はてなキーワード: マルチとは
まあたしかに一瞥したところファンが買いあさってるに見えるわな
それで貢いで購入してるのが「西野様グッズ」ではないところが問題なんよな
「君らの胸にぽっかりあいたその穴はなんなの」とか声かけてくるのタチが悪いというか
だれもその穴を埋める商品を買えとか穴に金をつっこめとかいってないんよな
その胸にあいた虚無感を埋めるのはスポーツでも同人でも奉仕活動でもよかったはずなのに
自分の満たされない穴を満たすために欲しいものに出会ったらそれに金つっこんで熱狂するまではたしかに推し活とかわらんね
遅かれ早かれ違うものにしても金だして満足したいとなってたかもしれないしそうだろうね
アイドルのうちわとかペンライトとか実際いらんしゴミのレベルとしてはプペル級というかゴミを買わせるという明確な目的をもってプペルって名前にしてたのかもしれないわな
そのうえで推し活と大きく違う1点は推しが存在してないことなんやわ
中毒的な熱狂はいつか終わりをむかえるし乗り換えてまた続けるなら確認もできる
携帯の2年縛りみたいなもんやね
自分が楽しむって目的を達成したわけやしその無駄金は無駄でもええわな
気が付くことがなければ永遠にインフラのように放置したままのサブスクみたいに貢ぎ続けることになんじゃね
しかも穴をうめる方法が自分を満たすではなくて自分が満たされたと感じるためになにか行動をするということよな
家じゅうプペルだらけならいいんよ
他の人に売ることがその穴をうめる推し活で自分のアイデンティティだと思ってるのは
売るなって
売るために買うなって
自分自身の信頼とか人望とか人間関係とか言葉や声、体なんかを消耗して売るのは
自分がアイドル好きでアイドルで自分を見たそうと思ってる推し活ではないよね
いってみれば貢活
ホストに入れ込んでる女子大生がいたらたぶん同じ話をしてたと思うよ
それ推し活じゃないって
推しの爪とか髪の毛とか数万円で買ってるならおっさんたちもそういう道はたどってきたし文句もいえないやろ
おっさんのきたない体を鞭うって残業してホステスに貢ぐのもまあ許容範囲かもな
けどまちがった経済学を自説で語って紙切れをおじさんに買うようにお勧めしてきて売れたらその金で自分の穴を埋めろっておもってお金だしてあげてるのに
その金を仕入れにつかってまた売り物買ってきて売るわけやん
仕入れた品のコレクターなら病気だわってメンヘラ好きのおじさんが頑張ってくれちゃうとおもうけどね
マッチを売るためだけにマッチ売りをしてる少女ってマッチを買ってあげても食べ物を買ってあげても毛布を買ってあげてもまたマッチの仕入れに使っちゃうやん
もうマッチかうなーってバシーンしたくなるやん
そのマッチを供給してるやつがやばいなーっていうのがプペ活やな
売らなければなー
最終的に在庫抱えて売れなかった人がババ抜きで死ぬって確定してるゲームはいかんやろ
マルチやるんやったらせめて食べもんにしたれやって思うわ
事実の指摘を超えて人間性の否定につながっているところがイジメ的。
PS4とマルチで開発されてる時点で、低スペのSwitchで発売されるのは劣化版ソフトってのはわかりきってるじゃない。
Switchのソフトってのは任天堂をベースに作られてるから任天堂が開発しているゲーム以外は、頑張った所で多少スムーズに動く程度なんだよ。
PS4をメインで考えているものを無理にSwitchでも動かそうって時点で、かなり無理しているってわかってるよね?
俺はPS4とSwitchのマルチプラットでの販売の場合は、PS4で買う。その方がハズレにならないから。
SwitchをメインでPS4なんかに移植した時はSwitchを買う。PS4で後発で販売された所で劇的に変わるものでもないし、むしろ携帯できるSwitchの方がいいし。
そうやって割り切って使えない人に限って、マルチプラットでの販売ソフトにケチを付ける。諦めろよ。
Wiiの時から、そこは変わらんのよ。スペックではXBOXにもPSシリーズにも勝てんの。
それらは面白いソフトが多いし、今もまだ3DSなんかのソフトは楽しまれてるよ。
一方でPSVitaは携帯ゲームとしては、そんなでもない。もちろん面白いゲームはあったけどね。爆発的なヒットではなかった。
要するに適所で販売されている物じゃないとスペックも有効活用されんのよ。
最初に戻るけど、PS4と一緒ならSwitchはグラフィックを低下させないといかんわけ。
アプデで直る可能性もあるけど、それでも高グラにはならない。
ソニー信者でも任天堂信者でもないけど、他ハードにケチ入れてるのを見てるとコイツラ頭おかしいんちゃうんか?って思うのよ。
もうそろそろ気づこうや。
おおむね良いことだと思うので大筋同意なのだけれどすこしだけ、二つだけ加えさせてほしい。
まず一つ目は信用について。
「信用」とは本人が保持するものではないということ。
これの量が信用であり多ければ多く信用がある。少なければ少ない。
これは本人が持っている信用を一次的に具現化しているものだからそうだと言える。
ならば「信用」の本体はどこにあるのか。銀行の台帳に書いてある名前が「信用」そのもの。
ネットでは顔と名前を出した時点で銀行に口座をつくったようなものになる。
そこから、その口座にいくら入れたか出したかの記録が信用となる。
銀行から出した金が当人の口座に入ってる、信用が口座に振り込まれているということは銀行が帳簿の上では貸付として信用をマイナスというリスクを背負って、口座の当人に現金という信用をプラスにしている。
もちろん、借金が出来る前提はあり借金ができない人もいる。もともと信用がないものには貸し出さない。
これだけで伝わる頭の良い人たちばかりで良ければよいのだけれども、念のためにもう少し信用について話したい。
小切手が現金に変わる信用として出てくるが、これは銀行振り込みを手動で行っているのと同じ。
現金持ち歩いてないけど今すぐ振込をしてあげたいが端末がない、現金持ち合わせもない、銀行にはあるのだが、という時に使うもの。
その紙切れが信用を使って現金にできる、というわけではない。
日本の硬貨には日本国と書いてある。これは政府発行通貨でその資本は日本にあるもの全てがそうだ。担保がある。
これを交換するときにわざわざ土地と船を交換するときに土地を持って行って船を持ってきた客と交換するのかというと無理があるから金に変えている。
小切手みたいなものだ。その商品の換わりに政府がそれの価値を保証している日本のものだ。
日本の価値そのものなので、それを偽造することは日本で起きる事実や日本がそれを事実とみとめるその基準を歪ませることなので重大な罪になる。
その他に日本銀行が発行している券がある。いわゆるお札だ。これは「信用を価値とする」ものだ。
担保がない。可能性について、未来について、予定について価値をつけるものだ。
等価交換から貨幣の話に入ることもしばしば見受けられるとおもう。しかしそれはすぐに理論が破綻する。在るものを交換しても経済は成長しないからだ。
1年かけて工場を建設し、5年かけて生産を伸ばし、そこでイニシャルコストを償却して純利益を伸ばしていく、という事業計画があったとする。
するとまず最初に5年分の出費と収入分の現金が必要になる。そんな金があったら工場なんかつくるより投資したほうが得なのでは。
そもそもそんなに土地や物資や資産を持っている人間がいるわけがない。純粋にそれらを損失させて事業を成す人間などいない。
なので少ない資金から事業を「借金して」始めるわけだが、どこにその「借りてくる金」があるのか。そんなものは存在しない。
なぜなら未来へと時間が経過していくにしたがって誰かが何かの事業で増えていくもののそれであって「現在には存在していない」からなのだ。
ではその「架空の未来に存在するであろう価値」をどうやって現在に持ってきて現金とするのか。それが信用なのだ。
その未来分を持ってきて現金として発行するのが「日本銀行券」なのだ。そのお札そのものが信用であり履行されるべき約束であり生産されるべき未来なのだ。
つまり、信用というまだ実っていない未来を現時点の価値として、銀行の担保で現時点の価値へと「銀行がリスクを背負って」物資と交換する貨幣つまり日本の価値保証と変えているのだ。
その信用を託された人間、借金をした人間というものに現金として具体的に目に見える形で「信用」が移るので、まるで借金をした当人に信用が移っている、あるように見える。
人間に信用が付くわけではない。信用という銀行が前借したリスクを、誰を使って回収するかという選別によって一次的に価値を借り受ける人間には、実質「リスク」はない。
貸倒というものがある。貸した金が帰ってこないということだ。これは何のリスクなのか、少し考えればわかると思う。
言い換えて現金を手にもっているそのお金の重みが信用だと、上記を理解したうえでなら言っても問題ないし言葉としては同じだ。
もし仮に「信用を買った」というのであれば、それはだれかの未来を履行されるべき内容のもとに買い取ったということになる。
誰かに恩を受けたからそれが信用として、といった形で信用をつかうのはいわゆる信心である。個人的に個人的なポリシーのもと可能性を信じるのはそれぞれの勝手だ。
良い人だから裏切るはずはない、などと信じるのは個人の勝手だ。金が絡むと親族でも豹変するなどの事はあるだろう。個人が信心をもとに行動すると結果はそんなものだ。
証書をとり担保をとり連帯保証人を立てる、それくらいは信用について必要なことだという事は個人間取引をするのならわかるだろう。
重ねて、信用とは貸出側の帳簿にあるもので、個人が持っているものではない、買えるものでも譲れるものでも人から得るものでもない。
信用についてはここまで。
次に、マルチにハマって経済回してる気になってる事についてなのだけれども、経済学をやっているのならまず帳簿をつけていないのではないか。
帳簿をつけてほしい。
まず、クラファンで金が入ってきてるってそれは「乞食をしている」だ。
金をくれとしかいってない。そんなものは銀行に事業計画書を持って行って借りたらいいものだ。なんなら信用金庫でもいい。
なぜしないのか。返さないからだろう。返す当てがないから。現金が欲しいだけだから。
「信用」ではないのだ。その金は。
未来に発生するバリューがないことがその時点でわかっているのだ。
発生した利益を還元しますと言えないのだ。生産をしていないのだ。経済活動をしていないのだ。ただ消費して消耗しているのだ。
そして何を売っているのか。それが価値があることなら、損失をしていても価値があるのならNPOになるべきだ。
それならば寄付が受けられる。プペルトラックなんて価値はないと初めから決めつけて事業を開始するのは心苦しいだろうけれども収益があがらないとはじめから予見されているのだからしょうがない。
それでも絵本を見せたい。子供たちに笑顔になってほしい。そう思うのなら寄付を募るべきだ。前後したがクラファンでもいいだろう。
NPOともなれば各業界から支援が受けられる。事務に必要なもの、決済や運営に必要なもの、数多くが無料で得られる。活動がさらに有益であるとされるのならば公益もとれるだろう。
営利活動目的をしている団体、いわゆる一般企業もCSRの観点からそういう協力は惜しまないだろう。
なぜすばらしい活動に自費で挑むのか。
さらに言うなら、良いことを損失覚悟でやることについて商材そのもの本体の提供者が割引をしないわけがないだろう。
定価で商品をサロン生に卸して勝手に売って個人の収益にしてもいいよ、なんて言うわけがないだろう。
仕入れの値段、借入金、事業計画、収益、帳簿はエクセルでも100均のメモ帳でもいい。簡単なものでもいい。覚書として数字だけ書いていてもいい。
「増田君久しぶり、元気してる?」
大学生のとき同じサークルだったランカちゃん(仮名)から急に連絡が来た
日々KKO道に精進している私なので、「こういうケースは宗教かマルチか借金申込のどれかだな」と思いながらとりあえず返信した
「増田君自粛してばっかじゃつまらないよ 今度一緒に映画見にいかない?」
「いいよ 何か見たいのある?」
「キンコン西野さんのプペル見に行こうよ 増田君見たことないでしょ」
学生時代明るくてかわいくて聡明でみんなの中心的存在だった彼女がプペランカーとなってしまっていたのだ
結局私はその誘いを受けることにした 3000円かそこらのはした金で彼女とデート気分が味わえるのであれば安い買い物だ
レンタル彼女を利用すれば桁が1つ違うわけだし、好意を持っていた子との映画ならまったくもって問題ない
当日、駅で待ち合わせをして二人ですぐに映画館へ向かった
コロナ対策のため席は1つおきとなってしまうので、隣り合わせで見られなかったのは残念だが私は(私の中だけで)映画デートを堪能した
見終わったあとで感想を聞かれたら困るので、とりあえず上映中は真面目に映画を見たのだが内容はよく覚えていない
映画が終わり、ファミレスへ移動し二人で映画の感想を話し合ったあとで二人で駅まで歩いていると
「増田君、よかったら来週もいかない?この映画見るたびに新しい発見があるんだよ」と彼女が誘ってきた
駅を通り過ぎれば東口にはラブホ街がある 彼女を救い出すためには自分が悪者になるしかない 私はそう決意して彼女に答えた
「じゃあプペルについて朝まで語り合おうぜ」
そういって私は彼女の手を引っ張ろうとしたが彼女が手を振りほどいてきた
「何それ 私そういうつもりじゃなかったんだけど」
「でもさ、ランカちゃんはこちらからの信用をうまくつかって映画に誘い出したわけでしょう
こっちは映画を見ることを応諾してランカちゃんからの信用を得たんだから、それを使ってホテルへ行こうっていってるだけだよ?
「ちがうよ 西野さんが言ってる信用経済はそんな汚いものじゃないよ
私が何かにチャレンジしている人を助けたから、私が何かにチャレンジするときに誰かが助けてくれるんだよ」
「僕はランカちゃんからえんとつ町のプペルのチケットを捌かす手伝いをしたよ
じゃあランカちゃんも僕の股間の煙突に対して何か手伝いをするべきなんじゃないの?」
「何それ・・・本気でそれいってるの?」
「サロンの世界では1プペ=3000円なんでしょう だったら5プペで1回やらせて・・・いや1円突させてよ」
「買ってるわけじゃないよ 僕は夢を支援してるだけだよ 円突って言い方が嫌なら援突にしようか 7プペ=1援突でど・・・」
私がその言葉を言い終わる前に彼女は手に持っていた台本を思いっきりこちらへ投げつけてきた
怒りに肩を震わせながら駅へ足早に立ち去っていく彼女
そんな彼女の後姿を見ながら「早く気付くんだ 今ならまだ戻れる 目に見える全てが優しさなんだよ」と心の中で叫びながら
「プペプップ~ プペルゥ~」と口ずさみつつ腰を振り続けた
以下の内容には、この映画のネタバレを多分に含みます。これから観られる方は、ご注意ください。
私は、『えんとつ町のプペル』を観ました。
理由は、Twitterで「宗教」だの「マルチ」だの散々言われていた事と、有名な女性声優さんがプペルを絶賛していた事にファンが絶望していたので、これはおもしろそうだ!と思ったからです。
『えんとつ町のプペル』は、煙突掃除の少年ルビッチと町に突然現れた「ゴミ人間」のプペル(これは作中でルビッチがつけた名前です)が、煙で覆われた空しか知らない町の人々に、星を見せる物語です。ルビッチのお父さんブルーノは、紙芝居で星空や外の世界の話を町の人たちに伝えていましたが、「外の世界などない」と信じ込まされている人々はブルーノの事を異端として嘲笑い、やがてブルーノは海に落ちて死んでしまいます。そんな父の話を信じ続けているルビッチは、友達のプペルや探鉱泥棒のスコップの力を借りて、外の世界を目指すのです。
私がこの映画を観て思ったことは、泣けるけど別に面白くない映画だな、という事です。
例えば、私は船と火薬を切り離すために鎖を登っていくルビッチを、プペルが応援するシーンで泣きそうになりました。あれはルビッチとブルーノの再会、親子愛のシーンです。
ですが、今回の作品の1番の見せ場、軸になっているところは「親子愛」ではなく「挑戦」のはずです。「挑戦」に泣くのであれば、「ルビッチを応援するプペルの姿」ではなく、「鎖を登っていくルビッチの姿」に涙すると思います。にもかかわらず、なぜ私はこのシーンが1番泣けたのでしょうか。
それは映画史ないし視聴者たる私の中で脈々と積み上げられてきた「泣ける親子の再会のシーン」があるからだと思います。「死んだと思っていた大好きなお父さんとの再会」、「息子をずっと応援し続けていた父」、この2つの要素はどんなストーリーでも差し込むだけで泣けるシーンになる最強のカードみたいな物だと思います。つまり私は、『えんとつ町のプペル』のストーリーとは全然関係ないところで泣いていたのです。
「いい話だった」「泣ける映画だった」という感想はあながち間違いではないのだと思います。私もこの映画の感想を聞かれたら「いい話だった」と答えると思います。なので、この映画に関する肯定的な感想を一概に信者だと否定することはできません。ただ、「面白かった?」と聞かれたら、私は素直に首を縦に振ることはできないのです。
『えんとつ町のプペル』は、キャラクターと美術に救われた映画だと思います。
まず、絵がとても綺麗です。えんとつ町の配管やゴミでごちゃごちゃした風景、えんとつの上から見下ろす点々とした街の明かり、様々なギミックが仕込まれているであろう事がわかる船、絶対に描くの大変だっただろうなと思います。
そして、えんとつ町の住人たちは本当に魅力的です。声優もタレントさんとは思えないくらい違和感がありませんでした。だからこそ、もっと上手く動かせる脚本があったのではと思ってしまいます。
子供向けの映画としては難しい話(話というか言葉かもしれません)が多く、かと言って大人向け絵本としては遠回しすぎてメッセージわかりづらい(大人向けにだとしたら冒頭のアクションシーンはあんなに長くする必要ないのではないでしょうか)という印象です。
私はオンラインゲームとかマルチプレイがあってもソロプレイのみ遊ぶくらい対人ゲームが苦手なんだけど
某鬼ごっこゲームは私には難しそう、とか買わないかなって言っても私もできないから!初心者だし!知り合いとやったらおもしろかったよ!と、聞く耳持たず
タダじゃないんだし買っても今後自分ひとりでやるかを基準にしてるから絶対買わない
友人とやるのは楽しそうだと思っても、今後ひとりでやらないし2~3回遊んだらやらなくなるのは目に見えてるからな…
最近のマルチがあるガチャゲーもランクあげないとマルチができない仕様で興味ないからやってない、消したって言っても私がランク上げるから!とごり押し
友人には対人ゲームは苦手で一人でやるゲームが好きとは何回も伝えてあるのにこれ
多分友人のフォロワーに仲のいいフォロワー3人組がいつも色んなオンラインゲームで楽しそうにマルチしてるのが羨ましいんだろうなって思ってる
だから無理にでも私を誘ってその3人組に対抗しようとしてるのかなって気づいた
タダなら少しは遊んでもいいけどお金がかかるものは正直今後無理
ガチャも目当てのキャラを引いてほしそうだったけど課金なんてやらないよ1万あったら据え置きゲーム買います
他に仲の良い人いるんだから断ったら誘わないで
すごくいやだ
本人は納得して金を払っていようと、猛烈に距離を置きたくなってしまう
ギャンブルにハマってるくらい嫌悪感がある。いや、ギャンブルの方がマシか?
だから、親兄弟にはマルチにもカルト宗教にも、プペルも電磁波も縁ない世界に生きて欲しい。
映画(女子大生は舞台)のチケットを外部の人間に売ろうとはしない。
サロンの内部の人に、「君から買いたい」と、「信用」「応援」によって購入されることを前提にしている。
もっと上の人だと、また違うのかもしれないが。
その点がマルチと違う。
マルチと違い、サロン以前に築いた人間関係を食いつぶすリスクはなさそうだ。
そのぶん、なんのためにやっているのかがよくわからない。
「隗より始めよ」で、まずはサロンの内部でキラキラすることが大事なのだろうか。
それとも、西野のサロンは彼らにとってはすばらしい場所で持続性があり、
内部でキラキラすることが、人生の目標となっているのだろうか。
女子大生周りは、「私と雑談1時間500円」などを皆が設定しており、
その枠を買って、相談に乗ったり乗られたりしている。
そういった雑談システムを使わずに相談に乗ってくれた相手には、
「一円の得にもならないのに、いつも相談に乗ってくれてありがとう!」みたいなことを言っている。
女子大生は、「西野作品の二次創作を書く」と宣言し、お題を募集する。
「評価経済学」と耳にするとき、すでに高い評価を得ている人が唱え、実践しているケースが多い。
しかし、評価がまだまだ低い人が実践しようとしたときに広がるのは、こういう風景なのか。
「商法を説明する」の増田は、プペルはBBQ型エンタメと書いていた。
BBQで得られるもの以上を期待して、人生を賭しているように思える。
(プペルとサロンはまた別かもしれない)
そのあたり、読んでいて居心地の悪さを覚えた。
プペるとはネットの競馬用語で、レース前の生ファンファーレの音程が外れるという意味だった。
ある日の札幌競馬のファンファーレの演奏がプペペポピーな感じになったことからこう呼ばれる。
今はプペるといえば、プペルの映画を見に行くとか、マルチに引っかかるとか、不良在庫化したチケットを全部自分で消費することを意味するようになった。
キンコンの西野の話題がちょっと前から出ているが、売れている?売れていないみたいな話を見かける。
彼が成功したのかしてないかって考えてみると、彼なりに成功しているのではないかと思う。
だが、私は彼を勝ち組と思えない。
話題にもあがっているくらいだ、彼は成功している。のにも関わらず、彼を見て羨ましいと感じることもない。
なぜなのか?
その理由を考えてみたが、単純に彼の性格や考え方が理由ではないかと考えた。
そもそも彼はネット上の悪意に対して不要な煽りを入れ炎上させるという訳のわからない事をする。
もうこの時点で人間的に彼を好きになれないのだろう。尊敬に価しないのだ。
またクラウドファンディングの件もある。
活動方法がクラウドファンディングの正しい使い方になっていないのにも関わらず、自身のブログであれこれ言っていたのが気になった。
支援したくなるという魅力が彼には無い。
「楽をして金を集める」という浅ましい考えがあまりにも露骨で酷かった。
それだけに彼が成功しても、それは彼の才能とは感じなかった。周りが愚かと感じた程度だ。
プペルに関しては、正直な所で面白いとは感じなかった。
同人の世界を飛び出しておらず、万年プロになれず終わる同人作家という感じが私の感想だ。
悪い言い方をするとラノベよりもさらに薄い作品を引き伸ばしてアニメにしてしまいましたって感じなのだ。
お金を出して見るべきだったかというと、300円くらいなら出してもいいくらいだ。
絶賛している人は、普段から浅い作品ばっかり見ているんだろうか。
彼が何を言っても薄っぺらく聞こえるし、マルチ的なやり方も悪質と感じざるを得ないがそれでも名が売れたのは事実だろう。
だが、やはり勝ち組とは感じないのだ。
久しぶりに地元に帰ったら地域起こし協力隊として東京から来てた人が起業してた。地元の人と結婚して古民家カフェとかやってる、とここまではありがちな話だし別にふーんて感じだったけど、そのカフェで扱ってる商品が「えんとつ町のプペル」の台本とチケット。他のものも扱ってるけど、SNSに投稿するのはほとんどがプペルとエンタメ研究所とかいう西野のオンラインサロンの話。地域を超えてサロンメンバーと繋がって「世界をもっとすばらしい場所に」してるらしい。
○ご飯
朝:うどん。オクラ、大根おろし、納豆を混ぜたの。昼:なし。夜:ロールパン。チーズ。プチトマトと人参とシメジとウインナーのコンソメスープ。夜食:マクド。(ビッグマックセット、エビフィレオ、ダブルチーズ)
○調子
とあるYoutuberの方のライブを見ていたら、マクド代金と称してスパチャが飛び交っているのに影響を受けて、夜中にマクドに行った。
割と健康的な食事をしていたのに最後で台無しにする感じ、僕らしいけどよくないなあ。
○ワーフリ
僕は水有利マルチの開幕に毎回行われるチェインを見るたびに褐色のお姉さんアイコンからの「開幕チェインいくぜ! は? なんでラキーシャ持ってないの? 全体開幕スキルゲージを引かないのワーフリが下手だよ?」というマルチメイトからの圧力を感じていた。
なのでサプチケを買ったら、未所持星5キャラがあらわれて自身のプレゼンを始めた。
ペコリーヌ「キャルちゃんとコッコロちゃんに会いたいです! ドラガリアロストの私を引かなかったのはこの日のタメですよね? プリコネの晴れ着の私も水着の私も引いてないなら、ここでぐらい引いてもよくないですか?」
スイゼン「メインストーリー登場キャラで僕だけ居ないなんて……
第一水毒パは将来的に云々かんぬん」
気分を落ち着けるためにベル救援に入ると、レイドメイト達が「レムの数値を見て引かないのはワーフリやる気がない証拠。どう考えてもむこう一年は水スキルパのリーダー固定でしょ。しょしょしょ正月エリヤwwwwwww まあコンボ数稼ぎ頑張ってくださいねwwwwwww あーゴーレム地獄級もサクサク周回できるしレム引いてよかったああああああ!」という顔をしているような気がして、僕は……
○グラブル
日々、今は外食やめよう、もう一段階気を付けようってたしなめてるのに。
上司の言うことは断れないらしい。
じゃあお前は上司が台本付きのチケット80枚買えって言ったら買うんだな~なるほどな~こういうやつがマルチにはまるんか。なんとでも断れよ。いくらでも今は建前があるだろうよ。
何を言ってもほんとに無駄なんだろうな、きっと彼は上司の前でいい部下ぶって他の社員より贔屓されていることに大変な快感を覚えているのだろうな。それを手放すことがどうしてもできない。一度のNOで、もしかしたらその贔屓を失ってしまうかもしれない。そう思うと妻からいくら懇願されても、国がいくら宣言を出しても無駄なのだろう。