はてなキーワード: 似非科学とは
誰かから凄い人だと思われたいのだろう。でも母親には得意なことが何もない。
掃除や料理は父の方が得意だし、電子機器・技術的な事は上の子(増田)の方が得意で、学問・勉学はエリートな下の子が得意。
そのくせ私SUGEEEムーブをやるので痛い目に遭う。例えば似非科学本の知識をドヤ顔で披露して論破されるとか。
元増田の母君の凄いと思う所はアメーバピグで交流できていたこと、人に評価を付けられるブログが書けているという所だ。
うちの母親にはそれすらできない。(まあ丸コピ記事なのはよくないのだが……)
母親は承認を得たいが、人に何かを与えることは極端に嫌がる。giveはしたくないけどtakeだけ欲しがる。そら無理やろ。
それから人に与えられても怖くなってしまう。例えばいいねなんてされた日には「怖い!」になってしまう。でも無いと拗ねる。矛盾しとるやろがい。
思うに、母のような世代は「結婚して寿退社し専業主婦になる」というのが当たり前で、個人的なアイデンティティを全く形成しないままここまで来てしまったのだろうと思う。
今でも母は、高校時代テストでいい点を取ったことを、武勇伝のように語る。
でも家族の中で特に褒められることはない。増田兄弟の高校偏差値がいずれも70手前である一方、母の出身校など40あるかないかだからだ。
でもそれがあの人の最新の自慢。
恐らく、要領のよくない母親がここから何か劇的に凄い特技を身に着ける可能性もそんなに高くないのだろう。このまま老いて死んでしまうのだろう。
・適切な抽象化、汎化
(・科学的に突き詰めていったら、直感と違う結果が出るのも往々にしてある)
というのを壊滅的に(理解)出来ない人がリアルに存在するというのは体感してるなあ。
(ネットのは敢えて出来ないフリをしている人も混じっている気がするけど)
で、出来ない人は誰かが主張している結果だけ盲目的に信じてしまうようで、自分の気分に近い意見に引っ張られて
その後に何故か検証しないから不思議意見を主張し始める(そういう人は、たいてい似非科学にもひっかかる)。
たぶん、フェミって感情、直感だけで判断・主張しているフシがあるし、主張に共感できない人にはイライラしか感じられないんだろう(私はイライラ派)。
もうちょっと客観的、論理的に展開してくれれば暇つぶしくらいにはなるのに。
周辺では幸いにして実害が出るほどではなく、空気を感じたら近寄らないようにしている。
もともと分断していたものが可視化されただけな感じだけど、コロナがきっかけで自分と分かり合えない人たちが多いと思うようになった
特に印象的だったのがクレベリンの件。はてなでは似非科学認定されているが未だに騙される人が多く、製品は売れまくりメーカーは最高益である。彼らに消費者庁の声や第三者の検証結果は届かない
逆に自分とブクマカとの距離を感じた部分は演劇の件だ。たまに芝居を見に行くので何か話そうかと思ったが、そもそも演劇界いけすかなかったとか、文化としておかしいとかのコメントを見てると対話を諦めてしまった。多数の反対者と話すのはしんどいのだ
昨日はテラスハウスの件で悲しい話があった。番組の存続は不明だが、人はなかなか変わらないので同じようなことが繰り返し続いていくのだろう
頭ごなしに否定する人が多いけど、中には用途を限定すれば有用なものもあると思うんだ。
例えば、マイナスイオン。
これは個人的に実感しているので否定しようがない事実なんだけど
みたいな人が多い。中には「マイナスイオンは無い!」と言い切る人もいる。
私としては別に髪がサラサラになる要因がマイナスイオンになくても良い。
ただ、守銭奴のような企業がろくな検証もせず効果の無いものにも効果があるように謳って
様々な商品を開発したためにマイナスイオンは悪だということになっている。
だからちゃんと効果を検証して実証されたものだけ販売されていれば問題なかった。
水素水もそうだ。
元々は山奥の湧水を飲んで健康になったところに端を発している。
その水が水素を多く含んでいることから水素水ブームにつながるけど
水素ではなく他のミネラルやpHなんかの可能性もありそうだよね?
だからこの場合、発端となった山奥の湧水には一定の健康効果は期待できるが
市販されている水素水と呼ばれているものについては謎、という結果になる。
でも水素を多く含有することでいつも飲んでる水とは違うわけだから
電子レンジも結局のところ体に悪いのかそうでないのかわからない。
って言えばそれで納得するの?
何も検証してないでしょ?
もちろん検証するっていってもお金や時間が掛かって大変なのはわかるけど
一消費者としてはできるだけ納得したいわけよ。
ネトゲにおける問題は、ゲーム依存症なのか、人間関係依存症なのかは、人によって全然違うんだろうな(´・ω・`)
俺も何年かMMOをやってて「俺は、ゲームくらい一人でやりたい人間なんだな」と思ってしまった。— Sunao amano (@sunamn) 2020年1月11日
これに関してはこの指摘の所もあるし、ゲームそのもの自体、概念的に広く、それぞれ本質が別物、ゲームと一括りにしてどうのこうの言うのも無理があるんだよね。
ここで言うゲームは所詮デジモノなゲームだろうけど、それこそTRPGみたいなアナログなゲームもあるわけだしね。
そしてそのデジモノなゲーム自体でもそれこそ据え置きのオフゲからオンゲまであるし、オンゲでも現在は衰退しきったMMOからFPS、そしてスマホゲーみたいな代物まである訳で一括りで結論を出せる代物ではないのよね。
ゲーム脳当時槍玉に上げていたMMOや据え置きのゲーム等とスマホゲーじゃそれこそゲーム性はおろかプレイスタイルそのものが別物だしね。
それこそ当時よりも時間的、作業的に言えば、画面に張り付いていないだけ、当時よりは健全化しているとは言えるよね。
課金の方面のスタイルで言えば、スマホゲーは寄り悪化しているとも言えるけど、それはそう言う商売にゲーム会社が切り替えたのも原因としてある訳だしね。
そもそもゲーム脳の亡霊であり、うどんの国の一件で大注目されたゲーム障害とやらについてはそれこそ提唱した側がゲームとネットの区別すらついていないのは一目でわかる代物だから、多くの人に切れられるのも当然だと思うよ。
また今回のゲーム障害とやら言っている樋口進氏とかの連中は学術論文すら出していないのにWHOの権威を振り回して自分達の説の優位性を喚き散らし、ゲーム依存症治療の為に麻薬治療薬投与すべきとか言う様なとんでもない連中みたいだしね。
しかしこの手のある意味強力効果論的な事を喚き散らす人物が研究者等と称して、いつまで現れ続けたり、暴れたりし続けるのだろうね。
そりゃまあ、そもそも現在の表現規制問題で動いてくれてる人たちの大半が児ポ法からで、その後が東京都の非実在騒動。都内や関東圏が多いのはさもありなん。なお、うぐいすリボンさんは各地方で勉強会や講演会や茶話会を開いてくれたけど、どれだけの人が関心を寄せて会場に来てくれた?そこやぞ。— セフィーロのおんりょー (@cef_tom) 2020年1月12日
これ言い分も判るけど、そもそも規制に反対している人達自体、それぞれの考えがあり、思考や思想自体も違う、悪く言えば当時言われた様に烏合の衆なのだから、こうした押し付けは良くないと思うけどね。
彼等の行動や結果は評価するけど、考えが合わず、彼ら自体から距離を置いている人や場合によっては嫌いって人もいるのも事実としてあると思うけどね。
これは年末のツイートを見ていて、こう言うメールが来たと言うツイートを見ていても判る事だから。
また先鋭化する事は出来うる限り避けるべきで、お願いするにもこう言うお前らがこないからと言う言い方は不味いと思ったりもするのだけどね。
Twitter不毛すぎんか〜〜〜〜! と思って何か書こうとしたが、調べてみるとこんな良記事(https://blogos.com/article/413806/)があった。これを読め! 解散!
しかし他にいくつか思うことがあるので書く。
一に、この議論に関わらず、何と戦っているのか不明な人が多すぎるので議論の種類について整理してみたい。おおよそSNSやブログで議論/主張を行うときの目的は僕には三つくらい考えられる。1.問題を周知/提起すること・2.相手の意見を変えること・3.相手に社会的制裁を加えること、だ(いま考えただけなので他にあってもおかしくないが)。「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」というのは主に1.である。今まで問題とされていなかったことを取り上げて、これはおかしいぞ、みんな見てくれ、というわけだ。それに対して個人的に「いやその論はこれこれの部分が間違っているようだからポスターは置いても構わないんじゃないですか」というのが2.である。考え直してください、ということ。最後に「これこれの部分が間違っているからこいつはバカだ。バーカ」というのが3.で、ポスターを置くことの是非はもはや二の次、相手を排除することを主眼に置く手合い。相手のアカウントが凍結されるとか、相手が恥をかくとかそういうことを願っている。
1.と2.をはっきり区別しておきたいのだが、同じ主張であっても最終的に何らかの問題解決を目標とする場合は1.、議論自体を目的とするものを2.と(ここでは)定める。例えば、フォロワー数の少ない二人がお互いに意見を戦わせて二人なりの結論を得るのは後者。有名人同士が引用ツイートで以ってお互いの主張を戦わせ、結論には至らないまでもそれぞれのフォロワーにアピールするというのが前者だ。もちろんグラデーションは存在する。
また、2.と3.も実は区別が難しい。2.の人も、相手との対話を諦めた時点で3.になりうる。あるいは、罵詈雑言を投げながら、当の本人としては「相手に改心して欲しかった」などと2.のつもりでいる人もあると思う。これもグラデーションで考えるのが良い。1.と3.も同じ。
二に、議論をする際には目的を明確に意識すべきと言いたい。概ね文字というのは対面に比べて趣旨も気遣いも汲み取りにくい。緻密なコミュニケーションは望めないのだから、目的外のところに関しては互いに譲歩すべきである。例えば、「献血のポスターが女性を性的に消費しているぞ!」という主張と「ポスターを規制するのは表現の自由の侵害だ」という主張をお互いに問題提起として戦わせるときには、前者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを公の場から取り除くべきである」後者にあっては「宇崎ちゃんのポスターを規制するという事態を避けるべきである」という問題を周知するのが第一義だと考えられるので、それ以外の主張の些事に関しては無視するか、好意的に解釈するか、あるいは互いを気遣いながら齟齬を埋めるのがよい。「論点をずらした」などと言って人格攻撃をするのは最悪手である。論点をずらすのはもとよりよくない。しかしその論点はそれとして別に議論すべき大切なものかもしれないし、相手には同じ論点だと見えているのかもしれない。意見が違うからと言って、そのような点で攻撃するのは礼のないことだ。「論点がずれているかどうか」などと言う最もどうでもいい議論に目的を失することのないようにするためにも、相手が論点をずらしたと思うようなときにこそ丁寧に接するべきである。さらに言えば、相手が無礼であるときに激昂するのもやめるべきだ。誰が得をするだろうか。
三に、あまり論理的に複雑なことを言うのもよくない。主張のぶつかるのは感情的な原因によることが多く、それがゆえに是非を問いにくいことも多い。是非を問いにくいので、論理的な正しさで決着をつけようとする。しかし、多くの主張にはどうとでも理屈をつけることができるのだ。なるべく大元の感情から離れぬ方が、また自分の主張が感情から生まれていることに自覚的な方が良い。例えば道路で立ち小便をする人間は不快である。彼を批判しようというときに、それが軽犯罪法に抵触するなどと言うことができる。法律があるからにはそれが成立する法学理論的基礎があるはずである。また、社会の秩序を守る上で立ち小便の位置を論じた統計的資料があるかもしれない。しかし、それらはどうしてもその論点で戦わざるを得なくなる場合以外武器とするべきでない。立ち小便が不快であるという一事から離れずともこと済むからである。だいたい、ルールと言うものはより多数の人間が良い気持ちで生きることのできるようにと作られることが多いのに、個人的感情を論理に劣ったつまらないことのように扱うのは解せないことだ。
もちろん、全く理屈を使わず議論することはできず、そんなことをすれば子供の喧嘩である。ここで言いたいのは、Aという理屈、Bという理屈を戦わせているときに、Aの些細な欠点を発展させて別の論理的戦場を作るようなことをなるべく避けるべきだということだ。立ち小便は法に触れると言った時に法治国家の是非を問う類のもの。
だいたい、論理が複雑になれば間違う箇所も増え、それが本来の主張の欠点のように見えてしまう。益のないことだ。
四に、我々はそろそろ相手のことを思いやるということを覚えるべきである。これは特に、相手の意見を変えようと思って議論する際に必要である。世に問題を提起しようとするときは、なるべくフォロワーの感情に訴えるべく強い言葉を使うことが多い。これは喜ばしくはないがある程度仕方ないことである。一方、個人的議論において強い言葉を使う必要は皆無と言っていい。主張が対立するとき、その双方が「自分は被害者であり、相手は加害者である」と思っていることは多い。宇崎問題でも「女性の権利が侵害されている」と思う人と「表現規制がなされようとしている」という人が対立する図をよく見る。被害者Aは毅然と加害者Bに立ち向かう。これを逆から見るとBは被害者であるにも関わらずAから無闇に攻撃されていると感じる。Bはさらに頑なになる。「あなたは議論のできない人なんですね」「あなたこそ話のわからない人ですね、さようなら」などという風景は見飽きてしまった。
何かを伝えたいがためにわざわざ議論を始めたはずである。努力の無駄ではつまらない。なんとか議論を成立させようというという意志をもう少し堅固に持ちたいものだ。
議論をする上は、いくら自分が被害者のように思われようと、相手に心理的負担を与えている。相手も被害者なのだという認識を持っても良いと思う。相手は怯えた獣なのだ、まずは相手の理屈を受け入れ、主張を聞いてやってもよかろう。主張を聞いて、「聞いてやったがここがおかしいだろう」という態度も問題である。こういう理解をしましたがあっていますか、私はこう考えるのですがあなたはどうですか、という謙虚さを常に持つべきだ。これは、相手がたとえ似非科学や陰謀論や人種差別といった是非もなく間違いであるように思われる主張をしている場合にもそうだ。そんな思想信条を持とうと相手は人間であり、どんな思想信条であろうと批判されるのは不快に決まっている。
なお蛇足ながら、冒頭に挙げたブログはかなり中立的に論点を示していて素晴らしいのだが、やや「フェミ」を攻撃者、「オタク」を被攻撃者と捉えているきらいがある。「フェミ」の攻撃性(のように感じられる部分、すなわち規制しろ! という主張)は根本において女性の権利が侵害されていて守らなければいけないという価値観から出たものである。さらに言えば、「フェミニスト」として一貫性のある活動をしている人々(つまり、具体的に何を規制しどんな社会改革があればいいのかに関して基準がある人)もいる一方で、単に「女性は社会の中で立場が弱くて/損をすることが多いからそれを変えたいな」くらいの感覚でフェミニストに同調している男女も少なくないように思う。前者に比べて後者はさらに攻撃に対して敏感であろうと思う。攻撃の理由に関して無知だからだ。また、立場が曖昧であること自体を批判するのは間違っている。誰でも自分の/自分に近しい人の権利は守りたいからだ。
それを考慮せずに、初めから「あなた達の攻撃は...」というとなかなか議論がかみ合わないだろう。「あなた方はこれを守りたいんですね、我々はこれを守りたいんです、利害が対立している部分を明確にしていきましょう」という立場でなけれななかなか建設的にならないのではないだろうか。
特に、一部の「オタク」は「フェミ」を十把一絡げに罵詈雑言を浴びせるし、それが被害者意識を生む。同様に、一部の「フェミ」は「オタク」(時には「男性」)を十把一絡げにして罵詈雑言を浴びせる。真面目に議論をしようとしているあらゆる立場の人に迷惑なことだ。
五に、もちろん相手が議論するに足るかどうかは別の問題である。議論すべきでないと感じた場合は直ちに議論をやめ、可能ならブロックするのが良い。ブロックするのが負けのように感じるのは愚かな感覚だ。また、ブロックした後に相手の発言を覗きにいっていちいちスクリーンショットで揚げ足をとるような行為も君子の仕業ではない。そのような卑劣な行為をするくらいならきちんと自分の心理的安全性を犠牲にしてでも相手と対等な議論を行うべきである。相手に社会的制裁を加えようとする行為は言うまでもない。
六に、この文書はSNSなどでの議論に特殊の意見であった。ディベートや日常での議論についても適用されるとは必ずしも考えない。むしろ、ディベートや日常での議論の延長線上でSNSでの議論があるような感覚の人が多いのでこのような惨状があるように思う。短い文面での主張は言い足りないことが多く、普段耳にする意見に比べて拙く見えることがある。しかしそれはコミュニケーションの不備であり、相手の不備ではない。自分の意見を相手が理解できないように感じるのも同じ。普段の十倍、百倍に相手への思いやりと好意的な解釈を必要とする。
さらに食べログ側も何一つ中身がない声明を出して火に油状態ときている。
そんな報道のブコメをみると「点数を信用できない」「3.6の店に行けばいい」などの点数についての透明性を求める意見や不透明なままうまく使うアイデアが散見される。
お前ら食べログの使い方わかってない。マジかと。ほんとに点数で店選んでんの?かと。そもそも「食べログって点数調整してんじゃないか?」ってなんとなく気づいてたろ?心の底から点数だけ信用して店選んでたの?そんなんだから似非科学を謳う企業とかがだす意味不明なデータを鵜呑みにしていいように搾取されちゃうんだぞ。気を付けろよ。
そんなお前らに増田が正しい食べログの使い方をレクチャーしてやる。
この増田、店選びにおいて点数を使ったことはない!と断言しようッ!店選ぶのに点数だけ見てたらいい店なんか見つからないかんね。さてはじめよう!
1.自分の舌にあったよくいく行きつけの店のページをみよう!
よくいく行きつけの店のページってさ、意外とみない人多い。なぜなら味知ってるし信用してるから行きつけの店の点数なんていちいちみないし、食べログの点数は「知らない店を選ぶためのもの」だと思ってるから。
でもこれ間違い。
まずは自分の好きな店、行きつけの店のページをみろ。話はそれからだ。
次に行きつけの店に対して自分の舌と似たようなレビューを書く人を探せ。これが実はすごい大変なのだが、ここはがんばれ。
店の味じゃなくて、こういう状況で店の対応がありがたかったとか、そのレビュワー限定の状況で評価してるのが結構あって、味に言及してレビューしてる人を探すのが意外と骨なのだ。
賢いはてなーはもう勘付いてると思うが、ここで自分の舌と同じ感覚を持つ信頼できるレビュワーを見つけられたらもう勝ちだ。
あとはそのレビュワーをフォローして、そのレビュワーが高い評価付けてる店に行ってみるだけだ。
そこで美味しければそのレビュワーのレビューは信用してよいだろう。他の店にも行ってみよう。
この1〜3を繰り返すことで食べログが付ける操作された点数に依存することなく、「自分にとって」良い店を見つけることができるようになる。
最後に大事なことだから言うけど、なにより1番いいのは友達とか同僚とかの口コミだ。ネットの情報でなく人を信用しろ!
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/_keroko/status/1151547190805856256
ちなみに、元のツィート内容
暴れまわってる自閉症の子どもを由井寅子が見事になだめすかして相手する。決してお母さんを責めない。ひたすら子どもの相手をする、頭がいいと褒める。レメディが効いてるという。あれに光明を見る母親に「レメディはプラセボプラセボ」という言葉がどれだけ届くのか、単純にわたしはわからん。
先に、続きのツィートは
https://twitter.com/_keroko/status/1151547572370022400
であって、決して標準医療を否定しているわけでも似非科学を推奨しているわけでもないのだが、そこらへんをサッパリ読み取れず吹き上がってるブコメ。