はてなキーワード: 作品とは
そりゃ乙女ゲーなんかは俺らのような男が楽しめる要素ないしウゲっと思うだけだが
男性メインターゲットの美少女ものは別に本来誰でも楽しめる作りになってるせいだろ
現実世界で歴史上ずっと男にとって他の男は生殖競争上のライバルでしかなく長い付き合いでもない限り容易に親しみを持とうと思わない
一方で女にとって女はとくにライバルになることはなくむしろ権力的な意味で弱者同士コミュニティにおいて互助的な疎通を図ろうとする
これは男が種をいくらでも撒ける強者総取り構造なのに対して女は身籠ったら半生が拘束されることで競争状態から離脱することに起因している
だから女性ってのは男性に対しても女性に対しても親しみを持ちやすい構造にあるんだよ
むしろ女性はヅカ系みたいに同性相手にすら恋慕を示すことが商業的にも示されているわけ
もちろんカッコいい系女のみならずカワイイ系女にも女性は好感を示すがこれはきっとロールモデル的な称賛や共感が入っているんだろう
一方俺らのような男がイケメンを称賛しようものなら自分に目を向けてくれる異性が減る一方で自傷行為でしかない
イケメンを素直に褒められる男ってのは男の中でもすでにトップ層の地位を確立してる強者か、生殖競争から離脱してる超弱者だけなんだよ
美男子ばっかり出てくるゲームを微塵もやりたいと思えない俺ら男とは発想が違うんだよ
だから男性メインターゲットの作品を女性が楽しめてしまうのは自然の摂理だし男向けなのなんだのに執着するのは筋が悪い
制作側が女性ユーザー層を意識したモノづくりをしてしまう場合があるのが嫌なのは分かるが
それが嫌なら少なくとも全年齢向けをやるのは間違ってる
なぜなら僕が九州出身だからであり、博多弁話者では無いからだ。
世の中九州弁=博多弁という短絡的なやつが多過ぎる。漫画やアニメに出る九州弁のキャラは十中八九博多弁だ。それが自分の話す方言と全然違うなら気にもしないのだが、自分の方言(佐世保弁)とちょっと似ているのが非常にやっかい。見るにも聞くにも引っ掛かってスムーズに意図が読み取れないのだ。
キャラやストーリーのバックグラウンドに、その地方の方言をしゃべる理由付けがあるなら、まあいいだろう。今のジャンプなら「あかね噺」の阿良川ひかるは九州出身という設定で、独白や心の中の言葉だけが時々九州弁(おそらく博多弁)になる。実際の方言話者にもよくあるリアルな使い方だし、素直に他人と打ち解けられない性格には地方出身者という出自が影響している様も見てとれる。
気に食わないのは周りが標準語なのに平気で九州弁(博多弁)をしゃべるキャラ。大抵そういう作品は辟易して記憶からも消してしまうので、具体的な作品やキャラを挙げられなくて申し訳ない。とにかくそういうのが居るのだ。
そもそも現実の方言話者が、周り全部が標準語をしゃべる中で自らも方言を話すだろうか? 関西弁はまあいいだろう。お笑いなどの影響だろうか、割と市民権を得ているし、現実に東京で関西弁をしゃべる人にも遭ったことがある。
しかし九州弁の中でもメジャーである博多弁ですら、東京では全く聞いたことがない。いわんや佐世保弁をや。実際に試せば分かるのだが、話しても全く意図が通じないため、標準語を使わざるを得ないのだ。
ああ一つだけ、僕が太鼓判を押せる作品があった。少々古い作品で恐縮だが「坂道のアポロン」だ。作品のテーマ自体が、地域に根付くカトリックと、米兵が戦後に持ち込んだ文化、ジャズである。舞台が佐世保である意味が確かにあるし、キャラも当然のように佐世保弁をしゃべる。ヒロインを演じた南里侑香は佐世保出身。僕から見ても完璧な佐世保弁を話し、全くストレス無く話にのめり込めた。そうそう。方言を話す作品はこうでなくてはいけない。
つまり、キャラ付けのためだけに九州弁をしゃべるキャラが嫌いなのだ。方言をしゃべるなら、ちゃんと設定にも意味を持たせてくれ!頼んだぞ!
化粧とか含めて身だしなみというか手入れしろってことだろ
増田でセルフケアガーとかうるさいし韓国ガーとか人気あるのもそれが理由だろ?
女の文化を見下すも何も男向けに宣伝も商品も本格化されてないし関わる機会もない
俺は女向けの作品とかならまっっったく触りたくもないし見下してるかはともかく触れたくないのは事実
ブルアカは美少女ジャンルの中でもミリタリーやメカやSFぽい雰囲気が好きなのに受けやすくて更にニッチに
日和って一人称や喋り方がオカマみたいになってるけど、ソシャゲで男向けに作ろうとしてる珍しい作品なので母数は元々多くないしな
まぁ下記についてはよくよく考えて欲しいね
でも某候補がAI安野氏に勝った地域のひとつは、下記なんだぜ?
- 石丸氏と蓮舫氏の投票割合の差が比較的小さかった地域(もちろん文京区ほど小さくはないが・・・)
- 女性の区長の地域
- 経緯はともかく所得が高い地域よりも早い2021年にパートナーシップ・ファミリーシップ制度が導入された地域
- 人情下町とかいった風情が残ってる地域
- 東京23区構成比と比較して、単独世帯構成が少なく、夫婦と子どもからなる世帯が多い地域(家族で住んでる)
- 65歳以上の人口の割合が北区に次いで高い地域
(ちなみに北区も所得が低いが、文京区よりも投票割合の差が小さい。ちなみに、AI安野氏が某氏に勝ちました)」
本格的な分析をするまでもなく明らかなこと
- 世の中は、目の前のタスクに追われてニュースや政治に興味がない人が多いこと、ロクデモナイので不愉快な気分になりたく無くて意図的に避けている人が多いこと、
もっと自覚が欲しいよね。『なんで😡』って言われても、『目の前のことに忙しいから😥』以外の答えないよね
そういう人たちはなんか感じが良さそうだった人に入れるからよく覚えておくといいよ?
昔は、『右翼は仲間を庇うのに、左翼は仲間を庇わず攻撃する』とかきゃっきゃやってたものだけど、
まさかの<シールを無茶擁護>ときたもんだ、それも立場ある人が所属組織を明かした上で実名で
いつからストリートおじさん・おばさんになったんだよお前は?って思いましたね
まぁ100歩譲って、ストリートおじさん・おばさんに目覚めたでもいいけど、
今アートの話してなくて、『単純に自分の家や車に貼られたら嫌ですよね』って話をしてるわけですよ
フツーにシールを剥がしつつ、ピンクチラシや有害チラシを剥がして、ゴミ拾って、地域貢献をする
その上で、シールより、ピンクチラシなり有害チラシの方が多くね?ってやればいいし、
この機会に、公共空間とgraffiti(グラフティー)を考えるをやろうってやって欲しかったわ
ストリートアートから考える“公共空間”|東京プロジェクトスタディ 2019
東京の防潮扉でみつかった「バンクシーの作品らしきネズミの絵」をきっかけとしたストリートアートに関する話から、“公共空間”について思いをめぐらせるようなレクチャーをしていただいた。バンクシーの活動の変遷を事細かに学ぶと同時に、日本的な公共の捉え方や、西洋との違いを認識する時間となった。
落書きが少なくてきれいなまちであることを手放しに喜んでよいのだろうか。知らない間にみんなが支配者の美学を内面化している。
その昔アメリカに輸出したマクロス、サザンクロス、モスピーダが切り貼りされてロボテックって別作品にされたとか、キャプつばは現地名にローカライズされて輸出されたとか言う歴史を知らないんだろうなぁ
穏やかな言葉を使わなかった、本気では○○とは思っていないがコミュニティで認められたいので過激になっていくってのが原因では?
指摘されても認めないのもネトウヨと同じ
昔は、『右翼は仲間を庇うのに、左翼は仲間を庇わず攻撃する』とかきゃっきゃやってたものだけど、
まさかの<シールを無茶擁護>ときたもんだ、それも立場ある人が所属組織を明かした上で実名で
いつからストリートおじさん・おばさんになったんだよお前は?って思いましたね
まぁ100歩譲って、ストリートおじさん・おばさんに目覚めたでもいいけど、
今アートの話してなくて、『単純に自分の家や車に貼られたら嫌ですよね』って話をしてるわけですよ
フツーにシールを剥がしつつ、ピンクチラシや有害チラシを剥がして、ゴミ拾って、地域貢献をする
その上で、シールより、ピンクチラシなり有害チラシの方が多くね?ってやればいいし、
この機会に、公共空間とgraffiti(グラフティー)を考えるをやろうってやって欲しかったわ
ストリートアートから考える“公共空間”|東京プロジェクトスタディ 2019
東京の防潮扉でみつかった「バンクシーの作品らしきネズミの絵」をきっかけとしたストリートアートに関する話から、“公共空間”について思いをめぐらせるようなレクチャーをしていただいた。バンクシーの活動の変遷を事細かに学ぶと同時に、日本的な公共の捉え方や、西洋との違いを認識する時間となった。
落書きが少なくてきれいなまちであることを手放しに喜んでよいのだろうか。知らない間にみんなが支配者の美学を内面化している。
はい、大ヒット作を一つだけ書いた作家は何人かいます。以下にいくつかの例を挙げます。
南北戦争を背景にした壮大なロマンスと戦争の物語。この作品は出版された直後からベストセラーとなり、1939年には映画化もされました。
南部の小さな町での人種差別と正義を描いたこの小説は、ピューリッツァー賞を受賞し、後に映画化もされました。なお、後に『Go Set a Watchman』という続編が発表されましたが、これは『アラバマ物語』の草稿であり、厳密には二作目とは言えないかもしれません。
激しい愛憎劇を描いたこの小説は、ブロンテの唯一の作品です。エミリー・ブロンテは1848年に若くして亡くなりましたが、この作品は今なお多くの読者に愛されています。
この風刺小説は、トゥールの死後に出版され、1981年にはピューリッツァー賞を受賞しました。トゥール自身は生前に出版を果たすことができませんでしたが、母親の尽力により世に出ることとなりました。
「これまでのシリーズも同じくらいの時代考証だった。アサクリは元々ファンタジーだ」
一番見る擁護がこれ
本当にシリーズ全体がシャドウズと同レベルだと周知されていいのか?
「叩いてる人はシリーズエアプ」だとか言う人もいるが、
日本が舞台のAAAタイトルが出るとなれば新規がいるのは当然だ
そもそもUBIだって新規獲得を狙って作品ごとに舞台を変えてるわけで
シリーズを知らない新規(しかも現地民)から見て期待外れだと思われてることは重く受け止めるべきじゃない?
シリーズ全体がこのクオリティだと思われたら二度と新作買われない限界集落だぞ
まあ発売後にもっと叩かれたら「叩くために買ったんだろ」とか言い出すのまで予想できるけどな
あとファンタジーだからフィクションだから何やっても許されるべきという主張も見たが、
まして現存するモノを無許可でモチーフにするなら名称や形状を変えて問題を避けるのが普通では?
主人公がチェスのグランドマスターより同種のゲームにおいて上かのように描写されたのが気に入らなくて見るのをやめてしまった。
複雑で魅力的な設定や高度な演出で飾られていても、根本がそういう無神経な主人公アゲをしていく作品なら見たくないなぁと思って。
それをチラッと知人に話したらわかってないと怒られたので誤解しているのかもしれない。
過激なファンアートを「検索避け(伏せ字などを含む)」と呼ばれる手法で公開するケースがある。しかし、この方法は本当に効果的なのだろうか?
本記事では、検索エンジンの仕組みと「検索避け」の限界について解説し、情報公開における倫理的な問題について考察する。
想像してみてください。あなたが重要な機密文書を持っており、ファイル名と文書内の固有名詞を少し変えてインターネットにアップロードしたとします。
ファイル名と固有名詞が少し変わっても、内容が変わらなければ、文書は依然として機密文書のままです。
インターネットは、世界中の情報が集まる巨大な図書館と見なすことができ、検索エンジンはその図書館の賢い司書のような役割を果たします。
この「司書」は、本のタイトルだけでなく、内容や文脈を理解し、関連する情報を結びつけて、私たちが探しているものを見つけ出します。
したがって、名前を変更するだけでは検索エンジンを欺くことはできません。
検索エンジンはキーワード検索を超え、画像認識や文脈理解などの技術を活用して、関連する情報をつなぎ合わせて、目的の情報を見つけ出します。
情報を守りたい場合は、名前を変更するだけでなく、アクセス制限などの強固な保護策を講じる必要があります。
また、Twitterのような公開プラットフォームに隠したい情報をアップロードすることは、矛盾した行為です。
一般的に、公開プラットフォームにおいては、特定のコンテンツを検索エンジンから隠すための直接的な手段は限られています。
例えば、Twitterのようなプラットフォームでは、個々のユーザーがrobots.txtの設定やnoindexタグを利用してコンテンツのクローリングを制御することはできません。
公開プラットフォーム上のコンテンツは、基本的に検索エンジンによってインデックスされ、公開情報として扱われます。
近年、画像認識とAI検索技術は飛躍的に進化しており、「検索避け」の効果はさらに限定的になっています。
特に、CNNを用いた画像検索技術は、深層学習を活用して、画像内の細かな特徴まで識別することが可能です。
これにより、画像内のオブジェクトやシーンの認識、さらにはテキストの読み取りまで行えるため、
作品名やキャラクター名、一部デザインを変更したとしても、関連する過激なファンアートが検索結果に表示されることがあります。
一方で、AI検索では、Transformerアーキテクチャが主流となっており、文章全体を一度に処理することで、文脈を高度に理解することができます。
GoogleのBERTやMicrosoftのTuringモデルなどの進化したAI検索モデルは、単なるキーワード検索を超え、単語の組み合わせが表す複雑な概念や文章全体の意味を把握し、
その結果、過激なファンアートを投稿する際に、意図的に作品名やキャラクター名を避けたとしても、これらのAI検索技術により作品が特定されやすくなっています。
上記のように、現代の検索エンジンは高度な技術を駆使して情報を収集・分析しており、「検索避け」のような単純な対策では効果が期待できません。
現代の検索エンジンは、過激なファンアートを検出する一方で、高度なコンテンツフィルターを備えており、
社会倫理に反する画像を検出し、検索結果から除外する能力も持っています。
多くの公開プラットフォームでは、シャドウバンという手法を用いて特定のコンテンツの露出を抑制し、
過激なファンアートが一般ユーザーに表示されないよう努めています。
しかし、これらの技術が存在するからといって、過激なファンアートを無対策で公開することが許容されるわけではありません。
コンテンツフィルターやシャドウバンは完璧ではなく、不適切なコンテンツを完全にブロックすることはできません。
公開されるコンテンツが法的な規制や社会的な倫理に適合しているかどうかが重要であり、著作権侵害、名誉毀損、不快感を与える可能性のあるコンテンツは、
情報公開を行う際には、その影響を常に意識し、責任ある行動を取ることが求められます。
「検索避け」のような限定的な対策やコンテンツフィルターに依存するのではなく、倫理的な問題と情報管理の重要性を理解した上で、適切な判断を行うことが不可欠です。
例えば、過激なファンアートを公開する際には、その作品が特定のコミュニティ内でのみ共有されるようにクローズプラットフォームを利用する、
またはアクセスを制限するなどの措置を講じることが考えられます。
適切な情報管理とセキュリティ対策を施し、インターネット上での安全なコンテンツ共有に努めることが重要です。
【追記】
「理想の死に方は何か」という定番の話題がある。雑談は性癖を披露する場ではないので適当なことを言って流すが、本音を言えばゾンビに噛まれて死にたい。
『さんかれあ』最高です。ブコメで教えてくれた方ありがとうございました。
2015年5月16日 ゾンビ映画 ナース とかで検索すれば出ると思う(一応検索除け)
自分がそのゾンビに噛まれることを妄想すると股間に違和感を感じた。
戦隊モノは、味方が敵に捕まって洗脳された場面。ドラえもんは、スネ夫が寄生生物に操られたところ(ドラえもん のび太と銀河超特急)。
ここで俺は法則に気付いた。洗脳・感染で自我を失うシーンを想像するとちんちんが大きくなるんだ!と。
確かに、ヴァンパイアに噛まれる絵本を読んでいた時にも同じ感覚だった。
その後は詳しく覚えていないが、初めて性的な気持ちよさを感じたのを覚えている。白いのが出て焦ったとかいう記憶はないので、射精はしていなかったのかもしれない。
しかし、あれは確実に、初の絶頂だった。精神的精通はゾンビお姉さんによるおねショタによって起こった。
以降、思春期を通じて性癖は生生流転したがゾンビお姉さんだけは常に活きていた。
【余談】
ゾンビAVはハズレが多い。俺は上記の理由でゾンビを愛しているので、力のある男がゾンビになった女性を好き勝手するとか、男のゾンビが女性を襲うとか、単純なグロテスク趣味は好みではない。
より精神的に海綿体に語り掛けるものが好ましい。例えば、愛していた女性がゾンビになり、自分も共にゾンビになることを選び、彼女に噛まれながら辛うじて意識を保って行うセックス、これが至高である。
ということで、余談とは書いたがここからが本当の目的。以上を読んだうえで俺の好みに合いそうな作品を教えてほしい。ゾンビに限らず感染・洗脳なら何でも良いし、もちろんAVでなくても大歓迎だ。
【蛇足】
将棋で抜いたことがある。以上を読んでくれたならその理由はわかると思う。
これに関しては思春期特有の性癖で個性を出そうとする行動な面もあったかもしれないが、将棋はエロかった。チェスはエロくない。
さっきまで仲間だったやつらが、こちらの王を狙って攻めてくる。当然その逆もある。
中高の美術部や美大や美術系専門学校の1〜2年生の作品には掃いて捨てるほどあるコンセプトなんだよね
あの発想もあれが刺さるのも多数派だと思う
ただ、絵じゃなくて、食器にして醤油入れて撮影してSNSに流す、は思い付いても実際にやる人は少ないから話題になったんだろうけど
で「社会的に正しくない」「作るのやめろ」とかいう、作者の創作や公開の権利を剥奪すべきと主張してる人ってまじで見当たらないんだよね
ところが数十年経てばみんなが非難してたものは教科書にも載るオーソドックスな作品の方になる
将来値段が上がってウッハウハよ
十数年経ったら億金積んでやってくるわけよ
で、大切なのは、応募先です。
中途採用市場では、職歴・学歴・学卒・年齢・性別などさまざまフィルターが存在します。
だから、自身の経歴で突破できるフィルターを探す必要があります。
たぶんこれは沢山あります。
で、もしそういう会社を探すことができなかった、というなら、そこが実力なわけです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14300074659
会社を探せなかった→そこが実力?