はてなキーワード: 事故とは
簡単に増えて生態系を壊された地域がどれだけあると思ってんの?
「ネズミが病原菌を運んで健康被害をもたらすってんで問題になったから猫を外飼いして対策しました」なんて大昔の話で、汚い、糞尿を撒き散らす、畑やガーデニングなんかを荒らす、うるさい、車に侵入して故障を引き起こす、日本の固有種を含む野鳥や小動物を殺す、人の敷地に侵入して家畜のひなを殺した例なんかもある
狂犬病が致死率100%のあまりにも危険な病だから野良犬は駆逐されたけど、正直猫もやっていいと思う
管理が甘くて飼い猫を逃し駆除された飼い主が出たらそいつは自分の無責任さ管理能力の無さを恨めという話で、そんなつまらない事故への配慮はやらない理由にならない
技術の革新がどーのラッダイド運動がどーのと、親AI派(でいいのか?)の言い分がイチイチ大仰で雑なんだよな
「車が一般化したら事故が増えました、交通ルールを整備し環境を整える必要があります」
という話なのに、なんでか
「少々事故が増えたからって、車そのものを無くせっていうの? 無理に決まってんでしょwww」
みたいな結論を押しつけてくる
ナマポはゴミクズだから人間として扱う道理はないってのは理解してるし、
心を病んで正常な思考ができなくなった精神障害は反射と本能で生きる昆虫にも劣る畜生であり、
電話に出た人に「必ず折り返し電話するように伝えてください」って言ったのに一回も折り返して来たことはなく、
あまりに頭に来て直接役所に行ったら、他の人への対応しているって2時間放置した挙げ句、
「生活保護法に受給者からの電話に折り返し対応しなければいけない法的根拠はない。それについて文句があるなら支給を止めますけど?」って脅してきた、
O府O阪市J東区のケースワーカー(2019年当時)のOさんに対して、
できるだけむごたらしい事故にあってお前もナマポに落ちろと思ってしまっても仕方ないよね☆
みんなーしねばーいーのにー。
https://anond.hatelabo.jp/20240401122022
その2で終わりです。
この巻では、太助とシャオに試練が降りかかる。太助はなんとか突破するのだが、ここでシャオが恋愛感情について○△◇~といった事情で、とてつもない壁があることを思い知る。
でも、シャオも止まってばかりじゃなくて、恋愛感情の生まれかけみたいな想いと向き合って、自分をちょっとずつ変えていこうとする。
⑥シャオリンが新春カルタ取りで一番になれなかった後、山野辺と帰る時のシーン
「あーあちょっと残念だったです」
「ん?」
「なんか叶えてほしい願いでもあんのか?」
「願いっていうかね 神様に許してほしいんです」
「?」
「太助様が言ってました 俺に頼れって… だけどね… …不安なの 本当に太助様に頼っていいのかわからないから… 本当に私… 変わっていっていいのかわからないから… 神様に聞いても答えてくれないでしょ だからカルタ大会で一番になって 許してほしいなって思ったんです」
(あちゃ――ウソついてまずかったかな――なんか罪悪感 でも…ま……いっか)
「神様は許してるよ シャオは 七梨に頼っていいし変わっていっていいんだ あたしがさっき願っといたからさ シャオの願いが叶いますようにって そんでもって あたしってばカルタ大会で一番になったことなんて 数えきれないほどあるんだぜ!!」
「翔子さん…」
(――ありがとう…)
シャオは素直である。山野辺の「新春カルタで一番になったら願いが叶う」という嘘を信じて、神社でのカルタ取りに挑戦する。
このあたりから、シャオが気になってしょうがなかった。果たしてシャオの心を変えることはできるんだろうか? 実は、そのあたりの伏線は登場している。その原因についての。
もし俺が15才とかだったら、すっかりシャオが大橙好きになっていたと思う。今は40代のおじさんだから、素直に好感が持てるとか、そんな月並みな印象でしかないのだが。いずれにしても、実弟がドはまりした理由がこれでわかった。
この『まもって守護月天!』というのは、絵柄の綺麗さもあるけれども、なにより男女に共感される形で登場人物のリアルな感情の動きがわかったり、それを具体的な行動に落とすところとか、そういう所作がハイレベルである。
現代漫画だと、『鬼滅の刃』とか『恋は雨上がりのように』とか『Vivy』とか『僕の心のヤバイやつ』とか、そういう畢生の作に連なるものがある。
バレンタインデーが舞台だ。リアル増田は、2/14頃にこの日記の初稿に取りかかっている。
え、俺がもらったチョコレート? ……会社の若い子からひとつもらえたよ。事務のおばさんからもひとつ。義理チョコだけどな。
ああ、あとは妻からもチョコレートをもらえたよ。義理チョコだけどな。
⑦-1ひと悶着ありつつも、河川敷でシャオが太助にチョコを渡した後のシーン
「翔子さんに教えてもらいました今日はバレンタインデーっていう日だって…」
「そ…そう」
「太助様」
「ハ…ハイ!!」
「気持ちって なんですか?」
(へ………?)
「バレンタインデーにチョコと一緒に伝える気持ちってなんですか?」
「……………」
「気持ちを伝えたい人はいっぱいいちゃダメなの? 一人だけに伝えるの?どうして一人だけなの? 伝えるのどうなるの? 翔子さんに教えてもらったこととか 私の気持ちとか…考えたらよくわからなくなっちゃって… …でもね そのチョコ買ってここに来るまで なんだかそわそわしちゃいました …えっと 太助様 そのチョコ受け取ってもらえますか? まだ気持ちは伝えられないけど…」
「もちろん!」
⑦-2キリュウに不敵な内容の試練をメモ書きで要求し、突破した後のシーン
「…………」
「約束だ なんでこんなもの[※メモ]を私に渡したか教えてくれ」
「自分で望まなきゃ 試練にならないと思ったんだよ そうでなきゃ与えられた辛いことに耐えてるだけで 越えられないだろ もったいないじゃん せっかく成長できるチャンスなのに いやいや受けてるよりは 試練とだって仲良くした方が効果あると思わないか?」
「…ああ そうかもな…」
キリュウというのは、この7巻からの新キャラである。万難地天という、主人に試練を与えるキャラクターである。物理的にモノを巨大にできる。やはり、この時代のラブコメは暴力性が強い。ジョジョ5部に出てくるホルマジオの「リトル・フィート」を思い出した。あっちは小さくするんだっけ。
上記の場面で太助は、この試練を利用して力をつけ、シャオとの心の距離を埋めて一緒になることを意図している。
文学性とでも言おうか。レベルが高い漫画って、文学みたいだよな。
『百年の孤独』とか『ライ麦畑でつかまえて』とか『わたしを離さないで』みたいなガッツリしたやつじゃないにしても、キャラと行動が嚙み合っていて、しっくりときて、心にスッと入ってきて、それで自然と涙が出てくる。そんなやつである。
この巻あたりから、シャオ自身が太助に近づこうとしてアプローチをがんばる場面が出てくる。あくまで俺の考え方だが、恋愛って、基本は男性→女性にいくものだ。恋愛に必要なステップが10あったとすると、そのうち9くらいは男性が引っ張っていく必要がある。
ラブコメ作品では、現実世界よりはるかに――女性が恋愛に積極的である。現実にいたとしたら痴女か恋愛ハンターである。そんなレベルの恋愛Junky。
しかし、シャオリンの場合は、奥ゆかしさがあるというか。最初のきっかけはシャオが作ることもあるけど、最後は太助がバッチリ決めようとする。空振りになることも多いが笑
⑧-1その年の梅雨最初に振った雨が止むまでに誰とも話さなかった二人は……夏に幸せになれるという山野辺の嘘を真に受けたシャオリンが太助と一緒に路上を走っているところ
(――ねぇ翔子さん 私… わがままなのかな ずっと雨止まないでほしいなって 思っちゃうの)
⑧-2太助と一緒に登山中、遭難して夜になり山林で小休止しているシーン
「…俺 もうちょっとまわり見てくるから シャオはそこで待ってな」
「――え… ――太助様… ねぇ離珠 太助様怒っちゃったかな …私守護月天なのに 支天輪忘れてきたなんて言ったから[※太助に嘘をついた] 役立たずだ………って 思われちゃったかな………」
シャオは、太助に近づこうとしている。不安げな気持ちが読者に伝わってくる。自分の気持ちに向き合おうとする姿が印象的だった。ピュアと言うほかないのだが、大人になって忘れていた感情を思い出した。
ただ、やはり非現実的な描写が目立つ気がする。この回では、乎一郎が山中の樹木の上に夜中じゅう放置されて終わりという、トンデモエンドを迎えてしまう。しかも、ルーアンが気が付いたのは次の日の朝という……。
太助の家族の話だ。本来は4人家族で、一緒の家に住んでいるはずなのだが、みな海外に旅に出ている。普段、家には中学2年生の太助しかいない。ラブコメ的な都合にしてもちょっとひどい。
この巻では、太助の母であるさゆりが出てくる。実は、太助が赤子の時に旅に出ているため、彼からすると他人状態である。
実際、太助もそんな人間を母と認めるような甘いことはせず、放置気味にさゆりを突き放すのだが、とはいえ母親が恋しい感情もある。そんな葛藤を描いた巻である。
⑨太助が放置親への感情を整理した後、シャオがその手を握りしめた直後のシーン
「え…?」
(私が ここに来たのは あなたの中にある孤独や寂しさが 私にはよくわかったから あなたのその気持ちが 言葉じゃなく 私の心に 届いたから ――ねえ太助様 大切なのは 話すことじゃなくて お母さんのことを知りたいと思えたその気持ち そのことにどうか気づいてほしいの)
実の母親は実弟ばかり可愛がっていた……まあしょうがない。俺は、小学生の頃から警察に補導されてばかりだった。母親が、俺を損切りして弟をかわいがるのは当然だったかもしれない。
大学生になっても、京都の祇園や木屋町とかの飲み屋街で暴力沙汰を起こして、何度もパトカーに乗せられたよ。俺はそっち側の人間だった。母の判断は正しかったのだ。
ただ、かくいう俺も実弟がかわいいとは思っていた。ドジだったけど、優しい気質だった。将来どんな人間になるのか楽しみだった。事故で死んでいなければ、まともな社会人になっていたと思う。「家栽の人」になっていたかもしれない。
これを含めてあと2巻である。
この巻はキリュウが主役だ。7巻から出てきたキリュウだが、俺はこの子が気に入った。シャイキャラで、芯が強いみたいな感じだ。この作品についてはググらないと決めていたのに、この子についてはググってしまった。キャラ人気では相当上位らしい。
第9巻の冒頭にあった人気投票でも、主人公である太助が5位で、キリュウは2位だった。シャオリンが1位を獲得。
⑩キリュウが太助の姉との関係性の悩み(※嫌われるのが当然なのになぜか好かれる)をルーアンに相談するシーン
「ルーアン殿は自分が変わっていくことについてどう思う シャオ殿が言ってた ここは昔と違うことが多くて自分を変えなきゃいけない シャオ殿は自分を変えたいと思ってる でも変わるのは怖いと言ってた」
「……………」
「ルーアン殿は変わったな こうやって私の愚痴を聞いている ルーアン殿は変わるのは怖くないのか?」
「変わるって何? あたしは変わってないわよ 変わるってなんだと思ってるの? 何か今まで気付かなかったことに気付くこと? あたしはここに来ていろんなことに気付いたけど 変わったなんて思わないわよ? 変わったんじゃなくて… 知る暇もなかった知らないことに 気づける余裕が出来ただけ」
「……………」
(ルーアン殿の言う通り 「変わること」が「気付くこと」なら 私はもう気付いてる ここには今まで感じたことのない 優しさがあって安らぎがあって 悲しくなる程の幸せがある でも…だから私は そのことに気付かない振りをしてるのに…)
この巻では、登場人物それぞれの悩みをガッツリ表現している。キリュウは、「ご主人に試練を与える」という性質上、主やその家族に必然嫌われることになる。ずっとそうだったのだが、ここは現代社会である。昔に比べると価値観が相当異なる。そんな中で、彼女らも『気付いて』変わっていかないといけない、というのが上記の会話のテーマである。
キリュウは、幸せになることを受け入れたくない、変わりたくないと思っている。だが、ラストでそれに向き合おうという気持ちに変化している。
キャラの心情を精緻に描いている作品は少ない。物語作ってるプロの人ってさ、やっぱりこれくらい悩むものなのだろうか。自分の分身であるキャラそれぞれの心持ちについて、本気で考えてるんだろうな。きっと。
この巻で終わりである。実は当初、全11巻で一応の完結が見られると思っていた。そんなことはぜんぜんなかった。
この巻では、10巻からの一連の流れで、キリュウがこれまでと趣向を変えた試練を太助に与えている。シャオが○○して、これはもうダメかも……と思わされるのだが、太助がその試練を乗り越えて、シャオと対話をして、心で向き合うことができて、今後にご期待ください~といった具合で11巻は終わる。
どこかを引用しようと思ったが、やめておこう。もしかしたら、まもって守護月天!が大事な思い出になっている増田読者の方で、電子書籍で読んでみたいという人がいるかもしれない。うん、きっとそれがいい。
代わりに、カバー裏にあった桜野みねね先生によるおまけコーナーを紹介したい。
巻の⑪です――。
ここらでここに描くものもちょっと変えたいなーってことで今回は、
前回までやってた「のたもーた」とかは、まだやってないキャラもいるので、そのうちまたやろうかな、と思っているわけなのです。
ではまた12巻で~~。 みねね
これで最後だ。
弟なんだけどさ、交通事故で病院に入ってからは大変だった。自転車で走っている最中、真後ろからトラックにぶつけられたのだ。それで轢かれたらしい。外傷だけじゃなく内臓もやられていた。苦しんでいる姿がストレートに目に入ってきた。
それでも、お見舞いに行く度に、病室には守護月天の漫画が置いてあってさ。何度も繰り返し読んでたんだろうなって。
今、俺が手に取っているのはまさにそれである。本自体、相当なダメージを受けている。何回読み返したんだろう。弟は、セリフの細かい字面とか、…の数も気にして読むタイプの人間だった。漢字で書ける台詞がひらがなになってるとかも。
ただ、何度繰り返し読んだとしても、この作品であれば楽しめたのではないか。
桜野みねね 様
幣日記をご覧になる機会はないとは存じますが、このようなメッセージを失礼いたします。
桜野先生の作品を読ませていただき、家族について考える機会をいただき、感謝でいっぱいです。
実弟も、病院の中で苦しんで逝ったとは思います。でも、弟は先生の作品に出会いました。痛みや苦しみの中でも、僅かばかりの楽しい時間を過ごすことができました。
一人の読者の家族として、重ねて感謝いたします。『まもって守護月天!』という作品を世に産みだしてくださり、誠にありがとうございました。
令和6年3月16日
日本でも毎年それをやってる途中で事故を起こしておちんちんを噛みちぎられたちーんが病院に担ぎ込まれてるらしいよ
積極的にバカの遺伝子が後世に残らないようにすることで人類の知能の底上げに貢献してくれている勇気ある人種としてイグノーベル賞をあげたいね
ぶっちゃけ災害派遣ぐらいしか「本番」と言える任務が存在しない状態が続きすぎたんだよね。
中国艦隊と牽制しあうとか、領土侵犯にスクランブルで発進するとか、ああいうのをさも「本番」みたいに言うけど実際の所はあんなの子どものピンポンダッシュでしかない。
そんな中で練度の指標となるのは身内の訓練部隊がでっち上げた「訓練マニュアル」ぐらいのもの。
マニュアルに書かれている内容通りにできるかが優先で、「こっちの機械が壊れていたので、他の機械を使って代用しました!」みたいなのは評価されずに0点判定。
想定外の事態は一切考えず、全てがマニュアル通りに進んでその中でマニュアルどおりに動けたのか以外何も求められていない。
武道の型の稽古みたいなもんだと言えば聞こえはいいが、実際にはただの一度の実戦経験もなければ、実戦において何が起きるかさえ想像もできないお坊ちゃん達の思いつきで全部決まってうr。
そんなもので何点取れたかが部隊の評価、ひいては指揮官の評価になるもんだから、指揮官たちも訓練のための訓練ばかり躍起になって繰り返す。
実態を失っているので本当にそれに意味があるのかなんてもう一切考えてない。
そんなことを繰り返していると、考え方全てが上っ面だけをなぞるようになる。
上級部隊にあげる報告が少しでもいい感じになることが優先で、それが実際の部隊運用や本番の災害派遣に対応できる能力があるのかにさえ興味がなくなってる状態。
たとえばヘリコプターで故障が起きたとして、それが実際の運用中に事故につながるかどうかようりも「整備中という表示になってしまうこと」そのものが問題とされ、「整備中」の表示を外したいというだけの理由で「これぐらいなら整備する必要はないと判定しましょう」として、「任務対応可能」なヘリの数を一つでも増やそうとしたりする。
実際にはそれ以外のヘリがまだまだいるんだからそっちを使っている間に整備したほうが運用において安全な状態のヘリをより効率的に確保できるはずなのに、目先の「任務対応可能数」を維持したいがために、「致命的にはならないと信じたい故障」の整備を先送りにし続ける。
これは一例に過ぎないけど、今の自衛隊にはあらゆる部隊、分野、行動でこういった目先のちょっとした「おえらいさんのご機嫌取り」みたいな小手先の誤魔化しが積み上がりまくって組織がぐにゃぐにゃにひしゃげてるんだよね。
訓練のための訓練、報告のための報告、点数稼ぎのための点数稼ぎ、実績作りのための実績作り、上層部のご機嫌伺いのためだけのご機嫌伺い、思いつきのための思いつき、現場を見ることなく眼の前の会議で少しでも格好つけることを最優先としたとっちゃん坊やのゴマすり上手ばかりが出世する今の自衛隊は本当に腐りきってるよ。
今の自衛隊には無数の牟田口がいるから、実際に現場で人が死ぬようになったら何の意味も大義も目的意識もなく、偉い人たちの「吐いた唾飲むの格好悪くね?俺のプライドのために死ぬのが兵隊じゃね?」で沢山の人が無駄死にすると思う。
本当にカス。
1. あなたの心はどんなときに快楽を感じますか?いつ不快を感じますか?いつ苦しみを感じ、いつ喜びを感じますか?つまり、感じたことに気づいてください。
2. その感情は、なぜそう感じますか?原因はなんですか?あなたをそのような感情にさせる経験に心当たりはありますか?
例えば、目の前の人が包丁を握って玉ねぎを切っていたとします。私が後ろから声をかけると、その人は振り向く。そして包丁の先も一緒に私の方を向いた。キラリ。
私は不快を感じるでしょう。関係性によっては、それを口にするかもしれません。
ですが、重要なのは不快を感じたことに気づくこと、そしてなぜ不快を感じるのかということです。考えてみましょう。
これを探るためには、感情が成立しない条件を挙げるとわかりやすいです。
例えば、もし包丁が視界の外にあれば、包丁の先を向けられた事による不快は感じなかったでしょう。つまり、それを認識したから不快になった。
例えば、包丁が何なのか知らなければ、不快は感じなかったでしょう。つまり、包丁が固く、鋭く、そのようなものは人を傷つけると私は学習していて、だから不快になった。
例えば、より遠くの位置関係であれば、不快は感じなかったでしょう。それはなぜ?
私は思い返してみます。あのとき何を感じたのか。ゆっくり、スローモーションで。
包丁に気づき、その後、包丁の先が向けられていることを認識します。
そして……想像したことに気が付きました。その先が自分に突き刺さる事故を。人間の本能的な予測衝動に従って。
そして、想像によって私は架空の痛みを感じ、それが真実の恐怖になったことに気が付きました。突然の恐怖は、驚きの発生に繋がります。
人間はそのように驚かされると、その事自体を不愉快に感じるものです。自分が攻撃を受けている(と錯覚する)からです。
そして、怒りが訪れます。攻撃には、報復を。おお、驚嘆するほど一瞬の、精緻で語り難い、複雑で出来事です。人間の妙。
私が包丁を向けられ、不快になり、ひとこと言いたくなったのは、このようなメカニズムが私の中で働いていたからでした。一件落着。
…というのが、私の言う「心の観察」です。
自分ではない人間として自分を観察し、どのように感じるかを理解することが、まず一歩。
これを無意識にできるようになると、自然と相手の心の動きにも目が行くようになります。
これが、言葉ではない話し合いの一歩、心を聴くということへの手がかりです。
ただし、他者の心の機微を知ることは、ご存知のように大変難しい。
いろんなものを見せてみましょう。いろんなことを言ってみましょう。そして観察するのです。目線、表情、呼吸、声色、仕草……
話を聞いてみてください。相手の前に立つのではなく、横に立って同じものを見てください。相手が何を想像しているかを知る必要があります。
ひとつひとつの出来事は一面しか表しませんが、百回行えばその人の百面が見えます。知りましょう。
自分を知ることも、人を知ることも、実験と観察の繰り返しです。
あなたの言う問題というのも、その延長線上で観察する必要があります。あなたに起因するのか、相手に起因するのか、どちらもなのか。あなたとその人の間に、何が起こっているのか。
何をして、何のリアクションがあって、それが起こるのか。因果を観察し発見してください。因果のない出来事は存在しません。
問題というのが何のことか、具体的には書かれておりませんので、具体的なことは申し上げられません。
ただ、まず観察の手段、知ることの正しい手段を取ることが重要だと私は主張します。
知れば、道が見える。
人の世は複雑です。だからこそ答えは観察からしか得られません。そして、人は道理と因果を見つけたなら、干渉できます。
そのときようやく、あなたは、あなた自身の力によって、問題を解決できます。
未熟な私から申し上げられることは以上です。
わかる。わかるよ。
でもコミュ障にはそれができねーんだわ。
相手が嫌がってるな〜とかそういうのを感知するのが鈍いと言うか、どこかのタイミングでは一応気がつくんだけどその時点でもうコミュニケーション失敗の事故なんだよな。
事故を起こすのが怖いから飲み会に誘われてももうすべて断るようになってしまった。
幸いなことに飲み会にいかなくとも仕事上の会話は皆してくれるので、飲み会に行って地雷踏みまくって評価が下がりまくるよりいいかな、という判断をしている。
応報刑っていうのが、お前の言ってる奴。被害をあたえたらその被害のぶんだけ罪を負う。眼には眼をやね。
抑止刑っていうのは、悪行に罰則をつけることによって、その行為を止めようとする刑罰。
車の運転の、携帯電話のやつとか、一時停止違反なんかが典型的だね。まだなんの事故も起こしてないけど、罰を科される。
現在の、強姦の刑罰の設定には、応報刑と抑止刑の考えの両方が強く反映されているわね。
抑止刑は分かりやすいだろ。罰則が高いほうが強姦は減る。リスク高いから。増田の言うように風俗と同じ値段とかだったら、そりゃ強姦するでしょって話になってしまう。
プラス、応報刑のほうも、あるんだよね。つまり人権概念によって人間の自由意志とかの値段が爆上がりしている。性的価値ではなくて、自由意志の毀損なんだよね強姦ってのは。
ネットに向いていないのだ
かといってすべて断つと生活するのに必要であったり助けになるであろう情報の少なくとも30パーセント程度は入ってこなくなり今よりさらに暗愚に近づくのではないかと不安になり、なかなか踏ん切りをつけられずまだ増田なんかにいるのである
ここではとりあえず自分の大嫌いなあの人間たちの活動のさまはほぼ目に入らないか、同じように嫌っている人間の方が多そうな様子なので安心ができる
しかしはてブでは稀にというよりかなり目に入るので、というかまさに今日目に入ってしまいわざわざ棘のまとめからどこにでも湧いて出るように見える有象無象のうちの一人であるそいつをブロックしにいって安寧を得ようとするほどなので(そのサービスの中に入り積極的にブロック等をするほうが唐突な目撃事故を避けられる確率が上がる問題はどうしたものか)それらを見つけてしまうはてブをやめたい
やめたいがこの数年というものニュースはほぼここで収集してきたので今さら新たな、しかも多方面のニュースが集まってくる情報源を見つけるのか……と考えてはその難しいだろうことへの徒労感で今からいっぱいになり、やめるのことをやめてしまう
果たしてネットを丸ごとやめることがこの現代でできるだろうか?
その答えを知っている人間は今増田にはいないはずなので、この疑問は解決しないだろう
こうして毎日悩んでは何も決められないままネットに向かっている
これはもうだめだろう
つくづく、本当にネットに向いていないのだ
https://foocom.net/secretariat/foodlabeling/24470/
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/foocom.net/secretariat/foodlabeling/24470/
zapa 一部ロットで検出された未知の物質が原因、と想定されているだけであって、正確な原因はまだわかっていない。摂りすぎた場合、紅麹そのものが実は危険だったという可能性だってある。
可能性で言ったら何でも有り得る
これは本人の介在無く億単位の金が違法な賭博業者(初期報道にあった「カリフォルニアで違法なだけ」ではなく、全米で違法なもの。だから胴元が今摘発されようとしている)に流れたという金融事故(または事件)でもある。
どの口座は使われたのかが公になってないが、仮に大谷がスポンサー契約してる三菱UFJ銀行の口座から送金されていた場合は、今の銀行のシスリス部門とリスク管理部門、システム部門とシステム子会社が泣きながら完徹で金融庁報告対応してるはずだ。
本人確認どうなってたのか、代理申請されていた場合身辺調査しなかったのは何故か、9回振込があるまでシステム的なアラートが鳴らなかったのは何故か、それらの業務やシステム仕様を許したのは誰か、何故か、などなど根掘り葉掘り聞かれるので答えないといけない。答えられない場合は業務停止命令が待っている。
米国の金融機関の口座であっても、該当金融機関が夜を徹して同じように当局対応してると思われる。
該当金融機関の中の人達は、今頃大谷翔平に恨み節を流してるだろう。「大谷が自分で振り込んだという初期報道の通りであってくれ」と願ってたはずだ。
原因究明に続いては再発防止策の策定だ。
おそらく、口座の代理申請のデューデリジェンス(反社チェック含めた身辺調査)が薄く、一平が信頼できない人物だと検知出来なかったことが原因と見做されるので、口座の代理申請受付でもしっかりデューデリを厳しくするのが再発防止になるだろう。
これを読んでる貴殿に子どもがいて、子どものお年玉を管理する口座の代理申請をした場合、貴殿が身辺調査の対象になるということだ。
今までは口座名義人本人が承認してるから代理人のデューデリは要らないとされてたが、それはハイリスクだと水原一平が証明してしまった。致し方ない規制強化だろう。