はてなキーワード: 発言者とは
このtogetterで、「弱者男性は敵を間違えている」と主張している論者は「男性」なのだよ。
フェミニズム的な発言する男性はツイッターにもはてなにもおおぜいいる。
でもな。「弱者男性」の自覚がある男は、男性の論者には目もくれずに真っ直ぐ女性をターゲットにするんだよ。面白い現象だねw
このツリーで誰がターゲットにされているのかね?読んでみると一目瞭然だろ。
大元の発言者のwataloo( http://twitter.com/#!/watarloo )という男性なんて無視だよ。がん無視w
「ほんとに怖い相手にはいまいち憎しみが湧きにくいのが人間だしね?w」
。。って、自分の心理をそのまま書いているだけなんじゃないのかい。
胸に手を当てて考えてみろよ。すべてがブーメランなんだよ。
②guldeen氏は別に強い同調圧力をかけてはいない。苦労することによる他人に対する許容力を向上させる方法の提案ではあっても強制ではない。提案の拒否もできる。
「同調圧力」なんてなしでも、拒否の自由ありでも、シバキあげる事は可能です。
そもそも
「飲食業でもっと辛い思いや忍耐を経験するのがお勧め」というコメントは、
形式上は「提案」ですが、実際に元発言者(若い人でも無職でもない)が飲食業に転職するわけがないことは
guldeenさんも☆つけてる人もみんなわかってますよね。
これは実態的には「提案でもなんでもなく
「修行が足りない」「苦労が足りない」って言ってるだけですよ。
「飲食業でもっともっと辛い思いをするまではお前は何にもわかってない」
「修行の足りないお前の『子供の騒音が辛い』はただの甘えだから却下」
と言ってるだけ。
「お前が修行しない自由はあるよ?
でもお前が修行するまではお前の意見は半人前だから認めない。却下。
おっと、お前には拒否する自由があるんだからシバキ上げなんて言うなよ?」
「ベビーカーもちの子連れ母親です、エレベーターがない駅の長い階段は本当に辛いんです」
とい声が議題になったとしますよね。
これを
「この母親は、近場のジムでもいいのでウエイトトレーニングをオシシメ(提案)。
7kgごときのベビーカーというか日常支持する重量の大半は笑って許せるようになるよ(迫真)。」
ヘビーなネットユーザー男子の不愉快なところが盛り上がっているようなので、ヘビーなネットユーザー男子の私(観測範囲:はてなブックマーク、Togetter、Favstar、vip、2chコピペブログ、ネットウォッチャーのTumblr等)による感想。
これはTwitterで見かけた。しかし発言者@kuromohairがラディカルフェミニストを自称していて、尚且つ「ラディカル・フェニミストの発言」とする題名でトゥギャられていたためフェミニストからの批判もあった。
発達障害者や同性愛者へのヘイトスピーチを繰り返す「ラディカルフェミニスト」 - Togetter
・オタクが非常識な行動をして非オタクに迷惑がかかった話を聞くと、加害オタクに肩入れする。空気を読むことを強制される日本の同調圧力への批判などにつなげて、なんとしてもオタクを擁護する。
「同調圧力批判でオタクの非常識を擁護」はよくわからない、というか見たことが無い。それ抜きで強いて挙げるならハルヒダンスやオタ芸に「いいぞもっとやれ」と喝采を送るニコニコ動画あたりか。
驚異的人数でハレ晴レユカイを踊るoff in 秋葉原(本番) 325 秋葉原駅前 ‐ ニコニコ動画(原宿)
・虐待や母子家庭、貧困家庭など本人には避けようの無い不遇な環境で育ち、結果としてグレたり低学歴になった人間に対して「自業自得」「ざまぁ」と叩く。結局低学歴DQNには共感できないから叩き、コミュ障には共感できるから擁護しているだけ。
コンクリ犯に対するバッシングと加藤に対する擁護、みたいな扱いの違いは散見される。オタクに対する表現規制問題でネットが盛り上がっていた頃、福岡で実施されたヤクザ雑誌規制は完全にスルーされていた。「低学歴には共感できないから叩き」という記述から察するにはてなダイアリーを指していると思われる。
・ストーカー被害に悩まされ、暴行を受ける恐怖に日々怯えている女性に対しても、「そこまで思われること、欲望されることをありがたく思え」と考えている。女性から需要の無い非モテ男性は「誰からも欲望されない最も不幸な存在」と吐き散らす。ストーカーを純愛呼ばわりする人間も存在する。
ストーカーを純愛呼ばわり、は見たこと無いが、欲望されていることをありがたく思え、は増田とはてなハイクでみた。「非モテ男性」と記述されていることからもはてな界隈を指しているものと思われる。
現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できない
・「女には穴があるから人生イージーモード」と「男は何歳になってもモテ続ける優れた存在、女はあっという間に羊水腐って可哀相」を、状況に応じて使い分ける。
これは2chまとめブログでよく見かける。既婚の若年女性芸能人のスレッドと未婚の壮年女性芸能人のスレッドを比べればわかる。ソースは多すぎるくらいなので貼る必要もないだろう。
・男が「調教しやすいから」という理由で処女を選ぶのは当然の権利であり正義だが、企業が「調教しやすいから」という理由で新卒を選ぶのは「再チャレンジを阻む日本の悪習。欧米を見習うべき」と叩く。
前者と後者が同一であるという確証は無い。というか関係無いのではないかと思う。ただしYahoo!知恵袋やTwitterで、「処女厨と新卒主義はメンタリティが似ているのではないか」という指摘なら見た。
・男が女を年齢で選ぶのは「妊娠可能年齢を考えた上での本能的な判断」であり正義だが、企業が「伸びしろが無いから」「高給を要求されるから」「研修などの投資を回収しきれないから」などの理由で、採用を年齢で差別するのは「再チャレンジを~」という理由で悪。
同一人物が言っているところを見たことが無い。
・男が女を「若い」「美人」「処女」「育ちがいい」などの高付加価値スペックで選ぶのは当然の権利だが、女が男を「イケメン」「背が高い」「高学歴」「安定高収入」などの高付加価値スペックで選ぶのは「卑しい」「これだから最近の日本の女は」と叩く。
見たことが無い。「※イケメンに限る」のことを指しているのかもしれないが、これは「卑しい」という意味ではなく「男性全員を対象にしているかのような指南記事」に対する批判であり「自分とは関係の無いこと」という自虐。「これだから最近の日本の女は」はネットというよりリアルでの飲み会で壮年男性がこぼすことのほうが多いのではないかと思われる。
・男の理想を叶える二次元美少女は至高の存在であり、二次元をたしなむ男は最善の選択をしている紳士だが、おばさんの理想を叶える韓流ドラマやスターの存在は韓国による攻撃であり、ファンのおばさんは反日キチガイ。
ネトウヨとオタクは重なるのか、という話になっているようだが、それはそこそこ重なる層もあると思われる。しかし本質は他クラスタに対する嘲笑ゲームでありオタクや韓流に限られないと思う。
なんというか・・元増田は捏造すんな。はてなブックマーカーは都合の悪いことを全部2chのせいにすんな。
http://anond.hatelabo.jp/20111218204414
(追記)元増田に1.5(?)が追加されたようなので。
知的障害者や脳性まひなどの重度障害者は社会に貢献できないから見下していい、関わりたくないと考えるが、アスペは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、アスペという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はアスペへの理解と愛情をもってアスペが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの女性がアスペを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。
これは『メンヘルは「本人も苦しんでいる」から庇護されるべきで、メンヘルという病気を学校や企業が理解すべきであり、人事や上司はメンヘルへの理解と愛情をもってメンヘルが能力を発揮できる環境を整えるべきと考えている。多くの男性がメンヘルを恋愛対象として避けるのも差別だと考えている。理解と愛情をもって接するべきなのは常に周囲だけであり、本人は「病気だから」という理由で好きなように振舞ってよいと考えている。』という精神疾患者が言ってもいないのに、そう思っているに違いないと思われていること・・をアスペルガー障害と勘違いしたか意図的に改変したものだろうと思われる。
色んな考え方の人がいる以上、話し方を聴き手に対して変える必要がある。
哲学科の奴にいきなり経済の素晴らしさを語ったり、電子工学科のやつにカントが~とかいきなり自分のことばで語りだしたって、何が伝わるだろう。
人間は「ある程度理解が得られるであろう内容/話し方」で話すものだ。
だから、読み手に対して自在に変化を遂げ、否定的に解釈されにくい、抽象的な言葉が生き残りやすい。
人はよくわからないと思ってるものに対しては、お互い意見を対立させようとは思わないものだと僕は思っている。
具体的な言葉を用いると、どうしても現実的な様々な解釈と意見が入り混じる。
具体的な話であれば会話がしやすいか?細かいニュアンスの表現が必要とされるがために、それは逆に難しいのだ。
文字だけで、それまで何のコミュニケーションもとらず前提確認も取れず、細かい話をするのは非常に困難だ。
とはいっても、ネットでは主に言葉でコミュニケーションを取らねばならない。
しかし、どんな言葉を使っても(もちろんこの日記も例外にはなれない。)何かしらの否定はされ得る。
僕にとって一番大事な発言者は、ぼくの話をちゃんと聞いて、反応してくれる友達だ。
その信頼感は、ネットを使ってでも、直接会ってでも、電話でも変わらない。
そんなインターネット(と現実)で、からまれたくないし、全力で逃げたいと思ってる3人の馬鹿を挙げる。
発言者による発言の優先度が、僕にとって一番低いのが彼らと言っても過言ではない。
彼らから真っ先に逃げる為に、一度言葉にして確認することにした。
・個人の日記
しかしここで犯罪告白をする人は、新宿とかのでかい公園で犯罪を何千回も叫ぶ(コピペ、RTされる)ようなことをしてるんだから警察に引っ張られてもしょうがない。
やましいことするなら隠れてしないと捕まるのは当たり前。そこくらい知恵使えと言いたい。
主題違いに突っ込む馬鹿。
十分な議論ができる環境ではない(コメント欄でどれだけの納得が得られようか。)のにも関わらず、1から議論しようとする人。
offでお茶会でも開け、と言いたい。
・ブログ
「間違ってるやつは正さないといけない」「間違ってるやつが正さないのは傲慢だ」「間違ってるやつは攻撃していい」というロジックを君が使うなら、「そう言う君が間違ってるから君を攻撃していい」「そういう君が間違ってるのに直さない、傲慢だ」「そういう君は(略)攻撃していい」と僕が言うことも正しい。
そんなループに見ず知らずの名無しさんとラブラブランデヴーしたくないから、僕は全速力で逃げる。できる限り自由にやりつつ、できる限り君と関わらないような人間になる。
僕はこの人には何も言いたくない。目視し次第とにかく逃げる。
相手の知識を、括として無視し去ってしまう場合に、無知が絶対に強い。」
という一文がある。
文脈はともかく(そんなではいけないのだが、)僕はこれは本当にそうだと思っている。
ぶつかったら負け、の戦いからは、逃げることが負けないことなのだ。
僕はそいつと戦わないから、勝たないが、負けない。戦いたくもない。
いやいや、過小評価できない(付き合えば十分に面倒くさいことになる)から逃げるのだ。
僕にとって、勝つよりも、負けないことの方が重要だ。
僕は、類は友を呼ぶという言葉も信じているから、出来る限り自分自身が3人の馬鹿にならないようにしたいと思う。
僕にできるのは、僕を変えることだけだ。
これが僕の最大限だ。
単なるお世辞。あるいは発言者が下流なだけ。
メンヘラっていう言葉は疾患診断される前からなんだろなーとおもってなんとなくニュアンスを捉えてただけなんですが
今になって調べてみてちょっともにょっとしました
「精神疾患・精神障害を持つ人」という意味。「メンタルヘルス」(心の健康)という言葉が匿名掲示板の2ちゃんねるなどで「メンヘル」と略されるようになり、さらにそれに -er 形がついて「メンヘラ」という言葉が生まれた。「精神障害」などよりは柔らかい言い方であるという意見もある一方、この言い方を嫌う人も多いので、使用には注意が必要。関連語に「ヤンデレ」「基地外」など。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E1%A5%F3%A5%D8%A5%E9
言葉の派生成り立ちなどから元の意味など完全に変わる単語は沢山あります。
それはわかってるんですがなぜ心の健康がそのまま対象者を捉える言葉になったのか
好きではない理由は上記のように対象(シニフィエ)と語があまり結びついていないことと、
メンヘラという語の使用にかなり嫌なバイアスが掛かっているように感じるからです。
精神疾患・精神障害はもちろん種類も病状も多く、とても一括りにはできません。
それを簡単に一括りにできるんだなーと見ていて思います。(池沼もそうですね)
時々見るスレまとめなどではかなり過激な”メンヘラさん”たちが書かれている所為もあるかもしれません。
というか過激でなければ話題にならないのでそれもそうですが。
過激な用例の中で使用されていれば言葉のイメージは過激な具体例に特化して固定化されますね。
こういうのをみると自分もこのように思われてるのかなーと思い、
同時に他の場所で使用する人を見るとこのひともああいう思想を持っているのかなーと思ってしまいます。
知人に精神疾患のことを話したら「メンヘラなんだーリスカとかするの?」と聞かれて驚きました。
ということで精神疾患という語よりもぼんやりとしたイメージからメンヘラという語に結びついての発言という事がわかります)
あーこの言葉が出てくるということはこの人もああいう思想をもっているんだなーと思いました。
精神疾患を持っている方でメンヘラと自分で肩書きを持つ人もいます。聞いたところ自嘲的に使うんだよ、と言っていました。
これは多分ゲイ・ホモという用語についての使用や嫌悪と同じだと思います。
男性の同性愛者の方でホモと呼ばれるのを嫌がる方もおられます(元々は蔑称だから)し、そんなの気にしないよという人もいます。
私は今のところ、自嘲的に使用することはできません
メンヘラという言葉を使う人は、精神疾患・精神障害に対してマイナスの、過度の偏見を持っている人なんだなーと、今のところ認知しています。
使用している人は、どこかでそのように思われていると思って使ってください
Webサービス始めるにあたって、特定個人や団体名に関する紛争に対してどういう対応をすればいいか思いつきで書いてみた。
もちろんこういったノイズに対してはできるだけ労力は割きたくない。
基本。ルール違反は即削除なり通報なりの対応をする。逆恨みとかされるのかな。
・IP開示請求に応じる
一定期間のアクセスログを取って、即時応じる。オプションとして、開示請求プロセスを公開することも考慮する。
・削除依頼に応じる
削除依頼を開示して、削除する。対象となる発言者に報告して、反論がなければ無条件に削除する。反論があれば削除依頼者に転送する。
・他人の書き込みに対する影響権限をユーザに与える
モデレート権限、サムズアップ、削除人制度など。これらはどちらかというとスパム排除や健全化に役立つ仕様だけど、紛争の開示と併せるとサービスの民主化にも役立ちそうな気がする。
・顕名化
実名制や、ID制で心理的な抑止効果を狙う。個人情報をちゃんと扱う気力があれば、携帯メールアドレス登録などのサブアカウント対策を行う。
そういう風に理解する、ということに考えさせられた。横入りだけど。
(1)「他人を試みることは失礼だ」
(2)なぜなら「(私の)不信によって相手が傷つくだろうから」
(3)「それは自意識過剰」
この(2)に対する(3)のリアクションについて。
確かに、「自分の為した行為等によって相手が傷つく可能性を考えて行為しない」という行動様式の帰結として、一般的にいって「肥大した自己意識」があり、そのため本来なら行うべきであった社会的に必要な行為すら行えなくなるとしたら、それは確かに病的な「自意識の過剰」であると言える可能性は否定しない。ちまたで見かける自意識の過剰を羅列すれば、
「みんながオレのこと監視して笑ってるような気がしてむかつく」
「頭の悪いオレが一票を投じても間違ってる可能性が高いから投票しない」
「すれ違うたびに気持ち悪がられてるだろうからもう外出しない」
とか、まあそういう感じ。
確かに、どんな「行為とそれに対する他者のリアクション」の場面においても、他者の心の内でどのような感情が渦巻いているかは外からしか見ることができない。そのため、その反応を基に、自己意識の外延としてしか他者の心を思いはかることはができないため、あらゆる「配慮」は原則的に自意識の産物足らざるを得ないし、そればかりでなく、常にそれが他者からみて(それが健全な社会関係を阻害するレベルに至るか否かは別として)不足であったり過剰であったりする可能性は免れ得ない。つまり、どんな「配慮」行為においても「自意識過剰」という批判は常に投げかけ得るマジックワードとなる、ということだ。
ただ、健全な社会性を保つためには、この「配慮」が過剰であっても、そして過『少』であっても、よろしくないことは理解されると思う。そこで、配慮を一定の規範とする考えが登場する。マナー、作法あるいは「礼」というのがそれである。ただ、これらのマナーや作法や礼というのは、決して「形式的にそれを満たしておれば、誰からも問題とされない」という許可を与える法律のようなものではなく、それらのマナーや作法や礼が要請するところの「基の感情」で内面が満たされていることが他者から見ても分かることが、社会的に必要な要件とされることが多い。
頭を下げるのは「礼」だが、ニヤニヤしながら頭を下げていれば不真面目だと言われる。テーブルマナーを形式的に身につけることは大事だが、頑なにそこから逸脱しないことが重要なのではなく根底にある「みんなが食事を楽しめるように、不快なことをしない」を満たすことが需要なのであるから、たとえばマナーを知らない人と食卓を囲む際にマナー知らずであることをもってその人を笑いものにしたりする人は、むしろ重大なマナー違反を犯していると考えるべきだ。
このことを前提として最初に戻ると、
(1)他者を試みることは失礼である
これは理解できる。聖書にも「汝、神を試みるなかれ」とあるが、試されるようなことをすれば、神様だって怒るのである。怒る理由は「信じていないから」であって、一般的に「試す」のは「確信がもてないとき」であることは言うまでもないから、「試す」ことが「確信をもっていない」というメッセージになりうることは、事実であると言える(これは、たとえば「私はそんな風に受け取ったりしない」という個人的主張を否定するものではない。たとえば「てめえぶっ殺してやる」を愛情のメッセージと受け取る人も世の中にはいるだろうから(範馬勇次郎とか)。)
次に、
という説明も問題はない。(1)が、メッセージの含意する「不信感の表明」という事態避けようとする意図から生まれた規範であることをベースに考えれば、その意図するところが(2)のような理由であると推測することに飛躍はないからだ。相手を傷つけることが、健全な社会関係を維持する上で不利であると考えるのは、理にかなっている。
そこで問題は(3)だ。(3)の発言者(以下、(3)の人と呼ぶ。)は、なぜかように考えたのであろうか。本当は、特に考えていたわけではなくて、単にマジックワードを振りかざして、ちょっと反社会的でカッコよさげなことを言ってみて悦に入りたいだけなのだろうか? それにしては中途半端な発言なので、一応そうではないと仮定すると、この文脈でこういう発言が登場するからには、(3)の人は「試すことは悪いことではない=私は試したい」と思っているのであろう。(2)の発言者に「相手を傷つける可能性」を指摘されてなおかつ(3)の人は、それを否定するために「自意識過剰」というワードを持ち出したわけで、そうすると、(3)の人の中では「相手を傷つけること」よりも「自分の願望を抑えること」の方を(あるいは、前者をしないために後者をすることを)悪とみなしているということになるからだ。
これはとても不思議な感性である。「自分の個人的な不信や疑念を払うこと」を重視する一方で、「他者を傷つける可能性」を低く見積もっているのみならず、その「他者を顧みない」行動により「自分が他者から不信や疑念を抱かれる可能性」を全く考慮していないからだ。この(3)の人にとって、他者とは、自分に決してコミットしない、窓の外の存在であるかのようだ。
肥大する自意識に脅えながら、同時に他者を窓の外に放り出して顧みない。彼は一体何と戦っているのだろうか?
「平気で嘘をつく人たち」ではないが、このような「平気で人を試す人たち」から見えてくるものは、確かに一つの時代、世界の風景である。それを、「核の時代」のうすら寒さと共通している、と言ってみると、飛躍して聞こえるだろうか。しかし「核抑止論」とは、「私の不安を解消するためなら、核武装するのが一番だ。みんなが核武装すれば、平和だからだ」という言明ではなかろうか。そう考えれば、これはそれほど突飛な比較ではないだろう。そして、核抑止論が、現代世界において一定のコンセンサスを得ていることも事実として認めておこう。「私の不安と核武装」が隣国の不安と核武装を呼び、それがまた次なる核武装を……と連鎖が続くという事実を眼前にしながらも、今のところ人類は、理性と対話というか細い支えで対抗しつつ、民族や文化の壁を越えることには必ずしも成功していない。「中の安心」が一番大事で「外との対話」は二の次なのだ。「外との関係」が「中の安心」を生む…というアイデアは、そこでは顧みられない。私たちの生きる「国際社会」は、残念ながら依然そのレベルにとどまっている。
(3)のつぶやきが示すことは、もはや個人と個人の間ですら大国間のように理解と協調を求めることが難しい時代だということであり、その中で、恐怖心のシェルターに閉じこもる人々が(3)のように振る舞うことは、もはや不可避のことなのかもしれない、ということである。異文化間における理解と対話のためのメソッドを確立することは、我々にとって真の意味で喫緊の課題である。
闘争だ。いまは闘争の時代なんだ。学生運動とか、安保闘争とか、運動母体が負け続けてきた闘争がまた激しく再燃しかけているんだ。
人々はインターネットを介して集う。演説は、なにも集会で行う必要がなくなり、どこであってもいつからでも、聴衆になることができて発言者になれる。
不鮮明な熱量は確かに大きくなり続けて、いつの日にか火山みたいに噴火するのかもしれない。大きな大きなうねりになれば、何かが変わって勝つこともできるのかもしれない。
運動母体が得る始めての勝利。仮にそれが実現したらどういう状態になるのだろう。勝者は敗者を虐げ、新たな秩序を打ち出すことができる。権力者になることができる。
もし運動母体が大勢に打ち勝つことができて、その後権力を握り得たとして、その権力を行使する主体は誰になるのだろう。
広がりに広がったネットワーク媒体だろうか。それとも旧来どおり中枢をなす人物たちによる統制なのだろうか。
侃々諤々としたネットワーク上の民意による体制が築かれたとしたら、なんだかSFっぽいなあって思う。
もちろん、個々人の判断を礎に据えているとは言え、その総意としてまとめ上げられた一個の意見が――とかなんとか考えたけど、法律も似たようなものじゃないねえ。
神様が生まれるかと思ったけど、そんなことなかった。いや、それとももうすでにたくさんの神様がいると考えてもいいのかもしれない。
違うか。ファジーなプログラムがあるだけか。超高性能なコンピュータマシンが、無数のプログラムを起動させているだけなんだろうな。
仮想現実。マトリックスの世界観。少し違うのは、コンピュータを形成しているのがその中で蠢いている無数の意思であることか。
私たちの総意で汲み上げられた倫理なり良識なりに、私達自身が縁どられて生きている。個体を律して、安定を育む。度を越すと、それらに縛られてしまう。
不思議な感じだ。同調圧力とか、空気を読むといったこと。あるいは偏見とか、典型的なものの捉え方というものを想像すると、無機質な無生物によって個人が支配されてるような気がしてくる。
法則と呼ばれるようなものって、だからやっぱり神様に近いなあって思う。神様の残り香見たな。そういうものによって私たちは支配されているし、自然だって規制されてる。
すごいなあ。でも、いつか根本的に常識を覆してしまうような、例えば星を継ぐものにあった大々的な発見があれば面白いなあって思う。そういうことがあってほしい。
ところで、星を継ぐものに書かれてた、新たな化合物の発見って、どこで回収される伏線なんだろう。あれだけ気になる。どういうことだったんだろう。
「女は○○(否定的な内容)だから……」って言うとすぐミソジニ―ミソジニ―騒ぐ奴が心底ウザい。
まあ「○○」が事実でない場合にはそういう評価もやむを得ないのかもしれない。
個人的には端的に誤りを指摘すればいいのであって、わざわざミソジニ―とかレッテルはって発言者を貶める必要ないと思うけどな。
でも「○○」が事実の場合にまでそういうこと言うってのはなんなんだよ。事実なら問題ねえだろうが。女のみに顕著にみられる欠点があっても、その欠点は指摘すんなってのか?
女のみに顕著に見られる欠点なんてないって?
そんなわけないだろ。それこそフェミの連中が騒ぐように家父長制とかの下で抑圧されてきた女のメンタリティが、抑圧してきた男のメンタリティと同じわけないんだから。男にも女にも、その性のみに顕著にみられる欠点はあるんだよ。
「○○」は従来の社会制度によって女に植えつけられたものであって、女は被害者なのかもしれない。
だとしても、それが「○○」を指摘してはならない理由になるのか?ならないだろ?むしろ言ってやらなきゃ直せるもんも直せないかもしれないだろうが。
サヨク怖いなーと思わされる件。
blacksorceryという人の粘着ぶりと自信満々ぶりがなかなか素敵なので、ブクマじゃなくてここで皆に見てもらおうか
http://blog.livedoor.jp/tkok_sosk_8228/archives/52293253.html
に関する反応
・韓国批判はしてないと言いながら、韓国への中傷の嵐を巻き起こして、それをたしなめはしない。どういう人間かよくわかる。
・意見が独り歩きして意図しない方向に進んでいるんだったら元の発言者としては軌道修正しようとしてもいいんじゃない?その努力をしないというか放置しているんだから、黙認しているんでしょ
・で、軌道修正されたの?/ ↑嫌韓止めろの一言くらい呼びかけたってよくない?
・彼が嫌韓を顕にしたバカたちとtwitterで精力的に会話しているのをみてから、もう一度どうぞ。つうか、これ以上話すことはないな
難しいなぁ。
2ちゃんのバカのことなんか知らねーよバーカ、勝手に俺を神輿に担いで騒いでる奴の責任なんか取れるか、俺は一人で帰るぞ!ってんならわかるんだけど
そう言うわけでもないようだ。
確かに彼のTLを見ると、こういうRTをたくさんしてる。
自分の信念と、嫌韓厨、日の丸クラスタの人との区別がつかなくなってるのかな。
だとすると、明らかにそっち方向に傾倒しつつあるようだけれども。
この件に限らずTwitterの危険は当初からずっと言われているが、今回のは不適切発言なんて判りやすい形だから、こんな変な方向の問題提起になってしまってる。
Twitterの危険性は、今回のように「明らかに不適切な発言が垂れ流されること」じゃない。
「今Aさんと赤坂で飲んでます」程度の情報を、リアルタイムに気軽に発信可能な事。
別にAさんに関する不適切な暴露なんてなくていいし、犯罪を吐露しなくても良い。
上記の発言は、どうでもいいつぶやきで、炎上もしなければ、リプライも友人からの「良いですね♪」程度かもしれないが、Aさんがその瞬間赤坂に居ることを示してしまう。
そして、発言者にはその意図もなければ意識もなく、リテラシーなるものをある程度持ってる人でも、なんとなしにやってしまいそうなつぶやき。
自分で行動を逐一発信してる人とか居るが、それに比べたらグーグルのストリートビューなんて可愛いもんだ。
新しい技術が作られて、それが位置情報を含んだものの場合、多くの人は追跡やプライバシーを気にするのに、こういう一番ありそうな情報漏えいには、気を廻さない。
期待通りの反応キタ――(゚∀゚)――!! 超満足。ぶっちゃけえらそうなこと書いたら誰か我慢できずにこの返しをしてくれるかなー、ってのを試すだけが目的だったので本文どうでもいいや。
1:答えがない問(タイトルだけで内容がわかるような抽象度の高い話が良い)に対して
誰かが極論(できるだけバカに見えるほうが良い)を述べる。
3:最初の極論がバカであればあるほど、みんなが「こいつよりは俺のほうがいくらか頭よさそうに見える」と感じて自由に発言できる。
4:発言の幅が増えると、発言者同士の間で争いが起き、さらに炎上が加速する。
5:後になればなるほど、元記事を読まない人間が増加し、元ネタの影響力が薄まる。
6:元ネタの影響力が完全に消えた後、二次派生のネタに力がない場合は自然鎮火する。
330人ブクマした中で、原文を読んだ上で意見を書いた人は50人に満たないと思われる。
このPerroChienのtwitterでの自己紹介を読んだ人の数はさらに少ないだろう。
ヒト自認者の自己定義はすべて、ヒト社会権力に依る作為的なカテゴライズに基づいた帰属である。
それらはすべて虚構への帰属にすぎないが、あたかも自明のものと認識される。
ヒト自認者はその詐称によってヒト社会集団内で自己を確保するという莫大な利益を得ている。
一切のヒト帰属を拒絶しましょう。
この自己紹介を読んでいれば、この人の発言にいちいちツッコミを入れることが以下に野暮であるかわかったはずだ。
人間であることを否定している???からはどんな論理が飛び出していても全くおかしくないのだ。
「評価」とは、「評価される人間」が「有名か無名か」によって左右されるものである。
ある言葉が誕生し、その言葉が名言足りうるものであったとき、その言葉を発した者が有名人であった場合は、そのまま名言と評される。しかし、そんじょそこらの有象無象の発言であった場合、名言と評されることは滅多に無く、即座に雲散霧消するものである。無名な人がどれほどに素晴らしい言葉を、キャッチーな台詞を発言したところで、誰の目にも留まらない。評価などされるはずもなく、ただ消えていくのみである。
本当に素晴らしい文章で、人を惹きつけてやまぬ内容であったとしても、その文章を載せたサイト・ブログの知名度が無ければ、そもそも読まれることがないのである。ブクマしてそれが連鎖するなどとことはまず有り得ない。そんなものは都市伝説である。ましてや個人ニュースサイトが採り上げるなんてことも無い。
…いや、厳密に言うと有り得ないことはない。ただしそれが有り得るためには条件がある。
「有名人」の力添え。
これが絶対的に必要なのである。「有名人もしくは有名サイトがオススメした記事」という属性が付与されない限り、無名サイトの記事が日の目を見ることは決して無い。確実に無い。未来永劫有り得ない。
これが「ネームバリュー」。「記事」にではなく「名前」に価値があるということである。
例えば有名サイトと無名サイトが全く同じタイミングで、全く同じ内容の記事を、一言一句違わず完全に同じ文章で世に送り出すとする。内容は閲覧者の殆どが共感出来るような、いわゆる「素晴らしい文章」であるとする。さて、どちらに注目が集まるだろうか?
答えは語らずとも自明の理。「発言者が有名であるか否か」によって評価は決定する。ただそれだけ。
例えば個人ニュースサイトにおいても、有名無名の差は如実に現れてくる。この広きネットワールドに数多ある無名なニュースサイトがどこかの素晴らしい記事を紹介しても、それに注目が集まることはほぼ無い。そもそも無名なニュースサイトを見ている人間が絶対的に少ないというのもあるが。しかしいわゆる「大手ニュースサイト」が紹介したときには、アクセス数という名の絶対たる力となって目に見えて実感できるほどに注目が集まるのである。もちろんブクマなども集中する。
記事の内容など二の次。第一に判断されるのは「誰が紹介したか」なのである。
弱小ニュースサイトが採り上げた時点ではほぼ注目が集まらないが、その紹介をたまたま見た大手ニュースサイトが時間差で紹介すると、注目度は、そして評価は、そのタイミングで初めて一気に跳ね上がるのだ。そして「その記事を最初に発見した」のは、後で採り上げた大手ニュースサイトになるのである。
元発言がフルボッコにされているが、
そんな事よりこの発言から垣間見える問題を
咀嚼する事の方が大事なんではないだろうか。
「ピカがうつると思っているのか=呆れた差別」という意見が多いけれど
「結婚」を挙げていることから、たぶん見ているのは「孫」だろう。
生まれてくる「孫」に、またはその孫の産む「ひ孫」に、
さして不当ではないと思うのだ。
もっともちょっと扱い辛いのは
好きになった人が原発近隣出身だったとして
その好きになった事を咎められるかというとこれは人としてどうかと思う。
子供を作るとなるとやはり熟考しなさいと言わざるを得ない。
そういう問題が出てくるぐらいなら、
付き合い始める前に、フィルターを通しておきなさいというのは
生きていく上での知恵のようなもの、と思うのだが
これも人として恥ずべき「差別」なんだろうか。
少なくとも、「実際には無い事象に対しての差別」ではないと思うんだが。
勤めを捨てて引っ越す事が困難なことは確かだし
子供たちが生活する地を選べるわけでもないので
そもそもとてもシビアな問題だけど、
これは数年後、十数年後に確実に問題になるだろうと思う。
ではどうすればいいかと言うと、
将来的に子孫には放射線の影響が
多かれ少なかれ発生するという事を
行政に言わせる事がまず第一だと思うのだ。