知人と話していて、引っかかった話である。
自分は頭がいいという雑な話が大嫌いだし、知人に関してもうんざりしたのだが、この「頭がいい」という話についてずっと考えている。
世間一般でいう、頭がいい人間というのは「勉強ができる」もしくは「大卒以上」だと思うのだが(たまに会話や説明が上手いも入る)
個人的には、勉強ができるとアイディアが富んでいると会話ができることと勉強が好きなことは別であり、政治家に求める資質は会話ができることと勉強が好きなことだ。
政治家というのは、勉強し続けなければならない職業の一つである。想像力が必要だからだ。
勉強ができるという資質については、努力次第でどうにかなると思うのだ。暗記力と記憶力の問題だから。だけど、勉強が好き、会話ができるというのは、努力でどうにかなる問題じゃない。会話能力は発達の問題でもあると思うし、感受性の問題でもある。
ある程度は努力の問題でもあるので(コミュ障という言葉も同様に雑なので嫌いだ)傾聴力、他人の言葉から求めているものを推察するであるとか、他人を説得するという粘り強さなんかは、努力では身につかないように思う。
何より、勉強が好き、勉強し続けることができるというのは稀有な能力だ。新鮮なこと、新しいことに出会い続けることを自ら望む人間はそう相違ないと思っている。勉強し続けるというのは、想像力を養い続けるというのと同義である。知らないことを人間は想像できない。知ってることをつなぎ合わせて、人間は想像するのだ。
法的な落とし込みについては、誰かがやってくれる。それを調べていくのが問題提起するのが政治家の役割ではないか。
だいたい、この国は、頭がいい人が必ずしも大学まで行けるとは限らない国なのだ。なおかつ、日本の教育で討論力は養えない。
でもキモくて金のないおっさんは人間に含まれないから政治家は話を聞かなくてもいいし好きにならなくてもいいんですよねわかります