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2021-08-02

anond:20210802181601

もうすぐ、差別オオカミが来なくなるね。オオカミ少年は喜劇だったか。(^ν^)

2021-07-30

将棋運ゲー」と理解できない者が語るゲーム論はどんなに頑張っても曲芸の域を出ない

ゲーム盤の上に乱数発生器が載ってなきゃ運が絡まないと思ってる奴らの底知れない浅さたるや。

競技遊戯といったもの本質がまるで見えてない。

人間ルールや道具を作り出したあらゆる遊びや試合といったもの絶対的に対人であるということさえ理解できないのだろうな。

ファンタジー世界で「皆には見えるオーラエーテルが見えない存在」が時折題材になるが、立ち位置としてはそこに近いのでは?

ある種のクオリアのようなものが生まれつき欠如していて、普通に生きていれば見えるようになるものが生まれつき絶対的に見えていない、そうとしか思えないほどに、鈍感力無限大の彼方へと突き抜けている。

だがそれでは、ゲームを論じることは出来ないのだよ。

たとえば味覚障害のあるものが「味覚障害のある人間なりに匂い香りと見かけだけで食べ物評価する」といった奇策を打っても、それが真っ当なレビューの一つに数えられることは永遠にない。

将棋(を含めて全てのゲーム乱数発生器の搭載の如何を問わずに)運ゲー」とういことが理解できない人間が語るゲーム論は、絶対的に致命的に圧倒的に絶望的に喜劇的に根本的なピント調整が永久不安定なままで語られていく。

しかに彼らの語る論がたまたま偶然あってしまうことはあるが、それは単なるタイプライターを叩いた猿がシェイクスピアをかきあげたと言うだけであって、その主張の正当性は結局その著者たる猿本人によっては一切担保されないわけである

著者本人が一切正当性担保できないのでは、それは「論」ではなくて単なる「談」、ジョークブックに載ることはあってもマニュアルに載ることは永遠にないのだ。

2021-06-30

anond:20210630162951

なんていい"転け"だ!うちの劇団に来てくれないか!?新しい喜劇をやろうと思うんだけどね……

2021-06-16

わかもんが多い映画レビューサービスで昔の日本映画のページを見てると差別が〜、ジェンダー観が〜、みたいな記述をよく見かける。

大体ストーリー台詞とか全体的なところや女性無意味に(見える)脱がされたりしてるところをよく指摘されてる。

大体ねぇ最近だってそのノリでピ◯ク系の人がやってんじゃないって話なんだけど。

どっかであの女優が脱いだエピソード披露していたが、それに対して彼女の扱いが酷すぎると怒ってる人がいたけど・・・相手映画をぶち壊した男だぞ?それ知らないで差別云々だけ独り歩きで言ってるだろ。

自主映画観てみろよ。今は知らんがそういうのを若い連中に教えるところではとにかく女優を脱がせる風にして成立するらしい。立派だな。てか、舞台じゃないんだから自主モノも幅広く公開しな。

んで、結局今に残る昔の日本映画女性モノが多い。そういうのって、やっぱジャンル分けの一つなんですよ。時代劇、お母さん、サラリーマン喜劇、いろいろあんじゃん。でも当時のオッサンに向けた娯楽モノ、ああいうのは残らないけどおれは観るぞ。わかもんがあれこれ言ってる間にな。

これ駄文論点が薄いのと思い出しながらだからしょうがない。ちなみにおれはそんな歳じゃないからな。

2021-06-05

anond:20210605092026

滑稽でむしろ好き。オリンピックは人の愚かさを鮮やかに描き出してくれる。どうせなら開催を延期してもう一度この喜劇を味合わせてほしい。

2021-05-20

サプライヤーとは

さぷらいやー【サプライヤー喜劇役者のこと。観客にサプライズ提供することから

使用例]「社内イベントサプライヤーを呼んだ」

2021-04-26

anond:20210426162607

チャップリンが言うてるけど、悲劇喜劇なんよ

コメディエンヌになったつもりで笑われること承知で思いっき本音自分表現したまえ

この増田という舞台

2021-04-24

anond:20210423221257

 『貧乏舌』という言葉がある。共通理解としては「本当に美味しいものを食べた経験が無い人間は、食べ物の美味しさを理解する能力が乏しい」といった意味合い言葉であると言っても差し支えいであろう。

 悲劇的かつ喜劇的な話だが「貧乏舌」の人間は、本人には自覚が無いことが屢々ある。一つ例を挙げる。

 この文章を目にしている貴方も知っていると思うが、松本人志という有名なお笑い芸人がいる。昔の話だが、松本は彼の子である木村祐一のことを「キム(=木村祐一)の作る料理めっちゃ美味い!」と褒めていた。それもあってか「『あの』木村祐一が監修した!」という触れ込みで、料理本が出版されたこともある。

 ある時、テレビで「料理が得意な芸能人が作った料理プロ料理人が採点する」という企画が行われた。件の木村祐一チャレンジした。しかし、結果は悲惨であった。プロ料理人たちは、木村料理には低い評価しか与えなかったのだ。

 松本人志はことある毎に「オレは金持っとるねん」と言いたがることで有名であるしかし、松本テレビラジオを視聴している、もしくは嘗て視聴していた人間ならば知ってのとおり、だいたい松本の「食に関する話」というのは「チェーン居酒屋」や「コンビニ飯」ぐらいのものである。そんな人間が褒める「美味しい食べ物」を、苟もプロ料理人が評価する訳が無いのである

 かつてフランスの文筆家は次のような箴言を残した。「富めることと同じく、貧しさもまた一つの才能である。貧しい人間が富を手にしたならば、贅沢な貧しさをひけらかすであろう」と。

 まあ、飲食物に関しては我々一般人松本人志と五十歩百歩であろうし、あくまでも「貧乏舌」の事例の一つとして出しただけなので、松本の話はここで終わる。

 長々と話してきたが何を言いたいかといえば、味覚以外の感性が関わる分野に於いても「貧乏舌」はある。例えば、ジャンボ尾崎ヘアーを「イケている」と感じて我が子に施すような親は「ファッションに関する貧乏舌」の持ち主なのである

 漫画のような「子供でも味わうことが可能な娯楽コンテンツ」でも同様である漫画を描いたり読んだりする行為於いても「貧乏舌」はある。率直に言うが、星の数ほど漫画が有り、しかも優れた作品が数多有るという2021年現在日本社会暮らしていて、ONE PIECEキャラコスプレをするのは、よほどの「漫画に関する貧乏舌」の持ち主しかいないと私は踏んでいる。現代リアルタイム少年ジャンプを読んでいる子供たちから見れば「何か知らないけど昔から連載されている漫画。でも、誰が、何のために、今は何をしているのかがよく分からない漫画である。「親が単行本を持っているから」と言う人もいるが、他の漫画が有る状況で子供たち自身選択させれば、子供たちは十中八九ONE PIECE以外を選ぶ。このカシオミニを賭けてもいい。

2021-04-08

パンツ語源について調べてきたので報告しますね。

パンツ語源パンタロンで、パンタロンてのはもともとイタリア喜劇に出てくるキャラクター名前から来てるそうです。

どう言うキャラかと言うとストッキング靴下)が長くてくるぶしあたりにでろーんと堕ちて蟠ってる?みたいなキャラだったそうです。

2021-03-28

fff -フォルティッシッシモ-』〜歓喜に歌え!〜 第13-14場

anond:20210314223160

ネタバレ

第13場実況

A 雪原〜雪のシンフォニー

雪組だけに?

これ一幕ものでよかった、と思う。

雪原?ロシアロシアナポレオンが敗北したロシア。でもサクサク動いてみんなを助けて、いい人なんだなあナポレオンさん。

ここは少し気持ちがダレた。もうちょっと演者側でやりようがあったように感じる。ワンスマックスやこのナポレオン、月城かなと氏だったらどう演じたかなと考える。city hunterは楽しみにしている。

ベートーヴェン「おれたちは何のために生きてるんだ」

ナポレオン「苦しむためだ」「苦しむためじゃなかったら、おまえは何のために生きてきた」

人間はあらゆるもの発明することができる。ただ幸福になる術を除いては」不可能あるやん、ていう。

ベートーヴェン平和の、敵、ブオナパルテ」

出生名

ナポレオン「そ!こ!そ!こ!」

わらった。

ナポレオンヨーロッパの国々を、ひとつ連合にする」

!!ナポレオンEU構想持ってたの⁈つながった!第九、the European Anthem。なるほど、ヤバ!

ナポレオン世界が豊かになる方法は、人と、モノと、情報自由に遠くまで運ばれ、優れたものが交換されることだ」

おやリカード比較優位論、貿易大原理。1817年か。

音楽数学だし、昔は世界を解き明かす学問として必修科目だったしね。

再び勝利

ナポレオン勉強は好きか」

「愚人は才人にまさる大いなる利得を有する。彼は常に自らに満足している」

ベートーヴェン所蔵のカント『実践理性批判』

ナポレオン「生きることは、不幸だ。不幸に敗北するか、それとも不幸に戦いを挑むか、それとも」

ナポレオンって銃弾に倒れたわけではないやんな。

B 彼女名前

ナポレオンが死んだのは1821年。ウィーン会議から6年経ってる。第11ウィーン会議ロッシーニいたことを考えると、あそこで1822年ぐらいまで描いていたと考えてもいいのかもしれない(『セビリアの理髪師』1816、『どろぼうかささぎ』1817、ロッシーニウィーン訪問1822)。

謎の女「かつて地上にあった人間のすべての苦しみ それがわたし

ベートーヴェン「おまえは、人類の、不幸」

謎の女「誰もがわたしを憎む もうひとりのあなたとも知らず 醜い不吉な女だと 憎んで恐れて逃げまどう 憎むほど自由奪われて ただ 死を 待つ」

ベートーヴェンも謎の女に失せろと言った。そして孤独期、曲も作れず、ただ…。

謎の女「死は、救いなの」

ベートーヴェン「哀しく強い、おまえの歌」

ベートーヴェン「強くてきれいな人類の不幸。おまえの名前がやっとわかった」「運命」

あーー。だから、曲、献呈。「やるならやってみろ、運命よ」は1816年の彼の日記のことば。

「今、運命が私をつかむ。やるならやってみよ運命よ!我々は自らを支配していない。始めから決定されてあることは、そうなる他はない。さあ、そうなるがよい!そして私に出来ることは何か?運命以上のものになることだ。」

ベートーヴェン「生きることが苦しみでも、おれは、おまえという運命を、愛するよ」

上田氏の京大講演会経験の中で一番痛いもの、辛いことが不愉快ものなら、当然、それがなくなることはない」

第13場まとめ

第14場 最後シンフォニー 実況

智天使ケルブ「この世界に別れを告げる時間だ」

1827年

ベートーヴェン「どうすれば音にできるだろう、この祈りを」

運命「これはいつくしまれた不幸の、よろこびの歌」

ここは本当にありがとうと言いたい。望海真彩(あと非常に聞こえづらいけど多分望海の右手)でメロディを歌いながら、真彩の右手オーボエパート、望海の左手クラリネットパートかな、をなぞってきっちり3声の対位法をやってのけた。歴史に残るメロディ爆誕の瞬間。1822年。

ヘンデルあいつ、なんと…」

モーツァルト「不幸と一緒になって、よろこびをうたってる!」

シラーの『歓喜に寄せて』は、もともと『自由賛歌』で、ベートーヴェンが感動して曲をつけようとしたのは『自由賛歌』のほうであるが、当時の体制下で云々。…というのは都市伝説であると、英語版のWikipediaには書いてあるなあ。日本語版の出典のひとつURLの変更があったっぽく今はたぶんこっち。もうひとつ出典では『自由賛歌』がシラー作品だとは言っておらず。セイヤー氏の著作都市伝説の元なのかな。

東西ドイツ統一式典では「自由バージョンで歌われた。

ベートーヴェン「あー」(A4)

運命「あー」(A5)

爆笑超音波なの?すごすぎ。

ベートーヴェン「苦悩を突き抜け、歓喜に至れ!」

1815年の手紙から日本語訳がピッタリこないけどドイツ語からいから2つの英訳

"We finite ones with infinite souls are born only for sorrows and joy and it might almost be said that the best of us receive joy through sorrow."

"we mortals with immortal minds are only born for sorrows and joys, and one might almost say that the most excellent only receive their joys through sorrows."

智天使ケルブ「まあいいだ〜ろう♪」

よかったね天国行きだよ!

歓喜のその歌 ともに歌うとき あなたわたしも」ベートーヴェン父・メッテルニヒ「ゆるしーあーえーるーだろー」

あー、早霧さんが出てた世界ふしぎ発見でやってた話。

  • 舞台後方真ん中でひとり手を広げて立つケルブ様

und der Cherub 音楽は おれたちのものだー! steht vor Gott, フォルテー! steht vor Gott, フォルティッシモー! vor Gott, フォルティッシッシモー! vor Gott.

ここだけドイツ語詞で、ケルブ様出てきた。第九の中のここの歌詞解釈はなかなか大変なようで、まあなんとなく壁・障害天国/楽園行きを阻むもの自由を阻むもの、ぐらいで自分は捉えておこうかなあというところ。

今作においては、ベートーヴェンさんお亡くなりになりました、ってことかしら?

コーダ⁈やば。3人の強きものfたち。

そりゃalla marciaには入らないよね。音楽配信も始まってしまったわけだけど、これ音だけで聴いてると爽快にズッコケる、爽快。そのうち慣れるだろうけど。

リズム隊が醸す歌謡曲感。

ベートーヴェンアンコール!」

きたー

ベートーヴェン人生幸せだったー!」

諸君拍手を!喜劇は終わった」

キンキラキンのすごい背景ー笑、衣装は白いし。

ベートーヴェン葬儀には多くの市民が続々と駆けつけ参列者は2万人、異様な様相、大混乱だったと。

世界果てなく 祈り 響かせ

うたえ 生きとし生けるもののうた

なんかここのベートーヴェン推定54歳)と運命さん(年齢不詳)の振り付けかわいいな。

第14場まとめ

全体総括

ぴあの上田久美子インタビュー記事より(2020/3/16 コロナ前)

耳が聞こえなくなって絶望し、一度は死ぬことも考えたけれど、神から与えられた才能は自分だけの物ではないから、身体の中の音を外に出すまでは死ねない、どんなに不幸でも生きていようと思ったそうなんです。すごいですよね。そうやって作った最後交響曲が第九で、その合唱部分の『歓喜の歌』は、今で言ったら異常に盛り上がるロックみたいな感じだったと思うんです。それを、音楽のために一切の個人的幸福を諦めた人がどうして作れたのか、ぜひその物語を書きたいと思いました。

予習の段階で目を通したこの通りの内容。第九誕生物語

お見事。

配役を見て?が浮かんでいたところに次々とピースがきれいにはまっていく気持ちよさ。タイトル意味しかり。

重くなりがちなベートーヴェンの話をできうる限り軽快に描き、新しいベートーヴェン像を見せてくれた(そもそも楽聖ベートーヴェンイメージシントラーやロマン・ロランによって作られたもの)。

おまけ:ミュージカルシンフォニア

第14場がコーダっぽかったので、ソナタ形式に当てはめて考えてみた。

*一瞬だがベートーヴェン真ん中でナポレオンゲーテが左右におり、謎の女もいるので。


うーん、苦しいか?意外とうまくハマった気がしている。

2021-03-22

菰田

以上のお話によって、郷田三郎と、明智小五郎との交渉、又は三郎の犯罪嗜好癖などについて、読者に呑み込んで頂いた上、さて、本題に戻って、東栄館という新築下宿屋で、郷田三郎がどんな楽しみを発見たかという点に、お話を進めることに致しましょう。

 三郎が東栄館の建築が出来上るのを待ち兼ねて、いの一番にそこへ引移ったのは、彼が明智交際を結んだ時分から一年以上もたっていました。随したがってあの「犯罪」の真似事にも、もう一向興味がなくなり、といって、外ほかにそれに代る様な事柄もなく、彼は毎日毎日の退屈な長々しい時間を、過し兼ねていました。東栄館に移った当座は、それでも、新しい友達が出来たりして、いくらか気がまぎれていましたけれど、人間というものは何と退屈極きわまる生物なのでしょう。どこへ行って見ても、同じ様な思想を同じ様な表情で、同じ様な言葉で、繰り返し繰り返し、発表し合っているに過ぎないのです。折角せっかく下宿屋を替えて、新しい人達に接して見ても、一週間たつかたたない内に、彼は又しても底知れぬ倦怠けんたいの中に沈み込んで了うのでした。

 そうして、東栄館に移って十日ばかりたったある日のことです。退屈の余り、彼はふと妙な事を考えつきました。

 彼の部屋には、――それは二階にあったのですが――安っぽい床とこの間まの傍に、一間の押入がついていて、その内部は、鴨居かもいと敷居との丁度中程に、押入れ一杯の巌丈がんじょうな棚があって、上下二段に分れているのです。彼はその下段の方に数個の行李こうりを納め、上段には蒲団をのせることにしていましたが、一々そこから蒲団を取出して、部屋の真中へ敷く代りに、始終棚の上に寝台ベッドの様に蒲団を重ねて置いて、眠くなったらそこへ上って寝ることにしたらどうだろう。彼はそんなことを考えたのです。これが今迄いままでの下宿屋であったら、仮令たとえ押入れの中に同じような棚があっても、壁がひどく汚れていたり、天井蜘蛛もの巣が張っていたりして、一寸その中へ寝る気にはならなかったのでしょうが、ここの押入れは、新築早々のことですから、非常に綺麗きれいで、天井も真白なれば、黄色く塗った滑かな壁にも、しみ一つ出来てはいませんし、そして全体の感じが、棚の作り方にもよるのでしょうが何となく船の中の寝台に似ていて、妙に、一度そこへ寝て見たい様な誘惑を感じさえするのです。

 そこで、彼は早速さっそくその晩から押入れの中へ寝ることを始めました。この下宿は、部屋毎に内部から戸締りの出来る様になっていて、女中などが無断で這入はいって来る様なこともなく、彼は安心してこの奇行を続けることが出来るのでした。さてそこへ寝て見ますと、予期以上に感じがいいのです。四枚の蒲団を積み重ね、その上にフワリと寝転んで、目の上二尺ばかりの所に迫っている天井を眺める心持は、一寸異様な味あじわいのあるものです。襖ふすまをピッシャリ締め切って、その隙間から洩れて来る糸の様な電気の光を見ていますと、何だかこう自分探偵小説中の人物にでもなった様な気がして、愉快ですし、又それを細目に開けて、そこから自分自身の部屋を、泥棒他人の部屋をでも覗く様な気持で、色々の激情的な場面を想像しながら、眺めるのも、興味がありました。時によると、彼は昼間から押入に這入り込んで、一間と三尺の長方形の箱の様な中で、大好物煙草をプカリカリとふかしながら、取りとめもない妄想に耽ることもありました。そんな時には、締切った襖の隙間から、押入れの中で火事でも始ったのではないかと思われる程、夥しい白煙が洩れているのでした。

 ところが、この奇行を二三日続ける間に、彼は又しても、妙なことに気がついたのです。飽きっぽい彼は、三日目あたりになると、もう押入れの寝台ベッドには興味がなくなって、所在なさに、そこの壁や、寝ながら手の届く天井板に、落書きなどしていましたが、ふと気がつくと、丁度頭の上の一枚の天井板が、釘を打ち忘れたのか、なんだかフカフカと動く様なのです。どうしたのだろうと思って、手で突っぱって持上げて見ますと、なんなく上の方へ外はずれることは外れるのですが、妙なことには、その手を離すと、釘づけにした箇所は一つもないのに、まるでバネ仕掛けの様に、元々通りになって了います。どうやら、何者かが上から圧おさえつけている様な手ごたえなのです。

 はてな、ひょっとしたら、丁度この天井板の上に、何か生物が、例えば大きな青大将あおだいしょうか何かがいるのではあるまいかと、三郎は俄にわかに気味が悪くなって来ましたが、そのまま逃げ出すのも残念なものですから、なおも手で押し試みて見ますと、ズッシリと、重い手ごたえを感じるばかりでなく、天井板を動かす度に、その上で何だかゴロゴロと鈍い音がするではありませんか。愈々いよいよ変です。そこで彼は思切って、力まかせにその天井板をはね除のけて見ますと、すると、その途端、ガラガラという音がして、上から何かが落ちて来ました。彼は咄嗟とっさの場合ハッと片傍かたわきへ飛びのいたからよかったものの、若もしそうでなかったら、その物体に打たれて大怪我おおけがをしている所でした。

「ナアンダ、つまらない」

 ところが、その落ちて来た品物を見ますと、何か変ったものでもあればよいがと、少からず期待していた彼は、余りのことに呆あきれて了いました。それは、漬物石つけものいしを小さくした様な、ただの石塊いしころに過ぎないのでした。よく考えて見れば、別に不思議でも何でもありません。電燈工夫が天井裏へもぐる通路にと、天井板を一枚丈け態わざと外して、そこからねずみなどが押入れに這入はいらぬ様に石塊で重しがしてあったのです。

 それは如何いかにも飛んだ喜劇でした。でも、その喜劇が機縁となって、郷田三郎は、あるすばらしい楽みを発見することになったのです。

 彼は暫しばらくの間、自分の頭の上に開いている、洞穴ほらあなの入口とでも云った感じのする、その天井の穴を眺めていましたが、ふと、持前もちまえの好奇心から、一体天井裏というものはどんな風になっているのだろうと、恐る恐る、その穴に首を入れて、四方あたりを見廻しました。それは丁度朝の事で、屋根の上にはもう陽が照りつけていると見え、方々の隙間から沢山の細い光線が、まるで大小無数の探照燈を照してでもいる様に、屋根裏の空洞へさし込んでいて、そこは存外明るいのです。

 先まず目につくのは、縦に、長々と横よこたえられた、太い、曲りくねった、大蛇の様な棟木むなぎです。明るいといっても屋根裏のことで、そう遠くまでは見通しが利かないのと、それに、細長い下宿屋の建物ですから、実際長い棟木でもあったのですが、それが向うの方は霞んで見える程、遠く遠く連つらなっている様に思われます。そして、その棟木と直角に、これは大蛇肋骨あばらに当る沢山の梁はりが両側へ、屋根の傾斜に沿ってニョキニョキと突き出ています。それ丈けでも随分雄大景色ですが、その上、天井を支える為に、梁から無数の細い棒が下っていて、それが、まるで鐘乳洞しょうにゅうどうの内部を見る様な感じを起させます

「これは素敵だ」

 一応屋根裏を見廻してから、三郎は思わずそう呟つぶやくのでした。病的な彼は、世間普通の興味にはひきつけられないで、常人には下らなく見える様な、こうした事物に、却かえって、云い知れぬ魅力を覚えるのです。

 その日から、彼の「屋根裏の散歩」が始まりました。夜となく昼となく、暇さえあれば、彼は泥坊猫の様に跫音あしおとを盗んで、棟木や梁の上を伝い歩くのです。幸さいわいなことには、建てたばかりの家ですから屋根裏につき物の蜘蛛の巣もなければ、煤すすや埃ほこりもまだ少しも溜っていず、鼠の汚したあとさえありません。それ故ゆえ着物や手足の汚くなる心配はないのです。彼はシャツ一枚になって、思うがままに屋根裏を跳梁ちょうりょうしました。時候も丁度春のことで、屋根裏だからといって、さして暑くも寒くもないのです。

 東栄館の建物は、下宿屋などにはよくある、中央まんなかに庭を囲んで、そのまわりに、桝型ますがたに、部屋が並んでいる様な作り方でしたから、随って屋根裏も、ずっとその形に続いていて、行止ゆきまりというものがありません。彼の部屋の天井から出発して、グルッと一廻りしますと、又元の彼の部屋の上まで帰って来る様になっています

 下の部屋部屋には、さも厳重に壁で仕切りが出来ていて、その出入口には締りをする為の金具まで取りつけているのに、一度天井裏に上って見ますと、これは又何という開放的な有様でしょう。誰の部屋の上を歩き廻ろうと、自由自在なのです。若し、その気があれば、三郎の部屋のと同じ様な、石塊の重しのしてある箇所が所々にあるのですから、そこから他人の部屋へ忍込んで、窃盗を働くことも出来ます廊下を通って、それをするのは、今も云う様に、桝型の建物の各方面に人目があるばかりでなく、いつ何時なんどき他の止宿人ししゅくにんや女中などが通り合わさないとも限りませんから、非常に危険ですけれど、天井裏の通路からでは、絶対にその危険がありません。

 それから又、ここでは、他人秘密を隙見することも、勝手次第なのです。新築と云っても、下宿屋の安普請やすぶしんのことですから天井には到る所に隙間があります。――部屋の中にいては気が附きませんけれど、暗い屋根からますと、その隙間が意外に大きいのに一驚いっきょうを喫きっします――稀には、節穴さえもあるのです。

 この、屋根裏という屈指の舞台発見しますと、郷田三郎の頭には、いつのまにか忘れて了っていた、あの犯罪嗜好癖が又ムラムラと湧き上って来るのでした。この舞台でならば、あの当時試みたそれよりも、もっともっと刺戟の強い、「犯罪の真似事」が出来るに相違ない。そう思うと、彼はもう嬉しくて耐たまらないのです。どうしてまあ、こんな手近な所に、こんな面白い興味があるのを、今日まで気附かないでいたのでしょう。魔物の様に暗闇の世界を歩き廻って、二十人に近い東栄館の二階中の止宿人の秘密を、次から次へと隙見して行く、そのこと丈けでも、三郎はもう十分愉快なのです。そして、久方振りで、生き甲斐を感じさえするのです。

 彼は又、この「屋根裏の散歩」を、いやが上にも興深くするために、先ず、身支度からして、さも本物の犯罪人らしく装うことを忘れませんでした。ピッタリ身についた、濃い茶色の毛織のシャツ、同じズボン下――なろうことなら、昔活動写真で見た、女賊プロテアの様に、真黒なシャツを着たかったのですけれど、生憎あいくそんなものは持合せていないので、まあ我慢することにして――足袋たびを穿はき、手袋をはめ――天井裏は、皆荒削あらけずりの木材ばかりで、指紋の残る心配などは殆どないのですが――そして手にはピストルが……欲しくても、それもないので、懐中電燈を持つことにしました。

 夜更けなど、昼とは違って、洩れて来る光線の量が極く僅かなので、一寸先も見分けられぬ闇の中を、少しも物音を立てない様に注意しながら、その姿で、ソロソロリと、棟木の上を伝っていますと、何かこう、自分が蛇にでもなって、太い木の幹を這い廻っている様な気持がして、我ながら妙に凄くなって来ます。でも、その凄さが、何の因果か、彼にはゾクゾクする程嬉しいのです。

 こうして、数日、彼は有頂天になって、「屋根裏の散歩」を続けました。その間には、予期にたがわず、色々と彼を喜ばせる様な出来事があって、それを記しるす丈けでも、十分一篇の小説が出来上る程ですが、この物語の本題には直接関係のない事柄ですから、残念ながら、端折はしょって、ごく簡単に二三の例をお話するに止とどめましょう。

 天井からの隙見というものが、どれ程異様な興味のあるものだかは、実際やって見た人でなければ、恐らく想像も出来ますまい。仮令、その下に別段事件が起っていなくても、誰も見ているものがないと信じて、その本性をさらけ出した人間というものを観察すること丈けで、十分面白いのです。よく注意して見ますと、ある人々は、その側に他人のいるときと、ひとりきりの時とでは、立居ふるまいは勿論もちろん、その顔の相好そうごうまでが、まるで変るものだということを発見して、彼は少なからず驚きました。それに、平常ふだん、横から同じ水平線で見るのと違って、真上から見下すのですから、この、目の角度の相違によって、あたり前の座敷が、随分異様な景色に感じられます人間は頭のてっぺんや両肩が、本箱、机、箪笥たんす、火鉢などは、その上方の面丈けが、主として目に映ります。そして、壁というものは、殆ど見えないで、その代りに、凡ての品物のバックには、畳が一杯に拡っているのです。

 何事がなくても、こうした興味がある上に、そこには、往々おうおうにして、滑稽こっけいな、悲惨な、或は物凄い光景が、展開されています。平常過激反資本主義議論を吐いている会社員が、誰も見ていない所では、貰もらったばかりの昇給辞令を、折鞄おりかばから出したり、しまったり、幾度も幾度も、飽かず打眺うちながめて喜んでいる光景ゾロリとしたお召めし着物不断着ふだんぎにして、果敢はかない豪奢振ごうしゃぶりを示している、ある相場師が、いざ床とこにつく時には、その、昼間はさも無雑作むぞうさに着こなしていた着物を、女の様に、丁寧に畳んで、床の下へ敷くばかりか、しみでもついたのと見えて、それを丹念に口で嘗なめて――お召などの小さな汚れは、口で嘗めとるのが一番いいのだといいます――一種クリーニングをやっている光景、何々大学野球選手だというニキビ面の青年が、運動家にも似合わない臆病さを以て、女中への附文つけぶみを、食べて了った夕飯のお膳の上へ、のせて見たり、思い返して、引込めて見たり、又のせて見たり、モジモジと同じことを繰返している光景、中には、大胆にも、淫売婦(?)を引入れて、茲ここに書くことを憚はばかる様な、すさまじい狂態を演じている光景さえも、誰憚らず、見たい丈け見ることが出来るのです。

 三郎は又、止宿人と止宿人との、感情葛藤かっとうを研究することに、興味を持ちました。同じ人間が、相手によって、様々に態度を換えて行く有様、今の先まで、笑顔で話し合っていた相手を、隣の部屋へ来ては、まるで不倶戴天ふぐたいてんの仇あだででもある様に罵ののしっている者もあれば、蝙蝠こうもりの様に、どちらへ行っても、都合のいいお座なりを云って、蔭でペロリと舌を出している者もあります。そして、それが女の止宿人――東栄館の二階には一人の女画学生がいたのです――になると一層興味があります。「恋の三角関係」どころではありません。五角六角と、複雑した関係が、手に取る様に見えるばかりか、競争者達の誰れも知らない、本人の真意が、局外者の「屋根裏の散歩者」に丈け、ハッキリと分るではありませんか。お伽噺とぎばなしに隠かくれ蓑みのというものがありますが、天井裏の三郎は、云わばその隠れ蓑を着ているも同然なのです。

 若しその上、他人の部屋の天井板をはがして、そこへ忍び込み、色々ないたずらをやることが出来たら、一層面白かったでしょうが、三郎には、その勇気がありませんでした。そこには、三間に一箇所位の割合で、三郎の部屋のと同様に、石塊いしころで重しをした抜け道があるのですから、忍び込むのは造作もありませんけれど、いつ部屋の主が帰って来るか知れませんし、そうでなくとも、窓は皆、透明なガラス障子しょうじになっていますから、外から見つけられる危険もあり、それに、天井板をめくって押入れの中へ下り、襖をあけて部屋に這入り、又押入れの棚へよじ上って、元の屋根裏へ帰る、その間には、どうかして物音を立てないとは限りません。それを廊下や隣室から気附かれたら、もうおしまいなのです。

 さて、ある夜更けのことでした。三郎は、一巡ひとまわり「散歩」を済ませて、自分の部屋へ帰る為に、梁から梁を伝っていましたが、彼の部屋とは、庭を隔てて、丁度向い側になっている棟の、一方の隅の天井に、ふと、これまで気のつかなかった、幽かすかな隙間を発見しました。径二寸ばかりの雲形をして、糸よりも細い光線が洩れているのです。なんだろうと思って、彼はソッと懐中電燈を点ともして、検しらべて見ますと、それは可也かなり大きな木の節で、半分以上まわりの板から離れているのですが、あとの半分で、やっとつながり、危く節穴になるのを免れたものでした。一寸爪の先でこじさえすれば、何なく離れて了い相なのです。そこで、三郎は外ほかの隙間から下を見て、部屋の主が已すでに寝ていることを確めた上、音のしない様に注意しながら、長い間かかって、とうとうそれをはがして了いました。都合のいいことには、はがした後の節穴が、杯さかずき形に下側が狭くなっていますので、その木の節を元々通りつめてさえ置けば、下へ落ちる様なことはなく、そこにこんな大きな覗き穴があるのを、誰にも気附かれずに済むのです。

 これはうまい工合ぐあいだと思いながら、その節穴から下を覗いて見ますと、外の隙間の様に、縦には長くても、幅はせいぜい一分ぶ内外の不自由なのと違って、下側の狭い方でも直径一寸以上はあるのですから、部屋の全景が、楽々と見渡せます。そこで三郎は思わず道草を食って、その部屋を眺めたことですが、それは偶然にも、東栄館の止宿人の内で、三郎の一番虫の好かぬ、遠藤えんどうという歯科医学校卒業生で、目下はどっかの歯医者助手を勤めている男の部屋でした。その遠藤が、いやにのっぺりした虫唾むしずの走る様な顔を、一層のっぺりさせて、すぐ目の下に寝ているのでした。馬鹿几帳面きちょうめんな男と見えて、部屋の中は、他のどの止宿人のそれにもまして、キチンと整頓せいとんしています。机の上の文房具位置、本箱の中の書物の並べ方、蒲団の敷き方、枕許まくらもとに置き並べた、舶来物でもあるのか、見なれぬ形の目醒めざまし時計漆器しっきの巻煙草まきたばこ入れ、色硝子いろがらすの灰皿、何いずれを見ても、それらの品物の主人公が、世にも綺麗きれい好きな、重箱の隅を楊子ようじでほじくる様な神経家であることを証拠立てています。又遠藤自身の寝姿も、実に行儀がいいのです。ただ、それらの光景にそぐわぬのは、彼が大きな口を開あいて、雷の様に鼾いびきかいていることでした。

 三郎は、何か汚いものでも見る様に、眉をしかめて、遠藤の寝顔を眺めました。彼の顔は、綺麗といえば綺麗です。成程彼自身で吹聴ふいちょうする通り、女などには好かれる顔かも知れません。併し、何という間延びな、長々とした顔の造作でしょう。濃い頭髪、顔全体が長い割には、変に狭い富士ふじびたい、短い眉、細い目、始終笑っている様な目尻の皺しわ、長い鼻、そして異様に大ぶりな口。三郎はこの口がどうにも気に入らないのでした。鼻の下の所から段を為なして、上顎うわあごと下顎とが、オンモリと前方へせり出し、その部分一杯に、青白い顔と妙な対照を示して、大きな紫色の唇が開いています。そして、肥厚性鼻炎ひこうせいびえんででもあるのか、始終鼻を詰つまらせ、その大きな口をポカンと開けて呼吸をしているのです。寝ていて、鼾をかくのも、やっぱり鼻の病気のせいなのでしょう。

 三郎は、いつでもこの遠藤の顔を見さえすれば、何だかこう背中がムズムズして来て、彼ののっぺりした頬っぺたを、いきなり殴なぐりつけてやり度たい様な気持になるのでした。

 そうして、遠藤の寝顔を見ている内に、三郎はふと妙なことを考えました。それは、その節穴から唾つばをはけば、丁度遠藤の大きく開いた口の中へ、うまく這入りはしないかということでした。なぜなら、彼の口は、まるで誂あつらえでもした様に、節穴の真下の所にあったからです。三郎は物好きにも、股引ももひきの下に穿いていた、猿股さるまたの紐を抜出して、それを節穴の上に垂直に垂らし、片目を紐にくっつけて、丁度銃の照準でも定める様に、試して見ますと、不思議な偶然です。紐と節穴と、遠藤の口とが、全く一点に見えるのです。つまり節穴から唾を吐けば、必ず彼の口へ落ちるに相違ないことが分ったのです。

 併し、まさかほんとうに唾を吐きかける訳にも行きませんので、三郎は、節穴を元の通りに埋うずめて置いて、立去ろうとしましたが、其時そのとき、不意に、チラリとある恐しい考えが、彼の頭に閃きました。彼は思わず屋根裏の暗闇の中で、真青になって、ブルブルと震えました。それは実に、何の恨うらみもない遠藤殺害するという考えだったのです。

 彼は遠藤に対して何の恨みもないばかりか、まだ知り合いになってから半月もたってはいないのでした。それも、偶然二人の引越しが同じ日だったものですから、それを縁に、二三度部屋を訪ね合ったばかりで別に深い交渉がある訳ではないのです。では、何故なにゆえその遠藤を、殺そうなどと考えたかといいますと、今も云う様に、彼の容貌言動が、殴りつけたい程虫が好かぬということも、多少は手伝っていましたけれど、三郎のこの考かんがえの主たる動機は、相手人物にあるのではなくて、ただ殺人行為のものの興味にあったのです。先からお話して来た通り、三郎の精神状態は非常に変態的で、犯罪嗜好癖ともいうべき病気を持ってい、その犯罪の中でも彼が最も魅力を感じたのは殺人罪なのですから、こうした考えの起るのも決して偶然ではないのです。ただ今までは、仮令屡々しばしば殺意を生ずることがあっても、罪の発覚を恐れて、一度も実行しようなどと思ったことがないばかりなのです。

 ところが、今遠藤場合は、全然疑うたがいを受けないで、発覚の憂うれいなしに、殺人が行われ相そうに思われます。我身に危険さえなければ、仮令相手が見ず知らずの人間であろうと、三郎はそんなことを顧慮こりょするのではありません。寧むしろ、その殺人行為が、残虐であればある程、彼の異常な慾望は、一層満足させられるのでした。それでは、何故遠藤に限って、殺人罪が発覚しない――少くとも三郎がそう信じていたか――といいますと、それには、次の様な事情があったのです。

 東栄館へ引越して四五日たった時分でした。三郎は懇意こんいになったばかりの、ある同宿者と、近所のカフェへ出掛けたことがあります。その時同じカフェ遠藤も来ていて、三人が一つテーブルへ寄って酒を――尤もっとも酒の嫌いな三郎はコーヒーでしたけれど――飲んだりして、三人とも大分いい心持になって、連立つれだって下宿へ帰ったのですが、少しの酒に酔っぱらった遠藤は、「まあ僕の部屋へ来て下さい」と無理に二人を、彼の部屋へ引ぱり込みました。遠藤は独ひとりではしゃいで、夜が更けているのも構わず女中を呼んでお茶を入れさせたりして、カフェから持越しの惚気話のろけばなしを繰返すのでした。――三郎が彼を嫌い出したのは、その晩からです――その時、遠藤は、真赤に充血した脣くちびるをペロペロと嘗め廻しながら

2021-03-08

anond:20210307104424

そもそも他人勝手にその人の恋愛セクシュアリティ妄想してあれこれ書くこと自体人権侵害なんだけど(異性間だろうが同性間だろうが)。お前の人権概念どうなってんの?

何の人権侵害してるんだ? 言ってみろよ。

妄想してあれこれ書くこと自体は何の人権侵害でもない。お前の人権概念どうなってんの?

元増田自分自分で “言われたら言い返せない” と言っている。それを厳密どころか雑に再解釈したオレオレ人権差し替えて同じ文意で言い直してみても、マウント取りたいおじさんを風刺した喜劇しか見えない。この人あんまりものを考えてないな、って感想にどうしてもなってしまう。失笑提供したい意図でなければ。

それと裸で絡み合うBLとの違いが答えられないというならお前の頭おかしすぎますわ。

裸で汗かいて絡み合っている男同士だって大してエロくはないだろう。女性の裸と比べて男性の裸は性的とみなされてないし、表紙を問題にしてるんだから作品本編で二人が恋仲だとか恋仲でないとかは関係ない。読者を性的挑発したいって意図はどっちのデザイン共通している。勝手に「セリフの内容が性的挑発している」って発言捏造して両者は違うってゴリ押されてもそれは違いを指摘したことにはならないし、知らんがな、同じやろ、以外に言えないわ。お前こそ自分認知が歪んでるのを自覚しろ

2021-03-06

ベートーヴェン最期のことば

諸君拍手を!喜劇は終わった」

※実際は「残念無念(ワインの到着)遅すぎた」になってしまった模様。


望海さんはこれを知っていて、fffは喜ぶ劇だ、と言ったのか。

ベートーヴェン人生喜劇(本人談)かあ、いい。

望海氏含め退団者8名のタカラジェンヌとしての喜劇もあと1ヶ月で終わる。惜しみない拍手を送りたい、感染対策して映画館で。

2021-02-19

anond:20210218163359

連合赤軍事件を思い出した。

──実際に行われた「総括」には、冷静な視点で見ると、喜劇的とも思える場面がいくつかあります赤軍派森恒夫が「目がかわいい」と言われて激怒し、拘束していた女性へのリンチエスカレートさせていきました。

https://dot.asahi.com/wa/2017032900063.html?page=3

2021-02-11

書いたな、俺の前でウサミちゃんはそんなんじゃないよ~の話を!

「ウサミちゃんはそんなんじゃないよ~」とは

Twitterの某アカウントが描いた二次創作界隈に対するお気持ち画像と、そこに描かれていたるデフォルメカイロス公式逆輸入により誰かの何気ない画像バズることで公式キャライメージ崩壊することが実際に証明されてしまった事件のことである

元々の「ウサミちゃんはそんなんじゃないよ~」とはどんな内容か

ウサミちゃんというキャラが→ムキムキに改変される→流行ったら最悪→何故か極端なデフォルメをされたカイロスが「ウサミちゃんはそんなんじゃないよ~」と泣いている→最悪のケースは公式逆輸入されることであると書かれている

これがウサミちゃんはそんなんじゃないよ~の概要である

ぶっちゃけこれがどういった経緯で書かれたのかは本人のお気持ちことなので他人にはわからないが、どうも艦これ界隈において多数の二次設定が乱立してはそれが公式逆輸入され初期のキャラ付けが崩壊することを嘆いたものであると推察されている。

かに艦これ界隈においては「空母大食い特に赤城)」「◯◯はママ複数いる)」などのファン設定が共有されていき、それが公式へと逆輸入されていっている。これはアニメにおいて赤城大食いカレーを食べているシーンを思い出せば瞬時に理解していただけるだろう。

そもそも創作物制作サイドは二次創作の設定を拾って取り入れたがる場合と、初期のイメージを守ろうとする場合のどちらかに分岐していく運命にある。

気をつけたいのは、「ファンにとってのそのキャラクター」を作中で描こうとした結果のファンサービスであって、公式逆輸入を繰り返す運営が単に悪ノリをしてるわけでも、初期設定を貫く運営二次創作におけるキャラ改変を嫌っているということでもないことだ。あくま作品ファン相互幸せになる形を模索した結果にすぎず、好みの問題、not for meの類となりそこに絶対正義はない。

とはいえ個々人の感情においては「俺が不快からな許せねえ」が絶対正義となるのも事実であり、内心の自由保証されている国でそこに踏み込んで平地に均せということに正義はない。

「ウサミちゃんはそんなんじゃないよ~」はなぜ定着したのか

画像中に突然出てくる垂れ目のカイロスポケモンアニメ逆輸入されてしまたかである

事件アニメポケットモンスター サンアンドムーン」第13話「アローラパンケーキレース!」において起こる。

なんとそこにはしょんぼりした垂れ目で情けない顔をしたあのカイロスがいるではないか

カイロスは昔からレアだけどパっとしない」「クワガタというよりアリジゴク」「ストライクは強くなったぞ」「ライバルヘラクロス普通に強いぞ」とネタにされ続け、メガシンカによりようやく日の目を見たときでさえ「対抗馬だったヘラクロスへの殺意が具現化した姿」と言われてしまうほどのネタキャラぶりである

そんな姿と強気な吊り目のギャップが魅力のカイロスが何故か垂れ目にされるウサミちゃん画像インパクトはなかなかのものがあり、あのウサミちゃん画像ポケモンアニメ事件より前にバズった際には多くの界隈で「なんで突然カイロス?」「これはカイロスなのか?」「流石にキャライメージが変わりすぎだろ」「カイロスは繊細じゃないよ~」「カイロスはそんなんじゃないよ~」と言われまくっていた。

これがそれで終わっていれば「あれはカイロスじゃなくて似ている物体」「カイロスだと思っている人のお気持ち案件」で終わったのだが、よりによってこのカイロスっぽい何かがカイロスとしてポケモンアニメに出た結果、「カイロスの中には垂れ目で繊細な心を持った個体がいる」という設定が公式のものになってしまったのである

元々ネタ扱いしていいポケモンという立ち位置が強かったカイロスにコレが起きてしまったせいで、カイロスキャライメージに「そんなんじゃないよ~」は強く埋め込まれることになった。

強気な顔つきと攻撃的なメガシンカ初代やGOにおけるレアリティなどの要素から一転直下して「そんなんじゃないよ~」と言い出す姿はネタキャラとしては最高に美味しいためある意味セーフというのが多数の意見だが、一部には「カイロスは実はカッコイイ」「クワガタやぞ?」「漢の相方」といった価値観ファンもおり、そういった「強いカイロス」のマニアにとっては強い逆風が吹くことになってしまった。

この事件における最もインパクトが強いところは、公式逆輸入を最悪と謳ってる本人が公式逆輸入されるネタ提供し、キャラクターイメージを変化(まあカイロスは元々ネタキャラからセーフみたいなのは今は置いといて)させてしまたこである。なぜ適当動物キャラにしなかったのか。どうしてカイロスだったのか。どうしてあんな描き方をしたのか。作者の無配慮が産んだ悲劇にして現代インターネット喜劇である

我々が「カイロスはそんなんじゃないよ~」から学ぶべきことは、自分が誰かの無配慮に怒るとき自分の怒りに意識を向けすぎると、今度は自分が誰かにとっての無配慮になってしまうから気をつけねばならないということだ。ここまで読んでくれた皆さんは是非そんなんカイロス他山の石として持ち帰って欲しい。


https://anond.hatelabo.jp/20210210183005

安心して強いものいじめのメイン盾となる森喜朗

いやもちろん批判されるべくしてされているのですが、テレビや各種メディアネット自分過去所業を棚に上げたり、反省たことにして、他人いじめたり、いじりまくっていた著名人のみなさまが道徳ポイントポリコレポイント稼ぎとばかり森喜朗氏のことを批判したり罵詈雑言を向けているのを見て、

過去いじめられたり、著名人言動を覚えている人がどうやら複雑な思いをmetooし始めたようだ


正しくいられる上流国民孤立する庶民、忘れられた人達

錦の御旗を掲げて暴れる愚連隊商売しようとオンラインサロンを作る人たち

いつまでたっても歴史螺旋状に悲劇喜劇を伴って現れる


からマンガを含めた書物面白く、温故知新することは人生を豊かにする

2021-02-08

anond:20210208133105

じゃあジェンダーセックスの違いがわかっている人は

自称"女性"による性犯罪リスト。これで"女性犯罪者"が増えたとみなされるなら最悪の喜劇

トランスジェンダー女性として女性代表する場で意見を出すということは、受胎したときから受ける女性差別男性社会の中でのマイノリティ立場経験しない人が当事者として社会における女性立ち位置を語るということ。これで人類の半分にある月経妊娠考慮に入れた社会に近づけるだろうか。

くたびれはてこ

日々さらされている性暴力への当然の警戒心や日常的に起きる生理的なしくみへの対処まで差別扱いして議論さえ封じ、黙らせる。新しい女性定義押し付け定義について問うこともゆるさない。これが女性差別でなくてなんだろう。

https://twitter.com/kutabirehateko/status/1296245654419734529

みたいな発言をどう解釈するの?

2021-02-03

フェス

毎年、夏にもフェスに出たり、フェスに出れたりしている。

小康時代ランドセルを背負ってコンサートで歌っていた場所は、喜劇劇場ケープタウンのすぐ裏。古い町並みの中を走る国道沿いの大通りで、5時間に1本のペースでフェスを開催する。町中から中へ国道160号線に向かってその小ささなく大きな通り沿いの町のわけを、40分くらい歩く。市内から県道に乗るので、道路沿いも歩く道幅も23くらいある。

さて、初めはいかにHIPHOPバンド。とは言え、重厚感はない。当時、二十代だった私は、若いながらも、威圧感のない、個性のあるバンドが好きだった。して、そんなバンドが、50代になり、また今年、60代になった。

実は思うに、21歳くらいの時からロックフェスに足を運んでいる。

今や、「美」をテーマにしたフェスという基本の中の言葉を飾ってのフェスであるそもそもフェスに行く時には、「美」というテーマを取るバンドがここだったのだが、ノスタルジックで美しいフェスというゲーム存在する限り、何を1曲として伝えるのか、異端として映るフェスはない。

そんなときには、先月、60代を迎えたばかりの界隈の若手バンドと、30回目のさかえとで見比べてみる。ロック好きの目から見ると、他のフェスと比べて、ロックの熱は薄いように思う。

もちろん、他にはロックフェスにも、パンクパンクロックヘヴィロックパンク色の濃いフェスがある。では、60代のロックフェスには、どんな意味合いがあるのだろうか。間違いなくそれが分かる。もしも、70から80年代前半、80年代アイドル80年代クラシックを、ロック解説してみたい。HIPHOPは一時代を通して、1980年から80年代にかけて爆発的に拡大した。その変遷は、令和の時代になってからも変わらない。毎年、夏、そして9月のどこかに出かけた時に、その熱はまだまだ冷めないのが目に見えた。

だが、今年、ノスタルジックになって、なおかつ、熱気に溢れんばかりの方が、画的にも、参加しているバンドも、ロックフェス育ちのオヤジたちは、新社会人になって、そして、新天地ロックフェスを楽しんでいる。今年が半世紀もの時を経て、フェスでお会い出来るというのだ。

最新作の数々、みじんも予想していなかった60年代ロックフェスが、60代の初夏になり、令和2年、令和2年になる。さらに、30年、60年という節目を記念するイベントも多数開催予定で、その一つになると言っても過言ではないと思う。ロック民族楽器演奏で、ぶっつけ本番で、ロックフェスを楽しむのが海辺のまちなのだ

なお、今年のフェスでは、ビーチにバーベキューバーベキュー外遊びをする以外にも、パーティーフェスというユニークな形で開催が予定されている。(本稿は今年のフェスで話したいと思う)さて、今年のフェスに、一本だけでも、何本かある。まだ1本も見たことが無い方々は、ぜひ、観てきて欲しいと思う。とはいえ、40周年、60周年、このタイミングに合わせ、バンドバンド同士の交流は、今の倍以上になりそうな気がする。まだ出たばかりなので、今年のフェスにも足を運ぶ予定があるのは、それからなのだ

バンドはいつも、誰もが自由解釈や曲、サウンドを奏で、そして、唄い、演奏しながら、声を張るという音楽世界を行っている。それは、30周年を迎えたバンドにとっては、非常に大きなことだ。音楽性も、そして、時代によって雰囲気もどんどん変わってきている。いま、時代と共に周りの環境も大きく変わってきているが、それでも、時代に取り残されている音楽というのが、ロックフェスの特徴なのだ。60年以上も前からロックフェス世界にいて、私たち世代の憧れのバンド。どこかで見たような、ラテンっぽい、レトロな、EDM風なサウンド。独特のサウンド。そんなロック自慢の音楽が、20年、30年も、世界に多くのオーディエンスを誘って、地球の裏側で、フェスを行うことになる。

そして、令和2年も、今年で60周年。20年を超えるのに、すでにロックフェスで、しかも、60年を超える必要がある。70、80年のミックスアップ、98年のドック、96年の超結婚。そして、その超絶必勝の方程式

今後も、ロックフェス成功は続くことだろう。ロック好きな大人が存分にロックを楽しんではいけまい。

2021-01-17

私の楽しい母親について

 私の楽しい母親について。

 初投稿。暇だから書き殴ります。私の母親楽しい人です。身内の贔屓目かも知れませんが、少なくとも私は私の母親以上に面白い生き物に出会えた試しがありません。

 まず前提として私は母親に一切の畏敬を抱いていません。いかにも実母に対して好意的タイトルを銘打っておきながら、その中身は身内の恥を晒すような代物です。

 タイトルから家族暖かい日常話を期待して来てくれた方には申し訳ありません。他人の家の不幸自慢に耐性のない方は、気分を害する前に引き返すことをお勧めします。

 私の父親を「人でなし」だとすると、母親は「ロクでなし」という言葉体現した人物だと思っています。どちらにも共通する部分として「幼稚」というものが挙げられます。そんな両親の間に産まれた私も高が知れたもので、その品性はこのような人目に触れる場所に褒められない文章を投下している時点でお察しです。

 結婚動機母親によると「他に好きな人がいたから」というもので、それだけを聞くと要領を得ないものですが、さらに詳しく問い質していくと、やはりどうにも意図を掴みかねる答えが返ってきました。

 どうやら「別の男に近付くために結婚までして子供を産んだ」という、なんだそれはと呆れ返るような真相です。ちなみに父親祖父母財産目当てでした。

 結局この話のオチは「夫の暴力に耐えかねて離婚。目当ての男には逃げられた」という三流喜劇も甚だしいものになりました。なにより面白いのは多感な幼少期の私に「お前は道具として産み落とされたんだよ。お前の父親なんて愛したことがない」と正面から説明していたことです。おかげで物心着く頃には母親の大体の人間性が把握できていました。まさしくロクでなしです。

 実は私には姉がいます。これまた手放しに性格が良いとは言えない姉です。それでも人並みの優しさと常識を兼ね備えた、あの両親からしたら鳶が鷹を産んだような奇跡の子供です。そして、母親のことをこの上なく軽蔑しています

 というのも姉は母親の第二の被害者第一祖父母、第三は私自身です)と称しても過言ではないのです。

 前述の通り、姉は手放しに性格が良いとは言えません。それこそ小学生時代は男勝りに無鉄砲で図々しく、なにより神経が丸太のように図太い子供でした。端的に言いますと、愛想がないのです。家から閉め出された日には本当に家出をしようとしたほどです。

 そうなると母親には面白いはずもなく、離婚してから三人暮らしを始めると、やはり予想通りと言うべきか、姉が怒られない日が珍しいほどでした。中には八つ当たりのような理由のものも少なくありません。叱る前に怒るという部分に母親、それ以前に「大人としての適性」が伺い知れます

 なにより記憶に鮮烈なのは子供二人に酒のお使いを押しつけた挙げ句、買えなかった旨を報告され乱心し、姉に痛烈なビンタを喰らわせた事件です。怒っていいのか笑っていいのか分からない、そんな気分を低学年にして初めて味わいました。

 とはいえ子供は養われる身。それも咎め大人のいない三人暮らしでは、母親の気分を害する行為禁止という暗黙のルールが敷かれていたのです。私としては母親の不機嫌は大抵姉が吸収してくれるわけで、そこまで不自由な気分はしていなかったのですが。

 祖父逝去すると祖母との四人暮らしが始まりました。そしてこの祖母こそが母親の最大の被害者です。あの「怪物」を育て上げた手腕にブリーダーとしての才能を匂わせる祖母ですが、その生涯には怪物の息子である私でも同情を禁じ得ません。

 まず家賃の半分以上を祖母年金負担さらには家事担当祖母。既に身体にガタが来ているというのに、まるで休まる暇もありません。

 そして肝心の母親はと言えば、子育てさえ自分の親に丸投げして自堕落実家生活祖母の苦言も馬耳東風。終いには「仕事もしてない子供家事やらせろ」と責任転嫁学校から帰宅して自分家事を最低限こなしていた私たちに、自分家事さえ人任せな大人が偉そうに命令するのです。

 甘える対象が近くにできた母親はロクでなしかクズへと退化していきました。時に祖母母親は殴り合いの喧嘩まで発展し、何度か警察沙汰さえ引き起こしましたが、それでも母親は成長することはありませんでした。

 そして母親人間性はついに暗黒期に突入します。

 出会いに失敗、仕事に失敗、金銭に失敗。往々にして失敗とは本人の選択ミスが招くものであり、失態を省みて自己改善に努める能力現代社会人に必須とされるものですが、当然ながら私の母親にそんな殊勝な精神性は宿っていません。

 どこで最悪の出会いをしてきたのか、ある日母親帰宅するなり、とんでもないことを口走り始めました。

「実は私の人生は悪意によって歪められたものであり、それは前世において私の大成功を妬んだ存在、今世における実の母親仕業である。数年前にゴホンゾサマの像を返却した事実がその証拠だ」

 私は感動しました。その日までテレビの中でしか実在しないと思っていた出来事が、目の前で起きたのです。まさか、実の母親カルト集団の仲間入りを果たすとは!

 やはり逃げ道としての宗教人間を腐らせるものに違いありません。その日以来母親は事ある毎に祖母に恨み言を吐きかけるようになりました。全て根拠も論拠もない妄想の垂れ流しであり、こちらの話には聞く耳も持ちません。もはや自分に言い聞かせているかのような修羅の勢いでした。

 定年を迎えてまで馬車馬の如く働かされ、自分貯金を浪費されるばかりか、元凶罵詈雑言を浴びせられる祖母。二人の殴り合いの頻度は一週間に一度というハイペースに至りました。私たち姉弟は巻き込まれる度に仲裁を試み、時に身内を警察通報するという地獄を繰り返していました。今思い返してもあの頃ほど充実した毎日は生涯訪れないだろうと確信しています

 これらが既に三、四年前の話であり、今は他の事もあって最盛期より随分と落ち着いています。私の母親の笑い話はこの他にも枚挙に暇はありませんが、全てを羅列するとなると労力も文字数も計り知れません。流石に飽きてきたので今回はここまでとさせていただきます

 今回は休日時間潰しにと思いついて執筆させていただきました。少しだけでも楽しんでいただけたでしょうか? 人の不幸自慢を楽しめたなら世の中の大抵のことは楽しめることでしょう。羨ましい限りです。

 さて長々と書き連ねてしまいましたが前述してある通り、こんなものは「不幸自慢」の範疇に収まるような些事です。どこの家庭も抱えている多様な問題の一例にすぎません。

 中には育ててさえもらえなかった、食事すら自分で用意した、という方もいるかも知れません。それらを比較してどちらが可哀想、という話も私にはとてもできません。

 ただ最近の世の中は便利なもので、腹の内に抱えた宛のない不満を吐き出す場所が用意されているものです。例えば、こことか。

 いつか自分の心に限界を感じたとき、一度全て文字に起こして気持ちの整理を試みるのもアリかも知れません。

 まあ、私は自分可哀想だとか不幸だとか考えたことなんてありませんけど。

2020-12-25

M-1 2020・ネタ以外の感想その2(本戦打ち上げ

その1(抽選会〜敗者復活戦)はこっち

本戦

最初の30分ほど煽りV→CM煽りV……の連続
煽りVの連続マスク外し
今年の「俺たちが一番面白い」は盛山
ナイツ塙「ちょっとなんか、今年調子悪い…」
敗者復活組がトップバッター
敗者復活はインディアンス、3位ぺこぱとは10万票差
インディアンス田渕「上戸彩さんの反応分かりやすすぎ、でも心の準備ができました」
  • ネタ終わり、笑神籤について。それ以外にも「(復活する)自信はありましたか?」に「途中経過を発表してくれるのでドキドキできました」と徹底してポジティブ
志らく能天気バカを演じてるんだけど、そこに彼の人間性が出てきて、見てるうちにちょっとこう、なんかウルッとするんですよね」
東京ホテイソン ショーゴの着てるTシャツがHOTEISON
東京ホテイソンたける「久しぶりじゃないですか?こんな前期のM-1みたいな点数出るの」
ニューヨークの出番前、送り出す野田がエレパレポーズ
ニューヨークマイクの前で出囃子終わるのを待つ
ニューヨーク屋敷一年越しのリベンジやー!!」
嶋佐・屋敷「売れた?今売れた?やったっ」
  • 上沼さんの「ほっといても売れますね」を受けて、控えめに小躍り。可愛げを感じさせる。
見取り図盛山「マジでこのまま長髪で通ってまうで僕」
東京ホテイソンたける「いーや梅干し人間の面構え!」
おいでやす小田「もう2本目やる体力残ってないです」
  • ネタ終わりで息も絶え絶えに。
おいでやす小田「やってきた20年どうなるんすか!!!
  • 上沼から「一人と一人でやってたらあかんよ」と言われて絶叫。
インディアンス田渕「せーの、また来年ー!」
マヂラブ野田「早くあの人の声が聞きたいです」
  • ネタ終わりの採点前コメント。ちなみに「あの人」の第一声は「待って、三年前?何も覚えてない」
マヂラブ野田「何人にもあんなことしてるんだ、だから覚えてないんだ」
マヂラブ点数発表
ニューヨーク嶋佐「バスケがしたいです……」
  • 敗退コメント。その横でひたすら無表情の屋敷。これは屋敷も含めて画面に収めてもらうことを見越してのボケだったんだろうが、カメラが嶋佐だけに寄っちゃって変な感じに。
オズワルド伊藤、採点後コメントで声量調整
おいでやす小田「誰を一位にしとんねん!!!
アキナ秋山「おいでやすこがさんのをやってる間、お客さんの前に立ってるのが恥ずかしい」
錦鯉の紹介パートでヒロドアナボケ長谷川さんは4回も目が覚めてしまい、もう歳かなとおっしゃっていました」
マヂラブ村上「最高に嬉しい気持ちです。ありがとうございます
錦鯉まさのり「僕のパチンコ台も出ますかね?」
ウエストランド井口 CM前に太田のプシュー
今田「無理しなくていいからね」 ウエラン河本はい、すいません」
  • 喋るなと言われていたためコメントを考えていなかった河本。素直。
エラン井口「いやそうですよ、そう考えたらすごいことですよね」
  • 初出場にしてはよくやったと上沼に褒められての返し。ウケてる。井口の小物感いいよね。
最終決戦の出番順はファースト順位逆順
  • 時間半もあるんだから今までの選ばせる演出してもいいと思うけどね。毎年変わらないとしても念の為
マヂラブ2本目終わりにハンカチで涙ぬぐう今田
上戸「今年もCMの後です!」
マヂラブ野田M-1最高ー!」
おいでやす小田「こんなネタしてますけど、僕決して怖い人間じゃないので」
マヂラブ優勝
マヂラブ野田最下位獲っても優勝できることあるんで、諦めないでください皆さん!」
上沼「覚えとらへんけど、ごめんねえ」に野田「やめてください」
志らく「あれだけ喋らずに笑いを取るのは、漫才を超えて喜劇なんですよね」
松本漫才やることの幸せ漫才見ることの幸せを今回特に感じました」
マヂラブ野田「えみちゃん辞めないでー!」

そんな野田国民最高ー!で(多分)アシストする形になったインディアンス本戦ネタ以外のMVP。田渕の明るさが素なのが浸透してきて、いつどこで見ても機嫌よく周囲に分け隔てなく接する人の良さが大会を明るくしたと思う。事前PVハハハと笑った直後に「敗者復活見てろよクソッ」と涙声で建物を出る姿も印象深かった。今回の敗者復活、そしてトップバッターインディアンスが間違いなく適任だった。

反省会

小藪「恥ずい漫談仕上がりすぎてる」
  • アキナが延々と恥ずい連呼する様子について。達者ではあるんだろうが不自然なんだよな。
アキナ 中継トークに慣れてる

正直この反省会来年から後回しにしようかなと思ってる。笑い飯川島土屋に一人ずつ小藪が振っていく構成なのでディスカッションにはならず広がらない。講評の内容も正直そこまで深くないし。ファイナリストインタビュー小藪じゃなくてミルクボーイと話してるほうが見たいし、中継のラグもないのに。各組の時間も短すぎて内容薄い。福徳が泣いたり川瀬が死にそうになってた時はめちゃくちゃ面白かったが、今の形式ならもういいや。MVPもなし。

ストゼロ打ち上げ

大悟面白いことなんて言わんでいいからね」
エラン河本 マスクしたままストゼロ飲もうとするボケ
インディアンス応援ツイート投稿者名が「トット推しが止まらない」
インディアンスきむ「髪の毛あるなんかダメって、それ聞いて僕、全上げで」
見取り図リリー「もしエントリーするなら、第2位です」
  • エントリーするかどうか決めかねてる感じだな。まあきついよなあ。
見取り図リリーメッセンジャー黒田さんからLINE来て、ほんまにかっこよかったんですけど、『漫才師としては優勝です』って」
  • これ言わないほうがいいだろ。純粋に嬉しかったんだろうけど。千鳥は気づいてそれとなくフォローしてるな。
マヂラブ野田「俺、お笑い王になりたいんす」

今年はソーシャルディスタンスのためにスタジオなのもあってワイワイ感が少なく、そのぶんガッツリ掘り下げるようなトークが多かったかも。

みんな良かったけど本戦だけでなくその後に漫才定義いるのかいらんのか問題に巻き込まれてアホの攻撃道具にされた見取り図お疲れ様意味MVPをあげたい。全組漫才ですといち早く宣言したのカッコよかった。


M-1が「4分の中にできるだけ多くのボケを詰め込み終盤に伏線回収とかして盛り上げる漫才」だけを漫才だと定義するような大会だったらここまで人気は出てない。邪道と呼ばれるものを堂々と評価してきたからこそM-1面白いのだ。そんな妖怪大戦争だった今回のメンツで冷静に戦略を練り淡々コマを進めたマヂラブが最終的に披露したネタが床を転がり回るっていうカオスなのが最高すぎた。今年は野田脚本による壮大なミュージカルに知らぬ間に全員が巻き込まれてたんだろうな。運命を味方につけるってのは実はこういうことなのかもしれない。本当に凄いものを見せてもらった。

MVPとか偉そうでごめんね。マヂラブおめでとう!

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