はてなキーワード: 金の卵とは
役員は専任でかつ会社に必要なら、一日24時間働いて当たり前だ
死ぬまで働いて当然なのが役員だ。過労死まで含めて自己責任だ。
そもそも能力も業務内容も全く違う労働の価値を時間だけで計ることなんて出来るわけがねーだろうが。
能力のある従業員が求められる会社経営において、カネの出し手や経営者の意向だけが通るわけねーだろ。
そして、代表取締役は権力者じゃねーんだよ。株主と従業員の間に挟まれて
会社に於いて最も権力があるのは、利益に直結する能力を持っている従業員。
次に強いのが株主だ。代表取締役や役員にあるのはただの交通整理の権限に過ぎねーんだよ。
会社なんてのは、出資者・経営者・労働者の三者の権利の奪い合いだ。
しかし知的障害のある方はともかく、知的障害を伴わないいわゆる「発達障害」についてはそもそも概念を疑った方がいいのではないかと思うのですが。
「発達障害」について変に「理解」されても困るなあというのが正直な所。
おかしいのは過度のコミュ力を要求される社会の方だという、発想の転換も必要なんじゃないかと思いますよ。だって昔は今で言う発達障害に分類されるような人が問題なく社会生活を営んで、それどころか優れた業績を残していたりするんですから。
寧ろいわゆる発達障害の人は通り一遍の仕事よりも知的な仕事や創造的な仕事に向いていて、良きにしろ悪しきにしろイノベーションを起こせる可能性を秘めていると思うのですが今の社会はそういう人々を弾きだすばかりか無理に矯正して人並みにしようとしているみたいで、物凄く勿体ない損失を生み出しているんじゃないかと思いますよ。コミュ力はないけれど人とは違った発想が出来る、集中力がある、思考力がある、これって立派な長所なのに。金の卵を台無しにしているような残念感。しかもそれを良い事だと思っているから救えない。
職業訓練とかもその幅が物凄く狭いですしね。政治家になろうとか芸術家になろうという教育は行われない。
個性の範囲で済まされる人間を発達障害といって障害認定してしまう事は、肌が褐色だから障害だとか、髪がカールしているから障害だと言っているのに等しいのでは?目が見えて耳が聞こえる、手足も動く、学力も高い、そういう人間を障害者認定する社会の方に問題があるとは考えないのでしょうか。
労働者に画一的な笑顔を押し付ける企業の在り方は、社員全員を意図的に金髪碧眼で統一するような薄気味悪さがあります。
発達障害には「障害じゃなくて個性」という言葉が当て嵌まると思う。なのに障害者認定する事が該当者のためになっているという勘違いした人権意識がどんどん広まっているのが嫌だなあ。
年間の1/3、1ヶ月間連続で貰える休暇中に船乗りがどんな生活をしているか記しておこうと思う。
その2はこちら
http://anond.hatelabo.jp/20130925032813
1ヶ月間もあるので家族サービスはし放題だ。
休暇直前になると家族持ちの船乗りはそわそわし始めて、おもちゃを買い漁る。
おもちゃをいっぱい買って帰るのが船乗りが理想とする父の姿であり、子供にあったらそのおもちゃでたくさん遊ぶのだ。
帰るとトタトタと走り寄ってくる我が子を見た瞬間疲れなんて吹き飛ぶものである。
当然、嫁へのサービスも忘れない。自分が居ない間家庭を支えてくれていたのだ。
船乗りが「日帰りにはなるが平日子供達が学校言ってる間に温泉でも行こうか」というと船乗りの嫁は流石だ。
「疲れてるでしょうから直ぐにじゃなくても良いよ」と言ってくれる。この一言で更に惚れる船乗りは多い。
疲れも吹っ飛んだのでその夜は家族を増やす営みを船乗りは頑張るのだ。
実家へ顔を出すのも忘れない。
船乗りは親の死に目に会えないと既に諦めている者が多い。そこで生きてる間は孝行しようとするのだ。
親父が好きそうな酒を入手して、お袋の手料理を肴に親父と一緒に呑むのだ。
「親父、今度の三連休にでも子供つれて皆で飯食いに行こうよ」とかそういう話をする。
たまたま休暇中に子供の参観日や運動会、文化祭が合致したら船乗りはテンション高くなるものだ。
自慢の一眼レフやビデオカメラを持ち出し1分1秒でも逃さまいと子供を撮影する。
父兄徒競走や綱引きにだって本気を出す。子供に格好悪い姿なんか見せない。
子供が幼稚園保育園くらいだとまだまだ記憶が曖昧のようで、帰るたびに船乗り父さんは忘れ去られている。
ひどい時には抱き上げるだけで泣き叫ばれ、一緒に風呂入ろうとか考えてたのにそれどころじゃなくなる。
わが子から「おじさん誰?」みたいな表情で見られるのは結構ヘコむので、船乗りの嫁は可能な限りお父さんの写真を見せたりお父さんの話をするべきである。
独身の場合は休暇中の大半は寝ているか色々なもので散財するのが基本である。
船乗りは基本的に乗船中はあまりお金を使えない。使わないのではなく物理的に使えないのだ。なのでいつの間にか通帳の金額は膨れ上がっている。
散財の仕方は様々なパターンがあるので箇条書きにしていこう。
飲み歩いたり女に貢ぐのは定番だ。何だかんだで金を持ってるとモテる。そうやって彼女を探す。
別に彼女は水商売の女じゃなくたって良い。船乗りは金のない若者も演じたりもたまにする。
様々な手法で女を試して良い女か見極める傾向があるので金だけに食いついてくると遊んでポイッである。
無駄に広いマンションに住むのも船乗りならではだ。住んだ後に「こんなに部屋必要ないな」と気付く。
しかし実家暮らしの独身船乗りも多いのでこのパターンは半々くらいだと思う。
時計はセイコー(グランドセイコー)、万年筆はセーラーというのが船乗り的にシブイしあこがれなので買う。
セイコーやセーラー買ったらロレックスとかプラチナとかも買う。
ギャンブルに突っ込む船乗りは多い。理由は世界各地どこでもギャンブルというものは存在するからだ。
日本国内であればパチンコ・パチスロになるだろう。休暇中暇なので打つ。
ただ筆者は特に理由はないけれど若い頃は競馬を勘で買うのを好んでいた。倍率が見えてるのが良かったのかの知れない。
車に金を使うのも定番だ。船乗りはスポーティーな車か、無駄にデカイ車を好む。これはバイクでも同じ。
社外パーツでシブくキメるのが定番で、いわゆるVIPカーとかそういう傾向のカスタムを好む人は少ない。
筆者はフェアレディZ33が出た時に速攻で電話して予約、現金で購入した。
大画面TVにトールボーイスピーカー、Blu-rayレコーダーと一気に揃えるのだ。
何でこういうことするかというと自分が休暇中でも地元の友達は仕事があり誰も遊んでくれないので映画とか観たりするためなのだ。
そして映画とか観ていると再生機器にこだわりが出始めて高級家電化してくる。
独身船乗りの旅行は唐突だ。フラッと繁華街へ出かける感覚で飛行機のチケットを買う。
船乗りにとって日本は(距離の感覚として)狭いので、例えば東京から沖縄は"近場"である。
実家住まいでも「ちょっと北海道行ってくるわ」と親に伝えると最初は驚いた顔をされるが親も直に慣れてくるのが面白い。
休暇が同時期にある船乗り仲間と場所を指定して集まり飲みに行くのも独特の文化といえば独特だ。
船乗りは全国に散在しており近くに住んでいる船乗り仲間が休暇とは限らない。
なので誰かが思いたち「今日の晩にでも皆で新宿行かね?」と同じく休暇の船乗り仲間へ昼くらいに電話するのだ。
船乗り仲間も距離の感覚が一般人と違うので「良いよ17時くらいに行けると思うわ」と快諾する。そして飛行機のチケットを直ぐにとり出掛ける。
ここまで遊んでいても年間を通すと月5万10万は貯金できているので意外かもしれない。
これは親が口うるさく「5万円くらいは貯金しておきなさい」と言うので定期預金とかで貯金しているためだ。
若い頃から定期で預金しているため信用が付いており家建てる時の融資もかなり通りやすかったりする。
船乗りという職業は明らかに特殊な業務である。そのため生命保険が少しだけ他の人より高い上に審査が厳しい。
何が厳しいかというと「どんな業務をしているのか?」とか書類不備で再審査が頻発することが稀にあるのだ。
これが非常に鬱陶しく、折角加入してやろうとしているのに加入する気が段々となくなってくるのだ。
同じ生命保険会社でも生保レディによって書類不備が頻発するかしないか、保険商材によって書類不備が頻発するかしないかが変わってくるので生命保険会社はもっと船乗りに優しくするべき。
社内規程とかあるのは察するが、5度6度と書類不備が起きるのは流石に堪えられなくなってくる。
船乗りが結婚相手に選ぶ基準は殆どの場合見た目は気にされない。
これは家庭を持ってもその船乗り自身が近くに居れないので、居ない間に家庭をしっかり守れる相手を選ぶからだ。
大金があるので浪費するという欲望に勝てる若い子は少ないから見た目とか気にしてられないのだ。
船乗りは若い頃に付けてしまった自分自身の浪費癖をよくわかっている。自分が家庭の財布を持つと家計が上手く行かなくなる可能性がある。
なので多くの船乗りは嫁に財布を持たせており、その嫁の金銭感覚を信じているのだ。なので見た目はどうでも良い(良ければ越したことはないけど)。
国を愛し、家族を愛し、恋人を愛し、友人を愛する。それは長い間遠くへ離れているからこそ持つ強い感情だ。
愛するからこそ船乗りは愛する者の前で格好を付けて、そんな自分自身を自慢して貰いたいと考える。
自慢の国民となり、自慢の家族となり、自慢の恋人となり、自慢の友人となりたいのだ。
だから船乗りは自身の面子を潰されたり、愛するものが傷つけられるのを非常に嫌う。
おそらくはネット上へここまで詳細に海運系船乗りのことを3ページにまとまっているものはないと思われる。筆者はもう書きたくない。
注意点としてはところどころ端折ってる部分は当然ながら存在するし、会社によって差異があるところも存在する。
可能な限り平均的な目線で書いたつもりだがおかしな点はあるだろうと思われる。それを見つけた船乗りは各自「うちの会社はこうだ」と主張していただければ幸いである。
ただ船舶が灰色だったり白くて青いラインが入ってる船舶を持ってる"会社"の船乗りたちは機密保持の兼ね合いもあるだろうから気をつけるように。言っちゃいけない部分は言ったらダメだよw
船舶という業界は非常に過酷な職場です。3Kと呼ばれる職業だし、その上に知能まで求められます。
セクハラ、パワハラなんて当たり前だし叱られて殴られることすらあります。そんな環境なのに逃げ場がありません。
しかし、だからこそ我々船乗りは高給取りであり多くの人々から尊敬され羨望の眼差しで見られます。
我々船乗りが得られる一般的な感覚からすると有利とも思われる権利は、それなりの義務を果たすことで得ているものです。
学ぶ気の無い者、本気になれない者、そして船乗りとして格好が付けられない者は業界として必要ありません。どうぞ別の業界へ行ってください。
学ぼうとし、本気になり、そして格好を付けようとする者、どうかお願いですからこちらの業界へ来てください。我々には貴君を金の卵として向かい入れる準備があります。
この記事を読み、少しでも海運へ興味を持っていただけたのなら嬉しく思います。
日本国は島国海洋国家であり海運へ強く依存せざる得ない立地条件です。
「日本国経済は海から」という言葉もあるくらい、良いにせよ悪いにせよ経済的変動の影響は海運へ先に現れると言われています。
逆に言えば日本国海運が世界海運の中で悪い立場となれば日本経済へ悪影響をもたらすとも言えます。
IT産業や宇宙産業など新たな市場は開拓されていっていますが、日本国と同じく2000年の歩みを進めた海運産業へもその視線を向けていただれば幸いです。
そして出来ることならば海洋の研究を支援するお声かけと、海運の大切さを伝える教育を実行していただければと思います。
http://anond.hatelabo.jp/20121130193539
都市は本質的に、生産年齢の労働者を地方からつまんでくる構造になっている
江戸にだって男やもめがいっぱい流入してたわけだから、現代の都市の病理と表現するのさえ近視眼的で、都市というもの自体が持っている特性だと思う
少ない下町の土着住人分ぐらいしか、育児に割く人手やスペース等諸々のキャパがない
だから、都市は子育てをよそでやらせる方式で成立しているエリアなんだ
・地方で生まれ育つ
揺籃と墓場を地方任せにして真ん中の美味しいところを集めて成り立つのが、都市
変わったとすれば、地方が疲弊してもはや揺籃と墓場の役を果たさなくなり、また地方→都市(→地方)という生活史が成り立たなくなったこと
都市の育児キャパをはるかに超えた人口を抱える団地や郊外で生まれた在都移民二世がそのまま都市に居着いて在都三世を産み育てるターンになり、地方に足場の存在しない、都市での育児という問題が表面化したと
都市はまったくこれまで通り
ところが地方に根を持たず都市で子育てする在都二世三世が膨れ上がって、都市のキャパを越えてしまい、その分をもうどこも持とうともせず持てもしない
その地方の役割をかわりに担い出したのが郊外だ、ということだろうか
さて、都市は地方に育児というコストを押し付け、「金の卵」を持っていく
そこで、経済的に最適化して美味しいところをつまんで生まれた富を、仕送りや地方交付税で地方に還元する
都市~地方のシステムはそうやってバランスするように調整されていた
子育てするのにクルマで隣県まで行かなきゃならんてのはやっぱ不合理で、外部不経済ですよこれは
自由経済に任せればこうした都心と郊外の役割分担が必然的に生まれるのだとすれば、その必然によるアンバランスに介入するのが行政の役割
「子育てに適した遊戯施設を提供してくれる郊外自治体に東京都や渋谷区が金を出す」
まず注意していただきたいことは、残念ながら「漫画」というコンテンツは出版業界の全てではないことだ。「がっちり読者がついている人気漫画家”赤松健”」だからそう言っちゃえるのだろう
例えばビジネス書など「専門家が書く一般書」のニーズを想定して見よう。この場合、電子書籍時代が到来しても、出版社(が現在行っていること)の必要性が無くならない。
「普段は学会などに閉じこもっている金の卵を発掘して説得し」、「コンテンツを企画し」、「議論を交わしながらパッケージとして作り上げ」、「方々にマーケティングする」という、売るための仕組み作りは、それなりの苦労とノウハウを要する。
一方で、それでも製作から販売まで垂直統合して自己完結型でやりたい著者は出てくるだろうし、電子出版・流通はたぶんそういう人を排除できない。
また取次ぎ、書店、書籍印刷、これらは間違いなく衰退するので、そこへの影響力という大手出版社固有の優位性も霧消する。流通への影響力という意味で差別化要素がなくなるので、企画出版を行う新規参入者が山のように出てくるだろう。
その意味で、出版社は消えるのではないが、きわめてフラットな競争環境に置かれる。
ネットで展開される電子書籍関係の議論はやたら権利関係に矮小化されたものばかりだが、著作隣接権等の話が最終的にどう転ぼうとも、将来像としてはこうなると、業界に所属するものとしては予想している。
数年後か、10数年後になるのか・・・。覚えていれば、これもできれば後で答え合わせをするつもり。
食べログ代理店が「有料店舗会員になると順位も上がり悪いクチコミ排除できますよ」 と勧誘した事を店に暴露され食べログ運営のカカクコムが店に抗議を行う:ハムスター速報
http://b.hatena.ne.jp/entry/hamusoku.com/archives/6388224.html
以下疑われる例。
http://r.tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13091441/
・平均点2.69でありながら、トップに表示されるクチコミはすべて4〜5以上
・トップに表示されるクチコミを書いている人のレビュー数は全員が10件程度で、誰一人プロフィール記載なし
・その10件程度のレビューを書いた日付に偏りがある(投稿された10件のうち5件が8/5、この店をいれた残り5件が8/26など)
最近この店にいって、いいのは立地だけだと感じたのでこうしていぶかしんだわけですが。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
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戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
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■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
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ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
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我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
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旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
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金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
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戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
お前らだって金の卵世代のやっかいになってるだろwとか言われたら確かに今の若者は金の卵世代の恩恵は享受してるけど、金の卵世代も少なからずその前の戦前世代の恩恵を享受してきたわけで、もう少し前には高等遊民なんてのもいた。むしろ先人の遺産を分け合っているようなもんだと思う。戦前視点で見たら金の卵もヒッピーもニートも当時の愚かさではそう変わらないはず。若者は社会の鏡なんてよく言われるけど。
現在の日本の高齢者というのは、「金の卵」世代といって日本が好景気で(慢性的な人材不足で仕事も有り余っていました)何の苦労もせずに就職できた世代なんです。団塊世代という名称の方々が若者だった時代、こう呼ばれていました。
■金の卵世代: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E3%81%AE%E5%8D%B5
周知の通り、彼らは今では考えられないくらいのボーナスを、退職金を、年金を享受しているのです。それはもう、現在の若者達には味わえないんですよね。もちろん価値観も時代も違うでしょうから一概には言えませんが、それでも事実上、世代間の貧富差は顕著に表れているのです。
金玉世代を支えるために若者が毎年嵩む負担を課せられている現状を直視してみていただきたい。街の空き地を、自然を、外で遊ぶ場所を取り上げて、幼少期から塾に通わせ、マニュアル通りに生きて人間的な何の楽しみも味わえず恐慌に放り込まれ、自殺してゆく若者達。我々は見ていられないのです、あまりにも可愛そうだと思うのです。
自分の事しか関心が無かった金玉世代に子どものことをとやかく言える資格などないと、我々はそう思っています。テレビを受動的に40年も見て育てば、あのような親になるのもしょうがないのでしょう。思い出して下さい。「戦前」世代が何と言っていたか。戦前世代「センゴ(金玉世代)はいまに報いを受けますよ」。
戦前世代の予言通りの状態になりました。突然死、怪死、孤独死、早死、この傾向が金玉世代に現れています。良いじゃないですか、それを反面教師にして若者は育てば良いのです。嘆いていてもストレスで寿命を縮めるだけですよ。お年を召された方は特に。金玉世代はそろそろ墓石を新調し仏塔にでも参られるのがよろしいかと思います。
ご存じでしょうね、1960年代の若者に起こった全世界的な現象を。「ヒッピー」です。
■ヒッピー: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC
我々は現在の若者を「第二次ヒッピー」と推定しています。世界的な現象なんですよ、日本もそうです。1960年代の若者(現在の大人)と違って現在の若者は大麻もやらなければタバコも吸わなくなっていますよ。彼らが車に乗らず化石燃料の消費量を落としてくれている現実を一度だって鑑みたことがありますか。
これらは彼らが旧世代より聡明になりつつある証拠だと思っています。大量消費社会に翻弄され洗脳された大人を見て、社会システムに危機感を持ち、能動的就職ストライキを起こしている若者をなぜ励まさないのですか?哲学者のフリードマンやフーコーが心配していた問題を、彼らなりに解決しようとしている状況にまだ気づきませんか。
旧世代が自覚せず自己本位に生きてきた結果が今、社会に露呈しているのです。東京電力、九州電力はその良くも悪い見本でしょうね。旧世代を責める気はありません、長くはない寿命ですから大切にしていただきたい。ただ、若者自身の人生を賭けた社会運動を口だけで批難している小狡い嫌がらせは止めていただきたい。1960年代のヒッピー現象がフランスで「構造主義」を生んだことは勿論ご存じでしょうね。若者文化を語るのなら我々と同程度は学んでいるはずです。ヒッピー無くして今日の国際社会は存在し得なかったということです。国際社会の未来を切り開く第二次ヒッピーの評価について今一度再考願いたいと思います。芽を潰すのではなく、まずは、彼らの可能性と未来について、もちろん責任もあるでしょう、相互理解が大事ですよ。話はそれからです。
応援されたら頑張ってみようかと思うのが人間でしょう。
今のように「お前らなんて駄目な奴だ」なんて言われてたら、何も意欲なんか起きないでしょう。
俺のいう事が正しいんだぜ?って多数決での結果がコレなら、あんたのいう事が多数決になった時はまた別の問題を繰り返すよ。
俺が正しいってんでその通りやって、その正しさが通るなら、世の中はとっくに平和になっています。
景気〜不景気、秩序と混乱、それらを繰り返すのが当たり前。こうやったら正しい世の中になるって考えこそが間違ってる。世の中はそうやって常に間違ってきた。
イヤイヤそうじゃない、というのなら言う事を聞くやつ以外は、全員殺さなきゃいかん。
金の卵だって、田舎にいられないから都会に叩き出された次男三男ばかり。そいつらが最初から幸福だったわけじゃないよ。
いわゆるニートだって、可哀想に言われているが、働かなくても暮らしていけるんだから幸せなもんだよ。
今の若者だって幸せだよ。学校や会社で殴られたりしないんだろ?喰うに困る事はないんだろ?生活の為に売春しなくていいだろ?
ジジイどもなんてどうあったってもうちょっとすれば死ぬ。若者はどうあっても50年は生きる。どう考えても若者の勝ちだよ。これから社会を作って行くのも若者なんだし。
キャッシュだけでも有罪にできるように法改正されていた。ということは、著作物を買う資力の無い者でも、大量の著作物を保有・公開できるわけで、それをターゲットにしたビジネスが可能になる。
1)時代遅れのコンテンツを抱え込んだコンテンツ会社の株式を第三者割り当てで脱税したい人に売り、事実上のオーナーにする。
2)自己破産予定の人を用意する。
3)コンテンツをP2Pネットワークに流し、自己破産予定の連中にキャッシュさせる。
4)密告してガサ入れしてもらい、有罪が確定した後で、莫大な額の民事損害賠償を起こす。
5)自己破産予定の連中は欠席し、被告欠席の為原告の言い分が丸ごと通る。
6)判決が確定した後で、自己破産予定の連中に自己破産させる。
8)旧経営陣は責任を取って辞任、繰越欠損金を抱え込んだコンテンツ会社のオーナーを脱税したい人に書き換える。
9)7年後、繰越欠損金が償却し終わったら、コンテンツ会社を買い戻し、1)に戻る。
コンテンツ会社の売買は必要無いように見えるが、理不尽な額の民事損害賠償を起こすという悪名を金持ちが被るのは、世間体が悪いし、理不尽な額の民事損害賠償が確定すると、著作者に対しても配分しろという圧力が加わるので、それを踏み倒す為に、会社が破綻して身売りをしたという外形を整える必要がある為である。お金の世界は、お金持ちの人が自分でやると世間体が悪かったり前科が付いてしまうような事を、貧乏人を高給で雇って身代わりにやらせる世界である。
この手法では、会社を実質的に譲渡してから繰越欠損金が発生するので、租税回避にはならない。コンテンツは、動画でも写真集でもコミックでも、何でも良く、古いコンテンツは売れないゴミだったのに、この法改正で金の卵になったわけである。しかも、現行法では初公表後50年間の権利が保障されているから、最初の仕込みに1年かけて7回転させて49年間というスケジュールも可能になる。もう、コンテンツから儲ける必用は無い。その内容がどんなにくだらなく、売れる見込みが無くても、著作物でさえあれば、脱税の道具として使えるのである。売り上げの為に、無理してポルノコミックやポルノDVDを作る必用は無くなったのである。脱税したい人と自己破産予定者を探す能力さえあれば、コンテンツ会社の売り物はいくらでもあるので、美味しいシノギになる。
著作権法は、文化の発展に寄与することを目的としていた筈なのに、著作者よりも著作権者の言い分を聞いている為に、文化とは無関係な方向に発展させてしまっているのであった。
一番最初の公開者が権利関係を処理していると判断するのが消尽理論であり、ネット上に出ているコンテンツは、一番最初の公開者によって、その公開方法における権利関係が処理されている筈というのが当然の結論となる。権利が処理されていないという主張をするのであれば、ネット上において公開されているデータと、権利の対象となっているデータとが同一である事を証明する必要があるが、この証明の為には、権利の対象となっているデータを公開しなければならないし、訴人がオリジナルであり権利者であることを証明しなければならない。それには、ネットでの公開や継続して新作を発表し続けているという実績が必要となる。それらを裁判所が判定するというのであれば、裁判所は、オリジナリティの判断や、権利の対象となっているデータが公衆の要求を満たすだけの複製が公開されている事を最初に判定しなければならないとなる。
現代において、ネットによらずに公衆の要求を満たすだけの複製を公開する事はナンセンスであり、ネット上で無制限無条件の公開をしていない以上、公衆の要求を満たしていない著作物であると判定する事になるのだが、さて、裁判所にそこまでの判断を下せるであろうか。民事裁判は、損害賠償金を確定させる事が目的の連中しか出てこないから、民事で判例を作るというのは通用しない。
俺は「ディーラーは(仮にできても)作為しないよ」と主張してるのであって「客に味方するよ」と言っているわけじゃない。
だから君に「客の味方説は変だ」と言われても、そんなこと言ってないとしか答えようがないんだけど。
店の判断としてその客の大勝を許さないなら「負かせ」って指示が来る
ここらへんが話が通じない原因かな。
たぶん君は、ヤクザがやってるようなアングラカジノとか、フィクションに出てくる昔あったような悪徳カジノなんかを思い浮かべてるんだろうね。
そんな指示来ないから!
まず、先に書いたようにカジノのゲームはカジノ側が確率的に有利になるようなルール設定がなされている。
大数の法則により、多くの人が数多くプレーすることでカジノ側の儲けは確実なものとなる。
ひとりの客が大勝ちしたからって、そんなのはよくある一時的な損失にすぎない。
その客がまた遊びにきてくれるなら、そのお金は確率的に有利なカジノ側にそのうち戻ってくるんだから。
そして、また遊びにきてもらうために『コンプ』というものがある。
コンプとは要するに常連客に対する、または常連客になってもらうためのサービスのこと。
たしか申告して受け付けてもらう必要があったはずだけど、勝ち負け問わず、数多くプレーすればするほど、いい待遇をしてもらえる。
宿泊費や食事をタダにしたり、帰りの航空費を負担したり、そのホテルで行われるショーのチケットがもらえたりもする。
そうやって、何度も自分のとこのカジノに足を運んでもらえばそれでいい。
シャレにならないつーか男との接点がない女は金を落とさないんだよね。今でこそおひとりさまブームで一人でもでかい顔できるようになったけど、基本的に女は稼げないような社会の仕組みになってる。
だから金を落とさない。
さらに干物女は外見とかも適当。化粧品や服飾なんかでも金を落とさない。旅行にも行かないからそっちの需要も見込めない。
ぱっとみそこそこでない女に男は金を出さない。
よって干物女の周りでは金が動かない。
その点草食系男子つうのは一応男なので、出世レースには出られるし、女に興味なくても仕事ができれば金は稼げる。そういう男は消費をする。趣味とか、食事とか、無難な服装とか、ゲームとか、オタとか。だからメディアは群がる。金の卵だからね。女に金を出さない男は自分のために金を使う。今までにはなかったところに金の流れができる。そうやって経済は回る。
消費をしないやつは「シャレにならない」ってことにしとかないと経済が停滞しちゃうんだよな。そういう単純なことでしょ。
俺もまがりなりに、部下を持ち、後輩というか新卒を教育する立場になってしまった。今現在、二人の新卒君を指導しているけれど、この二人の性格というか個性の差によって、「この新人は、モノにならんなー」と思ってしまう。その理由の様なモノに思い至った。自分の日記に書くと、ウチの新卒がショックを受けてはイカンので、ここに書く。
新卒君/さんの参考になれば幸いだ。
駅弁理系大卒、7年目のシニア・エンジニア。これで年収800位出す規模の会社勤務(小さくはないが、世界的には大手でもない)
新人ども。
この二人に対する現在の俺の評価は、Aくんがマイナス、Bくんがプラスだ。
技能で言えばA君の方が多少はいいかもしれない。そりゃ留学までして、専門知識を厳しい環境で学んだ訳だから、多少は出来なきゃ意味がないだろうし、日本の大学の温い環境でやってきたB君は線形代数や微分積分すら、マトモに理解してない。アドバンテージは、断然A君な訳だ。しかし、実際にはAくんに対して俺は「この子はモノにならんかもしれん」と思っている。
何が違うか?
これは教育の立場に立った人間に共通する認識だと思うが、質問者が質問してきた時の質問の仕方で『どの程度まで自力で調べてきて』『今何を考えていて』『どうして詰まっているのか』まで、だいたい分かっている。質問するまでに掛かった時間も参考になる。かつて自分が通ってきた道だからでもあるし、何を理解して欲しいか?というテーマも持っているから、最初から辿らせたい道筋も知っているからでもあるけど、とにかく分かる訳だ。
で、この場合。A君は明らかに、それほど苦しむ事無く質問をして来ていて、B君はかなりいいところまで練りこんでから質問をして来ている。そんな訳で、思考力や問題への接し方の差で評価に差が出ている。決して、技術力や知識での評価ではない。むしろ、もっと根源的なもんだ。
ここで俺がA君に望むこととはなんだろうか?と言う事を書いてみる。
ということ。漠然としてるかな?
具体的に言うと、二人の質問の仕方が決定的に違うのは、A君は「正解を知りたがる」けど、B君は「自分の何がおかしいか?を知りたがる」ということに現れているってことで、俺はA君にはB君の様に考えて欲しいわけです。これで概ね俺の言いたいことが分かったんじゃないか?と思うけど、どうですか?
更に掘り下げていきますと。
A君は端的に言うと「ここのページを見てみたんですけど、こうなるはずなのに駄目でした。どうすればいいですか?」と来る。
B君は「こんな方法をこうしてみたくて使ってみたんですが駄目でした。何が駄目なんでしょうか?」と来る。
二人とも答えを知りたがっていることに差はないし、またアプローチの仕方に大差がある訳でもないのだけど、圧倒的に違うのは思考の道程だと言う事がこの質問から伝わって来ると思う。A君に正解を教えても、自分が間違った理由を知って正解を覚えるだけで終わるが、B君は自分の考え方のどこに足りないものがあったかを理解して、正解への道筋と失敗の間に横たわる溝を知る。
これが何年か積み重なった時、どうなるだろう?
おそらく、A君はB君の部下として仕事を進めることになるだろうな。
という訳で、新人がすべきことというのは単純だと思うし、必要以上に仕事や先輩を恐れる必要もないと思う。今、現時点で君たちが持っている様な知識なんか、俺らからしたら目くそ鼻くそで大差なんかないし、何も知らなくて当然としか思ってない。また、俺の知ってることを知ってる事なんか、まるで期待してない。ただ、「3年後に自分と同じレベルの目線で、問題を捉えて、アプローチできる素養があるか?」どうかを、期待してるだけだ。そして、それは普段から考え方を改める事で、対応できるレベルの事だと思う。
職場で失敗続きで、鬱になりかけてる若い諸君に、一言だけ言いたい。
【君が出来ない事はまるで怒ってない。君が「なぜ自分が出来ないのか?」を考えてない事に怒ってるんだよ。】
今がどうあれ、自分の間違いや失敗の理由を考え始めて行動しはじめたときには、先輩や上司は君を見る目をはっきりと変えて、それから何度でも手を差し伸べるはずだ。頑張ってくれたまえーー。俺もさっさと楽になりたいんだからさw
http://www.asahi.com/culture/update/0113/TKY201001120503.html
いよいよ大手出版社が紙媒体からデジタル媒体に移行するらしい。
「今年は電子書籍元年」とも言われてるとのこと。
このニュースの中で気になるのは以下の部分。
大手出版社幹部は「アマゾンが著作者に直接交渉して電子書籍市場の出版権を得れば、その作品を最初に本として刊行した出版社は何もできない」と語る。
マガジンがデジタル化してもジャンプは文句言えないことになる。
なぜ今までこういうことが起きなかったのか?
漫画もそうだが文章の場合、出版社に所属する編集者の校正作業が入っているはずだが
その著作権はどうなるのだろう?
中にはほとんど編集者が共著とも言える程、赤入れしてるケースもあるだろうし、
本当か嘘かは分からないが、ゴーストライターが書いてる芸能人本もあるだろう。
もっと複雑な裏があるような気がする。
手を出さないでほしいと思ってるのではないだろうか?
Amazonが独占して発行することは阻止できたとしても、
作家本人が専属スタッフを雇うか、Amazonが社内に編集部をつくるか、
もしくは外注に依頼することになるか。