はてなキーワード: コロッセオとは
これは大前提なんだよ。
若い命が真っ赤に燃え尽き灰になる姿を、老人たちがコンテンツとして消費する場所。
古代ローマでは奴隷階級の剣闘士が殺し合いの中で傷ついても誰も気にもとめなかった。
人間であることを主張した奴隷はライオンに食い殺されるべき愚か者だった。
奴隷と奴隷が殺し合う姿を残酷だと感じるものはいても、それが非人間的だと思うものはいなかった。
現代の高校野球のシステムに組み込まれるためには、自分の人権を手渡す必要がある。
彼らは、輝ける英雄になることを目指し、自分の手で自分の人権を手放していく。
その様子を見てしまうと、私は高校球児に対して同情することができなくなる。
夢のためだからといって自ら人権を投げ捨てたものが、その行為の結果として傷つくことは、愚行権の行使にほかならない。
愚行権を行使するものに対する余計な憐憫は、かえって彼らのプライドに泥を塗りつけるだけなのではなかろうか。
もしも彼らが人権を主張するならば、まずは高校野球そのものを否定することから始めて欲しい。
奴隷契約を結ぶことをまずはやめて欲しい。
AbemaTV「極楽とんぼKAKERUTV」で私が受けたハラスメント|桃子|note を読んで思ったわけだが、ぶっちゃけ、日本社会の仕様なのだろうな
現場のよくわからない一般人が周囲に呑まれることを利用して、黙って(騙して)利用する。dentsuとかもそうだが、この手の業界の「文化」なんか? マニュアルでもあるんか? ビジネスモデルなんだろうね。
例えば、勝手に先に交渉をしてしまってから、本人に言うことを呑ませる。ナベツネの「大連立」フィクサーとか、初音ミクと小室哲哉のコラボとか思い出すね。日本の仕様なんだろうな、shit
キーワードは「ポピュリズム」(衆愚)。イジメを娯楽にして、観衆が普段抱いている不平不満を逸らす。イジメを見せることがストレス解消。
古代ローマ(末期)のコロッセオで奴隷を剣闘士にして、勝ち抜いた者は奴隷脱出して市民権もらえる。ちなみに古代ギリシャだったら逆で、市民は政治家で兵士で命かけたからな。
江戸時代の大相撲が、力士に武士相当の身分を与えた(だから、マゲ結い、帯刀)と似ている気もする。
まともな近現代国家だったらありえんと思うのよね。娯楽を提供するのはプロの芸だし、対等な人間の立場だし、有能なエンターテイナーは収入も多く出る。
一般人を抜き打ちでテイスティングする下衆の世界なんだな、と思った。で、ウケのよい(儲かる)一般人は次回以降も重用する。「既成事実」に迎合して「空気読む」忖度芸人がべんり。ちょっとしたカネと引き換えにイジメられる芸人を一般人からスカウトしたいんだろ。
使える奴は使うが、責任も押し付ける。使い倒す。べんり。要はいわばチンピラ。水脈とか。刺激的なヘイトデマをテレビで毎度垂れ流す「学者」とかもそういう手合い。
下っ端が責任をとらされる「トカゲのしっぽ切り」。上は責任をとらないで逃げる。シンゾーとかタローとか。
日本の仕様。要は金目(カネが目当て)の拝金主義者なんだし、階級差別の封建国家なんだし、既成構造を意地でも変えない既得権益にぎにぎ。
恥ずかしいと思わないのか、と言うのもムダで、こいつらわざとやっているんだからな。そんで、謝れば済む程度に思っている。
大陸出身の品格に欠ける外国人力士を日本出身の正統派横綱が倒すという戦後の力道山のごとき構図が、それ自体品格的にどうなのかという疑問が呈されつつも喝采を集めているのは否定し難い事実だ。
ここに一層相撲人気を盛り上げるスパイスとして、「幽☆遊☆白書」の暗黒武術会編で観客がやっていた「殺せ」コールを導入するのはどうだろうか。対手を屠り神へ奉納することを象徴した言葉だ。語呂が良くてコールしやすく、一体感を醸成し、気分を昂揚させる効果は間違いない。
古代ローマにおける大相撲に相当するコロッセオでの剣闘を描いた映画「グラディエーター」でも観客が「Kill! Kill! Kill!」とコールしていたので、歴史的な正統性は問題ないだろう。
あのさ、
ふと思ったの。
昔そこで何と戦っていたのかしら?
なんか、筋肉ムキムキリュウリュウテカテカの鎧つけて縦構えて剣持った戦士が
実際あそこでは誰と何かがが戦っていたのよね!
トーナメント制で戦っていたと思うと
胸熱よね!
一撃決まったら、
かなりヤバいと思うわ。
それではイカン!と言うことで
マングースなかなかやるわね!
ハブ丼って言うなんか蛇が食べられるっぽいメニューがあったんだけど、
なんか、勇気が出せなくて食べれなかったわ。
それを思い出した四国の名産のウツボの真空パックを空けてパンに挟んだ
地鶏みたいで美味しいのよ!
ウツボぜひ試してみてね。
オーレンジとバレンシアピンクグレープパッションレディ蜜柑の2日目のウォーラー。
そうそう、
イタリアで思い出したんだけど、
トレヴィの泉の水って飲めるの知ってた?
違う違う、
泉の溜まってる水を飲むんじゃなくって、
泉の横っちょにある、
水飲み場的なところがあるので、
そこで、冷たくて美味しい水が飲めるのよ!
意外とここガイドブックとかでも載ってないからマジオススメ!!!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
まず大前提として僕はきわめて子供が好きだ。あやしかたなんかうまいほうではないけれども彼ら彼女らはとても愛らしい
ただ僕が子供を好きであることと子供自身が持つ人生は全くの別だ。100%の主観で他人を見て関与するのはやめておいたほうがいい
それがたとえ愛だとしても
現代は歴史上で最も人間が人間らしく生きることが難しい時代だと感じている
「なにをバカな、昔は宗教戦争があってコロッセオで人を虎に食わせて結核にかかったら必ず死ぬ時代だったんだぞ。今は飢えて死ぬことはどんなに貧乏でもありえなくどこにでも行ける交通手段があって子供に武器なんか持たせなくていいんだぞ」
とおそらく人は言う
けれど闘争も弱肉強食も宗教という信念に準じた戦争も尊皇攘夷も日本赤軍もアーリア人の強烈なナルチシズムもどれも人が自然に生きる中で生じた出来事であり、人としての感情が素直に発露した結果である。ここで書きたいのはそれが良い悪いの話ではない
現代は暴力や権力、自意識、怒りなど人が最もエネルギーを発揮する感情は全てそれがどんなに小さいものでも即座にたたきつぶしにくる
かわりに悲しみや平和ばかりが讃えられる。何か犯罪が起きた時に被害者遺族の悲しみには同情しても加害者の怒りにはほぼ誰も同情しない。特に女性は100%と言って良いだろう、聞いてみればいい
生まれた時からほぼ全員が道徳や正義、常識にそぐわない怒りというものをこれでもかと封じ込められてきた
しかしまともに生きてきた人間なら怒りほど行動力や思考力や集中力を高ぶらせるものはないと知っているはずだ
けれど「私」に蓋をすれば同時に悲しみや喜びにもふたをする。エーリッヒ・フロムはそれを抑うつの正体だと言った
これは何も先人達の闘争によって獲得された現代の平和を否定する話ではない。ただ人が有機体として生きるとは何かという話である
東京を歩いているとたまにどういう気持ちでいればいいのかわからなくなる時がある。人はその時々の環境によって見せる顔も役割も気持ちも違う
意識せずとも経験や自然な感情の流れでその場その場に適応していく
悲しい時には泣けばいいし笑いたい時には笑えばいい。そうやってその場の温度がつくられる
けれどどういう気持ちでいればいいのかよくわからなくなる時がある
貼り付けた笑顔で接客するファミリーレストラン
二面性を否定するほど子供ではないがそれでも憂慮も沈黙も罪悪感も置き去りにしているように見える無機的に見える事物が多い
愛よりも金や資本、有機体よりも無機質な物の趨勢がかなり強くなっているように感じる
I have to do 私は何かをしなければいけない
I am to do 私は「可能性、責任、運命、予定、意志」で何かをする
何かを持って何かをするというのはしなければならないと訳される一方で後者は自らでいるために何かをすると訳される。言語というのはかくも面白い
例えば笑って接客する店員はHe has the job to laugh at strangers with no reason.となる
直訳は彼は理由もなく他人に笑顔を振りまく仕事を持っている、省略すれば彼は笑わなければいけない、だ。
持つことを否定するわけではない。仕事も金も車も恋人も持つために持つと書くと強制になってしまう。欠乏している他人をさげすむ人は必ずこの思考様式である
僕自身も金に脅かされほとんど逆転してしまっている。もう抗うことは不可能なほど機械化もとい無機化が進行している
俺は、はてな歴が浅い。玄人どもの言ってることがわからないことも多々。
キレイなコメ、というかなんか手を組んだ感じがあざとい「互助会」系とを、
それなりに見ている。
前者は簡単だ。
バイラルメディアだったり、飛ばし記事みたいなソースの曖昧な記事書いてるニュースサイトだったり。
後者は難しい。
そもそもが浅い俺なので、この臭い界隈に詳しくないと深く理解できない。
いずれにせよ、だいたいはコメが二分する。
または、キレイに二分されなかったりする。
怪しい兆候は、やはりこの「二分する」ことのように感じられる。
ステマ系に関しては、最近は隊長がつっこんでいってるので、それを見るのもいい。
「ステマサイト・バイラルメディアを完膚なきまでに灰燼に帰すことはそうそうできない」
というあたりか。
うざいサイトにアタックしてくれるのは見ててスカッとするものがある、
が、
なかなかこういうのが潰えたのを見たためしはない。
思うに、あの「たかし」がなおジャーナリストとして活動しているところからも窺える。
こうしてハンパ者に引導を渡すことができないまま白い目で見ている、というのは、
せいぜい白い目で見ることができている自分に優越感をおぼえていられる程度か。
それでいいのかと思いながらも待ち望んでいる次第。
特にこの互助会を「はてな村を汚す」と表現したあのエントリーも覗いた。
思うに、これは汚しているのではない。
「いろんなサイトの新しい情報をピックアップしてくれるよさそうなサービスだ」と
が、
そういったエンタメとしては程度は低いが
そういう感覚をおのずと学ぶに至った身としては、
この上手なキレ方を知らない者共の無様な殴打の応酬を、
ある意味で正そう、清めようという動きに見える。
つまるとこ、それはライフハックな有効活用でしかないようではあるが。
いずれにせよ、はてなはもとより穢れている。
嫌気性菌にとって一般生物が必要とする酸素は無用の長物であるように、
有り体にいえば、掃き溜めにすぎない。
おそらく決定的な善というより、
まだ、はてなを脅かす脅威としては未熟なんだ、と。
俺は互助会を支持しない。
はてなの隆盛を望むなら、おそらくは
闘争を望めばいい。
腐敗を欲せばいい。
浄化を拒めばいい。
正義を憎めばいい。
「異論は認めない」くらいがおそらく様になる。
だが俺はリクルート。
(「青二才が」とはどうしても言えない)。
特殊な学部なこともあり、就職に関しても不安は無く、全てを使うことにした。
とりあえず、時間がないとできないこと…つまり旅行に行き始めた。
つたない英語ではあったが、一応意思疎通はできた。数字が伝わるのが大きい、と個人的には思った。
海外を回る中、イタリアに行った。メシはうまく旅行は楽しかった。
ローマも良かった。死ぬまでにコロッセオを実際に見ることができるとは思いもよらなかった。
自分にはそんな気が全くなかったが、LINEのアカウントを交換した。
時差は7時間程度あったのだが、夕方頃からはお互い活動時間になるので連絡を交わした。
将来結婚することにはならないだろう、という確信が心の奥底にはあった。
互いの文化の違いは面白い反面、意思疎通ができないということだ。
会話の最中に笑うなどということは許されないということにも気づいた。彼女にとって笑いは嘲笑なのだ。
ということは実際に会い、恋愛をする費用と彼女さんが生活するお金は全て自分持ちだ。
イタリア人の大卒でさえも仕事は無い。アルバイトなどあるわけがない。
付き合って7ヶ月、彼女さんが日本に留学しに来るということがわかった。
こんな言い方はどうかとも思うが、急激に恋愛に現実感が見えてきた。それと同時に彼女さんに辛く当たってしまった。
いや…違う。連絡の内容の重要性が増すに連れ、意思疎通ができているかを確実に掴む必要があった、と言い換えても良いのかもしれない。
結果、プライドが高い彼女さんの心を傷つけてしまったのだった。
この恋愛には思い出が全くないのだ。遊びに行くこともなく、全てのログはLINEに残ったメッセージと写真だけだ。
攻殻機動隊のような読後感のある恋愛だった。後悔も無ければ得られたものも少ない。
次はせめて後悔できる恋愛をしようと思う。
生物には本能がある。それは 役割のことであり 生きる本来の目的である。
苦しみや悲しみを無くして
直感としては 多分そうだ。
人間っていうのは おそらく 地球の脳であって、 その力で 地球全体を統合しなくてはいけない
脳は 脳だけでは生きられない。 体があって 初めて成り立つ
体は 能が無くては ただの烏合の集 限りなく無秩序なものだ。
「地球を美しいものにしよう」 という本能が おそらく人間にはある。
人間の行動の核は これだと思うんだよ。
それが 変形して 「自分なりの 美しいものにしよう」 になる。
人との和があれば 勇気と行動力があれば 卓越した技術があれば 限りない知識があれば
必ずこのどれかを 人は欲しがる。 本音では欲しがっている。大抵はこれがさらに変形したものである。
人は本当に力を得ることが出来る。
人本来の目的である 地球を美しいものにしよう という欲求が満たされる。
ここまでは 非常に単純なんだけども。
じゃあ 美しいとはなんなんだろうかという問題になる。
タナトー欲求というものがある 破滅願望や悪に憧れる心のこと。醜いものに心奪われることというのが人間にはしばしばある。
これらは 単に昇華されてない 美意識なんだろうか。 ただの気の迷い 間違いなんだろうか。
病気というのは 体に免疫をつけるために起こる。 悪の心に惹かれるのは 精神の病気で 人間が試されているということ。食うか食われるかの戦い。
SM という言葉と 僕はよく使うんだけど、 これは 単にセックスの形態のことを言ってるんじゃなくて
人の闇を昇華させる 奇妙な営み 全般のことを言っている。
オタクがエロ漫画を描くのも ヤクザが任侠に寄るのも 宗教も 異常な権力欲求も すべてSMだと思っている。
これらの営みって言うのは、SMっていうのは 美しくないものなんだろうか。
世の中が 人類が望むような天国 になったとき、 無くなってしまう物なんだろうか。
だとしたら 名残惜しい気持ちがある。
悪の心を消し去ったとき、 人間は果たして幸せになるんだろうか。地球は平和になるんだろうか。
それは本当に天国なんだろうか。
悪って言うのはなんなんだろう。
日本刀にある美しさは 拷問器具の美しさは コロッセオへの憧れは
消せるものなんだろうか そうは思えない。人間の営みの一つじゃないのか
それを含めて 美しいものであるという価値観こそ 真に美しいものなんじゃないだろうか。
じゃあ 悪が断ち切れないものなのだとしたら。 今のこの状況が完全であって 新陳代謝はあっても 根本で成長が無いものなのだとしたら
一体人間は 何のために生きているんだ?
人ってのは何がしたいんだろう。 地球が生まれて それで一体何だったんだろう。
空に投げたボールが飛んでいって それから落ちていく それと全く同じことなんだろうか。 意味は無い 現象があるだけ。
こういうことを考えさせられて 自分は何をさせられているんだろう。 どこに行くべきなんだろう。
何も考えないことが正解なら なぜ考えてしまうんだろう。こんなことを考えていても 損をするだけなのに
いや 現実逃避することが目的なのか。 だから考えるし、答えが無い。
現実で戦わないと。 具体的な何かをしないと。思うままに、感じるままに。 考えたってしょうがないじゃん。
ああ、いいまとめだ。 ほんとうにつまらない。回りまわって チンケな自分が見えるだけ。 いや 自己否定すらもしょうがない。
やる。ただこの一語。
はしもとちゃんは日本特有のなんとなくネガな空気感みたいなものにガチで攻撃を仕掛けてしかも結構な戦果まで上げちゃってるからこんな騒がれてるんだろうな。
これまで官僚とかこことかに代表されるような既得権益者が跋扈する日本の空気って魔神ブウみたいにどんだけ攻撃しても全然効かないし、攻撃しかけてたらいつの間にか自分もとりこまれてたみたいなやっかいな存在だったのが、そこにはしもとちゃんは、「芸能人」「ド正論」「RT」っていうスキルを引っさげて登場したわけだ。
永遠の既得権だと思ってた場所がいきなりコロッセオに変わってるんだもん、そりゃたまったもんじゃないよね。
んで、また例によって弱者イジメとか言うバカが一杯沸いてるけど、お前らなんかより何倍も影響力考えて把握した上で今のスタンスとってんだろって。わかれよ。
はしもとちゃんの目的は売名でも、釣りでも、炎上マーケティングでもない。現在の状況をシャッフルさせる事自体が目的なんだよ。
はるかぜちゃんはネット特有のなんとなくネガな空気感みたいなものにガチで攻撃を仕掛けてしかも結構な戦果まで上げちゃってるからこんな騒がれてるんだろうな。
これまで2ちゃんとかこことかに代表されるような匿名が跋扈するネットの空気って魔神ブウみたいにどんだけ攻撃しても全然効かないし、攻撃しかけてたらいつの間にか自分もとりこまれてたみたいなやっかいな存在だったのが、そこにはるかぜちゃんは、「少女」「ド正論」「RT」っていうスキルを引っさげて登場したわけだ。
永遠の観客席だと思ってた場所がいきなりコロッセオに変わってるんだもん、そりゃたまったもんじゃないよね。
んで、また例によって影響力考えろとか言うバカが一杯沸いてるけど、お前らなんかより何倍も影響力考えて把握した上で今のスタンスとってんだろって。わかれよ。
はるかぜちゃんの目的は売名でも、釣りでも、炎上マーケティングでもない。現在の状況をシャッフルさせる事自体が目的なんだよ。
ていうか、ルール知ってても見てて面白くない勝負事ってのはあるよ
見てるだけで面白い勝負事も存在する、ってだけで
逆に見てるのは面白いけどやるのは面白くない勝負事ってのも存在すると思う
ローマのコロッセオとか負けると鼓膜に穴があくトランプとかジョインジョイントキィとか
ようはショーなんだよ
ほかのテレビショーと違うのは自分でも相手がいれば簡単に再現できますってところ
どのショーが面白いかは人による
そもそもショーが面白くねぇって感じる人もいてそれが元増田だったってだけ
でもきっと探せば元増田の琴線に振れる、見てるだけで面白いショーがあると思う
叩いて被ってジャンケンポンとか
http://anond.hatelabo.jp/20090116090907
2001年9月11日に、ワールド・トレード・センター(WTC)に飛行機が突っ込んだのを見て、誰しもが「映画みたいだ」と思った。
そう。映画やアニメでは華麗に建物や、時に惑星さえ吹っ飛ばす。
ただ、WTCが実際に崩壊したところで、WTCの歴史なんてたかが数十年しかないわけで、まー頑張って建てたんでしょくらいにしか思わない。
逆に、歴史のあるコロッセオや、万里の長城、ノートル・ダム寺院、ピラミッドが消し飛んだところで、結局それが作られたのは過去であって今ではないから、その有り難みというものは正直分かりにくい。昔の人はさぞ苦労しただろうにね。くらい。
で、話は戻って地球。
化石とか、それこそ歴史ある建物とかがあるおかげで、「地球にありとあらゆる生命がいて、凄まじい進化や絶滅が起きた」ということが理解できる。
理解に苦しむほど大きな恐竜が沢山いたと思えば、肉眼では到底見れないバクテリアみたいなものもいるし、どんだけ早く世代交代してんだよ、と突っ込みたくなる菌類もいる。
そして人間は、人のためとか言いながら行動したり、騙せるだけ人を騙すやつもいれば、地球を助けようとか言ってるのもいる。
そんな星の数ほどの生命が何百億年(何千億?)もかけて、生と死を繰り返した結果、地球が今みたいになっている。
200年後に完成するサグラダ・ファミリアとか目じゃないんですよマジで。
それが崩壊するとか、面白いでしょ。
だから、フルで頑張る価値は正直ある。より世界を発展させてから滅ぼすために。
そっちの方がシュールで絶対面白いよ。
普通に壊れるのが分かってて何もしないのはセンスがないとオレは思うね。
だってそれ普通でしょ?