2015-05-30

夏目漱石わずか12年で文豪上り詰めた

夏目漱石って、作品を発表していた期間が実はあっという間の短期間だったと聞いて目ウロコ。

 初作『吾輩は猫である』を書いたのが37歳、未完作『明暗』を書きながら死んだのが49歳。

 わずか12年間も活動で、千円札の表紙に上り詰める文豪地位を獲得。

 てっきり、20~25年は活動してるイメージがあったのだが。

★「夏目漱石わずか12年間の活動文豪の座まで上り詰めた」ということは、

 60歳で定年退職して、『小説家になりたい、という若い頃の夢を果たしたい』というシニアが遅咲きデビューしても、

 72歳まで活動すれば文豪になり得る、という夢のある話な訳です。

夏目漱石クラス知的リテラシーを持ってる人って、明治時代だと日本で数万人程度だったんだろうが、

 現代日本では数百万人程度はいるだろう。

 つまり「その気になれば、60歳で夏目漱石デビューできる潜在可能性がある人」が、日本では数百万人はいる訳だ

夏目漱石時代との最大の相違点は『平均余命』だろうな。

 明治維新当時、日本人平均寿命わずか37歳だったらしい。

 (さすがに明治末期には50歳程度には伸びたとは思うが)

 「明治維新当時の20歳より、今の日本の60歳の方が、平均余命は長い」、ということか。

 現代人の『60歳定年は、第二の人生の始まり』という比喩は、比喩でもなんでもなく、

 明治維新当時から考えれば『成人人生期間より長い』訳です。

★当時は正岡子規のように、文才がありながら早世した文人も多かったからな。

 正岡子規とか、もっと長生きしてたら、夏目漱石とは比較にならないくらいの超文豪になってた可能性もあった訳で。

 その他、文才あったのに20代で結核で死んで、記録にも残ってない文豪タマゴも多数なんだろうな

★逆に考えると、夏目漱石文豪になったのは、

 『当時としては珍しく、12年間の活動期間を得られた位に、長生きできたから』かもしれない。

 夏目漱石より文才があったのに、結核とか種痘とかコレラとかで死んで、文豪に成り損なった文才も多数いたんだろうな。

夏目漱石が、40代になってから続々と作品を発表できるようになったのは、彼自身の文才と49歳まで生き延びた生存力のおかげでもあるが、

 『朝日新聞』という小説発表の場をうまく利用したのが最大の理由じゃないか?

 朝日新聞文豪を産み、職業小説家という職業を産んだ

  • 当時でも49歳で死ぬのは早い方でしょ。 子供の死亡率が高かったから平均寿命が短いだけで、成人の平均余命はそこそこ長いで。 あと漱石病弱じゃなかったっけ。

    • 元増田です。 確かに「平均寿命が37歳の社会で、20歳の人の平均余命は17年じゃなく、もっと長い」でしょうが、 それは同時に「男性平均寿命が80歳の現代社会で、60歳の...

  • >夏目漱石クラスの知的リテラシーを持ってる人って、明治時代だと日本で数万人程度だったんだろうが、 >現代日本では数百万人程度はいるだろう。 これがウソかホントかはわから...

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