はてなキーワード: 三連休とは
あんしん保証パックプラスの即日保証で修理お願いしたけど、その日の夜に24時間待たずにぶっ壊れる、朝一でサポートセンターに電話して翌日配送で機種交換してもらおうかと思ったら修理したばっかだからできない、わかり次第折り返すから今日都合が悪い時間教えてくれとか言われたからいつでも大丈夫と言ったけど折り返しが全然来ない。受付時間が終わりそうだからこっちからかけたらまだシステムがうんたらかんたら、翌日配送でできるか聞いてんのになんで当日わからないってわかった時点で折り返ししないの。諦めて機種変に行くとかできたのに。今日の都合が悪い時間書いたんだから連絡するつもりだったんだよね?
修理したアイクラックドストアに行ったら在庫がないから修理できない。
いやいやいや、19時予約でお昼にネットで連絡した時に在庫ないって折り返せるよね、予備の連絡先も入れる欄あるんだから電話できるよね?
それに再入荷15日ってなに?即日補修が必要だから頼んでんのよ。
つうか、なんで俺がお前んとこの営業店とサポートセンターとソフトバンクとそれぞれかけてんの、即日補修が不可能なので申請差し戻して、最短で補修できる店舗で代替え機を用意するか配送に切り替えるのがサポートセンターとかの仕事じゃないの。
三連休潰れた。なにこれ。
ムカつくから終了せずに機種変更するけど、全然使えないのに何がもしもの時のアフターサービスなの。なんのためにキャリアに高い金払って契約してんの。
三連休中にオタク何人かと会う用事があったんだけどずっと文句ばっかり言ってて本当に不愉快だった。
暑い、寒い、もう無理、疲れた、どんだけだよ?、多すぎとかそういうチクチク言葉みたいなの垂れ流しでずっと言われ続けてこっちもうんざりしてくる。すぐ不機嫌になるし。なんでこんなに酷いんだ?と思ったけど全員コロナ禍でリモートワークになった奴ばっかりだった。Twitterでそういう言葉を延々と呟くようになってそれが日常になったのかもしれない。対人ゲームばっかりやってて言葉が悪くなったのかもしれないが本当にうんざりだ。男も女も全員そうなのでマジでリモートワークとSNSのコンボって害しか生まなかったなあ。
彼女があるアパレルの売り場任されてて持ち前のコミュ力と可愛さとSNSの発信力ですぐエースになって満員御礼の状態やのにコロナ感染したら5日間家で安静にせい言われて今3日も経って私も無事感染してる気がするけどこれ高齢者や基礎疾患者と子供以外に感染してえらいことになったって聞いたことないし私は車通勤やしそのどれとも縁がないし無症状やから仕事してても別にええんちゃう思うけど日本のルールっておかしくてお前も5日は出社するな言われてあまりに暇すぎてまた匿名日記書いたりアニメ観たりTverのドラマ見たりしてこの三連休を過ごしてるけど睡眠時間が不規則になってきて復職するときに起きれるか不安になるけどこの四年間久々に五連休とか取ったのは間違いないしちょっと楽しんでるけどいくらコロナとはいえ感染者が働く企業の労働者の構成とか来客のデータとか取って無害そうなら出社OKとか判断出来るようにIT技術を強化しなあかんと思うでホンマ
大学2年の時にニーチェを読んだ。ニーチェかサリンジャーを読まないといわゆる「基本的人権」が認められない世界観の中で、避けられない選択肢だったので、読んだ。そして意味がわからなかったので、本屋に普通に並んでる様な文化人の解説本をいくつか読んだ記憶があり、その後読んだ年齢の倍以上経てその殆どを忘れてしまってる。
さて、先日「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。何故かネタバレを極端に避ける風潮があって私の周りでも内容に触れる人は極端に少ない。
ただ「理解するのが難解な作品である」といった趣旨の投稿をしている人は何人もいた。
果たしてそうなのだろうか?という疑問を持ったので本増田を書いている。
特にメモをとってわけでもないので、ディテールに齟齬がある部分は勘弁いただきたい。
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その後、母親の妹が新しい母親となり、母親の実家に疎開(?)をする
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亡くなった母親の思い出もあり、新しい母親に真人は心を開けない
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金持ち仕草に抵抗のない父親が車に乗せて初登校をしたため、ガキ大将的な奴と喧嘩になるがMMAの能力があったため圧倒する
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帰り道に石で自分の頭を殴り✳︎1 かつ犯人を言わないという知的な叱られ対策を行う
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亡くなった母親の残した「君たちはどう生きるか」に出会う ✳︎2
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ご覧の様にストーリーは極めてシンプルである。そして、✳︎2の描写が本作品の大部分を占めている。
いやいや、おしいれのぼうけんのさとしとあきらのぼうけんは実際に異世界へ行ったのであるよ。そういう人もいるだろうし、多感な子供がおしいれに罰として閉じ込められるという昭和のみ許された罰によって生じた脳への過大なストレスで発生したイマジネーションの中の世界という人もいるだろう。
今回は後者の説をとらせて貰いたい。
真人はあまりに強く石で頭を打ってしまい、かつ慣れない場所でのストレスから母親が残してくれた「君たちはどう生きるのか」に没頭してしまう。
この原著は小学生の時に読んだことがあり、その歳からは3倍以上の歳となってしまったので
あるが、コペルくんという快活な出来杉くんが日々体験した葛藤とかに、「叔父さん」が真摯に答えてくれるという内容で、漫画化されて話題になった時の売り文句を見ても感じたのだが、児童文学の姿を借りた思想書/啓蒙書である。
うっすら覚えている内容も、格差によるキャズムと父親の金持ち仕草でいきなり浮きまくって喧嘩となり、派手な登校拒否スタートとなった真人とは重なる点も多く、「叔父さん」の回答は真人の心に刺さるものが多かったろう。
聞くところによると反戦主義者であった吉野源三郎は、自由な言論活動が抑制された戦前、戦中において、その活路を児童文学に見出したようだ。
吉野源三郎とニーチェの対比については東洋哲学的視点で語る人は少なくない。戦前、戦中においてはニーチェが死んだと評した絶対的価値観と同様のものがこの国に溢れていたのは事実だろう。
そういった意味では吉野源三郎を日本のニーチェと感じる人はいてもおかしくないのだろうけど、昭和の小学生であった自分には全く刺さらなかった一冊であった。
なんにせよ、真人少年はこの本を読み、心の中のぼうけんへとでかける。
庭にある「塔」はよそから飛来した飛翔体で、大叔父は「これは大事なものだから」と新しい建築物で囲った。
「新しいぶどう酒は新しい革袋に盛れ」(ルカ5章38節)当時の慣例を無視したイエスは、新しい思想は、新しい環境にて受け入れかし的な意味で言ったらしい。
と宿るじゃ大きく意味が異なるので、この辺も解釈によって随分と違う。
さておき。この大叔父の言っている「これは大事なものだから」は絶対的な価値観で、この絶対的価値観を装飾したり保護したものが戦前、戦中に世に溢れていた「常識」なのだろう。
この常識に対して、「君たちはどう生きるのか」は児童文学というN国ハックを成功し、無事相対的価値観を真人少年に届けることに成功する。
✳︎母親も塔で行方不明になった時期があり、大叔父は姿を消したままなのは、絶対的価値観に対する「疑問」を持ったことに対して、思想警察等の介入を招いたという事なのでは?といった解釈もなりたつ。一方で、隠れキリシタンのマリア像的な「進歩的思想」を表すものとも受け取れるがその場合にはいくつかの齟齬が生まれる。
本作でトリックスターとして描かれるアオサギは古代エジプトのベヌウを始めとして様々な宗教で描かれている。
混沌に現れたベヌウがアトゥムとなりそしてラーとなったが古代エジプト神話の創世記で、ベヌウはその後もフェニックスになったり、旧約聖書で忌むべきものと描かれたりと様々な存在であり続ける。
全てのアオサギは嘘つきだとアオサギは言った。これは本当か?!
という問答が本作ではあったが、アオサギは「相対的価値観」のメタファとして描かれたのでは?と私は思う。
見る人によって、見る時によって解釈が異なる存在は相対的価値観の象徴としてこの上ない。
ソクラテスの良き友人であり、ソクラテスをソクラテスとならしめ、そして死に追いやった「ダイモン」はその後「デーモン」となり絶対悪となる。
アオサギは創世の核から、忌むべきもの、そして後世では聖職者やキリストとしても解釈をされている。相対的価値観の象徴として登場するに相応しい扱いのブレブレさ。
嘘つきを「悪」や「忌みもの」と置き換えたとしても時代、そして答えるもののスタンスでその答えが変わるだろうアオサギをトリックスターに据えたのは、アオサギが不死鳥=火の鳥としての立ち位置だと考えても中々に面白いのではないだろうか?
わらわらが空に舞うシーンとペリカンの登場をみて、多くの人が空襲によって生まれるはずの命が奪われていったのをイメージしたのではないだろうか。
出雲大社をはじめ、神道の結婚式では玉串をおさめるさいに、新郎と新婦は螺旋の様に左右に交わりながら神前に進む。
この「螺旋」という存在は、永劫回帰にもつながる東洋思想の根幹となるもので、すべてのものは平等に無価値で、それぞれが相対的な価値をそれぞれに対して持ち、または持たない。
下の世界は明示的に「地獄」と表記されてたのであるが、おそらく描かれてるのは冥界だろう。
ニーチェが死んだと評したものはそれ以前のキリスト教における始まりのある絶対的な価値観というのが有力な説であるが、その絶対的価値観を作った人物の1人である聖アウグスティヌスが「聖心、自己犠牲」の象徴とし、その後も様々な紋章で愛されたペリカンが魚の内蔵餌にし、上の世界での誕生を待つわらわらの命を次々と奪っていくのは宮崎駿のフラットな「反戦思想」が読み取れる極めてシニカルなメタファーではないだろうか。
ペリカンは第二次世界大戦でも輸送機や爆撃機のノーズアートとして愛用をされていたのは、ミリタリーに造詣の深い宮崎駿なら知らないわけはないだろうと考える次第である。
インコの軍団の描かれかたは、当時の日本の軍部の急進派やポピュリズムに扇動された国民をイメージとさせる。
ところが、インコはアオサギやペリカンの様に何かのメタファとして使われてた例を少なくとも私は知らない。
あえて言えば、ポピュリズムに扇動される一定数の国民は今も変わらない、その人たちはみな同じ様ち聞いたことを繰り返す。
これらに対しての皮肉を込めて、鸚鵡はアレだからインコにするか、となったくらいしか思いつかない。
1シーン、インコたちが「陰謀論者」を彷彿とさせるセリフを言ってたのが気になるが、それにしても偶然の一致だろう。
本作は極めてシンプルな構成で少年の成長の数年間を描きつつ、そのきっかけとなった一冊の本のバックボーンを深く掘り下げた作品だと思う。
ただ、その一冊が示すところは当たり前の様に社会に実存する不条理や、固定された常識を「畜知」として個々の持つ倫理観や、相対的価値観を持って超越すべきと描くものだった上に宮崎翁の表現だ。わかりやすく理解が困難であるところが極めてわかりやすい。
現象界では常に変化が起こり、全く同じ真理などは存在せず、全てのものに等しく「無」だけがその拠点として存在すると、ナウシカで宮崎駿は伝えたかった気もするのだけど、これすら三連休の最終日にしこたまアルコールを飲んで歩くのすらおぼつかない私の中だけの相対的な宮崎駿評である。
なんにしても本作の序盤の数分で感じるスパイダーバース同様の狂気は、宮崎駿存命の間しか味わうことが出来ない、スタッフロールと引き換えに命を削った各コマを作り上げた人々の命の結晶である。時間は貴重だ。一方、チケット代なんて酒を2、3杯飲むのと引き換えられる程度の数字が書かれた概念でしかないだろう。
よっぽど忙しい人や、ジブリや宮崎駿が嫌いな人も最初の10分で良いから見てほしい。
昨晩、地下室からのふしぎな旅を改めて読んだ。柏葉幸子は素晴らしい。
宮崎駿は引退するまでに一回で良いから柏葉幸子作品の監督をやりたいはずと、私は勝手に思っており、君たちはどう生きるかもその色眼鏡で鑑賞するといくつかのシーンから妄想が膨らむ。「鈴木くん。柏葉幸子は素晴らしいぃぞぉ」という宮崎駿の声が脳内で響く。
職場に「この人仕事できないなぁ」と密かに思ってる人が2人います。
※「できない」というのは増田の主観ですが、そもそも仕事をスムーズに進行することができていない、その人のせいで周りの人に余計な作業や心労が発生する、場を混乱させる、など、その人と関わりを持つ8割くらいの人が「あの人、ちょっとねぇ…ハハハ…」と思うような感じのイメージです。
なぜそう思うのか、その人たちを見ていて気になることを整理してみた。(普通に自分もまあまあ嫌いなので悪口成分もいっぱい入ってるけど)
興味深いのは、この2人は年齢も性別も社歴も業務経験も全然違うのに、会社で受けた特性診断が同じ傾向だったことが最近わかった。つまり、自分はこの特性をもつ人が苦手なのかも?ということに気づいて、普段のモヤモヤが整理できるかもと思ったので書いてみる。
ちなみに増田は人の行動をジロジロ観察するのが好きなだけのキモい普通の出来の社員です。
・人の話の芯や大意をとらえる力が弱く、話の内容を表面的にしか理解することができない
・自分に関係ある部分しか聞いてない、自分に都合がよいあるいは悪い部分だけ極端に覚えている
・ゆえに早とちりや勘違いをして間違った行動をする
・変にプライドが高くわからない局面でわからないと言えず薄っぺらい意見でその場しのぎをして、後で自分の首を締めている
・優秀な人の意見に乗っかってるうちに自分が言い出しっぺだと記憶がすり変わっていき威張り始める
・記憶力が弱いので経緯から考えたり今までの流れを汲むことができず急に頓珍漢なことを言って変な空気にする
・「自分の成果」を一生懸命アピールしたがり、それにはチームメンバーを悪く言って自分を上げるなどネガキャンも含むので調和を重んじるチームでとても嫌われる
・仕事を進行する能力がないのに偉い人の傍に行きたがる、重要な情報を握ることができる上流のポジションにこだわる。しかし話を理解できないので正確に下に伝えることができず流れを止めてしまう
・そんななので、協力会社(外注)が必要なシーンでも要望を整理して細かく伝えることができず「なんかこんな感じらしいからとりあえずやって」と言うことしかできない。当然精度の低い仕上がりになるが、それについて文句を垂れる。協力会社に極端に優秀な担当者さんがいる場合はその人の空気読みと頑張りでなんとかなってしまい、本人は自分の仕事が成功したと得意気である。
もっとあるけど、ここまでで
「(ゆえに)人の話を聞けない」
が根本な気がしてきた。
あとは後半普通に悪口になっていて自分でもウケた。普通にムカつくことを再確認しただけだった。
ここまでわかれば少し自己防衛のための対策のようなものが練れるかもしれない。
壁打ちだけど読んでくれた人ありがとう。
着ぐるみを着て楽しむ集団、kigerというらしいが、そいつらがtwitter上で楽しんでいる様子を動画で上げていた。
特に予定もない三連休を前にして、あるいは永遠に予定の入らない休暇から背を向けて、kigerのプレイ動画を見漁る。
ああ、これが21世紀のあるべき姿だなぁと呟く。もちろんそんなことはない。でも、そうであってほしかった。人間に、人間性は要らない。着ぐるみだからおもちゃっぽいんだ。これがエグゾスーツだったら格好がついた。
ナイトモードの液晶は、kigerがメスケモスーツを身にまとい、他のMan In Meskemoを紐で縛ったり、吊るしたり、なんだりかんだりしている様子を伝達するために発光している。その光は役目を全うしたAmazonの箱を照らす。部屋一面が箱だらけだ。終わってる。21世紀は真空チューブで人やモノを運ぶんじゃなかったか。車は空を飛ばなくていいし、完全栄養ババロアが配給されなくてもいい。コンクリの道路と肉体を捨てさせてくれれば。
虚無を照らすディスプレイの向こうでは、楽しそうな、あるいは楽しそうな表情の貼り付いた、kigerだけが肉体を脱ぎ捨てている。
献金袋見たら
夫婦とも信者3%程度、配偶者が未信者1.5%程度、独身者3%程度、親を扶養している人1%程度、その他事情がある1%程度
と書いてあった。
プロテスタントなら宗派により十分の一献金(聖書の記述にある収入の10%献金)を厳密にするところもあるみたいだけど。
PTAみたいに仕事を減らそう!って中堅が言ったこともあったけど、〇〇の行事は地域の理解に必要で〜とご老人が引き止め、その他ご老人方が拍手、仕事は減らんかった
祈りたいけど維持手伝いは嫌ってのはわかる。掃除程度なら時間都合してできなくもない。
バザーとか、三連休潰してキャンプとか遠足とか、日曜学校の教師とか、クリスマスツリーの電球這わせるとか、ホームページ作成とか楽しい教会演出しんどい。
ミサ後のコーヒーとか知らん、ぼーっと手伝わんかったら怒られた。
平日頑張って日曜にミサ行くだけでへとへとだよ。メンタル病んで退職したけど、そしたら暇でしょ?って仕事めっちゃ振られるし。
つい数ヶ月前まで首吊ろうとして痣があったんですとは言えん。
大事なのはわかる。変なカルトと思われると困るご時世だ。ただ、皆普通に暮らしてるだけでくたびれ果ててるんだよ。
そういう人が祈りに来るときの最低限ってなんだろうな、こっちもわからん。
コロナで行事減ってミサもリモートで見られるようになり助かった。これも撮影して配信してる仕事してる人がいるんだよな。感謝。
こういう話を聞くたびに自分は子育てをすべき人間ではないのだということが分かる。
ふとした瞬間に、子供のいる人生はどのようなものだろうかと想像することはある。
これまで付き合った人とは、間を開けて会うぶんには良いのだが、長時間一緒に過ごしているとだんだん心が辛くなっていった。
向こうは自分と過ごしたがるので時間を取るのだが、2日目の途中で自分の人生の時間を失っているような感覚に陥る。
仮に一人だったとして特別没頭するような趣味があるわけでもないし、ダラダラと連休を過ごすことも多いはずなのに、それでも一人の時間がないとまるで呼吸ができないような気持ちになっていく。
離れて暮らす親兄弟とも、会いたいとも連絡を取り合いたいとも思ったことがない。
これが子供だったらその可愛さがカバーしてくれるのだろうか。それとも自分は窒息してしまうのだろうか。
分からない。
子供を不幸にすることは望まない。