はてなキーワード: 呪詛とは
診断つかないけどグレーゾーン、という母親のアカウントを見ると、だいたい夫(=子の父親)が育児に非協力的もしくか無関心。
育児、というか共働きなのに家事すらやっていない上に自分の生活のことすら(結婚式に持っていくご祝儀の準備とか)妻にやらせてたりする。
だからこそ夫への呪詛が溢れてたりするわけだけど、そもそもこの夫が明らかに発達特性持っていたりする。
なんで気付かないのか?まじで謎。
そもそも家事やらない男と子供を作って「家事も育児もしない!」と怒るのも謎。
こんな社会不適合者とも子供を作る女がいるから発達障害の遺伝子って淘汰されないんだなぁと思う。
自分の身の回りにも発達障害の子を持つ母親が2人いるが、両方とも夫がヤバい。
なのに2人とも第二子までいる。どうかしている。
地方自治体に勤務している。
課内のある係が崩壊した。
1つの係は6人〜9人で成り立っておりそれぞれの業務を担当している。
その係はもともと別の部署からの異動者が多い上に人数も揃っていない。
加えて異動でやってきた職員たちもメンタルで休職に入ったり、元々予定していた産休に入った。
そのため、その係は現在新卒と係長の2人のみで業務を行なっている。
他の係から人を回すという案も出たが、自分の係の人員が減ることを嫌った係長たちの抵抗により「各自手の空いた者が新人をサポートし、いない人の穴を埋める」という結論になった。
5月に入り、当初はデスクの近い係の人たちで新人に業務を教え、いない人たちの仕事を処理した。
新人も一生懸命自分で調べたり周りに聞きながら自分の仕事を行い先輩たちの穴埋めをしていた。
連休に挟まれた3日間の平日、当初の2日間新人はとんでもない勢いで仕事を覚えながら残業してなんとか仕事を間に合わせていた。
しかし、4連休前日の木曜日に係長が有給休暇を取得して、1人取り残されたことで崩壊してしまった。
その日、定時で退勤しようとした新人にうちの係長が「大丈夫?終わりそう?」と声をかけると「もう焼け石に水なので帰ります」と言い帰宅してしまった。
私は連休前に自分の仕事がなんとか間に合いそうな安堵感と新人を見て見ぬふりしていた罪悪感を抱いた。
自分の仕事のみを終わらせて他の係や他部署の同期と一緒に定時で帰宅するようになった。
係長が「もうちょっとこれ片付けてもらえない?」と言っても「どうせ間に合いませんし、〇〇さんもあがりましょうよ」という調子だ。
結局、私含めたみんなで休職者と新人に呪詛を呟きながら今日も残業してその係の業務を片付けている。
私はお仕事。
子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。
私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。
まず、子供のそばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベルの社会性や身分の保証が必要である。
次に、友人や親族が続々と結婚や妊娠・出産のラッシュを迎えていても同調圧力や社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。
そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解、社会的なルールやタブーをアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。
意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である。
人手不足の時代である。一つ目の、定量化できる身分の保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。
三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃんと相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分が若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というものは権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分の若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代の自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。
じゃあ、自分のケアをして愉快な接しやすい人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ。
というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである。
彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突に結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。
私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたときの相手のきらきらとした目が見たい。
でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分もパートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか。
と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち、自分は出来損ないなのではないかという劣等感、現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的に存在する不安感。こういったものに抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。
いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジションの候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補者リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。
最近は休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしか、おもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライトな修行僧のようではないか。実際に結婚や妊娠・出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。
幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイントで若い世代からの支持を得られるのだろう。
父は母を毎日殴り、母は殴られたくなくて私を盾にする毎日だった。
自宅を訪れる親戚は母を責め、そんな母を管理できない私を責めた。いつからだったろう。小学校入る前からだったかもしれない。
学校で友達でもいればまた違ったかもしれないが、学校でいじめられ、学校外にも居場所はなかった。学校以外、家にいるしかない私には母の呪詛のような呟きは苦痛で、ヘッドホンをして大きな音で曲を常に聞いていた。
そのうち、部屋のドアを少しあけ母が私の部屋を覗くようになった。私の部屋の物も漁っているようだった。そのうち、父のように私も母を殴るようになった。
コロナの流行時に父が死んだ。実家のある田舎の親戚等がこういう時期だから来ないで欲しいと言うのに甘えた。
父が死んで少ししてから、母を引き取るよう親戚から電話がくるようになった。常識がない、代わりに世話しなければならない地元の関係者のことを考えろという。
「たったひとりの母親でしょう?」
そう情に訴えれば引き取るのが普通なんだろうな。無理だよ、今度こそ殺すから。
まあ、それでも邪魔なうちの母親が地元から消えればみんな満足だよな。地元から遠い、今住んでいる所で私が母親を殺しても構わないだろう。
増田が勤めている会社は産休、育休、介護休暇や傷病休暇にも理解があり、良い組織だと思う。
ただ、産休育休を取得するほとんどの女性社員は、第一子の育休明けには第二子を妊娠していて2ヶ月も働かないうちにまた産休育休に入る。そして時短復帰すると半年程度働いて義理を果たしたというように辞める。
そのような選択が今後の女性の採用や女性管理職の登用に二の足を踏ませるのでは、と彼女たちは一度でも考えただろうか?と思う時がある。
増田は管理職なのでたまに面接もする。同じレベルの大学を卒業している学生の場合、男女で比較すると女子学生の方がエントリーシートも面接の対応も優れていることが多い。
それでも会社の人事部は男女同数ないし男子学生を多く採用する。大きな声では言えないが、女子社員は産休後に辞めるからだ。
時短、リモートワーク、半休制度、フレックス制度、どんなに整えても辞める。
増田は2011年に大学を卒業した。子供の頃は「団塊の世代が大量退職する頃に就職する世代なので、就職は簡単」と言われていたけれど、リーマン・ショック、その後は東日本大震災もあり内定取消や自宅待機があった世代だ。
就職活動は大変だった。就職活動する上で、女性差別にも直面した。
だから仕事を頑張ろう、女性だからと思われないように成果を出そう、私の力は小さいけれど、後の女性たちが少しでも生きやすい社会にしたい。
そう思って仕事に打ち込んだ。成果主義の会社なので、数年で管理職になれた。
子供も産んだが産後2ヶ月半でフルタイム復帰した。夫婦で話し合い、保育園に入所出来るまで夫が育休を取ることにした。
今は男性育休制度も取りやすい制度設計になっている。でも、辞めていく女子社員の夫たちは子供が何人産まれても育休は取らないし、もちろん時短も取らない。話を聞くと、そもそもどちらが育休をとるかなんて相談すらしないらしい。
これでは女性が生きにくい社会のままだなと思う。身近な夫とも今後のキャリアのことを相談しない。盲目的に前時代的な生き方を選んでいる。
そして経済力を手放す。相手がモラハラDV野郎でも離婚できない。
やっと離婚できた、再就職しかないというときにはパートしかない。女性差別だと嘆く。
先人たちの声や努力のおかげで、いまの私達には様々な選択肢がある。
地裁判決がでましたが、学識豊かな人々が相互に叩き合っていて不毛です。見ているだけでも疲れる。しかし、感情を揺さぶられるのとTwitterのアルゴリズムによってつい追いかけてしまいます。
複雑な出来事を単純化して、自分からこう見えているというのを整理してみます。
お互いの陣営がそれぞれ自信たっぷりに相手を批判していて迷うこともあるのですが、みなさまはこれらの項目のどこまで合意できそうですか。その他重要な論点あれば教えてください。
雁琳さんには池内恵さんにすすめられていたように著書執筆に専念しては欲しいです。
それはTwitterで書かずに一冊の本としてお書きになればよろしい。単行本500ページの憎悪と呪詛を書き連ねて文学・思想、文明批評となっている原稿を送ってくれれば、出版社を紹介します。読む人いるでしょう。 https://t.co/fRa2NDdJWR— Satoshi Ikeuchi 池内恵 (@chutoislam) January 22, 2022
森新之介さんのブログが整理されていた(ほかの記事を読むと人文系アカデミアにうんざりしてしまう・・・)
卒論などでお世話になった人も多いだろうnext49さんのブログもオープンレター関連について整理されている
メモ:「女性差別的な文化を脱するために」関連の時系列 - 発声練習
雁琳さんとの判決文。東京地方裁判所 令和4年(ワ)第4632号 判決
http://www.mklo.org/mklo/wp-content/uploads/2024/04/ffdd5b80e78c62b11a9a19dbd8ffa153.pdf
id:IkaMaru さん
増田に限らず「俺は中立だけど」みたいなトーンで話を進める奴のほとんどが即バレしない程度にちょっとだけアンフェ側が正当に見えるよう話をズラしてゆく。もう諦めろ。雁琳のためにもならんぞ
コメントありがとうございます。増田としては、今回の雁琳裁判後も吹き上がって裁判や、もともとの被害者である北村さんを批判しまくってているTwitterユーザが多いことにかなりゾッとしていまして、かれらや、かれらのフォロワーのうち一人でもおかしいぞ、と思ってほしくて書いた次第です。
ただ、頭ごなしに全批判しても受け入れてもらえないのではと考え、今回の一連の事案のどこまで合意できるだろうかと論点を列挙しています。少なくとも、いじめ被害者への二次いじめをしていると自覚してほしい。どうしたらいいんでしょうね・・・
呪詛じゃなくて単純にそう思っただけじゃね?
今日はまた、社会への呪詛が止まらん一日やった。朝から晩まで、この世の不条理と戦いながら、ワイはひたすらに社会を呪う。どうしてこんなにも人間は互いを理解し合えず、偏見や憎悪に満ちているんやろう。この世の全てが間違っておるように思えてならん。
そんな時、フェミちゃんからメールが来たんや。内容は意外やった。「明日、少し時間ある?話があるの。」とのこと。ワイは一瞬、何を話したいんやろうと思ったけど、返信することにした。
「明日なら大丈夫や。何の話や?」そう送ると、フェミちゃんからすぐに返事が来た。「直接会って話したいことがあるの。場所はいつもの公園でどう?」ワイは少し緊張したけど、「わかった、じゃあそこで会おう」と返した。
ワイとフェミちゃんがやり取りするなんて、なかなか珍しいことや。彼女から話があると言われると、何か重要なことやろうかと考える。いつもは社会や世の中への憎しみばかりを感じているワイやけど、このやり取りは少し心を軽くしてくれた。
明日、フェミちゃんと会うことになった。正直、何を話すんやろうかと思うと不安もある。でも、彼女から直接話があるって言われたんやから、ちゃんと聞いてみようと思う。ワイたちがいつも対立しているテーマについてか、それとも全く違う何かか。
この社会を呪う日々の中で、フェミちゃんとの明日の会話がどんな風にワイの心に影響を与えるのか、興味深い。もしかしたら、この出会いが何か新しい視点をワイに与えてくれるかもしれん。
それにしても、社会への憎悪は尽きない。でも、明日のために少しでも前向きな気持ちでいたいと思う。フェミちゃんとの会話が、この呪われた世界に少しでも光を投げかけてくれたらええなと願いつつ、今日は眠りにつくやで。
赤ちゃんは寝ない、泣きどおし、寝不足、離乳食は食べない、いつも騒がしい……
いざ産んでみたら、
新生児期から夜はミルクは要求するために起きるけど腹が満たされたら即寝て、
昼はしょっちゅう昼寝しながらもわりといつもご機嫌で、
ばー、なんてあやすとキャッキャ笑い声を上げて笑うし、
散歩に連れ出したら大人しすぎてレジでおばちゃんに「よく寝て……あれ起きてる!?大人しいね!」と驚かれ、
離乳食は何あげても前のめりにもぐもぐ食べて、
相応に義父にしっかりと顔見知り発動して泣いてくれるわりに、義母や私が抱っこするとすぐ泣き止んでくれるから育児の支援も受けられつつちょっとした優越感も得られて、(むしろ嘘泣きか?というくらいすぐ泣くし泣き止む)
なんというか、むしろ拍子抜けするほどにとんでもないイージーモードの育児だった。
あまりに問題がなさ過ぎてネット以外では自慢になりそうで深く話せないほど。
もちろん赤子ができて夜更かししてゲーム出来なくなったとか、朝は6時半には赤ちゃんが起きるから早寝早起きにはなるとかはあったけど、
なんというか、大人二人の生活に自然に赤ちゃんが増えた幸せを享受してる。
マジでただの自慢です。匿名でもないと逆に書けないよね今の時代。
[以下追記]
子供は無限に可愛いよね。自我が出てくるのは怖いけど楽しみだわ。
呪詛吐いてる人も居るけど生きるの大変な人かな?がんばって生きてくれ。知らんけど。
発達については親が死んだら代わりに介護が必要になりそうな若い身内がいるからあんまり他人事じゃないんだよな。
ま、何かあったとしても3歳くらいまではわからんもんだし、それも運命と受け入れるよ。幸いに知識はすでにあるもんだし。
なんか軽く見てて一番「そうかも」って思ったのは、
「つまりそれまでゲームするか夜更かしするくらいしかやりたい事がなかったからじゃない?
実際は子供いたら出来なくなる事、他にも山ほどあるよね」
ってやつだわ。ソレが一番我が身を顧みた。
もともと牧場物語系のゲームを発売から一ヶ月とかは仕事から帰ったら寝る間も惜しんでやり続けて、専スレとかまとめwikiの攻略質問とかバグ報告とかにコメントするのが趣味の人生だったから、30分スパンで20人近くの住人にひたすら話してプレゼントして……みたいなことやるよりは育児のほうが遥かに楽なのはあるかな。子供の容赦の無い鷲づかみは痛いし、大声で叫ばれれば耳も痛いけどコントローラー持って指が痛いよりは遥かに健全な気がするし。
ま、またイヤイヤ期くらいのころに叫びに来るかもしれんけどよろしくな。
お元気で。