はてなキーワード: ケーキとは
ケーキの食い逃げはイケメンの特権なんやけど、それって要は女がバカだから結婚するまで貞操を保てないんよ。膣と子宮に他の男のDNAが残ってるってことがどれだけ男を傷つけるか考えの及ばない馬鹿さ、傷つけた男に生活を養ってもらえる傲慢さ。結局女性教育の失敗なんや。
俺の妻はさ、大学時代かなり遊んでたっぽいんだよね。学生時代の写真なんか見る限り陽キャたちに囲まれてさ。高校時代にも彼氏いたっぽいし。
俺は女とは縁遠い生活を送ってた非モテ。社会人になって今の妻と出会って、付き合うまで童貞だった。そしてそのまま結婚してしまった。
付き合いたてや結婚したての頃はそれなりに浮かれてたし幸せだったけど、最近自分の人生が虚しいもののように思えてきた。だって俺の人生ってさ、「陽キャやイケメンたちが美味しい所を全部摘み食いして、最後に残ったホールケーキの残骸をつい食べたばっかりに、ケーキ代を全額支払ってる」って感じだよね。この例えは前に誰かが言ってたけどめちゃくちゃしっくりくる。家事もやってくれるし、優しいし、たしかに可愛い。でもそんなもんじゃ俺の虚しさは埋められない。一緒に暮らしてて自分がどんどん惨めになる。離婚を考えてる。
よく言われる「昔は、いまでいう発達障害者にも居場所や仕事があった」っていう変な擁護論をみて、現状に即してないと思うけどさ
もしそうなんだとしたらじゃあいつから差別されるようになったの?
単純にいって、40~50年前までは「発達障害者」も中卒とかで職人やったりオフィスのお茶汲みやったり映画の寅さんみたいな生活してたり、それで生計立てられて結婚も平気で出来てたとしましょう。
その時は「言われたことしか出来ない」「空気をあまり読めない」「粗暴なところがある」「ぼんやりしている」けど、それがそいつの素朴な性格であって、キモいとかヤバいとかウザいとかそういう感情に直結しなかったと。
もっと生活に密着していうと、「もしも娘が発達障害者と付き合ってたらどうしよう」「もしも職場に入ってきた新人がアスペだったら嫌だなあ」「私は夫のせいでカサンドラ!ギャーギャー」みたいな概念がそもそも無い訳だ。
今でも、自分の娘や息子や親戚や親友が「知的障害者と付き合ってます。ほら、手帳もあるんだよ」といったら?例え交際の自由がちゃんと憲法に書いてあっても、自分が健常者だと思ってる連中はどこまで差別心と余計なおせっかい心を持たないでいられるか?
発達障害やアスペはその知的障害者と似た様な枠に、それも21世紀になってから急に放り込まれたわけだ。
そしてほとんどの当事者は、社会生活上の尺度から見て、例えばCPの人達みたいに「決定的な困難さ」を持っているわけでも無いから、単純な哀れみも受けられない。当事者運動も社会への同化がなぜか前提となってるから「青い芝の会」みたいな運動も全然起きない。
気が付いたら、用語だけ勝手に広まって、「発達障害者を職場に入れないようにするには!」「私の夫がアスペだった!ギャー」「社会の脅威、ケーキを三等分できない境界知能!」みたいな使い方しかされてない訳だ。
「医者に発達障害と診断されたから普通の人生を送るのが困難になったのではなく、社会において普通の人生を送るのが困難だから障害と診断されるようになった」と逆転させたことを言う人もいるけど、
じゃあ社会は、癌や糖尿病や、あるいは身近なインフルエンザに対する理解と同じ様に、医療に沿った「正しい発達障害理解」ってのをしてるのか?してないだろ?
日本における発達障害受容の歴史は、エイズの認知と大体時期が同じ(この30~40年)だが、AIDS/HIV患者を排除したり差別する人間はほとんどいなくなったけど、発達障害の排除はどんどん酷くなってるだろ。
会社は発達障害排除の性格テストをつかうようになったし、勝手に周囲が変なリスト見て答え合わせして友達はいなくなるし、ネット上ではアスペルガーをキモく扱う話がウケる。
言葉やイメージが先行するだけして当事者は置いてけぼり。本人の困りを社会やネットがむしろ加速させるようになった。
何が起きたんだよ。進歩じゃなくて逆行だよな。じゃあ一体何なんだ、お前等の考える発達障害って?アスペって?境界知能って?
俺はいっそ、発達障害者やアスペはどんどん職場に入って迷惑を掛けまくって、どんどん「キモい」恋愛もしまくって、新しい社会を、新しい文化を、発達障害者版「青い芝の会」みたいなものを作っていくべきだと思ってるけどな。
自称・文化人の年下の友人に、コメダ珈琲で豆を食いながら教えてもらった。
俺は若干オールドタイプのオタクなので、まあ要するにエヴァやろ?とか、かいつまむとlain的な空気感だろ?
とか、なんなら「さよならを教えて」のような感じだろ?
という認識だったが、やはり世代によりけりというか、やや違うというか。
ヴィレヴァンで椎名林檎買ってる文脈?と問うとやはりちょっと違うらしく。
滅茶苦茶簡潔に言うと、ボカロ。ボーカロイドが繋いでいる文脈に類似する、との話だった。
プロセカの人口知らないんですか、最早メンヘラは文化ですよ、という。
俺はボカロはブラックロックシューターしか知らんが、つまりはそっちの文脈らしい。
自傷、強い言葉で自分を傷つける、そういう文脈が「オシャレ」なんです、と。ちなみにリスカはダサい。カツサンドを齧りながら、友人は笑った。
他人を攻撃するロックやラップがオシャレだった時代は違うんすよパイセン、と攻撃されたが、やむなしだった。よくわからなかったからだ。
つまるところ、他人を傷つける表現にはない安心感が、メンヘラ表現にはあるらしい。
昔の文学にはなかったポップとスタイリッシュを手に入れてるんです、メンヘラは。
オシャレなボカロの曲を、オシャレな歌い手がカバーして、オシャレな絵がつくとオシャレなんです!
みたいなことらしい。
若い時はみんなそんな感じかもしれんが、「社会が病んでいる」なんて、
最早病みが常態化して逆に言われない時代だからこそ、先鋭化されるものもあるのかもしれない。
まあ、メンヘラってなんか叩きにくい空気あるし、コンテンツの前提に叩かれていないもの、
みたいなのが必要とされる時代だと都合がよいのかもな、と理解した。
頑張っていこう。
あれはそもそも「ホールケーキ」という概念に接したことがないから切り分け方がわからないってだけの話なんだよ
カットケーキがホールケーキを切り分けて作られているというところがうまく結びついてないだけ
一時期、最近の子供は海に魚の切り身が泳いでるって思ってるみたいな妄言が流行ったけど
それと同じカテゴリだと思ってもらえばいい
旧暦じゃなくて? とか
情報の出典どこ? とか
疑問はたくさんあるけれど
一応そういうことらしい
今日誕生日なんだという話をクラスでできなかったのはちょっと残念だった
独り身だし特に何があるわけでもないのだけれど
今年は免許の更新があって
目は緑内障が始まるし
これからどんどんガタが来るんだろう
とはいえ人生はまだ60年くらい残ってて折り返し地点にもたどり着いていない
人生だいぶ長いな
両親も元気なのであと30年くらいは生きそう
30からの10年間は振り返ってみるとあっという間に過ぎていったような気もする
それまで引きこもりがちだったのが時々は外に出るようになった
一人で結構どこへでも行けるんだなって感じられるようになったし
それがきっかけで知り合いになった人とかもできた
今となってはスマホなしでどうやって生活してたのかよく思い出せない
遠くに行くときに毎回googleの地図を印刷してたような気がする
思い返してみると楽しいことばかりだったような気がしてくる
今日の予定はせっかくなので増田を書こうということだけ決めてあった
あとはなんもない
きっとごろごろして一日終わり
夕飯、ハンバーグにした
YouTubeみてた娘が食べたいって言ったから張り切って作ったけど一口も食べなかった
また怒っちゃったし娘も癇癪起こしたけど納豆ご飯食べたら落ち着いたのか「ままごめんね」って言ってきた
ままもごめんねって言ったけど全然そんな顔してなかったと思う
この後帰ってきた旦那が「どうせ食べないのにまたこんな張り切ったもの作って」みたいな顔で見てくるに決まってるから娘が残した分も全部食べて気持ち悪い
なんで何も食べないの?
離乳食の頃焦って保健センターとかで相談しまくったけど無駄だったしすり減るから行くのやめた
「カレーに野菜はなんでも入れちゃって!」ってカレー食べないし
「カレーも食べないの、変わってるわね」うるせー!ってなる
野菜なんかドロドロの頃から一口も食べてないけど何故か普通に成長してるのなんで
そもそも私は料理好きで独身の頃も毎日自炊して綺麗なお弁当作っていつも褒められてたし
妊娠してから「あなたのごはんが毎日食べられるなんて幸せな子ね」とか言われて嬉しくてお腹撫でてた
いっぱい食べてほしいなんて言わないから普通に食べる子がよかった
嫌いなものがあってもいいからそれを克服できるように工夫したりしたかった
なんで私の子が食べない子なの?
他何が出来なくてもよかったからただ食べる子であってほしかった
娘にため息ばっかりついてる
全てを諦めたくなる