はてなキーワード: 住宅地とは
橋下氏の政治姿勢、パフォーマンスを抜きにしても、大阪都構想というのは
★大阪「都」という響きが、大阪府民(市民)のプライドをくすぐった
人口では神奈川(横浜)に抜かされ、「日本第二の都市」と主張する論拠が
失われた大阪にとって、「神奈川も名乗れない、都という響き」は、
自尊心回復に必要
法人税収が豊富な大阪市の税収をあまねく府下全域に還元したり、
大阪市域に限定されている各種サービス(例:大阪市地下鉄)を府下にも
あまねく拡げられるのでは、との思惑で、大阪都構想に「損得勘定」で賛成する
★では、税収が奪われる側の大阪市民は大阪都構想に反対するのか、というと、そうでもない。
大阪都構想では、大阪市、堺市に加え、大阪06地域、豊中や吹田も含めて
従前の「大阪市域」は、言ってはなんだが、雑然とした低地の住工混合地域が中心で、
全国47県庁所在都市の中で、「一人当たり県庁所在都市所得が県全体所得を
また、用途地域で「第一種低層住宅専用地域」を市域に抱えていない県庁所在都市は、
沖縄の学者が「県庁所在都市とそれ以外だと、所得水準や医療水準が違うから、
県庁所在都市の方がそれ以外より寿命は長いはずだ」との仮説を立てて、実際に検証してみた。
その結果、46都市では仮説が証明されたが、唯一大阪だけは仮説が否定され、
その学者は「困った困った」と悩んだそうな。
大阪市と大阪府下は、通常の県庁所在都市と県下の関係とは真逆で、
梅田のような商業地の地価は兎も角として、大阪市内の住宅地の地価とか
マンション価格より、豊中とか吹田とかの住宅地の地価の方が高いのである。
今までみたいな「大阪市内の方が大阪市外より格下」のようなステレオタイプな扱いは受けない。
「足立区も世田谷区も同じ23区、同じ東京特別区」なのと同様に、
「新東成区と新豊中区も同じ大阪特別区」の扱いを受け、従来よりも「偏見扱い」が薄まってくる。
ということで、豊中や吹田を巻き込んだ大阪都再編がなされることで、
私の実家は千葉の片田舎にある。もっと言ってしまうと、田舎をイメージしたCMによく出てくる小湊鉄道沿線だ。その沿線(と呼ぶのも躊躇われるような僻地だが)にバブル最末期に出来た新興住宅地に私の実家は建っている。
駅に着きバスを待つこと20分。やっとやって来たバスに乗り込むと、乗客は私を入れて3人。本当に素敵な田舎だ。
実はこれでも便利になった方だ。去年まではバスも通らず、駅から家までは歩くかタクシーぐらいしか交通手段がなかった。歩けば相当速く歩いてやっと家まで一時間、タクシーだと1500円はとられる距離。まあこれがうすのろのろとしたバスに乗って200円になったのだから、桁違いに便利になったと言ってもバチは当たんないと思う。
さて、そんな素敵なバスに乗ってしばらくすると他の二人の乗客は降りてしまって、バスは私の貸し切りになった。この調子だとバスは長続きしないだろうと思っていると、急に10人くらい客が乗ってきた。みんな小柄でランドセルを背負っている。小学生たちだ。そこは、小学校にほど近いバス停だった。
この小学校も私の実家のある新興住宅地から遠かった。距離にして3.5キロ。子供の足で歩いて45分から50分くらいの距離だ。今さっき乗ってきた子供たちも、大方は私の実家のある住宅地の子供たちだろう。あの距離を歩かないですむようになったのだから、この子たちも嬉しがっているだろう。
さて、子供たちとバスに揺られて10分弱。目的地である住宅地が次のバス停になった頃だ。子供たちは誰が降車ボタンを押すか、みんなで相談し始めた。そんな子供たちを後目に、私は降車ボタンを押す。え、今の誰が押したよ?!と子供たちが騒ぎ始めるなか、私は黙って手を挙げた。
最初は私が何故手を挙げているのかわからない様子だった子供たちも、ちょっとするとなぁんだというような顔をした。けれども、あなたが押したのか、という意味合いのことは一言も言わなかった。きっと私のことをオバサンと呼んだらいいのかお姉さんと呼んだらいいのか分からなかったからだろう。賢い子供たちだ。
そしてそれをきっかけに、バス停までの短い間子供たちと話した。バスが出来てから通学が便利になったと子供たちは口を揃えて言っていた。けれども朝はバスの時間が上手く合わなくて、バスに乗っていると遅刻するとも。
一生懸命体全体を使ってコミュニケーションしてくる子供たちと話すことは楽しかった。しかしそろそろバス停に着いてしまう。私は簡単に降りる準備をした。夕日が眩しくて外していた眼鏡をかけ直しただけだが。そうしたら、子供たちは口々にこう言ってくれた。その眼鏡、カッコいい!と。大切な方から贈ってもらった思い入れのある眼鏡だったので、その子供たちの感想が余計に嬉しかった。
そして、田舎道に沿って突如現れる、総計200戸ほどの住宅地の中心にバスは着き、みんなで揃ってバスを降りた。そこからは散り散りで、みんな手を振って別れた。
私は心地よい余韻に浸りながら実家までの短い道のりを歩いた。10人くらいの子供たち。みんな仲良そうにしていた。
私はようやく気づいた。この住宅地にはもう10人ほどしか子供が居ないのかと。
この住宅地はバブルの最末期ほどに売り出されたものだ。その時三十代の戸主を持った核家族が移り住んできて二十年。彼らは五十代になり、その子供たちは二十代で自立のときだ。ここに建っている家々は皆核家族用のもので、複数世代が住めるものじゃない。私だってちょうどその世代だ。私が子供の頃はこの住宅地はもっと賑やかで、小学生だけでも百人近くはいたではないか。それこそ、あんな小さなバスでは乗り切れないくらいに。
この住宅地は、確実に斜陽の中にある。分かっていたはずだ。考えればすぐに分かることだ。そんなことだが、実際に子供たちの姿を見なければ、何も分からなかった。
この住宅地はこれから、ゆっくりと老いてゆくのだ。その事実に愕然としながら、私は実家の扉を開けた。そこには、もう随分と白髪の混じった母が、小学生だった私を迎えてくれるのと同じようにして待っていてくれていた。
S市は大きな都市で、周辺から人口を収奪しながら今も大きくなっています。その中心部が私の生まれ故郷で、小学3年生の秋に、私の一家は郊外のH町に移りました。私の父は、そこそこ社会的に成功した人で、広い庭が欲しかったらしく、彼の希望に合致する約600坪というまとまった土地がたまたまH町で購入できたので、私もH町を第二の故郷にすることになりました。
H町は旧炭鉱地で、私たちが越した頃から急速にベッドタウンとしての開発が進みましたが、私がH町民になった頃はまだ開発が本格化する直前で、住民は貧しい人がたくさんいました。私が大学生になって、東京に出ていく頃には、町の人口は私が来た時の3倍になっていて、今ではH町の一部の地域は高級住宅地として知られています。
引っ越した頃、私は「お高くとまっている」と言われて軽いいじめをうけました。でもそこで、正面からぶつかっていったのでかえって仲良くなって、みんなに溶け込むことが出来ました。私は他の人たちを見下していたわけではないのですが、H町の同級生の目に「お高くとまっている」ように見えたとしても無理はなかっただろうと思います。男子も女子もジャージを着ているような土地で、かわいらしいフリルのついた服で登校していればそれは異質感がきわだちます。私はS市では当たり前だったことをそのまま当たり前に続けていただけだったのですが、それらがすべてH町民への批判になってしまっていたのでした。
とは言っても、私もそうですし、うちの家族は基本的にだらしないというか、ずぼらな人たちなので、すぐにH町に染まってしまいました。「お屋敷みたいな家に住んでいて、どんな人たちかと思っていたら、気さくな人たちで良かったわ」とはよく言われたものです。
私は学校の勉強は出来たのですが、H町の子供たちの学力はS市に比べればずっとずっと劣っていました。そして意外かもしれませんが、子供たちはそれを自覚していました。なんとか頑張ろうとしている子もたくさんいて、でも、出来ない子が多すぎるので授業の進みは遅いし、家に帰っても勉強を教えてくれる人もいないし、塾とかもまだH町にはありませんでしたし、あったとしても、経済的には行けなかったりで、私が勉強を教えてあげると、「増田さんっていい人なのね」ということになって、私はすぐにクラスのまとめ役みたいになりました。
放課後には一緒に原っぱをジャージで走り回って、楽しい子供時代を過ごすことが出来ました。
でも、その頃から、町のあちこちで住宅開発が本格化して、それが本格化する直前にH町民になった私は、「原住民」の立場から町の歴史の移り変わりを眺めることになりました。ある日突然、遊び場だった山や原っぱが立ち入り禁止になって、重機が入って、造成していくのです。しばらくして瀟洒な家が立ち並ぶようになって、こぎれいな格好をした人たちが大量に「入植」してきました。
遊び場を奪われて、自分たちとかけ離れた生活をする新住民とその子供たちに、原住民の子供たちが素直に好意を抱けるでしょうか?
中学の頃にはずっと新住民と原住民の子供の冷たい対立がありました。大量に入ってきた新住民の子供たちは町に溶け込むこともなく、自分たちの色に塗り替えてしまいました。私はそれを原住民の立場から、でも、社会的な立場としてはむしろ新住民に近い人間として、対立や調停に巻き込まれることになりました。どちらからも自分たちの側の人間だと思われて、なおかつどちらからも疎外されるような、そういう難しい立場に立たざるを得ませんでした。私の苦悩はむしろ先生たちと共有できていたと思います。
新住民と原住民では利害が完全に異なるので、新住民は「出来ない子は切り捨ててどんどん授業を進めてください」と言うし、原住民は教育を学校に丸投げしてそのくせ自分たちの子にあわせろと主張します。先生は間に入ってかなり大変だったろうと思います。
けれども年を経るごとに新住民は数的に圧倒的になって、原住民やその子供たちは自分たちのホームタウンにいながら、次第次第に切り捨てられるようになりました。高校生の頃にはもうこの種の問題は私の日常生活では見えなくなっていました。というのは、そもそも私が通っていた高校は地域ではわりあいレベルが高かったので、そもそも原住民の子供はほとんどいなかったからです。
小学校の頃からの原住民であった同級生の多くは、今はおさだまりの底辺生活者になっています。フリーターだったり、肉体労働者だったり、18歳で子供を産んだりして、私が勉強を教えた子たちもほとんどは結局、貧困の連鎖から抜け出すことは出来ませんでした。
ロンドンの暴動を見ていて、なんとなく感じることがあります。あの生活費の高い都市で、高度に都市化された生活がかいまみられる状況で、決してそれには手が届かないことを知っている子供たちがどんな風に感じているのだろうと。
「頑張れば抜け出せる」
それは確かにそうなのでしょうし、そのためのアシストもあるのでしょうが、日本の、一億総中流幻想があった頃でさえ、実体験から言えばやっぱり貧乏人の子の多くは貧乏人になったのでした。それがどれだけ難しいことなのか「新住民」の人たちは分かっていないと思います。母親でさえ四大卒の家庭で育てられた人に、九九も満足に言えないような親に育てられることがどういうことなのか、わからないと思います。
頑張らない、頑張らないことをむしろ奨励するのが貧困なのです。親や周囲を敵に回して、そういう中で子供ががんばるのは無理です。
散歩の途中だった。
道路で猫が死んでいた。車に轢かれたのだと思う。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度なのに。寝ているようにさえ見えるのに死んでしまっていた。
形ある小さな純白の遺骸。見下ろしていたら、少しだけ視界がぼやけた。夏は真っ盛りで、気温も天井を打つ午後二時の四辻には、蝉の鳴き声と幻覚のように立ち昇る陽炎とだけが密集している。
密集。
ジリジリと照りつける日差しを帽子越しに感じながら、私は猫を見下ろし、ぼんやりと立ち尽くして、いまこの四辻に密集しているものごとについて思いを巡らした。
ふと、この猫は一体いつ死んだのだろうかと考えた。ここは閑静な住宅地のど真ん中なのだ。この時間帯で近くを走る車は皆無に等しいし、この猫にしたって炎天下の中を歩き続けることは避けていたに違いない。昨日の夜から明け方にかけて轢かれたと考えるのが妥当だった。妥当だったが、どうにも腑に落ちない。
猫の遺骸があまりにもきちんと横たわりすぎているのである。蠅がたかっていない。烏に啄かれてもいない。そもそも遅くとも明け方には死んでいなければならない骸なのだ。とっくの昔に近隣住人に発見されているだろうし、ともすれば保健所に連絡が入っているはずで、いくら他の雑務に駆られているからと言ってこの時間まで放置されているのは不自然な気がした。
万が一保健所の職員が来られなかったとしても、この時間になるまで四辻の真ん中で横たわっている状態はおかしい。近隣住人の嫌悪感が理由になるのだとしても、その心理が私には理解出来ない。
しゃがみ込み、そっと力を亡くした四肢を動かしてみる。蟻さえも近づかなかった猫の死骸は剥製と見紛うばかりに美しく、ともすればふとした拍子に生き返ってしまうのではないかと思わせる躍動に満ちていた。あるいはただ単に気絶しているだけなのかもしれない。急いで病院に駆け込めば、一命を取り戻すことだってあるのかもしれない。
けれども私は、その骸を両腕に抱いた瞬間にわかってしまった。確実にいまこの瞬間に白描は死んでいる。死んでしまっている。不気味なほど力のない、弛緩しきった骸の冷たさが肌に滲むかのようだった。
いま腕の中にあるもの、それは猫の形をした何かだった。限りなく猫に近いくせに、決定的に猫ではない塊だった。
蝉の音がシャワーのように降り注ぎ、容赦のない太陽と立ち昇る陽炎とが私を燻すように熱している。
白い猫の綺麗な遺骸を抱きながら、ぼんやりと重たいなと思い始めていた。三キロ? それとも五キロ? いやいや七キロ以上はあるまい。とは言え、市販のダンベル一つで十分足りてしまう重さだった。ダンベル、たったの一つ分。
この白猫はどうして死んでしまったのだろう。立ち尽くしたまま考えるでもなく考えてみた。骨格に酷い損傷は見られない、外傷もそんなに目立つものはないのに、どうしてよくできた縫いぐるみみたいになってしまってるのだろう。
きっと打ちどころが悪かったんだよ。誰かが答えた。仕方がなかったんだ、運が悪くてね。そういうこともあるものなんだよ。
そうなのだろうか。そういうこともあるのだろうか。そういうことがあってもいいのだろうか。じっと猫を見つめながらじくじくと問い続けた。責め続けたのだった。
突如としてその言葉が私の周りをひしめき合うように囲い始めた。空から降ってくるものもあれば、地面から生えてくるものもあり、霧が晴れるかのように現れたり、気がつけばいつの間にかそこにあったものなど様々だった。大理石のようなもの、切り出した木くずが組み合わさったもの、丹念に砂で固められてもの、雲のように輪郭線がはっきりしないものなど素材までもが多岐に渡っていた。
夏の炎天下。人気のない四辻で白描の遺骸を抱いた私は理不尽という言葉に囲われている。どうしてなのだろう。答えは出ない。どうしてなのだろう。絶対にわからない。
もぞりと、腕の中で猫が身動きをした。見ればぐるりぐるりと丸まっていく最中で、手足は屈められ尻尾が穏やかに首に巻きつき、背骨が曲がりに曲がり、遂には丸々とした真っ白な毛玉になってしまった。
風など吹いているはずもないのに、そよそよと白い毛並みは私の肌を撫でていく。心地良い。思った途端にふわりと浮かんで、毛玉は空へと昇っていった。ぐんぐんぐんぐん青空に呑み込まれていって、二度とは戻らなかった。
呆然としたまま空を仰いでいた私は、ふと我に帰り視線を正面に向ける。ひしめくように周囲を囲っていた言葉たちは知らない間に消えてしまっていた。
四辻に残されたのは私一人だけ。
ジリジリと照りつける日差しが帽子越しにも熱く感じられる。蝉は変わらず鳴き続けていて、遠く幹線道路を走る車の音と、途切れ途切れに聞こえる風鈴の音色とが細かく耳朶に届いている。
今日、猫が死んでいるのを見つけた。外傷は然程なく、出血も耳鼻から微々たる紅が垂れている程度だったのに、猫は確かに死んでいた。
きっと、それだけのこと。
私は再び散歩をし始める。
日雇い増田は、とにかく一度動揺すると何事でも悪い方向に考えて、その考えにとらわれて次の作業でミスを連発しがち
昨日もそういう日だった
「無能」「スクラップ」「社会の規格外品」「ジャンク」「バーゲンセール品」「○○○した方が・・・」
「社会のレールから外れた規格外人間は、バーゲンセール品かスクラップ、ジャンク品としての扱いしか受けられなくなる」
「やはり無能は死んだ方がいいのかな・・・」そうつぶやきながら、ひなびた温泉地をふらふらさ迷う
あちこちに地域の人達の為の浴場があった 洗面器とタオルを小脇に抱えた爺さんが通りを歩いている
この温泉地の住宅街は建物の老朽化が進み、「路地」といえば聞こえがいいが「スラム街」といっても通用するほど襤褸っちい
そんな街を「スラム街」にしていないのは通り過ぎる人々の表情の穏やかさだ
都市部にもっと近くて発達していても荒んだ空気のあり凶悪犯罪がよく報道されているあの地域とは「街の空気」がぜんぜん違う
「その原因は何だろう」そう考えながら増田は温泉街の住宅地を中心部の方へ足を進めていく
200円払って、脱衣所に入ると貸切状態だった シャワーは無い
蛇口は2つ 熱い水が出る蛇口と冷たい水が出る蛇口を同時に洗面器に入れて自分で温度を調節する必要があった
浴槽は一つだけで大きい 温度は44度くらいとかなり熱い
おそらくそれゆえに長湯する人が少ないのだろう 足の疲れを取りたい増田にはこの熱さはむしろ願うところだ
最初に脚だけ浸かり足湯状態を楽しみ、体が熱さになれてきた所で肩まで浸かる
体の疲れが取れると共に増田の悩みも熱い温泉に溶けていった 温泉には日々の心の疲れも取る効果があるのかもしれない
これで明日は元気に生きていけそうだ
温泉から出るまでずっと誰も来なくて200円で一人貸切状態だった
着替えると足が温まった分、靴が少し蒸れるようだ
そう思っても草履など売ってる店が見当たる訳が無く
製造業が止まってしまっては、モノがなければ、サービス業は開店休業状態になってしまう。
生産ラインが海外ならまだしも、日本に残ってる製造業というのは海外では代替え不可能な高度な製品、医薬品やある種の食品といった海外製品を流通させるには手続きが面倒な製品ばかりなわけで。
高度な製品とか、医薬品、食品というのはクリーンルームが必要な場合が多い。
24時間、綺麗な空気と綺麗な水が絶え間なく供給されて初めて生産出来る。
医薬品や食品というのは、今すぐ必要で、これからも被災地での需要が伸びるもので、いまラインを止めるべきでじゃない。
出来ることなら、輸出向けの製品だって作れるならそれに越したことはない。
日本に物資を運んでくる貨物船は、多くの場合はコンテナが空のまま戻ったりはしない。
流通が回復すれば見た目ではモノが復活する。
でも、いまここで製造業が止まると、数ヶ月後に酷い状況が待ってる。
その状況から回復するには、数ヶ月かかる。
もちろん、施設単位で停電除外なんていうことは無理だと思うんだが、工業団地に優先的に電気を回し、住宅地を停電させるようにしないと日本が・・・
停電対象の区域分けにも不満が出ている。
板橋区の福祉施設職員(38)は「(世田谷区などにある)高級住宅街の家ほど消費電力が多いのではないか。同じ都民としてどの区の人も平等に停電に協力すべきだ」。
[【計画停電】不公平?「娯楽施設がなぜ」「高級住宅地の方が消費電力多い」+(2/2ページ) - MSN産経ニュースより引用
狭い土地に何軒も家が立ち並ぶ方がむしろ消費電力が多いのではないか?高級住宅街の広い家なら使わない部屋のブレーカーを落とすこともできる(実行しているかどうかは別として)
加えて、高級住宅地には政治家、有力者が住んでいたりする。だから鳩山さんや石原さんの住む田園調布は計画停電からは除外されたのではないか。
と私は思ったのだが、よく考えると、お金持ちなら自家発電設備持っていたりするような気もしてきた…
同じ都民でも平等はないと思う。23区が平等に停電するわけにはいかないだろう。官公庁が停電なんて避けるべき。
心の底から納得できるわけではないけど…世の中平等なんて目指すべき理想だよね。
written by 計画停電のない人
追記
http://anond.hatelabo.jp/20110211132856
東山区 清水寺や三十三間堂など観光名所を多数有し、区内に在する国宝が建造物だけでも軽く2ダース以上。京都といえば観光、観光といえば東山
上京区 京都御苑・京都府庁があり、西陣織・友禅など伝統産業も盛ん、上京こそが京都の政治・経済の中心地。
左京区 京都大学をはじめ文化施設が集中。左京こそ京都の学術・文化の中心地。
北区 高級住宅地が集中、金閣寺を有し有名私立大学も多数あり。『職場は上京区の人でも住んでるのは北区なんだからネ!』
右京区 仁和寺や嵐山など、京都通が好む観光名所が多数。『清水寺より嵐山のほうが観光客数は多いんだからネ!』
中京区 繁華街が集中、その名の通り中心地。ただし下京区から分離して新しく作られた行政区『京都府庁より京都市役所のほうが予算は大きいんだからネ!』
下京区 「上・中・下」の分かりやすすぎるヒエラルキーの一番下。ただし、東西本願寺などを抱える古都でもある『東山区も中京区も、昔は下京区だったんだからネ!』
南区 工場だらけ、自動車だらけ、排ガス等々環境わるし。しかし京都駅と高速・京都インターを有する。『南区こそ京都の玄関口なんだからネ!』
小学校低学年だった頃、わたしは1,2個年下の男の子たちとよく遊んだ。男の子たちらが「○○ちゃんいますかー」なんてうちの家にきたら、当時まだ自転車に乗れなかったわたしは走って男の子たちについて行った。
3人くらいで遊ぶ時もあれば、男の子らが別の友達を呼んだりして結構な集団で遊ぶこともあった。大抵は、コンビニで駄菓子買ったり公園で遊んだり、もしかしたらなんも考えず街中を走ってたかもしんない。あまり覚えてない。
わたしの家の近くに大きな木があった。休日、お昼食った後に底に行くと、大抵だれかがいて、その木に登っておしゃべりをした。いつもその木に集まってくるメンバーはわたしをいれて3人だった。みんなはその木のことを秘密基地と呼んでいた。
その近くには野良犬も住み着いてたらしくて、みんなでその野良犬をシロって呼んでかわいがった。お菓子あげたりして一緒に遊んだ。
しばらくしてその秘密基地は切られて住宅地になった。シロはその後誰かに拾われたらしいということは聞いた。そのうちわたしは一切男の子たちと遊ぶことはなくなった。
今日、知り合いのばあちゃんちに行ったらシロが居た。なんだ、生きてんじゃん、元気でやってんじゃんって思った。シロはもっと別のかっこいい名前で呼ばれてた。
子供のころの楽しかった日々には、もう二度と戻れないのだなと今更ながらに痛感した。
育った町は関東に位置している田舎だ。電車に乗れば東京まで一時間半か二時間程度の場所だが、それでも十分田舎だった。電車を目の前で逃すと一時間は待たなければならない。隣駅は無人駅で、最寄駅は7時にならないと自動券売機で切符が買えない。バスに至っては二時間来ないこともざらだ。終電や終バスの時間も早く、夕方が差し迫ってくれば、乗り継いで行った先の終電のことを考えなければならない。東京は近くて、でも遠い街だった。
電車に乗ってあの町が近づいてくると、見渡す限りの田んぼとその中をうねうねと伸びる農道が見える。街燈がぽつぽつとしかない道を闇におびえながら全力疾走で駆け抜ける夜も、夏になると井戸からくみ上げた水が滔々と流れる用水路も、稲穂の上を渡る金色に光る風も、その中を喜んで走る犬も、道端で干からびている車にひかれたイタチも、うっそうと道上に生い茂り時々大きな枝を落としている木々も、なにもかもが呪わしかった。どこへ行くにも車がなければ不便で、こじゃれた店は大規模なショッピングモールの中にしかない。それで、中高生はいつもそこに特に理由もなくたむろしていた。
みんな都会に行きたかったのだ。すぐにつぶれてしまう店も、郊外型の広い駐車場も、市街地から外れればとたんに何もなくなって農耕地だけになるニュータウンも、なにもかも厭わしかった。私たちはたまに触れるなにか新しいものを含んだ風にあこがれ、騒がしい日常を羨み、便利さに憧憬を抱いた。都会に行かなければいけない、という思いはまさに呪縛だった。こんな田舎にいてはいけない、田舎はつまらなく、古びていて、垢抜けない。だから都会に行かなくてはいけない。
高校を卒業するとともに私を含めほとんどの友人は都会へと向かった。何人かは都会に住みかを確保し、住みかを確保できなかった人たちはどこかに拠点を確保して、毎日何時間もかけて都会へと通った。
私は住みかを確保できた幸運な一人だ。山の手のかたすみにある、静かな住宅地に最初の下宿はあった。学生用の木造二階建ての、半分傾いたアパートだ。四畳半で風呂がなく、トイレと玄関は共同だ。同じ値段を出せば、田舎では1DKが借りられる。しかしそんな場所でも、私にとってそこは「トカイ」だった。
トカイでは駅までの道に田畑はなく、駅では10分も待たずに電車が来る。どの駅でもかなりの人々が乗り降りし、夜が更けても街燈が一定の間隔で並んで夜を追い払ってくれる。月明かりに気付く余裕をもって往来を歩けるほどの安心が都会にはあった。そのくせ、私が慣れ親しんできた大きな木々や古い河の跡や、四季はきちんとそこにいて、祭りがあり、正月があり、盆があり、そうやって人々は暮らしていた。盆正月は店が閉まってしまうということを知ったのも都会に出てからだった。
都内にありながら広大な面積を有する大学の中には山があり、谷があり、そして池があった。そこにいると、田舎のように蚊に襲われたし、アブラゼミかミンミンゼミくらいしかいないとはいえ、蝉の声を聴くことができた。近くに大きな道路が走っているはずなのに、喧騒はそこまでやってこず、昼休みが過ぎると静寂が支配していた。水辺で昼食をとるのが私は好きで、亀と一緒に日を浴びながらパンを食べた。
あるいは、田舎でそうしていたようにどこへ行くにも自転車で行き、アメ横からつながる電気街や、そこから古書街、東京駅、サラリーマンの街あるいはおしゃれな店が並ぶ一帯までどこへでも行った。都会は平坦につながっているように見えるが、どこかに必ず境目があるのだった。境界付近では二つの街の色が混ざり合い、ある臨界点を超えると途端に色彩の異なる街になってしまうのが面白かった。その合間にもところどころ自然は存在していて、いつからそこに植わっているのか知らない大きな木々が腕を広げて日陰を作り、その下にベンチが置いてある。くたびれた老人がその下に座り、コミュニティが形成される。それが私の見た「都会」だった。
山の手の内側で育ち、閑静な住宅街で育った人たちは、ここは「イナカ」だから、東京じゃないという。私はそれを聞くたびに笑いをこらえきれなくなる。あなたたちは田舎を知らない。電車が10分来ないとか、駅まで10分くらい歩かなければならないとか、店がないとか、繁華街が近くにないとか、そんな些細なことを田舎だと称するけれど、田舎はそうじゃない。
田舎は不便だが、時に便利だ。車で移動することが前提だから、どこか一箇所にいけばだいたいのことを取り繕うことはできる。都会のように一つの場所に店が集まっていないせいで、あちこち足を運ばなければいけない不便性が田舎にはない。確かに近くに店はない。駅も遠い。でもそんなことは本当に全然大したことじゃないのだ。
大きな木が育っていてもそれを管理せずに朽ちていくばかりにする田舎、邪魔になればすぐに切ってしまうから、町の中に大木は残らない、それが田舎だ。古いものは捨て、新しいもので一帯を覆い尽くすのが、田舎のやりかただ。昔からあるものを残しながら新しいものをつぎはぎしていく都会の風景とは全く違う。人工の整然とした景観があり、そことはっきりと境界線を分けて田畑が広がる区域が広がる。その光景をあなたたちは知らない。人工の景観の嘘くささと、そこから切り離された空間の美しさをあなたたちは知らない。新しく人が住む場所を作るために農地や野原を切り開いて、道路を通し、雨になれば水が溜まる土壌を改良し、夏になればバスを待つ人々の日陰となっていた木々を切り倒し、そうして人工物とそれ以外のものを切り離していくやり方でしか町を広げていくことのできない田舎を、あなたたちは知らない。人々は木漏れ日の下に憩いを求めたりしないし、暑さや寒さに関してただ通りすがった人と話をすることもない。車で目的地から目的地へ点と点をつなぐような移動しかしない。それが田舎なのだ。あなたたちはそれを知らない。
盆や正月に田舎に戻ると結局ショッピングモールに集まる。友人とだったり、家族だったり、行くところはそこしかないから、みなそこへ行く。しばらく帰らない間に、高校時代によく暇をつぶしたショッピングモールは規模を拡大し、店舗数も増えていた。私が「トカイ」で足を使って回らなければならなかったような店が、都会よりずっと広い売り場面積で所狭しと並ぶ。それがショッピングモールだ。上野も秋葉原も新宿も池袋も渋谷も原宿も東京も丸の内もすべて同じところに詰め込んで、みんなそこは東京と同じだと思って集まる。田舎は嫌だ、都会に行きたいと言いながらそこに集まる。
ABABというティーン向けの店でたむろする中高生を見ながら、私は思う。下町を中心としたチェーンのスーパーである赤札堂が展開しているティーン向けの安い服飾品を、田舎の人は都会より二割か三割高い値段で喜んで買う。これは都会のものだから、垢抜けている、そう信じて買うのだ。確かにその服はお金のない中高生が、自分のできる範囲内で流行りを取り入れて、流行りが過ぎればさっさと捨てるために、そういう目的に合致するように流通している服飾品だ。だから安い代わりに物持ちが良くないし、縫製もよくない。二、三割その値段が高くなれば、東京に住む若者はその服は買わない。同じ値段を出せばもう少し良いものが変えることを知っているからだ。田舎に暮らす私たちにとってのしまむらがそうであるように、都会に住む彼らにとって最低限の衣服を知恵と時間をかけてそれなりに見えるように選ぶのがABABだ。そのことを彼らは知らない。
ABABのメインの事業である赤札堂は、夕方のサービスタイムには人でごった返し、正月が近づけばクリスマスよりもずっと入念にかまぼこやら黒豆やらおせちの材料を何十種類も所せましとならべ、思いついたようにチキンを売る。あの店はどちらかというと揚げ物やしょうゆのにおいがする。店の前には行商のおばさんが店を広げ、都会の人たちはそれを喜んで買う。若いこどもはそれを見てここは「イナカ」だという、そういう光景を彼らは知らない。田舎ではショッピングモールの商品棚のなかにプラスチックでくるまれた商品があるだけだ。そうするほうが「トカイ」的で便利でコミュニケーションがいちいち必要ないから、田舎の人間はそれを喜ぶのだ。
そして私は「トカイ」という呪縛から逃れていることに気付くのだ。
どちらもよいところはあり、悪いところはある。便利なところはあり、不便なところもある。都会の人も「トカイ」にあこがれ、ここは田舎だというけれど、「トカイ」というのは結局幻想でしかないということを、私は長い都会生活の中で理解したのだった。便利なものを人は「トカイ」という。何か自分とは違うと感じるものをひとは「トカイ」のものだという。それは憧れであり、決して得られないものだと気づくまで、その呪縛からは逃れられないのだろう。
「イナカ」はその影だ。「トカイ」が決して得られない憧れであるなら、「イナカ」は生活の中に存在する不便さや不快さや、許し難い理不尽やを表しただけで、「トカイ」と表裏一体をなしている。「イナカ」も「トカイ」も幻想でしかない。幻想でしかないのに、私たちはそれを忌み嫌ったり、あこがれ、求めてやまなかったりする。だから田舎はいやなんだというときのイナカも、都会に行けばきっとと願うときのトカイも私の心の中にしか存在しない、存在しえない虚構なのだ。
私はオフィス街の中で聞こえるアブラゼミの声が嫌いではない。でも時々その声が聞こえると、田畑を渡る優しく澄んだ夕暮れ時の風を思い出す。竹の葉をすかす光とともに降り注ぐ、あの鈴の音を振るようなヒグラシの音が耳に聞こえるような気がする。
記憶の片隅に、一面に広がる田んぼと、稲穂の上で停止するオニヤンマの姿が残っている。
父方の田舎は、人口の一番少ない県の市街地から車で一時間半かかるところにあった。周りは山と田畑しかなく、戦前から10軒もない家々で構成される集落だ。隣の家は伯父の家だったはずだが、確か車で15分くらいかかったと思う。幼いころにしかいなかったので記憶はもうほとんど残っていない。免許証の本籍地を指でなぞるときにふと頭の中によぎる程度だ。父はあの田舎が嫌いで、転職と転勤を繰り返して、関東に居を構えた。あの村で生まれて、育ち、その中から出ることもなく死んでゆく人がほとんど、という中で父の都会へ行きたいという欲求と幸運は桁はずれだったのだろう。時代が移り変わって、従兄弟たちはその集落から分校に通い、中学卒業とともに市街地へ職や進学先を求めて移り住んでしまった。今はもう老人しか残っていない。日本によくある限界集落の一つだ。
引越をした日のことは今も覚えている。きれいな街だと思った。計画的に開発され、整然と並んだ町並み。ニュータウンの中には区画ごとにショッピングセンターという名の商店街があり、医療地区があり、分校ではない学校があった。電柱は木ではなくコンクリートだったし、バスも来ていた。主要駅まではバスで40分。駅前にはマクドナルドも本屋もミスタードーナツもある。旧市街地は門前町として栄えていたところだったから、観光向けの店は多くあったし、交通も車があればどうとでもなった。商店に売られているジュースは何種類もあったし、本屋に行けば選ぶだけの本があった。子供の声がして、緑道があり公園があり、交通事故に気をつけろと学校では注意される。
バブルにしたがって外側へと広がり続けたドーナツの外側の淵にそのニュータウンは位置しているが、新しい家を見に来たとき、祖父母はすごい都会だねぇと感嘆混じりに言った。
父は喜んでいた。田舎には戻りたくない、と父はよく言った。都会に出られてよかったと何度も言った。ニュータウンにはそういう大人がたくさんいた。でも、都心で働く人々にとってニュータウンは決して便利の良い町ではなかった。大きな書店はあっても、ほしいものを手に入れようとすると取り寄せるか、自分で都心に探しに行くしかない。服屋はあるけれど、高いブランド物か流行遅れのものしかない。流行はいつも少し遅れて入ってきていた。都心に日々通う人たちはそのギャップを痛いほど実感していたに違いないと思う。教育をするにしても、予備校や塾は少なく、レベルの高い高校も私立中学もない。食料品だけは安くて質のいいものが手に入るが、都会からやってくる品は輸送費の分、価格が上乗せされるので少し高かった。都会からじりじりと後退してニュータウンに落ち着いた人々にとって、言葉にしがたい都会との微妙な時間的距離は苦痛だったのだろう。
子供にはなおさらその意識が色濃く反映された。簡単に目にすることができるからこそ、もう少しでつかめそうだからこそ、都会は余計に眩しいものに思えた。引力は影響を及ぼしあうものの距離が近いほど強くなるように、都会が近ければ近いほどそこへあこがれる気持ちも強くなるのだ。限界集落にいたころには市街地ですら都会だと思っていたのに、ずっと便利になって都会に近づいた生活の方がなぜか我慢ならない。
そして子供たちは大きくなると街を出て行き、後には老人だけが残った。さながらあの限界集落のように、ニュータウンもまた死にゆこうとしている。幸運なことに再び再開発が始まっているようだが、同じことを繰り返すだけだろう。
祖父母にとって東京は得体のしれないところだった。東京駅に降り立った彼らは人込みの歩き方がわからず、父が迎えに来るまでじっと立ちつくしていた。若いころだってそうしなかっただろうに、手をつないで寄り添い、息子が現れるまで待つことしかできなかった。そういう祖父母にとってはあのニュータウンですら、生きていくには騒がしすぎたのだ。あれから二度と都会へ出てくることはなく二人とも、風と、田畑と、山しかないあの小さな村で安らかに一生を終えた。
たまに東京に出てくる父と母は、あのとき祖父母が言っていたようにここは騒がしすぎて疲れる、という。どこへ行くにもたくさん歩かなければならないから不便だと言う。車で動きにくいから困ると言う。智恵子よろしく母は、東京にイオンがない、と真顔で言う。私が笑って、近くにイオン系列のショッピングモールができたし、豊洲まで出ればららぽーともある、といっても納得しない。田畑がない、緑が少ない、明るすぎるし、どこへ行っても人が多い。すべてがせせこましくてあわただしくて、坂が多くてしんどい。それに、とことさら真面目な顔になって言う。犬の散歩をする場所がない。犬が自由に走り回れる場所がない。穴を掘れる場所もない。彼らはそう言う。
あんなに都会に出たいと願ってやまなかった若いころの父と母は、あのニュータウンの生活に満足し、さらに都会へ出ていくことはできなくなったのだ。それが老いというものかもしれないし、身の丈というものなのかもしれない。生きてゆくべき場所を定めた人は幸せだ。幻想に右往左往せず、としっかりと土地に根を張って生きてゆくことができる。
私の住む東京と千葉の境目も、不満に思う若者は多いだろう。都内とはいっても下町だからここは都会ではない、と彼らは言うかもしれない。都下に住む人々が都会に住んでいない、と称するように自分たちの住む街を田舎だと表現し、もっともっとと願うのかもしれない。引力は近づけば近づくほど強さを増すから逃げられなくなるのだ。でも、もしかすると、都会の不便さを嫌って、彼らは田舎を志向するかもしれない。一つのところへ行きさえすれば事足りる、点と点をつなぐだけの便利な生活。地をはいずりまわって丹念に生きる必要がある都会と違って、郊外は行く場所が決まっているし、ネットがあればなんとかできる。彼らには、私たちが引力だと思ったものが反発力として働くかもしれない。未来は分からない。
それでもきっといつかは、みんな、どこかに愛着を抱くか、よんどろこのない事情で立ち止まるしかなくなるのだろう。祖父母がそうであったように、父と母がそうであるように、どこかに満足して、ここ以外はどこにも行きたくない、と主張する。それまではきっと都会と田舎という幻想の間を行き来し続けるのだ。
いやまぁ、いいけどさ。金がないにも程度があって
お金が無いから、野原で遊べるものに遊びがなって、野球道具は道具の数が多いから、ボール1個でできるサッカーが選ばれる。みたいな話でしょ。
楽観しろとか、楽しめというのが言い過ぎだとしても、悲観することにもまた違うでしょ?
とんでもない、高級住宅地 政治家とか芸能人とか、社長とかが住んでる地域のハズレで繁華街との境目に、公園があってサクラが咲いてるんだけど、
春にそこをとおると、みんなでお花見してるんだよね。シートしいて。あれ、どう考えても、お金かかってない。
お金がなければ、なにもできない?確かに、お金があると楽しい物も多いけど、たとえば美術品。
お金が無いと美術館に入れない?いや、上野の地獄の門とか屋外展示で無料。屋外展示の美術品って無料で楽しめるものが多いんだよね。
そもそも、美術展って1000円とか2000円だし。 何十億も出して、絵を買わなくても、数千円で眺められる。下手すりゃ無料。いい国だと思うんだけどなぁ。
図書館に行けば、本も無料で読める。無料で貸出もしてもらえる。
だが、金があったって難しいのに、金がない状態で無理に探してどうなる。
金がなくても大丈夫とはいわんけど、
個人的メモ。
なんか異常にブクマ付きまくってるけど、あくまでも俺個人の脳内で解釈されている「普天間基地移設問題」なので、その辺を踏まえた上で再利用してくださいな。
中国は日本にとってもアメリカにとっても仮想敵国であり、沖縄はその最前線に位置している。そしてその仮想敵国は軍事独裁国家で、しかも軍拡真っ最中。空母を建造中で、艦載機の大量調達も計画進行中。特に台湾有事の際には即応できる位置に戦力を張り付かせておかなければならない。グアムからだと最短でも数日かかるが、沖縄からだと数時間で到達できる。
よって、他県(鹿児島以北)に分散させるといった提案はアメリカは聞く耳を持たない。グアム全面移転なんてのはアメリカに台湾を見捨てろと言うも同然で論外。
大臣を含む政府関係者が何度か渡米しているが、従来案以外の提案は全て門前払いを食らわされている。残り2ヶ月弱。
アメリカの予算成立スケジュールの都合上、それまでに日米間で合意に達しないと普天間使用継続がほぼ自動的に決定してしまう(アメリカ側に変更する気は今のところ無い)。そうなれば今後10~20年は普天間に基地は存続し続ける事になる。そもそも普天間移設は米軍機の住宅地への墜落事故などに端を発しており、本来の目的は普天間近隣の危険性を除去することだった。仮に従来案を粛々と進めていれば2014年には普天間は返還されていたはずなので、このままリミットを過ぎたら「従来案を進めていた方がよっぽどマシだった」という結末になる。
日本政府に「アメリカが断ったから」という言い訳の余地を与えないための予防線と思われる。実際、アメリカは現時点で実務者協議にも応じていない。
「○○にしようかな」と観測気球→地元自治体が猛反発のコンボを延々と繰り返してる。
移設先の自治体との折衝や移設工事その他諸々を逆算すると、スケジュール的には既にケツに火がついてる状態。鳩山が当初「年内(2009年末まで)」と言っていたのはそれが理由。国際協定の遵守義務は憲法にも明記されている(98条2項)ので、履行不可能となれば責任問題は不可避。履行可能な案を反故にした上でとなればなおさら。
しかし鳩山が「最低でも県外」を連呼してしまったため、今更従来案へは戻すに戻せない状態に陥っている。受け入れを表明していた辺野古も現政権に対する不信感MAX状態。
自民党政権時代にも検討はされたが速攻でアメリカは拒んでいる。最大の要因は狭すぎる点。拡張工事するにも環境アセスメントやらで2014年までに間に合わない。
それが事実なら三月末時点ですんなり決まっていたはずなんだけどね。
しかし今はそれが基地問題の最大の障害となってしまっている。もしかしたら民主党内でも基地容認派の当選を見越していたのかも知れない(そうなれば従来案の履行の言い訳が立つ)。
「徳之島案」というのはぶっちゃけ、辺野古の海兵隊を運ぶヘリを200km離れた所に置け、という事だから。有事はもちろん、訓練の時も往復400km飛ばなきゃならなくなる。米軍は80km以内を条件に提示しているが、普天間からその半径内に基地が作れるような県外の島は無い。
また前述の通りアメリカは地元の合意を取り付ける事を協議入りの条件に提示しているが、徳之島はこないだの町議選で基地容認派候補が全滅した。
千葉某所の職場からバスで30分弱の社員寮から出ることになったので、
遠くなるけど、もっと都会のほうに住むことにした。それがX年前。
山手線の内側。地下鉄の駅から徒歩3分の、そこそこ便利な立地。住宅とビジネス街が入り混じる。
途中から職場が都下に変わったので、ちょっと近くなった。通勤時間50分、乗り換え1回。
1日1時間の通勤時間増加は辛いかなぁと思っていたんだけれども、電車だと本が読めるんだよね。
家だとどうしてもネットに逃避しちゃうところ、電車だと妙な集中力が働いて、どんどん読める。
これは良い副産物だった。
仕事関係はこんなところ。
あとはプライベート。
出不精がかなり改善された。
前は、都内で飲もう!ってなると、帰りが大変だよなぁとつい二の足を踏んでしまったんだけど、
今はすぐ帰れるから(最悪タクシーでも)ハードルがすごく低くなった。
映画とか、20時半開始でも余裕で電車で帰れる。終電はあまり気にしない。
博物館とかに行くのも一仕事だったけど、今は金曜日の時間延長とかすごく便利に使えてる。
都内でコンサートがあっても、定時でさくっと終われば間に合うのが便利。帰りも楽だし。
行動範囲が広がった。選択肢が増えた。
寮にいたころは、家の周辺と、会社の周辺と、数駅先のショッピングモールと、たまに都内に出るくらいと
すごく限られた範囲だったけど、
今は通勤途中にちょっと下車してみたり、一駅足を伸ばしてみたりして、お店の開拓とかもできる。
本を買うにしても、池袋のジュンク堂&リブロか、新宿でブックファースト×2&紀伊國屋書店か、選ぶ余地がある。
家電もビックやヨドバシやヤマダもあるし、秋葉原に行けばジャンクだって買える。
夜中にお腹が空いたら、マクドナルドや松屋。コンビニも歩いていける範囲なら両手分くらいはある。
便利すぎてもう離れられないかもしれない。
でも、いいことだけではない。
物価が微妙に高かったり(すごく高くはない)、治安が微妙になってきたり(公園にホームレス)
それでも都会がいい。
自分にはここが合っていた。
うちの両親は馬鹿だ。本当にそう思った。
初任給を頭金にして、出来れば一括で買える額の中古を見つけて、車を買いたいと言ったところ反対された。
うちは陸の孤島の住宅地に立っている。一番近い私鉄の駅まで自転車で30分、勤め先はそこから電車でさらに30分ほどの場所にある。往復で1000円という高額だ。しかし、車があれば勤め先まで約30分ほどになるし、往復約40kmのガス代だって1000円まではいかないだろう。なのに反対。理由は、「勤め続けるならお金がかかるから」。お金って何よ、と問い返したところ、交通費といわれた。あり得ない。
初任給で通勤だけではなく生活がとても便利になる車が欲しい、という私の考えは変なのだろうか?
ちなみにうちの両親の馬鹿エピソード。
一番金利が高いバブルの最末期に固定金利で住宅ローンを組んだ。しかも、定年後まで続く額のものを。その上バブルがはじけた後に借り換えを進めるセールスを受けたにもかかわらず現状を変えるのが嫌だから(ここは推測)そのまま今だにバブル金利のローンを支払い続けてる。
住宅ローンの額は推測だけど3000万くらい。小学校まで徒歩1時間かかるど田舎の家にそんだけかけたんだよ。しかも年収は300万〜400万ぐらいしかないのに。んで子供の進学費なんてないよ、とかいうの。ホントあり得ない。
米、長期戦の構え=「普天間」見直し拒否、継続使用伝達へ
【ワシントン時事】沖縄県の米軍普天間飛行場移設問題をめぐり、米政府が長期戦の構えに入った。キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する現行計画見直しは拒否し、決着まで同飛行場を継続使用せざるを得ないとの考えを伝達。こう着状態に入れば、日本側の情勢を見極めつつ協議再開のタイミングを探る方針だ。
米政府は普天間代替施設に関し、(1)有事の作戦や平時の訓練に十分対応できるか(2)周辺住民との関係で基地の安定使用が可能か(3)実際に施設を建設できるか-の3条件を重視、既に日本側へ内々に伝えた。シュワブ陸上案やホワイトビーチ沖合埋め立て案は現行案より住宅地に接近したり、住民の反対も強かったりなどで、安定使用と実現可能性の面で問題があると判断している。
米側は過去の政府間協議で、シュワブ内の演習場を一部つぶす陸上案について「訓練場所が減るだけでなく離着陸中の航空機の近くで砲撃演習を行うのは危険」として却下した経緯がある。鹿児島県徳之島など県外案は、沖縄に残る地上部隊と航空部隊の一体性を維持できず論外との姿勢。これらの代替案が正式に示されれば、改めて拒否の理由を説明する考えだ。
オバマ政権は発足に際し、在日米軍再編に関する従来方針は踏襲すると決定した。その線に沿い、昨秋に訪日したオバマ大統領は「基本は守るべきだ」と現行計画履行を要請。米議会に対しても、この立場で沖縄海兵隊グアム移転費の承認を求めており、安易に妥協できないのが実情だ。
問題をこじらせた日本側への根深い不信感もある。計画を見直したところで移設が実現するか疑問視しているため、鳩山政権の行方や今秋の沖縄県知事選に向けた情勢などを注視する必要があるとの見方を強めている。
鳩山由紀夫首相が公約した「5月決着」について、米側には早い段階から悲観論があった。米政府関係者は、昨年末の時点で移設問題解決に先立ち同盟深化協議に踏み切ったのは、「再度の問題先送りを想定し、今年11月の大統領再訪日に傷を付けない危険回避策」と説明する。(2010/03/23-19:40)
鳩「え、じゃあ11月まで先延ばし出来るじゃん!」
2ヶ月という期間を考えると
あれは絵に描いたもちかな。
やはり細部にこだわる路線に変更しよう。
赤服デモ(反独裁民主戦線-UDDデモ)情報 26
4 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:39:18 ID:0LRZFhg.0
ディンデンの方からものすごい黒煙があがってるよ
5 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:40:00 ID:0F0X//DA0
13日 20:20
撮影者タイ人
M79 3発爆発 ラチャップラロップ通りにて
http://www.youtube.com/watch?v=JMlMkQyMaBU
怖っ。
6 :5:2010/05/15(土) 19:41:35 ID:0F0X//DA0
14日でした。昨夜の爆発の動画です。
7 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:42:51 ID:hF49PSKI0
>>4
一度消えかけたのに、またはっきりと煙が見える。
8 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:43:29 ID:jqHQ4otA0
タイには兵役があるというが、顔つきをみると見事に中華系がいないな。
みんな色黒。なんかあるんだろうな。
9 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:44:10 ID:R9T.S8520
そろそろクロ服がでてくる時間帯ですな。
昨日みたいに獅子奮迅のAKA乱射で軍を撃退するのでしょうか?
10 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:44:59 ID:0LRZFhg.0
前スレからですが、あまりにもすさまじいですねラチャ情報さん
気をつけてくださいよ
866 :ラチャ続報:2010/05/15(土) 18:57:47 ID:lDdvxzvs0
走り出したので、やれやれと思い午前中の死者の画像を
アップしようとしていたら外で大声がするのでベランダに
出たら、うちのコンドーの入口にタイヤと竹でバリケードを造営中。
100バーツずつ渡して場所の移動に合意。お前らほんとに金だけ。
バリケード壊して移動中に今までにないすさまじい銃撃が始まり
鳴りっぱなしになっている。
男ども(近隣住民と赤服)はうちのコンドーの敷地内に転がるように
逃げ込んで、ガソリンスタンド前で撃たれた死体も引きずってきた。
今までの鬱憤を晴らすかのような兵士のものすごい銃撃です。
兵士がコンドー前まで侵攻してきて、動くものはすべて撃っている。
見境なくなんでも撃っている。
40 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:55:49 ID:Eehbn5Tc0
何回兵隊使えば気が済むのか。中途半端なんだよアピは。
42 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:57:11 ID:jDm1i7v60
というか、今の時期、プラヴィハーンや、南部情勢に政府は神経注いでられないから、今攻め時だと思うんだけど、
パッタニー解放戦線の方々や、カンボジア軍の方々は何をしとるとですか?
46 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 19:58:45 ID:jqHQ4otA0
プラヴィハーンはともかく、南部情勢ってこれまでも政府がまともに神経を通わせていたとは思えない。
50 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:00:19 ID:aYSgNUg20
アビシットは白兵戦に頼るから、軍や警察にムダな死傷者が増える
援護のため、爆破力の強い投擲弾を多用して、ある程度、赤服を壊滅
に追い込んでから、兵を投入するべきでは?
51 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:00:29 ID:jDm1i7v60
6時だけど、ラチャはどうでっか
53 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:02:23 ID:jDm1i7v60
ランナム当たりは外国人も多い住宅地だからさ、あまりに破壊力高い兵器は、一般を犠牲にしすぎでしょ。
正式な退避勧告出してないから、やっぱりまずいんじゃない。
56 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:03:18 ID:Eehbn5Tc0
銃声はやんだね。殺し過ぎたんだろうね。
57 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:03:45 ID:1VGgsM0w0
一斉放送来たね
63 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:06:05 ID:/IeMl9TE0
59 今始まった。。
65 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:06:36 ID:2F9muXaA0
市民が亡くなったのは赤服と反赤服の衝突によるものらしい
69 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:08:39 ID:L/hDTKxc0
75 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:11:58 ID:ZLO4ewoI0
一斉放送、問題の地域に立ち入った場合の処罰の量刑の報道だったと思います。
77 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:12:53 ID:WMcZpkVI0
アヌサワリー方面で断続的に黒煙が見えるんですが。。
81 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:15:29 ID:ZLO4ewoI0
>>76
具体的に立ち入り禁止区域に入った場合の量刑と、それに付随する重い罪だと
懲役何年でとかなんかそういうんだったよ。
要するに行かなきゃいいって事だ。
82 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:16:01 ID:0LRZFhg.0
ランナム又始まったぞ。
88 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:17:47 ID:uTh82X4U0
NHKのニュースでラマ9のフォーチュンタウンが映ってたんだけど、
フォーチュン自体が閉鎖されてるのかな?
閉鎖はMRTの駅だけ?
96 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:21:33 ID:BANjsNBc0
ラチャ 凄い銃撃戦だ、、銃声がやまない、、
98 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:23:13 ID:jqHQ4otA0
ラチャって、軍が定めた四角形の外側ですよね。
その外側に出てこれば容赦はしない。
かといって内側にいては兵糧が。。。
白旗あげて出てこない限りはダメってことですね。
102 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:23:45 ID:0LRZFhg.0
今銃声止んだ。
103 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:23:52 ID:dV/wtoqo0
genobangkok 今のラマ4だそうです。写真が来た。http://brizzly.com/pic/2G2D
これみるとバンコクは戦場だってイメージが定着しちゃうぐらいインパクトあるよ。
108 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:28:41 ID:0LRZFhg.0
ランナムから引っ越します。
114 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:32:08 ID:e4xSkHdE0
明日の朝まで軍隊が前線を持ちこたえてくれるのを祈るだけ。
まあ、デモ隊の分際で軍隊制圧するわけにもいかんだろうから勝ったところでせいぜいにらみ合いか。
123 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:35:48 ID:aYSgNUg20
「伏せろ!さもないと射殺する」と叫ぶ兵士。
http://sankei.jp.msn.com/photos/world/asia/100515/asi1005152020005-p1.jpg
124 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:35:59 ID:TazD04ok0
ラチャの住人を蛇蝎の如く嫌っていた例の親のスネ齧り元・留学生は、今の状況を見て高笑いしてそうですね。
125 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:36:23 ID:1IOYtD660
128 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:38:44 ID:0LRZFhg.0
ディンデンから巻き上がっている黒煙すごいな。
このへん一帯をおおいそうだよ。
129 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:39:24 ID:hF49PSKI0
ディンデンの煙がドンドンパワーを増してる。
どうなってるか????????
気合入れて見に行こうかな。
134 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:41:30 ID:R9T.S8520
煙幕で視界不良にして進撃をさせないつもりだろ
そして煙幕の向こうでクロ服がスタンバイ。
もうM79ではすまない。RPGが火を噴く。軍は多数の死傷者をだし敗走。
135 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:41:43 ID:K46WR3q60
136 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:41:43 ID:iM/VroSk0
>>124
138 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:42:08 ID:.Vtp1VQk0
今危険なのはバンコクの一部の地域に限られてると思うのですが。
非常事態宣言の出ている他府県いますが全く平和な日々をすごしてます。
140 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:42:51 ID:0LRZFhg.0
ディンデンの黒煙
今日未明に破壊略奪されたバンコク銀行のATMの前あたりだと思われる。
141 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:42:55 ID:WAmr0Urw0
ディンデーン炎上
http://blog.livedoor.jp/shuma0719/
145 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:44:46 ID:jqHQ4otA0
うちはプロンポンですが、いつも通りですよ。いつもより外歩いている人も多いみたい。
146 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:45:34 ID:LDCln9Wg0
また一斉放送みたいよ!!
147 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:45:51 ID:ETPsDsWU0
プラトゥーナムに住んでるタイ人の知人が今朝撃たれて亡くなりました
あの辺、ラチャプラロップ許可なく通行すると容赦なく撃ってるようです
149 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:46:07 ID:dV/wtoqo0
muri_bkk むむ、うちの方にも近づいてきた…。クローントイ交差点に赤組集合中。 via: @js100radio
150 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:46:29 ID:ZLO4ewoI0
>>145
外出禁止とか軒先が戦場とかの事態に備えて買出し中の人じゃない?
私もさっき行って来た。
最悪2週間位は家から出れなくても問題ない。
155 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:50:12 ID:R9T.S8520
あちこちにクロ服が分散してるのに意味がない作戦。
実際攻撃したらエンポリに再集結してもいいしどうにでもなるわな。
UDDも既に作戦外エリアに別働隊が大勢いるんだろ
158 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:51:04 ID:EwEmmDBY0
さっきラチャ近辺に住む友達に電話したら、ランナムをバイクで通ってきたと言っていた
戦闘地域は入らなかったみたいだが、血のあとを住民が水で流してたと言ってた。
でも、この中に住んでいるといえば、封鎖地域に入れてくれるみたいだね。
164 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 20:54:19 ID:aYSgNUg20
軍筋によると、バンコク中心部の元首相派占拠地域から北へ約2キロ離れた
ラチャプラロプ地区で、治安部隊と同派支持者の銃撃戦が終日続いた。
目撃者によると、現場に居合わせたトラック運転手や通行人らが巻き込まれ、
2人が死亡した。緊急医療機関は、衝突が多いため死傷者数の把握は難しく
なっているとしている。
http://www.asahicom.jp/international/update/0515/images/APX201005150006.jpg
182 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:05:36 ID:9dQM1xww0
>>147
うちのスタッフも昨夜銃撃で死亡しました。赤シャツではなく、その辺の住人です。
今日アリーまで遺体を引取りに行ったのですが、安置室には10体を超える遺体がありました。
実際何人死んでいるのでしょう。政府発表だと数が少なすぎるような。
いい加減でやめてほしいものです。
183 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:07:25 ID:0LRZFhg.0
182さんの知人は赤服ではなく一般人だったのですか。
巻き込まれてしまったのですね。
147さんの友人は赤服ではなく一般の方だったのですか?
191 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:12:35 ID:sZTlBUNw0
ラマ4道路では赤服が遊び半分みたいに威嚇の花火(音が強烈)を打ち上げてるが、
軍隊に実弾攻撃されるかもな?
192 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:12:37 ID:e18BrklM0
正しいかどうかは別として、治安維持のために市民の反感を買う報道はしないだろうな
なくなった無関係の方々の冥福をお祈りします
193 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:12:51 ID:ETPsDsWU0
>>183
赤服ではありません
195 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:13:42 ID:R9T.S8520
伊勢丹前の本隊の映像みた。
赤ん坊とかキツイよ。
196 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:14:49 ID:PW2BdBLk0
軍はさっさと撤退しろよ。
こっちに発砲するなよ、危ないじゃないか。
198 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:16:38 ID:R9T.S8520
まったく無力なデモ隊は伊勢丹前にいる。ここだけは絶対攻撃してならない。
201 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:17:59 ID:sZTlBUNw0
ラチャプラソン占拠している赤福たちは「今後自分たちがどうなるか」なんて考えていないんだろうね。
202 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:18:06 ID:dV/wtoqo0
>>196
他人の事を気にも留めない国民性が、市内破壊をものともしないだろう。
軍は国王の臣下。バンコク都内(市内じゃない都内だ)が戦場になろうと
気にも留めないだろう。
205 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:18:55 ID:PW2BdBLk0
通りを通るものすべてに発砲している。
206 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:19:46 ID:dV/wtoqo0
>>200
できもしない発言をするべきではない。
赤福の要求はアピの退陣だ。要求を呑むということは
いこーる即ち王権への侵害に他ならない。
207 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:19:48 ID:sSkOqYUE0
5時過ぎからラマ4の戦争が始まったかな。
兵士も撃たれたという。by ネーション
210 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:20:58 ID:R9T.S8520
もう迷惑だから広範囲の封鎖だけはやめてほしい。
選挙したほうがこんな大騒動起こすより100倍ましな選択だった
211 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:21:08 ID:1GIIUohs0
軍も仲間がやられて段々本気になってくるな。
214 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:22:15 ID:68p7TS1.0
政府は、一昨日から、指定エリアから無関係の人は出るように警告してきている。
赤が武力を行使している時に、一般市民がうろつくのはあまりにも危機管理ができていない。
危険地区には立ち入らない。
危険地区に住んでいるものは出歩かない。
222 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:27:47 ID:ZLO4ewoI0
>>216
金が欲しかっただけのタクシンの方が一体いかほどマシなんだか。
223 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:28:05 ID:6ZCgrpm20
今回の問題の根本がわからなくなってきた…
224 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:29:00 ID:rZV.ZQ3I0
>>183
会社の近くでタイ人同僚と食事してのち、帰宅途中に巻き込まれたようです。
充分注意はしていたはずなんですけどね。
>>186
多分そうでしょうね。去年もいろんな噂が飛び交いましたが
今年は物証をもろに見てしまいました。でもどこの新聞にも乗っていないんですよね。
自分たちが着いたときにも別の遺体を棺桶にいれて運び出していました。
遺体を棺桶に入れる前に対面させてくれたのですが、その部屋には金属トレー
に載せられた遺体が10体以上、どれも普段着で、被せ物もなく並べられていました。
227 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:29:52 ID:68p7TS1.0
政府の11月14日選挙提案をのまなかった理由は、リーダーたちの保釈が認められなかったからだ。
自分たちが刑務所に入りたくないからと、政府の提案を蹴り、こうした事態を招いたわけだ。
236 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:33:51 ID:LBE.5GRo0
赤服が報復のため、この3、4日中、デパート等の公共施設を爆破する噂がながれています
が、誰か関連情報ありませんか??
240 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:35:26 ID:/r5kA0560
ランナムにアパート借りようかといくつか目星をつけていたんだけど
ダメになっちゃった・・・
飲食店や買い物できる店がいくつかあって
でも兵士が銃持ってうろうろしていない地区ってどこですか?
日本を発つ日が目前に迫ってるんで・・・・
241 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:36:25 ID:R9T.S8520
アビシット政権は総選挙するならバンコクを戦場にすることを選んだわけだが
ようするに選挙で負けるぐらいなら皆全員負けてしまおうとする焦土作戦なのであった・・
242 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:36:35 ID:sZTlBUNw0
ラマ4の赤服は花火を打ち上げて遊んでますね!
245 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:37:21 ID:XfXx7kms0
>>240
246 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:37:23 ID:aGTfNF3g0
>>240
アパートの質問などは、このスレではなく専用スレでやって欲しいな。
適したスレで質問すれば回答するよ。
247 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:38:03 ID:PW2BdBLk0
死者が多すぎる、軍は撤退するべきだ。
250 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:40:54 ID:0LRZFhg.0
ランナム付近又始まった。
251 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:41:04 ID:68p7TS1.0
赤服は息をするようにデマを流す。
デパートを爆破するのならすればいい。
ますます国際世論は反赤になるだけなのだから、
脅しに屈したらテロには勝てない。
252 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:41:26 ID:f/F2Spl20
>4.大使館仮事務所の開設、
>大使館周囲の治安状況の悪化により、15日夕より、インペリアル・クイーンズ・パーク・ホテル内
>会議室に仮事務所を開設しました。
>連絡先は以下の通りです。当面の間、お問い合わせ等は、大使館ではなく、次の電話番号にお願いします。
>なお、領事および広報文化窓口については、既にお知らせのとおり、17日は閉鎖しますのでご理解をお願いします。
>18日以降の窓口業務については追ってご連絡します。
>大使館仮事務所代表
> ○02-261-9300 内線5025、5029
> ○02-672-5504、5505、5506
よしよし、一応考えてるな。
インペリアル・クイーンズ・パーク・ホテル内だったら利用しやすいし。
254 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:42:52 ID:b.Z3bEKs0
質問です。
彼女を残して日本に仕事で一時帰国してきちゃったんだけど
255 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:43:33 ID:jDm1i7v60
>>254
問題ございません
256 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:44:08 ID:68p7TS1.0
政府は、肉を切らせて骨を切る作戦で、失ったものは、倍返ししてもらえばいい。
UDDリーダーたちは、もう死刑求刑確定だ。
257 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:44:13 ID:/IeMl9TE0
エカマイ平和です
263 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:46:56 ID:OIlVyP460
264 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:49:17 ID:R9T.S8520
死んだら遺族が100万Bゲットだぜ。
265 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:50:29 ID:IHaRvmfA0
ディンデンなんか、目と鼻の先なのにな。
268 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:54:03 ID:e18BrklM0
選挙する予定日まで出したのにそれを蹴って別の要求をどんどん追加していったのは赤ではないか
その時点で選挙要求なんてのは実は言い訳だったとしか思えなくなった
272 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:55:14 ID:AYPE.gq60
>>261
困ってるんですわー、はははー」
どうしていいかわからないってのが大半なのかな?
273 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:55:39 ID:jDm1i7v60
どうでもいいけど、この騒ぎが収まった後は
ルンピニ公園~ランナム当たりは、有数の心霊スポットになるのは間違いない
274 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:56:01 ID:.xpZKJAQ0
Troops virtually declared curfew on Rajprarop and Soi Rangnam.
They announced that members of the public could not enter the two roads after 6 pm.
上記はTHE NATIONからです。
どうしよう。俺ランナム在住です。
275 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:56:51 ID:sSkOqYUE0
死者22人。BY-保健省
実際はもっと多いだろうね。
赤十字マークの軍用車が負傷者を運んでいたけど、この軍用車が曲者。
92年の時も死体を連れ去った。
276 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:57:24 ID:IHaRvmfA0
>>274
食料は当然備蓄してるだろ?
数日は部屋に篭ってな。
277 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:57:48 ID:68p7TS1.0
赤のテロリストは、攻撃したあと市民の中に逃げ込むから、軍は反撃できない事情もある。
280 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 21:59:33 ID:ZLO4ewoI0
>>277
座り込み続けてる女子供老人も、もはや知らなかったではすまされないでしょ。
283 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:00:30 ID:MLTJm8Do0
>>263
291 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:05:42 ID:68p7TS1.0
UDDのリーダーたちは執行猶予なしの実刑だから、当分出てこられない。
293 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:06:07 ID:03Sc/NU20
今朝、ソイランナムからカオサンに避難
ここは、平和だ
294 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:06:53 ID:/j.7bfKM0
299 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:10:40 ID:R9T.S8520
タクシン支持者がクロントイ地区に続々と集結中。すでに1000人を超えたとの情報。新たな集会拠点になる可能性が高い。現場ではプラティープさ
んが演説をした模様。 #ThaiRedJ
300 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:11:39 ID:/j.7bfKM0
軍部が内部分裂する可能性もあるんじゃないのかな。
地方出身が多いからね。
301 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:11:44 ID:68p7TS1.0
ついに正体を現したなスラムの婆。
302 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:12:23 ID:R9T.S8520
ついにクロントイ地区もUDDに堕ちた
もうバンコクの半分がUDD
303 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:12:52 ID:ZLO4ewoI0
クロントイやばいね。ついにうちの近くに来たか(泣)
1000人かそこらならまだ何とかなるだろ。今のうちに追っ払って欲しいなぁ。
304 :オー様と名無し:2010/05/15(土) 22:13:15 ID:k3Ymu99U0
日本大使館からのお知らせ(UDD デモ) 2010年5月15日その2
反独裁民主戦線(UDD)等によるデモ集会・行進実施に関する注意喚起
1.本日のUDDデモ関係の最新情勢は次の通りです。
15日午後2時、UDDは、集会場の物資が底をつきつつあるため、インペリアル・ショッピングセンター・サムローン店、インペリアル・ショッピングセンター・ラ
トプラオ店及びタイ・コム本社の3カ所(大使館ホームページ掲載の地図ご参照)を集合場所として、物資を持ち寄り、ラチャプラソンの集会場へ向けた行
進を、UDD支持者に呼びかけており、通過点になると見られるラチャプラロップ通り周辺で散発的発砲が行われています。
2.また、タイ政府報道官代行は、15日、陸軍第11歩兵連隊本部の緊急事態回復センター(CRES)より一斉テレビ放送にて、現下の情勢に関
する国民向け説明を次の通り行っております。
(1)今朝のCRESの会合において、治安当局より、14日22時の時点でのUDD集会参加者数が6,000名であるとの報告が行われた。その内訳
は、ラチャプラソン交差点~プラトゥナーム交差点:3,000名、ラチャプラソン交差点~パトゥムワン交差点:1,000名、ラチャプラソン交差点~チッドロム
交差点:1,000名、ラチャプラソン交差点~ラチャダムリ交差点:500名、ルンピニ公園:500名、である。
(2)UDDは、集会場地域を包囲する治安部隊の更に外側から、更に包囲しようとしていることから、治安部隊は互いに連携をとり、自らの防衛を強
化し、包囲を受けないよう細心の注意を払うよう、指示を行った
3.このような緊迫した情勢にありますので、封鎖地域はもとより、その周辺および外周地域でも緊張が高まっておりますので、封鎖地域付近には近づ
かないようにし、封鎖地域付近に滞在している在留邦人、邦人旅行者については、不測の事態に巻き込まれないため、厳に外出は控えて下さい。
4.大使館仮事務所の開設、
大使館周囲の治安状況の悪化により、15日夕より、インペリアル・クイーンズ・パーク・ Permalink | 記事への反応(0) | 16:13
ttp://blog.goo.ne.jp/adlum99v3t/e/80aec59e3f36624bda28532c8aaf7eee
2 :可愛い奥様:2009/09/02(水) 08:50:49 ID:yAxSyKXU0
800人程度の薬害、「一律救済を!」
↓
高裁の仲裁案で1000人分用意し、明らかな責任のある期間に線引きをしました。
↓
「高裁も拒否する!」「線引き禁止!いのちの切捨てをゆるすな!」
↓
とりあえず30億用意しました。線引き禁止とか言われても…
↓
「裏切られた!札束で頬を叩くような提案だ!大臣にもてあそばれた!」
↓
できるだけ一律救済を目指します
↓
「お金が欲しいのではない」「私達をなめるな!(福田衣里子)」
↓
↓
「少なくとも11万人の一律救済を!」
↓
「少なくとも350万人(35兆円)の一律救済を!」
↓
↓
↓
※福田のC型肝炎は当時どの医者も存在すら知らなかったウィルス
A型肝炎B型肝炎は知られてたし、大元の原告はココ(高裁も仲裁案出した)
でも、なぜか、いつの間にか、C型肝炎の福田も賠償を求めてたのは豆知識。
3 :可愛い奥様:2009/09/02(水) 08:51:39 ID:yAxSyKXU0
○棚ボタの保障認定
1980年生まれ。生まれた時に血液製剤を使い、C型肝炎に感染したらしい。
ちなみにC型肝炎ウイルスは1989年に発見され、それまでは原因不明であった。
彼女は実は補償ラインに入っておらず、一般人同様に自分のお金で肝炎を治すのが本来の道理である。しかし、自民の温情で補償認定された。
それだけでなく、他の重症患者同様に数千万円もの賠償金が支給された。
○薬害肝炎救済法案の経緯
民主は薬害肝炎救済法案を否決につぶしにかかっていた。(自民の足を引っ張るためと、田辺三菱製薬および前身の田辺製薬・三菱ウェルファーマから献金を受けているため。ちなみに彼女の親は三菱勤務)救済時には多くの患者を認定したため、自民党は「人気とりが目的」などと叩かれた。
上記の経緯にも関わらず、彼女は自民に後ろ足で砂をかけ、民主から立候補した。
4 :可愛い奥様:2009/09/02(水) 08:55:00 ID:yAxSyKXU0
○訴訟時代の仲間の反応
原告仲間は「肝炎救済法案は超党派で頑張って頂いた。特定の党ではなく無所属で出るべき」と発言。
にも関わらず、無所属だと惜敗した時の比例復活もなく選挙資金も自腹になるため民主から出馬した。
彼女は原告仲間から支援されていないようで、選挙期間中、誰も彼女の応援には来なかった。
当選時も原告仲間からの祝福のコメントは一切公表されていない。
○よくある誤解
→彼女はインターフェロンで完治しています。そもそもC型肝炎は感染力が弱く、結婚しても飲食業に従事しても周りにはうつりません。
血液製剤・輸血・針刺しなどで直接ウイルスを体内に入れないと感染しないのです。
政治家の激務には耐えられるそうですから、パン屋も務まるでしょう。
彼女は座談会で「ちゃんと本当に働けるの?」という県民の質問に対して「しっかり元気です」と答えています。
→B型肝炎は若年時に突如肝障害をおこすことがありますが、C型肝炎ではありません。
インターフェロン治療中は入院・副作用などで通えないでしょうが、治療は短くて数か月、長くても一年で終わるので、休学すればちゃんと卒業できます。
彼女は大学時代、休学してヨーロッパに単身で旅に出掛けたそうですよ。
肝炎やインターフェロンのせいで禿げてカツラになってかわいそう
→肝炎で禿げることはありません。インターフェロン治療で髪が抜ける人もいますが、治療が終われば完全に元に戻ります。あの髪は地毛。
肝炎って年取ってから大変なんでしょ
→若いうちに治療したため、他の原告仲間と違い肝硬変や肝臓癌の心配はありません。
一般の健康人と全く同じです。
○実は酒豪?
肝炎訴訟時の密着ドキュメントで携帯を出し、予測変換機能の一覧を見せ‘若い女の子なのに「不安」とか「フィブリノゲン」が出てくるってどうなんですかねー’と言っていたが、その後に続く言葉は「二日酔い」であった。
彼女が飲酒している写真は各サイトに多数、ブログでも「お酒がおいしい」と発言していたが、最近酒に関するものだけが削除されている模様。
そもそも彼女は完治しているので、飲酒も全く問題ないし、隠す必要もないのだが。
5 :可愛い奥様:2009/09/02(水) 08:56:08 ID:yAxSyKXU0
71 :長崎納税者:2008/11/26(水) 13:26:04 ID:RIX6ZWAt0
つーか、この人が感染した時期ってC型肝炎の存在を確認する前だったんだよな
C型肝炎の存在を把握したあとで感染した人については救済される事も分かるけど、どうしてこいつに2000万円も給付しないと行けないわけ?
そもそもこの人を救済した事自体が間違いなんだけど、マスコミはその事自体をスルーしている。
給付が可決された前後に高級住宅地の家を購入してやがるからな。
パート以外でろくに働いた事がない輩が戸建てを購入なんてふざけんな。
家一軒、車2台持っている奴より可哀想な人は日本にも何千万といるよ。
最近は酒を飲んだくっているらしいけど、肝硬変になってさらに2千万円
追加給付を狙ってんじゃないかな?
給付金という公金を不適切に使用した疑いがあるか、公金を受け取らなくても余裕のある生活をしていたのに給付金を
巻き上げたかのどちらかなんだから。