はてなキーワード: 冠詞とは
「All your base are belong to us.」は、2001年から2002年にかけてインターネットで流行した言葉の一つであり、インターネット上で起こった現象(ミーム)の中で最も有名なものの一つである[1]。短縮して「All Your Base」、「AYBABTU」または「AYB」とも呼ばれる。
この文は、「君達の基地は、全て我々がいただいた。」という日本語の文の稚拙な英訳からきている。原典は日本の東亜プランによって1989年に作られたコンピュータゲーム『ゼロウィング』の、1992年に発売されたヨーロッパ向けのメガドライブ版のオープニングデモである。なお、元々のアーケード版やPCエンジン版にはこの語句はない。また、北米ではアーケード版はウィリアムスより発売されていたが、家庭版はリリースされていない。
東亜プランのゲーム開発者だった弓削雅稔は、当時同社の貿易担当の営業員にかなり英語力が怪しい人物がおり、その人が考えた文かもしれないと語っている[2]。
“All your base are belong to us.”という英文は、英語を母語とする人にとっては片言であり、シリアスな画面との対比のおかしさ、企業がこんな間違った英語を校閲せずに載せたものを売ってしまうという意外性、あるいはその文章自体のインパクトによって一気に流行することになった。一部では「その言葉は間違っているよ」という意味合いを込めて使われる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/All_your_base_are_belong_to_us
2003年にPC向けに発売されたカーアクションゲーム『Big Rigs: Over the Road Racing』で表示される文言。文法的には「You're the Winner」または「You're a Winner」と冠詞を付けるのが正しい。『Big Rigs』は史上最悪のクソゲーとして名高いタイトルであり、ネット上のレビューでも、最低点、もしくは皮肉を込めて最高点(嫌いな知人への贈り物に最適、など)を付けられているものが大半である。この英語も本作のクオリティーの低さが垣間見えるテキストとして頻繁にネタにされている。開発を手がけたStellar Stone社(2006年に閉鎖)はカリフォルニア所在であったが、ロシアの開発会社へ外注したためにこのような Engrish が生まれたといわれている。
英会話の練習のために、音声入力ソフト等と組み合わせて使っている。
ただ、会話を切り上げる前に
Please point out all grammar mistakes and inappropriate or impolite expressions in my text above?
みたいなことを頼んでも、やってくれるときとやってくれないときがある。
やってくれるときには、明らかな間違いだけでなくa/certain/some/無冠詞やbelieve/consider/think等の使い分けのような文脈を理解しないと直せない部分まで直してくれるんだけど、やってくれないときには、スペルミスさえ見逃して「あなたの英語は適切かつ明確です」とか「自分はAIなので失礼かはわかりません」としか言わない。
現地語だとthe相当の冠詞が付いてるケースも多そうだけど
https://anond.hatelabo.jp/20221002090419
↑の元増田です。
トラバでやり取りしてるうちに、
と言われたので、こいつめんどくせー!と思いつつ、調べたよもー。
(どうでもいいけどhttpなんだね。ロシアってそういうサイト多いのかな?)
(2022-10-19 12:46 追記。今日のロシアにおけるインターネット事情を踏まえ、プーチン演説全文の外部リンクは削除した。各自自己責任の上で探して欲しい)
で、「核兵器使用の前例」に関して述べたと思われる箇所はここ。
США – единственная страна в мире, дважды применившая ядерное оружие, уничтожив японские города Хиросиму и Нагасаки. Кстати говоря, создали прецедент.
えっと、最後の単語прецедентが日本語訳で「前例」に当たるんだけど、Google翻訳によれば古フランス語が語源。
実際прецедентの発音は英語のprecedentに割と近い。
https://www.google.com/search?q=precede+meaning
late Middle English: from Old French preceder, from Latin praecedere, from prae ‘before’ + cedere ‘go’.
とある。
何せ公式が既にWebの海に放流した文章なので、仮に多少演説原文とはニュアンスが違ってロシアから「ちがうそうじゃない」と言われても「いや、あんた英語でこう書いてるんやから」で通るだろう。
また、世界的に言えばこちらの方が読まれる回数は多いのではとも思われる。
個人的に英語の方がまだ読めるという事情もあり、当初の予定とはズレるけれども、英語訳の方を読んでみることにした。
さて。
下記が上記の原文と同じ箇所。
The United States is the only country in the world that has used nuclear weapons twice, destroying the cities of Hiroshima and Nagasaki in Japan. And they created a precedent.
ちなみに、原文・英文ともに引用部分で一つのパラグラフになっている。
ここでまず、precedentを目的語に取る単語としてcreateが使われていることと、precedentの冠詞としてaがついていることがちょっと気になった。
特に後者については、さっと調べてみるとロシア語には冠詞がないそうなので、原文と英文でささいなニュアンスの違いが生まれるかもしれない。
https://www.google.com/search?q=create+meaning&oq=create+meaning
ま、普通に考えて
ということでいいだろう。
https://www.google.com/search?q=precedent+meaning&oq=precedent
これもまあ、普通に
an earlier event or action that is regarded as an example or guide to be considered in subsequent similar circumstances.
ということだろうな。
ていうか、ここまで長々と書いたけど、引用文をパッと見ても単語の定義調べた上でためつすがめつ見ても、俺には「お前が最初にやったんだから"誰か"がそれに続いても文句言えめえ?」と言ってる様にしか読めない。
「その"誰か"はロシアである」とこの文から決めつけるのはさすがに難癖かと思うものの、発言の責任はやっぱりロシアにあるので、俺の主張は変わらないかな。
みんなはどう思うだろうか?
ちなみに、直後の文では
Recall that during WWII the United States and Britain reduced Dresden, Hamburg, Cologne and many other German cities to rubble, without the least military necessity. It was done ostentatiously and, to repeat, without any military necessity. They had only one goal, as with the nuclear bombing of Japanese cities: to intimidate our country and the rest of the world.
と言ってる。
実はほとんど読んでないんだよね。
それの味と言うより、存在自体が憎い。
味というより、それを食べた人の翌日の口臭が大嫌い。
コロナ前に電車でおっさんからその匂いがすると吐き気を催すほどだった。
ちなみにコロナ禍でも、マスクの横から漏れるそれを食べた後の口臭は少なからず観測されている。最悪。
サンプル数=2だが、焼き肉や外食でそれの丸焼きなんかを好んで食べるような女ほど私がそれの匂いが苦手という話をすると「そう?そんなに気にならないけどナー」などと言い、かえりの電車爆裂な口臭を振り撒くからタチが悪い。
あの匂いを自分が発すると考えると嫌すぎて、自分で作る料理ではほとんどそれを使わないし、外食ではペペロンチーノなどのそれを全面に押し出した料理やスタミナが冠詞についたものは絶対に頼まない。餃子は味の素生姜餃子一択だ(味の素ありがとう)。
そうしていつのまにかそれの存在自体を忌避するようになり、記事タイトル名にそれが含まれるだけでも気持ち悪くて見るのが嫌になった。体調があまり良くない時はその文字列だけで吐き気を催す。
YOASOBI「Into the night」はご存知でしょうか?
「夜に駆ける」の英訳バージョンとして発表されたこの楽曲、まずはとりあえず日本語バージョンから聴いてみてください。そのあと英語バージョンへ。
https://www.uta-net.com/song/284748/
https://www.uta-net.com/song/304176/
そう、この楽曲、「日本語の発音に英語を当てはめながら英訳としても意味を成している」んですね。
この英訳の音の当てはめ方。聴いた瞬間にもう膝を打ってしまったわけですが、英語の成績はそこまで良くなかった私では英訳の上手さを十分に理解しきれない、よりこの英訳について掘り下げたい!と思い、英語が堪能な友人と少しTwitterのDMで話し合ってみました。
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自分…日本在住。英語は多少の理解、会話が可能。(簡単な道案内ができる程度)
文法はなどはあまり理解しておらず、ノリと勢いで会話を乗り切る人間。
英会話で困った時は「幼稚園の子供に話すようにしゃべって!」と言って苦笑いされるタイプ。
友人…英国在住。英語話者のパートナーを持つ。学生時代から成績優秀。語学に堪能であり、大学では談話分析などに触れる。
最近ではTwitterでゆるく繋がっているくらいの距離感であり、一対一で会話のやりとりをするのは数年ぶりでした。
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急な連絡ごめんなさい!
ちょっと気になったことを聞いてみたくて英語に堪能なあなたにご連絡した次第です。
暇なときにふわっとなんか返してくれると嬉しいな!
日本で最近有名なアーティストさんが、もともと日本語の曲を全部英訳して英語バージョンを出したのね。
聞くとわかるかと思うけど「日本語の発音を英語バージョンでも織り交ぜて似た響き」にしてるんだよね。
日: 沈むように溶けていくように
英: Seize a move, you're on me, falling, and we were dissolving.
みたいな。
自分は聞いたとき、うわっ、日本語への音の一致が巧みすぎるな!と感動したんだけどふと疑問に思って。
これって英訳としてちゃんと意味を成した歌詞になってるのかな?
簡単な英文なら読めるけど詳しい文法とかになるとてんでダメだから詳しい方の分析を聞いてみたい!っていう、ほんとただ趣味の質問でした。
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友人
むしろ大歓迎!
YOASOBIのこの曲はギリ知ってますよー。
耳に残りやすい語尾は完全に一致されるように作られてると思う。
(例えば「沈むように」「騒がしい」とか)
あまり日常的には聞かないような文章の作り方をしてる部分があるかな。
例えば、サビのSaw what got seen hid beneath, and louder nights keep beatingは、
「騒がしい日々に笑えない君に」を指してるけど
日本語では騒がしい日々という一つの句になってる部分が、louder nights keep beatingが英詞一つの文に落とし込んでたり。
Saw what got seen hid beneathは本来の英文法だったら、(I) saw what (I) got seen (is) hid(den) beneath.
意味も「僕は見たもの( i.e. 君)が影に隠してるのを見た」だしね。
それが完全に変とは言えないけどね。
Be動詞を全部ain’tに変えたりとか、
三人称単数のhasになるところをhaveにしてみたりとかさ。
あと、英語はどうしても主語ありきなところと、1拍に一音以上乗せられるから※、
新たな情景が多少追加されてる部分があるかな。
具体的にはAメロのSeize a move, you’re on meは
直訳は「動きを止めて、君は僕にいる ( = コントロール下にいるイメージ)」は
サビのI’m going to youは歌い手の「僕」が「君」に近づいてっちゃってるプラス、
You could run with meとか更に逃げ道の選択肢を与えてる気がするかな。
日本語の発音でcatを言ったら、キャ-ット (kya-tto)で二拍必要になる
→ 同じメロディ・拍数があっても載せられる情報量が変わってくる。
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こういうのを待ってた!!!
めちゃくちゃに勉強になる〜、一拍に一音の説明もわかりやすい…最高…。
意味はほぼ一致してるという点は自分もそう読み取ってたから合っててよかった〜情景の描写とかは割と忠実だよね。
自分が引っかかってたのは
「英訳の方が歌詞の主観者が能動的」だなぁって若干感じていたんだよね。(意味伝わるかな…)
「二人今、夜に駆け出していく」
が、二人と描写されてるからここだけ第三者目線で描かれて「僕」から離れているのに対して英訳では
「you and me are running through the night in the dark, I'll take you」
となって、視点が「僕」から変わらないままである。なおかつただ駆け出すだけでなくI'll take you.つまり「僕が君を連れ出す」と能動的に動いている。
この辺りの視点の違いになんとなく不思議な感覚を覚えたので今回質問に至ったんだよね。
でも「英語は主語ありき」という説明でめちゃくちゃに腑に落ちた!
英語だと音を詰められるから歌詞を追加する必要があるのと主語をハッキリさせる必要があったために、そこで新たな描写が増えていて「僕」の主観がより顕著になっていたと!!
そういう解釈…であってるよね?
いやこれめちゃくちゃ楽しいわ、こんな楽しい会話ができる素敵な方、君しかいないわ〜!!本当に付き合ってくれてありがとう!!
あと主語ありきの話で言うと、よくよく考えると日本語だと少なくとも歌詞の世界の中では君と僕に性別は設定されてない(想定されているかもしれないが明言はされていない)のに対して英語版だとSheと少なくとも「君=女性」と確定しているのもなんとも言語の特徴が表れてるな〜って感じました。
なんかもうちょっと情緒というか、三人称に性別の明確性を持たない言葉があればいいのにね〜ってちょっとだけ思った、蛇足だけど。
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友人
そうだね、多分能動的だなって感じるのは、
英訳版が主語が明確じゃない部分でさえも主語を明示的にしてるのと、
拍の量と文化的に「僕」の描写を若干足してるからだと思うんだ。
というのも追加された「僕」の描写や純粋な日本語の訳を考えたときに、
英語に直した時にやっぱり誰の話?というか
誰が動いてるのかが顕著に足りない気がするんだよね。
君のいう通り、
歌詞に「二人」という表現がいくつも出てきて、僕と君から視点が離れてるけど、
日本語では感覚的と前後の文章で君と僕 (you and me)の話をしてることがすぐに分かるじゃない?
英語だと both of them, both of you, two people, both of us, theyとか選択出てくると思うのよ。
でも現実的にboth of them, both of you, two people, theyは、
この場合の「二人」の代わりにはならないし、
で、ご指摘のyou and me are running ~は言葉を顕著に受け取ると、
すでに夜の中を走ってるわけだから、
”I’ll take you”を入れることで「駆け出し」感? 今始まる感を演出してると思う。
駆け出すきっかけを作ってるのは僕だし、主語ないと今から始まる感が今ひとつになる気がする。
あと、蛇足の君がsheになってるのは、やっぱり主語抜きにできないし、
無理くり主語抜きにして、受動態とか使うと情景がボケるからでは?
最近はLGBTQ+の台頭によって、
theyを三人称単数でも使われることも出てきたのね。
(sheでもheでもないノンバイナリーの方もしくは性別が分からない人等場合はthey)
でも、まだまだメインストリームな使い方じゃないし、
ここでtheyが使われたりしたら、きっとどこか”LGBTQ+”を意識してると思われそうよね。
一瞬大学の談話分析とか思い出しちゃったけどw、すごく楽しかった!
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数年ぶりの対話でここまで付き合ってくれる友人神かよ…。
そんなこんなで久しぶりの会話が割と弾んでしまい、なんだかもっとたくさんの意見を聞いてみたい!と思い今回投稿をしてみた次第です。
YOASOBI「Into the night」を聴いて、皆さんはどんなことを考えましたか?
個人的にもう少し掘り下げてみたいな〜って感じているのは、
・「日本語らしさ」とは何か?(発音をどこまで崩しても「日本語」として認識されるか?)
という点ですね。
似たような試みをしたのは
COLTEMONIKHA「そらとぶひかり」
https://music.apple.com/jp/album/natural-lips/1538259833?i=1538259836
あたりかと思いますが、なんか言語学に詳しい方いらっしゃったらご教示頂けたら幸いです。
長文ご覧頂き誠にありがとうございました。
ツール・ド・フランスに関する増田を書いたところ興味を示された方が少しおられましたので、私が考えるツール・ド・フランスの楽しさを少しずつご紹介できればと思います。うまく伝わるとよいのですが。
なお、私なんかの雑な解説よりもはるかにキチンと書かれた解説文献がネット上にはごろごろあります。内容が少し古いのですが JSPORTS の「ツール・ド・フランスを知るための100の入り口:Vive le Tour!」などがオススメです。
https://www.jsports.co.jp/cycle/tour/tour_100/
100年以上の歴史を持つ、世界最大の自転車ロードレースです。町から町、村から村へと移動しながら3週間かけてフランスを一周するというコンセプトの催しです。tour は英語のツアーではなくフランス語の「一周」。定冠詞をつけて le Tour と言えばフランスではツール・ド・フランスを指します。たぶん。
「だんじり祭りのようなもの」という対比が腑に落ちると支持を集めていましたが、さりとて完全に形式的な行事というわけでもなく、UCI(国際自転車競技連合)では最上位の格式を与えられたれっきとした国際競技です。勝者には多くのポイントが与えられ、テニスやスキーのようにランキングされます。
お祭りムードなのはツールの規模や歴史がそうさせているのであって、観客にとってはお祭りだけれど選手たちにとっては重要な(そして最も栄誉のある)国際試合です。
全世界に配信されるツールの中継は観光立国フランスの観光案内の側面も持ちます。
選手たちの熱戦のあいまあいまに風光明媚なフランス国土の景観、雄大なアルプスやピレネーの大自然、中世のたたずまいをそのまま残す町並み、古い城塞や寺院等の生映像がこれでもかと挿入されます。レースの流れはいまいちわからないという人でも、数機の空撮ヘリを駆使して送られてくるそうした風景を眺めているだけでもまったく飽きさせることがありません。
自転車ロードレースには、一日で終了する単発の「ワンデーレース」と、数日かけて開催される「ステージレース」があります。
ツール・ド・フランスに代表されるステージレースは一日一日のレースが独立したひとつのレースで、その都度優勝者がひとりいます(これをステージ優勝といいます)。が、それとは別に、すべてのステージを通して通算ゴールタイムが最も短かった人が総合優勝となり、基本的にはこの総合優勝がそのレースでもっとも名誉のある成績となります。
ツール・ド・フランスはステージレースの中でも最長のもので、途中で2度の休養日を挟みつつ全21ステージを戦います。
勘のいい方なら、ステージ優勝と総合優勝はそれぞれ個別に狙うことができることにお気づきでしょう。
その通り、総合優勝を狙うほどの実力がない選手でもステージ優勝は狙えるし、逆に、大会の最後まで通算トップタイムを維持できれば、必ずしもステージ優勝を獲らなくても総合優勝することができます。
このように、同じひとつのレースを走っているように見えても「ステージ優勝したい選手」と「総合優勝したい選手」とが入り混じって走っていて、それぞれの思惑、それぞれの戦略、それぞれに警戒すべき競争相手がいるという重層構造がステージレースにはあるのです。
総合優勝、ステージ優勝のほかに、ツール・ド・フランスには「ポイント賞」や「山岳賞」といった名誉も同時進行します。
毎日のコースにはそれぞれチェックポイントが設定されていて、そこを上位で通過すると通過順に応じた点数が与えられます。
ポイント賞はスプリンター(短距離を全力疾走する力にすぐれた人)のための賞で、ステージ中間の平地や、平坦なステージのゴール地点に点数が設定されています。
山岳賞はその名の通りクライマー(山登りが得意な人)向けの賞で、上り坂のしんどさに応じて点数が設定されています。
これらの各賞争いのゆくえもレースの進行に奥行きを与える要素となっています。
ツール・ド・フランスには総勢184名の選手がエントリーしていますが、マラソンなどのように「個人参加が184名」ではなく、「8名チームが23組」です。
23のチームは
「ウチはめっちゃ強い選手がひとりおるけん、こいつを総合優勝させたるんや」
「ウチは総合優勝を狙えるような選手はおらんけど、ステージ優勝をいくつかカッさらうつもりやで」
といったように、それぞれに異なる思惑を持って大会に参加しています。こうした目的意識の違いから、あるステージでは空気のようにおとなしくしていたチームが別のステージでは突然はりきりだす、といったことがあります。
このように、どのチームも「ある選手を勝たせる」ことを目標としてチームを作り、作戦を練っています。8人で参加していても、ステージ優勝も総合優勝もワクはどっちみち1人なので、たった1つのそのワクをチーム員8人に互いに競争させて争わせるよりも、かつぐ1人を決めて残りの7人でその選手をバックアップしたほうが勝率は上がりますよね。
かつぐ選手をエースといい、バックアップする選手たちをアシストと言います。
エース格の選手はふだんはアシストたちから様々なサポートを受けながら自分のポジションを守り、ここぞと言う時にその実力でライバルと勝負をします。
アシスト格の選手は自分の体力やタイムと引き換えに(いわば捨て駒として)エースをサポートしつつ、出番がなければ体力を温存したり、エースの出番がないステージならステージ優勝を狙って名前を売ったり、というスタンスでレースに参加しています。
マラソンなどと違い、自転車ロードレースは集団走行をします。これは空気抵抗と大きな関係があります。
前面投影面積の自乗に比例とかそういう難しい話は省略しますが、とにかく平均時速40km/h以上という自転車のレーシングスピードにおいて、もっとも大きな走行抵抗は「空気抵抗」です。
そしてこの空気抵抗は誰かの真後ろを走ることで劇的に軽減することができます。これをスリップストリームとかドラフティングといいます。
長時間長距離となる自転車ロードレースでは、誰かが風よけとなって先頭を走り、みんなでその後ろをついていく省エネ走行をします。たまに風よけ役となる選手を交代しながら、身を寄せ合うようにして走ります。
集団の人数が多ければ多いほど、すなわち風よけ役となる交代要員の数が多ければ多いほど集団走行のメリットは大きくなるので、敵対関係にあるチーム同士でも「今は一緒に走ってたほうがトクだよね」と利害が一致することになり、敵同士なのでまるで味方同士のように全員で仲良く集団走行をすることになります。
レースの中でもっとも大きな集団をメイン集団とかプロトンと呼びます。
(7/6:今日読み返して間違いに気づきましたが「前面投影面積の自乗に比例」ではなく空気抵抗は「速度の自乗に比例」です)
平坦基調のコースでは、多くの場合「ゴールスプリント」がステージ優勝を決めることになります。瞬発力と最高速度に優れたスプリンターたちがゴール前の数百メートルをお互いに肩をぶつけながら猛ダッシュして着順を争う、とてもエキサイティングな勝負の場面です。
なので、有力なスプリンターを擁するチームの目標は「我がチームのスプリンターをゴール前まで無事に・いい位置で連れて行くこと」になります。
しかしゴールラインは200km先です。スプリンターをゴール前まで無事に連れて行くことが目標のチームばかりだと、レースは終盤近くまで非常にのんびりと穏やかな集団走行になってしまいます。
そこで、抜け駆けを狙う選手が出てきます。長距離を比較的ハイペースで走ることに秀でた選手たちがステージ優勝を狙って一発「逃げ」を打つのです。
たいていの場合逃げ集団は数名から20名ほどの小集団で、「逃げたい」という思惑の一致した色んなチームの選手から構成されます。敵対関係にあるはずの選手同士ですが、「メイン集団から逃げる」という利害関係が一致している間はお互いに協力し合って、メイン集団を突き放そうとします。
一方、メイン集団はスプリンターを勝たせたい人たちの集まりですから、彼らをまんまと逃げおおせさせるわけにはいきません。ただ、上でも書いたとおり集団は大きければ大きいほど有利です。なので、逃げ集団をいつでも捕まえられる位置に泳がせておいてほどよく追いかける、という展開になります。
なぜ逃げを許さずに早々に捕まえてしまわないかと言うと、捕まえてしまって集団がひとつにまとまってしまうと、またそこから逃げを打とうとする選手が出てきて、そのたびに追いかけたりなんだりの悶着があってペースが乱高下し、大事なスプリンターを消耗させてしまうからです。
逃げ集団は多くの場合ゴール寸前でメイン集団にとっ捕まってしまいます。これはレースの力学上しかたのないことなのですが、それでもなお逃げ屋が逃げを打つのはなぜかというと、「絶対にとっ捕まるとは限らないから」です。風向きの変化など様々な要因によってメイン集団が思うように逃げ集団との差を詰められないことがたまにあり、「確率は低いものの狙ってみる価値はある」くらいの勝機があるのです。
今日の放送時間が迫ってしまいました。とりあえずここまでで一旦投稿します。後ほど続きを書き足していきます。
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山岳ステージは峠道の上り坂をコースのメインに組み込んだステージです。1つのステージでの標高差(垂直方向への移動)が2000mから3000m以上にもなります。ツール・ド・フランスではアルプスとピレネーのふたつの山岳地帯が必ず日程に組み込まれていて、大会のハイライトとなります。
当然ながら山岳賞争いが展開しますが、同時に総合優勝候補同士のぶつかり合いになるのが山岳ステージの見どころです。
まず山岳賞を狙うクライマーたちが集団を抜け出してヒルクライム競争をします。一方、メイン集団では総合優勝を狙う選手同士がガチンコの直接対決をし始めます。先頭と後方でふたつの戦いが同時進行するような感じです。
ヒルクライムは走行速度が低くて空気抵抗があまり問題とならないため、アシストを動員した集団走行のメリットが少なく、チーム力よりも個人の登攀力が勝負の鍵になります。山登りの得意な、あるいは調子のいい総合優勝候補にとって、そうでないライバルをふるい落とすチャンスなのです。
大集団の中で体力を温存する(ある意味サボる)ことができない山岳ステージでは選手ひとりひとりのコンディションの良し悪しが表面化するというのもひとつの見どころかと思います。
書いたのはおとといなんだけど今ごろになってブクマがつき始めたぞ?
しばらくブクマもトラバもまったくなかったので投げ出しちゃったんですよね。寄せられたコメントを見る限り、現時点でも読んでくださっているのはすでにサイクルロードレースをよくご覧になっている方々ばかりのようなので、紹介記事という体裁ではありますがのんびりと書き足していきます。
しくみの項で述べたとおり、ステージレースの最終目標は総合優勝です。各ステージのゴールタイムの合計がいちばん短かった人。
総合タイムは毎ステージ加算されていきますので、第1ステージから先は常に「今のところ持ちタイムがいちばん短い暫定首位」が一人いて、この選手は真っ黄色のジャージを着て走ることになっています。いつでもどこでも、あの選手が暫定トップなのね、ということが一目瞭然です。この黄色いジャージをマイヨ・ジョーヌといい、ツール・ド・フランスはこの黄色いジャージの争奪戦と解釈することもできますね。
緒戦第1ステージをいいタイムでステージ優勝すればまずはリーダージャージを着られるので、序盤のうちは総合優勝など全然狙っていない選手が着用するなどリーダージャージのゆくえは流動的です。
ですが、レースも中盤に差しかかってくると各チームの本命選手たちが総合タイムの上位を占めるようになり、ジャージ争奪戦の様相が濃くなっていきます。
2位以下の選手はトップ選手から突き放されないように、トップの選手はライバルに出し抜かれないように、互いが互いをマークしながらレースを進めることになります。
リーダージャージを着てしまえば、あとはずっと2位の選手にぴったりくっついて走ることできればタイム差は縮まらないのでそのまま総合優勝できてしまいそうな気がしますが、これは半分正しくて半分正しくありません。
リーダージャージ防衛の基本戦略はたしかにそれなのですが、必ずしもそう簡単に事は運びません。アシストに守られながら集団のままゴールできるステージばかりではありません。大会中1~2回設定されるタイムトライアルのステージは一人ずつ走るので駆け引きの余地がありませんし、山岳ステージではアシストを使い果たした本命同士の一騎打ちや複数チームが包囲網を敷いてリーダーに波状攻撃をかけたりと、リーダージャージを奪い取るチャンスは時おり訪れます。
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中継が始まったので今日はここまで
これは自分が理系(の中でも数学とかの理論系)だからなのか、具体的に説明されるよりも抽象的に説明される方が絶対にわかりやすいんだよな。
冠詞の話もそうだけど、英語教育とか全体的にそう思う。例文をいくら並べられてもわかんないんだって。それよりまず一般論を教えて欲しい。もちろん自然言語だから例外があるのはわかるけど、例外を後から覚える方が自分にはわかりやすい。
でも学校(初等教育)だと「具体的に説明しなければわかりやすくない」というルールが蔓延しているのが辛かった。最初に具体的な説明から入って、後から「実は~~」という種明かしで抽象的な説明に移行するよりも、最初に「これが答え」とズバッと抽象的な説明をして、後から一つ一つの具体例を見るという授業をしてくれた方が、自分にとってはよかった。(多くの人にとってはそうではなかったのだろうけど。)
まあ、「個別の特性に合わせて指導する」という目標自体が最近になって議論され始めた概念だと思うので仕方ないんだけど、願わくばこういう経験談が今後に役立って欲しい。
要するに、一般的に「大学レベルで難しい話」とされていることが自分にとっては簡単な話で、逆に一般的に「中学レベルで簡単な話」とされていることが自分にとっては大学レベルで難しい話である、ということがよくある。