はてなキーワード: 小説家とは
もちろん。長編作なんかは書いてる方だって苦行だ。しかし小説家は長編で次作へのノウハウを積める。
一方読者はどうかというとそれはもう苦行でしかない。物語の中で重要な主人公を頭の中で思い浮かべて物語を進行させて行く。はてしない作業だ。
でも勘違いしてほしくないのはそれは苦行であること。だから小説、ノベルに役に立つとかいうのを求めるのは間違っている。小説は役に立つ為に読むものではない。
長い文章を自分の中に入れて物語を自分で考える。それで多少は考える力がつくかもしれない。
でも基本はその考える力を鍛える為の苦行だっていうことを小説家、読者は承知していないと途中で書けない、読めないなんてことになる。
同世代(年齢±5歳程度)に、日常のどうでもいい話を面白く書く男性エッセイストがいない。
「いない」というか、「知らない」。
だから誰か教えてください。
ジェーン・スー
本業は小説家だけど、津村記久子のエッセイも力が抜けていて好きだ。
LGBT(このくくりでいいのかは知らんが)もいる。
少年アヤ
あたり。
あと忘れちゃいけない。本当に大好きだったな。
がっぷ獅子丸。
原田宗徳
小説よりも好きかもしれない。
映画でも音楽でも、特定のジャンルに特化した評論家は男性にもいる。
けどおれは、日常のどうでもいい話が読みたい。
今ちょっと真面目に考えて、出てきたのがオモコロのヨッピーだった。
どんだけテキストサイト好きなんだおれは。
久しぶりにみたら、桃色核実験消えてるし。
松風の人って今、何してるんですかね。
何の話だ。
とにかく、いいひといたら教えてください(切実)
キャプテンアメリカを反日ヒーローと称した小説家 松井計 @matsuikei さんとのやり取り - Togetterまとめ
toshi20 アメコミの認識違いひとつで、こんなにガチガチに追い込みかけなきゃいけないもんなんですかね・・・。アメコミ警察様の機嫌損ねたらこうなる的な感じで、正直ドン引きなんですが。 アメコミ Twitter 782 clicks
slinky_dog_s11 こんなに「どっちも見苦しい」案件も久しぶり。
リンク2015/06/10 Add Star id:nekora id:kaionji
上記の無理筋すぎるアメコミオタサイドへのバッシングコメントにはてなスターを贈呈するid:nekora
どう考えてもこんなん無知振りかざしてデマゴーグ撒き散らす奴が悪いに決まってんだろ
それでもid:nekoraはアメコミオタの方を貶めたいんですね正気でしょうか?
しかも自分の口で言わないあたりの卑怯者っぷりもすごいですね。
あんたそんな事できるぐらいにはアメコミにお詳しいんですよね当然?
>夏目漱石クラスの知的リテラシーを持ってる人って、明治時代だと日本で数万人程度だったんだろうが、
★夏目漱石って、作品を発表していた期間が実はあっという間の短期間だったと聞いて目ウロコ。
初作『吾輩は猫である』を書いたのが37歳、未完作『明暗』を書きながら死んだのが49歳。
わずか12年間も活動で、千円札の表紙に上り詰める文豪の地位を獲得。
★「夏目漱石がわずか12年間の活動で文豪の座まで上り詰めた」ということは、
60歳で定年退職して、『小説家になりたい、という若い頃の夢を果たしたい』というシニアが遅咲きデビューしても、
72歳まで活動すれば文豪になり得る、という夢のある話な訳です。
★夏目漱石クラスの知的リテラシーを持ってる人って、明治時代だと日本で数万人程度だったんだろうが、
つまり「その気になれば、60歳で夏目漱石デビューできる潜在可能性がある人」が、日本では数百万人はいる訳だ
(さすがに明治末期には50歳程度には伸びたとは思うが)
「明治維新当時の20歳より、今の日本の60歳の方が、平均余命は長い」、ということか。
現代人の『60歳定年は、第二の人生の始まり』という比喩は、比喩でもなんでもなく、
★当時は正岡子規のように、文才がありながら早世した文人も多かったからな。
正岡子規とか、もっと長生きしてたら、夏目漱石とは比較にならないくらいの超文豪になってた可能性もあった訳で。
その他、文才あったのに20代で結核で死んで、記録にも残ってない文豪のタマゴも多数なんだろうな
『当時としては珍しく、12年間の活動期間を得られた位に、長生きできたから』かもしれない。
夏目漱石より文才があったのに、結核とか種痘とかコレラとかで死んで、文豪に成り損なった文才も多数いたんだろうな。
★夏目漱石が、40代になってから続々と作品を発表できるようになったのは、彼自身の文才と49歳まで生き延びた生存力のおかげでもあるが、
タイトル | 源氏物語 | うさぎドロップ | これは恋のはなし | 一緒に暮らすための約束をいくつか | 高杉さん家のおべんとう | 星川銀座四丁目 |
---|---|---|---|---|---|---|
作者 | 紫式部 | 宇仁田ゆみ | チカ | 陸乃家鴨 | 柳原望 | 玄鉄絢 |
巻数 | 54帖 | 10巻 | 11巻 | 2巻 | 10巻 | 3巻 |
年上 | 光源氏 | ダイキチ | 内海真一 | 藤木悟郎 | 高杉温巳 | 那珂川湊 |
年齢 | 18歳 | 30歳 | 31歳 | 35歳 | 31歳 | 25歳 |
職業 | 源氏 | 会社員 | 小説家 | 映像クリエーター | 大学助教 | 教師 |
年下 | 紫の上 | りん | 森本遥 | 三浦沙那 | 久留里 | 松田乙女 |
年齢 | 10歳 | 6歳 | 10歳 | 14歳 | 12歳 | 12歳 |
初期の関係 | 血縁なし | 叔母((本当は血縁なし)) | 近所の子供 | 親友の娘 | いとこ/未成年後見人 | 生徒 |
同居/別居 | 別居 | 同居 | 別居 | 同居 | 同居 | 同居 |
最終的な位置 | 正妻格 | 結婚/大学生 | 結婚/専業主婦? | 助手? | 未定(連載中) | 養子/建築士 |
子供 | × | × | ○ | × | × | × |
性描写 | ○ | × | × | ○ | × | ○ |
テーマ | ? | 育児 | 恋愛 | ? | 地理学 | 同性愛 |
年上側の特殊事情 | 皇族 | - | 一家心中サバイバー | 転勤族 | - | - |
年下側の特殊事情 | - | 死別 | ネグレクト | 死別 | 死別 | ネグレクト |
漫画を読んでいて、これは光源氏ものっぽいと思った漫画が溜まってきたので表にして比較してみた。漫画は5種類と源氏物語で合計6種類で比較。
まず圧倒的に巻数が多いのは源氏物語。まぁこれは時代も形式も大きく異なるので比較するものではないけれど。漫画の中では10巻くらいなのが3種類と、2,3巻なのが2種類。比較的巻数の多い、うさぎドロップと高杉さん家のお弁当は、光源氏もの的な部分は結果的にそうなったというだけであって((高杉さんの方は連載中だからどうなるか分からんけど))、それぞれ漫画のテーマは育児と地理学だからという気がする。そうすると、これは恋のはなしはそういう別のテーマみたいなのは無いけどちょっと長め。
物語が始まった時の、源氏の年齢。源氏は18歳くらい((諸説あるんでしょう))。これはこの中では最年少。星川銀座もちょっと若めだがこれは女性だからでしょうかね。他はみんな30歳過ぎ。このへんは、年下側との年齢差でセンセーショナルな感じにしたいけど年上過ぎないくらいが30歳過ぎくらいなんでしょう。これは恋のはなしと一緒に…いくつかは帯に20歳差!とか強調してた気がする。
年下側の年齢は6歳から14歳。突出して若いうさぎドロップはやっぱり恋愛漫画というより育児漫画が結果的に結婚したという印象を受ける。6歳児に女性としての魅力を感じるのは漫画としてもアウトでしょう。でも10歳に魅力を感じるのは許容範囲に入ってくるらしい。それは、これは恋のはなしに顕著。最終巻で、結局出会った時のあの目に引き込まれて云々みたいな終わり方だったし。高杉さんも、最初出会った時からお人形さんみたい的な女の子としてカワ(・∀・)イイ!!みたいな感想の描写があるし。ティーンに恋をするのは許容されるらしい。
職業。源氏は職業なのかわからないけど貴族とか皇族とかでしょう。さすがに、現代で光源氏物をやるときでも、この設定をそのまま持ってくる人はいないらしい。富豪の息子とかグレード財団の息子とかにすればいいのにね。その職業に付いている人が少なそうな順に並べると、小説家<大学助教<映像クリエーター<教師<会社員、ですかね。うさぎドロップはかなり平凡。家も狭そうな平屋だし。教師系が2種類あるのはどういうことだろう。よく、光源氏ものを無垢な女の子を自分好みに育てる話と言われるけれども、実はこの中で子供を自分好みに育てる描写があるものは少ない。星川銀座は教師だからということもあってか勉強教えるし、針路についても結構誘導するようなところがある。高杉さんも針路についてはいろいろ教育していた。でも、その他についてはあまり自分好みに育てるようなことはしてない。一緒に…いくつかはむしろ恋愛感情がわかるように教育されるというような描写まである始末。
血縁があるのは高杉さんくらいか。他は基本的に他人。大幅に年下でかつ血縁とかだと物語の焦点がぼやけちゃうのでしょう。
同居/別居は同居が多いなぁ。これは恋のはなしは、別居と言っても通い妻状態だし、基本的に同居するね。これは、一緒に生活してる方が物語作りやすいからだろうなぁ。もう現実には存在しないであろう、アパート同居ものの漫画が未だに大量生産されるのはきっとそのせい。めぞん一刻の時代ならともかく、僕らはみんな河合荘の時代になってもまだ似たような舞台設定が多用される。
最終的に結婚して話が終わるのがほとんどだけど、子供ができるのは1つだけ。星川銀座はしょうがないけどね。結婚しましたで終わるのは意外と言えば意外か。なんでだろうね。18歳になって結婚して子供作りましたじゃなんか生む機械みたいな感じがするからか。
年下側の針路について対照的なのは、これは恋のはなしと星川銀座四丁目が対照的に見える。これは恋のはなしは、旦那が売れっ子小説家とは言え、高校卒業後結婚してすぐ子供出来て、こう遥側になにかやりたいことことなかったの?っていう気がして生身の人間というよりも舞台装置って感じがしなくもない。星川銀座四丁目は最後建築士になって実務経験を経て独立しましたってところで終わるので、乙女側にむしろ主体性を感じる。というか、湊が家事手伝いして待ってる的な人だし単に入れ替わっているだけで一方が仕事する一方は主婦的な関係はどちらも同じかも。
性描写があるのは、成人向け漫画も書いているお二人。やっぱり基本は描きづらいよねという気はする。
逆に、年下側はほぼ親類と死別してるかネグレクトかどっちか。現代ではその状況じゃないと、他人と同居するという状況は不自然でしょうからね。源氏みたいに、気に入ったからとか絶対非難轟々になる。死別、ネグレクト意外に自然に他人の可愛い女の子と同居できるシチュエーションが思いつけばそれはかなりエポックメーキングな漫画になるということですな。えーと、地球に隕石が落ちて自分と10歳の幼女意外が死滅して…私に物語を作る能力は無いらしい…
これって単に「稿料」かそうでないかの違いなだけだよね。
そりゃあ納品書・請求書は必要だよ。
これが出版社となると、例えば売れっ子の小説家がいちいち請求書提出してると思う?
あれって「講演料」とかと同じカテゴリーのもんなんだよ。
出版社以外の企業に勤めてる人も想像してみたらいいと思うんだけど、
例えば何かのイベントでその業界の有名人に講演をお願いしたとして、
「じゃあ、○万円で請求書提出してください」とか言う?
「口座をお知らせいただいたら依頼時提示の謝礼をお支払いたします」でしょ?
どっちも同じようなスマホだと思っていたが、今みると明らかに違うことがわかる。
「声紋チェックXXXアップデート中・・・」
なんだかメッセージが画面にでている。
なんだろう?
あーもうなんなの?機械音痴の私にはわからないこと多すぎる。じれったいわ。
「人物」「シコッテ・ネィロ」をググってみた。
検索結果:
『ロード・オブ・ザ・クンニリングス』はR18指定で実写化された。
・・・・
どうやら別人のようだ・・・
作中にも教祖として登場する。
あ、これだ!
「ありきたりなストーリー。展開もひどい」
「なんかむかついたので本燃やしました」
「作者きもいwwしね」
「こんなんで金とってるの?」
なんだかひどい罵詈雑言が飛び交ってる。
酷評されているようだ。
しかし、ネィロ作品は多くの読者から批判されているが、現在も一部の熱狂的なファンに支持されている。
3Dソフトが爆発的な人気となり、ヴァーチャルアイドルとして今でも人気である。
・・・え?
ヴァーチャルアイドル?
まただ。
なんてことだろう・・・
これ、私だ。
どういうこと?
・・・・なんだかカラダもすごく熱い
つづく
小豆ちゃんとのチャットを切った後はしばらくボーっとしていた。
ゲルーググで「シコッテ・ネィロ」をググッてみると教団の始祖であることや、私が今まで聞いたことのある情報がでてくる。
小豆ちゃんの持っていた本のことや小説家であることなど一切でてこない。
スマホでも調べてみたが結果は同じだった。
同年代の子たちはクラスでも部活動でも塾でも、それぞれのコミュニティーを築きあげている。
不登校気味になり、今ではボッチになったが中学に入った当初はそれでも何とか輪に入ろうと努力していた。
スマートフォンは入学した時に生徒全員に配られるもので基本的に教団からの支給品らしい。
ITリテラシーとか情報化社会がどうとか先生からいくつか説明されたがよくわからなかった。
入学式の日、家に帰ると祖母が入学祝だといってスマートフォンを私にくれた。
でも、スマホなら今日渡されたのがあるし2つもいらないなぁと思ったが祖母には黙っておいた。
久しぶりの祖母からのプレゼントだったので凄くうれしかったのだ。
それ以外は見た目も画面もほとんど同じだったので祖母に貰ったほうを使うことにした。
学校のスケジュールやクラスメイトとのやり取りにはLINNE(リンネ)というアプリを使う。
クラスのリンネグループに参加しようとすると何故か私は登録できなかった。
他にもノイズのような画面がチラチラでる時があった。
クラスでも私以外は皆LINNEで繋がっている。
そのうちクラスの中でもリンネでの話題が多くなると会話についていけず、困っていた。
なにより仲間はずれにされるのが嫌だった。
私は、祖母に故障かもしれないと相談してみた。そこで本当は学校で支給されてることも打ち明けた。
すると祖母はなんだか複雑な表情でこう言った。
「あらあら。それは故障ではないけど、とりあえず学校で配られたほうでもいいんじゃないかねえ。今はね…。友達は大事よね。」
配布されたスマホに替えるとエラーが無くなったので、その時からおばあちゃんのスマホは机にしまっていた。
思い出すと何かひっかかる。今は…という言葉。
もしかして何かわかるかもしれない。
私は机の引き出しからバッテリーが切れたスマホをとりだし、とりあえず充電機にさした。
つづく
最近まで男性と女性の間には越えがたいギャップがあって(少なくとも)それぞれが考えていることをお互いに理解することは完全に不可能じゃないかと思っていた
が最近この考えを少し改めた
まず考えるべきは性による考え方のギャップではなく(性を区別しない)個人間の考え方のギャップである
そもそも他人がなにをかんがえているかはたとえ親兄弟であっても完全に理解するのは不可能である
どこかの小説家何かに書いてあったが個人の一生は彗星みたいなもので他の彗星と交わる(すなわち他人の事が完全に理解できる)確率は限りなく0に近いだろう
さてこの考えを男女間に導入すると
ある男性とある女性の思考差=個人の思考差+性別による思考差 ...(1)
に分けることができるだろう
「性別による思考差」とはいったいなにかと考えると先天的なものと後天的なものに分けられそうな気がする すなわち
性別による思考差=物理的な男女の機能差に基づく違い(ホルモンバランス・生理のありなしなど)+社会的なジェンダーバイアス ...(2)
「地図が読めない女」のような例を持ち出すまでもなく前者の違いは確実にあるだろう
人間のように男女がペアとなって生活するような種族だと性別間で得意能力が違った方が生存には確率に有利なはずでそれにともなって脳の機能もことなるように進化してきたと思える
がこの機能差が男女間で越えられないような思考差を築くだろうか?
例えば自分は男性で理屈っぽいことが好きだが(数学とか)仮に自分が女性に生まれたとしてもこの趣向が変わるとは一切思えない
しかしながらこの直観は現実に反しているように見える すなわち大学の工学部をみてみると男子学生の数が圧倒的であり女子学生の数は1割にもみたないではないか
自分はこの違いの大多数は(2)の第二項である「社会的なジェンダーバイアス」にもとづくものではないかと疑っている
つまり「女性は家庭的なことをやったほうが幸せになれる」「女性は論理的ではない」といった世間の常識(あるいは空気)によるある種の抑圧のため生来数学が好きであってもただ女性というだけでその趣向を意識的あるいは無意識的に変更させられているのではないだろうか
実際自分の経験を顧みても高校までは例えば数学の成績にはそこまで男女差はなかったように思う
しかし大学の学部でその差が出てくるということは「将来の職業の選択」への第一歩である大学を選ぶにあたり上記のソーシャルバイアスが働いているんじゃないだろうか
日本よりも抑圧が低そうなアメリカだと学部の男女差はもうちょいましだと聞いたことがあることからソーシャルバイアスは文化的背景によっても異なると考えられる(人種による差がないと仮定)
とここまで考えると男女の思考差(1)は個人差というどうしようもないものを除くとほぼジェンダーバイアスのみに依存していると考えられる
なので例えば日本人の男性である自分が日本人の女性の心理を知りたい場合日本社会における男女間にどのような利害関係・力学構造が働いてるかを知るだけで十分なはずである
この考え方から行くと世間一般でよくいわれる「男女の間には永遠に理解しえない何かがある」はただ単に個人間のどうしようもなく埋めがたいギャップのことを針小棒大にいっただけではないだろうか
はてなにいた頃はツッコミどころ満載の記事でブックマークを荒稼ぎした。
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」が250万部超の大ヒットとなり、はてな村民を土下座に追い込む。
当時からライター、小説家として活躍。「ロスト・ケア」「絶叫」はこのミスなどでも高く評価される。
小説家として「虐殺器官」「ハーモニー」などを送り出し、日本SF界に多大な影響を与えるも夭折。
ブログは「My Life Between Silicon Valley and Japan」。
はてなの取締役として積極的にブログを更新し、また一般にもWeb2.0の伝道師として名を上げる。
映画評論家。雑誌「映画秘宝」を創刊。実写映画「進撃の巨人」の脚本を執筆。
ブログは「【A面】犬にかぶらせろ!」。