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はてなキーワード: 演繹とは

2024-04-23

  数学教科書を書くときに私が知っている限り5つあります

     定義 原理 公式 定理 証明

   この際、 公式定理区別するのは非常に難しい。 sin加法定理については、定理とも言われているし、公式とも言われている。私の解釈ですが、 定理として発見されたとき定理と言われて

  いたが、存在するのが当たり前になって、他の技術に頻用されるようになったものは、定理ではなく、公式と言っているように思いますセンター試験では、 sin加法定理は、出るから公式から暗記しろ

  と言われるときに、確かに美しいがそんなのは当たり前だから公式だと言われていると思う。 もっと原初的のは、sin cos の定義をして、三平方の定理によって sin^2+cos^2=1は、 定義から

   ただちに演繹されるので、公式だと言われる。

2024-04-12

     要するにあたいはここで、偉そうなことを言っているわけではないのである法学部にはなんの実益があるのか、もしくは、何が興味深いか学生が集まるのかというそういう当たり前

  の議論をしているのである面白くなければ学生が集まるはずがないかである。有名な法学入門では、法律は、専門的で技術的なものである、としか書いていない。確かに数学でも、

    現代数学は間違いなく、初等数学に比べて、 専門的であろう。 しかし、技術的かどうかでいうならば、初等数学証明技術であるので、初等数学は専門的ではないが、

  現代数学は専門的である。ある楕円関数有理格子点を通るか通らないかの判定には初等分野では理論がない。従って、複素関数など話が専門的になってくる。

   東大法学部法学者の佐藤美男によれば、法律は作って使うものから数学とは違うと述べる一方で、数学との関係性は何も述べない。 逆に、法は、警察官によって強制される暴力装置

  であり、警察官が出て来ること自体驚愕であるとか、驚愕は半分くらいでいい・・・などといった抽象的なことしか述べない。逆に、数学では、偉大な定理ほとんどの美が驚愕の一要素から出ている

  とか、証明の中には、一見無関係定理から演繹される驚愕的な証明があるなど、「魅力的なネタバラシ」が大量にある。それに比べて、法学者の佐藤美男は、実務法律学における、

   立法技術解釈技術解釈学について、何一つネタ晴らしをしない。このような経緯では、大声をあげて怒鳴られるだけで、誰一人、法律学や数学勉強をしてこなかったのも当然である・・・。    

2024-04-06

  美(哲学):  一見無関係有益な真理同士が結合していて立派であること。  パイロットの操縦能力飛行機が結合し、一定の場所まで到達すること。

   真理(哲学):  深いところにおさまっているもので、有益有用もの

   数学の美:  一見無関係数学上のよく考えられる事柄の間に、一定関係が成立していること。

            例: 円周上の 0~nまでの番号の点をとって、適当な条件をつけた弦の配置の個数を M

                 x+y≦n なる、 互いに素なx、yの個数を N

               とすると、 M=N+1 が成立する。           証明は困難。

   証明の美 :  一見無関係な既知の定理から結論演繹されること。    例: パスカル定理適用すると証明できる。

2024-04-05

anond:20240405125107

中国共産党公式発表を出している。

と。

文革の誤りを認めるなら、当然の論理的帰結として共産党支配体制のものを問い直すことに繋がるはず」

......というのは自由な国で暮らす者の発想であって

権威主義体制においては公式発表が全てなんやね。字面上それに沿ってればOK、外れてたらNG。そこから演繹して勝手なこと考えてはならない。

言論を縛るということはモノの考え方にも枠をはめていくってことだから

2024-04-04

anond:20240404082847

英文法は難しくないよ

でも言語って本来帰納で覚えるから文法という演繹で攻めようとするとうまくいかないってのはある

2024-03-25

  蓮根小雪に入ったときが分からいから分からないという他ない。分かったら苦労はない。なぜ分からいか?記録が何もないかである。頭の中にそれを出す手段が分からないのに

  どうやって結論演繹してこれるのか。出来るわけがない。

2024-03-24

でも、性自認ってよくわからなくない?

はてブトップに上がってたこ記事

https://www.sankei.com/article/20240324-2PWOH4565RKCVKFLAV2GC5BQKQ/

かに、内容はかなりアレなのだけど、ブコメを見ると、多くの人が「性自認」という概念理解できているようで驚いた。

私は前に新書か何かで解説を読んだが、正直なところよくわからなかった。

そこで、性自認理解した顔してる人たちも実はわかってないでしょと、わからせたい。

まず、性自認とは何か。先を読み進める前に一度自分言葉定義を考えてみてほしい。

多くの人は、「自分の性をどう認識しているか」という感じのことを考えたのではないか

これは実際、一般的説明でしばしば用いられる定義だと思う。少し大雑把すぎるかもしれないけれども、ここではこの定義採用する。

まず「生物学性別」と「性的指向」について思い出しておく。生物学性別とはその名の通り遺伝子レベルでの性別で、性的指向とはどの性別性的対象とする(もしくはしない)かである。ここで極めて重要な点だが、性自認一般的理解において、生物学性別性的指向とは独立にとりうるとされている。例えば、生物学性別男性で、性的指向女性に向いている場合に、性自認男性ストレート異性愛者)、女性トランスジェンダー同性愛者)の二つの場合がありうるということだ。

ここからが本題。性自認生物学性別性的指向から切り離して定義することは、本当に可能だろうか(常に切り離せる必要はないが、独立に取りうるということは切り離せる場合があるということだ)。もし可能だとすれば、どのようにして自分性自認を定めるのだろうか。例えば私の場合は、生物学的に男性性的対象女性から自分ストレート男性認識している。つまり性自認として独立した認識があるわけではなく、単に演繹的に導いた結果だ。こう書くと、「トランスジェンダーレズビアンである可能性を無意識下で排除したことこそが性自認独立して存在しうる証左だ」という主張をする人もいるかもしれないが、しかしそのような排除は恐らく私がマジョリティ異性愛規範に染まっているからに過ぎない。要するに「常識」に盲目的に従ってしまっただけだ。もし誰かにあなたトランスジェンダーレズビアンかもしれない」と言われたら、正直なところ私は反論する言葉を持たない(というか、区別する意味が分からないのでどっちでもいい)。まとめると、私にとって性自認というのは強いて答えようとすれば答えられるなんとなくの根拠しか持たないものだ。そして性自認という概念個人の内的な経験によってのみ基礎づけられている以上、確固とした性自認感覚を持たない私にはあやふや理解しか持ち得ないのでないか

そして私は、この事情ほとんどのストレートの人にとっても同じではないかと言いたい。自分ストレート異性愛者かトランスジェンダー同性愛者かを区別する確固とした根拠があるだろうか。念の為注意しておくと、そのような確固とした根拠があるはずがない、ということを言いたいのではない。トランスジェンダー当事者にはそういった感覚(というよりも強い齟齬感覚)があるということは知識としては知っており、それを否定するつもりはない。ただ私を含むマジョリティであるストレートの人のほとんどは性自認という概念を捉えることができないことを認める必要があるのではないか。そして、もしよくわからないことを認めるのだとしたら、性自認学校で教えることに対する反対意見に対し、知った顔で小馬鹿にした態度を取るのは、やめた方がいいのではないか記事に対する批判自体否定しているわけではない)。

そして最後に少し本音を言うと、このような個人感覚のみに基礎を置く概念をもてはやすことはアイデンティティポリティクス跋扈を許す危険な道なのではないか

分かってるのに正しく読めない漢字

軒並み けんなみ

市井 しい

造詣 ぞうし

所謂 しょせん

嫡子 てきし

続柄 ぞくがら

演繹 えんたく

言語 ごんご

謀反 ぼうはん

全部意味も正しい読み方も分かってるのに頭の中で読むときに間違ってしま

多分一回間違えて覚えてからずっとそれで覚えてるんだろうな

人前で言っちゃったらどうしよ けんなみとかめっちゃ恥ずかしいだろうな

2024-03-13

anond:20240313174505

まず君の言ってる研究ってどの論文

https://dash.harvard.edu/bitstream/handle/1/11129154/Reinhart_Rogoff_Growth_in_a_Time_of_Debt_2010.pdf

https://peri.umass.edu/images/WP322.pdf

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022199615000690

ググっても債務残高と経済成長率の関係のものしか出てこないんやけど。

それこそがまさにcrowding outなのですが

まああとネルギー保存則が破られないように原理的にありえないことは演繹的に否定可能だよ。

エネルギー保存の法則デカルトライプニッツ17世紀提唱して、20世紀アインシュタインに至るまで300年の時間をかけて「法則」になりました。

その間多くの科学者実験研究を行いデータに基づき築きあげた物です。

一方MMT現代貨幣理論」です。

そもそも民間銀行プールしている現金を貸し出してるわけではなく預金通貨信用創造して貸し出してるので貸出自体には資金必要がないため資金が逼迫して金利が上昇するわけがない。

民間銀行国債を購入した場合予算が消化されると最終的には民間銀行の講座に購入分の金額が返ってくる上に中央銀行民間銀行資金供給可能なので資金の不足は人為的に解消可能

よってクラウディングアウトが発生しないという主張は、循環論法に見えます



私の見解としてはMMTの主張する「crowding outは発生しない」という理論は納得ができないです。

「crowding outは発生しない」を証明するなら「crowding outは発生する」と主張する先行研究反証を挙げるのが科学です。

データを基にした先行研究に対して正面からデータで挑戦するのではなく、「人間最後の審判で甦る、なぜなら神は存在するからだ」と反証不可能な前提に基づいて反論するのは科学ではありません。

クルーグマンが言うように「MMT論者は理論検証できない状態意図的に作り出している」のではないかと思えます

>Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.

anond:20240313172512

まず君の言ってる研究ってどの論文

ググっても債務残高と経済成長率の関係のものしか出てこないんやけど。

データに基づきとか言ってるが経済みたいな複雑系を扱う分野で因果関係推定するのってかなり難易度高そうやけどその研究はどうなんかな。

まああとエネルギー保存則が破られないように原理的にありえないことは演繹的に否定可能だよ、永久機関否定するのにデータを取る必要はない。

万年筆マネー信用創造説明に関しては金融機関では常識レベルのことという話がチラチラ記事に出てくるがまあそんなこと言っても仕方ないか

次の国会質疑のページの信用創造検索して安藤議員藤田参考人日本銀行企画局審議役)とのやり取り読めばいいんじゃない

https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/000220020191023002.htm

まああとイングランド銀行信用創造に関する説明のものとか。親切な翻訳してくれてる人がいたわ。

https://www.fukurou.win/https-www-fukurou-win-bank-of-england-quarterly-bulletin2014-money-creation-in-the-modern-economy1/

これで信用創造説明とそこから導出されるクラウディングアウト否定帰結を信用出来ないならこれ以上の説明は無理やわ。

anond:20240313171352

なのでクラウディングアウトは発生しない。

Reinhart and Rogoff(2010)、Herdon Ash and Pollin(2013)、Eberhardt and Presbitero (2015)等では1960年から2012年データに基づきクラウディングアウトが発生することを示しています

実際に観測された数値に基づいた研究であり、事実帰納的にまとめたものです。

一方MMTでは理論が先にあって、理論から演繹的に主張が生まれているように見えます

ですのでMMTはこういう理論なのでクラウディングアウトは発生しませんと主張されても受け入れがたいです。

地動説を唱えるならば、データに基づいて天動説矛盾証明する必要があると思います

2024-03-06

anond:20240306202442

経験科学と言って、基本的科学経験帰納)に基づくんだよ。

もちろんアインシュタイン演繹的に理論を導き出すかもしれないが、それを実証する基本は「経験」。LIGOとかもね。

2024-03-02

anond:20240302220403

から自身左翼思想を持っていると自認してる。

ただ伝統文化を守るべきとも思っているし、日本日本人を尊重すべきとも思っている。

世界科学で解明するという進歩主義に基づいていた場合も、「演繹的に」日本批判が出てくるわけではないと思うよ。

2024-02-21

[] 数学は量子物理学と同様に観察者問題がある

量子力学における観測問題についてはよく知られるように、人間主観性が量子実験の結果に重要役割果たしている。

ドイツ物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクによる有名な引用がある。

私たちが観察するのは現実のものではなく、私たち質問方法さらされた現実です。」

例えば有名なダブルスリット実験では、スリットの後ろに検出器を置かなければ電子は波として現れるが、検出器を置くと粒子として表示される。

したがって実験プロトコル選択は、観察する行動パターンに影響する。これにより、一人称視点物理学の不可欠な部分になる。

さて、数学にも一人称視点余地はあるか。一見すると、答えは「いいえ」のように見える。

ヒルベルトが言ったように、数学は「信頼性真実の模範」のようである

それはすべての科学の中で最も客観的であり、数学者は数学的真理の確実性と時代を超越した性質に誇りを持っている。

ピタゴラスが生きていなかったら、他の誰かが同じ定理発見しただろう。

さら定理は、発見時と同じように、今日の誰にとっても同じことを意味し、文化、育成、宗教性別、肌の色に関係なく、今から2,500年後にすべての人に同じ意味があると言える。

さて、ピタゴラス定理は、平面上のユークリッド幾何学の枠組みに保持される直角三角形に関する数学声明であるしかし、ピタゴラス定理は、非ユークリッド幾何学の枠組みでは真実ではない。

何が起こっているのか?

この質問に答えるには、数学定理証明することの意味をより詳しく調べる必要がある。

定理真空中には存在しない。数学者が正式システムと呼ぶもの存在する。正式システムには、独自正式言語付属している。

まりアルファベット単語文法は、意味があると考えられる文章を構築することを可能にする。

ユークリッド幾何学正式システムの一例である

その言語には、「点」や「線」などの単語と、「点pは線Lに属する」などの文章が含まれる。

次に正式システムのすべての文のうち、有効または真実である規定した文を区別する。これらは定理である

それらは2つのステップで構築されれる。まず、最初定理証明なしで有効である宣言する定理選択する必要がある。これらは公理と呼ばれる。

これらは正式システムの種を構成する。

公理から演繹は、すべての数学コンピュータで実行可能な印象を生む。しかし、その印象は間違っている。

公理選択されると、正式システム定理構成するもの曖昧さがないのは事実である

これは実際にコンピュータプログラムできる客観的な部分である

例えば平面のユークリッド幾何学と球の非ユークリッド幾何学は、5つの公理のうちの1つだけで異なる。他の4つは同じである

しかしこの1つの公理(有名な「ユークリッドの5番目の仮定」)はすべてを変える。

ユークリッド幾何学定理は、非ユークリッド幾何学定理ではなく、その逆も同様。

数学者はどのように公理を選ぶのか。

ユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学場合、答えは明確である。これは、単に説明したいもの対応している。

平面の幾何学であれば前者。球の幾何学であれば後者

数学は広大であり、どのように公理選択するかという問題は、数学の基礎に深く行くと、はるかに感動的になる。

過去100年間、数学集合論に基づいてきた。

すべての数学オブジェクトは、いくつかの追加構造を備えたセットと呼ばれるものであるということだ。

たとえば自然数のセット1,2,3,4,...は加算と乗算の演算を備えている。

一般的なセットとは、数学で正しく定義されたことがない。

集合論特定正式システムによって記述される。Ernst ZermeloとAbraham Fraenkelと、選択公理と呼ばれる公理の1つに敬意を表して、ZFCと呼ばれる。

今日数学者は、すべての数学を支える集合論正式システムとしてZFCを受け入れている。

しかし、自分自身を有限主義者と呼ぶ少数の数学者がいる。

彼らは、無限公理と呼ばれるZFCの公理の1つを含めることを拒否する。

言い換えれば、有限主義者正式システムは、無限公理のないZFCである

無限大の公理は、自然数の集合1,2,3,4,...が存在すると述べている。すべての自然数に対してより大きな数があるという声明(「ポテンシャル無限大」と呼ばれる)よりもはるかに強い声明である

有限主義者は、自然数リストは決して終わらないことに同意するが、いつでも自然数の集合の有限の部分集合のみを考慮することに限定する。

彼らは一度にまとめたすべての自然数の合計が実在することを受け入れることを拒否する。

したがって、彼らはZFCから無限公理を削除する。

この公理を取り除くと、有限主義者証明できる定理はかなり少なくなる。

正式システム判断し、どちらを選択するかを決定することができるいくつかの客観的基準...なんてものはない。

主観的には、選ぶのは簡単である

時間空間を超越した何かを象徴しているので無限大が大好きだ」と言えば無限大の公理を受け入れることができる。

ゲーデルの第二不完全性定理は、十分に洗練された正式システム(ZFC等)は、自身一貫性証明することができないと述べている。

数学者は、今日のすべての数学の基礎であるZFCが確固たる基盤にあるかどうかを実際に知らない。

そしておそらく、決して知ることはない。

なぜなら、ゲーデルの第二の不完全性定理によって、より多くの公理を追加することによってZFCから得られた「より大きな」正式システムにおけるZFCの一貫性証明することしかできなかったから。

一貫性証明する唯一の方法は、さらに大きな正式システム作成することだけだ。

数学を行うためにどの公理選択すべきかについて、実際には客観的基準がないことを示唆している。

要するに、数学者が主観的に選んでいるというわけである自由意志に任せて。

公理のための主観的基準というのは、より豊かで、より多様で、より実りある数学に導くものを選ぶという人は多い。

これは自然主義と呼ぶ哲学者ペネロペ・マディが提唱する立場に近い。

自分自身制限する必要がないので、無限公理を受け入れる。

特定公理のセットを選択する行為は、量子物理学特定実験を設定する行為に似ている。

それには固有の選択肢があり、観察者を絵に導く。

これが、一人称視点とそれに伴う自由数学において正当な場所を取る方法である

男性24時間消えたらあなたは何をする?

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/front-row.jp/_ct/17640083

大半は「女性にとってそのくらい男性って怖いものなんですよ」っていう意見

そこにちらほらと「そうは言っても、完全に安全にはならんのと違う?」っていう意見が混じって不興を買っている。

 

この両者は対立する概念でもなんでもない。角度が違うだけで見ているものは同じだ。両立しうる。

後者は「前よりは安全世界かもしれないけど、それを理想郷のように捉えるのは楽観的すぎませんか」という話をしているに過ぎない。

男性24時間消えたら世の中はどうなるかという仮定」を純粋思考実験と捉え、結果をまじめに演繹分析し、メリットがある一方でデメリットもあるかもよと摘示しているだけだ。

しかし多くの女性はそれを「男の側の見苦しい抗弁」と捉えた。全肯定以外は否定とみなすこうしたメンタリティ、男の目からはとても見慣れたものである

 

男性24時間消えたら男性から女性への脅威はたしかに消えるだろう。それは間違いない。

だがその脅威は、大半の男性にとっては本来無関係ものだ。自分は関与していないのだから

格差も、犯罪率も、ただ男性として生まれ善人として生きているだけの自分にはどうしようもない。「そこにいるだけで怖い」と言われているようなものだ。どうしろと言うのだ。

 

さて、男はなぜこういう提言に苛立ちを覚えるのだろう?

その答えは、「提言のように見えて提言ではない」からだ。

ブクマ記事は実は提言ではない。女の人はみんなこう言ってます、というだけだ。これが女の人の気持ち。「だから男性はああしなさいこうしなさい」とは書かれていない。しかし男はそこに「お前らがどうにかしろ」という圧力を感じてしまうのだ。そういう生き物なのだ

 

「夜道が怖い女性気持ちをわかれ」とだけ言われて男に何ができる?

女性同士なら、「男がいなきゃ夜道も安心なのにね~!」「そうだね~!」で共感が生まれ共通感情確認し合うことで心の中で何かが解決するのかもしれない。知らんけど。

だが男は違う。男は女から「男がいる世界は夜道が怖い」と言われたら、その課題解決する責務を負わされ何らかのアクションを暗に求められていると受け取る。

何とかしろと言われていると受け取る。今もなお夜道が怖いのは、女性立場をわかっていながら無為無策であるお前たち男全員のせいだと言われているように感じる。どうしろと言うのだ。

 

まり男に対して「わかってください」と言えば、文字通りの意味ではなく、「何かのアクションをしてください」と受け取る男が多いのだ。

夜道が怖いことなんて本質的に「わかってやる」ことくらいしかできない。逆に、大半の善良な男に何ができる?

たとえば、自分子供のできなかった四十過ぎの夫婦だとして、もし赤の他人から少子化問題についてくどくど文句を言われたどう思う? 知らんがな、それを俺たちに言うな、と思うだろう。責任の一端はあるかもしれないが自分にはどうしようもない。

こんな男の気持ち、わかってもらえるかな?

2024-02-18

anond:20240218011643

日能研に通わせてるワイの雑感。

テキストが回りくどい。ノイズが多い。

回りくどいという部分は、演繹的な説明を尽くしているという結果でそれはそれで良いことだし、

ノイズが多いという部分は、様々な気付きを与えうる。

しかし、文章を読み込む力が無い子供には不向き。肝心の部分に到達する前につかれてしまう。

うちの子供の場合公文式のようにシンプルに仕組みと答えのサンプルを示している方が定着がよい。

とはいえ、その路線での進学実績のあるローカル塾、見当たらないんだよなあ。

2024-02-16

anond:20240216160814

結論としては「自明だと納得できるところ以降についてのみ考慮する」が一般的姿勢だと思います

数学とはAを真と仮定した時にBもまた真であることを演繹的に導き、次のCへと繰り返すものなので、Aをどこに設定するかというのは向けている関心がどこなのかによります

もちろん大多数の人が遡らない範囲に着目する研究者もいると思いますが、不完全性定理が示されて以降はごく少数なのでは。

2024-01-29

anond:20240129234732

してるじゃん。増田可能記法上仕方ない面がなくはないが、よほど単純な問題でない限りなぜなぜ分析は一直線にならん。一直線になってるってことは恣意的に取捨選択してる

あと、なぜなぜは論理を積み重ねていくから最初ステップ蓋然性が高いなどという判断事実演繹でなく判断)が入ってるとそのあとのすべてのステップ信頼性が低くなる。なぜなぜのツリーを逆にたどって成立するか確認するという方法があるが、実際それやると完全にアウトでしょ

anond:20240129232100

自分意見蓋然性が高いと思っている内容)と事実演繹的に導かれる内容を含む)を分けて考えてない時点でお察しなんだよな。なぜなぜ分析仕事であまりちゃんと使えてないのではないか心配になってしまう。特性特に最初の方に事実でないことを入れてしまうと結論が大きくずれるんだよ。結論に向けてツリーを作っていくなら別だがそれは分析とは呼べない

2024-01-18

放置子の話見てたらムカついてきた

イッタランドでは親が放置していて他所の親子に依存しようとする子供のことを「放置子」と呼ぶらしい。

放置子のような存在個人救済で対応すると泥沼にはまるのはよく分かる。

でもあまりに、あまり「家族」と「それ以外の人間」に対して愛情スパッと羊羹みたいに切り分けている人が多くて。

放置子も被害者だけど」とか言うけどさ。その子が成人して事件起こしてニュースになったら袋叩きにするんだろう。

なんだか「家族から」みたいな謎の演繹で溢れてくる排他的愛情が心底受け付けない。

まとまらないけど、とにかくムカつく。

2024-01-17

anond:20240117125355

日本人欧米と異なりなにごとも帰納的なものの考え方をするくせに、文法など演繹的な教育をしちゃうから、性にあってなくてダメなのかもしれないね

彼女スペインから帰国子女のため、スペイン語を話せる。チャンスだと思い、自分暇つぶしスペイン語を勉強し始めた。

英語の時は文法単語英文を作るという演繹的なやり方だったため、

今回はスペイン語の日常フレーズ文法単語を学ぶ

というアプローチ勉強している。


この方法メリットは、手っ取り早くコミュニケーションができるということだ。音声ベース学習できるため、早く喋れるようになる。

そして赤子の成長を追体験することで、文法や前置詞の必要性体感でき、文法がすんなり学習できるようになる。

このやり方をすることで「身の回りにあるものの(生理現象も含む)単語」「『疑問文』と『wantのような願望を表す文章』は頻出」ということを学んだ。

かに、赤子は最初「うんちcaca」「おしっこpipi」とか「水agua」とか覚えるもんな。「これなに?」とかいったなになに攻撃も、赤子の特徴だ。

キエロ ベベール アグア」みたいに日常的に使えることを学ぶので定着率もいい。

「ケ エス ○○」みたいに疑問形を使えば答えてくれるが、答える際は平常文なのでそこで単語や平常文の言い方を学べる。

勉強している感も無いのでストレスにならない。そして帰納的に法則を見つけるのが楽しい


同時にネイティブスペイン語の会話を聞いたりして、今はとにかく知ってる単語が聞き取れるかどうかで頑張っている。これでリスニングも上がるといいな。

ある程度行ったら、文法文章を読んで演繹アプローチをしていきたい。

2023-12-30

何が真実かじゃなくて何を根拠とするかの方が大事じゃねえの?

仮に何かを真実だと信じているとして(例えば日中動いているのは太陽ではなく地球だと信じているとして)、

その根拠が示せないなら、何も知らないのと同じことじゃないのか。


「誤った根拠と、正しい推論技法から、偽の命題演繹し、それを信じている」人よりも、「根拠または推論技法を知らないがゆえに、自分証明できない"真なる命題"を信じている」方が狂っているだろう。

「偽の命題から、誤った帰結を、演繹する人」よりも、「正しい根拠と、"誤った演繹"から、真なる命題を導き、信じている」方がよっぽど狂ってるといえるだろう。

フェイクを信じている人が狂っているのではなく、論理的正当化を示せない信念を信じる人の方が狂っているだろう。(たとえその信念が真なる命題であっても)

2023-12-01

微分積分とは、帰納演繹に置き換えることができるのかもしれない。

まりデータから法則を出す営みと、法則からデータを出す営みである

グラフ上にプロットされたデータをいちいち t=1の時x=2, t=2の時x=4 …などと列挙していてはキリがないので、

それらを一つの式 x=2t と表現しているに過ぎない。

この式はデータだったのだ。

ようやく「微分せよ」という表現が何を言わんとしているのか分かった気がする。

これは「データから法則を導け」ということだったのだ。

最初からそう言ってくれればよかった。

そうすれば、勉学で躓くこともなく、周囲の学生たちに劣等感を抱くこともなく、

自分はここにいるべきでない存在と思い詰めることもなく、

自分が将来なりたい目標を考えたうえで進路を選択できたかもしれない。

しかし、そうはならなかった。

勉学で挫折し、不登校に陥り、モラトリアム延長で名前を書ければ入れる専門学校に進み、

その専門学校すら不登校に陥り、主体性喪失したなし崩しの人生を転がるに任せ、

今もなお実家和室の子供部屋で無職の身の上を恥じながら増田を書いている。

微分積分は、ひとりの青年人生挫折させ、暗い谷底に突き落とす力を持っているのだ。

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