はてなキーワード: 格下げとは
自分と宗教は無関係と思ってる時点でカルトは自分の問題にはならない
そうなると人は動かない
自分が全く携わらないプロジェクトを覗き見してチケット作るようなお節介焼きそんないないのと同じ
まぁこれがLGBTとかの問題とも一緒なんだけど、別に反対票を入れたいわけじゃないけど、優先順位的に結局自分に降りかかる問題を優先してしまうのが人の性なんだよね
そして自分のことを無宗教だと思っている国民は60%くらいいるらしい
となるとその時点で過半数だし、仏教徒や神道だと答えた人の信心(というか宗教への関心)もなかなか疑わしいものがある
LGBTを認めるべきか?と聞かれたら認めるべきと答えるし、カルトは規制すべきか?と聞かれたら規制すべきと答えるけど、あくまでもオマケであり優先度低、ストーリーポイント1点くらいストーリーになる(対して経済問題はストーリーポイント8点くらい?)
だから、今絶好のチャンスと言わんばかりにカルト撲滅でアピールしようとしている野党もそこまで強い軸にはならないと思う、LGBTと同じくらいに収まると思う
ではどうしたらカルト問題に関するユーザーストーリーのストーリーポイントが上がるか?
日本人、基本的に宗教と自分は無関係だと思ってるし、それはほぼ未来永劫変わらないんじゃないかな
個人的には統一教会への優遇策の中に税金が教団に流れた証拠があったら優先度を上げる糸口が見つかると思う
結局政治とカネ問題でないと国民の関心を引けないんじゃないかなぁ
センセーショナルな事件だったから今は盛り上がってるけど、そこでカネ関係の問題引っ張り出せなかったら徐々に下火になってLGBTとかと同じレベルの問題に格下げされると思う
もしかしたら国葬問題(金がかかるので国民の関心はこっちの方がデカい)でカルト問題を事実上消滅させようとしてるのかも
叩かれるのを覚悟で主語を大きく 身も蓋もない差別的な話をするけれども
女は言うほど男の顔を見ていない
男を顔で選ぶ人は「面食い」と呼ばれるくらいには珍しいと思う。体感的にはクラスに1人。典型的イメージはホストに貢ぐ人。
男の世知辛さってパラメータを見られることじゃないの。典型的には年収ね。
うろおぼえだけれども結婚相談所のブログの人が「女は自己紹介シートを隅から隅まで読んでくるけど男は顔しか見ていない」みたいなことを書いていたように思う。
これは言い換えると男は外見を見て女はパラメータを見てるんだよな
夫は私より20センチほど背が低いし、シュタゲのダルよりぽっちゃり系ですし、年収では選んでございません。
「推しの好きなところは?」という質問に「性能」と答えている人がいて笑うと同時にそうだよなぁ・・・と
お前は推しが SSR から R 相当に格下げされても愛せるか?
推しがナーフされても私は推し続けるけれども・・・確実にブチ切れるだろうなぁ
強さって魅力の一つなんだよな・・・
多分現実世界ではスキルやパラメータが職業や年収に置き換わるのでしょうね
顔でジャッジされるのもきついけど パラメータでジャッジされるのもきついだろうな
ゲームのデータやグッズなどに異様に金を使っている人を見ると心底理解できないなという気持ちになる。
自分の収入から趣味に割けるくらいの金額を明らかに超過してるよな…という人の状況を見るとゾッとする。
というかただのデータでサービスが終わったら意味のなくなるものや、飽きが来るのも早いし飽きたらただのガラクタになるようなもの(しかも嵩張るし廃棄するのも面倒)に対して自分の生活を壊してまでお金を使う感覚が理解できない。
自分も長らくオタクだし何かにハマる楽しさは重々理解しているがデータ課金やグッズ購入に関しては半年後にはゴミだな…とものすごく冷静になってしまいお金を使う気に全くならない。
そして大体そういう身の程を知らないお金の使い方をする人は身なりがとにかくヤバい。そりゃ自分の持っているお金のほとんどを推しに使うわけだから身なりの気遣いが0に等しい。それなのに自分は公式にお金を落としている!という謎の自信から態度がでかい。
そういう人に会うと短期間でゴミになるようなものに対して生活を削ってまでお金を使うのならそのお金を美容や健康、教養にお金を使ったほうがいくらか有意義なんじゃないかと思ってしまう。
どんなに推し活に金を落としても実際に会った時にヨレヨレで汚く醜い見た目をしていたら界隈のなんか凄い人から一気に痛い人に格下げだし正直仲良くしたくないなと思ってしまう。自分の職場にいたらよっぽど仕事ができる人でない限り一緒に仕事したくないなと思うし、自分が男性だったら絶対に彼女にしたくないし結婚したくないなってなる。生活を削って身の程知らずの課金をする事で、色んな場面でそう思われるくらいのデメリットがある。
最初に謝っておくと、収益ではなく収益構造と書くべきだった。すみません。
・約50棟のうち、10棟以上の作付けを諦めた
・2人来ないで売上1000万円の減少
ということなので、単純計算すると売上5000万円規模で雇用は10人ということになる
かなり大きい方だし、よくこんなにほうれん草をやろうと思うなぁとは思うけど
ここは確かレタスの産地でもあるので、周囲からすれば特段驚く規模の売上ではないと思う。
市場出荷の場合、野菜の値段は僕らに決められないのが辛いところ。
肥料費・農薬費・燃料費・種苗費全てが上がって行ってる皺寄せを全て食ってる気がする。
綺麗に作っているというより、綺麗に選別しているという方が正しい。
本当のところはわからないけど、農家が多かった時代には規模拡大したくてもできず、
利益(=単価)をとるために綺麗にすることを選んだ、その名残だと思っている
合わせないとと格下げされてしまうので、選別を綺麗にせざるを得ない。
本当に悪いものは除くとしても、それだけなら選別は倍くらい早いと思う。
当事者がこれをいうと甘えと取られかねないので言いたくないけど、
食料問題は命に直結するので、経済だけで語ることはできないと思う
白菜がなくなったら死ぬかと言われれば死なないわけだけど、コメなら死ぬ。
じゃあどうやって線引きするの?っていうとこれは政治判断になる。
融資が受けられれば生産性が上がる」はそりゃそうだけど、投資金額に見合うだけの生産性向上に繋がらないのでは投資した意味がない
例えばコメの刈取であれば当地であれば9/25頃から始まって10/20までに刈り終われば必要十分だ。
生産性が上がっても、その先の仕事がなければただ暇になるだけで意味がない。
もう一つはモミの受け入れの問題。刈り取ったモミは乾燥施設で水分15%を切るまで乾燥させるのだけど、これが大体一晩かかる。
乾燥施設の能力以上の刈取能力を持っても、これまた意味がない。
農機具への投資は生産性だけで語ることはできず、経営環境によるということ。
でも金融は返せるなら貸してくれるから、この2点を考えず買いたいから買うという機械投資している農家はかなり多い。
他国を知らないのでわからないけど、水田はもう固定資産税・土地改良区の賦課金の合計を割ってくるレベルまで来ていて、
当地では高いのは土地改良区の方で、でもこれは水田である以上水路整備は必要なのでしょうがない。
畑はわからないけど、大規模産地ではかなり高いと聞いているし
あと高知のように施設園芸が中心だとさらに高いと聞いた。こちらは真偽不明。
人手不足は収穫期だけの話だったような
ホウレンソウの場合は収穫箱詰めが作業時間全体の8割を占めると記憶している。当然収穫期だけ人が足りない。
作業効率だけを考えれば外国人はほぼ収穫箱詰めをし続けることになるはずだ。
収穫を中心に作付け計画を立てるのはどの品目も共通かな。いや水稲は別か。
ちなみに、当地の農協のルールではホウレンソウの収穫は出荷前日午後5時以降に行い、
出荷は午前9時までという鬼のルール。いやどうしろと。昼夜逆転?
そこを除けばできる人とできない人の差は10%くらいで、稀に飛び抜けてる人がいるくらい。
できない人も他の作業であればできたりするので、稀を期待しなければ一人当たりの売上という考えは妥当でしょう。
しているところはあるが、まともに給与を払うためには
露地野菜であれば一人の従業員あたり1ha=3000坪ほど、水稲であれば8ha=24000坪ほど農地が必要になると思うから
農地集めに全ての成否がかかっている。
これを集約できるかといえば、外部から来た人間ではほぼ不可能だし、農家というより不動産屋みたいな・・・
話は逸れるけど、一人でこれだけ広大な面積を必要とするのだから、
「農業が基幹産業であれば過疎化が進むのは避けられない」という秋田県知事の発言は的を射ている。
あとは集落営農という方法があって。集落で法人を作るということだけど、これがうまく行っている例は少なかったと思う。
ああ、一個言い忘れた。
1000万の売上が消えたら、満額加入していれば800万、
種代肥料代農薬代引いても700万以上がまるまる”純利益で”出るはずだ。
全盲でありながら耳も全く聞こえないし話すことも全く出来ない知的障害まで負っている。
そのため親に介助して生きていたという人が親に先立たれたも、まず親の死を認識できないかもしれない。どこかに出て行ってしまったと思うかもしれない。
ここから弱り目に祟り目としてこの障害者に待ち受ける悲劇は三つ。
これがシングルマザーの子供(5歳)という立場でその母親が亡くなったという場合なら、その子供は十分な哀れみのもとで保護されることはあっても「被疑者として」事情聴取を受けることはありえないだろうし、実名報道されたり被疑者として自由を奪われることもないだろう。
見た目で子供と判断して被疑者扱いしないのであれば、同じように見た目で到底親の死が認識できないレベルの障害者と判断するなら被疑者扱いするべきではない。
子供かどうかも結局は戸籍等書類と照会しないと確かなことはわからないのだろう。小人症かもしれないし。
でも引きこもりで親が死んで死体遺棄で逮捕されている事例が多数ある。なかには障害者ゆえに引きこもりというカテゴリーに収まるしかない人もいるだろう。
それでも見た目で子供と分かる場合以外では逮捕してしまう。日本は逮捕されると即報道機関にFAXが送られるシステムになっているため逮捕とは同時に報道対象になるということである。
子供に見える場合と同じように「逮捕前に」障害者手帳の有無とか調べてあげるべきなんじゃないの?
八尾市母子餓死事件は別に子供が犯罪者として報道されてはいない。死んでるからかもしれない。
しかしそうだとすると、親の死後即座に通報できないような障害者に与えられている選択肢は、死ぬ代わりに犯罪者の誹りを受けないか、生き延びる代わりに一瞬でも実名や顔写真を報道されて一生近隣等に陰口を叩かれるような立場に立たされるかの二つに一つであるということになる。
つまり逆にいえば八尾市事件の子供がもし餓死する前に発見されていたら普通に犯罪者として実名報道されていたかもしれないのだ。理不尽このうえない。
なんか事件があったら近隣住民でも事情聴取を受けることはある。事情聴取イコール被疑者であることを前提として事情を聴いているのではない。
しかし死体遺棄に関する同居人に対する事情聴取というのはまずはなから著しくこいつは被疑者である可能性が高いと見積もってきてるわけだろう。
個人個人に犯罪者と疑われることに対してまで問題視してはきりがない。それはもう単なる内心の問題なのだから。
しかし打ち切った事件に対して一捜査官に本当は犯人なんじゃないかとか思われるようなことじゃなくて、こういった事例に対して警察組織の正式な意思として捜査官たちに疑われるようなことがあるならば、それはそういう仕組みに問題があるものとして糾弾や改善がされるべきだと思う。
たとえば10月13日に静岡県で死体遺棄事件として引きこもりが逮捕されている。
8日に引きこもり自ら119番に通報し、発覚しているということで、逮捕までに5日の期間がある。
死後4日経っているという報道内容があったので、これはその5日間の間に調べたことなのだろう。
つまり警察ははなからこの引きこもりを疑ってかかり、検死の結果4日経っていたということがわかったので放置とみなし逮捕したということだろう。
しかし4日程度逡巡としてありえるものとして見逃してくれてもいいものではないだろうか。もう弱い者いじめして実績あげたいだけなんじゃないの。
だいたい死体遺棄のお題目というのがまず「国民の一般的な宗教的感情」の社会秩序としての保護とかいうのであるのだが…
世の中でどれぐらい引きこもりの死体遺棄があるのか、報道されたもの以外については調べること自体できていない。
つまり報道されてはじめて国民に存在を認知されるようなものでしかないのに、その国民の感情を保護するとはどういう論理なのだろう。
保護したいのならば報道しないようにする、つまり埋葬義務者が死体を放置していたということについて警察発表を行わないようにするだけでよい。
わざわざ犯罪として定義したり裁かなくても保護することはできるわけだ。
それ以前に感情と秩序を結びつけてるのも引っかかる。何かについて人々がどう思うかというのは時の経過で自ずと変わってくるものだ。
保護するというのはそういった変質に対して人為的に介入して防ぐということである。「保護」してなければ死体遺棄に対する国民感情はとっくにポジティブになっていたかもわからない。少なくとも火葬や散骨以外の埋葬方法(剥製にするとか)にも許容するような気質になっていたかもしれない。
感情を秩序として保護、という名で管理するから、いたずらに旧守され何も考えない人や老害ばかりが居心地よくそうでない人が息苦しさを感じる世の中になるのではないか。感情を保護するから、罰するべき基準となる感情自体が変わらない。これは、その時代時代に応じて多くの人が不快に感じるものを罰するというのとは訳が違う。多様性に対する強い規制に他ならない。(規制の仕方の構造が刑法175条と似たところがある)
価値観の多様性を理解できない独裁者の法律なのである。タイムスリップできるならばこんな条項作った人に文句言いたい。
衛生上の意義もあるという学説もあるが、それだったらまずごみ屋敷を煽り運転とかと同じく法制化して罰するようにしないと公平じゃないと思う。
死体遺棄も罰してごみ屋敷の罰するならまだ筋が通るというわけである。しかしそもそも死体を放置して具体的にどんな病気のもとになるというのだろう。別にコロナ並みの感染症が流行るとかでもないんじゃないのか。悪臭が不快になるという話ならまず豚とか育ててる農家の近くに住んでる人はみんなその農家を罰してほしいと思ってもおかしくないな。ようは何が言いたいかというと衛生面でみても死体遺棄は罰するほどのことじゃないと思うわけ。
そのとおりだ。
一日16時間拘束、休みは"4週6休"という代物で土日祝なんて当然ない。休日出勤は「廃休(【はいきゅう】字のごとく、休みが廃れてなくなること。代休などという概念は、無い)」で通常出勤扱い、手当なんてものは、ない。そんな廃休が月に2~3度ある。
しかし真のブラックぶりを表すのは、運転手が事故を起こした時だ。
支払保険料が増えると、営業所長は本部から完膚なきまでに吊るし上げられる。
それを何としてでも阻止したい営業所長はどうするかというと、保険を使わせない手段をとる。
俺は以前、転回所(終点からUターンする場所のこと)でバックしているときに隣接する民家のブロック塀に接触して損壊させたことがある。
その修理費用、99,800円を、自腹で払わされた。
営業課長が手書きでメモした謎の銀行口座に振り込む形で払わされた。
仮にもうちの会社は(バス会社なんてどこもそうだろうけど)地場大手。
なのにこのド・ブラックぶり。
あーアタマにくる。
チェックポイントをいくつか考えたので、自己診断をしてみてほしい。
自分は犯歴ないけど、知り合いが勝手に前科者になっていくので困る。実刑も執行猶予もそれぞれ複数名ずついる。(友達だったけど知り合いに格下げだ)
罪状は新聞沙汰になるような殺人未遂からチンケな詐欺とかまで色々だけど、みんなもともとは普通の善良な一般市民なんだよ。ほんと、普通の人。大卒社会人。こちらはむしろいい人と思ってつきあっている。
そういう人が発作的にやらかしたり、じわじわ悪に染まっていったり、反社会的性向をひた隠しにしてたりして、こっちは捕まったと聞くたびにびっくりする。
「お前の友達の選び方がおかしいんだろ、ガラの悪いやつらとつきあってるんだろ」って思うかもしれないけど、たぶんそうではない。日本をお行儀の良い悪いで半分に分けたら自分は良いほうに入ると思う。
友達が突然犯罪者になることはある。そしてつきあいが広ければ広いほど確率は上がる。「えっあの人が!?」ってなるから。絶対。ほんとよ。