はてなキーワード: 繁殖とは
薬は化学的に作ったり漢方薬に頼ったりする時代は終わりを告げ、具合の悪い時は皆「マスダ」を飲むようになった。
「マスダ」の製造法は公表されず、国営の「マスダ工場」なる場所で厳重に管理されていた。
「マスダ工場」には少年たちがたくさんいた。みな同じ顔立ちだったが、少年たちは外の世界を知らないためそれが当たり前になっていた。
少年たちはある年頃まで共通の施設で暮らし、マスダ工場の運営のための訓練に勤しむ。工場の機械を動かすもの、製品を検品するもの、そして生まれてくる子供たちの世話をするものたちというように、割り当てられた役割のために幼い頃から躾られる。
そして少年たちがある一定の年齢に達すると、工場の一員の印として「貞操帯」を装着される。工場当番の少年たちはラインに並び、貞操帯をはずしてもらう。それから搾精機にペニスを押し込め、時間が来るまで搾精に勤しむ。ここではよく精液を出すものが尊いとされ、少年たちは精液を「出せば褒められるもの」と認識していた。貞操帯を勝手にはずして精液を無駄に浪費するものには重い処罰が下された。
絞られた精液は様々な精製が行われ、「マスダ」として出荷される。しかし少年たちは自分が何故精液を絞られるのか教えられず、ただ日課のように工場の運営を行っていた。
そして商品になった精液とは別に繁殖用の精液から新しい精液要員を毎年「製造」している。年間20~30人生まれる少年たちはここで年上の少年たちに育てられ、そして何の疑問も持たずに搾精機にかけられ、搾精の機能が衰えると次々と「異動」になった。彼らは主に製薬会社などに配属されるという。
搾精は「シボリ」と呼ばれる装着部分と「チューブ」と呼ばれる管に分かれている。幾日も放置されたペニスは貞操帯を外されただけで勃起を始める。少年たちは勃起したペニスにシボリを取り付け、思い思いの格好で精液を搾り取られる。仰向けになるもの、座っているもの、四つん這いになるもの。そこには制限された中での悲しい自由があった。
ある日「2人で絡み合うとより精液が出る気がする」という噂が広まり、キスをしながら搾精をするのがトレンドになった。キスパートナーを求めるのは当たり前になり、少年たちは舌を絡めながら互いのペニスを刺激し、同時にシボリを装着した。シボリの電動的な動きに翻弄され、どちらがたくさん精液を出すか競争などが行われ始め
タツノオトシゴを見習えってことか
魚の生態としては、卵を産みっぱなしにするのが普通ですが、中には岩などに産みつけて守ったり、鳥のように巣を作って守るものもいます。タツノオトシゴはというと、オスがお腹にある"育児のう"と呼ばれる袋に卵を入れ、稚魚になるまで保護します。そして出産の時期を迎えると、育児のうから稚魚を産み出すのです。タツノオトシゴの繁殖行動は、以下のように行なわれます。
①求愛
オスがメスの気を引こうと、育児のうを大きく膨らませます。そしてオスはメスを盛んに追いかけ、互いに尾を絡ませ、ゆっくりと泳ぎます。
②産卵
雌雄そろって上がったり下がったりしながら、オスは育児のうの口を開き、メスはそこに輸卵管を素早く差し込んで産卵。この時、同時に育児のうの中で受精も行なわれます。この動作を繰り返し、育児のうの中は数十個の卵でいっぱいになります。
③出産
卵は、孵化するまでの間、育児のうに収まっていますが、2~3週間でオスが稚魚を産みます。出産では体を前後にかがめて陣痛をイメージさせるような行動を示し、孵化した稚魚を育児のうから産出します。オスが産みの苦しみを味わう珍しい例です。
「全然全くモテないけど、私も30過ぎたら結婚してマンション買ったり子供産んだりするのかな〜」と高校生の頃までは夢想してた
現実は、
大学四年間男女比7:3の学部だったにもかかわらず男子とほとんど喋ることなく卒業
インフラ系のIT企業に就職したら自分以外全員男の職場に配属されたものの仕事の話以外一切することなく仕事に忙殺されるまま連勤残業まみれで精神病んで休職からの退職
なんとか派遣と契約で二社ほど渡って三十半ばでようやく正社員として事務系の仕事に就いた
女子校育ちでもないのにこの年までほとんど男性と会話することなく来てしまった
容姿にも性格にも能力にも恵まれなかったんだなぁ…ってしみじみ思う
なんとなーく想定してた将来が来ないことはよくわかったけど、その分この先の自分の将来どうなるのかが全く分からない。
今の職場は女性ばかりの部署だけど、ドラマの話とかイケメンの話とか、恋愛の話とかばかりで居心地がものすごく悪い。
みんな悪い人では無いけど、恋愛もしたことないし、お金なさ過ぎてテレビ買うお金も毎月のNHKのお金払う余裕もないからテレビも持てないし、そもそもコミュ力なさすぎて全く話が広がらない。
オタクの友達がいるけど、常に好きなアニメや漫画の話で楽しそうだし、趣味が合う友達を作ってはイベント出かけたり聖地巡礼の旅行したりして、毎日のモチベーション高くてすごいと思う。未婚の子も、彼氏の有無は分からないけど、ある日突然結婚するからって紹介されても驚かないと思う。
趣味があるとか、好きな人がいるとか、毎日楽しく思うことがあっていいなぁとよく思う。
気分が落ち込むことはあっても、気分が高揚するような何かを持ってなくて、本当につまらない人生だなって思う。
毎日淡々と仕事して、ご飯食べて、風呂入って、布団で友達のSNSとニュースサイト眺めて寝るだけ。時間が有り余ってて平日も毎日10時間くらい布団にいる。
友達からは、その暮らしは流石にどうかと思う、って言われて彼女たちの好きな作品を「とりあえず見てマジで良いから」って勧められてとりあえず見て、面白かったけど趣味として何かしたいほどの気持ちが湧かない…っていうのを何度も繰り返してる
※彼女たちとしては、ハマらなくても良いけどとりあえずストーリーとキャラクターを把握して自分の話を聞いてほしいということみたいなので別に私がハマらなくても良いらしいので私の暇つぶしにはなってる
一時期はネットの婚活サイトにも登録してみたけど、自分の父親に近い年齢の人からしかメッセージも来なかったし、自分からアクション取りたいと思う人も見つからなかった。どういう人ならアクション取りたいかって言われると困るけど…
そもそも、30過ぎたら結婚するものらしいからとりあえず結婚するための行動を取ってみたけど、何のために結婚するの?結婚してなにをするの?ってのが全然イメージできなくて結局半年くらいで婚活も辞めてしまった
繁殖もしないし、やりたいこともないし、生きてる意味ないよなぁ
昔読んだ自由に自殺できる仕組みができた世界の話みたいに自由に自殺できたら良いのになぁ(小説の内容は自殺自由にできる世界って最高!っていうのとはむしろ逆なんだけど)
何して生きてったらいいんだろうなぁ…
「いつも考えていることがあって、例えば人間を主食にする生き物が地球に突然やってきて、僕たちの首に番号のついた輪っかをはめる。僕たちは番号で呼ばれるようになって、狭いところに閉じ込められて、チューブから無理やり食道に高カロリーの輸液を流し込まれる。ストレスが無くなるように、VRヘッドギアを嵌められて、世界のどこにでも行けるような感覚を与えられながらも、不潔な小屋の中で拘束されている。どうにか抵抗しようとした奴らはみんな先に殺されて、反抗しないほうがマシだって空気が流れている。だってあいつらは踊り食いにされた。生きたまま食べられるのが、生き物にとって一番怖いことなんだ。人間はあまり繁殖力が強くないから、彼らは無理やり子供を産ませようとする。僕は彼らの遺伝子検査で、よい食料となることが結論されたから、少しだけいい部屋に通されて、そこで君と会う。君は既に6人の子供を産まされていた。個体数が増えるように、彼らは三つ子を産ませる技術を持っていた。四つ子になると発育が悪くなり、母体にも負担がかかるから、期待値としては一回の出産で三人が彼らのべットらしい。君は二回の出産を経験して、すっかり疲れていた。命を生み出すことで、自分の何かをすり減らしているのかもしれない、と僕は思った。そういう感傷とは関係なく、僕は役割を果たした。そこまで考えて、僕はいつもふと我に返る。緩い幸せの中で生きている時、ゆっくりと腐っていく思い出が放つ死に際の甘い匂いで、酔っ払っているんだと気付く。」
アサヒスーパードライのパッケージがピンクになって、普段の銀色ばっか飲んでる人が「味が違う!」とかいうまとめ読んで。
さくら説:そのまんま。さくらがピンク色なので。でもあまりにもさくらに影響されすぎじゃない?そう、それはテレビのさくらに騙される日本人のように…。(サクラ出演と無限に出てくるさくらという名前の曲のダブルミーニング) 後、個人的に花より団子なので、4~5月頃に父の実家から送られてくるよもぎ餅が非常に楽しみで、春のイメージといえばこのよもぎ餅が1番に出てくるのカラーとしては緑色です。
繁殖期説:繁殖期っていったらそりゃもう、いわなくてもわかるよな?個人的にこっちを推したい。でもそうすると、あまりにもあまりじゃありませんか。ひな祭りは女の子の行事としてピンクのイメージなのに、春と被ってしまったからといって、あまりにも…でしょうが…。
春は女の子の季節だから説:これは先程の後半で触れたひな祭りをもっと清く女の子のイメージとして使った場合説。春は女の子の行事が多い。バレンタインは今は友チョコとか言ってたが女の主導の行事だし、ひな祭りは言わずもがな。2月は冬?こまけぇこたぁいいんだよ、説なんだから。
長いんですけどお付き合い下さい。
生物学的な性別、オスであるかメスであるかは先天的なもので、個人の選択によるものではないじゃないですか。その人自身ではどうしようもない、偶然与えられてしまっただけのものですよね。
でも個人の社会における性役割、男であるか女であるかはほとんどの場合その人の生物学的な性別によって周囲から規定されます。オスであれば男をやることに、メスであれば女をやることになる。そこに選択の余地はなくて、自分がどう思うかに関わらず(ほとんどの人は「自分がどう思うかについて考えるタイミング」さえ飛ばすことになる)、気づいたら人は男/女になっている。
生物の中で人間だけが、オス/メスと別に男/女という概念を持っていますよね。これは単なる性別ではなく、人間が社会を形成するために作り出した役割だと言えるのではないかと、僕は考えます。
個人(というか人間の力では)どうしようもない生物学的な性差に基づいて、人をオス/メスではなく男/女という役割に仕立てあげ、男女それぞれに仕事を設定することで回してきたのがこれまでの社会。
偉いものでこれまでの社会は合理的な形になるようにやってきているなあと思います。
こんなことを言うと怒る人がいるので怖いのですが、どう考えても男は働いて女子供を養った方がいいし、女は子供をうみ、育て、男を支えた方がいい。
従来の人類の発展を続けるのであれば。
人が増え、発展していかなきゃいけないという昔から信じられている人類の発展を今後も続けていこうという前提があれば、この考え方は正しくて、超合理的だと思います。
元来人の社会のシステムが拡大、発展するためには、男が働き、女が支え、耐え、食い物にされなければなりません。
人間の行為にはしばしば男女どちらが適しているかが明確なものがあります。
確かに赤ちゃんを育てるのは男でもできるかもしれませんが、一般的には女が育てる方が合理的です。
戦争をするのであれば、女も戦うことはできるでしょうが、兵士は男である方が合理的です。
そして総体的に、これまでの人類の発展に際しては、女が割を食うことが合理的でした。誰かがそのように社会を作られたのか、わかりませんが。
女が割を食う筋合いはないし、男が体を張らなければいけない理由もない。
それもそうです。そもそも男/女なんて、自分がたまたま人間のオス/メスだったがために周囲から規定され、男/女としての役目を果たすことを求められているのだから。
実は男も女もいない。
人間が成長するにつれ男や女という役割を課せられてしまうだけだし、その区別の元になっているオス/メスの区別も先天的なもの、偶然のものであって、その人自身がどうあるかとは何ら関わりがない。
ここまでが前提です。
僕は今、生物学的な性と、それに基づいて個々人に与えられている社会的な性役割を、あんまり意味がないものなんじゃないかと思い始めています。
〇子供を産むことについて
今の社会では女をやっている皆さんが割を食っていることは周知の事実であり、それをどうにかしようという流れはありつつも、まだ割を食っていただいているとで緩やかに従来の人類の発展を続けているような状態です。
従来の人類の発展は女をやっている皆さんが割を食うことで成されるものでした。
ではここで聞きたいのですが、
みなさんは人類を発展させていきたいですか?
みなさんは自分が死んだあとも人類が発展していくことを望んでいますか?
あなたが人類の拡大、発展に最も簡単かつ効果的に貢献できる方法として、「子供を作り、育てること」があげられるでしょう。
子供を育てることは人類全体から見て非常に生産的な行為だと言えます。そもそも生物は繁殖してなんぼてすから、子作りは生き物として正解です。
でもあらためて考えてみると、子供を作ることははたして本当に良いことなんでしょうか。
あ、特に深いことや説得力があるデータを言うわけではないのですが。
単純に、僕はたまたま男だったので思ったのです。
その女が抱えるリスク(妊娠、出産のリスク)と仕事(僕が手伝うにしても、主として子供を育てていくこと)は、その人がたまたま女であった(たまたまメスとして生まれた)がために抱えざるを得なくなったリスクと仕事なのです。
僕には女を孕ませ、リスクと仕事を負わせた罪が生じます。女と子供を作るという合意があったとしても関係ありません。女は僕と同じ一人の人間なのに、たまたま妊娠と出産ができる人間のメスであり、かつ人間のオスである僕がいたために子供を作るという選択肢をとることができてしまい、それにまつわるリスクと仕事を背負ってしまった。
これは、幸せだとされてきたのです。
男は女と結婚して子供を作ることが幸せ。女は男と結婚して子供を産むことが幸せ。
しかしこれは、たまたま女に分岐していっただけの人間に、たまたま男に分岐しただけの人間がとてつもない重荷を背負わせているだけです。
人間対人間として見れば、とてつもなく残酷な行為に見えてしまいます。
しかしそれを男/女のレベルにとどめることで、「そういうもの」とすることができます。女は子供を産むものだし、男は孕ませるものなのだ、と決まっているなら飲み込めるというものです。
実は子供を作ることは、人間が人間にひどい仕打ちをしているだけなのではないかと、僕は思うようになったのです。
〇男女平等について
男も子供を産む苦しみを知れと(あるいは男もそれを知ろうと)、同じ重さの重りを背負ってみたり、鼻からスイカ出したりしようとします。
あれ本当にしょうもなくないですか。
今の男女平等の目指し方を考えた時に、僕は天秤を思い浮かべました。
天秤の片方の皿を男の苦労、もう片方の皿を女の苦労だとしましょう。今までは女の側に大きく天秤が傾いていました。
何度も言うように、社会は合理的なので、女の皿も男の皿と同じ高さにしてあげようと合理的に考えます。
そして、女の皿の下にどんどん台を噛ませ、不器用にも高くしていくのです。
女性専用車両、レディースデー、女性料金などといった「女自身でも正直ちょっと優遇されちゃってるなと思うこと」の数々は、あとから男の皿と高さを合わせようとテコ入れした結果のものです。
そして重要なのは、男女それぞれの皿にはもう片方の皿には決して載せることが出来ない重りがあるということです。
たとえば先程の妊娠と出産は、女だけが持っている重りだと言えるでしょう。男側にはどうやったって妊娠、出産の苦労の重りを載せることはできません。
この天秤は、男女が男女として関わりを持つ限り、その間に必ず現れます。そしてどれだけ双方の重りを調整しようとしても、必ずどちらかに傾きます。絶対にです。
今の社会は天秤の重りをいじり、皿の下に台を噛ませて見た目上の皿の高さを同じにしようとしていますが、それで男女平等が達成されることは永遠にありません。
ではどうすればよいのか、僕は「天秤そのものをなくすこと」がその答えなのではないかと考えました。
次で最後です。
〇本当の男女平等について
人間はたまたま男や女に仕立てあげられているだけで本当は男も女もいないという話、子供を産ませることは、人間が人間にひどい仕打ちをしているだけだという話、今の男女平等の目指し方では永遠に平等になることはないという話をしてきました。
では本当の男女平等とは何なのか。それは、異性との性的な関わりを持たず、異性を異性と思わず接することです。
僕が異性だと思っていたものは、たまたま異性になっただけの同じ人間です。よって、僕と同じだけの自由があります。
僕はかつて、女と付き合い、結婚し、子供を作りたいと思っていました。しかし、そうしようと思っていた女も僕のような男になるかもしれなかった人間で、たまたまメスに生まれたがために女として育てられ、男とつがいになることが幸せとされる存在の一員とされてしまいました。
女には付き合うことも付き合わないことも、結婚することもしないことも、子供を作ることも作らないことも自分で選択する自由がありますが、僕と関わることで選択肢が狭まる可能性があります。そして僕がアプローチをかけでもすれば選択の機会は奪われてしまいます。
同じ人間の選択や機会を同じ人間が奪うことは恐ろしいことだと思いました。やってはいけないとも思いました。
よって僕は、女と関わりを持つことをやめようと思いました。
女と関わりを持つ限り、先程の男女の天秤が現れます。この天秤はどういじってもどちらかに傾くので、関わり続ける限りどちらかが負担を強いられます。
そこで僕は女を女と思わないことにします。そもそも同じ人間なので、やろうと思えばできないことでもありません。
努めて同性と接する時のように、目の前の存在が女性であることに目を向けないように接します。
目の前の人が不当に低い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから低く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒りますし、不当に良い扱いを受けていれば(周りはその人が女だから良く扱っています)、同じ人間なのにどうしてそんなことをするんだと怒ります。
そして僕は、女と性的な関わりを持たなかったので、一人で死ぬことになります。
僕は本当は一人で死ぬことだけは嫌で、女を手に入れ子供も作ったことを幸せだと感じて死んでいきたかったのですが、そうするためには同じ人間を害する必要があることに気づきました。そこまでして幸せになるほどの者でもないので、あと他人を害することを躊躇う倫理観がある自分でいたかったので、一人で生きて死のうかなと思いました。
男女という概念を自分の中から徹底的に排除すると、男女という概念を基本として成り立っているこの社会からははみ出すことになります。自分もこの社会で育ったので、ここの幸せを理解しているし、本当は欲している自分もいますが、女が同じ人間であることに気づいてしまったからにはもう女を手に入れるという男の幸せは得ることがどうしてもできません。
最後に一つだけ。
この社会で幸せだと信じ込まれているものは、実は人類の発展に寄与するもの(そして結果的に同じ人間を害したり、同じ人間から害されるものだと僕は思います)です。
みなさんはそれでも人類を発展させていきたいですか?
みなさんはそれでも自分が死んだあと人類が発展していくことを望んでいますか?
僕はここまでずーっと考えていて、もうちょっと疲れてしまって、別に長くも短くもなく、今課されている責任を果たしたら、一人すっと死んでしまってその後になにも残らなくてもいいのかなと思いました。
元増田さんについて明らかなこととして、これから高い知能を獲得することはできないということと、
それでも頭のいい人だけが繁殖すればよいと考えた理由は高い知能が社会への貢献度が高いと期待しているからだと推測しました。
ということでその反例を一つ挙げました。
ハンチントンという遺伝子があります。動物の知能の進化と関連があると考えられている遺伝子です。
Amazonの中国語の本のカテゴリーを見に行くと下のようになっている。
本の内容をみた印象だが、日本だといくら本を読んでも実務との間に溝がありOJTで頑張らないといけないが、
中国本だと実務にすぐ使える印象がある。
写真技術は普通に写真を撮ったりRAW現像する類のものだ。ストロボスコープのようなものではない。X線撮影はこのジャンルに入っている。
建築はAutodesk Revit、BIMなど。コンクリートや下水処理などもある。
エレクトロニクスと通信は、FPGAやPLC、光ファイバ、レーザーなど。
日本と違う点だと、衛星からターゲットトラッキングするといった本がある。
Space-TimeAdaptiveProcessingというのがあり、Googleで検索かけたら英語がほぼなく中国語ばかりだった。
MATLABの本も定期的に出ている。
LTE-V2Xなどの無線系の書籍もある。MIMO、5Gの信号アルゴリズムと実装など。
電気工学は、送電関係。スマートグリッドや太陽電池、パワーエレクトロニクスなど。
軽工業、手芸産業は、なぜかCNCが入っていたりすが、食品加工や高分子など。
食品をハイパースペクトルで検出するもの、食品のトレーサビリティ、エビの加工技術、微生物、精度保持技術。食品を大量生産する際の技術。
3Dプリントもここ。光硬化樹脂。
農林業。ザリガニの繁殖方法と疫病予防があるのは流石と思う。鯉やガチョウやうさぎ、亀もある。
ぶどうや野菜、きのこなど商業的に育てるのに着目した本が目についた。
原子力に関しては、もう日本はタブー化されていると思うが、普通にある。
原子力発電所のモデリングとシミュレーションといったエンジニアリング寄り。
ミサイルのシミュレーションや、弾頭のデザイン、兵器開発のプロセスと品質管理、ミサイル誘導制御システムの設計、
武器テスト、化学兵器毒物、魚雷発射システムの原理と設計、スーパーキャビテーションの理論基礎、
砲兵弾道学、核兵器防護技術、弾薬製造技術などなどガチ理論本がある。