はてなキーワード: windows95とは
例えば、民主党政権ができたことは「革命的」な出来事だったんだよ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E6%A8%A9%E4%BA%A4%E4%BB%A3
Wikipediaの日本の政権交代の歴史とか見ると、へーと思っていただきたい。
経済面で見るとバブルのピークを迎えたのが平成元年そして「崩壊」も平成の出来事なんだね。
これも革命的にだった。当然リーマンショックもあったね。これの余波で年越し派遣村なんてものもあったな?
この年越し派遣村は上述した民主党政権へと繋がっていくわけだがな。
技術的に見ると当然Windows95の発売は革命だったしインターネットの普及は、革命のための手段を庶民が手に入れたね
マスコミからミニコミの時代へ移り変わる革命だった、増田やはてぶもミニコミの一つだね
世界面で見ると、やはり中東の戦争だな、湾岸戦争から続くビンラディンとか911テロがあるね
日本の困った事件としては、河野談話も平成の出来事だよ、慰安婦問題なんてのは戦後すぐにあったわけじゃなく平成に入ってからどっかの新聞が始めたネタだったね
革命の定義によるけど、だいぶ革命的な事がたくさんあったとおもうよ平成。
えー、興味もないくせに、知ったかぶりで慰安婦なんて持ち出してすんません、河野談話が平成なので、そこで問題が盛り上がってどーたらこーたらなんだろ程度の認識でいました。
もうしわけないので間違いの無い自分の専門仕事範囲であるの厚労省管轄の話を書くと
また、ここでよく話題になる少子高齢化ですが人口維持ができなくなる、出生率2.08割り込んだのは昭和の出来事です。
そして、ひのえうまの年を割り込んだ 1.57ショックが平成の出来事ですね。
平成元年が1.57ショック
それにつづいて平成何年だったかな? 5年? それくらいの1桁台の頃に共働き世帯と専業主婦を抱える世帯の数が逆転しますね。
男女共同参画の成果により 共働き世帯が一気に増加したのも平成で男性から女性への所得移転は確実に成功しております。
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11201000-Roudoukijunkyoku-Soumuka/0000118655.pdf
この書類とか見ると、昭和と平成の比較になっているのでわかりやすいかと思いますわ。
男性の正規雇用を女性に移転することに成功しているのが見て取れるかと思います。
なおこの資料には無いけど、若者の雇用を60以上のシニア層に移転することも成功してます、
あ、言い方間違えた、
父はPC98の時代からパソコン通信をやっていた。通信中に動かすと回線が途切れるだかで、よく近くではしゃぎ回っては叱られていた記憶がある。
それからwindows95が出た。私が高校生の頃だ。父は相変わらずオタクだったから、地元のケーブルテレビの常時接続のサービスを探し出して契約していた。ISDNの出回る前からネットが使い放題だったのはかなり贅沢な高校生だったと思う。
仲間はテレホマンが多かったので深夜から明け方まで毎日交流した。自然と学校は寝る場所と化したがなんとか卒業させてもらった。
遊んでいた人達には大学生が多かった。研究室という場所から接続している人も多いらしかった。またプログラマーを生業としている者もいた。当時よく一緒に同じゲームをしていた奴の一人は院で大層な論文を書き、今はグーグルに勤めていると聞いた。
もちろん中には普通のOLなんかもいたが、今から思い返すと今ほどには普通の人はいなかったと思う。あの頃、インターネットにたどり着くだけでかなりのふるい落としがあった。PCも高価だったし、普通の人がなんとなくインターネットをやれることは少なかったように思う。
それから10年が経って、インターネットはかなり一般化したように思っていたが、今から振り返ればまだまだそんなことはなかった。多くの人はガラケーを通じてimodeという閉じた世界に隔絶されていたし、それが紛い物であることにも気付いていないようだった。
思えばインターネットがたしかに存在していたといえるのは、このあたりまでかもしれない。我々は明らかに隔離されていて、その状況を好ましく心地良いものとして享受していた。
そしてスマートフォンが現れた。ジョブズの大発明は全てを変えた。ジオシティーズやxreaを借りてhtmlを書き、自分の書いた文章が世界に発信される感動を知ることもなく、普通の人がごく当たり前にツイッターやインスタグラムを使うようになった。
もはや、ネットで通じ合うのはそこら辺ですれ違う普通の人たちだ。かつてあったインターネットは消滅して、代わりに現実社会の写し鏡が出来上がった。
ネット空間で人々は毎日諍いを起こしている。口を開けば論争になる。承認欲求や共感がより鋭い言葉を生み出す原動力となり、思想は狭量の免罪符に取って代わり、主義主張は単なるコミュニケーションの手段に成り果てた。
ウェブ空間はアフィリエイターが占拠し、ブログビジネスは大量生産されたゴミの山の大きさを競うゲームに変質した。SNSでは情報商材のようなマイルドな詐欺が横行し、それをインフルエンサーが後押しする。
製品はマーケティングの付録に過ぎなくなり、人々のコンプレックスにはターゲティング広告が容赦なく食い付く。今日もまた、データ至上主義の起業家が全能感を振り撒いている記事が流れてくる。
集合知に感激し、Wikipediaに感謝していた頃、インターネットにはすべてがあると思っていた。だが必要な情報を得るコストは際限なく膨れ上がり、グーグルという神の掌の上にいる我々にはもう何が真実なのかを知る術もない。
インターネットに雷鳴を受け、人生を大きく揺さぶられたあの頃に若者だった人達に問いたい。あなたたちが夢見た世界はこんなものだったのかと。
もしかすると梅田望夫さんはとてつもなく未来が見えていた人なのかもしれないと今更にして思う。
このインターネットに対する深い失望が、日本の困難な時期と重なってしまったことは本当に悲劇だ。分断と先鋭化を生み出すこの装置によって、我々は団結することを阻害されている。
この一、二年でインターネットが有害なものであることはかなり認識されてきたと思う。でも、そこまでだ。問題の存在がわかったところでこのひどい現実を変える方法は見つかりそうにもない。
日本がまだ保っている間に、人々はインターネットの正しい使い方を学び、この地獄から抜け出すことが出来るのだろうか。もう残された時間はほとんどない。
いろいろ考えてみたけどこれ解釈を広げすぎて元増田の好みから脱線しちゃうよね?
SNSを監視し個人情報をハックしてテロリストをあぶり出すネットヲッチャーゲーム。
twitterもどきやyoutubeもどきが出てきてナマナマしい。
https://store.steampowered.com/app/491950/Orwell_Keeping_an_Eye_On_You/
ネットを題材にしたある章にカムイネットというサイトが出てくる。
ただ絵的に映ってるだけで操作できるわけじゃないのでナマっぽさはあまりない。
タブレットを操作できる。その世界のニュースを読めたり通販も利用できる。セーブもこれでやる。
https://store.steampowered.com/app/447530/VA11_HallA_Cyberpunk_Bartender_Action/
メールしたりフォーラム覗いたりプログラムをDLしたりでディティールが細かいのですごくナマっぽいんだけど、いかんせんモチーフが古いので若い世代はそれを感じられないかもしれない。
http://scoutshonour.com/digital/jp.html
メニュー画面がCUI。CRTみたいに歪んでるし、後ろで鳴ってるHDDのココココ音にノスタルジーを感じたらおじさん。
レトロなCUIからスタイリッシュなFPSへダイブするような演出はかなり好き。
https://store.steampowered.com/app/322500/SUPERHOT/
架空のwebサイトと言うより架空の警察のデータベース。コンピューター画面はWindows95っぽい。そしてCRT。
検索力(りょく)を駆使して謎を解くゲーム。カンが良くてググるのが得意だったら2時間ぐらいでクリアできるかも?
プレイするなら絶対にネタバレを見ないよう。何故かと言うとプレイする意味が消失するので。
https://store.steampowered.com/app/368370/Her_Story/
ゲームは主にこれを介して進行する。世界情勢のニュースを見れたり、メールやビデオチャット的演出もある。
デザインや考察はとても凝ってたのでこういうインターネットの未来はあるのかもしれないと思えた。
はてな民なら、極端なハックを寄せてくれるのではないかと期待しています。
または、はてな民のおもしろい罵詈雑言を浴びて、気分をリフレッシュさせたいです。
特定はやめてください。
彼に関する最古の感情は以下。私が年長さんか、小学校低学年の頃だと思います。
「3才年下の彼の行為は、3年前の私がやったらこっぴどく怒られた行為。何故彼はえこひいきされているのか?」
「3年前の私が出来た事を、今の彼は何故出来ない」
「彼と同い年の従兄弟が出来ることを、彼は何故出来ない」
彼が小学生の頃、彼の夏休みの宿題を、家族全員で手伝うイベント。
宿題がほとんど未完の状態を母が検知し、母が「全員でかかれ」を発令。
私にインセンティブはありませんでした。
父母の財布から金を盗んで。
工業高校を卒業した彼は、母の薦めで、母のコネで、塗料関係の企業に就職しました。
実家に戻った彼は、母の薦めで、情報処理専門学校に通いました。
Windows95がまだ出ていない頃。
彼は、卒業はしたようですが、コンピューターを嫌いになったようです。
彼は半導体の製造工場に勤務しては雇い止めに遭う、を繰り返します。
そのうち、田舎では働く場所がなくなって、東京のハズレの方に勤務します。
上記は珍しく、彼の意志での赴任でした。2005年ぐらいだったように記憶しています。
2008年のリーマンショックで派遣切りにあい、企業の寮を追い出され、その後数年間無職になります。
寮を出てアパートを借りる金、無職の間の生活費を母が送金していたことを、父と私が知るのは2015年暮頃。
母→彼への送金がバレるきっかけは、母がボケて金遣いが荒くなったためです。
彼を地元に呼び戻そうと、父母は考えました。
東京で無職をするより、実家で無職のほうが経済効率は良いためです。
しかし彼は応じません。
提案に応じないのではなく、電話に出ない、手紙の返事もよこさない。
東京に住む叔母が訪問して、一度は会ったようですが、以後居留守を使っているらしいとのこと。
「返事すらしないのは家族ではない」父と私で見解を統一しました。
母からも連絡が行ってるはずですが返事はないようです。
遺産分割するため{レターパック、書留、裁判所からの通達}を送りましたが全て無視されています。
彼は警察に保護されて、東京に住む叔母が身元引受人になって警察に赴いたとのこと。
と言う連絡が、私に、東京に住む叔母の息子(つまり私の従兄弟)からありました。
これが数日前です。
「彼を地元に連れ帰ってくれ」
私は断りました。
母の要請で彼の世話をしたくありません。
43歳で、工場をクビになって、ホームレスになって、食うや食わずで行き倒れる人間は、この先どうすればまともに生活できますかね?
あるいはマスゴミが
「ここが彼の生家です!!!!」
と殺到するかも知れません。
https://mainichi.jp/articles/20161106/k00/00m/040/144000c
現在では、「1990年代初頭にバブルが崩壊したら、即座に『失われた10年(20年)』が始まった」というイメージがあるようだが、これは実感に大きく反する
「失われた10年(20年)」「就職氷河期」というフレーズは、いずれも小泉改革後の2005~10年代ごろ、改めて1990年代を振り返って出てきた定義のように感じる
1970年代生まれの当事者として、1990年代の印象はこんな感じだった
・1991年:バブル崩壊の年といわれるが、ジュリアナには踊る若者が多数集い、悲惨な印象はなかった
・1993~94年:ようやく「女子大生の就職難」が盛んに報道される。男子学生も就職難だが女子の方がもっとひどかったから
・1995~96年:阪神大震災、地下鉄サリン事件、Windows95発売、小室ファミリー絶頂期、エヴァンゲリオンのブームなどで、就職難や不況の報道は影に隠れてた
・1997~99年:ITバブル起業ブームが派手に喧伝され、上記グラフでは就職率が最悪期のはずなのに負け組はほとんど報道されなかった
・2000年以降:マクドナルドで半額セールの常態化、牛丼チェーンの値下げ合戦などで、ようやくデフレスパイラルが本気で実感として広まる
・2001~2005年:小泉改革で世の中良くなると一方的に喧伝される。結果はご存じの通り
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今では誰も信じてくれないだろうが、1990年代当時、高学歴の経済評論家も含めて、多くの人間は「数年待てばバブルが帰ってくる」と思っていた――というか、そう信じたがっていた
これは無理もない話である
未来というのはまったくの未知だが、過去は既に体験したことである。人間は物を考える手材料として、近過去の印象に強い経験に頼りがちだ。さらに、未来予想には希望的観測というバイアスがかかりがちである
当時は、まだ未知の不況・デフレより、既体験のバブルの方がずっと印象が強かったのだ
石油ショックの起きた1970年代なんざ「狂乱物価」などと言われ、皆インフレにこりごりした記憶が強く残っている
(村上龍の『'69』によれば、石油ショック前の1969年には、150円でラーメンを食べて牛乳を飲んで、カレーパンとメロンパンとジャムパンが買えた)
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自分の記憶に頼る限り、1990年代後半当時の20代の若者にすさまじい悲惨感があったかというと、あんまりそんな印象はない
俺個人のことを言えば、97年に1度失業したが、翌年にはNECの下請け企業に派遣社員として入り、時給は1700円(残業・夜勤は増額)出ていたので、最盛期は月収が36万5000円あった。当時、同年代の正社員でも手取りでは10万円台は多数だった。
短期的な視野で言えば、20代で「正社員より稼げてる非正規雇用」はいくらでもあったのだ。
無論、短期ですぐ職場を離れることになるが、同世代の正社員との差はまだ決定的ではなかった
「なんで氷河期世代は20代当時に声を上げなかったんだ?」と言われそうだが、当時はそこまで悲惨と思ってなかったし、自分が負け組だと認めるのを躊躇する意識もあったのだ
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氷河期世代が本気で自分らが悲惨だと認識せざるを得なくなったのは、ようやく小泉改革が終わって、赤木智弘が出てきた2007年ごろだと思う。1972~75年生まれなら35~32歳、このぐらいになると、逃げも隠れもできようなく、同世代の正社員との差が明確になる
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一般知名度はともかくオタ内での人気は本放送当時から非常に高かった。
でもって、ガンダム本放送時(1979年)と比較すると、エヴァ本放送時(1995年)にはオタ人口自体が格段に増えてる。だからガンダムの時と比較して一般層にまで波及するタイムラグは大してなかった印象。
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ちなネットとの関連性で言えば、Windows95の日本語版発売が1995年11月23日、日本の本格的なWWWの普及はエヴァの本放送終了直後に当たる96年春ごろからで、ずばり時期がシンクロしてた記憶が。
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あと老人会の余計な証言をつけるとな、エヴァ放送以前はオタ業界で、本気で「70年代を代表するアニメはヤマト/80年代を代表するアニメはヤマト/90年代を代表するアニメはセーラームーン」て評価してる奴いっぱいいたんだぜ、マジな。