はてなキーワード: 遊園地とは
タイトルのとおりです。彼氏はいるけどセックスしたことが無い。
最初に彼氏ができたのは18歳のとき。大学で入ったサークルの先輩で、相手から何度かデートに誘われて付き合うことになった。いっしょに『劇場版 マクロスF』前編(「虚空歌姫 〜イツワリノウタヒメ〜」ね)を観に行ったら、映画のクライマックスあたりで手をつながれたんだけど、「え、私映画に集中したいんだけど」って感じで振り払ってしまった。
その後も遊園地に行ったりサークルの他のカップルとダブルデートしたりもしてその度に手をつなごうとされたけれど、「手をつなぐなんて照れる」みたいな恥ずかしさではなく、「周りに人がいるのに本当やめてほしい、どういうつもりなんだろう、マジでやめてくれ」って感じでひたすら苦痛で、だんだんデートの誘いにも乗らなくなり、サークルにも行きづらくなり、メールもしなくなって、サークルもやめた。女子校にかよっていたころはあんなに彼氏が欲しかったのに、と自分で自分が馬鹿らしくなったし、相手にもとても悪いことをしたと思った。
次に彼氏ができたのは20歳のとき。今度はいっしょに『劇場版 マクロスF』後編(「恋離飛翼 〜サヨナラノツバサ〜」)を観たあと、電話で告白された。別に私がめちゃくちゃマクロス好き、ということではなく、あのころのオタクはみんなマクロスFが好きだったのだ。対面ではないうえ、「好きだ」という言葉はもらえずただ「付き合ってほしい」とだけ言われたのが、正直物足りなく感じたのは覚えている。今にして思えばめちゃくちゃ傲慢ですね。しかし、すでに2年間友達づきあいをしていてバイトもいっしょ、という気心のしれた仲の男子だったので、「今度は大丈夫かもしれない」と思って再び交際に応じた。あと、ちょうど大震災の直後に映画を観たら、上映中に劇場がガンガン揺れてめっちゃ恐怖を感じたので、なんか「吊り橋効果」が発生したのかもしれない。
でも今回もデートの度に手をつながれ、それがひたすら純粋に「照れる」のとは違う「マジで単純にみっともない」という意味での恥ずかしさを刺激しつづけ、友人だったころは好ましく思っていた彼と会うのがおっくうになっていった。誘いをもらっても何かにつけて断り、会うにしても2時間くらいで解散した。そもそも2時間も会えば「もう十分でしょ」という気になった。今にして思えば死ぬほど傲慢ですね。でも、当時の私は、なにかデートを「相手に要求されている義務」のように感じていた。
交際3ヶ月目くらいに「次の休みに箱根に旅行に行かない?」と言われて、もう無理だ、と思って、返信をしなかった。お互いキャンパスも変わって、約束をしないと会えない仲になり、そのまま疎遠になった。
さらに3ヶ月後くらいに共通の友人から「別れたんだって?」と聞かれた。「え、誰から聞いたの?」と聞き返したら、「彼氏のほうだよ」と言う。あ、なるほど、これって別れてるってことだったのか……と納得し、「うん、実はそうなんだ」と答えた。親しい友人を失ってしまうような真似はもうやめようと決めた。
決めたのだけど、5年後の今年、会社の同期と付き合いだすことになってしまった。
25歳の私は「私には恋愛は無理かもしれないけれど、やっぱり結婚や出産はしたい。恋愛感情がなくとも結婚を目指せばいいのだ」という思考にいたり、合コンを繰り返したり、お見合いパーティーや街コンに顔を出したり、結婚相談所に登録したりしだしたのだが、そうした話をいろいろと相談してい同期男子がちょうど彼女と別れた後に、「増田のことは人間として好きだから、結婚を前提に付き合ってみるというのはどうだろう」と提案を受けたのだ。
たしかに前回も前々回も失敗したけど、今回は大丈夫かもしれない……彼はマクロスFが好きじゃないし、と思って、その提案に応じることになった。顔を合わせているときに、ちゃんと「好きだ」という言葉を使って告白してくれたのも嬉しかった。
合コン、お見合いパーティー、街コンを重ねた成果か、手をつないで街を歩くのも、カフェでとりとめのない話をだらだらとしてから帰りにハグされたりするのも、「ちょっと仕事遅くなっちゃってこれから帰るんだ〜」というLINEに対して心配した電話が来るのに対応するのも大丈夫だった。
でも、この「大丈夫」というのは、「そういうのマジで恥ずかしいしみっともない、とは思わない」というだけだ。
「手をつないで街を歩いたり、カフェでおしゃべりした帰り際にハグされたり、電話に甘えた声で答えたり、キスをしたりしても、なんとも思わない」ということである。みじんもドキドキしなくて、「なにかのステップを踏んだ」という手応えをつかんでいるだけだ。
もうすぐクリスマス。
彼にはこれまでの恋愛遍歴を多少話しているので、「俺は君の気持ちを尊重したいし、いろいろ焦らなくて大丈夫だよ」とも言われている。言われているが、ディナーをしてプレゼント交換となれば、その後は、やっぱりそういうことを期待されますよね。「焦らなくて大丈夫」と言われてるけど、つまりそれって彼のほうが譲歩して我慢してるってことで、彼は本当はそういうことをしたいんですよね。
私はクリスマスがとてもこわい。手をつないだりキスをしたりお別れのハグをしたり甘えた声で電話したりは「大丈夫」でも、セックスは「大丈夫」なんだろうか。仮に「大丈夫」だったとして、それは単に「大丈夫」なだけなんだと思うんだけど、それでいいんだろうか。
そもそも私は、たぶん恋愛として彼が好きなわけじゃないのだ。
そして付き合いを重ねても、全然好きになってないのだ。本当は、「友達としては好きだし、いっしょにステップを踏んでいくうちに恋愛としても好きになれるのかな?」と思っていた。でも、全然そんなことがなかった。絶望だ。私は人を好きになれないんだろうか?
いったいどうすればいいんだろう。セックスしちゃったほうがいいのかな。
見栄をはりすぎて「処女だ」ということまでは誰にも(今の彼氏にも)言っていないから、相談相手がいない。
よく「彼氏一度もできてことなくて喪女でつらい〜」的なことを話している人はネットとかにもいるけど、「彼氏いてもそういうことできなくてつらい〜」なんていうのは、非リアにもリア充にも「ブス帰れ」とののしられてしまうので、誰にも言えない。肩身が狭い自分、なんてかわいそう、みたいな書き方をしてしまったけど、私とつきあってきた人たちのが100倍気の毒なのはわかっている。
私が苦しいのは自分が間違った選択をしてきている、というだけだ。
私はinstagramをひんぱんに使っていた。あとはswarm。
「自慢ばかりしている」
と言われたからだ。
半分以上が仕事や家庭の事情で家族旅行は2回、社員旅行1回くらい。
子供や夫婦の写真をあげ、美味しいものを食べたり、記念日には特別なレストラン。
もちろん純粋な旅行の写真や社員旅行に家族といった写真もあった。
というのも私と主人は結婚するまで旅行すら行ったこともなかった。
子供がある程度落ち着いてきたから去年くらいから出かけるのを増やした。
毎日深夜帰りの夫ができるだけ家族や夫婦といる時間やイベントを作ろうとしてくれたのもある。
もちろん家でご飯を食べることのほうがはるかに多いし、朝昼夜毎日作る。
特にうちは夫が帰りも遅く、帰らない日も多いから一人で子育てしているようなものだ。
だから子供と2人で近くのショッピングセンターや遊園地、水族館、大きい公園。
気のつまらないように、寂しさを紛らわすように、娘が楽しくなるように連れて行った。
そう、仕事のある日以外は基本娘に使う。
お金をかけているように見えるが、私は自営業なのでランチにもディナーにもお金をかけない。
夕飯も自炊。飲むのも月1回もない。
服もあまり買わない。夫ももっぱらユニクロだ。美容もネイルもしない。
どこか高めのとこ行く時は夫が払う時もあるし私が払う時もある。
それでも言われた。
「自慢をしていて周りと競っている。うざい。」
私は楽しい思い出や美しい景色、美味しい食事をスクラップしているような感覚で
instagramを使っていた。誰かに見られるためというよりはただ単に楽しい写真を
加工して綺麗にして貯めていくのが楽しかった。
それが仕事に子育てに勉強に翻弄されている私の密かな楽しみだった。
SNSを使う理由は自己顕示欲だとよく言われるけれど、その強弱はあるし、
毎日、早朝に起きて、朝ご飯を作り、子供の準備をして、保育園へ送りをして
合間の時間に資格の勉強、仕事をして、保育園に迎えに行き、晩ご飯を作り
、ご飯を食べさせ、子供とお風呂に入り、歯を磨かせ、寝かしつけ、その後掃除
忙しい時はアウトソースにも頼る。頼るけど基本真面目に生活してるつもりだし、
自分で払う時もあるんだけどなんで自慢って思うの?SNSにあがっているもの
書かれているものが生活の全てじゃないって大人なんだからわかるでしょう。
過疎っているSNSや心地よいコミュニティのSNSに行きたいけど
どうしたもんかな。
これはとあるゲーム会社で働いていて、社長に会議中に言われた言葉だ。その時私は二三歳だった。
芸術大学に通い、受験勉強などのプレッシャーこそあれ、温室でぬくぬく育ってきたわたしは、ただなんとなく作品を作り続けて楽しく生きていければよかったと思っていたので、ろくに就職活動もしなかった。だが流石に路頭に迷うのは怖くて、保険としてその会社に学生時代からアルバイトとして働いてデバック作業などをしていた。
卒業後いちど都内の書籍製作所会社に勤務したが、其の社長が詐欺師で、会社自体が登記されていなかった。給料も払われず、それは違法ですと訴えたが、ろくに仕事もできないヤツだという評価をされて社長直々に懲戒免職(?本人はそう言っていた)になった。
大学時代、世話になっていた会社に行き、事情を話すと、そんなミスをするお前が悪いと言われなながらも、ゲーム会社の社長は私をバイトとしてまた登用してくれることになった。
その社長は酒の席でたびたび言った。「お前のような奴はすぐにクビにできるからいい」私は恐ろしくなって、なんとか期待にこたえられるように頑張った。親から常に社会は厳しいところだから、ちょっと嫌なことを言われても耐えなくちゃいけない。それに当時放送されていたドラマなんかでも、主人公の女の子が上司から怒鳴られて泣きながらがんばっていた。ああいうふうにならなければと思って頑張った。自分は一度失敗している。それを拾ってくれたのだから、感謝しなくてはいけないと。思って、やりたくない仕事だったけれども自分なりに頑張ってみた。
仕事は、デザインに関わるものではなかった。電話取りやお茶くみ。備品の管理など。
「六時になったら絶対にタイムカードを押せよ。それをやらないやつはクビだ」と言われた。
タイムカードを押して、それ以降の時間を、なにかできることはありませんか、と上司に訊いて回って、なんどかデザインの仕事を回してもらっていた。帰ると夜の11時。給料は手取りで16万円ほどだった。体調を崩してもぎりぎりまで病院に行けない。歯医者に行くことも躊躇われた。
そのうちに、直属の上司が株価の上がり下がりの気分で私を叱責されたり、でもおっぱいの大きい女性先輩にたいしてはまったくそれがなかったり、別の男性のエンジニアが皆の聞こえるように叱責されたり、同僚の先輩が「お前障害者みたいな顔してるな」なんてからかわれているのを見るうちに、なんだかこれはおかしいんじゃないかと思い始めるようになった。
業界ではそれなりに名の知れた方だったし、とても技術の高い人達だったので、おかしいのは自分だと思ってごまかし続けた。自分の経験が未熟だから。こういうことを言われるのは当然なんだって。
結局スポンジの洗い方がなっていない、泡が残ったままおいておくなんてお前はなにもできないやつだ、と怒鳴られて辞めることを決意した。二年は同じ会社に居ないと次の就職の時に言い訳ができないと思っていた。それは丁度二年目のできごとだった。引き際だと思った。
今私はカウンセリングに通っている。
自殺未遂をしたからだ。30歳の誕生日の前日、29歳最後の日に、ビルの14階から飛び降りようとしたのだ。でも飛び降りることが出来なかった。
いまでもあの時「30歳を過ぎた女なんて生きていても価値が無い」といつも言われていたことが棘のように刺さって抜けないのだ。
寒空の屋上の下、地上を見下げるとそのビルでは結婚式が行われていたようで、スーツをきたキラキラした人たちが車を回していた。たくさんのぴかぴかした車が出たり入ったりしていて、綺麗な花嫁さんの姿がちらっと見れた。ここで私が飛び降りたらあの人達にひどいことをしてしまうかもな、と思っていた。睡眠導入剤を60錠ビールで流し込んで、でも9時間の間、夜が明けるまで飛び降りることは出来なかった。以前遊園地でやったバンジージャンプではあっという間に飛べたのに。
30歳を超えて2年がたった。
頭の何処かでいつも、「女は20代のうちに結婚して、子供を産んで、若くて綺麗なうちに死ぬの一番いいんだ」という考え方が抜けない。
もちろん頭では分かっているんだ。そんな考えおかしいってこと。
世の中には素敵な女性がたくさんいる。みんな自分の目標や考え方に向かって真摯に生きている。彼らも悩みながら、でもたくましく生きている。分かっている。
でも、どうしても、どうしても、30を超えて子供がいないこと、結婚していないこと、BBAとインターネット上で言われる度に、やっぱり「生きていても価値が無い」と言われたあの社長の台詞が思い起こされる。
長く投薬とカウンセリングを続けてみたけれども、この考え方を拭うことは結局出来なかった。
私は価値の無い女として、このまま生き続けるかもしれない。でも早くまた飛び降りてしまいたいと、思っているのも本当なのだ。
どうしても、この考え方を変えることが出来ないのだ。
変えたいと思っているんだ。でもどうすればいいのかわからない。色々試した。
本当はそんなことないって理性ではわかっているのに、心の根っこの所だれかが「でも意味ないよねBBA」って罵ってくる。
来週でカウンセリングを終わりにしようと思っている。薬で誤魔化して、それでもだめなら落ちるために、また屋上に行こうと準備をしている。
始まりは絵本のねないこだれだを読み聞かせたらものすごく怖がった事だった
使えると思って夜に寝ようとしないときにお化け時間になっても起きてる子はおばけに連れていかれちゃうよと言ってしまった
効果は抜群で、怖い怖いと言いながら布団に入り「目を閉じてスースー言ってたらおばけさんも寝てると思うし大丈夫」と言ったら目を固く閉じてスースー言ってすぐ寝てしまった
騙してしまったけど夜寝る癖をつけるのは大事だから仕方ないと思った
それから遊園地にいったときにお化け屋敷について質問されて「お化けのおうちだよ昼はあそこにすんでるの」と説明してしまった
何だか面白いのでお化けのいる世界設定で夜に外から足音など聞こえると、怖がってるふりをして外を見て「いる!静かに」と言ってみたり、夜に風呂で騒ぐと、おばけさんに見つかる!と黙らせたり
あまりにも簡単に言うことを聞くのに味をしめ、好き嫌いする子のところには勿体ないお化け、バナナの皮や食べ残しを床に散らかす子のところにはバナナお化け、おもちゃを片付けないとおもちゃがお化けになっちゃうよ、TVに近づいて見る子のところには貞子さんとどんどん新キャラが増えていき、やたらに質問されるのでお化けの設定も深まっていった
タイトルの通り、最近の自分の感情はさながらジェットコースターのようだ。
と言っても、遊園地のように楽しいものではなく苦しい。感情の浮き沈みが激しすぎるのだ。
落ち込んでいるときは、どうやって死んでやろうかと考え、市販薬の大量接種に手を出してしまう。
そして周り(主に家族)を混乱させる。
楽しすぎるときは、原因もないのに楽しすぎるのだ。生きてるって素晴らしいとわけもわからずハイテンション。
市販薬の大量摂取からもわかるようにまた、鬱のようなものが再発してるんだと思う。
過去に通院していた精神科の主治医には、いつでもおいでと言われているが、行ってない。
だって行っても、先生の顔を見ると何を話せばいいのかがわからないだもの。
何が苦しいのかが未だ自分自身、わかっていないのだ。
わかっているのは、あまり生きていても楽しいことや、やりたいことが全くないということだけ。死にたい。ただそれだけなのだ。
過去を変えたい。でも変えられない。そんなもどかしさも伴って、自分は何をしていいのかが分からない。誰か教えて。
ただ、生きているだけ。苦しい原因は、過去にあることは、本当はわかっている。でも、もうどうしようもないのだ。
原因となった人に、罰を加えても過去を含め今の自分の状態は変わらない。ただ願うことは、あの忌まわしい過去をなかったことにしたい。
元増田の文は、シンボルのミッキーマウスに今の子ども、昔の子どもがどんなふうに知って、触れていったかってテーマだろ。
ドラえもんやアンパンマンのようにTVアニメが放送されているわけでもなく、ポケモンのように子どもの雑誌でものすごく特集されてるわけじゃない。
昔はジブリ映画と同じようにディズニーアニメもよくテレビ放送されていて、「ディズニーの偉大さ」も宣伝されてたけど、今はほとんど放送がなくなり、新作は3Dになってピクサーとか他社のCGアニメとの違いもわからなくなり、スター・ウォーズなんかにも手を出しちゃって以前のような「お伽話アニメの会社」というイメージも消え去り、テーマパークのイメージしかなくなってしまった。
今の子は、民放の情報番組を見る年齡になって、ディズニーランドという「若い子に人気」の遊園地があって、そこで「超人気」のキャラクターがミッキーマウスというのだな、と初めて認識する。
海外のとある街で、深夜にバックをいくつも抱えた旅行中の女の子から道を尋ねられた。
治安の良い場所ではなかったから、駅まで送ってあげることにした。
そして、その途中でギャングに襲われた。
救急車が来るまでの間、警察官からもらったタオルでおびただしく出てくる血を抑えながら、
僕はひたすら彼女に謝りつづけた。
彼女が救急車で運ばれた後、警察とその場所で実況見分が行われた。
テレビ局が来て、僕を間近で投光器で照らしながらカメラを向けた。
僕は血まみれの服のまま殴りかかり、警察に止められた。
僕は安アパートで一晩中血まみれのまま過ごした。
朝まで寝ることは出来なかったが、記憶はない。
僕が体の異変に気付いたのは、それから数か月後の帰国後だった。
深夜に歩いていると心臓がドキドキして、空中から脂汗が出てくる。
その場で民家の塀に背中を押しつけたまま、身構えながらその小学生が通り過ぎるのを待った。
歩いている途中で自分の気持ちがまるで遊園地のバイキングのようにグラングランと大きく揺れ、
その場にしゃがみこんでしまうこともあった。
布団に入って明かりを消すと、後悔と罪の意識が黒い塊となって自分を襲ってくる。
あの時の光景が延々と脳裏に繰り返され、布団の中で何度も叫んだ。
毎日酔いつぶれるまで酒を飲み、明かりを煌々と付けて、ラジオのボリュームを大きくして、
夜がしらじらと明ける頃に、やっと浅い眠りにつくことが出来た。
当時はPTSDという言葉はまだなく、僕はそれを『心の後遺症』と呼んでいた。
もっともひどい状態で約5年。
今、20年以上たっているが、今でも似たような状況の場所と時間は避けて歩く。
何をもって直っていったのかは分からない。
巨大な、でも一粒づつしか落ちない砂時計のように、変化していったとしか言えない。
心療内科にも行っていないから、行った方が良い、行かない方が良い、その両方の助言をすることもできない。
でも、一つだけ。20年以上たって、今でも自分を許すことも出来ないけれど、
そうした事件があったということだけは認めることが出来た。
そして人よりも少しだけ、誰かが傷つくことに繊細になることが出来た。
震災から4年経ち、物理的な復興が進んで世間から忘れられ始めている今でも、
あの震災で僕と同じように、心に傷を負い、人目に付かない場所で苦しんでいる人がいることを想像することが出来た。
今でも定期的にボランティアに行っている。
僕には助言することが出来ない。
失恋した人や仕事で些細な失敗をして落ち込んでいる人にも優しさを向けられる、
そんな心の傷に繊細な人にしてくれる。
そしてそんなあなたの優しさがあなたに帰ってくる時がきっとくる。
少しでも早く良くなってください。
大丈夫。きっと良くなる。
世の中浮かれてますね。
電車での移動中、旅行にでも行くのか女の人たちが大きなトランクバッグを転がしてるのを見かけたんだけど、
あれだけの大荷物ならエレベーターを使えばいいのに、階段をよちよち降りていて、
もう危なっかしいったらありゃしない、
ヒヤヒヤしてしょうがない、
転んだりしたら本人だけでなく周囲まで巻きこまれそうで、
おそろしいおそろしい。
遊びに行くのにそんな無理して自分から危険に飛び込んでいかなくてもいいじゃないかと思うんだけど、
もうさー、ヒールなんて無くしちゃえばいいじゃない。
本人が痛いのを我慢してるとかはどうでもいいけど、
周囲までドキドキハラハラ遊園地感覚に巻き込まれたくないので、
何卒よろしくお願いしますよ。
いや、ヒールだけでなく、肩の紐とか脇の紐とか背中の紐とかいろいろ丸出しで、そんなんで大丈夫なんですかね、とは思いましたけど。
直接話しかけたりなんてできないですよ。
怖いもん。
絶対不審者だと思われるだろうし。
ただただ、増田に書き込むことでやんわりとネットを伝播して世の中の風潮を変革できないものかと画策して、呪いをまき散らすのが関の山ですわ。
ヒールなくなれー
ヒールなくなれー
俺より背の高い女はいなくなれー
1匹3,000円。
平日の真っ昼間。東遊園地で酒を飲んでいたボクに
「ボク、猫は好きか?」
なんでも、とにかく猫をつかまえたらお金をくれるらしい。
バイトをしていなかったボクは興味を持った。
ちょっとやってみたが猫を捕まえるのは思っていたよりも難しい。
そして公園にいる野良猫を狙うのは効率が悪いことに気がついた。
そこでボクは少し考えて、商店街ではなく住宅地に罠を仕掛けることにした。
当時は飼い猫も家の外にも自由にやっている家が多く、
野良よりも飼い猫の方が警戒心が薄いとあたりをつけた。
このヨミがあたった。
コーナン(ホームセンター)で害獣駆除用の捕獲罠を買ってきて、
日が暮れてから宅地の児童公園に罠をこっそり隠すように置いた。
(ひと目にはつかず、猫目にはついてくれよ)
いつも祈っていた。
早朝に回収に行くと面白いように猫がかかっていた。
ボクはすっかり猫を捕まえることが楽しくなってきた。
毎日猫を捕まえに行くようになった。
そしてしばらくすると周囲から猫がいなくなった。
あれから20年。