はてなキーワード: コスパとは
いや、わからんぞ。
まず現代日本でネット利用に罰則などつけるわけにもいかない、という認識は県の委員も持っていたから罰則などついていないが、そのために実効性の問題がまず出て。ルール決めたからって子供がネットやめたりするのか?
あとは、格差が広がるだけになるかもな。仮にある程度ルールと指導が有効で、平均点が県全体であがったとしても、優秀なやつの点があがるだけで落ちこぼれが落ちこぼれのまま変わらないなら、県全体の活力としては変わらない。格差がじわじわしたマイナスになる恐れすらある。
あとは個人的にこれの確認を最も期待しているが、ネット利用時間と成績の相関があるのは事実として、それは他の要素と比べてどれほどの強さなのか。例えば成績が微増しても、対策してない都会の学校に全く敵わないなら、ネット規制はコスパの悪い対策で、教育界隈は負の影響を過大評価しているかもしれない。
売春や水商売を悪い事だと説明する為に、色んな説明がなされてきた訳だけど
全部しっくり来ないんだよ。性病になるとか、利用されてるだけとか、本人のプライドを売っていて心が荒むだとか、若い時だけしか役に立たないだとか。
普通の労働でも、鬱になるし、病気になるし、言ってしまえば労働力として利用されてるだけ。
プライドも尊厳も売りまくりで、心も荒むし、上手くやりくりしなきゃ歳とったら稼げない。
本質的にはどちらも変わらない訳だよ。
今までの批判は「本人が損をするから」って切り口で叩いてきたわけだよな。円光もそう。でもそれには無理がある。
仕事は契約だ。契約と言うものは本来は両者が損をしなきゃ成立しない。損をするのは当たり前なのだ。
本人の損得に善悪を求めても意味が無い。しかし良くある批判の中でも、理解できるものがある。
「楽に稼げる」これに尽きる。
こう言うと、「お水や売春は辛い」と言う人が居るが、それなら普通に働いて稼げばいい。明らかにそこには優位性が存在する。
結局「社会の考える善悪」と言うものはその名の通り「社会が考える」のだ。
売春やお水がダメなのは、単純にセコくて、そして好きでもない大多数の男にベタベタしていて気持ち悪いから。
売春やお水、例えばJKの円光を咎めたいなら、「自分を傷付けるから」なんて言っても意味が無いし、偽善だ。
化粧しない……というか、できない?したくない??この場合、どういった言葉が適切なのかわからない。
私は滅多に化粧をしない20代後半の女だ。
なぜ自分は化粧に対してネガティブな感情を抱くのだろうかと考える機会が最近増え、ようやくその理由を明確にできた気がするのでまとめた。
これが一番大きい。
例えば、靴が壊れてもお金を使いたくないばかりに履き続けてしまうし、コンビニでお菓子を買う時にも10分以上悩む。
そんなメンタルなので、化粧品とかいう単価の高いグッズには手を出したくない。
自分的には、canmakeのようなプチプラと言われている化粧品でも十分高価に思える。
しかも、デパート等で売られているような高価なものでも、結構早めに劣化してしまうのだ。コスパが悪すぎる。
私はこれまでの人生、異性からモテた経験はなく、「可愛い」と言われたこともあまりない。
でも現状なら「化粧をしていないからしょうがないね。まだ自分には伸びしろがある!」という言い訳ができるのだ。
もし、わざわざコストと時間をかけて化粧をしても何も変わらなかったら、自己嫌悪に陥るかもしれない。
朝は弱いのでギリギリまで寝ていたい。
工程を短縮すれば5分、一通りの工程をこなしても30分あれば済むのはわかっているが、本当は一日12時間以上寝ていたいので、5分だろうと惜しい。
接客業等は、化粧をしなければならないという風潮がある、と聞く。
(自分としては、化粧必須というのはおかしい話だと思う。化粧品代を交通費のように補助してくれるならまだ良いが)
幸い私はデスクワーク、それもほとんど来客対応のない技術職なので、これまで職場で「雰囲気的に化粧しないとまずい」といったことは感じたことがない。
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自分とは理由が違う(単純に嫌いらしい)が、「化粧なんかいらん!」という思想を刷り込まれていた可能性がある。
女兄弟もいなかったので、家庭において化粧品とは全く接点がなかった。
前述の通りモテたことはないが、何かの手違いか付き合いの長い彼氏がいる。
私が化粧しないことに関して何も興味を持たないので助かる。
もし彼がいなかった場合、私はおそらく一生恋愛と縁がなく、何かしら思うことがあってもしかしたら化粧に手を出していたかもしれない。
化粧をしない時点でお察しという話だが、私は自分の見た目に無頓着だ。
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ただ、学生時代の就職活動と友人の結婚式、あと大学の卒業式ではさすがに化粧をした。
格好に対して顔が地味すぎて違和感があったという理由が建前だが、「TPO的に化粧はするべき」論に対する自己防衛が主だった。
いつまで経っても、自分の中ではマナーと化粧が全く紐づかない……。早く化粧をしなくても許される時代が来てほしい。そんなポエム。
※追記
→ おそらく最低限の対策ですが、お風呂上りには化粧水をつけています。その程度は自分も必要かなと思います。というかそのままだと顔の皮膚が痛い。日焼け止めは……よく塗り忘れます……冬場はいつも塗らないけど、消費期限もやばそうだし明日から使おう。
→ 変な話ですよね。中学時代に告白されてそのまま付き合っています。好きになった理由も未だに教えてくれないので、きっかけは罰ゲームの告白だったんじゃないかな、本当に……コミュ障陰キャオタクの3冠達成してたので……。
あと、
たまに付け焼き刃でやる化粧は、化け物を産むだけだ。
昔は「高いけどお祭り価格だからしょうがないよね!」とコスパの悪さを散財の楽しさとして認識していた。
でもある時、アレの裏にはヤクザがいて、反社会勢力がそれを資金源に銃の不法所持や薬物密売を行って地域社会を破壊していると知ってしまった。
それからはもう無理だ。
スーパーなら200円で買えるものを500円で買うとき、その300円分はヤクザの懐に入る。
たこ焼きを焼いてる鉄砲玉達の時給は、すなわちヤクザが兵隊を飼い続けるための軍事費であり、チョコバナナを売っているオッサン達の頭数が、ショバ代の払いが悪い店を襲いに来るときの人数に繋がっていく。
余分な300円はお祭りの運営資金だとか、お祭りを盛り上げるために来てくれたどこかの食べ物屋さんの出張費だと思っていたから楽しめていた。
でも違ったんだ。
私達はずっとヤクザにお金を渡し続けて、反社会勢力を生きながらえさせていたんだ。
そのことに気づいてからは出店で何かを買うことはなくなった。
初詣の日、甘酒は神社の建物でしか買わなかったし、小腹が空いてたけど商店街につくまで我慢した。
それで良かったんだと思う。
であれば無責任な財界の人らは給与増で人を集めようとか設備投資でなんとかしようではなく
(それでも期待するほど集まらんと思うけどね。日本語より英語を覚える方がコスパよい)
あと日本の産業がこのまま死に体だったら単純に勤め先が多国籍企業になる
思った以上の反応を頂いて驚いてます。
コメントへの返信など、追記しようかと思ったのですが、長くなったので別記事にしました。
興味あったら見てください。
https://anond.hatelabo.jp/20200102201209
釣りっぽく書いたけどほんと。
結構色んな意味で読書や知識というものに関する意識が変わったので、なんかアウトプットしたくなった
なお、名著そのものを知ったことに関する感銘とかは今更私が言うまでもないので省きます。
書きたいのは100分de名著シリーズを対象にした読書を集中して実施したことに関するメタ効果に関して。
スペシャル版とか、ブックス版はもう少し厚いけど。どれも約120ページで、読書慣れしてる人なら2-3時間で読める量だと思う。
いやそれじゃ読んだことにならないだろ原典あたれよ、って思うよね。私もそう思っていた。
だから最初の20冊くらいは解説本を読んで、原典にあたって、と繰り返していたけど、以下の2つのことに気づいて一気に解説本を読む方向に転換した。
勉強とか、何でもそうだと思うんだけど、繰り返し出てくるものって記憶に定着しやすくなる。
さらに、その要素が「影響を与えられた」ものの解説として出てきたり「影響を与えた」ものの解説として出てきたりする。
何でもそうだと思うんだけど、流れというか構造の中にある知識って単発の知識より遥かに定着しやすくなる。
なので、バックナンバーの中で関連のありそうな同時代、同地域、同分野の本をグループ化して間開けずに読んでいくのが効果的に思えた。
まぁ要するに、それを読むだけで半年とかかかりそうなものがチラホラあったということ。
そこに突っかかっているうちに飽きて来ることを懸念した。
実に20年ぶりくらいに読書にエンジンがかかっていることを実感していたので、これに水を指したくなかった。
よく「文系は作者の気持ちでも考えてろ」と言われるけど、「本気で作者の気持ちを考える」ってのは実に尊い活動だと考えられるようになったこと。
今みたいにリアルタイムに意見のやり取りが出来るわけでもないのに、驚くほど人間の考えや意識ってのは「繋がって」いることがわかった。
ある偉い人がいいことを言うに至った過程を忘れてしまうのは人類の損失だなと。というか、理系と一緒なんだよね。
アインシュタインの相対性理論だって、洞窟で暮らしていたアインシュタインがある日突然思いついたわけじゃない。
それに、曖昧さを嫌い、論理にはもととなる論理が明確に存在する理系学問「ですら」そうなんだけれど、
現時点の主流見解は現時点の正解ですらなくて、考え直しが迫られるのはよくある。
そういうとき、どこから間違っていたかどこから考え直すためにも、歴史的な思考の経緯は絶対に失わせてはいけない。
文系の学問の究極の目的は、新しい思考を生み出すことと思っているけど、新しいものを生み出すために今までの流れを知ることも必要だ。
果実を生み出すのがポンと生まれてきた天才的な作家や哲学者だけれど、
天才の誕生を待つ間その過程を丁寧に残すのがむしろ普通の文学者の役割で、
アカデミズムとしての文系学問の真髄はそちらにあるのかもしれないと思った。
これ、理系のブレイクスルーを起こす天才待ちと同じ構図だよね。
(天才、と呼ばれる人間も自身の業績についてちょっと違う視点で物事を捉えただけ、とかちょっと違う組み合わせを思いついただけ、と語るのはよくあることだ。)
「かなりいい勉強になった」
「大学生の頃にこういうことをやっておくべきだった」
「あ、でもこんな事やってたらそれだけで四年間終わっちゃうか?」と。
そこで計算した。
100分deというくらいなので上記解説本一冊は、約100分の映像となる(補足説明踏めると1-2割、解説本のほうが情報量多い気がするけど)。
以下、とても雑な計算だけれど。
100冊なら、約11単位。計算してみて驚いたが、たったそれだけ。
一般的な大学生は1年に20-30単位取得するだろうし、卒業には120単位程度必要だ。
定義上サボり気味の大学生の半期分程度の勉強しかしていないことになる。
嘘でしょ?
驚いたついでにもっと攻めた想定をしてみる。
こんなことを意識している大学生はほとんどいないと思うけど、15時間の講義には、30時間の事前学習と30時間の事後学習が想定されているらしい。
http://www.ohshiro.tuis.ac.jp/~ohshiro/univlaw.html
原典には上記したとおり全16巻あるものもあれば、100ページもないものもあるから、慣らすとだいたいそれで読めてしまうとする。
「最も頭の冴えた4年間に」「専門家が選んだ良質なテキストを」「専門家の解説付きで、必要なら質問し放題の環境で」「1200-1300冊読んで理解する」
場所だ、ということだ。
ああ、確かにそれをこなせば立派な「学士様」になれたろうと思う。
私は修士を持っているが、この10分の1も学士になれた気はしない。俺はなぜあんな無駄な時間を、、、
可能なら、放送大学なりでもう一度大学生をやってみたいと思う。
なんというか、これから実施していきたい諸種のおもーい本を含む読書に挑む筋トレというかジョギングと言うか、基礎体力を作ってくれた感ある。
活字を追う体力、意味を捉え続ける体力みたいなのがないと、ほんとうの意味で読書を趣味にすることは出来ないと思った。
ていうか、楽しむ余裕がない。
スポーツと一緒で、やる気と勢いだけでやっても続かないと言うか。
この1年やってきたことは運動部の1年生が実施するような、練習をするための練習。これがまず必要だったとろこで、その役割を果たしてくれたと思う。
練習のための練習として、この「解説書読破」が有用だったと思う理由は以下の2つ
週末、朝と夕方に一時間読む気でいればその日のうちに「また1冊読めた」と思って寝れる。
平日でも、風呂に入ってる30分で読めば25%終わり、はっきりと進んだ位置にしおりを挟んで寝ることが出来る。
進捗が目に見え、さらにすぐ終わりが見えるというのは精神的に楽だ。
価値が保証されている書物を、その書物についての深い理解があることが保証されている著者が解説する本であるということは、
読んでいた時間が無駄になることはない(たとえ激烈につまらなくても3時間で終わるし、つまらなければ原典を読む必要はないという判断ができるということだ。)
という確信を持って取り組めるということだから、これも精神的に楽だった。
つらいだけのうさぎ跳びとかしたくないのよ。
いろいろな本の中で語られていたことだが、
日々「モヤッと」してることはたいてい昔の人も同じこと感じていることがわかった。
下手の考え休むに似たりではないが、自分程度が疑問に思ったことはきっと昔の頭の良い人が一生かけて考え抜いているので
自分の中で結論出そうとするより同じ疑問を持っているであろう偉人の著書にあたったほうが
考えを前進させる上でコスパが遥かに良いことが芯から理解できた。
実はこれが一番の収穫だと思っている。
というわけで、これから年末にかけていよいよ原典にあたっていこうと思う。
の前に
解説本読破の中で出てきたいろいろな付随知識、これがまとまりそうで纏まらなかった。
これをまとめてからの方が、今後の知識吸収速度が格段に上がりそうな気がすると思って、適切な本を暫く求めていたが結論はまさかの高校教科書だった。
今読むととんでもなく面白い本だ。まさに私の求めていたものだった。無論完璧じゃないが、知識の統合がすすむすすむ。
なぜ俺はあんな無駄な時間を、、、と思うけど、おそらく解説本読破と順番が逆じゃだめだったろう、OKOK。
さて、年末に山川をやっつけたあと、原典の中で特に気になっていたものを30冊ほど買った。解説本で実施した筋トレ効果で読むスピードが上がっているが、
途中で気になった関連書籍とかその年気になった本とかをはさみつつ、100冊(巻数でいうと200近い)読み終わるのは3年後くらいの想定だ。
来年もシリーズは続いていくので、積ん読もどんどん増えるだろう。
これで2万円するんだぜ?
それでいて、おせち料理の中身は、和食の高級食材、海老だかアワビだかカズノコだかだが、ハッキリ言って味が濃すぎる。
こんなの、一食なら我慢できるが、数食で飽きる。
今日、初詣の神社に屋台があり、そこに焼きそばがあったので、思わず食べてしまった。
たった500円。それでいて、正直言って、「おせち料理より、美味い」。
おせち料理なんかより、焼きそば、そしてカレー・ラーメンのほうが「美味しい」んじゃないのか?
コスパでいえば、おせち料理はカレー・ラーメンの10分の1程度でしかないんじゃないか?
妻が稼げない仕事ばかりして家事もろくにできない(anond:20191229162032)
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20191229162032
率直に申し上げましてブクマカは頭がおかしいのでは?と思いました。
パートナーなのに悩み事を打ち明けられなかったのが寂しい/悩みに気づけなかったのが悔しいならともかく、仕事に関する相談は妻からありました。
なぜ妻に「辞めていいよ」と言わなかったんだ?以外に思うところがありません。
被害者ぶる要素が皆無です。
これは旦那が苛烈なパワハラを受けていても体調に不安を抱えていても職業人生に違和感を感じていても、
「貴方の方が大事だから明日にでも会社を辞めてきて」なんて口が裂けても言わない嫁ですね。
また、労働収入で生活をしているのにも関わらず、なぜ2馬力前提で生活設計ができるのでしょうか?
サイボーグかなんかでしょうか?無責任/無計画にも程があるのでは?
そもそも一緒に暮らす相手の職業や経済レベルを気にするのは、どちらかが倒れた時にいまの生活レベルを維持出来るかを考えての話ではないのでしょうか?
節約しても自分ひとりの時の1.5倍の生活費が掛かると試算した時に、
現状額面24万の人が数年で51万稼げるようキャリア構築するのが厳しいから同じ経済レベルの人なのでは?
好きで好きで仕方ないので全然違う経済レベルの人と一緒に暮らすことを決めたのであれば、
当然収入が低い方に合わせて生活をサイズダウンするべきではないでしょうか?
可及的速やかに不労所得を用意するよりは現実的で取りやすい手段です。
『今の生活の快適さ>相手と暮らす幸せ』 なら一緒に暮らさず恋人同士として近くに住んでいるべきです。
ハウスキーパーでも雇いましょう。1人で暮らしていた時は働いて家事もしてましたよね?
是非またそうしてください。
あなたが手にしたのは無償・格安のハウスキーパーではなく妻/夫のはずです
あと、相手の経済レベルを問わず、コスパは考えず、全自動ドラムと食器洗い機は必要経費だと思って買いましょう。
それに納得ができないのであれば、近くに住んで一緒に暮らすべきではないでしょう
こういう男女が子作りとかマイホームローンとか悪夢だから辞めてね
ブクマカたちは『愛ある家庭を築きたい・ただ好きな人と一緒に暮らしたい』には適性がないと思われる
まずは結婚の方針を決めろ(anond:20191230111251)
A:株式会社増田家を経営したい
B:株式会社増田家の社員として就労したい
C:社会的に妻/夫がいないと困るので結婚する
D:愛ある家庭を築きたい。ただ好きな人と一緒に暮らしたい ←これに向いてない
この前、全編が韓国語の寿司食レポ動画が突然おすすめに出てきた。字幕なし。
YouTubeは韓国語をわからない私になぜおすすめしたのか気になってみてみた。
見てみるとその寿司屋は一つ一つ丁寧に客の前で作るフルコースを60000ウォンつまり6000円でやっていた。
動画見てみればわかるけど、店の雰囲気技術ともにしっかりしていて
もしかしたら、バカげているかもしれないがYouTubeは僕がコスパに目がないことに気づき、言語など関係なく、コスパがいいものをすすめるようになったのではないだろうか。
そう考えると割と筋は通っている
タイトルが英訳何故かされてるけど、中身には一切英訳字幕はない。
ちなみに、「なんでこれおすすめされたんだろ?」ってコメントをしたら
「それがユチュウブアルゴリズムだ!」と返信が来た。
それがユチュウブアルゴリズムだ!