はてなキーワード: 資質とは
当方今年三十路。GLAYファンの姉と米米CLUBファンの母の影響で小さい頃から流行りのJ-POPをよく聞いてた。初めて買ってもらったCDは小沢健二「痛快ウキウキ通り」。
高校からバンド始めて、大学生時代は完全に拗らせてしまって、ポストロック〜エレクトロニカからニッチな沼にはまってノイズもミニマルテクノも現代音楽も、聞いたことのない音を探すのが大好きだった。
で、ここ近年の日本のインディシーンのシティポップリバイバルの波にはガッツリ便乗して楽しませてもらったし、洋楽のトレンド追うのも楽しんでたけど、ど真ん中の邦楽シーンは面白くないなぁ(正しくはいくらいい曲でも素直に受け入れたくないっていう拗らせの名残)って思ってた。
あいみょんも最初名前だけ見たときは「はぁ?」って感じだったし、『マリーゴールド』が話題になったときに友人と車中で聞いてみたんだけど「イントロのギターリフの歪ませ具合がまんまマイラバの『Hello,Again』と一緒じゃんwwえ、そこ参照するのww」とか話し合ってたわけ。紅白すごいねー(同じ関西人として)ぐらいだったわけ。
それがさ。
少し前にメンタルやっちゃって今も療養中なんだけど、鬱やらかすと感情の起伏がやべぇんだよね。調子いい時もふとした拍子にアップダウンのスイッチが入っちゃって。
特に(ほんとはダメだけど)アルコール入るとエモさの幅が今まで有り得んかったくらいグワングワンになるわけ。
そんな状態である夜たまたまYouTubeで『マリーゴールド』改めて聞いて、もう信じられないくらい泣いちゃったんだよ。もうBメロ終わりからサビ直前の展開でブワーーーって涙出てきて。
ヤベェ。脳の中で「虚構の青春回想モード」入った。こんな恋愛してねぇのに。マジ涙止まらんってなって。
多分音楽演奏する側に立った人なら分かると思うんだけど、一旦そっちの視点獲得しちゃうと、音楽を基本的にまず演者視点で見ちゃうと思う。
ポップスなら歌詞の展開とコード進行の関係とか、各パート毎の音の質感とか。
そうやって分解してみると、『マリーゴールド』ってマジでクリシェの塊なわけ。
先述の通りギターリフはマイラバだし、ギターロックの系譜を汲んだ90年代邦楽のバンド編成だし、コードも一聴してメジャーコードとマイナーコードだけで構成された一切気を衒わないド直球だし、歌詞は瑞々しい恋愛を歌ったこれまたド真ん中ストレート。
要素の集合として楽曲を見れば「クサすぎる」わけ。邦楽業界が一番潤ってた頃のど真ん中ポップス。ミスチルやスピッツみたいな。何番煎じなんだよって。
いわば拗らせ音楽オタクとしては「絶対こんなんで心揺り動かされてたまるかよ〜!!!!」って反射的に思っちゃうのね(でも拗らせてるからoasisは何度も聞いてその度拳を突き上げたりするんだけど)
なのにさぁ。
もう、ヤバイわけ。あああああーー音楽ヤベェよなんなんこんなベタな曲なのに新しい曲として生まれ変わった途端こんな心動かされるかよ。最高かよってただひたすら思いながらやっぱサビ来るたび号泣。
あえて理由を付けるなら、流行りが一周して90年代の邦楽が参照元として確立されたんだろうなぁってのは思う。周りに聞いてみても「懐かしい感じがする、これってどの世代が聞いても多分イケる音楽だよね」って反応が大多数。
でもぶっちゃけそんなんどうでもいいなー。ただただ新しい曲聞いて感動するってのがポピュラー音楽の一番素晴らしい部分だわなぁ。
またあいみょんの声が絶妙なんだよな。あれはほんとギフト、個人の資質だわ。
あと完全に余談だけど、Official髭男dismが流行ってるのもめっちゃ嬉しい。
個人的にはシングル曲のBメロがすげー黒いのね。オールドスタイルのR&Bや、それに影響された洋楽の美味しい部分を使ってる。で、サビがひたすらキャッチーだから繰り返し聞いちゃうのよね。今年どっちも紅白出ないかなぁ…。
はーい、フリーライドおじさんだよー。貧困フリーライドおじさんが来たよーって。今回もフリーライドしちゃうよー。気に食うとか食わないとか、はてなやさんに削除依頼だせばこんな記事はサクッと消してくれるから、通報したらいいよー。どだい原稿料ももらえないのにこんなもん書いてんだからなばーかばーかばーかイラストなんかねーよぷううううううううううううううううううううううううう。
生活コストを把握するの、大事。自分自身の「ミニマム生活コスト」を把握しておけば、なにかと便利。最低限こんだけあればなんとか生きていけるんだなー、ってラインを知っておくことはとても大事。
なんで大事か。選択肢を増やすため。自ら退路を断って自分自身を追い込んで頑張ろうとする人がいるけど、あれはやめたほうがいいよ。「選択肢を残しておく」、これ大事。選択肢がない状態だと、間違っているとわかってるのにそれを決断・実行しなければいけなくなるから、どんどん間違った方向にいっちゃうからね、常に選択肢を残しておく、これ大事。
んで、どうやって生活コストを把握するかってーと、まあ「家計簿のようなもの」だよね。でもそんな厳密にやらなくていいよ、10円単位100円単位の大雑把でいいよ。チラシの裏でいいからメモするぐらいのかんじ。
項目も4つでいいよ。「食費」、「おやつ・趣味娯楽費」、「生活雑費」、「固定費」のよっつ。それらを月末に集計して「もっと落とせる部分はないか、落とす方法はないか」を探って、いったん「ミニマム生活コスト」を把握しておく、これが大事。「ミニマム生活コストで一生涯 暮らし続けろ」ってんじゃないよ、誤読しないでね。把握ね把握。
まあ、だいたい米味噌調味料コミコミ食費が1万円、おやつ間食が5千円くらい、趣味娯楽費1万円くらい、生活雑費で5千円、保険税金水道光熱費通信費町内会費こみこみで固定費2万円、トータルで1ヶ月 5万円くらいに落ち着くんじゃないかな(住居費は地域差があるので別計算)。
そのコストで実際に生活してみて継続可能であることを実証しておく、これ大事ね。はい、ここがスタートライン。
「お金」は人類共通の価値基準。わかりやすい。でも、一方で自分の価値基準を確立しておくことが大事。
たとえば「お金を節約しようね」というと「歯医者はお金がかかるから行かない」とか判断しちゃう人がいるけど、そうじゃない。「歯」には値札がついていないけど、「歯の価値」を自分のなかでちゃんと確立しておけば、そんな結論にはなりにくいのじゃないかな。
同じように「健康」だとか「お陽さまを浴びられる時間」だとか「ネコと暮らす生活」だとか「娘の寝顔」だとか、身の回りで値札のついていないものすべてにちゃんと値段を付けておく、自分の価値基準を確立しておく、これ大事。
自分の価値基準を確立しておくことで、いざ何事かあったときに「なにを優先してまもるべきか」をすぐに判断して行動に移すことができるからね、大事。人間、腕は2本しかないから、なにを持ち出してなにを守るべきか、ちゃんと決めておく。
「お金」は人類共通の指標、それに囚われがちだけど、そうじゃなくて、利用していく。値段のついていないものに「自分なりの値札」をちゃんと貼っておく。いやらしいかもしれないけど、ちゃんとコスト換算しておく。むしろお金のもつ価値水準を利用していく。
例えばクーラー、今どきのクーラーは電気代が安くて冷房消費電力500Wとか。「電力500W」という表記は簡単に言っちゃうと「1時間で500W消費しますよ」ということ。一方で電力会社は「1kWh 20円(1000Wあたり20円請求しますよ)」と言ってるので、計算すると「クーラー1時間10円だな」と計算できる。そんで「クーラー1時間10円」なら「クーラー10時間つけても100円だな」と計算出来て、暑くて炭酸ジュース1本飲んじゃうぐらいならクーラー10時間つけておいたほうが快適だなと判断できるのね。「快適さ」にも値段をつけておく。
逆に、たとえば「貧困生活はまったく苦にならない。馬鹿に囲まれて豊かな暮らしをするぐらいなら、貧しいほうがいちおくまんばいマシ」みたいな、たまに価値基準の狂ってるひとがいて、世間から理解されない生活を大切に守り抜いているいる人がいるけど、それはもう放っておいてあげて。そのひとはそのひとで「価値基準を確立」した結果だから。
快適な状況を作りあげたら、そこから離れるかどうか、よくよく考えたほうがいいよ。
他人が競争原理を笠に着て「もうやめたほうがいい」だとか「情けない」だとか「みっともない」「かわいそう」「もっとがんばれ」だとか言ってくるかもね。でも、それはその人の競争原理から発生した価値観だよ。あなたの価値基準じゃない。他人の競争原理に自分から巻き込まれる必要はないよ。
自分の競争原理は自分でつくる、他人の競争原理に巻き込まれない、これ大事。山の麓に住んだほうがいいのか、山の頂上に住んだほうがいいのか、自分で判断しようね。他人の競争原理に従って行動するとたいがい惨めな気持ちになるからやめたほうがいいけどね。
それでも人間は社会のうちで生きていかなければいけないからどうしても他人の競争原理に従わなきゃいけないときもあるのね。でも、だからといって「尊厳」まで売り渡す必要はないからね。あなたの尊厳はあなただけのもの。じぶんでちゃんとまもってあげてね。
自分にとって何が大切なのか、それは自分で決めることだよ、他人に決めてもらうことじゃないよ。
逆にいうと、自分の競争原理にたくさんのひとを巻き込むことができるなら、その人は商売の才能があるよ。一儲けできるよやったねおめでとう!
お金に結びつく能力をもってるひとはシアワセだけど、たいがいのひとはそうじゃないんだよね。でもそれでいいと思うよ。
お金にならない能力も一種の才能だよ。本を読んでるだけでいくらでも時間を過ごせる、絵を描いているだけで幸せ、毎日10キロくらい散歩しているけど楽しい、なんでもいいよ、「お金にはならないけど、ひととちょっと違う」それも一種の才能だから「自分の資質」をちゃんと棚卸ししておくことが大事。
ちょっと贅沢をいえば、まわりのひとが少しだけ笑顔になってくれることを探すといいよ。簡単な絵を描いてあげると、ちょっと喜んでくれる。スポーツ観戦するときに少し解説をしてあげると、ちょっと喜んでくれる。そのひとにあったオススメの本を紹介してあげると、ちょっと喜んでくれる。
ひとの笑顔は一番の娯楽になるからね、まわりのひとが少しだけ笑顔になってくれることを、少しだけやるといいよ。
逆に「周りの人を泣かせるし自分も不幸になる」のは能力でも娯楽でも趣味でもなくて「病気」だからね、いますぐ病院を探そうね。
やっぱり「体質をつくる」ってことなんだと思う。無理は続かないよ、どっかで破綻しちゃうから。
自分にあった体質をつくって自分にあった生活をする。少しでも選択肢を残しておくことで間違った決断をなるべく避ける。ひとを少しだけ笑顔にする努力をする。迷ったら一歩前にでる。
「自分」を知っておけば意外となんとかなるよ。
じゃあな!
仕事でとある高級ホテルのラウンジで打ち合わせをした。アイスコーヒーが1杯1200円もするようなところなのだが、従業員がみな格調高い。
悪く言えば単なるウェイトレスだと思うんだけど、自信満々で客に注文をとり、料理を運んでいる。無駄口を叩いたりしないし、気品が漂っているのだ。
しかし、だからなんだ。いくら高級ホテルとはいえ、給仕係にすぎないじゃないか。怖気づく必要はない。
特に気にすることもなく、1200円のアイスコーヒーを飲みながら打ち合わせを進行していった。
打ち合わせの終盤、お客さんがメールを送信したいと言うのでトイレに行くことにした。
ラウンジからトイレまで100mぐらいの距離だろうか。ロビーにホテルスタッフが数名いて辺りを見回していたのだが、
すると、女性は頭を下げて会釈してきたのである。社交辞令の作り笑顔をするわけでもなく、実に自然とした会釈を返してきたのである。
自分はホテルの宿泊客でもないし、たまたまトイレに立った、いわば通りすがりの人間である。
そんな人間と一瞬だけ顔を合わしたとはいえ、頭を下げて会釈できるものだろうか。
「さすが高級ホテルだ!従業員の教育が行き届いている!」と一瞬思ったが、他の従業員はそうでもなかった。
あの会釈は教育とか指導の賜物ではなく、本人の資質から来る無意識な行動なんだと思う。
ただ、関心はしたものの自分の現状と比べて少し悲しくもなった。あまりにも住む世界が違いすぎると認識したからだ。
自分の行動範囲では誰ひとりとして客に自然な会釈が出来る人間は存在しない。
近所のスーパーにも某バーガーショップにも300円のアイスコーヒーが飲める店にもあんな会釈が出来る人間はいないのである。
高級ホテルで働く人にもそれなりの苦労や辛さはあるんだろうけど、やっぱりあそこで働けるぐらいの人間にならなきゃ駄目だと思う。
毎日充実した生活が送れるようになるだろうし、収入面でも老後に2000万貯める必要もないだろう。
付き合う人も違ってくるから自分の成長にもつながるし、人生を豊かに過ごすことが出来るだろう。
アニメ映画「おおかみこどもの雨と雪」を見て感動したので、その感想を書いてみます。(ネタバレありなので注意)
2012年に「魔法少女まどか☆マギカ」にハマってからアニメをよく見るようになりましたが、最近はほとんど見なくなってしまいました。他のことで忙しいというのも理由ですが、アニメの場合心情描写が少なく、表面的になってしまって面白いと感じることが少ないためです。
もちろん、まどマギやエヴァは例外ですが、それ以外ではやはり面白味を感じる作品は少なかったです。たまにドラマや映画を見るとその心情描写の深さに自分が人間ということを思い出させてくれるような気分でした。
そんな中での「おおかみこどもの雨と雪」でしたので、心情描写にドキドキさせられっぱなしでした。小学生の気持ち、特に高学年の淡い恋心にとても共感できました。
主人公(花)は二ホンオオカミの末裔のおおかみおとこ(名前は不明)と恋に落ちます。
姉(雪)と弟(雨)の2人の子宝に恵まれますが、雨が生まれた直後に夫は死にます。冒頭の見せ場であるはずの夫の死がほんとあっけない。。。花はおおかみの姿で川で死にゴミ収集車で処分されるところを発見します。
夫の死の理由は全く不明ですが、雪の予想では「赤ん坊のために狩をする本能がはたらいたのかもしれませんし、産後すぐの母に需要のあるものを食べさせたかったのかもしれない」とのこと。つまりは、おおかみの死に人間に非はないということ。捕まって殺されたわけでもなく、車とぶつかって事故死したわけでもなく、おそらく鳥を取ろうとして誤って川に転落して死んだということです。おおかみの死が人間と無関係に生じていることが、野生で生きるということの厳しさを物語っていると思われます。
また、その死んだおおかみを人間はあっさりとゴミとしてゴミ収集車で処分するという無機質さ。人間が動物を特別視していないということ、人間のみが尊いと考えられているというが分かります。愛する夫が目の前で死んでおり、ごみとして処分されても何もできない無残さが自然の世界を表しています。
その後は女手一つで2人の子供を育てることになりますが、2人ともおおかみの資質を持っていておおかみに変身できるため、その育て方に花は奮闘します。花の設定が、東京のはずれにある国立大学の社会学部社会学科の学生だったというのは、異文化を理解し、本などから知識を得る向学心があるということを端的に表しているためでしょう。普通の人なら異文化(おおかみおとこ)を受け入れるのは難しく、さらにはおおかみこどもを育てようとはならないでしょうから。
花は最終的に田舎に移住し、自然の多い中、子供たちに人間として生きるのがいいのか、おおかみとして生きるのがいいか、その道を考えさせるようになります。
田舎での自給自足の生活は不便で大変ですが、花は本で農業や動物について勉強したり、周りのお年寄りに支えられることを学びながら2人を育て上げます。
その後2人とも成長し小学生になりますが、雪は自分がおおかみであることを隠すようになり、人間としての生活を選ぶようになります。一方、雨は小学校に行っても馴染めず、「先生」と呼ぶアカギツネに師事し、おおかみとしての生活を選びたいと思うようになります。
まあ、花がバイトで自然観察指導員として雨を仕事場に連れていかなければ、他の動物と会うこともなく、雨が山でおおかみとして生きることを選ぶことはなかったかもしれないですが、それもまた人生ですよね。
最終的には、雪はクラスメートで恋心を抱く同級生の藤井草平に自分がおおかみであることを明かしますが、人間としての生活を選び全寮制の中学に進学します。一方で、雨は10歳のときに先生の死後役割を引き継ぐために山に入り、おおかみとしての生活を選ぶようになります。人間での10歳はまだまだ子供ですが、おおかみとしての10歳はかなりの大人なのでそのような選択ができたのでしょう。
以上の通り、2人は全く正反対の生活を選びますが、これは花が子供に好きな道を選んでほしいと考えたためです。花は決してどちらの方がいいと強制したわけではありません。雨に「山に行ってはいけない」と止めていたのは台風の中山に行くことは危険というためでおおかみの生活を選んではいけないということではなかったわけです。
誰かに何かを教えるときは自分の理想の姿になってほしいと考えてしまっていましたが、どのような姿になるかは人ぞれぞれであり、その人の気持ちや適性から自分で判断するのがよいと考えるようになりました。
2人の名前の雨と雪はそれぞれ生まれた日が雨の日・雪の日だったためですが、同じ水でも全く違う方向になるということのメタファーなのでしょう。このタイトルの深さが分かったときは本当に考えさせられましたよ。
ということで、いろいろと感じることが多い作品でした。みなさんも見てみていろいろ感想を感じてください。細田作品で特におすすめの作品となりました!!
プロジェクトから外されて、忙しい案件の担当に回された。立ち上げ当初から任されていただけにプロジェクトから外されたのはショックだった。
俺の行っていたプロジェクトを同じ部署のAが、Aがもともと行っていた案件はまた別の人Bが引き継ぐこととなった。
なぜこんな玉突き人事になったのか、もしかして自分の業務の進め方がダメだったのかと心配になり上司に異動(厳密には異動じゃないけど)理由を聞いた。
そしたら、忙しい案件の管理職が女性より男性がいいと言ったらしい。Aは女性だ。
これを聞いて最初ほっとした。俺の仕事の進め方には別に問題なかったと言ってもらえたし。受け持ってる案件のステップ的にAと俺以外の人の異動は難しいのは理解できたし。
けど数日たって仕事への意欲がなくなってしまった。どんなに上手く業務に取り組んでも性別を理由に業務が変更される。どうしようもないじゃねーかと。
しかも俺の今の管理職は女性が嫌だと言った張本人だ。人類の50%の指導を拒む人に管理職の資質があるとは俺は思えない。信頼できない。
いままで不満もない会社だっただけに、心がざわついている。会社への不信感というかなんというか。。
これって会社からAへの性差別には該当するけど、俺への性差別ではないよね?
あとこれはセクハラに入るの?
知人と話していて、引っかかった話である。
自分は頭がいいという雑な話が大嫌いだし、知人に関してもうんざりしたのだが、この「頭がいい」という話についてずっと考えている。
世間一般でいう、頭がいい人間というのは「勉強ができる」もしくは「大卒以上」だと思うのだが(たまに会話や説明が上手いも入る)
個人的には、勉強ができるとアイディアが富んでいると会話ができることと勉強が好きなことは別であり、政治家に求める資質は会話ができることと勉強が好きなことだ。
政治家というのは、勉強し続けなければならない職業の一つである。想像力が必要だからだ。
勉強ができるという資質については、努力次第でどうにかなると思うのだ。暗記力と記憶力の問題だから。だけど、勉強が好き、会話ができるというのは、努力でどうにかなる問題じゃない。会話能力は発達の問題でもあると思うし、感受性の問題でもある。
ある程度は努力の問題でもあるので(コミュ障という言葉も同様に雑なので嫌いだ)傾聴力、他人の言葉から求めているものを推察するであるとか、他人を説得するという粘り強さなんかは、努力では身につかないように思う。
何より、勉強が好き、勉強し続けることができるというのは稀有な能力だ。新鮮なこと、新しいことに出会い続けることを自ら望む人間はそう相違ないと思っている。勉強し続けるというのは、想像力を養い続けるというのと同義である。知らないことを人間は想像できない。知ってることをつなぎ合わせて、人間は想像するのだ。
法的な落とし込みについては、誰かがやってくれる。それを調べていくのが問題提起するのが政治家の役割ではないか。
だいたい、この国は、頭がいい人が必ずしも大学まで行けるとは限らない国なのだ。なおかつ、日本の教育で討論力は養えない。
自分の血筋と自分の資質は関係ない、ただ血筋や親の宗教を理由に選別をする社会がそう仕向けているだけだ、そもそも「在日」でなくても、ほぼ全ての日本人は遠縁に朝鮮人の先祖を持っている
正確にはクオーター
祖母は母方
前、祖母が酒に酔った時に「おじいちゃんは韓国人」に話していたことがある
その時は子供だったから「何言ってんだこの人」と思ってスルーしていた
今回、入院の荷物を整理するにあたり、母親はひたすらに祖母の荷物をを見ようとする私を拒んでいた
祖母と母は不仲な為仕方ないのかと思ってたけど、たまたま荷物を見てしまったら納得した
家系図が出てきたのだ
他にも韓国人の写真やら北の国の将軍様が描かれたお札も出てきた
しつこく聞こうとしたけど聞ける雰囲気じゃないし、母親が来た為聞くのを辞めた
本当に韓国人なの?
私はずっと日本人だと思ってたし、そうだと思ってた
でも、家系図があるって事は本当だよね
母は、「祖父のせいで子供の頃に酷い目にあった」と祖父を死ぬまで毛嫌いしてた
この事を死ぬまで墓場に持っていくか、証拠を突きつけて母親に聞き出すかどうしようかと葛藤している
持ち出したことはバレてないはずだ
戸籍で分かるのかな
ずっとモヤモヤして眠れなさそう
こんな時期に在日三世だなんて知りたくなかった
何故母親は頑なに隠すのだろう
因みに母親は私が知ってる事は知らない
親に裏切られたような気持ちだ
職場にバレないようにしよう
酒の席で口走らないようにしないと
人事の意見としては、「嫌韓の人も多いから、雇わない方が争い事かなくて楽」と、本人の資質関係なく雇わない方針らしい
書類選考で分かった時点で跳ね除けてるんだと
後は、朝鮮学校出てるとか……
そういう人も不採用らしい
勿論渡来人云々の話はあるだろうけど、明治以降にその血が混ざってることが嫌
後は1番嫌なことは親に隠されてたことかな
この事は昔から知ってた事だけど
その事も今回の嫌な件に拍車かけてるんだけどね
ちなみに職場では半島の酷さについて先輩たちと話すことが多いよ!