はてなキーワード: 自由意思とは
真面目に考えたら男のほうを厳選すべきになるだけだよ。同じ男の手によってね。
だって、なんで「女の自由をどこまで認めるべきか」になるかっていったら、男のほうが攻撃性が高いから。
なぜ男のほうが攻撃性が高いのか?
妊娠するのは女。
だから、男と女ではこども一人を得るのに必要な生殖コストがけた外れに違う。
男はお互い争って女を確保する。
争うのには攻撃性が高いほうが有利。
だから男は攻撃性が高いように進化する。(女はある程度以上攻撃性が高いと生殖にデメリットのほうが大きくなるから頭打ち。)
男はその攻撃性の高さで、男と女の理屈が衝突する場面ではいつでも女をねじふせる形で男の最大の得になるよう行動してきた。
さて。
女を攻撃するのは、同じように攻撃に適応した男よりも弱い相手だからだ。
そうして女を攻撃することで女の行動を制限する。女の自由意思を奪うことに男はメリットがある。
これはほかの生き物にも見られる行動だ。
女の人権を剥奪し、意思を蹂躙して自分のための「生殖人類」とするとき、ではほかの男を野放しにしておいて良いものか?
それは単なるリスクだ。
同じように女の人権を認めず、自分の生殖のための道具として使えるライバルが自由を闊歩できる。
そんなことは許されない。
男は常に「我々とやつら」に人間を分け、崇高な我々の正当な使命のもと、やつらを罰することができると考える性質を持っている。
本当に国も人種も違う男同士が一致団結してルンルン♪と女を共有しうる…そう思うのなら、あなたは男というものを根本から誤解したお花畑に生きている。
自分の気持ちがいつもくちゃくちゃになっている感覚。気持ちが同時に100こあって、悲しいのと苦しいのと腹立たしいのと…という感じ。自分のことが嫌いで嫌いで、にっちもさっちもいかなくなる。歩くことがままならない。人間、悲しいと歩けなくなる。しゃがんで、波が引くのをじっと待つ。たいてい10分くらい泣けば少し落ち着く。音楽を聴いても、漫画を読んでも、ラジオを聴いても、その作り手を想像し、働いていない自分と彼らとを対比して劣等感に苛まれる。苦しかった。自分の苦しさなんか人からみたらしょーもなくて、実家も太いし理解もあるし病院も通えてる自分のことが嫌いだった。その意味で、不幸であればあるほどよかった。処方された安定剤に効果は感じられなかった。でも安い薬じゃないし、飲み飛ばすのがこわいから頑張って飲んだ。
そうこうしているうちに恋人と別れた。いやな別れ方だったけど、恋愛から遠ざかったおかげで、多少の安定が生じた。カウンセリングも受け始めた。カウンセラーと話すのは苦しいし、泣いてうまく話せないし、お金かかってるのにもったいないなぁってまた苦しくなる。でも、これ以上悪くなったら嫌だなあと思って必死に通った。まだ通っている。
通院より失恋よりカウンセリングより効いたのは、自殺未遂だった。1週間計画を練って、死ぬことだけを考え続けた。1週間と聞くと短く感じるかもしれないけど、自分にとっては果てしなく長かった。死を怖がるつもりはなかったけど、自ら死に飛び込んでいくのは怖かった。自殺は暗くて寂しくて怖かった。永遠の孤独が無限遠に向かって伸びていくようすだった。まあ失敗したんだけど。
根本に「治ってたまるか」という気持ちがあったと思う。自分はとことん不幸であるべきだし、それが美しいんだという気持ちが無意識にあって、そこの欲求が満たされたのではないか。
(境界性人格障害は、人生のある時期における気持ちが不安定な状態のことを指すもので、一生涯続くものではない)
自由意思なんかないなと思う。無意識化に起こった脳の判断にインタープリターが理由を用意する、という営みに、意思とか人格とか見出しちゃうのが人間のかわいくて嫌なところだ。
自由意志を否定する文章を読むと、人間はモラルに反した行動をしやすくなるそうだ。https://www.ncbi.nlm.nih.gov/m/pubmed/18181791/
お互いの自由意志を否定しあったら、もっと優しくなれないかなぁと思ったけど、そううまくもいかないんだろうか。好きで甘ったれてるわけじゃないんだよね、とかって好意的な解釈ができないだろうか。
読んでくれてありがとう。つまんなかった?じゃあね
公取委が個人情報保護委員会とは別にオンラインサービス規制を提案して、「サービスの対価として自らに関連するデータを提供する消費者」とか言い出してるけど、EUでも似たようなことが起きてたらしい。
欧州委員会がオンラインサービス規制のための新しい指令を起草して、そこで「消費者がサービスの対価を個人データで支払う……」とか書いてしまった。これに対し、欧州データ保護監督機関が「何すんじゃワレェ!」したのが以下の見解である。
https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/17-03-14_opinion_digital_content_en.pdf
EDPSはデータ駆動経済について、EUの成長のために重要であること、デジタル単一市場戦略として唱道されるデジタル環境において抜きんでていることを認めております。消費者法とデータ保護法とが共同し相補しあう関係にあることは私たちが一貫して論じてきたところであります。ですから、「デジタル商品」の提供を受ける条件としてデータを差し出すことを要求される消費者の保護を強化するために、デジタルコンテンツの供給にかかる契約に関する特有の側面にかかる2015年12月の委員会指令プロポーザルの意図しているところを、私たちは支持しております。
しかしながら、この指令のある側面は問題をはらむものです。というのも、これが適用可能なのは、デジタルコンテンツのために価額が支払われる場合だけではなく、デジタルコンテンツが金銭以外の個人データその他何らかのデータの形での反対給付と引き換えに供給される場合にも適用可能だからです。EDPSは、人々が金銭を支払うのと同じように自分達のデータを支払えるという考え方を導入するような規定を新たに定めることのないよう警告いたします。個人データの保護を受ける権利のような基本権は、単なる消費者利益に縮められるものではありませんし、単なるお値打ち品のように個人データを捉えることはできません。
最近採択されたデータ保護フレームワーク(以下「GDPR」といいます)は、未だ完全には適用可能でなく、新しい e-Privacy 制度は今も審議中でございます。ですから、EUとしては、立法者が協議されている入念なバランスをひっくり返すようなプロポーザルは、何であれ避けるべきものです。イニシアティブの重複は、デジタル単一市場の統一性を意図せずとも損ない、規制の断片化と法的不確実性をもたらすことになりかねません。デジタル経済における個人データの使用を規制する措置として、EUがGDPRを適用することをEDPSは推奨いたします。
「反対給付としてのデータ」という概念……このプロポーザルでは未定義のままです……は、所与のトランザクションにおけるデータの正しい機能について混乱を引き起こす恐れがございます。この点で供給者から明瞭な情報がないため、さらに難しいことになるでしょう。それゆえ私たちは、この問題を解決する一助として、EU競争法におけるサービスの定義を一考することをお勧めしますが、その地域範囲を定義するうえでGDPRの用いている規定が役立つかもしれません。
本見解では、このプロポーザルがGDPRとどのように影響し合うことになりうるかを検証いたします。
第一に、データ保護制度に基づく「個人データ」の定義が広範であるため、その効果により、この提案指令の対象となるデータが全て GDPRに基づく「個人データ」とみなされることは十分にありえます。
第二に、(個人データの)取扱いが発生する厳密な条件はGDPRで指定済みであり、この提案指令に基づく修正や追加を必要としておりません。このプロポーザルは反対給付としてデータを用いることを正当とみなしているようですが、GDPRでは、例えば、(本人の)同意の有効性を検査し、デジタル取引の文脈において(同意が)自由意思に基づくとみなしうるか決定するための、新たな条件を一式用意してございます。
最後に、消費者に与えるものとして提案されている契約終了時に供給者からデータを取得する権利と供給者がデータ使用を控える義務は、GDPRに基づくアクセス及びポータビリティ権やデータコントローラのデータ使用を控える義務とオーバーラップしている可能性があります。このことで、適用する制度について意図しない混乱をもたらすことになりえます。
https://edps.europa.eu/sites/edp/files/publication/18-10-05_opinion_consumer_law_en.pdf
本見解は、EU消費者保護規則のより良い執行と近代化に関する指令のプロポーザルと、消費者の集団的利益の保護のための代表訴訟に関する指令のプロポーザルからなる「消費者のための新しい取引」と題する立法パッケージに関するEDPSの立ち位置を概説しています。
EDPSは、目標において最近近代化されたデータ保護フレームワークと密接した領域で、既存の規則を近代化しようという同委員会の意図を歓迎します。EDPSは、個人データの大規模な収集と収益化、およびターゲットコンテンツを介した人々の注意の操作に依存するデジタルサービスの主要なビジネスモデルが提す課題に対応するために、現在の消費者法におけるギャップを埋める必要性を認識しています。 これは、消費者法を改善して、個人とデジタル市場の強力な企業との間で拡大している不均衡と不公平を是正する、またとない機会です。
特にEDPSは、指令2011/83 / EUの範囲を拡大して、金銭的な価格にて提供されないサービスを受ける消費者が、同指令が提供する保護フレームワークの恩恵を受けることができるようにする意図を支持いたしますが、それはこのようなサービスが今日の経済的な現実とニーズを反映しているからです。
このプロポーザルでは、EDPS Opinion 4/2017の推奨事項を考慮して、「反対給付」という用語の使用や、消費者によるデジタルコンテンツのサプライヤーへのデータ提供が「積極的」か「受動的」か区別することを控えています。ただしEDPSは、プロポーザルで想定されている新しい定義により、消費者がお金で支払うのではなく、個人データで「支払う」ことができるデジタルコンテンツまたはデジタルサービスの提供に関する契約の概念が導入されることに懸念を示しています。この新しいアプローチは、「反対給付」という用語を使用したり、個人データの提供と価格の支払いを類推したりすることで生ずる問題を解決していません。特に、このアプローチは、個人データを単なる経済的資産とみなしているために、データ保護の基本権としての性格を十分に考慮していないものとなっています。
GDPRでは既に、デジタル環境にて個人データの処理が行われ得る状況に関するバランスを既に定めています。 このプロポーザルで、GDPRで定める個人データを完全に保護するとのEUのコミットメントと矛盾するやり方で解釈される可能性のあるアプローチを促すようなことは避けるべきです。データ保護法の原則を損なう危険を冒すことなく幅広い消費者保護を提供するために、電子商取引指令における「サービス」の広範な定義や、GDPRの地域範囲を定義する規定、もしくデジタルコンテンツ・プロポーザルに関する理事会一般アプローチの第3条(1)などに基づくアプローチで代替することが考えられます。
したがいまして、EDPSは、「有形媒体では提供されないデジタルコンテンツの供給に関する契約」や「デジタルサービス契約」の定義にて個人データを参照することを何であれ控えていただくことを推奨し、その代わりとして、次のような契約の考え方に依拠することを提案します。 それは、「消費者への支払いが必要かどうかに関係なく」特定のデジタルコンテンツまたはデジタルサービスを売り手が消費者に提供または提供することを約束するというものです。
きちんと追えていないが、「EU消費者保護規則のより良い執行と近代化に関する指令」は、昨月末に採択されたようで、前文に「digital services provided in exchange for personal data」という表現が残ったものの、個人データについては「GDPRに従う」とのことで落ち着いた様である。
幸福の科学大設置、認可を諮問 文科相、21年度開学予定 | 共同通信
https://this.kiji.is/567307017950413921
わたしは無宗教なんたけど、幸福の科学を深く信仰している一家と数年前まで家族ぐるみの付き合いがあった。
そこの息子さんがとにかくよくできた子で、成績が並外れて優秀なうえに謙虚で気さくな人柄が印象的で、きっとこの子はどこに行っても周りに自然と人が集まるような素敵な大人に育ってゆくんだろうなと感じていた。
息子さんは地元の中学を卒業後、遠方にあるという教団系列の高校に進学した。一家みんなでそちらへ引っ越していったことで、そのおうちとの交流はそこで途絶えた。
うちの母は「あんなに優秀なお子さんなのに進学先まで親の宗教に付き合わせるなど、将来の可能性を潰しているとしか思えない」としきりに残念がっていたが、確かにその通りだと思う一方、同時にわたしは少し違った感想も抱いた。
あれだけ非凡な能力を持った子なら、教団の内部社会で生き続けていればいずれ上層部から見出だされてそれなりのポストをあてがわれるのではないかと思う。そのための英才教育、人脈構築のための進学と考えると、もしかしたらこれはこれで賢い選択なのではないか。
ひとつの組織の中で将来が約束されるのであれば、それもひとつの選択なのかもしれない、いやむしろ、大学を卒業しても何がしたいのかわからなくてフラフラしてばかりの自分の人生などよりそういった人生のほうがよほど価値があるとも言えるのではないか。
といったような考えが一瞬のうちに脳裏をよぎった。
ただ根本的な問題として「本当に本人の自由意思で進学先を決めたのか、親が誘導して話をそう持っていったのか」はわたしにはわからない。
わからないのだけど、彼のような子がきっとたくさん進学することになるのであろう「幸福の科学大学」に、そんなわけでわたしは世間一般の論調と同じようには批判的なまなざしを向けられないのである。
減数手術は何も「簡単に数を減らせる」手術じゃないぞ。法的にも問題が指摘されてるし、手術である以上、もう一方の胎児も危険にさらす場合もあれば、母体自体にも危険がある。そんなリスクを相手に冒させるだけの理が君にあるか?
ぶっちゃけ「子ども作る」ことに同意した時点でこれは起こり得る範疇のことであり、たとえ「1人なら」と約束していたとしても、本人の自由意思によって双子にするわけではない以上、そこに約束に反する意思があったとは認めがたいね。通常考えて理は母親の方にあるよ。それを押して当該手術を強制した場合、そこで発生したあらゆる問題については、全面的に君に責任がある。何かあったら君のささやかな一生をかけて嫁に償っても償いきれるかどうか分からん。
結婚するというのはそもそもそういうことであって、端から見れば、考えも覚悟も無しに結婚した人間が、自分だけの理屈で無茶を言ってるという印象しかない。「約束が違う」という文句を嫁に言ってどーすんだ。馬鹿か?神様に言えよ。
「大学を諦めて長い人生を屈辱」…とか言ってるが、嫁にずっと〈人殺し〉と思われて生きるそれより長い長い人生のことをお前はどう考えてるんだ? 年取って子どもが巣立って、仕事もやめて二人になったとき嫁に「…そういえば昔一人あなたに殺されましたね…」って言われるのと「苦労したけど、二人とも元気に暮らせてよかった。あなた本当にありがとう(ニコニコ)」って言われるのと、どっちがいいんだ。
もし、そこまで聞いても考えが変わらないつーなら、離婚して(当然、百パーセントお前が有責だからな?)養育費払い続ける人生の方が百倍マシだ。嫁さんは「お父さんはお星様になったけどあなたたちを見てるのよ」って言いながら双子を育ててやるといい。ぜひそうしてやってくれ。
オタクの人は必死に「エロマンガ・アニメ・ゲームは実写と違って誰も被害に遭っていない」などと主張しますが、むしろ逆です。今からその説明をしましょう。
※なお、性的消費定義しろおじさんがうるさいですが、以下の文章における『性的消費』の意味は、「性の商品化における、消費者側に注目した言葉」の意味で使っています。
男がAVを見て性欲を解消するとき、性的に消費されているのは誰かを考えるならば明らかに第一にはそのAVに出演している女優だ。そこに疑いの余地はない。
もちろん、「好きな女の子がこの女優に似ているから」という理由でAVを選び、AV女優を見ながらその好きな女の子を思い浮かべて性欲を解消した場合など例外はあり得るが、
全体から見てそのような理由で選ばれ・使用される割合は1%未満であろう。
そして、少なくともAV女優ならば『性的に消費されるのが仕事』であり、本人の意思で出演しているのならばそこに非難すべき構造はない。
(私は一部のフェミニストが言うようにAV女優が全て親・夫・彼氏などに強要されて出演しているなどとは思わない。強要されている人もいるのだろうが、本人の自由意思に基づき出演している人もいるだろう)
アイドルの写真集でも、同様のことがいえる。男がAKBの柏木由紀の写真を見て性欲を解消したとき、性的に消費されているのは柏木由紀である。(なお、人選に他意はない)
そしてAV女優ほどではないにしろ芸能人は多かれ少なかれ「性的に消費される」ことも仕事の一部だ。
「柏木由紀の写真集が販売され、それを男が性欲を解消する道具に使っているという事実は、全ての女性に対する尊厳の侵害である」とラディカルなフェミニストが訴えたところで、
当人たちだけでなく世間一般からも「お前はゆきりんではない」と笑われるだけであり、実際それは世間が狂っているのではなくラディカルなフェミニストの文句がおかしいだけである。
なお、『性的に消費されるのは仕事』と言えるのは芸能人のみであり、芸能関係以外の女性有名人(実業家・スポーツ選手など)や一般の女性ならばそこには立派な、本人の意思を無視した性的消費の構造が成立する。
それに対し、男がマンガ・アニメ・ゲームの美少女キャラクターを見て性欲を解消するとき、第一に性的に消費されているのはその美少女キャラクター……ではない。なぜならば、そのキャラクターは実在しないからだ。
では何が性的に消費されている第一の存在であるかというと、一番目に来るのは他でもない「女」という存在そのものである。
従って、フェミニストが「エロマンガは女性の人格を無視して性的な存在としてだけ消費しており、従って全ての女性に対する尊厳の侵害である」と訴えるのは正当性を持つ。
「お前は○○タン(そのエロマンガに描かれた美少女)じゃない」と返したところで「その○○タンは実在しないでしょ。では何をモチーフにして描いたんですか?」「敢えて言うなら女という一般的な存在ですね」「じゃあその女という一般的な存在の中に、女である私も含まれているじゃないですか」となる。
何が違うかと言えば簡単な話だ。特定の一人を性的に消費するか、全ての女性を性的に消費するかの違いだ。だから、全ての女性を性的に消費する存在であるエロマンガ・アニメ・ゲームは、特定の女性だけを性的に消費する存在である実写エロよりも罪が重い。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1372797
「渡辺直美自体は別に気持ち悪くない」「この表現自体に全く問題はない」というのは前提として言わせてもらうと、↑みたいに絶賛してる人の態度が本当に気持ち悪い
具体的に言うと、普段広告とかいろんなものにケチつけまくりのクソフェミメンバーの皆さん、お前らツッコミどころが多すぎるわ
「自発的」だの「前向き」だの「自信があるのがいい」だの言ってるけどさ、それをその辺の、ギョーカイによくいるタイプの人が同じようにやって、なんなら「私が主体的にやってます」アピールしたところで、君らぜってー認めやしないでしょ?
自分が気持ち悪いと思ったら「上から命令されたら断れないに違いない」とか邪推してでも、どうにかそいつの自由意思ごと全否定してやろうと企んじゃうわけじゃん?
気に食わなければいくらでも妄想をたくましくするところを、たまたま自分のお気に入りだったから思考停止してるだけ
hanyan0401
渡辺直美氏が一般男性から「性的対象とみなされない」「魅力的とされない」と認識しているからこそ、「男目線」を嫌悪するような向きが絶賛し、「カッコいい女性」のアイコンとして「消費」しているんでしょうね。
でしょう? 普段のこの人の政治思想はともかく、この件に関しては一番腑に落ちるコメだわ
結局「こいつは男に消費されないだろう」、もっと言うなら「デブが持ち上げられて男さんくやしいのうくやしいのうwww」みたいなミサンドリーとミソジニーを混ぜ混ぜした差別意識があるからこそ、ああやって無責任にマンセーしちゃうわけ
だいたい「男目線の排除」ってなんなん? デブ専の男なんかいくらでもいるでしょ?
仮にこういう広告がどんどんどんどん増えて、ああいう体型が男の嗜好のある程度多数派になっちゃったら、手の平返して文句言い始めるのが君らなんだよ
いやあまさか、これをクソフェミの皆さんが宣うとは思わなかった
一円も金落としてない観光地とか、自分で買う気もないようなブツとか、客であるかどうかなんて全くお構いなくケチつけまくってきた連中がさあ
んなこと言ったらてめえが大嫌いな萌え系のあれこれだって、ターゲットのキモオタに刺さりさえすればいい、他の奴は関係ないから一切口挟むな、ってことになっちゃうじゃねえか
「広告にターゲット以外の人間がケチつけるのはやめよう」となると、例えば先日炎上した阪急のアレも「沿線以外の奴らがガタガタ言うな、なんなら乗客でもお前のことじゃないから無視だ無視!」ってことになるんだが、本当にわかってモノ言ってる?
対象が自分のお気に入りの時だけ、普段の言動と全然一貫してないこと言って持ち上げちゃうの、冗談抜きで恥ずかしいとか思わないんだろうか
いやもう毎度言ってるんだけどさ
好き嫌いだけでいろんなものを持ち上げたり炎上させたりするのは、まあ百歩譲ってそいつの自由と責任でやればいいよ
でもさ、単なる個人的な感情論をいちいちもっともらしく正当化するためだけに、その場限りのダブスタをコネコネするの、マジでやめない?
カッコ悪すぎだから