はてなキーワード: 乳児とは
なのに早期復帰前提、ってのも矛盾してるよね。
体調が優れないのに早期で復帰するの?
子供の都合で子供だけ里帰り先に残して、母親は子供を置いて自分だけ帰るってなら、他に子供の世話する人(夫か祖父母)が手続するだろうし。
自分の方が収入多くて職場復帰してるってなら、予防接種だって夫にやらせりゃいいのに。
全部自分で抱え込んで一人で詰んでる女っているよね。
第1子の出産を実家で行うことが結構ある。会社の同期は現状100パーセントで結構多い。
出産にかかる医療費は健保が使えず10割負担です。かなりの金額になるため、各種助成があります。
里帰り出産っていろいろ手間なのでこれがもっとスムーズだったら次も産みやすくなるかなと思ったので、記載します。
1、10割負担をやめて通常の病気と同じように健保使わせてほしい。
これだけでだいぶ病院窓口での手間は減る。今は助成を受けるために住んでる地区町村の発行したチケットを病院に持っていき医療費割引してもらいます。病院窓口でもどのチケットを使うか判断に手間がかかっていそうだし自治体側でも、これって個人ごと管理するの手間ですよね。
また、切迫流産気味だったりすると、その診察は健保適用で3割負担で済んだりするので保健適用と適用外が混ざってとても煩雑だと思うんです。
個人にチケット渡すんじゃなく各健保へ直接補助してもらえばいいんでは。
また前述の助成チケットですが他県では使えません。だから里帰りした時は病院窓口で10割支払って、出産後に領収書をまとめて東京の区役所へ持っていき申請書を出して還付を受けるわけです。後日銀行振込で戻ってきます。
これ、一人一人窓口で誤りがないか母子手帳と突き合わせて領収書をチェックするのですが、利用者、役所側共にかなり負担だと思います。
東京都は基本無料になるんですよね。しかしそのためには住民票がある区で医療証を発行してもらうことが必要です。ただし、医療証は都内でしか使えません。
発行には出産直後に手続きが必要で、先に保険証を入手しておくことが必要です。
出産後、まず保健組合に新生児の保険証を請求しますが新生児が例えば黄疸の疑いなどで診察を受けた場合保険証発行が間に合いません。また、子供の医療費を助成するのは親の住民票がある自治体なので里帰り時は窓口で無料にはなりません。(仮に住んでいても医療費助成のチケットはすぐには入手できないため窓口で一旦払います。)
保険証来る前は10割払って、保険証来たら会計再計算してもらって8割返してもらいます。そして子供医療費のチケットがあれば残りの2割も還付を受けるわけです。
これが私一人ではなく何人も発生するはずで病院側の手間、そして後から還付作業する行政のコスト、出産間もない母親の手間を考えると無駄以外の何者でもないと思います。
(里帰りしてる場合、電話で住民票のある自治体と何度もやり取りして郵送などの依頼をすることになる)
産後すぐ、乳児が通院している状況というのは母親からするとかなり辛いです。その中でこの様な手続きをするのは精神的にもかなりこたえますよ。
3、予防接種
里帰り出産で仮に乳児が通院を続ける又は母親の体調がすぐれず、2ヶ月目まで実家などの他県にいる場合、予防接種をその県で受ける事になります。
予防接種の内容は決まっているので、どの県でも受けられると思いますが、これも親の住民票がある自治体で受けないと保証と助成は受けられません。
助成が無い場合2か月目には予防接種だけで5万円ほどかかります。
助成を受けるためには、住民票がある自治体に書類申請した上で里帰り先の保健所長への書類を作成いただき、保健所長からの書類を持って小児科を予約することになります。
余談ですが、各自治体のホームページに手続きの仕方をもっと詳細に記載してくれれば、なんども電話せず済んだのと、自治体ごとに依頼システムや書類のフォーマット、入力項目が違うのどうにかなりませんかね?
これらを楽にするには
母子手帳と保険証があれば全国どこでも子供は無料で予防接種や医療を受けられるようにするだけです。
自治体のサービスに特色を出すために、自治体ごとに助成業務をやるのはわかりますが、全国で共通で決まってるところは統一ルールでシームレスにして欲しいです。
他にも色々あるんですが、
「出産してよかったなあ、次も安心して産めるなあという気持ち」よりこんな仕組みでよく回してるなあが大きかったです。
時間軸が働いていた頃と違って時間かかりすぎ、手続きや運用に無駄多すぎで、会社の理解がなければとても仕事しながら産めるものではないなあ、と感じました。
(バリバリ働きながら子供産むなんてこのままだとありえません。1人目はこんなにひどいと知らなかったので産めました。会社に迷惑かけました。)
追記1:
産前の妊婦健診は産休を取るまえに数回、34週からほぼ毎週通院します。そのため里帰り出産者は必ず還付が発生することになります。
追記2:
煩わしいなら夫に、という意見はわかりますが最初からシングルマザーが利用しにくいのが前提では制度として良くないと思います。
また、祖父母もフルタイムで働いている人増えてると思います。全て頼れない人向けに制度設計してこそ出生率は上がると思います。
10歳頃、殺人犯の息子が将来犯罪者になるとして村人からいじめられる物語を読んだ。
とても良い経歴やスキルを持って居たけれども性格的にどうも信頼出来ず悩んでおり、こんな大人になりたくないと思って居た。
親に似ない別なものになれると信じて
見た目はもちろんまだ話したりできないのにもかかわらず、行動パターンまで夫そっくり。
義理母に聞いていた夫の乳児の時の行動と同じなのだ。寂しがり屋や食欲が異常に旺盛、抱っこしないと大声で泣く。
(私の乳児期には全然似てないと私の母は言っている。確かに私に顔も似てない。)
遺伝子の影響が人間の性格と行動にかなり大きい影響を与えていることは間違いない。
教育しだいで親がどうであれその子は立派にも優秀にもなる、無限に可能性があるはず。と信じてきたがそれは無理かもしれない。
乳幼児にたいしては、胸をつつくどころか、たとえなすりつけたとしても、
何をされてるかも認識できない、羞恥心を害することができないーーだから虐待にはならない、らしい(※)。
でもその行為を見ていた母親が、成長した赤ちゃんに「あなた、昔 お父さんに … されてたのよ」
などと告げ口したとする。彼女は自分がされていた事を認識し、取り返しのつかない深い心の傷を負ってしまう。
さて、その傷を負わせた責任は誰にあるのか。もともとの加害者か? いやそうではなく、告げ口した母親が悪いのではないだろうか。だってこれは現在において為されたセクハラなのだから ……という説だ。
いやそんな事ないだろう、加害報告が無ければ被害の認識はあり得ないし、犯罪ではないものの悪事ではあるので、それについて父親に抗議したり、絶縁したりは当然検討すべきだが、しかし気付かないならそれもできない。報告は必要だ。これは正義のハズだ。
そう考える一方で、でも知らなければ苦しむこともないんだよなあ。そもそも後で告げ口して来るんじゃなくて、その場で咎めてくれれば良かったじゃないか。とも思える。どうなんだろう。そういえばこういう告げ口してくるひとって実社会に結構いるけど、正義っぽさはあまり感じないような… 実際の動機はなんなのか、本音を聞いてみたい。
数年前、ショッピングモールでパンツをスカートに挟んでる女子中学生に遭遇した。言えば確実にショックを受けるだろう。だが告げるべきだったか…
※ 「児童虐待の防止等に関する法律」によると児童虐待のパターンのうち一つは「児童にわいせつな行為をすること」。わいせつの定義は曖昧だが、判例で広く支持された説には「普通人の正常な性的羞恥心を害し」とある。被害者は性的羞恥心を認識できる必要があるのだ。七歳の女児に対して、女性としての自己認識があるとした新潟地裁の判決があったが、でも乳児は…
今年7歳になる娘がいる。
娘は夫の幼い頃に似て、ひょろひょろ~っとしていて手足がとても細長い。ご飯もおやつもバクバク食べるのに、赤ちゃんの頃から一貫して細長い体型だ。
そんな長女の体型が災いして、私は地域の保健所から虐待疑惑をかけられていた事がある。
実際、世の中には子供を遺棄してしまう親もしばしばいるものだから、疑ってかかられるのはある意味仕方のない事なのかもしれないし、保健所のその姿勢の為に救済される子供もいるのだろうが、うちの地域の場合、リアルに虐待を常習していた親が数年生暖かく見守られ続けた結果子供を殺してしまった事件があったりして、なんともかんとも、ニンニン。
事件にならなくても公園で本当に子供を虐待している親を見た事もあるしどうなってんだろ。
それは置いといて、子供の体型が少々平均値を外れていた為に、私は三ヶ月乳児健診の際に他の親子も沢山いるところで、保健師から机をバンバン叩きながらの罵倒の嵐を浴びせられる事になってしまった。あんたが母乳育児に拘るせいで娘が餓死するとかなんとか言われたが、娘の場合父親譲りの細身なだけなので私に出来る事なんて無いのである。ただただ辛い思いをした。
そんな愚痴を子育て支援センターで話したら、体型がパーセンタイルグラフから外れている子供のお母さんは大体皆同じ経験をしており、保健センター大嫌いだし、乳児健診なんか本当は行きたくないけど母子手帳の記載を埋める為に(子供の健康のためでもあり、将来子供にこんなに大事に守られて育った事を知らせてあげたいためでもある)嫌々ボコられに行ってると言っていたものだった。
以上、七年前はその様な状況だった。なお次女は一貫して平均値ど真ん中でしかも第二子だった為に、こっちが不安になるほど顔パス状態で健診がさっさと済む感じだった。
そんな感じで、散々な乳幼児健診で痛めつけられてからもう随分経つのだが、今現在はどうなっているのだろう?と、ふと思った。
長女の件で憔悴しきって実母と義母に相談したら、昔から保健所なんかそんなところだし、これから子供が小学校に上がれば親はもっと酷い仕打ちを受けるという話だった。
虐待を未然に防ぐとか何を言うwテメーらが親を追い込んでる元凶だろうがwという意見で両家の母の意見一致。
そんな事があったけど長女は無事成長し今年小学校に上がった。
すると担任の先生はすごく親切丁寧でこっちが恐縮してしまうほどだし、トラブルが発生しても親が一方的に叩かれる事もないので、拍子抜けした。もっと酷い目に遭わされるのかと思ってた。少なくとも三ヶ月健診の時と同じくらいには。
だが長女の隣のクラスの担任は、私の子供時代にしばしばいた教師みたいに強権的で、子供を恫喝して言うこと聞かせるタイプである。
ネットを見る限りは育児・教育現場は昔よりは大分改善されている様に感じられるけれど、現実はそのようであるように見える時もあれば、見えない時もある。
乳幼児育児の環境については、当事者でなくなった途端にさっぱり見えなくなってしまったのでわからない。
七年前よりよくなっていればいいなと思う。
保育園の無償化が来年10月から始まる。それを聞いて思ったことは、つくづく氷河期の連中は不遇だなってこと。
彼らの新卒時代は超就職難。彼らが乳児・幼児子育ての時期は、3.11以前。イクメンだのパパが育休だのあり得なかったし、団塊の上司の元、「たくさん残業する奴」=「できる奴」がまかり通ってた時代。んでそいつらの子が大きくなって来た頃に、認可保育園、幼稚園の無償化がやってくる。
団塊の連中がいわゆる意思決定の頂点に立っていた頃は、みんな硬直的な働き方しかできなかった。団塊はマスな考え方しかできないし、ましてこの世代で組織の頂点に上り詰めているのは基本マッチョなやつ。それの被害を一番受けたのは氷河期世代。
社会全体としてみたとき働きやすい・育てやすい方向に向かってるのは間違いないんだろうけど、なんというか恩恵がうまく分配されてないのではないか。この世代で結婚や出産の適齢期を逃した連中が不憫だ。
フィクションだよね?
そして、その場所にある程度の数の大人がいたであろうと思われるのに誰も何も言わないというのも恐怖だね。
ちょっと離乳食について勉強すれば、乳児食を卒業するまで生ものと辛いものを与えてはいけないとわかると思うんだけれど、そういうのってしないのかと思った。
...いや、数ある情報の中から取捨選択をするというのもトレーニングによって身につけないと身につかない技術だけれど、全ての大人がそれをできるわけではないという話か。
知り合いに離乳食は1歳から始めないとアレルギーになるとママ友に言われたからと離乳食スタートを遅らせ人が居て、離乳食で食べたもの種類が少ないと偏食になる傾向があることや、離乳食のスタートが遅いほうがむしろアレルギーになりやすい傾向があるという研究結果があるんだけれどなと思った。
このゴールデンウィーク、家族も友達も、当然恋人もいないぼっちとして予定ひとつなくぼんやりと過ごしていた。
その孤独の中で小さな光明としてあったのがAbemaTVによる怒涛のクレしん映画連続放送である。新作映画のプロモーションとして一日一本過去作を放映していたそれを何の気なしに見始めた。どうせやることもないし、程良く笑えて程良く感動するものだろうと思った。完全にナメてた。
子供の頃に軽いトラウマになっていたブリブリ王国の秘宝やヘンダーランドなんかは今見ても充分怖さがあった(クレしん映画は全体的にホラーのシーンが結構怖い)塩沢兼人さんの演じるぶりぶりざえもんも久しぶりに聞いたが、どこか耳の奥に染み着いていたんだと思う。すごく懐かしく感じた。
知っている話は何となく思い出しながら、知らない話はわくわくしながら見ることができた。
その中で、野原みさえという女性のかわいさに気付いてしまったわけだ。
今更プロフィールなど要らないだろうが知っている範囲で少し書いておこう。多少間違っているかもしれないが。
野原みさえ 旧姓小山みさえ 現在29歳の専業主婦であり、夫 野原ひろし(35)(双葉商事係長)、長男 野原しんのすけ(5)(幼稚園児)、長女 野原ひまわり(0)(乳児)と同居している。両親ともに健在であり、姉と妹を持つ次女である。
長男からは「みさえ」「三段腹」「おべんぴ」「妖怪ケツデカおばば」などと呼ばれているが、しんのすけの級友の母親と比べても決して遜色はない。
そもそも作品の舞台が平成初期なので今とは世相が全く違うわけだが。
(余談として、連載当時から年をとっていたらみさえはそろそろ還暦が見えてくる歳になる。また、現在のみさえの年齢から子供の頃見ていたアニメなんかを計算すると、あと数年もすればプリキュアを見ていた世代になるので恐ろしい)
ある時はひとりの母として、ある時は夢見る少女として。
ユメミーワールドはそのどちらも充分堪能できた。ピュアハート!と叫びながらひろしとともに下の毛をすべて剃り上げたうえで幼児のコスプレをし、息子たちのために敵の前に立ちふさがる。これだけいうと相当とち狂っているかもしれないが、子供の心を忘れず、息子たち(子供)のために頑張る姿は親のそれでもある。
また、ユメミーワールドではひとりの母としても印象的なシーンがあり、子への愛情というものを垣間見ることができる。
同じく母親としての印象深さでいえば野生王国なんかも母性全開で大変よかった。なぜ自分はみさえから生まれてこなかったのか。なぜ自分の親がみさえじゃないのか相当悩むくらいには、ひとりの母親として美しい姿を見せてもらえた。
よくいわれるところの名作、大人帝国の逆襲なんかもなかなかに捨てがたい。子供時代を思いだし、かわいい(痛々しい)魔法少女のコスプレを見せたかと思えば母としての強さも垣間見れる。
かわいいコスプレでいえば三分ポッキリ大進撃はかなりよかった。みさえがかわいいという感想しかない。毎回様々な原型のなくなるほどのコスチュームに身を包み、世界を丸ごと救ってしまうそのイマジネーション力たるや。家族内でも一番想像力があるのではないだろうか。変身ヒロインに憧れるひとりの少女としてのみさえが前面に押し出されている。
もちろんこの話でも最終的に母親としての強さや愛を感じられるシーンがある辺りがたまらない。
ならはしさんの演技もまさに実家のような安心感のある声で、これは初期からほとんど変わらない(しんのすけがだいぶ変わっているので面食らったというのもある)
二児の母としての強さ、そして年齢を重ねても色褪せない夢見る少女としてのかわいさ。その両方をあまりにも絶妙なバランスで兼ね備えている。
もちろん映画なので相当美化されている部分もあるだろうが、それでも大人であり子供である、そのかわいさにどうしようもなく惹かれた。
野原みさえは、まちがいなくかわいい。
アニメが始まった頃、しんのすけとほぼ変わらない歳だった自分もついにみさえと同い年になった。家族も友達も恋人も予定もなく、ただただゴールデンウィークにぼっちでクレしん映画を見ていたアラサー女はもはや妖怪にも等しいと思う。
振られた。
ちゃんと振られるのは久しぶりだ。
今までなんとなくフェードアウトされて、みんな幽霊になっちゃったみたいに、急に連絡とれなくなっていたから。
フェードアウトされると一ヶ月(長いと二ヶ月?)くらい30%くらいのストレス度が続く。
返信を待って携帯の画面を見る頻度の高い季節が続く。
しかし強い憤りも感じないまま、なんとなく新しい出会いが来て、前の人は忘れて、なんとなくアーカイブに入れることができる。
しっかり振られると、ストレス度合は90%。今んとこ3日たつけど、まだめっちゃイライラする。
自分に落ち度があったのかと凹んだり、相手への怒りに運転中に叫んだり、本当はそんなに好きでもなかったはずなのに。
自分はあまり家庭を持つことに興味がないことに最近気づいて、別にしっかりした相手を求めていたわけではないんだけれど。
そうか、結婚しないって、こういう綱渡りをこの先ずっとするってこと?
本当にこのまま一人で生きていく道を選んでいいのかい?
乳児を抱える親友に愚痴ってみたけれど、私の恋とも呼べない出会いの行末にはあまり興味を持ってもらえなかった。
私も彼女たちの乳児に関する報告にうまく答えられていないから、お互い様だ。
○○ちゃんの顔が私に全然似てない〜、という愚痴に、「うちの子もそうだよー!」みたいな返信は私にはできないし。
こうやって段々友達と離れていってしまうのかなと思うと、それも悲しい。
今は記憶が薄れて(若くないんだからさっさと頼むよ私の脳みそよ)ストレスが減って、
友人関係に関する悩みも一緒に消えていくことを願うばかり。
あまり詳細すぎると特定待ったなし感パないのである程度はボかすのは勘弁なのだが、要は
「『抱っこ紐で首が据わる前の赤ちゃん装備』の条件だったらキモいオッサンでも堂々と何のお咎めも無く乗れた」という事実をちゃんと書いておこうと思った次第。
最初に乗った時は苦情がいつ飛んでくるのか半ばビクビクしなから恐る恐る乗車してみた感じだった。しばらく吊り革に掴まってじっとしてたら、いきなり
「あのーこっちに座られたらどうですか?」と横の女性が話しかけてきたので驚いてビクッってなって(落ち着け!童貞だってバレる!)と動揺に耐えながら言われた
通りに従っていたら「可愛らしいですね!何歳ですか?女の子なんですね?おとなしくていい子ですね!」とこちらの事はお構いなしといった感じに話しかけられて
別の意味で困ってしまった。終始「あーよちよちーあははーかわいいねー」とまくし立てられて、結局「あーあのー私ここで降りますのでーまたねーバイバイー!」と
地下鉄の駅を出て路地を入り、大丸の裏にある紅茶がおいしいカフェを外から眺める。中華料理屋のメニューを眺め、錦市場に足を踏み入れ、適宜左折して京都で一番おいしいケーキ屋さんに入る。そういう夢。
学生の時分に何度も歩いたコースだから、夢からさめても鮮明に思い出せる。あの頃私はいつも新規開拓を目論んでさまよっては結局あの店に通っていた。タルト生地とナッツとを噛み砕く感触もまだ感じられそうだ。
こっちに引っ越してから数年来、その界隈からは足が遠のいていたのでとても懐かしい。夢にみてから、あの街並みを、そこに差し込む日差しを思い返しては眩しく思う。
しかし再訪できるのはずっと後のことだろう。なぜならうちには乳児がいるからだ。少し前に私が産んだ小さな赤ん坊。彼女がふにゃふにゃと頼りないうちは、500kmを移動した後よさげなカフェを探してあてどなく散歩するなんてのは難しいだろう。
それに今はあまりそうしたいとも思わない。子連れで移動が面倒だとか、家族が預かってくれないだろうとか、そういうことではない。
私はいま、温かいものに浸っているような恍惚の中で生きている。
それは授乳によって分泌されたプロラクチンとオキシトシンをそう解釈しているからなのだろうけど、脳を直撃される側としてはなかなか悪くない感じだ。人間という動物はよくできている。
かように問答無用の幸福感に押し流されているためか、あまり新規性の開拓ということにうまみを感じない。新しいものに触れるとわしゃわしゃ出るのはドーパミンだけど、今はそのあたりが優勢でないのだろう。
産前から理屈としてはそのことを聞いていたので、そうなる前にと急いで色々なことをしておいてよかった。具体的には少しでも行きたい企画展があれば行っておいたり、一度やってみたいと思っていた読書会の主催をしたりなんかだ。
産後は新しいことに踏み出すハードルが高くなるし、新雪に足跡をつけるみたいにやっといてよかったと思う。産後の手数も増えるし。
産前にもっていた、外へ外へと自分を駆動させるものはなくしてしまった。まあ、それでもいいんじゃないかと思う自分がいる。
日々ふくふくとかわいくなっていく我が娘。先週くらいから笑うようになってきて、そのかわいさはもはや暴力的である。笑おうと思って笑ってるわけではない、単に顔が笑顔を形作るだけの生理的微笑ではあるのだが、その破壊力はすさまじい。父母祖父祖母を次々と陥落させてゆく。
追記
娘の寝顔を見ながらふと、この日々を懐かしく思い返す時がくるのだろうなという確信が訪れた。
日々重たくなる娘を夫と代わる代わるだっこしながらきゃあきゃあ騒がしく過ごした夢をみて、その頃のことを大きくなった娘に繰り返し話してはうんざりさせてやろう。今からそれが楽しみだ。