はてなキーワード: 関東甲信越とは
EVを推進なんかしてねぇよ。
ただ「EVなんかまだまだ使えない」とかデマばら撒いてる奴がいるから(てめーだよ)、「んなことねーよ。使えてるよ」と潰してまわる必要が出てくるんだよ。
もちろんこれは、俺の条件だと40kWhのリーフでも十分ってだけだ。具体的に言うと、自宅充電ができて、遠出がせいぜい関東甲信越まで(300kmまで)、という条件があるからリーフで十分に使えてるだけだ。
ガソリン代よりもはるかに安い電気代で運用できる、ガソリンスタンドに行くなくていい、ほぼ充電0で自宅に帰っても翌朝にはフル充電されてる、エンジンオイル交換みたいな駆動系のメンテナンスをしなくていい、走行時に静か、とかメリットもあるけどな。でもそれよりも「十分に使えてる」ってのが大事なポイントだ。
自宅充電できない奴にEVを薦めないし、東京大阪間を頻繁に行き来する奴がリーフやサクラを買おうとしてたら「辞めとけ」と言うよ。
ただ、俺くらいの使い方ができれば十分というやつはたくさんいて、そいつらには「十分に使えるぞ」と言ってやりたいけどな。
何度でも言うが、EVを推進しようなんて思ってねぇよ。好きな車に乗れよ。くだらないデマ流してんじゃねーよ。俺が言いたいのはそれだけだ。
11月2日 の
から約2週間経ちました。ecmonetの
全国、関東甲信越、東京 減少が一服傾向に見えましたが、ともに11/11頃に変曲点があり、ぐっと下がっています。
(これは東京の減少が効いているものと考えられます。もともとのnが少ないため、影響が大きいからですね。)
そして nが大きく、ブレの少ない方
”国内のCOVID-19重症者における人工呼吸器装着数(ECMO含む)の推移”
こちらは 全国、関東甲信越、東京のいずれも、11月11日以後はほぼ水平~わずかな減少にとどまっています。一服というか、長い足踏みでしょうか
少なくとも現時点ではV時回復(回復というのもおかしいですが)ではない状況です。
ECMO・人工呼吸器装着数は遅行指標というのを念頭におかなくてはなりませんが、
「1月5月9月がピークなので一部で言われている4か月周期とすると第六波が来るとしたら1月…」
という予想については、https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/
で全国の実行再生産数が1を割っていること、東京の実行再生産数も1.2から1.05まで下がっていることも考えるともう少し遅れる可能性が考えられます。
U字回復なのか、L字なのか、それともここからもう一押し減少していくのか、注視していこうと思います。
ちなみに、ピークの反対を何というか、皆さんはご存じでしょうか。一部にはトラフという言い方もあるようですが、調べてもよくわかりませんでした…
https://crisis.ecmonet.jp/ の”国内のCOVID-19における人工呼吸治療(ECMO除く)の成績累計”のグラフ(全国、または関東甲信越)を見ると無理そうだな、となる。これを他のグラフ”COVID-19重症者におけるECMO装着数の推移”にしたり、”国内のCOVID-19における人工呼吸治療(ECMO除く)の成績累計”(各都道府県、または関東甲信越以外の地方区分)にすると、件数が少ないだけにブレが大きく何とも言えない感じになるが、”国内のCOVID-19における人工呼吸治療(ECMO除く)の成績累計”のグラフ(全国、または関東甲信越)を見ると、確実に減少スピードは低下し、水平に近づいている。
したがって、現時点の予想としては・このまま日本全体でゼロになることはない・関東甲信越でゼロになることはないとほぼ断言できるだろう。(関東甲信越以外の地方はゼロもありうる)第六波がくるかどうかは断言できないが第三波、第四波の経験からは第六波は来る可能性がある。第三波、第四波よりも第六波の方がピークの低からんことを願う。1月5月9月がピークなので一部で言われている4か月周期とすると1月だが…
“山梨モデル”では、飲食店の場合、座席間隔が1m以上確保されているか、30分に1回2方向の窓を全開にして5分間の換気をしているか、エレベーターに乗る人数は制限されているかなど、39ものチェック項目があります。しかもこの項目を実際にチェックするのは県の職員などの第三者。この項目をクリアすると「感染対策お墨付き」のグリーン・ゾーンと認証され、ステッカーが配布されるという仕組みです。
政府は全国にこの“山梨モデル”の導入を求めていますが、果たして人口や店舗数も多い東京を含めた全国で、実現することはできるのでしょうか。
東京都の人口は山梨県の約17倍、飲食店数も東京都は山梨県の約30倍を抱えています。そんな中、自治体の職員などが1店舗ずつ感染対策の調査・確認をして、認証するシステムをそのまま当てはめるのも難しい部分があるとの議論があります。
https://news.yahoo.co.jp/articles/30b4bd777c4b5da660f0df84eecb8ae25f3d93f2
ニュージーランドではー、オーストラリアではー的な、出羽守が多くいるけど、人口も、人口密度も、主要な産業も、都市の成り立ちも違うところと比較するのって、アホらしいよね。同じ日本の、同じ関東甲信越の、同じ飲食店でも難しいんだから。
動画見てみたけど、輪の大きさに上限はないというルールからここに辿り着いたのは見事だ。教えてくれてありがとう。
番組の方はまだ関東甲信越しか見てないんだけど、おおむね二通りのアプローチがあって
で、前者と後者が直接やりあえばだいたい後者が勝つのかなあというイメージ。ビートダウンとコントロールだね。
奈良高専のマシンは基本前者の戦術ながら、防御を乗り越えて最後の9本目を取るための必殺技を持ってるって感じ。20秒はおそらく全国でも確実に速い方だろうし、メタゲームを読み切ってそれに勝てる戦略を取ってるのは好感度高い。
ただ同時装填数が少ないのが泣き所かな。決勝にあらわれてたけど、最初のプランが崩れると巻き返しづらいっぽい。
……というような話を面白そうと思った人は今地区大会の再放送を夜中にやってるから見てみるといいよ。
http://www.nhk.or.jp/robocon-blog/233193.html
地区大会を見てから全国大会を見ると面白さも増すのだ。逆に全国大会は今はちょっと尺足らずで出場マシンを網羅し切れてない感じはある。
きっかけは些細なことで、本屋で大阪弁について書かれた本を立ち読みしてたら、大阪出身である著者は若い頃東京の大学に入ったとき東京の言葉が気持ち悪くて全く馴染めなかった、みたいなことが書かれていたこと。「東京の言葉が『標準』で関西弁はじめ地方の言葉は『訛り』」みたいな感覚が当たり前だったから新鮮だったし、興味を惹かれた。
それ以来東京弁という言葉についてなるべく先入観抜きで考えるようになったんだけど、いつの間にか「東京弁ってなんか田舎臭くないか!?」という疑念が膨らんできた。反対に関西弁にはなんだか都会的な雰囲気を感じるようになってきた。
なぜそう感じるのか、その理由について自分なりの仮説を書いてみたい。
関西弁は基本的に、その時代時代の都(平城京とか平安京とか)の言葉が周辺に伝播するかたちで形成されたものだと思われる。当時は大都市というのは首都ぐらいしかない。つまり都市の強い影響の下で形成されてきた唯一の日本語なのではないか。
言葉は常に変化するものだけど、都では代々都市で暮らしている人たちの生活感覚の中から生まれる、都市生活者の感覚にマッチした表現が定着していくし、そうでない表現はすたれていく。たとえば、人口密度の高い都会ではコミュニケーションにトゲがない方が都合がよい。だから言葉のサウンドが柔らかくなる。東日本でいうところの「じゃ」「だ」のような音は関西では子音や濁音が省略されて「や」になっているし、東で「〜っつって(と言って)」「買った」というところを西では「〜ゆうて」「こうた」というように、やはり子音や促音が避けられ、半母音や長母音になる傾向がある。この方が音の響きとして角が取れているし、反対に関東弁や東北弁はゴツゴツしていてがさつな印象を与える。
あと、直截的に表現せず、遠回しに伝えるやり方(「ぶぶ漬け」が実話かどうかはおいといて、ああいう話はその象徴だと思う)が発達するのも同じ理由かも。村上春樹(関西人)が雑誌のインタビューで「関西の人は十言いたいことがあったら五、六ぐらいだけ口にするけど、東京の人はそうじゃないからはじめはびっくりして、なんだここは、とおもった」と言っていた。
で、一旦「東京弁が標準」っていう思い込みがなくなって、「東京弁というのは単なる関東方言のひとつで、言葉それ自体に都市性が含まれてる日本語は関西弁くらいしかない」ぐらいの認識になると、「おめーふざけんじゃねーよ」「これまじすげーじゃん」とかいう東京風の言い回しがやたらダサく田舎臭く聞こえてきて困る。でも東京にしか暮らした事がないから東京弁喋るしかない。
では、世界最大の大都市であった江戸の言葉もなんらかの「都市生活的要素」を含んでるかというと、結果としてそうなったとは思えない。江戸の言葉がそうなったのは、逆説的だけど江戸が世界最大の大都市だったからだと思う。京都が中世の都市なら江戸はまあ近代都市というか、地方から人が流入して人口が爆発的に増えた。つまり、都市生活者が新しい表現を生み出し、その表現が定着して行くよりも遥かに速い勢いで、地方の農村から人が移住して来てめいめいが地元の言葉を持ち込んだので、結果として都市的な性質を獲得する事はなかった。そしてその流れは東京遷都と高度成長でさらに加速された。東北関東甲信越から農家の次男坊三男坊が大挙して上京してきたから。
東京は物質的には巨大都市だけど、言葉の文化でいうと「巨大な農村」なのかなと、そんなことを思うようになった。だから関西人がテレビで無理して東京弁喋ってるの見ると、なんだか妙な気分になる。わざわざそんな田舎臭い言葉、使わなくても。