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はてなキーワード: 冠詞とは

2021-03-16

anond:20210315211500

ステイツ』wwwww  

相変わらずwwwクソ英語に自信ニキはwww  

冠詞存在をwww全く理解してねえなwwww  

精一杯イキってみたのにwwwww  

そのドヤ顔wwwwマジ勘弁wwww

2021-03-15

『うっせぇわ』の「エイデイ」についての調査ログ

【海外の反応】強面な外国人ニキがAdoの「うっせぇわ」聴いたリアクション!!【USSEEWA reaction】【The First Take】【ザファーストテイク】【ボカロ 】【ボーカロイド】

を見ていたら「エイデイ」にものすごい驚いて「日本スラングは事前に勉強してたんだけど…エイデイときたか!」みたいな反応をしている。

twitter 検索をする感じでは日本口語圏では

1. 謎

2. everyday の略

3. HIPHOP で使われているスラング errday = everyday

みたいな理解のようである

しかし 2 に関しては "everyday abbr" とか "everyday abbr urban dictionary" とかで検索しても何も出てこない。

3 の errday に関しては表記法が変わるだけで発音は everyday と変わらないらしい link

あともし字面どおり読んだとしても「エァーデイ」に近い発音になる(definitions.net)。

syudou 氏のtwitter検索してみたが特にエイデイには言及していなかった。 

 

 

この2段落無意味だった。

それで eiday eidei あたりを手当たりしだいに検索していると "A-Day" というワード出会う。

これは空軍の導入日だったり、歴史的文脈ではビキニ環礁での核実験を透過した日のことらしい(1946/7/1)

 

ところでエリントンの曲やジミヘンの曲に出てくる A train は「ア・トレイン」ではなく「エイトレイン」と発音されている。

この A は一体何なんだろうなと昔から思っていた。冠詞ではない。ネイティブオーライングリッシュが変化していていっていて、

冠詞の a を「エイ」と発音するようになっていたのだとしても歌詞全体として「ある列車」では意味が通らないのだ。

エリントンの方は歌詞を覚えていないがジミヘンの方は「here my A train is coming.」だし(覚え間違いで「here my train A comin'」だった)。

大文字のAを「エイ」と読むことによって「例の」という意味とする感覚があるのではないかと思う。

「X-day」だと日本でも割と人口膾炙していると思う。

 

 

再び『うっせぇわ』に戻る。

「あてもなくただ混乱する」という事態が起きているのが複数の日(何らかの形で everyday に帰着する説)なのか「例の日」なのかでどっちか変わる。

しか前後歌詞を見るに「その日」を特定する情報はなく、この歌詞の語り手にとって普遍的なことのように思われる。

 

 

ここまで調べたがもうわからないので考えるのをやめることにした。

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日本ラッパーで eyday の用例を確認

ACE COOL - EYDAY

twitter で「eyday lang:en」を試したがツイートの内容がチャット英語という感じでよくわからない。

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トラバにある通り urban dictionary範囲で "everyday の省略としての a day"がある模様(トップしか見てなかった)。

2021-03-13

寿司の国」発言は時と場合によっては、差別感情が元かもしれませんよ、日本人にはピンとこないかもだけどそういうときもあります

ぐらいで済ませておけばまあよくわからんけどそういうこともあるんかなぐらいには理解するけど

寿司(や寿司職人)なんぞを良いものと扱う日本人感覚海外では理解不能!それゆえ差別問題日本人理解できない!その態度が反ポリコレ!」

とか言われたらそりゃえええ・・って気分にぐらいなるわ、ってお気持ち


そんでもってそういうのはドイツ語冠詞にまつわる知識が云々だって同じ話なわけで。

日本人ドイツならではの文脈とか、ドイツ語原文での意味理解できない人が多いのはある程度は当たり前の話ではないかと。

それが直訳だけではなくて特定実況者への好悪感情を含めた意訳のようなものになれば尚更なわけで、

その事実自体ポリコレ違反のように扱うのはそれこそ「配慮が足りていない」にならないんかと疑問に思うわ、と。

別にそういう「知識不足」を単純に知識不足として、頭が悪いとかアホとか叩くのはわかるんだけど、

それと政治的な正しさ積極的に反抗してるかどうかをごっちゃにしないほうがいいんでないかと思うんだよな。

2021-02-22

anond:20210222162708

ドイツ語とったらおもろいかもな

カッコつけてるラノベちょっとアホにみえてる

シュバルツバルトは黒森だしなんとかシュバルツも黒だし

アインシュタインひとついしさんだし

バッハ小川さん

ゲジヒトは顔さん

リヒトが光

辞書でひいただけだから冠詞とか語順変化についていけてないのとか見るともうね

(たとえばツでおわるのかっこいいからどうしてもドラッヘンシュバルツとやりたくなるんだろうが普通にかんがえてシュバルツドラッヘンやで)

 

ただ結局今になって外国人交流するときは第2よりも英語よくよく磨いたほうがマシだとおもう

英語を介した二段階機械翻訳が一番汎用的だし(それが微妙につたわらん場合俺が英語をつかうことで一段階機械翻訳でいける)(というか相手香港ベトナム場合直接やりとりできてるらしい)

プログラミングもあるいみ英語だし

史学というなら楔形文字がんばればいいじゃん

2020-12-18

邦題にするときにtheを取るな

原題:Pirates of the Carribean

邦題:パイレーツ・オブ・カリビアン

原題:Godzilla King of the Monsters

邦題:ゴジラ キング・オブ・モンスターズ

 

これマジでなに考えてザ取ってんの?

ザがあると響きが悪くなるみたいな?

ならねえだろ大して パイレーツオブザカリビアンキングオブザモンスターズ 大いに結構じゃん

ヘンにダサい邦題つけるよりそのままの題を活かす方が良いってのは分かるんだけど、じゃあホントにそのままにすりゃいいじゃん

なんでザ取るの?馬鹿からか?

これ絶対日本人冠詞運用能力に悪影響あるでしょ 

太平洋の島々」ってなんていうんだろうな、あっそういえば「カリブ海海賊たち」がパイレーツ・オブ・カリビアンだったな、ってことはIslands of Pacific Oceanか!ってなりかねないだろ theをつけろtheを 海にはtheがつくって知識タイトルの形で学べるチャンスをフイにするどころか間違った知識を与えてんだよ

ハウハザブーンとかの方が100倍マシなんだよな なぜ「英語っぽいのに原題から冠詞だけ取り除かれている題」なんてものをわざわざ出すのか

本当に理解できん

俺が国王だったら死刑にすると思う

2020-09-22

もしも日本語冠詞があったなら

La.おかきってお笑いコンビのことをふと思い出してたのさ

村山今なにしてんだろとかそういうことじゃなくて、La.って何よってことなのさ

当時は気にも止めなかったんだけど、これフランス語の定冠詞なんだろうか?

ラ・フランスと頭にラ・がつくだけでそれだけで高級感が出るから、くだらないものにラ・をつけよう、そんな感じでおかきが選ばれたのかなーとか思った

ならば男性コンビなんだからLe.のほうが適切だったのかもよとか、休日もの、そんなくだらないことを考えていてもいいだろう

日本語って冠詞が無いけど、もしあったなら言葉雰囲気もガラリと変わるのかもなーとか思った

2020-09-13

英語が正確に読めない

英語情報を得ようとすると、結構な頻度で誤った解釈をしてしまう。

例えば日本語で「Aさんがいた」という文章を読めば、今はいないんだなと理解できるけど、英語だとそれができない。

それは時制だったり、冠詞だったりするんだけど、英語を読むときにそこまで気が回らない。

間違いを指摘して貰えば、文法的にどのように解釈すべきかわかるんだけど、一人称でそれができない。

英語を使ったコミュニケーションですごく苦労する。イメージ的には反語的な方法に主旨が載っている見当違いな解釈をしてしまう。Why notくらい有名なら流石にわかるけれども、こういうのも慣れるしかないのかな。

2020-07-04

anond:20200704094717

冠詞が抜けてるし、綴り間違ってんぞ。A virginな。

2020-06-19

冠詞機能を語調/抑揚が担っている?

「つぎ、パーティーいつ?」

この発話における不定冠詞(a party)と定冠詞(the party)を峻別する役割日本語ではイントネーションが概ね担っているのではないか

パーティー(↑↓)と発音すれば、普通の(つまり一般的概念としての)誕生日パーティーや社交パーティーのようなものを指すが、「パーティー」をフラット発音すれば、仲間うちのクラブイベントっぽい。つまりは、"あの"パーティーという定冠詞的なニュアンスが出せる訳だ。

いわゆる一般流通しているその語のイントネーションとは違う(しかし、かといって、それについて無知である素振りはないどころか、それについて独特の了解を持っていそうな)独特の(話者同士にのみ共有された"あの"を指す)符丁感がある。わざわざ「あのパーティー」なんて野暮な言い回しをしなくても、ちょっとアクセント位置をズラすことで、ほら、あれだよあれ、って目配せしているような。

2020-05-17

anond:20200517064939

助詞のね。何も考えずに使えるという意味英語話者冠詞に並ぶと思い例に出しました。

2020-05-02

anond:20200502131948

助詞選択添削される程度で済むなら、特に文法が難しい言語ではないということになりそうに思えるが...

英語で言えば冠詞の使い方が難しいとかいうのと近い感じでは?

間違えても一応は通じるし、それができないと話せないという程の問題ではないわけで。

2020-04-09

スペイン語まめちしき

jはハ行の音になる

日本語のハ行とはちょっと違う発音なんだけどまあ聞こえ方はハ行

Youtubeコメント欄ときどきあるjajajaはスペイン語圏の人のハハハ

ちなみにgegiもハ行になる よって生姜gengibreはヘンヒブレと読む

形容詞複数形になる

たとえばアルゼンチン首都ブエノスアイレス、buenoは良いって意味で、aireは空気とか風 それの複数形なんだけど、英語みたいにbueno(単数) aires(複数)とはならずaireの複数形容詞にも波及してbuenos(複数) aires(複数)になる

Los Ángelesなんかもそう!〜ス〜スっていう地名はほぼそれだと思う リアス式海岸元ネタリアスハス海岸なんかもそうですね

前置詞

スペイン語っぽい単語としてよく見るdeはofとfromを併せ持つような感じ 

スペイン語のaは冠詞ではなく前置詞で、toみたいな感じ(結構違うが) なので"de … a …"は「…から…まで」になる

2020-03-05

anond:20200305061410

アートっていうのは手偏の漢字すべてだよ

人がなにか加工したものアーティフィシャルの語源

まあここでは日本人の大好きな「芸術」つまり狭いアート限定しておこう

術というのも行の部分で両手をつかっている状態を示す形象文字にすぎないんだが

日本人芸術といえば茶道みたいに(意図理解しなければただ空虚笑い種しかみえない)

儀式セレモニー)として奉ることが正当だとおもってるから

 

中世アートだってコンテクストはあり、空気読めない作者は

ミカン農園股間じわのついたミニスカート女を立たせた絵を描いたごとくにさんざんに怒られた

たとえば受胎告知というタイトルなのに聖母マリアらしき女性が青い服着てない、天使百合の花もってないなどは

いくら上手くてもけちょんけちょん、「なに考えてんの」「おまえ破門な」だ

 

しかるにこういったコンテクストによる価値づけは日本人卑近唾棄すべきとおもっている

フェミニスト価値観のほうがずっと自分の頭や感性をつかってる分芸術に近い

無知日本人は「自分が知らない・理解できないものから無条件にえらいものだろう」と奉るへんなアニミズム癖がある

二次元スカートはいてるからエロくなんてありませ~ん」もその派生

そうだな二次元萌え絵でまつ毛ばっさり深海魚あるいは0歳児みたいなデカ目に描かれてるのは神秘的で素敵だな

そして作者側もこれに積極的に乗っかっていくw

現代アートにあふれる「無題」w 

どうして無題か聞いても「おれ頭悪くてかっこいいタイトル書けないから」w

マクドナルドでふとおもいついたくだらないアイデアを発展させたものだとは

知らせない方がかっこよくみえるだろうという中二病同士のじゃれ合いw

 

漫画でゲジヒトだのノイシュシュヴァルツシルトだのドイツ語流行るのもドイツ語中学校選択できないからだ

ドイツ語がすらすら読める人にとってはなんで冠詞つけねえの変化させられねえからかなプゲラなのに

 

まあしょうがないよ 前沢氏だの麻生氏だのお金もちで芸術理解ありそうな人だってたいした基準で選んでるわけじゃない

日本にはまともな批評ができる芸術批評家がいないのだ

民衆芸術としてのアニメ映画でいいよもう

2020-02-26

ロサンゼルスをロスと呼ぶな

Los Angelesスペイン語から来てて、Los(複数冠詞)+Ángeles(天使Ángelの複数形)って形 ちなみにスペイン語風にそのまま読むとロス・アンヘレス

冠詞部分だけ取って呼ぶのはいくら略称とはいえ許されない ザ・ユナイテッドステイツ・オブ・アメリカを「ザ」とか「ザオブ」って略したら馬鹿みたいじゃん

これは私怨だけど昔読んでたネット小説エル・シドカンペドールって名前キャラをエルって略してて気が狂いそうになった エル(定冠詞)・シド(名前)・カンペドール(称号)みたいな呼び名なのによりによってそこ取ります?っていうね

みんなもっとスペイン語に対して真摯になってほしい エル、ラ、ロス、ラスあたりの扱いがガチで雑すぎる エル・ブランカとか言われると殺すぞと思う

2020-01-25

ケータイ」みたいな略

携帯電話ってあくま本体は「電話」部分なのに属性を指す部分だけになっちゃってるじゃん 何を携帯すんねんと思う そういうやつ

(中南米の)スペイン語では車のことをautoって言うんだけど、これは結構近い auto(自ら)+móvil(動く)の自ら部分だけが残ってて、自ら…なんやねん感がある

ちょっと違うけどロサンゼルスをロスっていうのもダメだな Los(定冠詞)+Angeles(天使たち)なんだから

板前を板さんって言うのもちょっと嫌 (まな)板(の)前(に立つ人)なんじゃねえのか どっちかっていうと前の方が人間にかかってる気がする 板はまな板じゃん

2019-12-14

古文をやめてラテン系言語をやれ

スペイン語勉強したらポルトガル語イタリア語フランス語ラテン語あたりの意味ボンヤリわかるようになった

英語知識だけでわかろうとするのとはかなり精度がちがう たとえば「いつ」の疑問詞はスペイン語だとcuando、イタリア語だとquando、フランス語だとquand こういう基礎文法みたいな部分がかなり似通ってるんで絶対便利 ちょっとでもわかる部分があると結構違ってくる

日本古来の文化ガーとか言いながら係助詞とかを学ぶのは絶対ムダだ

枕草子とか源氏物語大鏡とか徒然草なんかを多少読むのは全然構わないし、教養として大切だっていうのも頷ける でも古典日本語の動詞活用なんて覚えてどうするんだよ それならスペイン語の前置詞と定冠詞でも覚えたほうがまだしも役立つだろ

2019-09-13

[]野外で合法的全裸になりたかったので、オーストリア混浴してきた

【初めに】

 コピーミスで一節が抜けていた。申し訳ない。【】で囲まれた部分が追記である

【本文】

 服を着るのが苦手だ。できることなら裸で生活したい。

 ビジネスホテルに泊まるときは大抵全裸だし、男女関係なく素っ裸で過ごしたら、さぞ気持ちがいいだろう。

 そんなことを呟こうものなら、不審者扱いされるのは目に見えている。挙句の果てに、公共の場で脱ぎだして陰部を露出する不審者予備軍と誤解され、警察のお世話になるかもしれない。

 だが、よく考えてほしい。ああした人たちは、自分全裸特に陰部を見てほしいのであって、裸になりたいのとは少し違う。それに、皆様も思うことはないだろうか。たとえば大浴場に浸かったときの安らぎ。もしもそれが露天風呂だったらなおのこと心が緩み、湯の中に嫌なことが溶けていく思いがしないだろうか。

 目の前にどこまでも緑が、あるいは紅葉が広がっていたら。あるいは、絶えることのないとどろきを繰り返す海洋が広がっていたのなら。これほどまでに自由を感じつつ、大いなる存在に受け止められている安心感を覚える場所はないはずだ。何も身にまとうことなく立っていると、海風が全身をそっと撫でていき、普段どれほど重いものを身にまとってきたかを、嫌でも意識させられる。

 とはいえ、男女混浴可能場所国内でも限られている。ましてや、近年は混浴マナーの低下が甚だしく、混浴を取りやめてしま地域も多いと聞く。ある意味では仕方がないのかもしれない。混浴誕生した時代とは、私たち羞恥心感覚も変わってしまった。

 そういうわけで、私は混浴文化がまだ息づいている、ウィーンにまで足を運んだのである。概して、ドイツオーストリアを含む中東欧の人々は裸体に対するタブーが弱く、混浴についても寛容なである。緯度が高いので、全身で太陽を浴びたいのだろうか。冬になると日照量不足で気分が落ち込む私としては、その気持ちはよくわかる気がした。

 もっとも、私は全裸になるためだけにオーストリアに飛ぶような酔狂人間ではない。

 私は建築美術にも関心があり、この旅行の主目的は、クリムトシーレ、ココシュカといった人々の作品を鑑賞することであった。なので、脱衣はどちらかといえば、時間が空いたときのおまけである

 日本と同じで、月曜日には休業の美術館が多い。なので、月曜日にそうした巨大温泉施設に向かった。ウィーン中心街からおおよそ三十分ほどのオーバラー駅前の、テルメ・ウィーンと呼ばれるところである

 駅を出ると目の前に巨大な建物があり、そこからは既に硫黄香りがしている。そうしたところは我が国温泉とよく似ており、妙な安心感がある。片言のドイツ語で入場料を払い、タオルレンタルを済ませ、ロッカーに向かった。

 ロッカーのカギは電子式で、かざすと自動的に開閉されるというものだ。慣れるまでに時間がかかったが、すぐに便利だとわかった。荷物を持ったままガチャガチャと回すのは大変だからだ。ちなみに、このロッカールームの時点ですでに混浴で、男性女性関係なく着替えている。もちろん、慎み深い人のために個室の更衣室もあるのだが、別料金だ。

 ちなみに、温泉施設ではあるがすべて全裸で過ごすわけではなく、全裸なのは奥のサウナコーナーのみである。そのために私は一応水着を持参しており、ついでに防水のバッグも持ってきた。

 まずは、せっかくなので水着エリア温泉を楽しむ。とはいえ水着エリア温水プール同然であり、浸かっているとあたたかいが出て風に当たるとすぐに水着が冷えてしまうといった代物である。せいぜい人肌程度であり、温まるには不足である

 これはときどき指摘されることだけれど、日本人の湯加減の好みは、ヨーロッパの人々のそれよりもかなり高いらしい。ハンガリー温泉大国で知られているが、やはりそこも湯加減はぬるい。ただ、その程度の温度でなければ、ガイドブックで見かけるように、湯につかりながらのんびりとチェスの対局をやるわけにもいかないだろう。

 他にも、子供立ち入り禁止エリアというのがあり、ムーディーな照明と共に、カップル夫婦がぷかぷかと浮かびながら語らっているコーナーがあった。ここも温水プールほとんど温まらない。日本温水プールみたいに、塩素臭くないのはありがたいのだが、やはり汗をかかないと物足りなく感じてしまう。

 そうしたわけで、水着エリアを堪能した後に移動しようとしたのだが、サウナエリアがどこかわからない。あちこちうろつきまわり、子供に泳ぎを教えているらしい人やスタッフと思しき人物に、「ヴォー・イストサウナ?」(サウナはどこですか?)などとつたないドイツ語で尋ね歩くうちに、やっとのことでたどり着いた。

 なお、このゲートの先は別料金であり、鍵をタッチして入る。清算は帰りだ。そして、注意書きにはドイツ語と英語で「この先水着の着用を禁じる」と書かれている。なんとも徹底していることだ。私は軽快な電子音と共にその奥へと進んだ。

 サウナコーナーは、それほど変わった印象はなかった。ただ、見かける男性が皆素っ裸なので、私も水着を脱いだ。それほどの羞恥を感じなかったのは、一つには周囲には男性しかいなかったからだろう。それに、ここでは全裸が正装なのだ。だったら、むしろ何か着ている方が恥ずかしいのではないか。そんなことを思ったのである

 サウナ入り口には温度が書かれており、四十五度、五十度、六十度、それから九十度に分かれている。ひとまず五十度のところに入ると、既に老夫婦がくつろいでいた。ここで初めて裸の女性と遭遇した。

 二人は、私の存在を気にかける様子もなく、くつろいだ様子だった。私も、確かに目の前に女性がいるのだなあ、ということは考えたのだが、気にしてもしょうがなかったので、ぼんやり天井を眺めることにした。男性で前を隠している人はほとんどいなかったので、自分もそれに倣ったのだけれど、個人的には気持ちが良かった。世間体を気にせずにリラックスした姿でいるのは、何とも言えず心地よい。

 ちなみにその老夫婦のいたサウナでは、腰かけるところがチェアベッドのようになっており、仰向けにくつろげるような形になっていた。うとうとしているといつの間にか隣に座った男性が、ペーパーバックで何やら読んでいる。お風呂ではなくてサウナ読書、贅沢この上ない時間だ(もっとも、後で注意書きを見たら、サウナの中の読書禁止、と書かれていたのだが)。

 しばらくして、サウナを出てシャワーを浴び、他の温度のところを回ったり、冷水プールに体を浸したりした。日本温泉露天風呂がメインで、サウナ複数あるところは珍しい気がするが、ここでは様々なタイプサウナがあり、存分に楽しめた。

 たとえば、スチームサウナというのがあり、ここでは猛烈な蒸気で包まれる。汗が蒸発しないのでなかなかにつらいし、持っていたタオルもすぐにびしょ濡れになってしまうのだが、熱風がきつくないので、肌には優しい気がした。眼鏡をかけていると、何が何だかからなくなってしまうのだが。

 ちなみにこの眼鏡裸眼で転ばないように、日本サウナ用の眼鏡をわざわざ購入したものである

【ところで、このサウナコーナーには、外がある。サウナなので当然素っ裸で歩くのだが、これが気持ちがいいことこの上ない。芝生の上を歩けば、まるで熱帯民族になったようで愉快だ。そして、歩いた先には小屋があるのだが、そこもまたサウナである

 そこでは、おおよそ温度は九十度で、定期的にスイッチオンオフになる。オンになると、そこにはタオル一枚のおじさんがやってきて、香りのする水を炉に撒く。そして、巨大なタオルサウナの人々に熱風を浴びせるのである

 それがまた非常に心地よい。異様な高温のはずで、現に乳首が痛いほどなのだが、それでも不思議と生きている実感が与えられるというか、幸福感と高揚感が感じられる。それは他の人々も同じなのだろう。おじさんのパフォーマンスが終わると、一斉に歓声と拍手がする。ロウリュウ、と呼ばれるものに近いのだろう。

 そのあとも、おじさんは一人一人に熱風を送る。そのたびにあおがれた人々は嬉しそうだ。私も、「ゼア・グート。アバー・ゼア・ハイス」(とても気持ちがいいですが、とても暑いです)と、定冠詞活用無茶苦茶ドイツ語で応じた。すると隣のおじさんがあおがれたときに「カルトカルト」(寒い寒い)などというものから、思わずその場は笑いに包まれた。

 私に向かって風を送るときに、両手を合わせてお辞儀をしてくれた。たぶんタイかどこかと間違えているのだろうが、悪意よりも親しみを感じたので、こちらも会釈した。腰かけるところが熱すぎて胡坐をかいていたので、仏像か何かと勘違いしたのかもしれない。

 その後、全身をほてらせながら野外にある二十五メートルほどのプールで体を冷やした。何往復か泳いでから、仰向けになって曇り空を眺めているうちに、これほどの幸せなはないだろうな、と感じられた。何のしがらみもなく、何の規制もなく、ただ存在するだけ。過度な欲望もなく、競うこともなく、誰から干渉されない時間だけそこにあった。

 それに、水着を身につけずに泳ぐと体を締め付けるものが何もなくて、全身を区別せずに流れていく水が本当に心を自由にしてくれる。それに、誰もお互いの裸をじろじろ見たり気にしたりしないのも、気持ちが良かった。あたたかな無関心というか、あるがままの姿を受け入れてもらっている感覚になるのだ。

 人間身体のどこに猥褻なところがあるのだろう、表現規制は何のためにあるのか、などと大げさな議論が頭の中に形を取ろうとしたが、そうしたもの普段日の当たらない陰部に太陽が差す気持ちよさに溶けてしまった。

 そうしたわけで、私は結局三時間以上もそこで過ごすことになった。】

 さて、三時間過ごしたので、そこではいろんな人を見ることができた。もちろん、凝視したわけではないけれど、それでも混浴に来るオーストリア人にはいくつかのパターンが認められた。

 その一、スポーツマンタイプものすごい筋肉量で、アスリートか何かのようだ。これだけ鍛えていれば、自分身体に恥ずかしいところなど、どこにもないと言わんばかりだ。ギリシアローマ彫刻そっくりであるスポーツマン同士で何やら楽しげに話していることが多い。

 その二、力士タイプ。非常にでっぷりとした肥満体系のおじさん。人からどう見られているかそんなに気にしていない印象。こちらも堂々と歩いており、楽しそうにしている。

 その三、老夫婦。なんというか日本混浴にもいそうな、のんびりした雰囲気ときどき湯船の中で抱き合ったり、ほっぺたにキスしたりしている。ちなみに、注意書きには「キス以上のことはしちゃダメ!」「十六歳未満の入場禁止!」と書かれている。

 その四、比較若いカップル、あるいは若い男女。よくわからないのだけれど、「みんなで渡れば怖くない」的な感じで一緒に来たのかもしれない。

 ちなみに日本人は私だけだった。それから一人だけアフリカ系の人がいた。それ以外はみんなヨーロッパ系。

 で、こうして振り返ってみると、比較若い人が多い。それでも、私はあまり気にならなかった。というのも、前も言った通りここは全裸が正装なのであり、それについてとやかく言うほうが変だ。確かに、きれいで魅力的な人もいたし、中には私の好みの人もいたのだが、雑踏ですれ違う以上の感慨はなかったし、わざわざ振り返ることもなかった。

 混浴について、猥褻だとか下品だとかい意見があるが、私はまったくそう思ない。そもそも、ここは風呂サウナであり、いい湯だな、以外の感想はない。たぶん、混浴について批判的な人は、マナーの悪い人と一緒になってしまったのか、そもそも風呂がそこまで好きではないか、なのではないか。人様のことだから勝手判断差し控えるが。

 というか、見えそうで見えない極小ビキニなんかよりも、素っ裸の方がよっぽど上品な気はする。潔いし。隠すから下品だとか猥褻だとか言われるんじゃなかろうか。みんな最初からすっぽんぽんだったら、誰も気にしないだろうし。隠せば隠すほど、そこに注意が向くし、逆説的にそこに注目してくれと言っているようなものな気がする。

 それと、全然関係ないけど、女性でも腋毛もじゃもじゃの人は多いのは面白い。話には聞いていたが、実際に目にするとやはり興味深い。陰部がどうなっているかはじろじろ見なかったからわからないけれど、向こうの人は剃っているとはよく聞く。ただ、そんなことも温泉気持ちいいのでどうでもよい。

 そういうわけで、私はオーストリア混浴を十分に楽しんできた。予想していた通り、とても気持ちが良かった。日本にも類似したサービスがあればいいのに、と思ったが、マナー一定の水準に保つことは難しいだろう。きっと、ナンパしたりじろじろ見たりする行為が横行するに違いない。一度絶えてしまった、混浴文化を再びメジャーにするのは、難しいだろう。

 プールサイドで裸のまま横になり、夢うつつのまま時間が過ぎていく経験は非常に贅沢だった。しかし、これは今の温泉文化とは、少し違うかもしれない。

 個人的には、自分がやりたいことをやったので、満足している部分はある。今後どうするかはわからない。恋人がいないときだったので、とりあえず全裸になってはみたのだが、もしも今後も恋人が見つからず、行きたい場所が思いつかなかったら、どこか別の国でヌーディストビーチに行くかもしれない。それか、趣向を変えて、全裸ハイキングか全裸マラソンかに挑戦するかもしれない。

 もっとも、この混浴体験ですっかり気が済んでしまい、数年後には興味すら持たなくなっている可能性もある。それはわからない。

 ただ、やりたいことをやってみて、それなりに面白かった。それで十分なのかもしれない。

 皆様の快適な全裸ライフの参考になれば幸いである。

 最後に、脱いではいけないところで脱ぐのは絶対にやめましょう。これだけは強調しておく。

最後に】

 本記事カクヨムにも掲載されている。私が投稿者本人であることは、カクヨムでは連載中であり、現時点でも未公開になっている部分が含まれていることが証拠になる。

【付記】

 ヌードバイクみたいな、ヌーディスト活動経験者の増田は、ほかにもいらっしゃるのだろうか。あるいは、ヌーディズムに関心がある、だけでも潜在的にはどれほどいるのだろう?

アクセス

 地下鉄U1の終点、Oberlaa駅

2019-05-20

anond:20190520180023

俺もそう思う。「比較的」という冠詞必要だけど。

例えばマララ・ユスフザイって人が「女性の権利」でノーベル平和賞とったけど、その内容は普通に誰もが納得できるほど酷い仕打ちに対するものだった。(レ〇プとか少女強制結婚とか)

それらの被害にあわないことが普通の国では「女性の権利」を拡大解釈してしゃべることができるけど、それはその国がより「差別が少ない」からできるんだよね。

まり問題の内容がしょうもないのは、ある面で「それ以上の問題がない」という側面もあると言える。戦時中だったらそれどころじゃないわけで。

ただし「自転車置き場の議論」の可能性もあるので、一概に言えるものではない。

2019-05-04

女性性的に見る自由

一般女性性的に見る」ことと、「特定女性性的に見る」ことと、「『私は女性性的に見ています』と言う」ことと、「『彼女性的に見ています』と言う」ことと、「『あなた性的に見ています』と言う」ことは全部違うんだけど、みんな区別できてないのは日本語の欠陥かな?日本語にも冠詞を導入して主語の省略をやめればいいのかな?

女性子供に替えると小児性愛差別の話にも繋がる。

2019-03-07

英語冠詞理解してる人

えらい。どうやったら理解できるん?

2019-02-01

ブロークンな英作文

書いた瞬間はちゃんと考えたつもりなのに後から冠詞抜けとかおかしな修飾(補語名詞の前に置く)とかに気づいて萎え

ナチュラル英語を書けるようになるまで道は遠いなあ

2018-10-20

ぼくは本業研究者なんだけど、大陸欧州のひとが書いた原著論文でも冠詞からしおかしいのとかチラホラみかけるよ。

あっこいつら自分英語できると思って英文校閲に通してないんだろうなあ、って思ってしまう。

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