はてなキーワード: ビアンカとは
【以下ネタバレ含む】
普段から「私を含め、オタクって気持ち悪いよな」と思ってる一オタクからすれば、昨今もてはやされる同化効果モリモリ映画へのアンチテーゼとも言える「ドラゴンクエスト ユアストーリー」は最高にキました。
(※1ここでの「異化効果」とは、観客の心地良い世界観や当たり前と思っていた日常を揺さぶり、新しい価値観や反省を促すものと定義付けます。 )
◇
この映画のオチは、「実はこの世界は虚構で、早く大人になれと突きつけてくるラスボスを倒す」というもの。
買い切りのアート作品ならともかく、エンタメ映画でこの手法使うと商業的には失敗するのかもしれないけど私は嫌いじゃない。
そもそも私は腐女子のくせにオタク同族嫌悪が激しくかつ 「いい年して夢から覚めないオタク、本当に気持ち悪い。現実見ろよ」的なこと言われて 憤慨すより「仰る通りです」となるタイプ。
なのでドラクエ5映画はマゾ心が刺激されてアリだし、オタクの悲鳴ウケるってかんじ。
おまえらが後生大事にしてるそれ、所詮ただのゲームだよ?うん、たしかに……。
「もしかして一部の製作陣は、未だに嫁がどうこう言ってるファンたちにうんざりしてたんじゃないか?だからこのストーリーにゴーサイン出したんじゃ?」とすら思った。
◇
でもオタク気質持ちには同化効果がある作品の方が受けやすい。だからこそのオタク。
あれは「本当に現実にポケモンがいるようだった」と思わせる出来で、製作陣もポケモンマニアが多いらしく、観客の精神と映画をリンクさせるものだった。
「この世界の片隅に」もそう。
あれは主人公を身近に感じられるような、日常的で素朴で被害者としての側面は同化効果としてこれでもかと描写されてるのに
原作にあった異化効果部分(「暴力で従えとったいう事か。じゃけえ暴力に屈するいう事かね。それがこの国の正体かね」)は、改変され超ふんわりになってる。
「庶民は自分たちが悪いという罪の意識も責任感もないまま、簡単に戦争に転がってしまうことがありうることを、いまの時代に伝えなくてはいけないと思ったのです。」(※2)
という意図からすれば、前半の同化効果は後半の異化効果のためにあると言っても差し支えない表現だろうに、ここ変えちゃダメじゃんね……。
逆にドラクエ映画は「ゲームの世界観に没入していた観客の精神を引きちぎる物」なので、ポケモンのようにドラクエの世界観に心地よく没入できることを期待していた層にとってはそりゃあもう辛い、阿鼻叫喚。
こういう異化効果アリのメタ視点持った作品って他にあるのかな?
◇
BGMが別作品のじゃんとか、SFCのゲームだろとか、ヘンリーの話し方とか、ビアンカの性格とか、そもそも話の配分がおかしいとかそういう面ではイマイチだけど、オチ自体はあれで良いと思う。
だってたしかに、現実の友達や、恋人や、家族や、子供ではなく、二次元や三次元のキャラクターに時間を割くなんて、やっぱり成人したまともな大人のやることじゃないですよ。
そりゃゲームより電源切って外に遊びに行くなり勉強した方が”正しい”よ。
そこ突きつけられてギャーギャー騒いだり、自省できないオタクってヤバい。
良薬口に苦しというか、映画で現実見たくない人には本当に辛い作品でしょうね。
ただ、新規だったりまだ十代の若いドラクエファンの子がこの映画で胸を痛めているのは辛いし、はやすぎるし残酷だと思う。
古参の大人ファン向けですね。ハマりたての人に見せちゃダメです。
と、数ヶ月おきに同人イベントにサークル参加してヒーヒー言いながら本出してる私は思いました。
私たちは、はやくゲームの電源切ってスマホを置いて、もっと現実大事にしような!
【参照】
※2
https://blog.goo.ne.jp/yossyo2/e/4e01d56cd19f6209e6ed6bf11fc6fddc
監督のやりたい事とうまくマッチさせるにはどうしたらいいのかずっと妄想してる。
やりたいこと自体は悪くないんだけど、見せ方がすごい陳腐なだけだったと思うんだよな。
唐突に出てきたウイルスにテクスチャはがされた後でビアンカとアルスをどう見たらいいんだよって感じで。
で、考えた。
・PRでもなんでも、事前に「ドラクエ5(の映画)」と一切言わないことで「あれ?なんかおかしくね?」と身構えさせる。
・あんな共感できないアニメの一般プレーヤーじゃなくて、「ここまでのぼうけんをきろくしますか?」とインタールードさせ
・ラスボスはウイルスじゃなくて開発者などで、出てくる必然性を物語に乗せる。
(逆に、ゲームに夢中になりすぎない処置の保護プログラムとか)
佐藤健には一回現実に戻らせた上で葛藤させて、「それでもいいんだよ、俺の人生はここなんだよ」と倒させる。
・上のを描くためにちゃんと尺を取る。
デボラには基本的に尻に敷かれることになるが、ごく稀(ラスボス前など大事な場面など)にデレる。僕は初めてツンデレの良さを理解した。ゲームが長いシナリオなだけにツンの割合も大きくなるが、その分デレが際立つ。まだデボラと結婚したことがない方はこの機会にデボラと結婚してみてはいかがだろうか。
こちとら大好きなんだよォ久美沙織の癖がありまくりのゲームノベライズがよおォ!!!!!
お前らの小説ドラクエ(精霊ルビス伝説でもMOTHERでも何なら天地創造でもいいぜ!)愛を久しぶりに聞きてえんだよォ!!!!!
例の訴訟があったのも幸いに小説DQ5のここが好きって所を率先して一部だけ語らせてもらうから自分が語り足りてない所をお前らが語って聞かせてくれよォ!!!!!!!
観終わった後の友達との会話
「大人になれ。とか言ってゲームぶち壊すのってゲーム中断レベルの不具合じゃないか?スタッフ監視してるだろ」
「だから、あれも含めてのゲームだよ。ラストに主人公が目が覚めたらうんたらかんたら言ってるし」
「それを途中まで気付いてないって事は違和感無く実体験してるって事だよな」
「いるだろうね」
「……俺はデボラだな」
「デボラなの?」
「そこだけ考えれば間違いなく」
「……デボラだな」
仮面ライダーのやつは、今回は見に行くつもりはなかったんだけど、友人から「見とけ、笑えるから」と言われたので見に行ってみることにした。
twitterなどで若干否定的な意見も目にしていたけど、つまりそれが「笑えるから」ってことなんだろうなと、ギャグ映画を見るつもりで見に行くことにした。
ドラクエの方は、シリーズ中5が一番思い入れが深くて、SFC版からPS2、DS、アプリと、ハードが変わるごとにやっていて、半ば原理主義者化している自覚があり、また小説版も大好きなので、その辺のゴタゴタからも見に行くつもりはなかったのだけど、twitterで「5点満点中マイナス100点」等、あまりに酷評されているから逆に気になった。
そんで、今日たまたま時間が空いて、ライダー映画の後にちょうど良い時間の上映があったこともあって、はしごで見てきた。
と、ライダーの名前を出しておいて何だが、今回の話にライダーは余り関係無くて、バーターで付いてくる戦隊の映画の方の話をしたい。
(ライダー映画は、突っ込みどころの多さも含めていつも通りの、安定した面白さだったので、特に語ることはない)
で、その、ライダー&戦隊映画を見た後でドラクエの映画を見たのだ、という話をしたいのだ。
まず、ドラクエの話をしたい。
散々な酷評が聞こえてきていたのと、後記する理由でハードルがガン下がりしていたのとで、期待値はマイナスだった。二時間の苦行になるだろうと思っていた。
事実、始まって10分ほどの間は、心が10回くらい折れそうだった。
リメイク時に後付された設定がさもSFC時代からあったかのような改ざん!!
っていうかそこまでゲーム画面でやるのかよ!!そのまま最後までゲーム画面流せばいいじゃねーかもう!!
あれもこれもすっ飛ばすのかよ!!
ゲレゲレかよーーーーーーー!!!(ゲレゲレ派の皆様すまん、プックル派なんだ)
ドラゴンオーブはそこにはねーーーーーーーーーーーーえ!!!!
ヘンリーそんな奴じゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!
ラインハットほったらかしかよ!!!!!!!妖精の国すっ飛ばしたからサンタローズに春が来てねえじゃねえか!!!!!!等々。
いや分かってるよ2時間で話まとめるためには仕方ねぇよ、でもさーでもさーーーと心の中の原理主義者が泣いていた。
しかし、綺麗なグラフィック、迫力の戦闘、懐かしい音楽、佐藤健の流石の演技(直前にライダー映画を見ていたとおり、特撮畑の人間でもあるので、特撮出身俳優のアフレコに対する判定は甘々な自覚はあるが、「あ~電王だ~」と思う瞬間は一切なかったので、さすが佐藤健だと思う)に押し流されるように時間は過ぎていく。少なくとも(心の中で原理主義者が泣く以外の)時間経過に対する苦痛はない。
原作と違う点に突っ込みは入れたいと思うが、時間内に話をまとめるためには仕方が無い。
例えば、ヘンリーのキャラが違うとは言っても、SFC時点で我々に許された解釈の範疇ではあるように思う。
リメイク版には仲間会話があるが、SFC版でNPCとして交わした会話はわずかだ。ああいう解釈をしていた人が、まあ、いなかった訳ではないかもしれない。ギリギリ。
リュカのキャラクターは全く小説版の「リュカ」ではないが、「どこかの誰かが操る主人公」としては、誰かの頭の中にはああいう主人公もいただろう。
ビアンカフローラの選択。そんなに簡単に「自分の本当の心」なんて分かるか???とも思ったが、一応、フローラがいいならまあよしとしよう。
個人的に、特に回収もされず、一番残念だと思ったのは「娘ーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。
・・・まあ、これも仕方が無いだろう。大人の世界には予算とかの問題がある。
普通に考えて5のストーリーを「正しく」映画化しようとすれば、5章仕立てくらいにしないと終わらないだろうから、「どう二時間にまとめるか」も見所だ。文句を言うより楽しんだ方が得だ。
後半のプサンの「今回はそういうことになっている」的なメタ発言も、嫌いな人は嫌いだろうが・・・と思いつつもクスリとした。
ここまで超好意的に受け止めていたが、流石に「えええええーーー」と思った。
ついでに、「あ~~~~~~~~~~~~~これオタクが発狂するやつ~~~~~~~~~~~」と酷評の理由も理解した。
確かにちょっとグサッときた。いい年してこんなところで仮面ライダーの映画からドラクエの映画はしごして見てる自分の胸にグサッときた。大人にはなれてねぇわぷー。
しかし、その後の真実の暴露により、前半で心の中の原理主義者を殺した、気になるポイントの数々が全て伏線として回収された。
幼年時代をゲーム画面でスキップしたことも、リメイク版の設定のはずなのにSFC版に存在していたかのような扱いだったことも、ヘンリーのキャラクター解釈も、なんであんなに解釈が違うのに「リュカ」なのかも、ビアンカとフローラの選択の顛末があんなんだった理由も、プサンのメタ発言の訳も。
もう、なんか、ここでぞわーっとした。
気に入らないと思ってたことの全てに理由があった(娘の存在のことは置いておく。少なくとも見ているときはそう思ったんだ)。
今まで「どこかの誰かの頭の中にあるドラクエ5の世界を見てるんだな」と思って我慢していた事が、ある意味それで正解であり、また、一気に「どこかの誰かの物語」が、「主人公の物語」あるいは「自分の物語」になった気がした。
その辺は上手く言語化できないが、体感としては「うおおおおスッキリーーーーーーーーーーーーーー!!!」だった。
最近は予定調和的なハッピーエンドが約束されているライダー映画ばかり見ていたので、ついぞこのところ体験していないカタルシス。
その後に登場したキーアイテムがロトの剣だというのももう、細かいことは抜きにしてたまんねぇわという感じ。
確かにあの瞬間、主人公は自分だった。子供の頃からドラクエと共に育った自分自身だった。あの一瞬、まさしく「YOUR STORY」だった。
(後で冷静に思うと「自分の」物語だと思うには物語の解釈が違いすぎるが、あの一瞬はそんな細かいことはどうでも良かったのだ)
そして、「経験した冒険は、確かに本物だ」というメッセージこそが、本当に我々に向けられたものだったのだろう。
大人になれ、現実に帰れ、そんな風に言われることが多い社会だけれど、我々が「ドラクエ」から貰ったものはそんなありきたりで薄っぺらな言葉で踏みにじれるようなものではないはずだ。
と、言われているはずなのに、一度発される「現実に戻れ」というメッセージの前に「そんなこと言われたかったんじゃない!!!!!!」って発狂するオタクが多いのはちょっとこう・・・オタクのメンタル弱すぎじゃねえの・・・という気がするが、まあそれは現代社会では仕方の無いことでもあるし、今回の本題ではないんだ。
言いたいのは、一本の映画として見たときに、よく出来ていたじゃないか、ということなんだ。
確かに、もう5の物語は身体に染みついてしまっているから、全く5の物語に触れたことがない人にとって、提示されている情報が十分だったかについては冷静な判断ができない。
ストロスの杖のあたりとかは説明不足だったようにも思うが、まあ、「息子が頑張って探した石化が解けるアイテムである」くらいは伝わっただろう。
(ちょっと使い方それェ~~~?!!と思ったりしたが)
(ルーラの辺りは怪しいかも知れないが、「ルーラ」といえばワープの魔法である、というのは有名だと思いたい)
二時間でまとめる為にはどうしても大幅なカットが必要である、そのためにカットされたり設定が変更された部分について「そこをカットするのかよ・・・!そこをそう変えるのかよ・・・!」という視点で気に入らない箇所を除くと、「え~~~~」と思った部分は大概、ラストで伏線として回収された。
その、ラストの展開それ自体が気に入るかどうかはともかくとして、5のストーリーを知っていればいるほど「あれっ?」と思う箇所には、大体理由付けがされている。
長い話をカットした時にありがちな「えっその話いつしてた??」みたいなのも、多分、なかった、と、思う。(なにせ冷静な判断ができないのだ)
一人の男の一代記になってしまうので、ストーリー全体が駆け足感あったのはまあ、仕方が無いと思うが、それも設定を知った後なら逆にリアルだ。
もちろん、二時間に納める為にカットされた部分、変更された設定について、文句を言おうと思えばいくらでも言える。娘はどこへ消えた。
ラストの演出については、これは好き嫌いがはっきり分かれるだろうなとは思った。
「ドラクエを見に来たつもりだったがSAOだったか」と思ったりもした。
「これをドラクエで、しかも5でやる意味はあるのか」みたいな批判もあるだろうと思う(これは、はっきり意味があると思うが)。
「5のファンとして、納得できるかどうか」の話であって、「映画自体のクオリティが極端に低い」ということではない。
それなのに、あたかも「映画自体のクオリティがめちゃめちゃ低いから見に行かない方がいい」みたいな言説ばかり飛び交っているのは非常に残念だと思う。
CGは徹頭徹尾圧倒的に綺麗である。(ドラクエ5らしいか、は置いといて。。。)鳥山明の絵とは遠いが、動いて居る彼らを見ていれば全く気にならなかった。
物語や設定が破綻しているということもない。もちろん重箱の隅を突けば色々出てくるだろうが、世間一般の映画と比較して特段トンデモ展開という訳でもないと思う。虚無でもない(後述)。
(ただ、主な比較対象がライダー映画であり、あれはトンデモ展開をやってナンボみたいなところがあるので、若干ふつうの人より「トンデモ展開」判定は緩いかも知れない・・・その辺りの自信はちょっとない)
とはいえ「好き嫌いは分かれるな・・・」「文句の言いどころがいっぱいあるのは分かるな・・・」とも思ったので、薦める相手は慎重に選ぶ必要があるのはわかる。
たぶん、元からこの作品はオタクの方を向いて作られた映画ではないんだろう。
(まず、オタクの方を向いているならちゃんと声優を使うはずであるし、そもそも3DCGにしないだろう)
友人にこのクソ長ったらしい感想をもう少し縮めて伝えたところ、「子供の頃ドラクエやってたパパが、懐かしいっつって子連れで見に行って、そんで夏休みの間にソフト買って親子でやってね、ってことだろ」と言われたが正にターゲット層はそこなんだろう。30~40代の子持ち父親(あるいは母親)。ちょうど小中学生の頃ドラクエ5をスーファミでやっていた世代だ。(だからこそ、今「5」が選ばれたのだろうと睨んでいる。3以前だとリアルタイム世代がもう少し上になってしまうし、4は5章構成で話が長すぎる。6以降だとまだちょっと若い)
「現実と向き合え」って言われるのが何よりも嫌いなオタク(と、あとフローラガチ派)は見るべきではないと思うが、まさしく「子供の頃ドラクエが大好きだったが、今はまあ子供もいて、そこそこ大人やってます」って人には是非薦めたい・・・・・・いや、そう言うタイプの人は最後のどんでん返しでカタルシスを感じてくれなそうである・・・ある程度「ゆうしゃとしての自分」に思い入れがないと・・・だがそう言う人は得てして現実と向き合うのが嫌であり、あるいは原作からの改変が些細なことでも許せないタイプ・・・実にジレンマである。
(・・・と、そのようなジレンマを抱える構造になってしまったことが「失敗」といえば「失敗」かもしれない)
また、この流れをもって主人公を「リュカ」としたなら、確かに久美沙織に対して何かしらの仁義は通すべきだと感じた。その一点においてマイナス100点である。
5の主人公=リュカの図式を作ったのは間違いなく小説版であろう。(もし万一、「リュカ」あるいは「リュケイロム・エル・ケル・グランバニア」の名がエニックス(当時)サイドから提供されていたのだとしたらそれを明確にして欲しいし、作者があのような(慎重な)声明を出す以上、命名は久美沙織側だったのだろうと思っている)
製作委員会におかれてはその辺は本当に仁義を通して貰いたい。この素晴らしい作品に、そんな事務的なことで味噌が付いて欲しくないと思う。
で!!!!!!だ!!!!!!!!!!実はここまでの長ったらしい話は全部前段であるっていったら怒る???
何でここまでドラクエ映画を大絶賛するかっていうと、作品自体が(人は選ぶものの)素晴らしかった(のに世間の評価がだいぶ偏ってるから、いっちょこっちは絶賛しとこう)っていうのは大いにあるんだけど、その直前に見た、見てしまった戦隊映画があまりに、あまりにも虚無だったからというのも大きい。
虚無映画のダメージがまだ残っているうちに見た為、通常時の1.5倍くらい面白く感じた...と言う可能性が否定しきれない。正直なところ。
(ブースト効果がなくても十二分に面白かったと思っただろうが、ここまで熱狂的に、最高に面白かった!!!!と思ったかどうか、怪しい)
というわけで「虚無映画の後にドラクエ見たら予想以上に面白かった」って話がしたくてドラクエの話始めたら思ったより熱が入ってたらしくてすっげー長くなったごめん。
でもこの後また長々虚無映画の話をさせてくれ。誰かに聞いて欲しいんだ。
「5点満点中マイナス100点」の栄光はまさに今年の戦隊映画みたいなもののためにあるのではないか? ドラクエではなく。
いや、戦隊映画については多くの人々が「ライダー映画のバーター」程度にしか見ていないのだろうと思う。
だって毎年バーターで、ライダーは一時間、戦隊は30分と相場が決まっている。ライダー単体の映画は大人1800円キッチリ取るが、戦隊単体の映画は大人1200円だった時代もある。
最近は戦隊単体の映画は期間限定上映になってしまったほどだ。悲しい。
だから、毎年大した期待は掛かっていないし、つまらなくてもその後のライダー映画が面白ければ何の問題も無いのだろう。
現に、今年のライダー映画に関する評判は、良い物も悪いものも合わせて耳に入る。つまり、それだけの人数、戦隊の映画も見ているはずなのだ。
しかし、誰も話題にしない。あんなに虚無だったのに!!あんなに虚無だったということを誰も口にしていない!!!その程度の興味すら抱かれていないのだろうか・・・それとも虚無すぎて何も言えないのか・・・
あるいは、「名作」とまではいかずとも、通常のテレビ放送の二話分くらいの時間を使えるのだから、ちょっとしたスペシャル回くらいの話はできる。
テレビ放送を見ている時よりはちょっとわくわくした気分で楽しんで見られて、特撮映画のことだから突っ込みどころも多いが、概ね「楽しかった楽しかった」と思える作品がほとんどだ。
(折角の「劇場版」がそれでいいのか・・・という話は一旦横に置いておく。今は、多くは求めまい)
少なくとも「早く終われ・・・」と祈ったことは、(毎年見ている訳ではないが、6~7本くらいは見ているはずだ)一度も無い。
それがだ。今回は半分より手前くらいのところから「早く・・・終わらないかな・・・」と魂が吸われていたのだ。
確かに、今年の戦隊はあまりちゃんと見ていない。が、それは過去の戦隊においても同じ事が言える。
(おおよそキャラクターや敵が何者かくらいは知っているが、毎週毎週熱心に見ている訳ではない。これはライダーも同じだ。友人たちと話のネタにするために流し見しているくらい。そこまでガチ勢ではない)
だから、「例年より話が分からない」「例年よりキャラクターに思い入れがない」という点で「面白くない」訳ではない。
「特撮映画」というジャンルには独自の文明があるので、割合トンデモ展開が許される。
(実際のところファンが「許して」いるかは知らないが、平成だけでも20作品にわたってトンデモ展開をやり続けながら絶対的コンテンツとして君臨しているのだから、許されていると思っていいだろう)
突然東京がひっくり返って江戸時代になろうが、突然信長が蘇ろうが、突然歌って踊ろうが、サーカスを始めようが、見た目は大人頭脳は子供だろうが、侍もいるし天使もいるし忍者もいる。タイムスリップも日常茶飯事、作中における原理原則の多少の無視もよくあることだ。今更騒ぐようなことでもない。
「展開がトンデモすぎる」「作中の設定が無視されすぎて変」という話でも、ない。
六千五百万年前からいきなりタイムスリップしてきた人類(的な生き物)が居たら、まずは文明の違いに腰を抜かすところからじゃないのか???とか
六千五百万年前の文明発達しすぎだな?いやそれは作中設定があるからいいとしても、こっちの部屋はロストテクノロジー仕様なのにあっちの部屋は旧
ドラクエ5のストーリーが好きで、内容を覚えてる人であればあるほど最後の最後に、なるほどねって納得できて面白いと思う。
正直、終盤まではちょこちょこ面白いけど、ただのファンアート・二次創作レベルだなぁ、って感じだった。ビアンカはかわいい。
なんであそこカットするの?とか、不幸度足りなくない?とか、ドラクエ5好きだったらそこ削らんだろとか、主人公キャラ違うとか、とか不満点多数で。ビアンカは可愛かったけど。
すごい陳腐だなー、って思いながら見てたら最後の最後でどんでん返し。
前半のチープさ、カット、都合のいい感じ全部納得した。
そりゃ、そういうチープな感じにあえて描くわ、なるほどな、っという感じ。
直接のネタバレはしていないつもりだけど、未見の方は注意!
1982生まれ、DQは FC3, 4, 5, 6, 1-2, 3(SFC), 4(PS), 5(PS2), 4(DS)の順にやった。7以降は全くやっていない。
6までは小説すべて読んだし、ゲームブックも5までは遊んだ。攻略本、モンスター物語系の関連書籍も読んだ。DQマンガ劇場も読みつぶしたし、CDシアターも聴きつぶした。J-POPより「交響組曲ドラゴンクエスト」シリーズのCDが好きだった。モンスター大集合の下敷きも使っていた。「ロトのつるぎ」のキーホルダーも持っていた(バトルえんぴつとかは興味がなかった)。
そんな自分が、暇つぶしのつもりでこの映画を見た。前情報は嫌いなので、トレーラーなどはほとんど見ていない。
どうも5の世界感らしいが、どんな感じに映像化されるのか、少し斜に構えて見ていた。
開幕早々、いや展開はえーよ!とか、このキャラの動機付けがなぁ…とか、あの演出弱いなとか、そもそも大河の5は尺的に厳しくね?2で青春ものやったほうがよくね?とか、BGMの選曲違くね?とか、ビアンカ胸でけー!とか……
実にアホな感想ばかり抱いていた。
だが、最後の最後でもうそんなことどうでもよくなった。はいはいこれでハッピーエンドね、CGキレイでよかったんじゃない?とかなんとか思っていた矢先(本当に失礼)、完全に不意打ちで泣かされた。
だからさあ、法律で禁止される事はないだろうけど運用上は認められるケースはほぼないだろう、ってこと。
そもそも普通養子縁組であれば法的には結婚しなくても出来るよ?
でも事実上、独身男が全くの赤の他人の子を養子にするのはまず無理。
血縁があったり、子供の実親が養親として指定してるってなら別だが。
同じように赤の他人を養親にするのであれば、ゲイカップルが選ばれる事はまずないだろうよ。
ビアンカップルなら微妙だが、まず自分で精子提供うけて産めば?ってなりそう。
男女の夫婦でも「不妊治療をしていたけど無理だった」って人の方が優先だし、妊娠の努力もしていないビアンがそれより優先されるとは思えない。
異性婚の場合、「産んだ女性=母」「その女性の夫=父」が大原則だからね。
DNAよりそちらが優先されるから、代理母で産んだ女性と生まれた子に血縁がなくとも産んだ女性が実母扱いだし
第三者の精子提供により生まれた子でもその精子の持ち主ではなく産んだ女性の夫が父になる。
んで産んだ女性に夫がいない場合は父はいない事になる(認知する場合は別)。
同性婚だとその辺かなりややこしくなるだろうな。
まあDNAが優先される事はなさそうだけど(異性婚の場合でも影響でかすぎなので)。
今夏公開するドラクエ映画の声優が、ビアンカ役に有村架純、フローラ役が波瑠に決まった
有村架純と波瑠逆じゃないかって意見もあったけど、自分は結構合ってると思った
有村架純は「中学聖日記」でめんどくさい女って印象があったから、ビアンカっぽいなと思った
ドラクエ5と言えば、ビアンカ・フローラどちらと結婚するか論争になるけど
まず、あそこで苦楽を共にした幼馴染のビアンカを選ばずぽっと出の金持ちフローラを選ぶお前、人間に非ず。
日が暮れて二人で宿屋に入って、主人公が「ちょっと城下町に聞き込み続けてくる」って言って出てくじゃん
ちょっと酒場に長居しすぎちゃって、部屋戻ったら暗いから、寝たかな?って思って燭台つけたらバッチリ椅子座ってこっちを見つめてくるわけですよ、ビアンカは
で、「遅かったね」ってちょっとなじるように言って、「…あんまり心配かけないで。」って呟く
そりゃね、想い人には突然10年間姿消されて、育ての親のことでも苦労して、色々不安定なんだろうね
最初のうちはそんなところも可愛いな、って思うんだろうけど、次第になんか、その無言の圧力と言うか
確かにさ、ゲマの手がかり聞き込みのついでに、オヤジさんに結構飲まされちゃったし、バニーガールのお尻も横目で見てたけどさ
まっすぐなあの青い目で「信じてるよ」みたいな感じで見つめられるとさ、
ちょっとめんどくさいな、ってなると思うんだよね
一方、フローラはほろ酔いで宿に戻ると部屋の明かりがついてて、「あ、待っててくれたのかな?」って思ったら
健気に主人の帰りを待ってるように見えて、ほっこり愛おしさが止まらないわけだけど
多分フローラは主人公が出かけてる間はのびのび過ごして、眠い時に普通に寝てます
ビアンカは心配で寝られないのに対し、フローラは元からあんまり期待してないだろうね
ビアンカは多分主人公がどうしようもなくだめ男だったとしても、「わたしが変えさせなきゃ」って思い込んで
いつまでも別れられず、男に金を渡し続ける
フローラだったら即効で主人公に見切りつけて、ほぼ浮気でアンディに乗り換えるんだろうな
こう見ると、フローラの方がいい女の気がしてきたけれど
やっぱりあそこでビアンカを選ばないのは人に非ず。