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はてなキーワード: クトゥルーとは

2018-09-03

anond:20180903103148

今どきはもう挿絵もそういうのじゃないと興味惹かれないんじゃないかな。

萌え絵クトゥルーとか語ってるノベル見て、ちょっとショック受けたけど。

2018-05-03

第一回 ゴールデンカムイ

ゴールデンカムイ」見てますか? 面白いですよね! 原作全部読んじゃって「もっと・・・状態

そんなあなた明治維新前後(18世紀20世紀前半)の北海道舞台にした伝奇/アクション作品を紹介してみようと思います

1)

「地の果ての獄」

 言わずと知れた山田風太郎大先生明治もの

 ”北海道一般の人にとって地の果ての島だった明治19年。薩摩出身青年有馬四郎助は月形の樺戸集治監の看守に着任した。そこは刑期12年以上の凶徒を集めた人間運命の吹きだまりであった。正義感あふれる四郎助は、個性的囚人たちが起こす奇怪な事件に厳しく対しようとする。だが、元与力キリスト教教誨師・原胤昭との出会いがその運命を変え始め...。明治に生きる人々の姿をつぶさに拾い上げた圧巻の人間ドラマ。”

 原さんは『明治十手架』にも出てきます

2)

「旋風(レラ=シウ)伝」

 北海道出身朝松健先生作品。本作はクトゥルーネタあんまりない。

 ”明治二年、箱館五稜郭は陥落し、戊辰戦争最後の戦いは終わった。南部藩出身の若き遊撃隊士・志波新之介は、古参兵士たちのはからいで死をまぬかれ、榎本武揚から手渡されたスペンサー・カービン銃を手に北へ向かう。前途に広がるのは、コロポックル邪悪な罠を仕掛け、犬神が姿をあらわし、淫魔が歌声を響かせる、いまなお伝説が息づく蝦夷の大地。残虐きわまりない北海道開拓使・仙頭左馬之介が率いる討伐隊と死闘を繰り広げながら、新之介は自由の地を目指して歩を進める。” 

 現代北海道ものでは「魔犬召喚」「凶獣幻野」がお勧めです。北海道こわい!

3)

五稜郭残党伝 」「婢伝五稜郭

 こちらも北海道出身佐々木譲氏の作品

 ”戊辰戦争もあと二日を残し、五稜郭で幕を閉じようとしていた。「降伏はせぬ。」と、陥落前夜、自由を求めて脱出した旧幕府軍の凄腕狙撃兵、蘇武と名木野。逃げのびる二人は、アイヌ土地を蹂躪する新政府の画策を知り義憤燃えた。だがその背後に迫る、新政府軍残党狩り部隊足音酷薄執拗な追撃戦が開始された…。広大な北海道を血にそめて追われる者と追う者が、男の誇りを賭けて戦う冒険小説。”

 佐々木氏北海道舞台キング風の現代ホラー「白い殺戮者」で「アイヌ・ライケ・ウパシ」=「人を殺す雪」というアイヌ民話について登場人物に語らせていたりします。

4)

蝦夷地別件」

 船戸与一氏の作品

 ”十八世紀末蝦夷と呼ばれるアイヌ民族は和人の横暴に喘いでいた。商人による苛烈搾取、謂れのない蔑みや暴力、女たちへの陵辱…。和人との戦いを決意した国後の脇長人ツキノエは、ロシア人船長に密かに鉄砲三〇〇挺を依頼する。しかし、そこにはポーランド貴族マホウスキの策略があった。祖国を狙うロシア南下政策を阻止するべく、極東に関心を向けさせるための紛争の創出。一方で、蝦夷地を直轄地にしようと目論む幕府と、権益を死守しようとする松前藩の思惑も入り乱れていた。アイヌ民族最後の蜂起「国後・目梨の乱」を壮大なスケールで描きだす超大作。”

  脇長人て何?って思って検索したら 夷酋列像 が はてなキーワード登録されていました。

5)

天動説

 山田正紀作品山田氏の北海道舞台作品というと「謀略のチェスゲーム」「人喰いの時代」なんかがすぐ思い浮かぶけど、昭和なんですよ。時代を合わせると「ツングース特命隊」「崑崙遊撃隊」あたりになるんですが…

 本作は第一部が江戸編(ザ・”江戸時代”)、第二部が蝦夷編の伝奇小説ラストはむりくり明治維新期まで到達。あんまりアイヌは出てきません。

6)

カムイの剣

 矢野徹作品アニメもある。

7)

王道の狗」

 安彦良和のまんが 全編北海道ってわけではない。

 ”明治時代中期、北海道開拓使役させられていた若い囚人二人は脱獄し、それぞれの道を歩み始めた……。壮大なスケールで描く歴史長篇漫画

どうでしたか? アフィサイト並みに読んでない作品も挙げてみました。

ちなみに「ゴールデンカムイ」読んでません! ごめんなさい!!

2017-12-20

ハルキムラカミ的構想による「クトゥルーの呼び声」をめぐる三章

  1.粘土でできた羊


 思うに、人類にとって幸福なことは、ばらばらに与えられた情報ひとつにまとめることができないということだ。

 それはたとえば、象について何でも知っている人が、象使いについては何も知らないというように。


 ぼくは、こういったどうでもいいことの大半をデレク・フリンフィールド小説から学んだ。

 デレク・フリンフィールドが書いたのは、たとえばこんな話だった。

 ある男が毎夜、悪夢にうなされていた。

 男は悪夢で見たものモデルに、粘土像を作った。それは羊に似た何かだった。

 彼は、その意味を知りたくて粘土でできた羊を、ある考古学者のもとへ持っていった。

 考古学者はそれを見てとてもおどろいた。彼はアフリカで、ある部族につたわる伝説研究していたとき、現地の老人からこの世でいちばん恐ろしいものとして聞かされていたのが、《粘土でできた羊》の話だったからだ。

 その数日後、考古学者は突然心臓が止まって死んでしまう。それがこの小説の結末だ。

 これで、デレク・フリンフィールド作品としては、まともなほうなのだ

 この小説家は、母親の死を知らされると、チェ・ゲバラ肖像写真を抱いてビルから飛び降りしまった。

 やれやれ


  2.スパゲッティモンスター1973


 1973年のこと。

 その年、ぼくは毎日のようにスパゲッティをゆでていた。

 そのうちスパゲッティについて、とてもくわしくなっていた。

 いいかげんゆでるのにもあきた頃、Kのバーへビールを飲みに行った。

 しばらくピンボールをやってからカウンターに座った。

 すると女の子が話しかけてきた。

「ねえ、スパゲッティモンスターの話を聞きたくない?」

「聞きたいね」ぼくは答えた。

 ぼくはスパゲッティについてはとてもくわしかったが、スパゲッティモンスターについては何も知らなかったのだ。

ルイジアナの沼地に、ある宗教団体が住みついていました」

「ふむふむ」

「その団体の人たちは、近所の人たちをさらってきてはひどい方法で殺していました」

それはひどいね」

「それで、警察が出動して、ピストルばんばん撃って、信者はみんな逮捕されたんだけど、その時、狂信者の一人が大事そうに抱えていたふしぎな金属でできた彫像を、警察押収したの」

彫像?」

「そう、それがスパゲッティモンスターだったのよ」

「ふうん、で」

「これでこの話はおしまい

「えっ」

おしまいなの」

「ふうむ、その、スパゲッティモンスターって、《粘土でできた羊》みたいなものかな?」

 ぼくがたずねると女の子はきょとんとしていた。

 もちろん女の子は《粘土でできた羊》のことなど何も知っちゃいないのだった。

 やれやれ


  3.船が沈む話


 1984年ごろ、ぼくは広告関係仕事についていた。

 ある日、くだらないパーティに出席することになった。

 それはとても退屈なパーティで、ぼくは退屈していた。

 ある男が話しかけてきた。

「船が沈む話をしてやろうか」

「ああ、聞きたいね

 ぼくは退屈していたのでどんな話でもよかった。

「あるところにノルウェー人の船員がいた」

「ふむ、ノルウェー人ね」

「彼は船に乗って南太平洋を旅していたんだが、ある時、海図に載ってない無人島を見つけた。つまり海底から隆起した新しい島なんだな」

「ふむふむ」

「船員たちはその島を調べるために上陸した。するとそこには非ユークリッド的な建築があった」

「ううむ」

「その建築神殿のようなもので、大きな扉があった。船員たちが近づいて行くと、扉が開いてそこから恐ろしい怪物くるとぅーが姿を見せた。船員たちは皆あっというまに怪物に食い殺されてしまったが、スウェーデン人の船員一人だけは、何とか船まで逃げ帰り、島を脱出することができた。だが怪物は海まで追ってきた。そこでスウェーデン人は船を反転させ怪物にぶつけた。とぅくるーは沈んでゆき、船も沈んだ。スウェーデン人ボート脱出漂流することになった。その間、彼はくとぅるーの夢を見つづけ、救助されシドニー病院収容されたときには、すっかり気が狂っていたんだ」

「その、くとぅるーってどんなやつなの?」

「頭がスパゲッティみたいな怪物だよ」

「うーん、それってスパゲッティモンスターのこと?」

「何でもいいんだよ。何なら、《粘土でできた羊》でもね」

「えっ、……」

「それでな、そのノルウェー人の船員は、故郷ノルウェーの森に帰って、そこで井戸を掘りながら死んだそうだ」

「ん、ノルウェー人なの?」

「そうだよ」

「生き残った一人はスウェーデン人じゃなかった?」

「……どっちだっていいんだよ。何ならデンマーク王子ってことにしてもいい」

「あ、そう」

「じゃあ、こんどはデンマーク王子スパゲッティモンスターと闘う話をしてやろうか」

「もう、いいよ」

 ぼくがそう答えると、男はその場からはなれて、どこかへ行ってしまった。


 ぼくは家に帰ると、南佳孝の「スローブギにしてくれ」をかけながらビールを飲んだ。

 そしてその日11本目のタバコに火をつけた。

 吐き出した煙が流れて消えていくのを、ぼくはぼんやりながめていた。

2017-10-12

半可通ほっほっほ!!

>https://www.youtube.com/watch?v=6QFwo57WKwg

>ちまたで話題クトゥルー神話もわりとこんなかんじ

>でも見たら死ぬ系だからそうだね

マジレスして悪い…えー全然違います

クトゥルー神話は「向こうからこっちの予定とか意見ガン無視で来る」のであって

こちら側から行ってしまう事は一切無い

これは水槽の中の魚が人類水槽を見てる奴がクトゥルーってかああ言う系の化け物と考えると解りやす

水槽を見てるクトゥルー神様水槽の中の魚の都合とか一切無視で手を突っ込めるけど魚のように自由には動けない

そして魚は自分から水槽の外に出る事は出来ないのがクトゥルー神話

このPVみたいに、不思議の国のアリスみたいに迷い込む文法クトゥルー神話には全く無いよ

2017-06-16

クリトルリトル

クトゥルーはわかるんだけどクリトルリトルって読み方、無理があるように思ってしまう…

あん英語詳しくないんだけど、ああ読むこともあるのかね?

2016-01-19

いかにオタクのものオタク化するかが重要

バタフライ・エフェクトシュタゲしか

クトゥルーとニトロ虚淵しか

でも昨今のグルメ漫画や異世界転生、やれやれ主人公系の氾濫になってはいけない

できるだけオンリーワンを目指す必要がある

それにハマったオタクが、これがわかる自分はすごいと思えるような、自尊心をうまくくすぐるクオリティ必須

まだまだ世の中にはオタク化できるものはいくらでもある

ゼロから素人勉強するのは大変なので、専門家を引っ張りこむのが一番早い

いかにネタを見つけられるか、アンテナを張り巡らせることができているかということを意識する必要がある

2015-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20150404124218

入院して、ボケ年寄りの隣のベッドで一泊したことある

あれすごい勉強になるからおぬぬめであります

あとやはりクトゥルーをだn

http://anond.hatelabo.jp/20150404132131

民衆大衆、みんな、何でもいい、ともかく権力財力公から遠いお前らの神は奴隷の神でもある。

人類戦争を始めた当たりから現れた古い一神教なのだけど、この国ではある意味クトゥルー辺りととなぜか同じ扱いだったり。

2013-09-17

クトゥルーマストリードという常識非常識

 そういえば前、初対面同士の飲み会クトゥルー神話の話になって、俺が読んだことないって言ったら全員に変な目で見られた。

普通中学、もしくは高校生くらいで触れておくべきものだろう……」みたいな事を言われて、びびった。

 もちろん愛好家が多いのが分かるが、そこまで一般教養として誰もが読んでいるものor読むべきものでもないだろうに。

 クトゥルーに関わらず、こういう事ってたまにない? 明らかに常識ではないのに「○○は常識だろ」的な事を言われて、「嘘?」って思うも何故かその場の全員はそれを常識として認めていて、

「うげ、変な常識を持っている集団に紛れこんでしまった。でも、この場では俺が異端なんだからここは静かにしておかないといけないな……」

ってなる時。まあ常識なんてものコミュニティによって変わるわけだから、、あの世界ではあれが常識なんだろうし、俺が異端だってっていうのも間違いないんだろう。

冒頭だけ書きかけのクトゥルーショートショート

もしもし鬼いいさnn

そこは視覚死角ではありませんよ

鋭角が90度以下の物が身の回りにありますね?

ティンダロスの猟犬はそこから現われるのです

2012-05-14

武雄市図書館問題 個人の特定は誰にでも起こりうると言う話

偏差値3でもわかる!武雄市図書館問題

http://anond.hatelabo.jp/20120511124327

論点1,論点2について。

レアケースとして、難病、特殊な性癖等、それ単体で自分で珍しい属性と思えるよって個人の特定が発生するという話になっています。人に寄っては「自分はそんな特殊な属性なんか持ってないその他大勢だから問題ない」と考えている人がいるかもしれませんね。また、武雄市市長

僕が言っているのは、「5月6日20時40分、42歳の市内在住の男性が、「深夜特急」「下町ロケット」「善の研究」」を借りた。」ということそのものについては、個人が特定できない

と述べています。(http://hiwa1118.exblog.jp/15827483/)これを見て「この程度の属性ならば個人情報は特定できない。安心だ」と思っている人も多いかも知れません。

が、実際にはそんなこと無く、普通属性の人でも、いくつかの条件を組み合わせていくと簡単に個人が特定できるよと言う話をします。図書館からCCCに対して、上記武雄市市長が挙げている情報が渡ると仮定した場合、ある程度の行動に法則性がある人であれば、かなりの確率で個人の特定ができます

例えば、

これらはみな高確率で本人の特定が可能です。

簡単に言うと

  1. 深夜特急を借りた
  2. 下町ロケットを借りた
  3. 善の研究を借りた
  4. 42歳
  5. 市内在住
  6. 男性

これらはそれぞればらばらには該当する人間は多数いますしかし、これが組み合わさると(さら5月6日20時40分に図書館を利用、タイムスタンプ情報が組み合わさると)どんどん対象は絞り込まれていきます非常に尖ったそれ単体で個人を特定できる様な属性がなくとも、複数の属性が一致する人というのは少ないため、さらにそれを通常のTカード利用履歴データと照合すると、本人の特定ができてしまと言う事です。

一番分かり易い例から、以下に順次説明しましょう。

なお、私も武雄市の市政の問題と言うより、プライバシーセキュリティの問題にのみ関心があるので、以下は架空の市「武雌市」を舞台としておきます

学校帰りで本を借り、通学路経由のファミマで大抵買い食いをする人の場合

武雌市立中学校に通う武雌太郎君(14)は、学校帰りに図書館に寄ることがあります。両親共に仕事が夕方シフト仕事帰宅も遅く食事も遅いので帰宅途中にあるファミリーマート軽食を買って帰るのが日課です。

ある日、太郎君は図書館で本を借りました。この場合図書館から出て行く情報は、仮に以下の様になるとします。

△月○日16時32分、14歳の市内在住の男性が、『暗黒神話体系シリーズ クトゥルー 第1巻』『這い寄れ!ニャル子さん(1)』を借りた。

次に彼はいものようにファミマで買い物をします。するとこちらは以下の様な情報が記録されると思われます

△月○日16:48分

会員IDxxxxxxxxx

購入品目

当然ながら後者ファミマの利用履歴にある会員IDを照合すると、登録時に申告した個人情報、氏名や年齢、住所、電話番号などと結びつきます

この時、時間16時台で、年齢14歳男性武雄市内または周辺で使われたTカード履歴』と言う、図書館から得られる範囲の条件でTカードの利用履歴からデータを引き出してみます。利用状況にも寄りますが、この時点で確率的にそんなにたくさんが引っかからないと思われます。まず武雌市の14歳男性国勢調査によると約300人でした。さらにこの中から、16時台に武雄市周辺でTカードを利用した人というのはどれだけのいるのでしょうか。

さらに「クトゥルーニャル子さんを借りている事から、彼はオタクが好むアイテムを購入している可能性がある」としたとき、ヴァイシュスバルツ(アニメゲームなどのキャラクターを題材にしたカードゲーム)を購入しているので引っかかります。こうなると、ほぼ間違いなく誰が借りたか特定ができてしまうでしょう。このオタク属性等と言うのはレア属性でもなんでもありません。またこの他、例えばここで車好きでもいいし、スポーツ好きでもかまいません。そう言うありふれた属性で良いのですが、年齢と性別、時間地理という条件が重なると、絞り込みの条件になって、特定がより簡単になっていくのです。

次に彼がまた同じ行動をとったとします。

図書館で本を借りて、ファミマで買い食いして以下の履歴が残りました。

△月×日16時28分、14歳の市内在住の男性が、『暗黒神話体系シリーズ クトゥルー 第2巻』『這い寄れ!ニャル子さん(2)』を借りた。

△月○日16:48分、会員IDxxxxxxxxx

購入品目

この時、前回と同じ条件『時間16時台で、年齢14歳男性武雄市内または周辺で使われたTカード履歴』でTカードの利用履歴情報を引き出します。さらに、これを以前の記録の中から、ほぼ同一の行動パターンをとっている人物を引き出してきます。すると、ほぼ一人が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

この時点で逆のアプローチが可能になります。つまり『会員IDxxxxxxxxがファミマを利用するとき、同一の属性の人物が同じ時間帯で図書館を利用している場合、高確率で同一人物である』と言う事が言えるようになります。これでファミマで利用が合った時、図書館から出された情報検索すれば彼の利用履歴が作れる事になります

さらに何回も似たような行動を繰り返します。するとどんどん彼の行動パターンができあがっていきます。行動パターンの積み上げにより太郎君を特定するための情報がどんどん積み上がっていきますこうして積み上がった情報から、例えば彼がファミマを利用しなかったとしても特定が可能になっていくでしょう。「16時台に、同一シリーズニャル子さん4巻を借りている。履歴から照合すると高い確率で会員IDxxxxxxxxの情報である」と判断することができる様になっていくのです。

次に、もう一つのケースを例にしてみます

毎週火曜日は定時退社日。この日は会社帰りで買い物をしたり所用を済ませている。たまに図書館も利用する。

武雌市内にある和平電機につとめている女性小町花子さん(29)。在所は隣接する小町町で、勤務先の和平電機は毎週火曜日がノー残業デー、定時で退社する日と決まっています。協定でいつも1時間程度は必ず残業があるお仕事ですが、この日は17時に退社できるので、いつもこの日に用事を済ましています

彼女節約上手なのでポイントカードの提示を忘れません。Tポイントカードも例外ではなく、たくさんポイントを貯めるためにあちこちでポイントカードを使っていました。勤務先のある武雌市の図書館も利用しています

この条件の場合、上記太郎君の場合パターンでも特定が可能ですが、実はさらそれより一発で特定ができてしまう可能性があります。それは、普段が彼女がTカードを使って作り上げた、行動パターンがあるから

花子さんの利用履歴では、最近カメラのキタムラで高価なカメラを購入している情報地元TSUTAYAカメラ関連の本を購入していたりする履歴があると、花子さん最近カメラはまっているようだ、と言う事が見えてきます。またガストではドリンクバーは2つのことが多いだとか行った情報から2人暮らしである事、一度名義を変更していることから結婚している事、ウエルシアでは愛犬用の用品をよく買っている事、などから犬を飼っている事、等々、どんどん情報が見えてきます

これらの情報図書館の貸し出し情報と照らし合わせます

△月×日17時20分、29歳の小町町在住の女性が、『デジタルカメラ入門 -2- 愛猫、愛犬を撮る』『なぜか夫婦がうまくいく3つの習慣―二人の危機を救う本』を借りた。

この時Tカードデータベースからデジカメ好きの30前後女性ペットを飼っている。既婚者』という検索条件で検索した場合花子さんのTカード利用情報から情報と、図書館の利用履歴の両方が抽出される事になります

ここから小町町の住人の29歳女性、と言うカテゴリで見ると、ほぼ間違いなく同一人物の情報だという事が分かる事になります。ちなみに小町町に在住する29歳女性国勢調査によると約40人でした。

ここで彼女のTカード情報には「図書館利用者である」という属性が蓄積される事になります。この後は豊富に蓄積された情報を元に、彼女図書館利用履歴のトラッキング比較的簡単に、高精度にできることになります

興味があることがあったので、Yahoo!を使って調べていたが詳しい事が分からない。そこで図書館で調べ物をして本を借りた。その後Yahoo!でその本の内容を元にさら検索した

武雌市に在住の、武雌和也さん(41)は、最近母親難病にかかってしまいました。何しろ情報が無いのであらゆる手段を使って調べていますYahoo!検索して見たりしているのですが、欲しい情報が見つからりません。普段は全然利用していませんが、思い立って図書館に行ってみることにした。図書館では興味深い話を見つけましたが、情報が若干古いのでさらYahoo!検索をして新しい情報も仕入れたりもしています。ちなみに和也さんは、普段は奥さん任せでほとんど買い物などはしない人です。

和也さんの場合ほとんどTカードを提示する機会は無い人ですので情報が少なくて照合などできないように見えます。が、ここで出てくるのがYahoo!IDです。和也さんは以前、Yahoo!趣味釣りの道具を購入したことがありました。その時、市が図書館カードとしてアピールしていた時に惰性で作ったTカードと結びつけを行っていました。

それによって、Yahoo! IDにTカード情報が結びついている状態になっていたのです。

実はこのように、Tカードというのは非常に広範囲に利用域が広がっています。一度しか使ったことが無くても、使用した時に別のIDと結びつくような形になっているのであれば、TカードIDのものを利用しなくても、芋づる式に情報がつながってしまうと言う事が起きます

これらを踏まえ、個人の特定を避けるには?

Tカードは絶対に図書館以外で使わない、と言うのが一番シンプルです。図書館専用のTカードと、図書館以外のTカードを別けてもあまり意味がありません。Tカードによって記録されるデータベースに、図書館以外の部分で乗るような事をしてはいけません。従って、今、Tカードを利用している人が、図書館でTカードを利用し、尚且つTカード図書館データを結びつけたくない人は、どちらかあきらめる事が必要です。図書館をあきらめるか、Tカードの利用を停止するか、どちらかになります。すでにTカードを利用しながら、結びつけたくない人は、図書館にて利用を開始する前に、一度CCC個人情報保護法に基づく情報削除を依頼しておくことも忘れてはいけません。

想定される論点

おそらくこれらの指摘に対しては

と言う異論がでるものと思います

情報分析については、コンピュータの大容量化高速化によって不可能ではなくなりつつあります。近頃「ビッグデータ」処理システムなどを用いることによって実際に行われています

これが「容易に」と言えるかどうかと言う事になるのですが、個人的な見解としては容易だと言って良いと思います。完全にデータベース上だけで照合が完結できてしまうと言う時点で、後はリソースの問題であるからですコンピュータリソースなどは数年もたてば倍にと言った世界です。そして毎回膨大なデータを処理しておかなくても、あらかじめデータをあらかじめ整理してあれば、許可を受けた店舗マーケティング担当者レベルでも情報を引き出せるようになるでしょう。さらに言えば、観覧したい個人がすでに決まっていて、本人を知っている場合(標的を絞っている場合)はもっと簡単に情報を引き出せます。そこにダイレクトに個人を特定するID名前も含む)が含まれているかどうかは関係ありません。

また情報を際限なく結びつける事を許さないので問題ない、と言う話についてはまず、Tカード利用規約がすでにそれを許す形になっていることがあります。もちろん企業の内規等でそれができないようにしている可能性はありますしかし、そこは行政が直接的に知る事も、コントロールする事もできません。何しろTカードの加盟店は膨大ですのでそれら全てに行政が行うべき情報保護に対する規律を求める事ができるのか、と言うと不可能でしょう。

であれば、共通的にTカード規約を変更する等が必要になるでしょう。また技術的な原則論を超えて、特別な条例を作ってそれによってCCCを縛る事をするだとか、そういった政治的解決法はありますしか裾野が広いだけあって、規約だけでは駄目で、実際には不可能な形にしておかないと不十分である、と私は思います

これはプライバシー問題の特殊さ、難しさが絡んでいますプライバシー問題の難しさは、観覧された時点ですでに侵害が発生しており、さら原状回復が不可能である(予防しかない)事、さらに発覚しにくいためです。

ちなみにこれは、公共サービスをそのような民間ベースID認証に付け加えると、毎回このような情報の取り扱いについて問題が発生していくことになりますし、それらが適正に処理されているかの確認は行政側が行わなければなりません。住基ネット住民票コードが民間利用禁止されているのもこう言った難しい問題があるからです。

次に「これらの事は民間ではすでに当たり前である」という話もあります。何を今更、と言う事ですね。これは全く持ってその通りで「俺はそうであっても気にしない」と同じような立場になりますしかし、事問題が行政サービスに関わる事であると言う事を忘れてはなりません。また、気にする気にしないと言う話は本質的には個人情報かどうかには直接関係はしないと思います

まとめ

もはや落としどころとしては、Tポイントカードを単なるユニークIDが振られたカードとしてのみ図書館で利用する形にするしかないと思います情報の流れを一方通行にする。図書館からは一切CCC情報を渡さない事ですね。

ではポイントの付加はどうするのか、と言う事になりますが、これはあきらめるか、さもなくば独立したシステムポイントを加えるしかないでしょう。これでも「このID図書館を利用した」という情報は発生することになります。これも解釈によっては個人情報ですが、独立したシステムにすることによって、情報を渡したくないかポイントをつけない、と言う選択肢も可能にするべきです。当然Tカード以外のカードでも利用可能になっていないといけません。

こうなると「図書カードとTカードを別々に持つ必要がない」程度しかメリットが残りませんが仕方が無いでしょう。

最後に。セキュリティ論じゃないところに踏み込むと…正直CCC戦略を誤ったとしか思えませんね。Tカードの話なんか出さなけりゃ良かったんですよ。あとポイントも。分かり易いメリットのつもりで市長に売り込んで、市長がそれを大々的に宣伝してこうなったのです。本を買わずレンタルで済ます層の情報に商売としてのうまみがそれほどあるとは思えませんし。CCCグループTSUTAYAを始めとした幅広い販売チャンネルから得られるPOS情報に、自前の取次MPD、流用出来るノウハウなども多数持っているんだからそっちで責めれば良かった。その上で競争入札に入れば良かったんですよ。

確かに「Tカードを全面に出さなければならなかったと言う事は、その他のメリットがなかったためでは?」と言う話はありますけど、それならば他の既存の業者を選んだ方が市のためになるわけですから今より悪い事にはならないはずです。

追伸

きちんとセキュリティの事を勉強した人間ではありませんので、専門の人、お時間があればツッコミをお願いします。

2011-03-06

日本人にも怖いクトゥルー神話

http://umiurimasu.exblog.jp/12210453

多神教がどうとか、食文化がどうとか、本当にくっだらないと思う。ちゃんとラヴクラフト嫁と思ったのでつらつらと書いてみる。

ラヴクラフトクトゥルー神話が「ホラーであるのは、「おれたちの信じているキリスト教の神さまの他にも神様がいるなんて!」ということではない。

ラヴクラフトクトゥルー神話が「ホラーであるのは、「自分の信じていた世界観はじつは嘘っぱちだ」ということにある。

「それはやっぱりキリスト教~」違う違う。落ち着け

例えば、俺は生きてメシをくって仕事をしてSEXをして子どもを育てるわけだ。

俺は日本という国に生まれて、その文化自然や人々の共同体を愛しているわけだ。

そんな平凡な俺っちが、クトゥルーという存在を知ってしまうと、その全ては無価値なものだということに気付く。

日本という国も、そこで千年だか二千年だかの間にはぐくまれてきた文化というやつも世界全体から見た場合には実は無価値なのだ。

俺たちの人生世界というものは、いってみれば犬の毛の中に住むダニたちが作り上げた世界と同じようなものだ。

それらは、クトゥルーがちょっと身じろぎしただけでも崩れ去るわけだし、今自分たちの所属している世界観が崩れ去ることは予め決まっている。

自分が生きていることも、生きて何か仕事を残したとしても、子孫を作ることも育てることも、それはすべてクトゥルーの前では無価値なのだ。

そういう認識に立った場合、俺は自分存在することの意味が見いだせなくなる。

じぶんがここに存在することも、自分子ども存在することも、自分の親が存在することも、自分がなにかに努力していたとしても、何かに幸福を感じたとしても、それは全て意味がないのだ。

自分が拠って立っていた世界観崩壊して、たったひとり、自分が何者かもわからなくなって虚空に落ちていく感覚

それがクトゥルー神話の「恐怖」なのですよ。

ちゃんちゃん

おれ、大学ときラヴクラフト全集3冊読んだぐらいだから間違ってたらすまん。

でも、当時「おー、結構怖いやん」と思った記憶がある。

それは魚介類だとか、自分信仰だとか、そういうのとは本当にまったく無関係に「怖い」とおもったし、救いようのないアンハッピーエンドで終わる「セカイ系」のラノベ短編集みたい感覚で結構面白かったよ。

二次創作しかしらない」というひとも、時間あるときには古典をもっと読めばきっと楽しいと思います!。

したらなんか、こんな変な感想がでてこないと思います!。というのが言いたかったことだす。

2011-03-04

アメリカ人は本当にタコが嫌い?/怖いという感情宗教は関係ある?

 

 「族長の初夏 : 日本人はなクトゥルーを怖がらないのか」

 http://umiurimasu.exblog.jp/12210453

 この記事のブクマhttp://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。

 ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である


 

 >>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。

 イタリアスペインポルトガルギリシャ韓国……などの国々は島国ではな半島だが、タコを食べる。中国でも食べる。

 また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。

 しかも、いまでは寿司日本料理イタリア料理スペイン料理ギリシャ料理中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だからイギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。

 なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか

 

「昔のWASP白人アングロサクソンプロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。

 タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。

 

 そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。

 この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである

 まず、「devil fishであるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である

「devil fish」でgoogle画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイ画像で、タコが出てくるのは10番目以降である

 さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。

 すくなくとも、エンゼルフィッシュ天使だと思っている人はいないだろう。

 クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。

宇宙戦争」の火星人がタコなのは原作者ウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。

インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか

 というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近アメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。

 アメリカ人日本人に対して間違ったイメージ(「忍者ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人アメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。

 さらに、「アメリカ人」という言葉文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人黄色人種アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人カソリックヨーロッパアメリカ人などを無視する場合が多い。

 たしかに、一面では、アメリカの主流文化WASP文化であるが、マイノリティ文化の一部が主流になることも多いしWASP文化マイノリティ文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。

 だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいたい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである

 このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家であるアメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本イタリア中国ブラジル南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである



  ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念ですアメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。

 しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。

  そもそも、欧米文化芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。

 しかし、例えば日本の文化芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教世界観」だけでは論ずることはできないだろう。

 文化芸術作品の成立には、もちろん宗教世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境経済環境歴史政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである

 

 また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである

 ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説過去ホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。

 スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人作家によって書かれた、キリスト教世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。

 「雨月物語」は過去日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。

 しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。

 だがスティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。

 さらに、「リング」アメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。

 ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」ラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。

 彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教世界観」「多神教世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。

 つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教世界観」「多神教世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。

 

 また、ホラー小説の話題に限らず、欧米文化芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。

 「一神教世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である

2010-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20101220164903

二足歩行については、「脳の重さを支えるためには脊椎が垂直である必要がある」って感じ。

そして、脳の大きさと知性が比例すると考えられていて、知的レベルが上がると身体能力が退化するとの類推からグレイのような宇宙人が出来上がる。

金星人とか火星人は、まぁSF的な演出だろうけれど。

海外では「たこ」を悪魔的な物と思っている。クトゥルーなんかでもタコ的な物が出てくる。

2009-03-18

諸星大二郎

クトゥルーはあんまり詳しくない

民俗学とか文化人類学とか神話は大好き

そんな俺は諸星大二郎を読んでみたいんだけど、著作がたくさんあって

どれから読んでいいのかわかりません。誰かおすすめを教えてください。

2008-03-15

科学似非科学の間にグレーゾーンがあるのは承知している。では、そのグレーゾーンの中に機械的に線を引くことは可能だろうか。たとえばWikipedia自然科学系の全項目をプログラムに読ませて、"度を超した似非科学的記述"を選別して排除するようなことは可能だろうか。論理的にトレースできない記述を自動的に排除する、というような。いわば科学似非科学機械足切りというか。Googleとかそんなこと考えてたりせんのだろうか。

で、そうして排除された似非科学記述の中からクトゥルーぽいバケモノが生まれる、というホラーネタを考えたんです。

2007-11-24

クトゥルーおばさん

この前知人の家に遊びに行ったのだが、そのとき、諸星大二郎の本を出してきた知人に対して

一緒に来ていた先輩が「ああ、『クトゥルーおばさん』読んだ事あるよ」

と言った

そりゃ『トゥルーデおばさん』のことかい?

2007-10-31

なんかおかしい

ねんがんの くりとるりとる しんわしゅう をてにいれたぞ!

ま、それはいいんだけど。

発行年が古いせいか、情報がおかしい。

「H.P.ラヴクラフトの死後に作家たちがhpl神話を元に書き始めた」とか「旧神によって旧支配者たちは地下に封印された」とか

いわゆる、A.ダーレスによって作られた「クトゥルー神話」を鵜呑みにして解説しちゃってるんだけど。

幸いな事に、ク・リトル・リトル神話集は他の「クトゥルー」や「ラヴクラフト全集」に比べてお値段高めだし、大抵ネットで調べれば、「原神話」系の情報が出てくるから、こういう誤情報が一般に流布する事はないだろうけど。さすがにこれを入門書に薦めるのはどうかと。

ああ、そういえば図書館で一度借りて読んだ時、最初の解説でとんでもないこと書いてあるってわかったから読まずに放置してたんだった。

あと、Amazonレビュー大滝氏の翻訳を叩いてる奴は一体何なの?あの程度で読みにくいとかいってたらラヴクラフト全部読めないぞ。

2007-10-23

クリクリ

新編真ク一覧。大体1500円。

新編真ク・リトル・リトル神話大系2巻の折り込み広告に載ってたのを元に作成

後ろの対応はhttp://homepage1.nifty.com/ta/sf1/cthulhu.htmを参考に作成


7 isbn:9784336049698

6 isbn:9784336049684

5 isbn:9784336049674

4 isbn:9784336049667 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 4 (4): H.P.ラヴクラフト: 本

3 isbn:9784336049650 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 3 (3): A.ダーレス: 本

2 isbn:9784336049643 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 2 (2): H.P.ラヴクラフト: 本

1 isbn:9784336049636 Amazon.co.jp: 新編真ク・リトル・リトル神話大系 1 (1): H.P.ラヴクラフト: 本

2007-08-07

anond:20070807220032

デジタルディジタル

ドラマチック:ドラマティック

アーキテクチャ:アーキテクチュア

ワーグナーヴァーグナー

ランチョス:ランツォシュ

バルド:バルドル

ヒトラーヒットラー

ドイツ:ドイチュ:ドイチュラント

オーストリアオーストリー:エースタライヒ or ウースタライヒ

オーディン:オージン

エインフェリア:エインヘリャル or アインヘリャル

ゴースト:ゴウスト

レザボワ:レザヴォワ or レザヴォワール

クトゥルフクトゥルーク・リトル・リトル

溶かし尽くして:とかちつくちて

ウィンドウズ:ウィンドーズ

2007-03-12

人間は虐げられる無力な弱者か、世界を統べる支配者か

ケールリング人間観というものがある。これはケールリング・ヨヅという分類学者の提唱した「自然や神や宇宙や猫といった強大な存在が広がり闊歩するこの世界にあって、人類は怯える弱者以外のものにはなりえない」という思想で、おおむね人類を卑下する文脈において語られる。

 人間弱者である。人間は野を這う魔獣になす術なく蹂躙され、竜によって理不尽に殺戮され、神々によっては容易に滅ぼされる。人間はこれら脅威に抵抗することなどできはしない。

 数度に渡る地獄解放事件を見るがよい。当時の我々にできたのは、同胞が異形の存在によって喰い散らかされるのを物陰に隠れてただ見守ることだけであった。今の平穏だとて、決して人間が勝ち取ったものではない。ただ竜や神が人間に興味をなくし、たまたま今その脅威の矛先を向けていないに過ぎないのだ。連中がその気になれば、人間の命運など十日やそこらで尽きるだろう。

 人間は真の力に対して無力である。己の住処でただ静かに身を潜め、次の標的とならぬよう運を天に任せ祈るのが人間に残された最も賢いやり方である。


それとは逆にヨンダライト人間観というものもあって、これは「人類はあらゆる存在の中で最も優れた存在であり、その叡智をもってすればいかなる困難を克服することができる」という思想になる。提唱者のヨンダライト・ハルアモンドはケールリングよりも後世の人間で、その文面もケールリングのそれと対比するように書かれている。

 人間こそが、この世界にあって至上の存在である。魔獣も紀竜も神々も、遂に人間によって退けられた。我々の知恵と結束と勇気をもってすれば、いかなる存在にも我々の存在を断つことはできないのだ。

 たとえば神々の時代より残された数々の遺跡について考えよう。永遠に未踏の地と言われたそれらの遺産を、いま我々人間は次々と踏破している。紀の宝玉を手にして世界の命運を握るのは、人間の中でもっとも無力であるはずのたった一人の娘に他ならない。度重なる地獄解放においても、我々はその全てを自らの力で退けてきたではないか。

人間は異形を調伏し、竜に打ち勝ち、神をも越えた。今後いかなる困難が人間を襲おうとも、我々はその貪欲な生命力をもってこれを克服し、征服することだろう。今や世界の頂点は、我々人間そのものである。


というところまで書いたけど特にオチは思いつかない。前者は悲観に過ぎるし、後者もまた楽観に過ぎる。クトゥルー邪神がうようよいるなら前者を採用してもいいし、イーガンディアスポラくらいになれば後者を採用してもいいかなとも思えるけれど。今は過渡期なのかなあ。

(クランテルトハランス)
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