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2013-12-25

関西で働いてから東京引っ越ししてきた人間からみた東京人の印象

関西10年近く働いて、東京に来た関西人メモです。

学生で、就職のために東京に行こうと思った人は参考にしてくれたら幸いです。

結論は「一時的出稼ぎと遊び以外に東京に行く価値は無い」です。

1.みんな、びっくりするほど余裕が無い。

会話する時間も勿体無い、みたいな人が多い。

コミュ症と変わらない感じの受け答えで、2ちゃんねるに書かれているような汚い言葉で会話している人が多い。一方で電話で済むことをメールで書いたりとか、訳わからんことをする。偉そうに命令口調で押し通すようなしゃべり方をする人が、東京では仕事が出来る人みたい扱いだった。声が大きいだけの人よりもやっかい。大体は本当に仕事が出来ないお坊ちゃんお嬢さんみたいな人だった。大阪でも口だけの人もいたが、東京だと「仕事を頼んでやってる」みたいな、常に上から目線で頭がおかしい、厚かましいのが物凄い多い。

2.みんな冷たい。

本当に冷たい人が多い。

道を聞こうと店の人に尋ねたら嫌な顔されて断られた事が多い。中国人韓国人でも、やる気のない奴が多くて笑ってしまった。

誰かが困ってたら助けよう、ということも殆ど無いし、善意も大体は世間体を気にしてだったり、逆恨みをされないよう、保身のためにするような人が多い。まるで全員、役所人間みたいだった。回りにいる人は全て敵、と思ったほうがまだ気が楽。

3.育てる・築く、とかそういう考えが全く無い。

人間消耗品という考えの人が多い。

色々な人がずっと働ける職場を作ろうとか、経験や知見を踏まえていい仕事をしよう、という感じで長く働くような取引先があまり無かった。色々な業界を超えて、そんな感じだった。同じ会社で同僚ですら、「仕事死ねたら本望だろう?」みたいな意見強要するようなのが少なからずいて、ぞっとした。育てるのは、若者でも見込みがある人間に対してだけで、やる気や熱意とは別のもので測っている。金を出せばなんとかなる、みたいな意識の人が多い。金の匂いで人に近づいて、用が済めば平気でクビにしたり縁を切ったりして、愛想や繋がりを大切にするような人がいない。

4.差別意識ものすごい。

とにかく自分が正しい、という考えの人が多い。

というか、自分が正しいから、何やっても構わない、みたいな言動の人が多い。

金があっても東京幸せ生活する事は出来ないだろうなと思った。アホ、バカ、貧乏容姿個性に少しでも難があるような人間は追い詰めても問題ない、みたいな攻撃的な人が多くてびっくりした。

テレビでボロカスに言ってて「そんなことないだろう」と思ってたけど甘かった。正直、東京がここまで酷い場所だとは思ってもなかった。

帰りたい。

(以下返信)

でもって今後そういう地域以外は貧乏になる一方なんでまあ辛みあるよねって話。

確かに関西企業ジリ貧になっていますね。シャープパナソニックも駄目だし、三菱なんか昔からダメでしたし。良いのは京セラダイキンぐらいですかね。

大阪で食えないか東京で稼いでこいと言われた私の境遇にも近いものを感じます

書いてあるような人に遭ったことが一度もないので釣りしか思えない。

どんな職場かわからないのですが、とてもいい環境だと思います。もしあなた関西出身の方でしたら、間違っても東京転職しないことをおすすめします。

田舎もんが圧倒的に多い

田舎もん、とは言いますが選りすぐりの不寛容な人が多い印象です。

東京田舎臭さは鼻につくんだよね。

例えば、下町を全て潰して都市再開発、みたいな事を見ていると「過去全部否定して、新しいの(今の自分)が最強」という成金趣味に見えて、個人的には拒否感を感じますブラタモリでは秋葉原を「振り返らない街」と好意を寄せてましたが、酷い街と思いました。洗練、とまでは行かないですけど昔から暮らしを今のものに少しずつ組み替えていく、という暮らしを当たり前にしていたので、東京は色々と設備が新しいのに下品、というのに残念と感じます

それに、きざみうどんも、にしんそばも、木の葉丼もないし、本当に帰りたいです。

面白いものは常に東京以外から生まれてくる。

知ってる範囲でテレビだと北海道なら大泉洋関西だと冠番組を持ってる中堅の吉本芸人福岡だと華丸・大吉東京に集まってますね。

地元で安泰出来るのに「このままじゃ地元の芸能がダメになる」と危機感を持って地元を振興させるために出稼ぎ東京に行ってます

他にも農作物おいしいもの、高級なものは全く日持ちしないものをのぞいて、殆ど東京に行きます

本当だったら、隣町や県とかでも売れるかもしれないのに必ず東京を経由する。

飛行機直行便JASが潰れてから採算性を理由に地方同士を結ぶ便が激減しました。

雑誌に載ってるファッション東京で本当に流行っているファッションには隔たりがある

この前仕事表参道に行った時、韓流スターみたいな髪型で裸足で革靴を履いてる三田村邦彦みたいな格好した人が大勢いて驚きました。

梅田堀江アメ村でも見かけない格好で「うわ、雑誌や!!」と内心驚きました。

そういう連中が「こんなとこ東京に入らないだろ()」みたいに馬鹿にして寄り付かないような所は意外と住みやすいよ

住みづらいです。

住民自身、自分たちの街を自分の手で発展させる事を放棄してることが多くて、嫌なら余所者東京に行け、みたいなことが多かったです。

新興住宅地なら少し違うかなと思います・・・

2013-05-11

今年から大阪番組東京意識した番組つくりになってる件

やしきたかじん冠番組であるたかじんのそこまで言って委員会」と4月からゴールデン進出の「たかじんnoマネー」。

そのうち、毒舌で知られる勝谷誠彦青山繁晴の相次ぐ降板を受けて、大阪番組東京キー局から圧力を受けたかのような作りに変更してる。

例えば、右も左も中道もあった政治色の強いたかじんnoマネーえなりかずき出演後からはどうでもいいバラエティー色の強い番組に成り代わった。

また、たかじん委員会でも政治に強い辛坊治郎が「ガン」と称して降板後、バラエティー色の強く東京にも顔の効く宮根誠司が代役で出演した。

また、たかじん委員会には政治評論家であった故三宅久之に代わり政治音痴俳優津川雅彦ご意見番に立てた事からたかじん委員会

もはや「そこまで言って」るのかさえ疑問に感じざるを得ない番組構成になってきている。

三宅久之がいた頃(勝谷や橋下徹大阪市長がいた時期にも重なるが)は、今以上に「そこまで言って」いいのかと思える位大阪色の強い番組構成が話題を呼んだものだ。

しかし、今ではその殆どが「そこまで言って」ないことが多く、また録画番組であるためかなり編集されており、大事な発言部分をどこぞのキー局や某大手新聞社広告社に配慮するかのようにカットがされており、はっきり言って大阪番組とは言えない、まるで東京番組であるかのような番組つくりが公然と行われている。

本当にどうしたんだ、大阪番組は。

東京にはない、独自性を出すんじゃなかったのか。

視聴者として最近大阪番組つくりに疑問を感じます

2013-03-31

面白い番組やコーナーが打ち切りになる原因は創価ひいては在日責任

人気番組だったウンナン気分は上々。次に放送して即打ち切りになった久本の冠番組を見れば一目瞭然。

内村プロデュースおさる(現モンキッキ)が内Pメンバー執拗な勧誘活動してたのを内村に咎められたのを久本に報告したため

創価は人気番組をすぐ潰す害悪電通ともども朝鮮に帰れよな

2012-07-17

それでもWEBデザイナになりたいの?

http://b.hatena.ne.jp/entry/www.designmap.info/tobewebdesigner/preparation/webselfstudy2012/

はてなブックマークで定期的に「WEBデザイナになる方法」みたいな記事ホッテントリになる。多分スパムなんだろうけど、もしかしたら夢見がちな若者が「かっこいいクリエイティブ職業」と勘違いしているのかもしれない。そこでこれを増田に書いておくことにする。

想定する対象10代後半から20代前半の「WEB業界」を志す若者

驚くほど安い給料

http://doda.jp/guide/heikin/007_02.html

WEBデザイナはとにかく給料が安い。20代だと300万円を割る。同年代平均からも60万円も安い。これは敷居が低くある程度パソコンが使えれば誰でもなれるためだ。特に地方では手取り月収13万なんて言うのも当たり前。アルバイトでも時給800円なんていうのもよくある。正直、深夜の繁華街コンビニレジを打ってたほうがよっぽど稼げる。

まあ、これはコーダーに毛が生えたレベル、あるいはDTPオペレーター崩れが名乗る「なんちゃってWEBデザイナ」レベル収入で、いわゆる「看板デザイナ」レベルになればもちろん収入も増える。ただそれは「テレビに出てない若手芸人冠番組を夢見る」「新人賞で佳作を取った新人漫画家週刊少年ジャンプ看板作家を目指す」「序二段相撲取り横綱を目指す」レベルの話である

じゃあフリーランスならどうなの?と思うかもしれないが、フリーだと自分営業して仕事を取ってきて、自分ディレクションして、自分制作して納品して、自分経理人事総務やって、自分銀行税理士と話をして…と、本当に全部自分で面倒を見なければならない。外注制作会社から仕事をもらうという手もあるが、もちろん買い叩かれる。おまけに社会保障自分で何とかしなければならない。ノマドなんてカッコイイ事言ってるペテン師みたいな人も見かけるが、はっきり言って勤め人よりもきついし自律心が必要である

ちなみに、WEBディレクター20代後半で413万円、プログラマは365万円。サーバエンジニアが398万円。WEBデザイナはWEB業界でもはっきり言って底辺である

いつまでも終わらない長時間労働

http://diamond.jp/articles/-/21790

IT系クリエイティブ系の宿命である長時間労働どうであるが、WEBデザイナも例外ではない。あなたが運が良ければ、土日祝日休み、定時退社が当たり前で残業はたまにあるという、天国のような制作会社に勤めることも出来るだろう。しか長時間労働常態化している制作会社が多く、納期前のデスマーチなんていうのも当たり前になっている会社も多い。

特に営業が中心の会社は注意が必要だ、無茶なスケジュール予算案件を取ってくる場合が多く、そのしわ寄せは大抵立場の弱い人間に振りかかる。特に社長営業出身会社は避けたほうがよい。

更にクライアントが原因のデスマーチもある。資料ギリギリまでよこさない、納品直前に修正要求、突然の方針転換など。これはどんな業界にでもあることだろうが、特にWEB業界ではそれが多い。金を出すクライアントおっさんたちは、「そんなのパソコンでちゃちゃっと直せるだろ」という感覚なのである。とにかく平穏余暇大事にする人生を送りたい人にはおすすめできない職業である

常に勉強

当たり前だが、常に新しい情報を入れて勉強し続けれいなければならない。数年前まではFlashがこの職業必須スキルだったが、今では役に立たないとまでは言わないまでも積極的に覚えるべきスキルではなくなっている。今はHTML5CSS3Ajax必須になりつつあるけど、これだって数年すれば陳腐化する。というか、半年かけて覚えたことがあっという間に陳腐化していくのである

冒頭で「パソコンが使えれば誰でもなれる」と書いたけど、当たり前だが「趣味インターネットです。ニコ生2chを9時間見てます」「ExcelWordは任せて下さい」という人がなれるわけではない。PhotoshopIllustratorFW別にいらない)、HTMLCSS必須というか最低限の基礎知識で、配色やレイアウトの知識、AjaxActionScriptPHPRubyなどのプログラミングデータベースの知識、WordPressなどのCMSSEMLPO(SEOはすでに陳腐化している)、場合によってはイラストコピーライト写真撮影と、とにかく広く薄く覚えることがたくさんある。とにかくたくさん本を読んだり、検索エンジンと格闘したり、下手すれば英語サイトを読んだりして知識を入れなければならない。業務時間中では当然のように時間が足りなくなるので、プライベート時間勉強することになる。ニコ生2chで9時間というタイプの人には無理だし、普通の人にもまず無理だ(普通の人って土日とか平日の夜に勉強するもんなの?)。まあ、はてブに沢山いる「勉強熱心な人たち」には大したことではないかもしれないが。

さて、ここまで読んで「WEBデザイナになる方法」をブックマークして満足している人はそれでも「WEBデザイナ」になりたいのか。もしなりたいならば、ポートフォリオを作る前に、Adobe CSMacを買う前に、専門学校に願書を出す前に、身近でWEB業界で働いている人の話を聞くべきだ。但し間違っても、ドワンゴとかはてなとか、あるいは博報堂なんかにいる「エリート」ではなく、出来れば聴いたこともない会社に勤めている人に話を聞こう。

2011-11-24

ももクロ流行らないのは批評先行だから

ももクロは今より売れる可能性はあっても、アイドルにおいて覇権を握る、今で言うAKBポジションに着くことは到底有り得ない。その理由を記述する。

(1)ファンが批評

もう、これでここで言いたいことの8割は言ったのだが、今のところ”ファン”を自称する人間のその多くが批評的な人間であるということだ。

AKBもかつてはサブカルだった。どサブカルだった。秋葉原劇場を持ち毎日公演を行い、謎の選挙システムを有する。いかにもであるしかし、このAKBの流れを汲み取り切れなかったのが2000年代後半のサブカルチャー批評だった。かつて文芸批評家宇野常寛氏は、ニコ生番組において「2011年に入るまでAKBに注目できなかったのは失態」と語ったことがある。

この発言はサブカル好きのトラウマそのものでもある。

AKBは上記にあるように、サブカルを代表させるにはうってつけのシステムを持っていた。これを批評的に分析できたとしたら、どれだけ楽しかったことか。そして今の流行先見の明を持って解き明かせたら、どれだけどや顔できたことか。しかし、その間もなくAKBサブカルとは呼べないレベルの現象になってしまった。

今更AKBを語るのは、サブカル的には”カッコ悪い”。(前述の宇野氏は、現在ではAKB批評分析を、同じく批評家濱野智史氏と共に行なっている。このあたりは、ポップカルチャー批評対象とする宇野氏スタンスに適っている。)

しかし、AKBには一個弱点がある。それはデカくなりすぎたことだ。デカくなればそれの粗探しも容易である。後は、「じゃあ何だったらいいんだよ」と返されたときに持ちだしてこれるモノがあれば良い。

その「持ちだしてこれるモノ」がももクロである

ももクロ以外のモノではダメな理由がある。それは、現在ももクロ以外の各レーベルが売り出すアイドルグループは、方法論やコンセプトがあまりに凡庸、古典的なのだ。

「◯万人の中から選ばれた◯名」「毎日時間のレッスンを重ね、△△より上手い、歌とダンス

こんな売り文句に飛びつけるわけがない。

そして、ももクロでなければならない理由もある。

そもそも、AKBのコンセプトとは何だったか。それは「会いに行けるアイドルである

対してももクロのコンセプトは。そう、「いま、会いに行けるアイドルである

ももクロの結成は2008年。この時、既にAKBは前年に紅白出場を達成、またCDの販売方法独禁法に触れる恐れがあるとして販売中止、回収騒ぎになった年でもある。

当然ももクロ側にも、メジャー化して「会いに行ける」というコンセプトの維持が難しくなったAKBへの対抗意識があったことは間違いない。

この、売り出し側の「アンチAKB」的方法と、買い手側の「アンチAKB」的精神癒着により、現在ももクロ人気は成立している。

そして、この一点のみで自称ももクロ”ファン”は、ももクロ”ファン”を公言している。AKBによって市場規模の大きくなった「アイドル業界」において、敢えての選択としてAKBではないグループを応援するという、サブカル精神にとって心地よい味を提供してくれるのがももクロというわけである

そして、この手の”ファン”は、小規模な経済活動である間は良いが、規模の拡大に寄与しない(大量購入などのオタク的消費は行わず、あくまで必要最低限のモノしか買わない)うえに、そもそも規模が拡大していくことを嫌う。

小規模の間は、勝手に”ファン”がももクロのいちいちの行為について言説的補強を行なってくれるので、界隈の巻き込み力がある。しかし、その界隈も一定数を超えると限界が出る。しかオタク的消費を好まないから、数の飽和イコール売上の飽和ともなる。(ここでは、大量に購入させるような商法(いわゆるAKB商法)が倫理的にどうであるかとの問については答えない。簡単に私見を述べれば、独禁法に触れるようなもの、つまり付録バリエーションを増やし購買意欲を煽るようなものは問題であると思うが、握手券や投票権を求める購買行動については売り手側の責任は無いと思われる。)

以上が、批評系”ファン”が多数を占めることによる弊害と言える。

(2)可愛くもないし、一生懸命でもない

というのは流石に言いすぎだが、他と比べてそこが際立つわけではないということである

よく、”ファン”はこの2点を強調する。そして、「だからこそAKBより良いのだ」という。

しかし、はっきり言って客観的に見て可愛くはない。特に緑。

ただ、言いたいことはわかる。

例えばAKBのファンも「◯◯が可愛い」と言う。この◯◯には、例えば高橋みなみとかが入るわけだが、はっきり言って可愛くはない。「前田敦子が1位である意味が分からない」という声もある。

こういう場合、その対象がAKBであろうとももクロだろうとなんだろうと、ファンたち何も容姿の美しさ単体で「可愛い」という形容詞を付けているわけではない。そこには、それぞれ固有の物語コンテクスト見出して「可愛い」と言っている。それがAKBで言えば、「エケペディア」に象徴されるデータベースから個人個人のエピソードを上手く消費するという行為であって、そしてそのパブリックコンテクストに加えて握手会というプライベートコンテクストを加えることで、ファンのメンバーに対する<愛>は蓄積される。

からオタク層以外には「AKB前田敦子が1位である理由」なんて分かるはずがない。というか必要がない。そのコンテクストを共有していない人間に理解される必要などないからだ。

貴方達は皆、ミス・ユニバース選考に100%納得しているのか。ミス・ユニバースは、ミス・ユニバース内部のコンセプトに基づいてミス・ユニバースを決定するのである。そこにおいて、容姿というのは評価の1項目に過ぎない。その点を理解している人間がどれだけいるか

この理解で言えば、「ももクロメンバー可愛い」というのも同じ文脈で捉えることは可能であるしかし、ここに一点だけ差異がある。

それは、アイドルとして扱われるか否かである

前田敦子が可愛くないとみんなは言う。なるほど、確かに私もそう思う。(ただ、たまに奇跡的な瞬間があることも知っている)

では、テレビでそれを言ったらどうなるだろうか。本人の目の前で「可愛くないねー」と前田敦子に言ったらどうなるだろうか。Mステタモさん前田敦子に「顔のパーツ中心に寄ってるよね」と言った時のスタジオ空気を知らないのか。

著名人AKBに関する批判的コメントは多数ある。ただし当人がいない所で、である。このことが結構大事であって、それは「そんなに可愛くなくても可愛いものとして扱われること」が究極的なアイドル性だと考えるからだ。

前田敦子はその点で究極的である。一方でコンテクストを持つオタク達による支持を受けAKBトップとして君臨し、もう一方ではそのコンテクストを持たない一般メディアにおいて「AKBトップであるということを理由に支持される。この時、両者は同じように前田敦子に接しているように見えるが、その内実は異なる。

前者は本当に可愛いと思っており(何故ならコンテクストがあるから)、後者可愛いことになってるから可愛いとしているだけである。(何故ならコンテクストがないから)

そしてその内に、そのコンテクストを持たない者の間にも「可愛い」という意識は一部に伝染する。あくまでも一部ではある。板野友美女子高生に人気があるというのが都市伝説かどうかは、私には接点が無い存在である故確認できないが、そういう可能性がありうるのがこのような状況である

可愛い人に可愛いというのは当たり前だし、ブスにブスというのも当然である。そこを転倒させることができてこそ、真のアイドルではないのか。(筒井康隆「薬菜飯店」収録の「イチゴの日」という短編を見よ)

翻ってももクロ鑑みるに、この点が厳しい。コンテクストを共有する者の間で「可愛い」は流通するかもしれないが、コンテクスト外のメディアにおいては厳しい。(「ゴッドタン」をはじめとするバラエティ番組での扱いが顕著である。ただし自らの冠番組においてMC芸人にどう弄られようと、それはファンにの流通するパブリックコンテクストを補強するイベントに過ぎないので全く問題はない。)

まりももクロアイドル性を保つのが困難なほどバラエティ性を現時点で持ってしまっているので、コンテクストを持たない者に「可愛い」が流通しにくい状態となっている。

から可愛い」と認識させるためにはコンテクストを持たなければならないわけだが、ここでももクロ”ファン”が批評であることが弊害になる。

彼らは口うるさい。見る前からあれがいい、これがいいとこれ見よがしに自らの批評眼をアピールする。そしておそらく、この手のももクロ”ファン”はAKBオタクなどよりも、音楽偏差値(というものがあれば)は高いし、現代思想にも詳しく普通意味での偏差値も平均すると高い。

皮肉にも、このことがももクロを好きと公言するのに、もしくは積極的に見ようとする心に障害となる。

彼らは知りすぎている。目が肥えている。そんな彼らが「良い」と言うのだから、「良い」に違いない。しかし見てもよくわからない。可愛いような気はしないし、踊りもなんだか凄いがとりあえず可愛くはない。けど「良い」らしい。なぜ僕はわからないのか。

対してAKBはどうか。オタクキモい。なんかオタ芸してるし、CDめっちゃ買うし。だからあんなものを理解しなくて構わない。仮に少しでも引っかかることがあれば、とりあえずそのままその波に飲まれてしまえばいい。どうせ彼らオタクは周りに新しいファンが増えようがどうでもいい。どうせならもっと売れなくなればチケットも取りやすいのにくらい思ってる。

私は、このコントラストが大雑把にはあると思われる。そしてこのことが、「可愛い」というお札が流通しない/する要因となっている。

もう一つ、「一生懸命」について言えば、この言葉はかなり頻繁にももクロを持ち上げるものとして使われるが、端的に言おう。

そんなのみんな頑張っている。ただそれだけだ。

ダンスや歌のレッスンは、皆どのアイドルグループ一生懸命やっているのだ。所詮、「アイドルなのに顔芸をやる」という点においてのみ「一生懸命の差異」を見出してるにすぎない。

私がここで「自称」とか「ファン」を” ”で括るのは、彼らが本心からの好意ではなく、「AKBというサブカルの隆盛を見抜くことができなかったコンプレックスの解消手段」としてももクロを利用しているように見えるからである

結局のところ、ももクロを今以上に流行らせ、AKBに取って代わりたいのであれば、自称ももクロ”ファン”達がそれを名乗るのを辞める他ない。

最後一言

早見あかり頑張れ。

2011-07-27

今こそゆとり以下の世代に浜田雅功凄さを語ろう

ダウンタウンというコンビについて、「天才松本を補佐する凡才浜田」という間違った認識人間がとても多い。ゆとり以下のガキどもに至っては、浜田に対して、クソつまら芸人だという認識しか持っていないと思われる。

しかに近年、クソ番組MCをただこなしているとき浜田は、いくつか落とすパターンこそ持ってはいるが、さんまや、中堅のくりぃむ上田等に比べると、明らかにパターンの数が少ない上に、相手の話を膨らませる能力にも乏しくはっきりいって面白くない。

浜田がその実力を遺憾なく発揮し芸人として、テレビタレントとして革命的な存在だったのは、売れ始めてから成り上がるまでの時期だ。

テレビ画面に現れた、まだ若さの残る浜田は、競演した大御所や先輩タレントに対して、問答無用でツッコんでは、時にどついてみせた。

たったこれだけである

だが、これがとんでもなく衝撃的だったのだ。

それに先んじて、とんねるずが お笑いアイドルミュージシャンとの関係性を変化させていた。当時、芸人歌手より地位の低い物と見なされており、「公の場」でアイドルをバカにしたり、ミュージシャン無礼な振る舞いをする芸人は、ほぼ存在しなかった。たけし(軍団)ですら、公の場ではその関係性を守っていたのだ。

だが、とんねるず体育会系ルールそのままに、年上に対してはそれなりの礼節を持って振る舞ったが、年下のアイドルミュージシャンに対して、平気でタメ口をきいたり、時にバカにしたりして笑いに変えた。そうして芸能界の暗黙の掟を一変させたのである

浜田革新性は、こういった土台があったからこそという側面はある。それでも、芸能界において先輩後輩の序列は絶対であり、そこを侵す者は現れなかったのだ。浜田を除いて。

そのことに気づいてから、俺はテレビ浜田を追いかけるようになった。相手が誰であろうとも、己の信念と姿勢を曲げることなく容赦のないツッコミを浴びせる浜田は間違いなく『パンク』な存在であった。そして、上下関係抜きの辛辣ツッコミを浴びせても、浜田は決して場の空気を乱すことがなかった。それ故に、つっこまれた人間は、浜田に怒りの感情を示すことがなかった。松本天才性の陰に隠れてはいたが、この事実は、浜田もまた紛れもなく天才であったと言うことの証左である

だが、いつのからだろうか。おそらく、ダウンタウンが多くの冠番組を持ち始めてからのことだが、主に若い世代から浜田に叩かれることを喜ぶような連中が現れた。こうなると、もはや猪木のビンタと変わらない。ツッコミの鋭さそのものは変わらずとも、その意味合いは、全く別のものになっていった。

ダウンタウンが売れたのは、松本の力であろうか?

わたしはそれを否定する。松本天才であったのは間違いないが、浜田という斬り込み隊長存在がなければ、もっとマニアック存在としてしか、世に出ることはなかったと思われる。若かりし頃の浜田には、とんねるずと同じように、予定調和をぶち壊し、新しい地平を切り開く革命家としてのパワーが宿っていたのだ。それは、ともすれば狂気的とも言えるものであった。

浜田が切り開いた新しい地平の上で、松本がその才能を遺憾なく発揮した結果として、日本テレビお笑い史上最高のコンビになった、というのが俺のダウンタウンに対する短評である

今のテレビお笑い界、特に若い世代に、登場するたび「今日は何をやらかすんだろう?」と、わくわくさせてくれる存在がいるだろうか? 浜田とんねるずも年をとった。丸くなってしまった。たとえ懐古厨と言われようとも、俺をテレビに夢中にさせた、かつてのダウンタウンとんねるずほどの存在は、テレビに誰一人見あたらない。強いて言うなら大泉洋であったり、ブラックマヨネーズであったりといったところだが、大泉は役者であるし、ブラマヨは真の実力(フリートークスキル)を発揮できる場を与えられないまま年を重ねている。

寂しいことだ。

2011-04-15

酔って書くAKBモー娘。の対比

去年AKB48にちょっとはまった。

特にチームKが好きだ。

去年だから、チームの発足からはかなり時間が経っている。AKBといえば劇場だぐらいの知識はあったので、とりあえずYoutubeニコニコあたりでライブ映像を見まくった。CDDVDを買うにしても、曲が多すぎてどれから手を付けていいかさっぱり分からなかったからだ。

で、「生歌」とタグがついている動画を見て、ああやっぱこれだけ踊ってたら生歌じゃないよな、と思って、生歌を聴いてみたいと思うようになった。

そこで「生歌」をキーワードにして、また映像探しをした

普段はあるバンド全員男)を聴いていてライブに行くのが楽しみ、ライブアレンジが楽しみでしょうがない、という感じなので、録音音源=その場のアレンジがなくて残念だと思ったのだ。ライブならやっぱ、一言のかけ声みたいなやつでもいいからその場で出してる声を聴きたいから

Youtubeで生歌で探した結果、右におすすめとか関連動画って出るじゃん?あれにモーニング娘。が出てきたのだ。今現在モーニング娘。

すごい!と思った。特に高橋愛田中れいな。ファンが作った動画だったしコメントもファンが書いてたから、それ読んでテンション上がって余計すげえな!と思った。

AKBは生歌あんまりない、ということを知って残念だった。ものすごくものすごく残念だった。

俺はライブ=そこで歌ってる、だからダンスしてる姿も見たいけど、やっぱり自分がいる場所で同じ瞬間に、その場で出してる声が聴きたいから

酷なことを求めてるなとは思う。

スケジュールは詰めまくりで、あれだけ人数がいて、あれだけ踊りまくって、なおかつうまく歌えというのは、惨いと言ってもいいと思う。なんか、ごめんなと思う。

AKBモー娘。動画ランダムに見ながら、色んな思いがわき上がってきた。アイドルに触れるのはほぼ初めてなので、ちょっと距離を置いた視点だったかもしれないけど、まだ十代〜二十代半ばぐらいまでのこの子達の将来が幸せであってほしい、というようなものに総括される思いだった。

AKBにはある種の痛ましさがある。今しかないのだ、今だけなのだというような、女性アイドルなら仕方のない刹那感。そして背後の操作が非常にうまい楽屋裏も込みで売っている、そしてそれを皆暗黙の了解で呑んで今を追いかけている。

モー娘。にはそれがあまり感じられない。戦略上それを見せないということかもしれないが、タフでストレートパフォーマンスだ。その場で見せられるもののみで勝負しているように見える。

また、モー娘。にはやはり「世間一般の目線は全盛期は過去であった」がつきまとう。あまりそこに悲しみがないのが不思議だが、世間の目やメディアの目はそうだろう。斜陽ながらも戦う王者だ。いや本当に、シングル曲のタイトルとかはマジでかわいそうになるぐらい酷いけど、ライブ彼女らは本当にかっこいい。乱れることもちょっと外すこともある、生の声の力はすごい。

AKBは今もまだ「これから」だ。後発が先発よりも優れているのは常に大前提(だと個人的には思っている)なので、もっと伸してくるだろう。まだ彼女らは挑戦者だ。展開も先発の成功/失敗に学んでがんがん行ける。バラエティ冠番組で見る彼女らは、側面をもっと見たい知りたい好奇心をかきたてるし。

AKB vs モー娘。のバトルを見られたらすごくいいんだけどなと思っている。

楽曲面だけを見ればAKBがかなり勝っていると思うので、モー娘。プロデュースをもっと頑張ってほしい、その上でアイドルの二強状態をものすごく見たい

モー娘。というかハロプロ全体をざっと見ていて思ったが、本当に、本当に、残念なのであるつんくもうちょい考えろ。なぜだ、なぜお前は同じ男なのに分からない?

直接的すぎるんだ、モー娘。の歌は。いくらメロディーラインが美しくてもタイトル歌詞萎える。ど真ん中っていうのとそのままっていうのは違うんだよ…そしてなぜかやや古い。古典青春の輝きぐらいまで古くなくて、絶妙に「思い出すと恥ずかしいレベルの古さをなぜかずっと保っている。いくつなんだよお前は。

秋元康はそのあたりめちゃくちゃにうまいストレートテーマを、その単語を使わずに思わせる、そういうのが本当にうまい青春時代鬱屈して過ごしましたかわいい女の子に憧れてしょうがなかったけどそれだけでした、そういう思いをワンクッション置いてぶち当てましたたいな、まあ共感するのだ。有り体に言うと。

それが意図的なものだったとしても、気持ちよく乗っかってしまえるなら関係ないし。曲に乗らないでも詩として成り立っているというか。

俺は勝ち負けを笑いたいんじゃない。弱肉強食世界だって言うのは分かるけど、ファン同士でワナに引っ掛けてライバルアイドルを落とすようなのは嫌だ。

いい曲が聴きたいアイドルしか歌えないいい曲っていうのは確実にあるからアイドルが歌うその姿に見惚れたい。歌に入れ込みたいプロデューサーにはこっちの心をくすぐってほしいし、その歌にどっぷりハマらせてほしい仕事の疲れいやしたい。


いつまで彼女達のことを、このアイドルグループの中で見られるのかなと思うと、涙が出そうになることがある。女性アイドルは後からから幼い後釜が出てきて、活躍できる期間は大体短くて、そのことを思うと悲しくて仕方がない。

からいい歌を歌ってほしいもったいない使い方をしないでくれよ。

2011-01-02

NMB48が失敗する理由

劇場デビューおめでとうごいます。

しかしいま断言するがNMB48は失敗する可能性が非常に高い。理由は以下の2つ。

1.ファンのコアができない

AKB48においては、中高生ブレイクするまでは

30代以上のアイドルファンがファン層の中心だった。

こうした層はAKB48ブレイク後も「神ヲタ」と呼ばれ、

AKB48ファンのコアとして現場ネットの両面で

メンバー中高生のファンたちに影響を与えるとともに、

アイドルが売れるさいの土台となる物語性(コンテクスト)を形成してきた。

SKE48においても、たとえば現在もっとも人気のある松井玲奈

後列メンバーから浮上したのは、

劇場に足繁く通うコアファンの寄与が大きかった。

対してNMB48は、劇場デビュー時点から応募倍率が高騰し、

AKB48SKE48の初期のように劇場に何度も通う常連ファンが存在できない。

それゆえ、ファンの間にコアや連帯が生まれにくい。

2.メンバーハングリー精神が醸成されない

NMB48の主要メンバーは、すでに大きなコンサートテレビ番組

何度も出演していて、さらに先日のNHK紅白歌合戦にも出場した

AKB48SKE48は、コンサート冠番組紅白出場などを目標に、

ハングリー精神をもって劇場公演をおこなってきた。

しかし、NMB48劇場デビュー前に紅白まで出てしまったことで、

今後「いったい何を目標にすればよいのかわからない」

という状態に陥る可能性が高い。

いままで毎週のようにテレビ出演してきたのに、

わずか定員250人の見世物小屋毎日変わらぬセットリストをこなすことに対して

メンバーモチベーションが保てるとは思えない。

2010-01-08

http://anond.hatelabo.jp/20100107112615

結局、ノンスタイルの優勝につきまとう「残念な感じ」って、要は「彼らは未来に種を蒔ける人材じゃない」という感じがしちゃうところだと思うんだよね。


お笑いが今後も栄えていくには何が必要かって考えたとき、やっぱ強烈な才能をもって下の世代をお笑いに引きずり込むような存在って欠かせないと思うんだ。「○○さんを見て、自分芸人になるって決めたんです」って言われるような、まぁ現在活躍中の芸人で言ったらダウンタウンウンナンとんねるずビートたけしとか。東京コント勢にとってはさまぁ~ずもそんな感じなのかしら。

toroneiは「次代の阪神・巨人/カウス・ボタンを輩出するのがM-1」て言ってるけど、それで漫才って栄えるのかね。だって、阪神・巨人とかカウス・ボタンってさ、ずーっと漫才をし続けてたんでしょ?そんで彼らが漫才を続けてる期間に、漫才は大金つっこんでド派手な大会やらなきゃ滅びるぞくらいの存亡の危機を迎えたわけでしょ?つまりさ、阪神・巨人とかカウス・ボタンて、存亡の危機に瀕するような状況下でも漫才をやってた粘り強い人たちっていうだけなんであって、彼らがいれば漫才は安泰であるみたいな人らじゃないわけだよね。しかも今の芸人なんて、好むと好まざるとに拘わらず「バラエティ」っていう荒波に放り込まれて、そこでそこそこやれないとあっという間に淘汰されるわけで。そんな今時のやつらが、バラエティ殆どやんない阪神・巨人だのカウス・ボタンを「将来に向けてのあるべき姿」と捉えるかね?第一、阪神・巨人とかカウスボタン漫才って、若い人=お笑いの客としていちばん厚い層の大半にとって「今TVで観てるお笑い」とか「毎年M-1で見る漫才」と同じ括りにないと思うぜ。正直「新喜劇」あたりと一緒でしょ。つまり、もう立派な伝統芸能、見れば笑うけど、古臭くてド真ん中からはだいぶズレてるっていう。

例えば松本にヤられて芸人世界に足突っ込んじゃった人らが、今のTV看板番組持ったりひな壇を賑わしたり、M-1活躍したりしててさ。今の若い芸人松本呪縛から完全フリーな奴なんていないだろと自分は思うんだけど、で、そういう意味では松本罪深えなとかも思うんだけど、逆に言ったら松本っていう超ド級の才能がガキ共を引きつけたお陰で現状のお笑いの肥沃さが生まれてるわけで。そいつらのビジョンておよそ「ネタやって受けて認知される→TV活躍冠番組→どんどん大物に」ってとこでしょ。そりゃそうだよ、それが紳介や松本内村や、今の大スターたちの姿でさ、人気も金もTV劇場になることなんてあると思えないもの。


M-1から「松本人志のように、見たことのないようなネタを引っさげて登場し、いずれ漫才は全然やらなくなるけどTV活躍して後進に大いに憧れられるような芸人」と「阪神・巨人のように漫才流行ろうが廃れようが劇場漫才をし続けて、オーソドックス漫才第一人者となる芸人」が排出されたとしたら、長期的に観てお笑いを盛り上げ繁栄を長持ちさせるのは前者だと思う。で、結局お笑いで「この人に憧れて芸人目指した」って言われるような人たちって、何かしらのイノベーターなんだと思うよ。こんなこと言っていいのか!こんな視点があったのか!こんなバカなことやるなんて!なんでもいいけど、今までの芸人が見せてくんなかったものを見せられた人。それは、ゲームでも漫画でも料理でもクルマでも音楽でも映画でも、どこの世界もそうなんじゃないか。

M-1に新しさを求める人が多いっていうのは、つまりその辺なんじゃないすかね。新しいものに飛びついて持て囃して目利きぶってるサブカル(笑)野郎なんじゃなくて、ある視点でもって真剣お笑い界に「今後益々の御発展御清祥」を願ってる人たちが、切実に求めるのが「新しさ」なんじゃないかと。で、ノンスタイルには見たこともないような何かはなかったと。


面白フレーズを並べただけじゃM-1は勝てないっていうのを論拠にノンスタイルを擁護してるみたいだけど、それどーかなー。アクションでも言葉でもいいけど、やっぱ見たことないようなものって見たら頭に焼きつくよ。ま、新しいが言いすぎだったら「自分にはアウトプット不可能」と思うようなことってさ。「すげえ!」っていう驚きと共に鮮烈に残ると思うのよ。自分に関して言えば、07年のサンドまでの優勝者は全員、鮮烈に覚えてる場面があって、ボケにしろツッコミにしろ今でもすぐ出てくるくらい頭に残ってるセリフがある。それは、自分にとってそれが新鮮だったから。で、ノンスタは何も覚えてねえ。あ、ウソ。太もも叩いてたことは覚えてる。でも、そんな感じ。

2007-10-01

二度と思い出したくない体験

ttp://takoashi.air-nifty.com/diary/2007/09/post_2017.html

ここを読んでいて、ちょっと吐き出したくなったことがあるので書く。

まったく異なる経験だが、自分もテレビ出演で非常に嫌な思いをしたことがある。

ずいぶん前のことだが、知人Oさん(友達の恋人)経由でテレビ出演依頼がきた。

ある番組に、知り合い同士のグループで出演してほしいとの依頼で、自分を含め数名が声をかけられる。

その番組には、某人気タレントたち(いまでも冠番組を持っている人々)が出演していた。

自分以外のメンバーは「ナマで人気芸能人を見られる!」「テレビに出られる!」「お金ももらえる!」と

めちゃくちゃ舞い上がっていた。

番組内容は、素人をいじるようなバラエティー。

Oさんの話を聞いただけでも、低俗で自分の親が見たら泣くような内容であることが判明したので、

みんな辞退するだろうと思ってた。報酬に飛びついたメンバーもいたけど、わずか数千円だし、

そのために嫌な思いをしてまでやる必要のないことだと考えていた。

しかし、「親には言わなければバレないだろう。それよりこんな貴重なチャンス逃したくない」

お金をもらえる上に、テレビに出られるんだ!」と盛り上がっているメンバーに押され、

ひとまずテレビ局側の詳しい説明を受けることになった。

その後、よくよく考え、どうしても番組内容に納得できなかったため、テレビ局の人と会う前に自分だけ辞退しようとしたものの、

メンバーの猛反対に合った。

理由は、出演条件に人数変更はNGだったから。日程的にも内容的にも自分の代理人を立てるのが難しかったのだが、

かといって1人だけ抜けることは許されなかったらしい。

途方にくれて、グループ内で信頼できそうなメンバーに相談した。

しかし、そのメンバーから脅し(誰々が怒ってキレる、あいつなにするかわかんないよ、あんたのせいで全員テレビに出れなく

なったらどう責任とるのか…など)に近い説得をされて、ひとまず説明会だけ参加することに。

説明を聞いたときは、小田嶋さんが言われていた

番組のコンセプトを聞いて、ちょっと尻込み。なんだか裁判仕立てのバラエティーみたいだし。そういうのに出るのってヨゴレじゃないのか、と、そう思ったから。

・最初の直感に従えば良かった。

にまさに当てはまる状況で。

嫌な予感はしてたんだ。

しかし、当時はグループ内での人間関係を壊したくない、仲間はずれにされたくない、嫌われたくない、いじめられたくない、

という思いが強くあった。いや、もともと、自分はそのグループ内で浮いているんじゃね?という雰囲気があり、その真実

受け止めるのが怖かったんだ。

これ以上浮きたくなくて、「自分が1日我慢すれば良いんだ」と、出演を決めた。

撮影当日は気が気じゃなくて、ずっと吐き気がしていた。

みんなは「@@にサインもらえるかな??」なんてはしゃいでいた。

撮影が終わったあとは、みじめな気持ちと出演しなければよかったという気持ちだけが残った。

いよいよ放映日。当然のことだが撮影内容が編集されて放映されていたので、撮影時には見えなかった自分達の醜態が

テレビにはたくさん映っていた、らしい(自分ではこわくて見てない。周りから聞いた話で概要をつかんだ)。

その番組は、素人達が隠し撮りされているところを、みんなでこっそり盗み見て楽しむような内容だったので、

本当にいい恥さらしだった。

内容を見たメンバーたちは、「こんなはずじゃなかった」と激怒。

おまけに放映を見た周りの人々からは白い目で見られ、親にもばれ、そのとき通っていた学校にも出演内容が漏れ

校内でうわさになり、学校を退学させられそうになった。

そして、グループ内の人間関係は崩れた。

その後、メンバー全員からストレスを一気にぶつけられ、しばらくして自分が壊れた。

この出来事が、よくない人間関係をたちきるいいきっかけだったとは思う。

でも、精神的におかしくなって病院通いして、しばらくの間まともに人間関係を築けなくなるほど、深いダメージを受けたのは事実

回避する方法はいくらでもあったと今では思うけど、浮きたくないと必死で、追い詰められていた頭ではまともな思考が

働くはずはなくて。あの頃を思い出すと本当につらい。

いじめから逃れられなかった人に対して、なんで誰かに相談しないんだとか、助けを求めないんだとか、やり返さないんだとか

言う人もいるけど、そんなことできるような状況じゃないんだって、その時はじめて知った……。

唯一救いだったのは、落ち込んでいる自分を励ましてくれた友人たちと、自分がストレスのはけ口になっていることに

気がついてくれた先生学校関係者の存在

だから今でも、その番組に出演していた芸能人たちを見ると、吐き気がする。

そんでもって、テレビには二度と出たくない(まあ、出るようなことはないだろうけど)。

2007-02-24

爆笑問題

http://anond.hatelabo.jp/20070224204818

昔から時事問題ネタ政治問題ネタが得意だった気がするけどなぁ。

別に冠番組以降の傾向でもないでしょ。

2006-11-28

冠番組を持っている芸人に期待されていることは

一時的で爆発的な面白さではなく、なんとなく番組を見させ続ける一定以上の面白さの持続。なのかなと思った。

これってもう言われてることかな?一度そういうことを聞いたからこんなことを思ったのだろうか。

まぁこんなどうでもいいこと考えるなんて俺も暇だね

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