はてなキーワード: デザインとは
基本、学力で輪切りされてる高校の場合は、一つの科目について、それぞれの学力に応じた動画が必要になる。
高校生は全員が大学に進学するわけじゃない。商業科や工業科もある。
そうした生徒向けのオンライン授業というのは、スタディサプリなどの大学受験向け動画とは、全く異なるものになるだろう。
大学受験という足枷からは自由な反面、逆に、その教科をもってして何を学ばせるか、またどう関心を持たせてオンライン授業に参加させるか、本質的なデザインの段階から教員の側が厳しく問われることになり、なかなか難しいと思う。
教科書のレイヤーでいえば、何を捨てて何を残すか、何を加えるかという話になったとき、どのような観点からそれがなされるべきか。
まずは、多くが就職や専門学校へ進学する生徒たちについて、キャリア教育的な観点からなされること。
もう一つは、教科の全体をもって、教養すなわちリベラルアーツの入り口に足を突っ込ませること。
オンライン授業の強みは何といっても視覚化に優れたところなので、サブカルチャーから何から総動員して、彼らの身近な関心や今後のキャリアに教科の内容をつなげ、全体として必要な教養に触れさせることは不可能ではないと思う。
・昔から意味合いの変わって使われている格言やことわざはいくつもある よくないというのは個人意思なのでいいかわるいかで言うなら他人の行動を強要したり喚起したりしたいのであればまず直接個人に自分の考えをぶつける無名の街頭演説をいきなりはじめるより、原文からの変遷を研究したり収集したりする団体や組織を形成してそこからの意向としての情報発信をするほうが効果的 言いたいだけなら言っても大丈夫
・あなたが話す話はすべてあなたの話なので前提は不要です なにがどういう状況なのかという状況から自分がどういう行動をすることになったかの説明はとても有用 正しい判断がしにくい状況にご自身が追い込まれているということ心中お察し申し上げます ただこの文章もそういった状況下でとられる一般に正常とは認識されがたい行動の一環であることの可能性をご自身で示唆しているわけですね
・常々というこの困難な状況が常にあるという継続的な辛さもお察し申し上げます もはやいつから正しいことが判断できなくなったり犠牲にしたりしているのかなのかわからない状態であるということですね 職務で得られた経験が自己分析であるとしてそれが正確ならなおさら、ご自身が異常な状態にあることを冷静に判断できているのはとても皮肉なことだと思います
・他人の行動について愚かで自己破壊的だと、すべきでない行動をしていることに対し自分は正解をもっている、建設的でない、的外れである、ということは的を射ていたり建設的な意見というものがなにかと自分は知っているという陶酔にあるのは、困難な状況に長時間されされていたご自身の防衛機能の一端であることは察し得るのでご苦労様です ただご自身の判断基準の正確さを、役職や職業によって保証されているものだと他の方に誘導的に意見することを意図しているのは、危険な状態でもあると思われます
・合間を縫いすぎです どれだけ見てるんでしょうか じゃんじゃんの擬音の効果の程度が気になります 観測をしている量としての程が いやなものはみていないですよね いやなものを見ざるをえない職種であるのでいやだけれども見てしまうしそれに感想をもったり行動をしてしまう というのであれば「いやなら見るなみてないなら行動するな」みたいな表現についてご自身もその対象であるはずなのにその推奨に沿えないことを体感しているのではないでしょうか
・残酷な単体行為を単独個人が単回数行うことについてであれば、書き起こされた文字のことが存在すると発露させた時点で一回それを履行しているわけで、それをまだしていない人間にむけて公開するということは、ご自身が一回それに関わり加わりおなじ行為をしたということになります 「この証拠写真をみてください」と問題の現場を公開することで、それをしらしめてやろうという意図の犯人と同じ行為を一度行うことについて、それを回避するすべがあるはずであるのにするということは、加担したということになります 正常な判断ができない状態で正義で被害者を守ろうと判断されることが危険なのはこういった結果にいたる可能性があるということの一例となり残念です
・あくまでほかの罪においてでも罪を責めることができれば、そこから結果自分の主張したい正義をねじ込めるとお思いなのはとても危険なので、責任ある職であるならお休みされたほうがよいと思います
・いやなら聞くなは同意いたします 聞きたくないので聞かない人も聞けない人も聞いてない人もいると思います 居酒屋での愚痴なんていいふらされても、前述までの「アホやな」のそれだと思います ただ人の口からでた言葉を聞く聞かないを超えて、その声を機械で増幅させて電波で全国に流しているんです 耳栓をしていてもそれを聞いた人間の行動や人間の発声能力をはるかに超えた音波が体をゆらすわけです その人がいっただけのただのたわごとならば、その口をはたけば済みますし、こちらは耳をふさげば済みます その責任は本人にあるといえると思います ではメガホンをつかって叫んだ場合の言葉の責任は、メガホンにあるのでしょうか コンデンサのメーカーが不埒な言葉を拡声したことをお詫び申し上げますといえばよいのでしょうか かつてのAV女優やバカなことをする芸人が一般的な氏名でなくおもしろおかしい芸名を使っていたのは「同姓同名がいじめられないように」の配慮だったわけですが、同姓同名というほんの数文字だけを全文から切り取って個人にあてがいいじめなどの行為に至ることはありますしそうなる可能性は容易に想像できるはずです 現在ではその境界線があまあまになっているのでもはやきりとっての被害はそれぞれ自己責任という風潮なのかはわかりませんが、だれも全文で勝負しようなどとはおもった時代などありません 文脈でいうなら先祖代々のどの家の当主のなんの許可があって芸人をしているのかどうかなどという人類史の文脈を無視しないで話をすべきなんてことになりかねなくなります どこから文脈を切り取ることになるのか、どこが文脈なのかその規模と単位をどこがどう決めているのか、まずそれをコンセンサスとるべきだろうし、それをあいまいに話している時点でそれぞれ個人の個人的感想でしょう 残酷だとかクソだとかデザインだとか終始だとか、個人がそう思ったことを人につたえたい場合、つよくそれを願った場合、きたない言葉で装飾して自分の言葉の威力が増したと自己陶酔することで伝わるはずだと思うのは、前述の環境による思考の傾向があまり健康的でない状態である可能性が感じられます
・個人の看過できないまでの感情の爆発は、個人の感性なので問題ないですし大切です そのストレスがだれかを傷つけるまえに文字で解消しようとするのはとても健康的だと思います これ以上こじらせてしまうような可能性があるのならば、力になってくれる現実の人間に頼るべきがよいと思います
・そういう個人的な予想や感想や欲求を文字にするということは、それをしているということになります 文字そのものをみてそこにその表現がはいっていないから「そんなことはいってないだろ」「文盲」とののしることがあるかもしれませんが、その情報でほかの情報をもっている個人があわせて反応してしまって連想することは人間としてみればありえる話です いったこと以上のことはなにもないのであれば、文字に書かれていないことはありえるんですかと永遠に質問が来ることになります ご自身が正義のセカンドレイパーになっていないか、いまいちど鏡をみてみることをおすすめいたします
・現実にそんな要職にあるのなら、お休みされないとほんとうに心配になってしまいます
・そうですね
岡村隆史さんの、深夜ラジオでの発言を切り取った文章だけを読んで、匿名でぶん殴るのはだめだ。非常によくない、と言いたい。
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私の話から始まって恐縮だが、コロナ対応に忙殺されている。見えない敵に対し、一丸となっている。国民、患者、従業員、子や孫。立場によってそれぞれだが、守らなきゃいけない人のため、皆が多くのものを犠牲にしている状況だと思っている。
そんな中、守る相手を選べたら、と常々思う。なんてアホが多いことだろう。でも、アホだからといって見捨てるわけにいかない。職責上、立場上、自分の範囲を決め、課題を粛々とこなしていくしかない。
ただ、合間を縫って報道を見れば、権利ばかりを振りかざし、人を傷つけるアホの多さに辟易する。批判することは多いに結構。対象が政治や行政であれ、医療や経営であっても、サービスの受け手として厳しく監視することは権利であり義務でもある。目にするたいていの批判は、的外れで建設的ではないから、「アホやな」くらいにしか思ってこなかった。
その守らなきゃいけないアホ達が、じゃんじゃんと一線を越えている。
岡村隆史さんの話を全肯定するつもりはないけれど、文脈を読まずに切り取って、正論を振りかざしてぶん殴ることが、どれだけ残酷なことかわかっているのだろうか。相手が芸能人だから傷つかない・傷付けてもいいと思っているのだろうか。それとも深夜ラジオを聞いたことがないのだろうか。聞いたことがないのだとしたら、なぜ又聞きで人をぶん殴れるのか。
この瞬間、「いやその発言は音声で聞いた」という人は何で聴いたのか?Youtubeの違法アップロードか?
深夜ラジオなんて、嫌なら聴かなければいい。それに終始する。ライターがそれを記事にするときは、たいてい「あいつあんなこと言ってたぜ!」とクソつまらなくデザインされた文章を読まされる。そこに文脈もクソもない。正論でぶん殴ること以上に、文脈を読まずにぶん殴ることはとてつもなく残酷だ。
平時であれば「アホやな」でスルーできるが、今回は看過できない。SNSで声を上げれば、それは大きな影響を生む。ひとりの意見ですら行政サービスを変えられる時代だ。「芸能人は影響力があるから責任を伴う」というなら、WEB上で批判しているアナタにも十分な影響力がある。ニッポン放送が岡村隆史さんを守るよりも謝罪を優先している状況を見れば、さすがに理解できて欲しい。
改めて。岡村隆史さんの、深夜ラジオでの発言を切り取った文章だけを読んで、匿名でぶん殴るのはだめだ。非常によくない。更には岡村隆史さんの病歴にまで言及が始まっている。何がしたいんだ?自殺して欲しいのか?
今日もそんなアホを守るために、粛々と業務をこなしていく。この意見を匿名で挙げることの意味もぜひ汲み取って欲しい。
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今、具体例が挙げられず申し訳ないが、デザインについては韓国が面白いと思う。
音楽の分野ではそれこそ最近のスタジオボイスが特集するほどアジアの音楽が盛り上がってる。
台湾や韓国の音楽が好きで聞いてたけど、日本の若手もがんばってるし、中国や東南アジアも含め非常に楽しいシーンになってるかと。
Tumblr全盛期のときが一番デザインが尖っていたように思う。
誰かの頭の中をのぞかせてもらっているような背徳感を感じるものだった。
公開はされているが、自分がコメントを残すことでバランスが壊れるのでコメントをためらうような、そんな存在だった。
今だとYouTubeは顔を載せて大きな字で内容を書かれたものばかりになった。
フォントも特にこだわったものではないし、組版もされてない。そうしないとスマホからの再生数が増えないから。
自分自身あまりVの者には興味が無かったが、長年フォローしてた絵師さんがVtuberのキャラデザやモデリングを始めたりしたのもあり、Twitterのフォロワーが度々Vtuber関連のツイートをRTしてくるから結構な頻度で目に入っていた
とはいうのも、外見はみんな個性豊かで色とりどりな可憐な美少女たちばかりなのだ、気合入ってるところだとプロのイラストレーターがデザインしている子もいて、素人目から見てもとても複雑なモデリングがされてるんだなという髪型や衣装の子も多い
ただし俗に言うバズってる、人気のある子は大抵中の人が奇声を上げている
生放送などで事あるごとにその萌え声(?)からギャップのあるシャウトを上げ、俗に言う気持ち悪いオタク早口喋りで趣味を語って興奮し、下品な下ネタワードを連発している
あっ、ようはどれだけ可憐なアバターからギャップのあって面白い芸ができるかなんだなと思った
月ノ美兎さんが登場した辺りからその傾向が顕著に現れているように見える
むしろキャラデザの個性などどうでもよく、ただ「可愛らしい見た目」という要素さえあればいいのだ、後はそこにどれだけ中の人の人間味を加算できるかなんだろう
その結果下品・下ネタ・奇声・中の人のオタク趣味という似たような方向にみんな走ってしまう
他の可愛いVtuberとは一線を画しているというアピールをしようとした結果それがマジョリティになってしまいむしろ没個性として埋もれてしまうという悲劇
Vの者って大変なのだなあ
僕は鳩羽つぐちゃんが好きです
弊社はWeb制作を専門にしていないが、食品会社相手にチラシを作り、おまけでWebデザインをやっているDTP専門会社だ。
先月からホームページリニューアルに向けて動き出したが社内に美大出身のデザイナーがいるためデザインは社内で行う。
何が駄目って、画面が狭いんだよ。チラシじゃないんだからさ・・・。
Webデザインだから余白を大事にしてほしいって思うけど、「縦長になりすぎたらコーディングの料金が高くなる」とさ。
最近のデザインって、画面全体に広がってるデザインが多いと思うんだけど、今リニューアル案として上がっているデザインは左右に余白がある。
だから、時間をかけて「こういうデザインが流行っている」「余白を広げたり、文字を大きくしてほしい」とやんわり伝えているが、まったく聞き入れてもらえない。
結局若い人同士では症状が収まってからも継続的に感染拡大の危険性があるということがわかり、20年前に高齢者のみを避難させる高齢者コロニーが作られるようになったのだ。
その代わりに若い人たちは医療崩壊をさせないように行動を制限しつつも、普通の経済活動が再開できるようになった。
高齢者コロニーには季節を通して比較的温暖の差が少なく、本州からも程よく隔離されているからという理由で四国に白羽の矢が立った。
免疫を持たないままに重篤化をすると危険だと言われる60歳の誕生日を迎えると、4週間の隔離期間を経て四国に入る。
外部からの物資にウィルスが付着することによる感染経路が発覚してからは、食料は基本的に自給自足になった。
それ以外、保存が効くものは食品に限らず、丸一日の紫外線照射の後、4日間保管されてから初めて四国に入ることが許される。
そこで他の地域から志願者を募って、若者をコロニーに送り込むことが決まった。
コロニーで働くための資格は新型ウィルスの免疫を持っている人に限られ、2週間の隔離を兼ねたオンラインによる座学を経てコロニーに入ることが許される。
ただし、全て公務員扱いで、主に農業や生産業、役所仕事に携わることになる。
(もちろん、飲食、レジャー産業、宅配などもあるが、コロニー内においてベンチャーが生まれることはない。)
しかし、その実情はほぼ介護と看取り人としての役割が占めているといっても過言ではない。
コロニーに入ると、若者一人あたり5人の高齢者と生活をともにすることになる。
高齢者同士だけでも生活が成り立つように支援がデザインされているが、精神的なケアや、少しでも早い段階で死を発見できるように若い人が配置されるのが本音のようだ。
日本中の高齢者が集まるのだ。死は常に日常と隣り合わせにあり、それが耐えきれないからと脱落してしまう人も少なくない。
高齢者の命を守る施設といえば聞こえがいいが、ここはまさに戦場以上に人の命が消えていく世界なのだ。
そうして仕事を覚えつつ、こちらにいる高齢者たちとの絆を深めるという意味合いも含めて、コロニーでの仕事は5年が基本とされている。
それより早くでてくることもできなければ、それ以上いることもできない。再度コロニーに入るためには5年のクーリング期間が必要だ。
なぜなら、経済が崩壊した今の世の中において、コロニーでの報酬は有り余るほどだからだ。(コロニー内では生活費は必要ない)
5年間のコロニー生活で十分に貯蓄を蓄えて、戻ってきてから商売を始める人も少なくない。
そのため応募が途切れることはなく、クーリング期間は事実上年齢制限の足切りと考えられている。
一度でも脱落してしまえば、二度とコロニーで働くことはできない。
田中さんの娘は、両親をコロナでなくして孤児となった母が、第一期コロニー従事者として立候補し、コロニー生活の中で産み落とされた。
当初コロニー内ではそうした新しい命に対する教育が想定されておらず、また、一期生の頃にはまだ5年という縛りがなかったために、彼女は10年間の間無教育のまま育つことになった。
その後普通の生活に戻るも、学習レベルの違いから学校に通うことはできず、18歳の成人を迎える直前にも関わらず読み書きが満足に行えないままに親のお金で生活するしかなかった。
そうした中、そういう人たちが成人を迎える段階になり国は初めて支援策を講じるようになった。
コロニー内ではその時その時必要な業務を、先輩たちがシステマチックに1から丁寧に教えてくれる。
もしその労働に適正がなくても、無理やり働かせるようなことはなく、適正が見つかるまで様々な仕事に挑戦することができる。
なぜなら、ここの生活において後任を育てないという選択肢はなく、例え一切の労働をしていなくとも、高齢者の世話だけをしてくれるだけで十分にありがたい存在だからだ。
いまではコロニー内においても幼稚園や学校はしっかりと整備されている。
彼女のような人間を再び生み出さぬよう、何をするべきかを皆で考え皆で乗り越えてきたのだ。
新型ウィルスの前では誰かを責めても何も解決しないことを、日本の未来のためには皆で力を合わせなくては何も守れないことを国民全員が理解しているのだ。
この世界において、田中さんの娘を貧しいと思う人は一人もいない。可愛そうとか、面白いと思う人だって一人もいない。
田中さんの娘が幸せかどうかなんてわからない。でも、前に向かってあるき始めた彼女の、背中を押せる世の中であってほしいと願う。
学生時代、なけなしのバイト代を貯めて購入したMacがありましてそれで色々と勉強していたところに現れたのが
iMacでありました。アップルは当時ガタガタで、運転資金すら一年分も残っていなかったそうで、ジョブズが戻ってきた
というニュースを見たときは最後は創業者に看取られて死ぬかと思っていたところでした。
そこにiMacの出現は逆転満塁ホームランと言える代物でありました。 ここまで前提。
このiMac、デザインはカッコいいわ、スペックが高いわ、値段が安いわでザッケンナコラー!って言いたくなる代物でした。
現代風に書くと Corei7 GeforceGTX1650 メモリ16GB くらいのスペックですね。兎に角ちょうどいい塩梅で
10万割ってきましたっていうレベルです。今までMac持っていた人は、ハァ?っていうレベル。
さて、Macって当時もクリエイティブ用マシンだったので、当然周辺機器をそろえている人が多かった。
スキャナやMOドライブはSCSIで接続されていたし、これでMacの接続が担保されていると思っていた。
ところがiMacは全部USBになっていた。家庭用だから仕方ないし、そういう人はPowerMac買えやだったんだろうが
このスペックで超低価格とあって、買い替えようとした人はほぼ玉砕した。
結局買い替えるお金は散々馬鹿にしていたゲイツマシンに変わったさ。Photoshopも出ていたし
Windows2000がストレスフリーだった。 そんなかつての思い出。
元増田の追記コメントも見たけど、これはデザイナーという職種の問題ではなく、元増田の会社の問題としか思えない。
これでデザイナー(となぜか巻き添えを食う漫画家)というでかすぎる主語でわかったかのように切り捨てられるのが残念でならない。
盗用があったというのはかわいそうだけど、そういうことがないように、デザイナーの価値をちゃんと認めて対価を支払ってくれる仕事はたくさんある。というかそれは当たり前だと思ってる。
素人間では絵のパクリがどうとかトレスとかかなり頭の痛くなるような話もよく聞くけど、
まあ広告代理店が「これ俺らが作ったんですよ」みたいにイキってる時なんかはイラっとすることはあるけど
そこはこちらも名前を売りたいわけではなく報酬がちゃんといただけてるしなあ
それはともかく、元増田がボロボロになったのは自分のデザインが勝手にどっかの別会社で商品化されていたという事かららしいけど
本当に増田の勤務先の会社に報酬を払わずに発注者のネズミ会社が黙ってデザインを盗んだのであれば、酷い話だと思うが……
会社にはデザイン料が払われているが、商品に増田や会社の名前がデザイナーとして表に出ていないことを「盗まれた」と誤解している話に見えてならない。
これも偏見だが、技術一筋の職人のような人の中には10年社会人してても本業以外の契約なんかには恐ろしいほど無知で無関心で頓珍漢な文句を言ってくる人もまま見かけるので。
残念ながら絵師界隈に限定するなら理系で絵のうまいやつはまるでいない。
いても希少種で、頭の良さが絵のうまさやセンスの補助でしかないことが如実にわかる。
一番多い理系絵師は、描き方の分析にこだわって全く実践が伴わないタイプ。
自分の臨床データが拾えていないので、単なる証明不可能な論文にしかなっていない。