はてなキーワード: 家庭科とは
正直言うとおまえがいう「正しさ」ってのは「賢さ」なんだよ。
賢くないと死ぬ。これ、弱肉強食の一種であり動物でもそうなってるんだよね。
「生肉危ない」っていままでも生活科・家庭科授業で教えてる。それでもえびす焼肉で死ぬ。
表示してもよまない。子供にもわーいたのしいねって冒険気分で食べさせる。
賢さが窮屈と感じるのは、おまえみたいな教科書もよめないくらい賢くない人だけ。
賢くて生っぽい肉たべたければ低温調理とか日干しとか自分で工夫して「正しく」処理できるもんな。
他人に正しくあれとおしつけてるのは犯罪じゃなければ何してもいいと思っている信じられないほどのバカの存在だよ。
「バカは他のバカをうっかりサービスのつもりで殺す」という事実が今回のラーメンだの、焼肉えびすの記事をよくよんでるとわかるよね。
この日本を地獄からとおざけておきたい賢い政府の親心なんだが。
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前回
「他の生食店まで締め付けた」ってありもしないことかいて規制派藁人形をまたつくりあげてるw
え、もしかして同じアドバイザーが同じラーメン料理だしてる全国のお店は野放しにしていいはずだってこと?
と書いたがちょっと読みがたりなかったので補足した
「他の生食店まで締め付けた」ってありもしないことかいて規制派藁人形をまたつくりあげてるw
え、もしかして同じアドバイザーが同じラーメン料理だしてる全国のお店は野放しにしていいはずだってこと?
正直言うとおまえがいう「正しさ」ってのは「賢さ」なんだよ。
賢くないと死ぬ。これ、弱肉強食の一種であり動物でもそうなってるんだよね。
「生肉危ない」っていままでも生活科・家庭科授業で教えてる。それでもえびす焼肉で死ぬ。
表示してもよまない。子供にもわーいたのしいねって冒険気分で食べさせる。
賢さが窮屈と感じるのは、おまえみたいな教科書もよめないくらい賢くない人だけ。
賢くて生っぽい肉たべたければ低温調理とか日干しとか自分で工夫して「正しく」処理できるもんな。
他人に正しくあれとおしつけてるのは犯罪じゃなければ何してもいいと思っている信じられないほどのバカの存在だよ。
そうですね
私には価値が無いです
馬鹿で学歴がなくて肩書きがなくて不細工で、でもちょっとだけ可愛い女
そういう人にいつも憧れていました
なぜ私はそうなれなかったか
金です
教育費に膨大な金をかけたから私は勉強ができる人間じゃないといけなかった
あの膨大な金
私が自由に使っていいなら、歯列矯正と全身脱毛とワキガの手術と目鼻の整形と美容院に使いたい
なんでこうなったかもう少し振り返りたい
まあそうでしょうね、私が親でもそうします
やりたいことが無さすぎて進路が決まらない私に
建築の設計図書くのなんか絵の代わりになりそうじゃない、と適当に誤魔化そうとしましたね
この進路でよかったと思ったのも束の間、「設計」は非常に難しいものでした。感覚的デザインとは違う
できないと気づきました。頑張れたのは一瞬だけ
「本当に好きなことじゃないと、続けられないよ」
分かりますよね
人生に迷っているとき、私が見つけたのはどこかの誰かが言ったこの言葉です
「得意ではないことでやっていけるほど、世の中甘くない」
虚しくなしました
得意なことを捨てて、数学が苦手なのに理系にしろと言われ、理系クラスで落ちこぼれ、大学でも落ちこぼれ、仕事もままならず
進学校でずっと成績が良かったのに地元の大学に進学したんですよね
羨ましい
劣等感を植え付けられ続ける10年間を過ごしたことがありますか
親の機嫌取りのために自分の考えが変わったフリをした20年間を過ごしたことがありますか
なんだったんでしょうね、この人生
幸福な人生か不幸な人生かは関係ない。やるべきことをやって生きるだけ。
そうですね
そうなんですよ
頭では理解しています。気持ちが追いつかないことがあります。不便です。
わかってるのに、いまだに好きなことがしたいという願望があったり、人生やり直したいと夢想したり、幸福になりたいという欲があるのはなんなんだろう
私は理屈で死にたいのではなく感情的に死にたいと思ったということ
どれだけ恩があろうと母さんをそこそこ憎んでいるということ
泣きたいのは私です
育てられ方も育ち方も生き方も全部を間違えた
もう生きません
こんなことを最後に言いたくなかった
機会があって予備校の数学の授業と司法試験の授業受けたのだが草生えましたわ
『オンライン学習にして予備校から優秀な講師引っ張ってきた方がコスパ良い』
『授業は予備校講師に任せて、公立教師はわからない子や逆にもっと学びたい子のフォローと化学実験や家庭科のフォローや体育のフォローだけやっとけ』
・・・って思ってたが、ここまでわかりやすさ+エンタメ性にはっきりと差がついちゃうのかよとね
確かにわかりやすい予備校の授業でのみ勉強してきたヤツは考える力がつかないことも起こり得そうではあるが、
専門課程に進む前に知識を詰め込む、あるいは何かをする(たとえばプログラムとか)ための知識を得てる段階で考えるも何もねーだろうよ
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業を受けたらからってどうこうなるレベルのものじゃない(そもそも高等教育もリベラルアーツとほぼ遠い)
社会で不自由しないために・詰め込んだ知識を活かすために、最低限は考える力を鍛えなければの場合も、
公立の雑な授業・大学教員の研究の片手間の授業をもって考える力を養うをやりました!とか怠惰なことはやらずに
極端に思考力が弱い人がいると言う前提に立って訓練メニューを用意すべき
あと思考力を養う授業では『理解しました』といっても、極端に思考力が弱い人は覚えた数式を具体的にどう使うのかはわからないとかフツーに言い出すので、
アメリカみたいに世界中から優秀な若者が勝手にやってくる+資源があるなら学位商法やっててもオッケーだが
今はどうか知らんが20年ほど前、学校の家庭科教育はもっぱら「食品添加物は毒!!」「清涼飲料水は悪!!」という論調だった。
「皆さんが大好きな市販のジュースやお菓子にはこ〜んなにお砂糖が入っているんですよ〜〜飲みたくなくなっちゃいますよね~~」みたいな感じ。
小中高と、一貫校などではないのでそれぞれ担当教師は別だがだいたいそんな感じ。
ただ、何故かどの教師も似たようなチビデブブスヒスと三拍子ならぬ四拍子揃った、子供が見て憧れる筈もない状態だったので、適度に食品添加物やら砂糖やら摂らないとあんな風になるのかと子供心に思っていた。
そんだけアレコレ排除した結果がチビデブブスヒスなら、モー娘やジャニーズがコマーシャルやってるジュース飲んで菓子食うわ、と。
結局、体型だの性格だのは遺伝要素も大きいと知るのはもっと先の話だが、少なくとも多感な時期の子供に対して食育系統をやるのは十人並み以上の容姿の教師じゃなきゃ説得力に欠けるのではないか。
表題に関する、とある議員のtwitter発言が炎上している。色々な意見を見てみたが、ベースとなっている議員の財務金融委員会での発言を聞かずに(原典を参照せず)、脊髄反射のように叩いている人もおり、生産的でないなぁ、と感じている。
なので、真面目にこの件について、論点など整理してみた。
https://twitter.com/nico_nico_news/status/1527140266943008768
上記は、結構重要なやりとりもカットされているので全部のやりとりを見るには以下の1:51:00~2:06:20までを参照。
https://live.nicovideo.jp/watch/lv336961008
自分の属性は、国立大学の数学系学科を卒業して現在も仕事で数学をメインで活用して働いている40歳男性です。念のため。
一晩寝て改めて考えてみたけど、
例えば、家庭科の授業では、1の次に2を説明されると、もう2の話の時には1を忘れているもんだから全く班の役に立たず「どいて」と言われる始末で、先に1から10を説明されるともう1しか覚えていなかった
そんな経験を何度もしたんで、「ああ自分は救いようのない馬鹿なんだな」と思うようになった
中高合わせてずっと塾に通っていたが、高2の偏差値は現代文を除いて各科目の偏差値が38ぐらいだった
高校生の時は日曜日を除いて毎日塾の自習室に通っていたが、あまりに成績が悪いんで、化学の教師にこいつは全く勉強しないやつなんだなと勘違いされて、ちょっとした冷遇を受けたりもした
一応そんな馬鹿でも受け入れてくれる大学があったのだが、そこは最終的に国家資格を取ることをゴールとする大学だった
入るのは簡単、卒業するのは難しい大学で、自分は案の定ついていけずに挫折しかけたが、解決策を求めて勉強術と銘打たれた本を漁っているうちに、自分なりの勉強法を見つけた
それは、「ヒストンは八量体Gタンパク質である」という文章があったら、一度脳内でテキスト化して、ヒストンと八量体Gタンパク質にはA=Bという関係性を覚えるというものだ
人との会話にもこれが応用できないかと思い、聞いたことを一度脳内に入れるという作業をするようになってから、今まで自分が絶望的に人の話が聞けていなかったことに気づいた
「この漫画、めっちゃ面白いから読んでみ、まだ一巻はそんなに面白くはないんだけど」と人が喋った時、自分は『この漫画』『面白い』『一巻はそんな』という部分でしか人の話をとらえることができなかった
なぜなら、人の声を耳に入れていただけで、頭の中でその文全体をテキスト化あるいはイメージ化するということをしなかったためだ
今は相手に話しかけられたら、一文ずつ脳内でテキスト化するようになったので前より人の話が覚えやすくなった
人の話が聞けない人というのは、いろいろな理由があるので一概には言えないが、人の話を一旦頭に入れることをしていないのも原因の一つではないか?
ずっと誰にも言えずにキレ続けていたことを最近落ち着いて思い出せるようになったので消化。
私が通っていた高校は県内でも有数の進学校と言われるようなところで、様々な人を外部から招いて講演を聞く授業なども定期的にあった。
その日のゲストはどこかの大学のLGBTサークル(記憶が曖昧。キレすぎて意図的に思い出さないようにしていたのでもはやわからない)で、サークルの中にもLGBTがいるし皆でフレンドリーに楽しく学ぼう!みたいな触れ込みだったと思う。
しかし、私は講演のため教室を移動する最中からずっと不安だった。
その頃の自分は性的指向をはっきりと自覚できていなくて、とにかく私以外の全員が当たり前のように共有している”異性愛”という概念を理解できず、同性愛者かも、いやアセクシャルかも、と悩む日々を送っていたからだ。
だから皆の前でグループトークとかあったら挙動不審になっちゃうかも、と心配していたのだが、その予感は的中することになる。
まず、簡単にLGBTQなどの用語についての説明が終わった後に、今度は自分を仮想状況の中に置いて当事者への向き合い方を考えてみよう!というコーナーになった。
出された例は、
「自分が母親だったとして、子どもがゲイと告白してきたらどうするか」
というものだった。
これについて考えてみよう!と言われた時、動揺で頭が真っ白になった。
女子校だったから「母親」の例を出してきた感じだったが、仮にもLGBTをめぐる授業でその無邪気な選択肢はないだろ、と強烈に思った。
他の皆はナチュラルに「母親」の例を受け入れていたのが信じられなくて何も言えなかった。世間とのずれを眼前に提示されている気分だった。
LGBTの話題で「まぁここにいる大多数の人は将来結婚して子ども産むよね」っていう前提が透けて見える例を出すの......どう?!どうなの!?!?
それは「架空の友人」とかじゃ駄目だったの......?「母親」なの...?
私は自分が「母親」であると仮定することが苦痛だったし、子どもを持った時の気持ちとかが何回やっても考えられなくて、何も言えなかった。
ずっと黙っていた。
なんと議題が「もし実際友人にLGBTQがいたらどうするか」というどストレートなもので、議題が出た瞬間なんでこんな公開処刑みたいなことするかなぁ!??!と思ったし、これ生徒の中に私みたいなLGBTQ当事者がいる状況を仮定せずに授業組んだのかなぁとか、先生はこの授業内容で良いと思って通したんだなぁとか、色んなことを思って本当に本当に悲しくなった。
6人くらいのグループになって、講師サークルから1人ずつサポーターとしてグループについた。
たぶん何も話せなかったと思う。
ここで黙ってたら怪しまれるぞ、バレるぞという思考がぐるぐると頭の中を回ったものの、声が出なかった。
他の人の話ももう一切聞きたくなかったけれど、クラスでリーダーシップを発揮して委員をやっていたような子が「友達だったら勿論受け入れるけどさ、まぁ...(友達じゃなかったら厳しい)」みたいなことを言っていたのと、その発言に対してサポーターの人が特にフォローとかはせず薄ら笑いみたいな表情を浮かべていたのは覚えている。
地獄か?
最後の辺りは泣きそうになってたし(表情には出てなかったと思いたい)、授業終わりに配られる匿名コメントペーパーにはもう2度と来るなみたいなことをかろうじて書いて出した気がする。
この体験のせいかは知らないが、その後はますます異性愛に対する忌避感が酷くなって、学校行事で恋愛モノの舞台を見に行っても辛くて辛くてもう画面が一切直視できなかったりした。(終始目を瞑って石になっていた)
数年間この出来事を突発的に思い出してはキレ回し、なんで自分はあんな目に合わなければならなかったんだ、あんな公開処刑であなたは我々の想定していないイレギュラーですということを提示されなきゃいけなかったんだと思い続けてきたが、最近やっとキレずに出来事を冷静に見つめられるようになってきた。
学校でLGBTの授業を!というニュースを見るたびに、実態がこんな感じの公開処刑になってないといいなぁということを考える。
うちの自称進学校がおかしいだけならいいんだけど(よくない)、あのサークルは色んな学校で講演してたみたいだしこういう...やり方を...世に広めないで欲しいな......お願いしますよ
余談:
女子校の授業、異性愛が前提にありすぎみたいなのをなんとかしてほしい(うちの学校だけかもしれない)。
家庭科の授業は将来”母親”になること前提の価値観が透けた文言があちらこちらに散見され、妊婦体験授業や性行為に関する授業などが結構な比率を占め、「将来良いお母さんになれるね~!」とかいう言葉が無邪気にとんでくるのをほんとにやめてほしかった。
授業をするな!っていう話じゃなくて、「将来あなたたちもこうなるかもしれませんから」ではなくて、「人間として大事な知識なので性別関わらずちゃんと知っておこうね」のスタンスで出してほしいんだよ...
【追記】
嫌な記憶に対する私的な墓標として書いた文が伸びていてびっくりしています。
難癖とか、スルースキルが足りないというコメントに対して少しだけ意見を言わせていただこうと思います。
私もこれが私的な雑談などの話だったら話を合わせてスルーしていたと思います(事実友人との会話では何度もそうしていました)。
問題はこれが「LGBTQフレンドリー」を掲げて学校という場で出された授業だったということです。
そんなこと言われたら多少自分の属性が認めて貰えるのかもしれないと期待してしまいます。
先生や講師という偉い立場の人から優しい授業があると思ったのに、実際は「まぁそんな人はいないと思いますけど」というように全てが進み、「こういう人って受け入れられる?」「自分はこの程度なら大丈夫かな〜」というあけすけな意見が飛び交うのをじっと耐えなきゃいけないのは、辛いです。
LGBTに対する感情は個人の自由だと思いますが、強制的に議論の場を作り上げておいて特にフォローもせずなすがままにしておくのは、きっと教育の在るべき姿としては違うと思います。
教育者の立場からLGBTを取り上げてわざわざ授業を出すなら、もう少しだけLGBT当事者のことを考えてほしかったなという気持ちです。
【追記2】
また、女子校についてやや誤解があるようなので、一応説明しておきます。
「なんでわざわざ女子校選んだの」に対する答えですが、わざわざ選んだわけではありません。
設備・部活動の充実だったり、高いレベルの教育だったりを求めて受験先を選ぶと、地域によっては必然的に私学の女子校ばかりが残ります。
これは男子校の場合でも見られるケースかなと思います(詳しくないのですが、灘とか武蔵とかが有名なんですかね)。
また、中高一貫、場合によっては幼稚園から一貫ということもあり、入学の時点で「自分は確実に異性愛者で、良い母親になる。そのための教育を望みます」と自認している子は少ないのではないかなと思います。