はてなキーワード: 様態とは
ブラックな面に関しては、ネット上ですっかり広まってるような「ブラック企業あるある」では全然挙がらないようなものがかなり多かったのに、
俺が経験した2社では色んな点で被ってたから本当に不思議だった。
鬱病休職者が出た時に「うわぁマジかあ……あいつ遂に障害者になっちゃったのかあ!!!」と顔を覆う同僚がいた点。
鬱病休職者が復帰した後、女性社員の一部が『挨拶されたこと』、『(仕事にまつわる)内線がかかってきたこと』を涙を流さんばかりに怖がって周りの同僚たちに慰められているという光景。
社内の常識的にメンタル休職=人の形をしたバケモノの誕生だった。
〇セクハラ
セクハラはブラックあるあるなんだろうけど、具体的な手口まで全く同じセクハラがいくつかあった。
同期飲みのときに、男性陣がニヤニヤしながら大人しいタイプの女同期に遠回しのセクハラ言動を投げかけてチキンレースする遊び。
ターゲットの女同期に対して白子ポン酢をさりげなく食べるよう勧めてその子が実際に口に入れるやいなや一人の男が「アッ‼あっ…ああ……」と射精っぽい声を挙げて他の男性陣が爆笑する、
「あの、ちょっといいですか?〇〇(AVメーカーや有名なAVのシリーズ)って知ってますか?」と他意のない風に問いかけてニヤニヤする、
これら二つのセクハラ手口まで被ってたのを見て自分がデジャブを起こしたのかと衝撃を受けた(もしかしてこれSNSとかで流行ってたのか?)。
言うまでもなく上司から若手女性社員に対するボディタッチとか、えぐいセクハラLINEとか、上司が女性社員たちだけを飲みに誘ってホステス扱いするとかもあった。
〇パワハラ
ポンコツ社員をみんなの前で立たせながら、あるいは別室に移動して1~2時間大説教。
大説教の最中はまるでその場で何事も起こっていないかのように完全に黙り込んで仕事を続けていた周りのみんなが、上司とポンコツ社員が離席したタイミングで爆発したように湧き上がって『ヤベえぞ!!ヤベえぞ!!(笑)』と最高に楽しそうに盛り上がる点、
パワハラといえばあの人!みたいな社員がたくさんいて、彼らが他の社員から顰蹙を買うということはなく、むしろパワハラ被害とは無縁でいられている社員たちが皆「あの人俺にはすげえ優しいんだよな」と誇っている点、
『おめえぶっ殺すぞ!!』とか『てめえの親ここに呼んで来いよおおおおお!!!』とか一発アウトを通り越してるような異常言動が出た時は周りが完全に同じタイミングで「ガーッハッハッハハハwww」と大爆笑することで冗談の体を守り通そうと忖度する点、
これらは共通してた。
とか
「あいつはこうこうこういうミスして何やってももう怒鳴られるようになったんだぞ(笑)」
とかレクチャーして心を掴もうとする連中がたくさんいる。
〇会議
発言を求められた社員が頓珍漢なことを言うというか、10文字くらい発声したタイミングで揚げ足取ったりツッコミ入れたりして発言を完遂させない。
例えば
社員「それに関してですg」
上司「いや、それってなんだよ(笑)どれ?これのこと?これはボールペンだよ?そんなこと聞いてませんよ?(笑)それともこれ?これは手帳ですよ?(笑)」
とかマジでこんな感じ。
凄い強引に笑い物にする。で、周りの社員が「ガーッハッハッハハハwwwwww」と大爆笑して和気あいあい風を演出するまでがワンセット。
(ていうか、全く同じタイミングでそこにいる皆が一斉に大爆笑し始めるのって某巨大新興宗教団体もそうだけど、 あれってマジでなんなんだろ)
嘱託社員に対して「おめえ今日も座りにきたの?」とか「あんた何言ってんのかわかんねえよ」とか課長や次長が率先して喧嘩売りに行ってた。
『パワハラモンスターみたいな先輩社員や上司にどれだけ好かれているか』
が今後の出世のバロメーターになるみたいな地獄みたいな認識が共有されていたので、なるべく目立つようにフロア中に響き渡るような大声出して
自分の親と同じくらいの年齢の嘱託社員をめちゃくちゃに罵倒して侮辱するキレ芸に走る奴が何人かいた(恐ろしいことに、こういうことやる若手や中堅が本当に出世していってた。まあ基本的に年功序列だから誤差みたいな違いだけど)。
ウソみたいだけど、これまであげた様々なブラック面、かなり具体性があるのにもかかわらずどっちのブラック企業でも共通している点だった。
2社目に入ってしばらくは「また同じような会社を引き当ててしまうなんて俺はなんて運がないんだ」と愕然としたけど、
やがて「こんな都合よく似通うものなのか?これって本当に偶然なのか?」と疑うようになった。
つまり、遺伝子と形質の関係のように、会社を近似のブラック環境たらしめる何かがあるんじゃないかと思うようになったのだ。
それがなんなのか探り当てることはできていないのだが、何かヒントになるものが潜んでいるかもしれないので2社間の細かい共通点を列挙していこうと思う。
こんなブラック企業はごめんだ、絶対に人生で関わり合いたくないという人の参考になれば幸いだ。
・平均年齢45歳(毎年多少の変動はあるけどまあこのくらいだった)
・平均年収800万弱
職場公認のサンドバッグみたいな立場の人だと年収700万で頭打ち。
順調に出世すれば50歳くらいで年収950~1000万くらい。
平時だと8時出勤20時退社がデフォで繁忙期だと23時退社。年1回特定の短期間だけ27時退社がデフォになる人はいた。残業代は月30時間までつく。
あくまで平均なので、かなりレベルが低い大学の出身者も結構いた。一方で上振れはあまりなくて早慶以上出身者は少なかった。
・女性社員がナチュラルセクハラ以外ではめちゃくちゃ大事にされている
どんなパワハラ怪物も女性社員には猫なで声でめちゃくちゃ優しく接していたし、産休育休取得は余裕だし、定時退社がデフォだった。
だから寿退社する人はそんないなくて、30~40代(10~20年選手)の女性社員がめちゃくちゃ多い。
(ゆえに女性社員の多くはパワハラ上司がどんなに暴れていようとビビッていなかった。「〇〇ちゃんまた大暴れしてたね~(笑)」とかキャラ化して人間模様を楽しんでる感すらあった)
無論、早出の部分には残業代はつかないし、恐ろしくてつくかどうかを尋ねたことすらない。
多分、実際に訊いたとしたら訊いたという行動自体が罪になって一気に社内カースト最下位になったと思う。
・社員の大半が既婚者
・離職率がめちゃくちゃ低い(平均勤続年数20年軽く超えてた)
・今後50年はまあ潰れない
・「うちの会社ほど悪い人がいない会社はなかなかない」と言い合っている
・「社名 ブラック」とか「社名 パワハラ」とかでググっても全然醜聞が出てこない
・髪型とか身に付けている小物とかを工夫して、外見を意図的に昭和っぽいヤクザに寄せてきてる役職者がポツポツいた。
でも学生時代本当に本職顔負けの武勇伝に溢れてた人が中央法とかに行ってお行儀よく新卒で固い会社に就職して、
みたいな人生行路を歩むはずがないのでゴッコなんだろう。
となると40代、50代にもなってまだ精神性が中高生並みということになってしまう。
【追記】
しかも給料は悪くない会社みたいだから、下手したらこの手のセクハラ・パワハラしている人が、社会的に立派な肩書きを持っていることになって、許容されていると思っちゃうわけだから。
天下に轟く大企業!!とかでは全くないけど、
親なんかは「(手堅い、安心という意味で)いい会社に受かったねえ」と安心するし、住宅ローンの審査は超余裕で通るし。
それだけに、中に入ってから異常性が炸裂している様をありありと見せつけられて大ショックだった。
あとそこに関して自浄作用が全く働いてなかったのも絶望的だった。
付け加えておくと、社員が100%異常者ってわけじゃ決してなくて、
(あくまで俺基準だと)40%くらいまともな範疇に入るような人だった。
それこそ人格的に優れていて仕事もできて~みたいな聖人みたいな人は2%くらいいた。
ただ40%くらいいる”まとも”な社員たちも
パワハラには加担しないまでも、目の前で繰り広げられるパワハラを苦笑いで見守り、ひと段落ついた頃にパワハラ加害者に対して「ずいぶん怒ってたね~(笑)」とか調子は合わせるし、まあ傍観者のスタンスでいた。
聖人みたいな人はというと、
異常社員もパワハラ被害者もイジメ被害者も分け隔てなく慈しんでいて、全員で仲良くやりたいみたいなタイプだから、パワハラの最中は悲しそうにしていて、終わったあとはタイミング見計らって被害者のとこいって慰める程度にとどまっていた。
従って、自浄作用は働きようがなかった。
で、残り60%の「普通じゃない人」はさぞかしキチガイ極まってると思われるだろう。
確かに彼ら彼女らは間近で行われているパワハラを完全に余興のように楽しんでいたし、時に「あいつ(パワハラ被害者)朝眠い眠い言ってましたよ?ここは一発指導したほうがいいんじゃないっすか?(笑)」とか上司を煽ってパワハラ誘因するときすらあったし(上司のほうも「ほんと~?(笑)じゃあやっとかないとね(笑)」とか冗談めかしてにこやかに返していたのを見るに、マジで当事者はエンタメとして楽しんでたんだと思う)。
ただ、彼らはどっからどう見ても外形的にはまともの中のまともだった。
30歳過ぎても高校や大学時代の仲良しグループたちとBBQ行ったり、家族ぐるみで川に遊びに行ったり、完成した新居に呼んだり呼ばれたり~みたいな、キチガイでは到底築きえないような人間関係の輪を彼らは持ってたし、加えて彼らの多くは良き家庭人・良き父親であった。
マジモンのキチガイや性悪でも友達は作れるけど社会に出ると同時にフェードアウトされるのが普通だと思うし、30歳過ぎてまで家族ぐるみの友人付き合い維持できるなんて人格破綻者ではないことの証明だと思う。
じゃあ、なんで彼らが会社では異常者や異常空間形成の共犯者に化けてしまうのか不思議なところだが、
武士がお家を守ることにアイデンティティを抱いていたように、彼らは習性として自分が属するコミュニティの様態や安定性を維持することに全力を注ぎ(告発や改革などもってのほか)、結果として”会社共同体ではキチガイなのに非利益共同体では良き隣人”という矛盾を孕むことになったんじゃないかと。
となると、会社という”器”それ自体がキチガイ性や異常性でもって均衡が保たれてるのかって話になるけど、もしかしたらそういうオカルトじみた現象ってあるのかもしれない。
ジェルばんは! 気に入らない点があったので全訳を投下しておく。なお校正ではないが元の訳と一致している部分があることは否定しない。先駆者に感謝する :
最近はほとんど眠れていない。ずっと職場にいて、brain fog[頭に霞がかかっている症状]を感じる。[そう感じるのは]過労のせいかもしれないが、自分が超現実的な世界にいるように感じている。
パンドラの箱は開いた──夏までには真の世界的恐怖が始まる──世界的飢饉は避けがたく[1]、なぜならロシア及びウクライナは小麦の主要生産者である。[英訳者註: 訳者は世界的飢饉を招くという考えには同意しない。] 筆者は指導部において何ものがこの[ウクライナ侵攻]作戦の実行の進行の決断を手引きした[2]のかについて述べることはできないが、しかし、いまや彼らは方法論的に我々[FSB]を非難している。我々は我々の分析結果についてしかられている。近頃は我々に対しさらに多くの報告書を提出させる圧力が高まっている。あらゆる政治的コンサルタントや政治家や権力者が混沌を引き起こしている。もっとも重要には、かような戦争が起こることは誰も知らなかった──誰もから秘匿されていたのだ。
例えば──あなたはロシアに対する隕石攻撃による様々の影響や結果を分析せよと言われたとする[英訳者註: 西側の制裁を指すと思われる]──然してあなたは攻撃の様態を調査し、そしてこれはたんなる仮定の話で詳細は重要ではないと言われ、そこでこの報告書はたんにいずれかの官僚の検査項目を埋める目的のもので、分析の結論はロシアに好意的なものでなければならず、さもなくばよい仕事をしないことについて尋問されると考える。然して作成者は、我々は所与の攻撃形態について、すべてその影響を無効化する手法を持っている、と書くのである。我々はまったく過労状態にある。ところがそののち、たんなる仮定が現実に変わったことが明らかになり、そしてそのたんなる仮定に対して我々のなした分析はまったくのがらくたなのだ。我々が制裁に対して回答を持たないのはこのためである。誰もそんな戦争がくるものとは知らないから、誰も今般の制裁に対して備えていないのだ。これは秘密性の裏返った結果である──皆とも暗闇におかれているのに、どうして備えができよう?
カディロフは乱心した。ウクライナ人がキエフにいる彼の部隊に関する情報をFSBから入手したと主張したため、我々[FSB]は彼との衝突に近いところまで行った。カディロフの部隊は戦闘の機会を得る間もなくまったく破壊され粉々になった。筆者にはあれがFSBからの情報漏洩であったかはわからないので、可能性として1-2%は見てよいと述べよう。──しかしこの可能性を完全に排除することはできない[和訳者註: 栄えあるFSBがリークすることなどない、と言っている]。わが電撃戦は完全に崩壊した。この任務を完了することは不可能である: ゼレンスキーとかの閣僚[deputies]が緒戦の三日で確保され、主要建造物が制圧され、そして国内へ降伏演説を読み上げることを強いられたならば、ならばウクライナの抵抗は霧消し最小限となっただろう。理論上は。
しかし、そのあとは? この _理想的_ な結果においても、解決不能問題が残存する: 我々と交渉する対向側には誰が就くのだ? ゼレンスキーを排除したとしよう──いいだろう──誰が文書に調印する? ゼレンスキーが署名したのでは彼を排除したのちには意味がなくなる。ОПЗЖ(ロシアと協調しているウクライナ野党)は強力を拒否した。臆病者のメドベドシュクは逃亡した[和訳者註: メドベージェフではない]。他にも指導者──ボイコがいるが、彼も拒否したし、彼の取り巻きさえ納得はしないだろう。ツァリョヴァを引き戻したいものだが、我々ロシア側の者でのなかでさえ彼には反対がある。ヤヌコヴィッチを連れ戻す? どのように? もし我々が占領できないというのであれば、新政府は我々が撤退すると同時に10分で崩壊するであろう。占領する? そんな人員をどう確保する? 占領司令部、憲兵隊、対諜報、保安──ウクライナ人の抵抗を最小限と見積もっても、補給兵站を除いて50万からの人員が必要になる。ひとつ法則がある──質のよくない指導力を量で補おうとすれば、全てが悪化するのだ。繰り返しになるがこの問題は _理想的な状況_ における問題であり、そしてそんな状況は存在しない。
そして今度は何か? 我々が全軍動員を発令することができない理由が二つある:
1) 動員はロシア国内の状況崩壊を招く: 政治的、経済的、社会的[状況]。
2) 我々の補給線はすでに過伸展状態にある。ウクライナに状況対処部隊を送ることは可能であろう、しかし我々は何を得る? ウクライナ──[彼らは]領土的大国、彼らの我々への憎悪は天文学的である。[3] 我々の道路はひらたく言ってそのような車列の補給を担えず、すべては停止状態へ至る。そしてこの混沌では我々は管理側から成すこともできにあ。これら二つの理由は並列に存在するが、しかし一つだけでも全てを破壊するに十分である。
こ/の/文/章/を/読/ん/だ/お/ま/え/た/ち/は/雄/宙/武/山/原/石/に/し/て幌/来/部/取/締/役/組/の最/古/こ/と/星/街/す/い/せ/い/の/チ/ャ/ン/ネ/ル/登/録/を/し/ろ
ロシア軍の損失に関して: 筆者は状況を知らない──誰も知らない。当初の二日間は多少の情報があったが、今やウクライナで何が起きているのか誰も知らない。我々は複数の主要師団との接触を失った。(!!)[和訳者註: 露軍の場合、師団(旅団?)1あたり5千人] 彼らは接触を再確立するか、あるいは攻撃により散逸するものか、そして指揮官も何名が戦士、負傷、あるいは捕虜となったものか知らないのだ。総死者数はまちがいなく千の単位であり、一万か、五千か、あるいはわずか二千かもしれない。しかしわが司令部にあっても誰も知らない。しかしロシア兵一万の損失に近いであろう。そして我々はDNRとLNRの損失を計上していない[和訳者註: ドネツク人民共和国、ルハンスク人民共和国。先の侵攻で樹立したロシアの傀儡国家。] いまもし我々がゼレンスキーを殺害ないし捕虜としたとして、何も変わらない。我々への憎悪はチェチェニアと類するものである。そしていま、ウクライナにおいて我々に忠実であった者すら、公に我々に反抗しているのである。なぜならこれらすべては(ロシアの)頂点において計画されているものであるため、なぜなら我々にはかような事態(ウクライナ侵攻)は我々が攻撃を受けるのでない限り発生しないと伝えられてきたため。なぜなら平和的に交渉による結果を引き出すため我々は脅威度を最大限に高めねばならないと伝えられていたため。なぜなら我々は一切ウクライナ侵攻を考慮することなくウクライナにおけるゼレンスキーへの抗議活動を既に準備していたため。[4]
母さんは死んでしまった。
病院から様態悪化の連絡があってから一緒に病院へ行ったね。死の二日前だった。
あなたは会いたいというより義務感から僕に付いてきたという感じだった。
前々から気になっていたんだ。
嫁いでもう50年だもんね。そりゃあ、実家にいたときとは違って当り前だよね。
顔を見ても誰だか分からなくなってしまった母に会ってもしょうがないから......
しょうがなくてもしょうがなくなくても、心配してしまうのが血縁というものじゃないの?
忙しくてもつい気になって会いたくなるのが身内というものじゃないの?
家に来るとあなたと母は大声でしゃべり合い、大声で笑い合ってた。
同じ町内だもの。嫁いでからもいつも実家に来て明るい性格な者同士でそりゃあにぎやかだったよね。
同居の義父母の世話は完璧だったのに。
毎日、病院へ行って本当の親子みたいに尽くしてた姿が脳裏にある。
でも、あなたは実母の世話は1年に2~3日でも多い方だった。
それも僕が頼んだ時だけ仕方なくという感じで。
実母の世話の優先順位がかなり下の方にあるのに気づいた時はショックだったのを覚えている。
何回も見損なったものだ。
そして見損なうたびにあなたとの心の距離は離れて行ってしまった。
取り返しのつかないくらいに。
でも、変わってはいけないもの、忘れてはいけないものがあると思うんだ。
でも、いい方向に変わりたいよね。
僕にとっての母は、自分の次に大切な人だった。
あなたにとっての母は、おそらく7番目か8番目に大切な人だったんだろうとは思う。
死を前にした母に対面するとき思ったんだ。
同じ温度差の人と一緒に対面しないとしらけると。
あなたは、衰弱してしまった母を見て、よそのおばさんでも見るようによそよそしかった。
そして、いよいよ危篤となったとき、あなたは電話に出なかった。
父の時もそうだったね。
そりゃあ、深夜にスマホで起こされて病院へ駆けつけるなんてしんどいさ。
そして電話があったら飛び起きて駆けつけない?
僕は、深夜、ひとりで母親の死と対面した。
父の時もそうだった。
(どうしてひとりかって?)
-----------------------------------------------------------------------------
姉は僕がゲイなのを知っている。
(親にもカミングアウトしたけど、なんかイマイチ理解できなくて困惑した。大正生まれだもんな。でも姉の世代なら理解できていると思ってたけど違った。
今後、あなたが結婚するかもしれないからとか訳のわからないことを言っていたね)
そして僕が母を一番大切な人だと思っているのも知っていると思う。
長女が死に、長男が死に、末っ子次男として生まれ、田舎の農家の跡取りとして大事に育てられたのにゲイで結婚できないという悪夢のような現実。
------------------------------------------------------------------------------
葬式の時、あなたは悲劇を一手に背負いながらも気丈に振る舞うという女優を演じきった。
仏壇のお花も四十九日の法要もご香典も誰かが見てる前では完璧に良い娘を演じきった。
でも、本当に大事なことはそういうことかしら?
本当に大切なことっていうのは、生きているうちにしないと意味がないのよ。
生きているうちにいっぱい会って、いっぱい話して(ボケててもいいから)、いっぱい介助しないと意味がないのよ。
死んでしまってからいくらお花を飾っても、いくら拝んでも、いくらお金を積んでもなんにもならないのよ。
でも、あなたはそのことを後悔しないのよね、たぶん。
忘れてはならない大切なものとして兄弟ふたりで共有していると勝手に思っていた。
でも違った。
そのことが残念でならない。
もらった愛情の半分も返せなかったけどね。
それが心残り。
ジ・エンド。
母さんは死んでしまった。
病院から様態悪化の連絡があってから一緒に病院へ行ったね。死の二日前だった。
あなたは会いたいというより義務感から僕に付いてきたという感じだった。
前々から気になっていたんだ。
嫁いでもう50年だもんね。そりゃあ、実家にいたときとは違って当り前だよね。
顔を見ても誰だか分からなくなってしまった母に会ってもしょうがないから......
しょうがなくてもしょうがなくなくても、心配してしまうのが血縁というものじゃないの?
忙しくてもつい気になって会いたくなるのが身内というものじゃないの?
家に来るとあなたと母は大声でしゃべり合い、大声で笑い合ってた。
同じ町内だもの。嫁いでからもいつも実家に来て明るい性格な者同士でそりゃあにぎやかだったよね。
同居の義父母の世話は完璧だったのに。
毎日、病院へ行って本当の親子みたいに尽くしてた姿が脳裏にある。
でも、あなたは実母の世話は1年に2~3日でも多い方だった。
それも僕が頼んだ時だけ仕方なくという感じで。
実母の世話の優先順位がかなり下の方にあるのに気づいた時はショックだったのを覚えている。
何回も見損なったものだ。
そして見損なうたびにあなたとの心の距離は離れて行ってしまった。
取り返しのつかないくらいに。
でも、変わってはいけないもの、忘れてはいけないものがあると思うんだ。
でも、いい方向に変わりたいよね。
僕にとっての母は、自分の次に大切な人だった。
あなたにとっての母は、おそらく7番目か8番目に大切な人だったんだろうとは思う。
死を前にした母に対面するとき思ったんだ。
同じ温度差の人と一緒に対面しないとしらけると。
あなたは、衰弱してしまった母を見て、よそのおばさんでも見るようによそよそしかった。
そして、いよいよ危篤となったとき、あなたは電話に出なかった。
父の時もそうだったね。
そりゃあ、深夜にスマホで起こされて病院へ駆けつけるなんてしんどいさ。
そして電話があったら飛び起きて駆けつけない?
僕は、深夜、ひとりで母親の死と対面した。
父の時もそうだった。
(どうしてひとりかって?)
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姉は僕がゲイなのを知っている。
(親にもカミングアウトしたけど、なんかイマイチ理解できなくて困惑した。大正生まれだもんな。でも姉の世代なら理解できていると思ってたけど違った。
今後、あなたが結婚するかもしれないからとか訳のわからないことを言っていたね)
そして僕が母を一番大切な人だと思っているのも知っていると思う。
長女が死に、長男が死に、末っ子次男として生まれ、田舎の農家の跡取りとして大事に育てられたのにゲイで結婚できないという悪夢のような現実。
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葬式の時、あなたは悲劇を一手に背負いながらも気丈に振る舞うという女優を演じきった。
仏壇のお花も四十九日の法要もご香典も誰かが見てる前では完璧に良い娘を演じきった。
でも、本当に大事なことはそういうことかしら?
本当に大切なことっていうのは、生きているうちにしないと意味がないのよ。
生きているうちにいっぱい会って、いっぱい話して(ボケててもいいから)、いっぱい介助しないと意味がないのよ。
死んでしまってからいくらお花を飾っても、いくら拝んでも、いくらお金を積んでもなんにもならないのよ。
でも、あなたはそのことを後悔しないのよね、たぶん。
忘れてはならない大切なものとして兄弟ふたりで共有していると勝手に思っていた。
でも違った。
そのことが残念でならない。
もらった愛情の半分も返せなかったけどね。
それが心残り。
ジ・エンド。
身バレ防止の為多少のフェイクを混ぜつつ、記録として残していきたい。
全員ワクチンを2回接種済
経緯
1/9 夫、喉の痛みを感じる
1/10 夫、38.7度の発熱。しきりに「大丈夫大丈夫」と言うが熱が下がらなかったら医者に行くように説き伏せる
夫と自分、娘は普段同部屋で寝ていたが、部屋を別けマスクをつけ就寝。
1/11 夫、解熱しない為受診しPCR検査を受ける。高齢の姑がいるため、陽性だった場合ホテル療養が可能か調べてもらう。
1/12 夫、16時頃病院より陽性と告げられる。この頃には発熱、倦怠感など消失していた。
娘、姑のどの痛み、倦怠感を覚える。その後二人とも38度の発熱。
1/13 私、喉の痛みと咳の症状が出る。保健所から連絡は来ていないが症状が出て居る為近所の病院で検査を受ける。
全員陽性。私、夜中に38度の発熱。
姑の急変が心配されるため主治医と保健所に指示を仰ぐがその時点で36度台に解熱し様態が安定してた為、自宅内にて様子観察となる。
1/14 私、娘、熱が下がる。若干の倦怠感と咳のみ継続。娘の倦怠感は継続。
夫、倦怠感も発熱も無し
姑、倦怠感は持続。熱は無し。
1/15 私、娘、姑、全員倦怠感も熱も無し。
まとめ。
・感染の経緯⇒不明…と言いたい所だが3連休前と間に夫が友人たちと飲み会をしていた。
オミクロン株の潜伏期間が3日なら7日飲み会→9日発症で全部辻褄が合う。他の家族が外でマスクを外さない&外食を控えているため、多分これが原因。馬鹿野郎。
・保健所はパンク状態。此方から連絡してやっと繋がる状態。15日の時点でまだ連絡が来ない。
・病院の待合場所が若者だらけ。報道通りオミクロン株の感染者は20台や30代の若者が多いと思われる。
・症状は風邪と同じ。すぐ解熱したがワクチン打ってない人は重症化のリスクがあるみたい。打っててt良かった。
・それでも発症から10日は自宅軟禁。その間、娘は通学禁止、私も仕事に出れず。娘にガチ切れされた夫がションボリしてた。
・一人が発症すると我が家の様な狭い部屋に大人数な家族は家庭内感染は防ぐのが難しい。
のどの痛みを感じた時点で夫が感染症対策(別の部屋で寝る、マスクを装着する、夫の触る箇所はその都度除菌)などを
・感染理由として、年末年始の忙しさから家族全員免疫力が多少落ちていた可能性もある。
・会社に穴をあける事を謝しまくった。みんな感染症だから仕方ないよ!と言ってくれた。圧倒的感謝…!
夫の事もそう見れる様にしたい…したい…したいんだけどなぁ…
こんな所に書かないで様態をみてやってくれ。
まあそれが酷いって話をするんだけど。
丸川珠代五輪担当相は10日の閣議後の記者会見で、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が9日に東京・銀座を訪れたことについて、「不要不急かどうかは本人が判断すべきだ」と述べた。
加藤氏は、新型コロナウイルス対策について「大会関係者は入国後14日間は行動範囲が限定され、公共交通機関の不使用などがプレーブック(規則集)で定められている。一方、入国後15日を経過した者は適用を受けない」と説明。7月8日に入国したバッハ氏は行動制限の対象に該当しないとした。「不要不急の外出に当たらないのか」との質問に対しては「各人に、状況に応じて適切に判断していただく」と述べ、当事者に任せているとした。
ブコメでも指摘のある通りこれは既に同趣旨の答弁がある。田島麻衣子議員が緊急事態宣言中に「単身赴任をされている国民が家族に会うため、県をまたいで移動」、「ゴールデンウィーク、お盆、年始年末などに国民が帰省」することなどを上げ「不要不急の外出・移動」に当たるのかと聞いた質問主意書に対する答えである。
お尋ねの「不要不急の外出・移動」については、「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(令和二年三月二十八日新型コロナウイルス感染症対策本部決定、令和三年二月二日変更。以下「基本的対処方針」という。)において、「医療機関への通院、食料・医薬品・生活必需品の買い出し、必要な職場への出勤、屋外での運動や散歩など、生活や健康の維持のために必要なものについては外出の自粛要請の対象外とする。」との考え方を示しているところであるが、お尋ねの行為が「不要不急の外出・移動」に該当するか否かについては、国民の皆様において、それぞれの生活状況等に応じて適切に判断いただくものと考えており、一概にお答えすることは困難である。
今回の発言はこの考えをそのまま踏襲したものだと考えられる。しかし、問題もある。
この質問主意書に対する答弁は一般論としての答えなのである。「それぞれの生活状況等に応じて」と答えているように具体的な状況によって何が不要不急に当たるか変わるのは当然だろう。ところが、政府にその細かい事情まで把握することは不可能である。単身赴任で家族に会うための県をまたいだ移動という条件を付けてもどういった事情で会おうとしたのかは分からず「一概にお答えすることは困難」だ。
もちろん現体制では「お願い」レベルに過ぎずこう答えざるをえないという解釈もできる。結局最終判断は個々人に権限があるのだというわけだ。しかしそれはどういった行為が適切か否かを例示することを妨げるものではない。実際「医療機関の通院…生活や健康の維持のために必要なもの」は自粛要請対象外だと示している通りだ。
ところで、バッハ会長の銀座散策については政府は事情状況様態全て把握できる立場にある。何なら国民の多くはバッハ会長の散策に不要不急の事情があったとは思っていないだろう。
政府が事情を把握しきれない出来事に当事者が適切な判断をしてくれと言うのと、政府が事情を把握している実際の個別案件について当事者が適切に判断することだと言うのではニュアンスの違いを生じることに留意しなければならない。つまるところ後者は具体的行為を追認しフリーハンドを与えたも同然である。それなら「個別事案にはお答えできない」とか言ってくれた方がマシだ。
どんな事情があっても不適切であると言えるような事象、例えば路上飲みに対して本人が判断することだと言った時の悪影響を考えてみてほしい。今回はそれと同様なのである。
ここからが一番書きたいことなのだが、政府は場当たり的でその場逃れなメッセージを発することをやめるべきだ。恐らくメディアにこういった質問をすると事前通告された時、官僚は過去の答弁をサルベージしてそのまま引用できそうなものを見つけてきたのだろう。だが文脈によって言葉の与える印象が変わることを等閑視している。確かに過去の発言の踏襲に過ぎないと言えば簡単にその場は逃れられる。しかしながら、今の状況ではリスクコミュニケーションとして国民にどういったメッセージを与えるかというのを第一に考えてもらわなければ困る。そうでなければ統一的なメッセージが発せられず政府見解の信用性は地に落ちる。まあ既に落ちてるとは思うが…、いずれにせよ負の「レガシー」ができてしまったことは事実だ。
「何者かになりたい」と願う人とそうでない人、どこが違うのか
あままこ氏
これ、本当に「何者か」を目指してる人は除外対象だと思うんだよね
・料理人を目指している
etcetc
実力が伴うに越したことは無いが、実力が無くても本心から求めて真剣にやってる人というのを「何者かになりたい人」などというのは失礼だ
真剣にやってない人って誰?というと「ワナビー」の人たちで、分かり易いのは「小説や漫画」だが、こういう人は本心はどうあれ対外的な表層が「小説家になる」「漫画家になる」となってる
キョロ充という言葉が昔あったが、これも同類で、表層が「リア充グループの人」であり、その表層と自己の在り様をすり合わせるためにとる行動が、客観的にはキョロ充などと揶揄される行動になってしまう
小説家や漫画家の「ワナビー」も、表層に合わせた言動が「実」を伴わないために、客観的に「ワナビー」と揶揄されるものになってしまっている
本人はリア充のつもりとか、本人は漫画家を目指してるつもり、とか揶揄されるが、立ち位置がその振る舞いを要求するだけで、本人は別に目指してはいないんじゃないかね
嫌ならそのアバターを脱げ、という部分で、擁護をしたいとまでは思わないんだけども
・家庭的な自分
なんてのがあったりする
「特定界隈で尊重されている自分」の典型は、「会社で凄い稼げるオレ」だったりするが、実態が伴わないことも多かろう
昨今はSNSなどで、これらを手軽に堪能できる状況も出来上がっている
一番お手軽なのは、フェミニズム成分の強いリベサになってみる事だろうか
同志が集まって「いいね」してくれたり、まとめなどに出向いて正義を執行できる
話がずれたが、所属するコミュニティ毎(家庭、会社、友人、SNS)に異なるアバターを被るものは一定数いると思う
というか、すべてを素の自分だけで過ごしている人などごく一部だろう
「何者かになりたい」というのは、このアバターと自身のずれによって引き起るものではなかろか
サロンに参加してみたり
ボランティアやってみたり
所謂「何者かになりたい」という言葉で表現されるような衝動・行動というのは、概ね肥大化したアバターが原因であり
婚活登録した人が、本当に結婚したいのか、アバターに伴う「常識」がそうさせるのか
どちらが虚でどちらが実か
見えてる表層だけで、軽々に語られていいものじゃないだろう
叔父さんは、奥さん(自分から見れば叔母さん)に数年前に先立たれた。両親(自分から見れば祖母)より早く娘がなくなるのは驚きしかない。
かつては家族4人で暮らしていた都内の駅チカマンションに一人で暮らしている。なかなかいいマンションなので、今でも結構いいお値段がする。
叔父さんは、東大を出た後、某有名企業で重役まで上り詰めた。親戚一同で集まる機会があれば、できるビジネスマンみたいな雰囲気が凄く会った。
接待の多い業界なので、親戚の中でも色々な人と話で盛り上がっていた。定年後は、子会社の社長に落ち着くというエリート路線であった。
それで子会社の社長もやめ、その後相談役みたいなちょっとだけ行く仕事も終わり、さぁと思った所で叔母さんが病気になり看病に明け暮れた。
最後はもう疲れて切っていて、叔母さんの様態がちょっとよくなったと聞いた時に、なんか落ち込んでいたと親戚の人が言っていたぐらい疲れていた。
息子は2人いるが、一人は遠方に行ってこっちに返ってくる見込みのない職種。もう一人は首都圏に住んでいるが、まぁ父親と息子というのは、そう頻繁にあう間柄でもない。
それで久々にあった叔父さんは、奥さんに関係があるものをすべて断ち切りたい様子だった。自分は叔母さんの弟の子供なので、こっち側である。
俺も関わり合いたくない人間らしい。別に、俺が頼んで叔父さんと会ったわけじゃないんだけどな。
仕事がすべてで趣味の話なんか聞いたことない叔父さんは、今凄く孤独になっている。そして本来今を楽しむはずだった、奥さんの記憶を少しでも消すのに精一杯みたいだった。
葬式の後すぐに、家にあるすべての女性もののバックを買い取りに出したのは驚いた。最初は愛人がいて、再婚したいから整理したのかと一瞬思ったが、そんな人はいないらしい。
学歴と過去の仕事のプライドだけで辛うじて生きているらしい。過去の自慢話につきあわされた。本題はそこじゃないだろ。店が早く閉まってくれるご時世でよかったと思う。
親戚や知人を見ると、妻に先立たれて生き生きしている人はほぼ見たことない。反対は、夫に先立たれて生き生きしている人は多い。
老後の不幸回避は辛すぎ。
接触感染については手洗い、消毒などで対策が可能であり、これはイメージしやすく混乱も少ない。
一方、飛沫感染についてはイメージが付きにくいので、以下で整理していく。
3密を避ける。密でなくても、人に正対することをなるべく避ける。
マスクをする。なるべく不織布など目の細かいものを使うことが有効。フェイスシールド・マウスシールドだけではほぼ無意味。
3密を避ける。
マスクをする。なるべく不織布など目の細かいものを使うことが有効。人と正対することが避けられなければフェイスシールドをマスクと併用する。フェイスシールドのみは小粒径の飛沫を避けられないので防護柵たり得なさそう。
3密にしない。特に人の動線・配置をちゃんと考えること、換気を徹底すること。
感染者の体内で増えたウイルスが、感染者が吐き出す飛沫を介して飛散し、その吸い込み(あるいは飛沫付着部への接触を介して体内に取り込まれる)によって感染を起こすもの。
飛沫と一口に言ってもサイズ分布は大きく、mmオーダーからnmオーダーまでありうる。
飛沫が大きいほど、含まれるウイルス量が増え、空気中に漂える時間(寿命)が短くなると考えられる。
基本的に、くしゃみや咳などの比較的強い気流が発生する状況で飛散する。
マスクをする。ネックゲイターなどの目が粗いものでも大粒径の飛散は防げるが、細かくなって飛散することが想定されるので結果としては感染防止になりにくい。フェイスシールドは大粒径飛沫がジェット的に拡散することを防げると思われる。マウスシールドは、ツバぐらいは止めててくれるかもしれないが、効果は相当低いんじゃないだろうか。
あと、人と正対してくしゃみ・咳をしないように心がける。
なるべく人の正面にこない。大粒径の飛沫拡散は指向性が高く寿命も短いので、正対しなければ避けられる。
正対が不可避なら、個人防護具をつける。粒径が大きく、直接吸い込まなくても体に付着したものを手などを経由して取り込むリスクが高いのでフェイスシールドが有効になる。
3密にしない。特に密集・密接が起こらないようにする。
パーティションをつける。基本的には座席配置をしたうえで、首を動かしたときに吐出方向がぶれることに対応するイメージ。
会話や呼吸など、常に放出する可能性がある。人により飛沫の量・サイズは違う模様(人体の構造由来らしい)、これにより「スーパースプレッダー」なる存在が出うる。
小粒径の飛沫拡散は指向性が低く、寿命は長いと考えられる。この様態は空気感染に含めるケースもあるようだ。
3密を避ける。特に換気の悪い空間は小粒径の飛沫が長時間漂い、密度が高まりやすい可能性が高い。
マスクをする。なるべく不織布など目の細かいものを使うことが有効。フェイスシールド・マウスシールドは小粒径の飛沫に対してはほぼ無意味。
3密を避ける。特に換気の悪い空間は小粒径の飛沫が長時間漂い、密度が高まりやすい可能性が高い。
マスクをする。なるべく不織布など目の細かいものを使うことが有効。フェイスシールド・マウスシールドは小粒径の飛沫に対してはほぼ無意味。
3密にしない。特に密閉状態にしないように、換気を徹底する。エアフローなどを考慮し、人の動線から発せられた粒子が速やかに除去され、他の人の動線にかからないようにする。
全国的に感染が拡大し首都圏では緊急事態宣言が発令されようとしているのに、大手企業Vのオフコラボが相変わらず行われている。
特にホロライブは12月以降むしろ増えてるんじゃないかというくらいライバー同士でお泊りして飯を作ったり酒を飲んで配信したりするコラボを毎週のようにやっている。
年末のライブイベントは無観客だったけど、打ち上げとかはやってるみたいだし、にじさんじもそうだがスタジオを使った3Dコラボも頻繁にやってて、一緒に飯行ったとか普通に話してる。
前々から決まっている大規模なイベントやライブなどは仕方ないとしても、ライバー同士の単発のオフコラボや3Dコラボは会社の方針として自粛させないのだろうか。
3Dコラボをすればスタッフも出社せざるを得ないだろうし、身体を使って大きく動き回ったりじゃれあったりするのはマスクをしていたとしてもリスクがあるだろう。
ましてやお泊りして一緒に酒を飲んで酔っ払って配信なんていうのは、ライバー内でのクラスターのリスクもあるし、若者に大人気のタレントとして良い表現だとも思えない。
こういう時こそバーチャルの利点を活かせそうなVTuber達がまったく気にせずリアルで集まって活動しまくっているのは残念すぎる。
そしてその事に対してファンの間でネガティブな反応をしている人がほとんど見られないことにも驚く。
VTuberには「杞憂民」という余計な心配をする面倒なファンが多いと言われているが、心配するコメントどころか話題に上がることすらない。
彼らが全員地方や海外に在住していて感染拡大と無縁というわけでも多分ないだろう。
事務所としてもたとえ感染者が出ても発表しなければバレないし若ければ多くは無症状か軽症だろうから全員が配信出来ないほどの様態になったりしなければ問題ないと思っているんだろうか。
こんなことを気にする俺がおかしいのか?コロナでの医療崩壊などを過度に気にしてるはてブ界隈の方が過激派の集まりなのか?
だんだん自分が異常な陰謀論者になってるんじゃないかと怖くなってきた。
まあたしかに3Dコラボまで気にしてたら何も出来ないというのはそうかもしれない。
ただ都知事ですら12月の早い時期から「命を守る行動を。通院や買い物などやむを得ない事情を除いて極力外出を自粛して」とか言ってるのにやっぱみんなそのくらいの温度感なんだな。
春の緊急事態宣言の時はオフコラボなんて当分無理だねみたいな空気だったと記憶してるが。
仕事といえばそうだけどすでにめちゃくちゃに稼いでるのに、百合営業でもあえてこの時期にとっかえひっかえライバーの自宅に遊びに行ったりしなくてもとはどうしても思うかな。
独り暮らしの人は、同居家族がいないからこそ、友達と会ったりするんじゃないのかな。
出歩いていても、注意する人も、叱る人も、手洗いうがいしろ!って言う人もいないんだから。
それになにより寂しいから!
田舎の親に孫の顏みせれないとかあるかもしれないけど、クリスマスだって毎年家族と過ごしてるでしょ。
出歩いてるのは、家庭感染を恐れない無敵の独身者がほとんどで、うぇーいでしょ?
いっそ、「1人暮らしで、罹患すると大変なことになりますよ。なんせ独り暮らしなんですから!!!食料確保はどうするんですか?ネットで頼むと出費が嵩みますよ。様態が悪化しても誰も気付いてくれないままかもしれません。ゴミは貯まるし、洗濯も溜まるし、それはすべてあなたが片づけるのです。田舎の両親にも心配をかけますよ。」「もし罹患して、2週間出社できなかったら、収入は大丈夫ですか?」「独身の方こそ気を付けましょう!」と、言えば、案外おとなしく現実受け入れたんじゃないかな?
もう遅いけどさ。あけましておめでとう。
今日、入院している祖母の見舞いのため、母と親戚の女性とともに3人で病院へ。病院で医者と面談をした際、母も親戚の女性も、延々と話し続ける。
祖母は元気なときには手芸が上手で、まさか脳梗塞で今のような状況になるとは思わなかった。高齢ではあるが、ボケもなく、しっかりした人で、毎日を愉快に送っていたのに、どうして脳梗塞になんてなったのかわからない。倒れている祖母を見て救急車を呼んだのは同居人であった祖父だが、救急車を呼ばなければ楽に死ねていたかもしれないのに今つらそうにしているのを見ると辛い。
そんな話が無限に続く。しまいには二人で泣きながら交互に思い出話を話している。これは手に負えないと思った私はひたすら傍観するしかなかった。しかし、よく考えてほしい。今ここにいるのは医者と看護師であって、話すべきことはそんな過去の思い出話ではなく、現在の様態と未来の治療方針である。過去の思い出を延々に医者に話して一体何になるのか。しかし、医者も看護師も良識ある人であったらしく、そんな二人の話を切ることなく、最後まで聞いていた。家に帰った後、話し終えてスッキリした顔の二人は言っていた。
驚愕した。そんなことがあってたまるか。医者や看護師の良し悪しは患者家族とのカウンセリング技術や優しさではなく、患者本人に対する治療のレベルによって決まるべきだ。
そんな一日だけで私はほとほと疲れてしまい、(総合職は)ほとんど男性だけで構成されている自分の職場が恋しくなってしまった。普段は仕事なんて嫌なことばかりだと思っていたが、少なくとも職場では論理的に正しいか正しくないかが基準として物事が判断されている。管理職の人事評価は、部下の無駄話を丁寧に全部聞くかどうかではなく、部下を使って成果を出せるかどうかで行われている。
もっというなら、増田主は公立校を経て東大へ行った男性のようだけど、じゃあ増田主はその様々な出自の人が自分の見えないところで受けていた差別なり抑圧なりを認識していたのか?それを社会問題として実感しているのか?というと、文章からはあまりそれは感じられない。むしろ、「男性に多く払わせようとする」みたいな議論を持ってきてそいつらはニセモノのフェミニストと断じようとするあたり、この増田主は構造的な問題を理解しないまま偏見を保持しているように思われる。これは結局、上で述べた「公立校に行ったからといって差別を認識、是正できるとは限らない」のわかりやすい証左に増田主がなっているということではないだろうか。
米大統領選関連の一連の工作アカウントは、もちろん、バイデン当確(日本時間8日1時台から日本語で報じ出された)を受けたものである可能性がある。
しかし、郵便投票でバイデンが圧倒したことから当確が報じられる以前の早い段階から米国はもとより日本国内でもバイデン勝利の見方が再び強まり、トランプ陣営でも選挙不正の主張を急速にエスカレートさせていたことを考えると、当確の発表は何ら意外なものではない。工作を始めるには少し遅いタイミングであるように感じる。
内容についても、よくあるQanon系デマで、使いまわしが多く、文章の熱量にも乏しい。
指摘する価値のある一致として、確認できる限り、一連のアカウントはフェミニズム関連における工作アカウントについて指摘したこの増田https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20201107235319が話題になった(8日午前)直後の活動開始(merimeri222の8日15:33)である。
遅くとも8日10:45には、工作に関与していると見られるアカウントが上記増田の存在を認知し、ブコメを残している。
トランプ工作アカウントの運用者はその利用様態からある程度はてブに慣れていることが想定できる一方、米大統領選というはてブではあまり燃えない話題(ある右派アカウントは「どっちが勝ってもメシウマ」とのコメントを残している)にフォーカスするのには違和感がある。
つまり、フェミニズム関連で従前工作をしていた人物による即席の欺瞞工作という可能性もまた考えられる。
一方、もっと単純に別人が上記増田に触発されて工作を始めたと考えることもできる。フェミニズム工作アカウントの運用者はプロ責法による開示請求の対象となることを避けているように見られるものの、トランプ工作アカウントではそのような配慮は見られず、刑事事件にもなりかねない内容をまったく無防備に書いている。
いずれにせよ、運用者(ら?)の実際の思想的バックグラウンドは明らかでない。トランプ工作アカウントが内容面であまりに投げやりなのは言うに及ばず、フェミニズム工作アカウントも内容に問題が多く、偽旗作戦である可能性を指摘する声もある。本人の嗜好に関係なく対立煽り自体を目的としている可能性もある。
鼻穴にくすぐったいような違和感を感じて目覚めると、目の前は一様に桃色だった。
起きたてで白濁する視界だが、枕元にあるメガネを手に取ってしっかり眺めると、今日も天井には今日もみみずが今日も一方向に並んでいる。
いや、天井にみみずが並んでいるわけではない。天井と呼ばれる家屋の主要部を100パーセント混じり気なく構成しているのが、みみずなのだ。
みみずがこうして雨風を防ぎ、ともすれば地震からも救ってくれる。さすがは建築材なだけあって、同じ大きさのみみずが使用されているのは見事だ。
みっちり隙間なくその天井を埋めている。しかし、今日はそのみみずの中に埋もれた筋となる太いみみずがこっそり垣間見えてしまっている。
筋たる年季の入ったみみずとは違い、小さなひとりひとりの構成材は命ある存在がゆえ、うごめきとともに剥離し、重力とともに落下する。
最近は寒くてみみずにも体力が失われているからかなのかコロナなのか、落下する人数が増えてきた気もする。
こうして冬はみみずが目覚ましがわりだ。そんな鼻をティッシュで噛む。つまり、鼻水と鼻みみずを面状のみみずで拭い取る。
でも、床板だってみみずなのに、なんで天井から落下したみみずだとわかるのか?って聞かれる。聞かれる?聞かれない。
床板と天井の見分け方。それには動きを見ればいい。床板を構成するみみずは動かない。重力で剥離することは無いので。
ただしたまに死ぬ。例えば私がつま先立ちしたら、つま先に居るみみずが何人か死ぬ。つまり圧死。私のさもない行動が命を奪う。死と隣り合った世界。
そうなると彼らは表面の湿気を失い、床板から剥がれる。その尊い役割を終えた彼らを誇り、いやホコリとして毎週の掃除で除去する。
死んだみみずは、生きているホウキのみみずで集められ、生きている床板のみみずから離される。集めることは分けることなのだと毎週思う。
そして、ホウキの湿り気で集められた死んだみみずは、生きているゴミ箱のみみずに投じられる。これが彼らの夏の葬列。もしくは桃色の雪国。
ゴミ箱というトンネルの中も桃色だった。そんな仲間に送られ、そんな仲間に見守られる。みすずはいつだって仲間が一緒なのだ。
そうだ、世の中では、♪みみずだっておけらだって1777700066666*だってみんなみんな生きているんだ友だちなんだ、
と高らかに仲間意識をみみずらしく、桃色吐息で歌う。そうなんだ、みんなが仲間なんだ。みんなが仲間なんだ。私を日本唯一の仲間外れとして。
日本でよく知られた歌だから日本でよくご存知の通り、この「生きている」という言葉は、みみずを構成要素として生きているという意味合いだ。
だから、みみずが「生きている」のは当たり前であって、私はそのカテゴリーに入らない。つまり、「みんな」の構成物はみんなみみずなのであって、
私という存在だけがみみずではない。つまり、天井やゴミ箱は「みんな」の仲間。つまり、私は「みんな」の仲間じゃない。青色吐息。
これで、僕という存在が芋虫だったら「みんな」の仲間になれただろう。それは、みみずと同じ様態の気持ち悪い存在という共通点を持つからじゃない。
もっと直接的に、芋虫は私ではないので、私では無いものはみみずであるという命題によって、私は「みんな」の仲間になれるのだ。
そう考えると、カフカがうらやましい。私はみみずが嫌いじゃない。芋虫の方が嫌いだが、私も芋虫になって「みんな」と仲間になりたかった。
そうして、失われた床板ことみみずはホームセンターで買った補充材ことみみずで補填する。その上にはワックスを塗る。
ワックスとはみみずであるが、みみずのための栄養剤でもある。湿り気も与え、その輝きを増しその死を防ぐ。ワックスとは掃除であり生育である。
ワックスワックス。ってそうか、天井のみみずと床板のみみずの見分け方の話だった。まあ、床板がその死によって剥離するのだとしても、
床板はどっちみち動かないものなのだ。だから、生きて動くみみずは天井からの存在だと言える。そして、みみずは天国を目指す。
落下したみみずが床板のみみずに同化しないのは、堕天使ゆえのプライドなんだと思う。床板のみみずが動かないのも同じく建材ゆえのプライドなんだし、
そのあたりの感情は人間みたいで、みみずなのにいじらしく感じる。まあ、身を持って知っている通り、人間もみみずで構成されているわけだけれど。
そもそも、お前もみみずなんだから、床板と天井のみみずの見分け方なんて説明する必要がないだろう!!
そんなの「みんな」の当たり前なんだから!!壁を登るみみずは自分の役割を求めて居場所に帰っているんだよ!!俺は壁を登れないんだよ!!
なんでお前は1メートル半もの生体を成したみみずの群れなのに、そんなこともわからないの!!みみずは神経回線にならないとでもいうのか!!
筋となる大きなみみずはどのように工業生産されるのだろうとその苦労を忍びながら、掴んだ布団には軽い湿り気を持った柔らかさがある。
枕には軽いうごめきを感じながら、桃色を感じるメガネをかけつつトイレに向かう。そう、筋となる大きなみみずも気にはなるが、
光を通すその一生体を識別できないほどの細いみみずはどうやって生成され編まれ、そのメガネとしての光学的特性を得るのか知りたいと思った。
これを今日のテーマとしよう、と思いつつ生命の神秘液こと尿を放つ。それと便座カバーことみみずに座り、尿たるみみずはみみずの水に放たれる。
天井からみみずが落下すると、そこはライトの影となり黒ずんで見える。そんな天井のシミを数えながら尿を終え、鼻垂れるようにティッシュで拭う。
ティッシュという面状のみみずもみみずの水の中へ。それは流れない。トイレットペーパーでないからではない。それはみみずに消化されるのだ。
そしてみみずなのにふわふわしない固く締まった床板を歩きながら、ふわふわしたカーテンを開ける。レースカーテンも桃色こそ呈しているが、
その地に使われたみみずは非常に細く、メガネのように光を通す。レースゆえに所々に空いた穴はみみずのうごめきで日々形を変えるのが面白い。
というか、窓がそうだ。私にはひとりひとりのみみずが見えないほどの細かさ。いい仕事してますね。しかし、そのひんやりとした湿った感触。
結露もしている。みみずは人間のように涙を流すのだろうか。だから、人間はみみずなんだってば!!
つまりみみずは涙を流す。そして涙で視界もハッキリしてくると、そのみみずにも濃い色のみみずや薄い色のみみずを発見する。それはテレビである。
垂直面を器用に泳ぎ回る回遊魚、やはりみみずなわけだが、彼らは光の加減なのか、赤かったり青かったり黄色かったりする光の三原色。
幾人もの色相で一つの景色を見せるダイナミック。しかしカラフルな熱帯魚と違うのはその俊敏な動き。さすが30フレームパーセック毎秒。
しかし冬は動きが鈍く、画面がちらつく。人物の顔が2つに割れて見える。それでもテレビは右下45度から叩くと治るという故人の逸話。聞こえるうめき声。
もちろん、画面のそれはみみずだから人間なんだけど、私の唇のような赤、私の髪の毛のような青とは違い、ハッキリとした色彩ではない。
しかし、そんな色彩が自分以外のどこにあるのだ。テレビの登場人物もみみずなのだし、テレビの登場人物もみみずなのだから、
みみずによる桃色に偏った色彩でもその表現に間違いは無いのだ。表現するものが制限されていれば、表現方法に制限があったところでそれは満点なのだ。
満点だと知覚すればいいのだ。みみずは赤色だし、みみずは青色で、みみずは黄色。そう認識するように、この35年間生きてきたじゃないか。
生まれてからの35億年というもの、ゴミ箱は常にみみずだったし、ホウキは常にみみずだった。天井はみみずだったし、
天井のシミもみみずだった。尿はみみずの水だったし、ティッシュは面状のみみずだった。そもそもメガネがみみずだったはずじゃないか。
どうしてその色彩が目に入らないのだろう。今晩はみみずステーキにみみずサラダにみみずワインにみみず豚カツです。みみずハイ。
そう思った瞬間、世界は色彩を取り戻す。要はお腹が空いていたわけだ。重要なのは事物がみみずで構成されていることを隠すことじゃない。
今日も今日とて、みみずのマスクをしてみみずの電車に乗ってみみずの人間に押し潰されることを思れば吐き気がする。する?しない。
これはフケ?みみず。それはコロナ?みみず。それは、みみずである色彩を光の三原色として認識することなのだ。
そうすれば、みみずの人間は人間に見えて、みみずのステーキは素敵に見える。いつだって、真実はいつもひとつなのだから。
そうしてお腹も気持ちも十分に満たされ、卓上カレンダーにはバツをつける。今日のテーマはファクトチェックだったと思い出し、まずは明るい日差しに飛び出すのだった。
あのさあ。
元の書き込みは「~さんいいですよねぇ」という発言は当然セクハラなんかではないという前提の下に、だからそれを「セクハラ」なんて揶揄すればやり過ぎと批判されるという話をしてるよね。なぜなら「セクハラ」という指摘は社会的に致命的な侮辱になり得る時代(レベル3)になったからという文脈で。つまりレベル3の社会でも「~さんいいですよねぇ」はセクハラと批判されることはない(批判する方がおかしい扱いされる)、というのが最初の話の前提だよ?
だから、
あるKKO社員が「〇〇さんいいですよねぇ~」と言った
というのは「致命的とは異なる態様」でもなんでもなくて全く元の書き込みへの反論の論拠としては無意味なの。最初の増田もおよそ読解力ねえ奴だなと思ったけど、まさかその尻馬にのって同じくらい読解力のない人間が出てくるとは思わなかったので、ちょっと心配になるわ。自演ではないよね?
でさあ、君ら本当に問題なく社会生活送れてる? 読解力のなさであちこちでディスコミュニケーション引き起こしてない? 理由の分からない生きづらさを抱え込んで社会への不信感を養い育てちゃってたりしない?
気付こう。全ての原因は、君が、君たちが馬鹿だってことなんだよ?
(追記)
どうでもいいけど、「~さんいいですよねぇ」程度のセクハラというあなたの表現は、非常に気になった。セクハラなんだコレ、あなたの中では。
いやはや、天然で課長なんだこの人。これは分かり合えんかもしれんね・・。
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/neda17138f9f7
ロリコン・ショタコンを叩く連中が持つ差別心とその自覚の無さにほとほと呆れている。
上記noteでは「性的指向」と「性的嗜好」を分け、「性的嗜好」に過ぎない「小児性愛」の持つ加害性を自覚して自重しろと迫ってくる。
小児性愛は「性的嗜好」である。性的行動の対象にその人固有の特徴がある、という意味で、簡単に言えば「好みやこだわり」に分類される。ジェンダー間での、性的魅力を感じるパターンや性的なアイデンティティを指す「性的指向」とは全く異なる。
確かに「小児性愛」はアメリカ精神医学会やWHOによる定義で「性的嗜好」に分類され、精神障害とされている。
しかし「同性愛」もアメリカ精神医学会には1974年まで、WHOに至っては1993年まで「性的嗜好」であり精神障害だとされてきた。
現在「小児性愛」を「性的嗜好」で病気だと叩く人間は30~50年前だったら「同性愛」を「性的嗜好」であり病気だと叩く人間であろう。戦中であれば戦争反対を唱える者には非国民と罵声を浴びせたことだろうし、1950年代には漫画を悪書として校庭で焼いたであろう。
「同性愛」や「漫画」が今現在差別されなくなってきたのはこの50年の間に人類が賢くなって差別しなくなってきたからだろうか?
否である。「同性愛」や「漫画」が「逸脱ではない」という空気が醸成されたからにすぎず、社会的に逸脱しているとされる対象に対しては差別を続けている。差別はなくなったのではなく、矛先が変わっただけである。
上記note筆者は「小児性愛」の対象は社会的弱者である子どもなのだから実際に行えば直ちに犯罪だ、とも言っている。
当たり前だ。
ここに関しては掘り下げるときりがないのでサックリといくけども、精神が未発達の児童と成人が恋愛関係を達成する、ましてや性的な接触を行うことは、明確に児童の人権侵害に当たる。なので法で禁じられている。ここですでに「?」な人は、ちょっとどうしようもないので自分で色々調べてくれ。
人に云々言う前にお前が調べろという感じだが、日本の刑法で規定されている性的同意年齢は男女ともに13歳以上だ。児童福祉法とも関連があるから全てが合法というわけではないが(というか現実的に発生する18歳未満との性交の多くは違法だろうが)、相手が成人年齢を下回っている場合ただちに犯罪に当たるわけではない。その実態が問われる。
騒動の発端となったショタドール所持者がどうかはさておき、上記のような言い切りは「真摯な恋愛」をしている人に対する「無理解さ」の露呈であり、直球の「差別」である。
そして極めつけはこれである。
小児性愛という嗜好を社会へ受け入れてほしいならば、当事者たちが「そんじょそこらの大人より児童の人権に配慮する」姿勢が必要ではないか。
黒人青年が母から言われた「16のやってはいけないこと」が、黒人にとって警察がどれほど脅威かを教えてくれる
https://www.huffingtonpost.jp/entry/unwritten-rules-black-man-follow_jp_5edb3ee5c5b6a80a46d465f7
差別のない社会とは、同性愛者や黒人のようなマイノリティとされる立場の人がそれ以外の人と同じような行動を、なんら躊躇なくなんら留保なくなんら呵責なく行える社会である。同性愛者だから、黒人だから、とそれ以外の人より注意しなければならない社会は公平ではない。
こういうことを言うと、同性愛者や黒人と小児性愛者を並べるなと激怒する人間がいる。
しかし未成年との性交がただちに犯罪となわるけではなく、実際の様態に拠る以上、小児性愛者=犯罪者予備軍であるかのような言動は慎むべきであろう。
そしてかつては元服が11~16歳前後で行われていたように、成人とみなされる年齢も社会的相対性を伴うものであって、今後社会や科学の発展によって子どもの社会的成熟が早まらないとも限らない。50年前は同性愛が病気とされていたように、社会の常識や観念は変動しうる物と理解した上で、当たり前とされることから「逸脱」する者も包摂することが差別のない社会であり、今我々が真に求めるべきものではないか。
小児性愛者は病気であり、小児性愛者以外の人間より慎重に生きろ、そうでなければ社会は認めてくれないぞ、と脅してくる人間は1974年より以前の世界では同性愛がどういう扱いだったのか調べた上で己の差別心とその無自覚さに向き合ってほしい。