はてなキーワード: デザインとは
すみません、コメントついて驚いているのですが、まとめてお返しします。
直属の上司は数が多くなってきた盗用について激怒してくれて、相手方との商談を組んでくれ私も同席しました。ですが土壇場で日和ってしまい、上司は何も言えませんでした。相手企業の取引での売り上げが大きかったので、強く出て切られるわけにはいかなかったうちの会社の懐事情が影響しています。
5年以上勤めましたが、デザインが盗用され始めたのは3年ほど前で、年に盗用が10種類ほどだったのが1シーズンで10種を超えたため、体調に異常をきたしたと考えています。
また、デザインは社名の入ったフォーマットにいれて提出していましたので、確信的に盗用され続けていたというのは間違い無いです。
勉強できる人がデザインをするべきだというのはその通りだと思います。デザインだけしている人間は結局搾取されるだけで芽が出ません。私と同じように埋もれて終わりです。またそうでない人は趣味に留めるべきだと思います。今はadobeなどの動画サービスもかなり充実していて、独学でやる気さえあればいくらでも学べると思いますし。私のような馬鹿はもう生まれて欲しくはないです。
専門分野の歴史は勉強するにしても、それが生み出された思想や社会情勢、幾何学的分析、技術的背景までは思い至らない。教えられる教官も極めて限られる。
西洋スタイルのデザインの場合、西洋哲学をベースに緻密に理論づけられているものがほとんどだ。
それを踏襲することができなければ、下請けのアレンジメントの仕事しかできない。いわゆる搾取される側だ。
日本で西洋スタイルのデザインを真に極めるのは一部の天才を除いて無理なのではないか。
絵が上手いからではなくて勉強ができる人がデザイナーを志望してほしいとすら思う。
日本に伝わる伝統工芸は古臭い徒弟制度で若い人からは忌避されているが、経験と習熟に根差した合理性を持っており、日本人にはなじみやすいと思う。
デザイナーになりたい、漫画家になりたい、アニメーターになりたい、3Dモデラーになりたい、職人になりたい‥そんなクリエイティブ職を目指す皆さん、ならびに搾取され続ける地獄を味わっている最中のクリエイティブ職のみなさん、こんにちは。こんばんは。
ところで、デザイナーって言葉の響き、めっっちゃかっこよくね?仕事内容はともかく名前は本当に好きだわ。
わたしはデザインが好きだった。ので、デザイナーを目指しそれっぽい専門学校を卒業した。そして企業に属するプロダクトデザイナーになった。
デザイナーというと響きはかっこいいが、しがない企画職である。転職は一度したものの、今の職場は安定して勤めていた方である。
そして少なくない年数勤めた結果、体調壊した。体調を壊すまで、わたしは頭がおかしくなっていることに気がつかなかったし、搾取されていることにも気がついていなかった。こんなもんかと納得し、騙し騙しなんとかやっていこうと思っていたのだが、遂に顔面が痙攣し始めて退職することと相成りました。
漫画家になりたいと言って周囲に反対されない若者はそんなにいないと思うが、デザイナーも然りだし、クリエイティブ職なんてもんは目指すもんではない。一部を除いて搾取され続けることを約束された未来である。
そんなわけで、私の体験したことを愚痴としてここに書き残しておくので、クリエイターを目指そうと考えている若者に読んでもらえると嬉しい。
私の所属する会社がお客様として相手をしていた企業は、某超大手キャラクターメーカーだった。某ネズミである。ネズミなんて何人もいるので察することは出来ないと思うが、ネズミが相手だった。
私はネズミのことが別にすきではなかったが、デザインしたりするのを、絵を描くことを苦に思ったことはなかった。何故ならそれがよくてこの職種を目指したからである。夢を叶え続けてかわいい商品が店頭に並ぶ時はとても嬉しかったし、楽しかった。お客さんが次々きては、これかわいい!買う!と言ってくれたときの喜びは計り知れない。開発段階での苦労や納品時のトラブルはすぐに忘れてしまえるほどの喜びだった。
ただ圧倒的に搾取だった、と気がついたのは、先方にデザインを盗まれたときだった。
勤務時間が長かろうと、残業代やボーナスが出なかろうと、寝れなくとも、私の勤めている会社に搾取されるのは、最早どうでも良かった。一般的に良くなくともデザイン業界なんてこんなもんだと、もはや諦めていたのはあった。休みが取れるだけマシだと思った。やりがいで十分お釣りがくるし、暮らせるだけいいと思った。
先方のネズミの企業にデザインが盗まれることが増えた。盗まれる、というと語弊があるかもしれない。提出されたデザインが私の勤める会社ではなく、他企業に回され商品化されることが増えたのである。
理由はいくつかあるだろう。先方にもいろんな取引先との関係性があり、商品数のバランスがあったりするだろう。先方にうちの会社の作るプロダクトはあまり品質が良くないと、たびたび苦言を呈されることがあったりすることもあり、会社内でもチームでなんどもミーティングを行い、改善してきた。うちの会社の信頼度が落ちていた、そのせいはあっただろう。
それでも、何も言わずに、私が足りない頭を働かせて提出したデザインが、夜中まで考えて描いたデザインが私が携わることなく何故か店頭に出回っている。あのときの私の虚無感は、口にすることが出来ないほどだった。
お客さんがお店に来て可愛いと言って買ってくれたとき、それデザインしたけど開発したのは他企業なんだよな、と思った時に悔しくて虚しくて仕方なかった。
私が本格的に体調にトドメを刺されたとき、私がデザインしたのに知らないうちに何故か店頭に並んでいる商品は1シーズンおよそ15種類にものぼっていた。
一度は復職しようと頑張った。体調が良くなり店頭に行ったとき、またデザインが盗まれていることを知った。また知らないうちに、先方に10種類ほどデザインを盗用されていた。
私の勤め先の会社で売り上げが落ちていると叱責された。だが私に何か出来たのだろうか。デザインを盗用されたと言ったら先方を訴えられるのか。うちの会社に回ってきて売り上げにつながるはずだった商品を別企業に回されていると言えたのか。あの大手企業を敵に回して生きていけるのか。
私は何も出来ず口を噤むことしか出来ない。
今の私は疲れ切っていて、日中頻繁に起きて動くことが出来ない。1日動けなかったり、食べても吐いてしまったり、とにかく怠かったり、耳がぷつぷつと水中にいるような感覚に陥ったり、外に行くと漏れなく吐き気が襲う。気圧差にかなり過敏になっている。
デザイナーなんてロクなもんじゃない。搾取されて搾取されて、大手企業ですら筋を通してくれない。商品を買おうとネット通販を見ても、この商品の裏には私のようなデザインを盗用されたデザイナーがいるのかと考えるようになってしまった。
デザインを盗まない。たったそれだけのことが誰にも出来ない。個人のデザイナーだってネットにデザインをあげれば、絵をあげれば盗まれる。何故そのデザインに金を払えないのか、何故その労力を買うことが出来ないのか、私にはわからない。
少ない横の繋がりでも搾取されて辟易としてデザインを辞めた人を何人も知っている。3DCADなどのプロダクトデザインも然りだ。
それでも私はデザインしかできない。デザインで生きていくことしか出来ない。それしか学んでこなかった。そのことを後悔している。なぜデザイン一本で学んできてしまったのか、心底後悔している。体調が良くなったら私はまたデザイナーになるんだろう。
こんなに辛くて苦しいならデザイナーになんてなるんじゃなかった。本当にそう思う。
第1話
あの災禍のあと、僕たちの社会は随分変わった。
そう、今あなたたちが渦中にある災いだ。
あれから鉄道は人を運ばなくなった。そのかわり、モノを運ぶようになった。資源も限られているので、生活物資は基本的に配給制だ。
レールに乗って各ハブ拠点に到着した物資は、さらに各地の配給所に配られる。住民は、役所から配られたクーポンと交換して、生活物資を得る。
一部の地域では、ドローンを使ったり、各家庭に直通の地下レールを引くなどの試みもあるようだけど、技術的には可能でも、手間と、そこまでする根拠が不足していて、あんまり進んでない。
それらの配給所は、元はコンビニだったり、ドラッグストアと呼ばれる施設だったようだ。
鉄道が人を運ばなくなったかわりに、車が人を運ぶようになった。
車は今も人を運んでるじゃないか?
その通りだけど、少し違う。
ここでは車は完全に公共交通になった。誰も車を所有していない。自動運転車が自由な観覧車のように、国じゅうを回っている。車好きの人は残念に思うかもしれないけど。
ネットワーク技術で完全に制御された自動運転車は、一定の車間距離、一定のスピードで、車道を巡回している。
住民は自宅から、今で言うスマートフォンのような端末で、利用区間を指定し、最寄りの停留所で乗り合わせる。
それに乗っているのは、予約した住人とその家族、友人だけだ。
利用者を目的地へ運び終えた後は、車内の換気と消毒が行われる。
人が移動する道と、自動運転車が走る道は、完全に分けられている。
あなたたちの世界のように、人や自転車のすぐ横を、車が走り抜けるような野蛮なことはもうない。人命と利便性が両立するよう、合理的に整備されている。
これを聞いて、あなたはディストピだと思うかもしれないし、理想的な未来だと思うかもしれない。
実際のところ、僕たちのほとんどは満ち足りている。
たしかに生活物資は配給制だし、完全にこの国の中枢機関によって管理されている。人もモノも。
だけどこのような太い「木の幹」の部分以外、枝葉の部分では、かなり自由が許されている。
例えば……、今のあなたたちにピンとくる例でいえば……。
僕たちの世界でも、ウイルス対策や防砂等の理由でマスクが配給されることがある。それは機能性とコストだけを追求した、何の装飾もない、シンプルなものだ。
それを各々がアレンジする。
染め直したり、より使いやすいよう、縫い直したり。
(これは今のあなたたちの世界でも行われてることだから、かなり想像しやすいと思う。)
そしてそれは、しばしば個人間取引が可能なオンライン市場で流通する。
気に入ったデザインがあれは、自分が持ってるモノや通貨と交換できる。もちろんマスクだけじゃなく、服、装飾品、家具、食器……、同じように、政府が供給する“素材”がアレンジされて流通する。すべてにおいてそんな感じ。
最低限の機能だけを持ったモノが政府から支給され、そしてそれを、個人個人がアレンジし、オンライン上に流通させ、購入者は先の配給所でそれを受け取ることができる。
人々はそうやって、限られた資源を使って、自分のクリエイティビティを発揮することに時間を費やす。そして、あなたたちの社会のベースとなっている、労働というものはほとんどない。
生活のために望まない作業を強いられることはほとんどない。これまで紹介したように、配給や合理的な物流で、過不足なく生活物資は分配されるから。
ただしこのシステムを管理維持するために、月のうち数日、地域のステーションに駆り出されることはある。
と言っても、メンテナンスはほとんど自動化されてるので、人間がやることと言えば、それが問題なく作動しているかを見守ることくらい。
実際は見守るというより、それらのシステムがロストテクノロジーになることを防ぐために、市民にその稼働現場を見せ、記憶に焼き付けることにあるような気もする。
しかしそれを見たところで、ほとんどの人はそのテクノロジーを理解できるとは思えない。ほとんどそれは、過去の労働を儀式化してると言って良いかもしれない。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054895802561/episodes/1177354054895802748
それはまでは原作のアップデートだったデザインや話の展開も冒頭から大幅に変わってて見てるだけで楽しかったけど、いきなりバイザーつけて登場する親父とか綾波?のシュールな家とかカヲルくんのピアノ教室とか綺麗に高く積み上げた本とかやりでやり直すとかなんか笑えるシーンが多かった。
内容は観客に対しても相互不理解の昔ながらのエヴァだった。サラッと出てきた専門用語が結局一度しか出ずに終わってさっぱりわからなかったり、
わざわざ顔を合わせたと思ったら無視を決め込むガキのような大人とか、
ひたすら煽るだけで全く説明しようとしないで、煽ってるだけで済むと思ってんのかよと言いたくなる奴とか、
バイザーつけて文字通り目も合わせなくなって13号機に乗れくらいしか会話しなくなった奴とか、
ピアノの連弾クエストをこまめにクリアしたおかげで初めて登場人物でマトモに対話をしてくれて、道を示してくれたと思ったら急に黙り込んでブツブツ言い出すわ、ギリギリになってからやっぱヤバそうだからやめようとか言うピアノ教室の先生とか
飲食店とかライブハウスがとても苦しいのはわかるので、何か応援したい。
でも、内容を見てみると、それってただ新型コロナに便乗したタカリに近いのでは・・・?と思うのもあって、モヤモヤする。
みんなどう思ってるんだろうか?
→正業の延長に対して我々は正当な対価を払う。なんら問題ないはず。
5000円〜6000円とか、微妙に高いTシャツを「支援グッズ」として売り出している。
→正業と関係ないし、よほどデザインが気にいるとかでなければ本来こちらには不要なもの。
(申し訳ないが、個人的には見た瞬間に「いらん」と思うデザインだったりする)
何でもかんでもTシャツっていうのは安易すぎてうんざりだし、サービス提供とその対価が釣り合ってない気がする。個人的には。
クラウドファンディングで運転資金を募って、リターンはただのお礼メール。
→もちろんお店に世話になった人とか、応援したい人はすればいい。自由だよ。
でも、なぜ売上減を直接的に他人に補填させようとするのかわからない。
私が見たものだと、具体的な数字の開示も一切なかった。ただたんに新型コロナで休業しているということだった。
今回のコロナの騒動までは、普段の生活でマスクをすることは殆ど無かった。あの息苦しくなる感じが嫌で、重度の花粉症でありながら、マスク着用を拒み続けた。
しかし今、四六時中マスクをしている。すっかり生活の一部となってしまった。
人前に出るときもマスクをつけたまま、ということが常態化している。むしろマナーとさえなっている。
他の人が着けているマスクを見る機会も圧倒的に増えた。よくよく見ると、使い捨てのマスクもデザインは千差万別で面白い。
このままこうした状況が続けば、マスクもファッションの一部になる日も近い。
今でこそ当たり前に身に着けるネクタイだって、起源を辿れば戦地に赴く兵士の無事帰還を願って身に着けたという。
これiPhone8の2じゃん。SEと言うにはサイズもデザインも無理がある。
それでSEから乗り換える代替案を、androidまで広げて探すことにしたのだが、
見つけてしまった。
Palm、おまえまだ生きてたのか、PDAって何の略だっけと感涙しつつ
調べたら、中華企業が買い取ってブランド名だけ残った感じなのね。
それでもいい。何よりサイズがいい。
SEと比べても幅は17mm,縦に至っては42mmも小さい。
Palm 50.6×96.6 ×7.4mm
iPhoneSE 67.3×138.4×7.3mm
これ、ほしいなあ。しかし文字読むのつらそう。打つのも大変そう。
電池はすげえ減るらしい。
迷うなあ。