るのにスーパーなどで売っている普通の板チョコを使う人がいないとは言わないが…。
作者はバレンタインの催事に興味がないのかな?、お菓子を作ったりしない人なんだろうな、と思わずにはいられない描写である。
つくたべという漫画ではこのように作者の“食”に対する興味のなさが随所に滲むので、“食に”興味が強い人ほど違和感を覚える仕様となっている。
まあ商業作家がご飯を食べて行く為に好きでもなければ興味もないジャンルの作品を描くのは珍しいことでも悪いことでもないし、それで成功するケースも往々にしてあるので(「キャプテン翼」なんかはその最たる例だろう。最近では「SPY×FAMILY」の作者が同様のコメントをして物議を醸したが)それ自体は別にどうでもいいんだけど、ここにつくたべの主人公の一人である「食べたい女」こと春日さんのキャラ設定を加えると、違和感が首をもたげる人が多くいるのは無理からぬことではないのかと個人的には思う。
春日さんは化粧っ気のない背が高くかなり太っている非常に大柄な女性で、齢30歳弱にして米の食べ過ぎで膵臓を悪くしている(と作中で本人が自己申告している。
彼女は幼少の頃に父親や弟と食事の量などで差を付けられていたトラウマから、実家を出て一人暮らしをしている現在では好きなものを好きなだけ食べるフードファイターもかくやの大食いとなった。
そんな春日さんと、料理が好きでご飯を沢山作りたいけど小食で食べ切れないから作りたいのに作れないという葛藤を抱えていたもう一人の主人公である「作りたい女」こと野本さんが出会う。
「食べたい」と「作りたい」の利害が一致した二人の女性同士の付き合いが始まって…というのがつくたべの導入であり骨子なのだが、やはり膵臓がやられていると申告している人に、本人が食べたいと言っているからといっても、大盛りの飯を好きなだけ食わせるのは虐待に等しいように読者の目からは見えてしまう。
そもそも大食いになったキッカケも男尊女卑な家柄でストレスを抱えた生活をしていたことから来る心因性のものなので、それは自傷行為に等しいのでは?とも思うし。
まあ二人はただの隣人同士であり、野本さんに春日さんの健康を管理してあげる義理はなく、「健康に悪いからもっと野菜を食べなきゃダメだよ!」などと口を酸っぱくして言い聞かせるような間柄でもない。
しかしそうは言っても、作中で野本さんは春日さんへの恋愛感情を自覚しているので、「野本さんは仮にも年上なのに、好きな相手の健康が気にならないの?」というのはごく自然に発生して来る疑問であるように思う。
心因性の大食いで既にブクブクと太り膵臓も悪くしているけどそれでも食べたい(まさに自傷行為、セルフネグレクトとも言える)女と、炭水化物と脂質ドカ盛りの料理を作って食べさせたい女。
この二人を読者が微笑ましく見守るにはあまりにもノイズが大き過ぎやしないだろうか。
春日さんのキャラ造形をBLのスーパー攻め様の女版的なバリキャリの美人OLみたいにはせず(※作者さんはもともとBLを描いていた漫画家さんだった)化粧っ気のない太った非正規のエッセンシャルワーカー女性にした理由も、作者さんが「女性差別・家父長」や「ボディポジティブ」や「脱コルセット」的なポリコレ要素を取り入れたいと思ったからだと推察するのだが、春日さんの大食いが心因性のものであるならば、それはボディポジティブなのか?となって来るわけで、そこにもテーマ同士の食い合わせの悪さを感じずにはいられないのだった。
巷ではつくたべを批判する人は差別主義者だと言われているようだけど、以上のことから、つくたべに対する批判が起こるのはごく自然的なことであり、作者の思想のせいではないと思うんだよな。
作者が描こうとしている、描きたいと思っているものは何となく分かるのだけど、そこに漫画家としての技量や扱うテーマに関する知識が追い付いてないというか。
もっと設定をシンプルにして、二人の女が笑いながら美味しくご飯を食べるだけの話でも良かったのでは?と思う。
ポリコレ要素を足したいのならもっと入念に取材をすべきだし、その上で物語に馴染むかどうかを吟味して、商業作品として良い物を世に送り出そうと思うのならば、足し算だけじゃなく引き算も行った方がいいのでは?と一漫画読みの立場から具申させていただきたい。
補足。マイノリティが活躍する作品の否定は差別だというコメントがあるけど、そういった作品の中にも当然だけどピンキリがあると思うんだよね。
例えば最近評判が良かった作品というとNetflixのハートストッパーなんかがあるけど、私もあれはすごく良い作品だと思ったし。
補足2。フェミが評価してる作品だから重箱の隅をつついてるんだというコメントがあるけど、上と同様フェミニズム作品の中にもピンキリry
まあ、事の真相が報道されたのを聞いて、イエローケーキをバケツで運ぶようなことしてたのかよ!!!って突込みを入れてしまった。
正規の手順だと臨界事故が起きるはずがないようになっていたはずが、効率を求めるがゆえに正規の手順ガン無視で作業し、裏マニュアルさえ無視して起こした事故。
今回の幼稚園も手順通りならQRコードがスキャンされずに登園にならず、気づかれたはずが、バス乗車時点でのノートをもとにQRコードをスキャンするというズルが常態化し、起きた事故に感じた。
そういうズルをしないと回らないような仕組みになっちゃってたのか、どうせ事故なんて起きないからと気が緩んでいたのかはわからんが。
まあ、機械式車庫のボタンを押し続けないと動作しないようにする安全装置をズルするものがあるけれど、ああいうやつだよな。
起きるべくして起きたとは思った。