はてなキーワード: 還元とは
無敵の人、というのは、
ひろまろさんにとって、悪・人道にもとる犯罪を行う上での言葉上の免罪符なんだと思う。
あえて無敵の人、恐れるものはなにもない、守るべきものはない、と胸を張ることで精神のバランスを取りたいのだろうと思う。
でなければ2ch時代に買った数十万人の恨みに押しつぶされてしまうからね。
たしか娘さんとかもいるようだから、実際は守るべきものが発生してしまって、海外をいくつかアジトにしてるのだと思う。
ただ、得たものは奪われる、という世界の法則からは逃げることはできない。
それはどんな形になるかは誰にもわからないけど。
■
無敵の人問題だけど、今回のケースだと当てはまらないと見ている。
社会的に失うものが何も無いために犯罪を起こすことに何の躊躇もない人を意味する|
これだけを言えば、独身の人で働いていない人が犯す犯罪はほぼ当てはまってしまう。
つまり定義としてはもう一歩踏み込んで、犯罪を行う個人が社会へ逆恨みのようのものを向けた、理解不可能な犯罪であるということを付け加えなければいけない。(つまり秋葉原の加藤はなぜ、職場の人間を殺さず、またネグレクトに近い母親を恨まず、社会へ憎悪を向けたのか)
今回がなぜ当てはまらないかと言えば、罪を犯した人間が、自身に向けられた不条理を生んだ社会へ向けた憎悪ではなく、自身の身内を不幸にした人間を恨んだ犯罪になるからだ。
この無敵の人という語がよかったのは、社会から排除されたりして、接点がなくなり犯を犯すことに躊躇することが無くなった人たちであり
かつ、社会へ逆恨みとも呼べるものを還元する人たちをうまく定義することができたことだろう。
なぜ社会へ向けた不特定多数へ罪を犯すのか、彼らが無敵の人だからだという具合だ。
自身で語を作ったひろゆき自身もそのことにまるで違和感がないみたいだし。
wikipediaを見ると、明確に京都アニメーションへ恨みがあった京都アニメーション放火殺人事件も含まれているし
だからひろゆきもズレに気付かないのか、社会への接点云々を語っているけど、まるでズレているし
もし、社会が彼を抱擁できたとしても、彼は社会へそもそも犯罪行為を行わないだろうし、安倍は死ぬだろう
この語の使い方がこうなってしまったことを擁護するなら、宗教に関連するものが原因であり、社会と宗教には近いものがある点を上げるのと
社会へ与えた影響が、人が亡くなったことの影響が社会へ幅広く伝わり、不特定多数が自分にもダメージがあったという点だろうか
まぁ無敵の人という語は死語みたいなものだったし、マイナーチェンジという形で意味が少し変わり復活したという風に理解するしかないだろうな
無敵の人問題だけど、今回のケースだと当てはまらないと見ている。
これだけを言えば、独身の人で働いていない人が犯す犯罪はほぼ当てはまってしまう。
つまり定義としてはもう一歩踏み込んで、犯罪を行う個人が社会へ逆恨みのようのものを向けた、理解不可能な犯罪であるということを付け加えなければいけない。(つまり秋葉原の加藤はなぜ、職場の人間を殺さず、またネグレクトに近い母親を恨まず、社会へ憎悪を向けたのか)
今回がなぜ当てはまらないかと言えば、罪を犯した人間が、自身に向けられた不条理を生んだ社会へ向けた憎悪ではなく、自身の身内を不幸にした人間を恨んだ犯罪になるからだ。
この無敵の人という語がよかったのは、社会から排除されたりして、接点がなくなり犯を犯すことに躊躇することが無くなった人たちであり
かつ、社会へ逆恨みとも呼べるものを還元する人たちをうまく定義することができたことだろう。
なぜ社会へ向けた不特定多数へ罪を犯すのか、彼らが無敵の人だからだという具合だ。
自身で語を作ったひろゆき自身もそのことにまるで違和感がないみたいだし。
wikipediaを見ると、明確に京都アニメーションへ恨みがあった京都アニメーション放火殺人事件も含まれているし
だからひろゆきもズレに気付かないのか、社会への接点云々を語っているけど、まるでズレているし
もし、社会が彼を抱擁できたとしても、彼は社会へそもそも犯罪行為を行わないだろうし、安倍は死ぬだろう
この語の使い方がこうなってしまったことを擁護するなら、宗教に関連するものが原因であり、社会と宗教には近いものがある点を上げるのと
社会へ与えた影響が、人が亡くなったことの影響が社会へ幅広く伝わり、不特定多数が自分にもダメージがあったという点だろうか
まぁ無敵の人という語は死語みたいなものだったし、マイナーチェンジという形で意味が少し変わり復活したという風に理解するしかないだろうな
安倍晋三官房長官などが統一教会系の「天宙平和連合(UPF)祖国郷土還元日本大会」に祝電を送ったことが話題となっている。総裁選前に、これを政治問題化させようという動きもあるが、過大評価である。安倍氏からの祝電を報じたのは韓国の「世界日報」5月14日付。統一教会系の新聞である。大会は5月後半に国内12か所で開かれており、13日に福岡で行われた集会で安倍氏の祝電が披露された。この「天宙平和連合祖国郷土還元日本大会」は、統一教会の文鮮明教祖と妻の韓鶴子が共同総裁で、合同結婚式の儀式も行われている。霊感商法を行い、最高裁でも違法と認定された合同結婚式を催す統一教会は、反社会的集団だ。
その集会で本人が挨拶したのなら国会でも問題となるだろう。しかし、祝電となると問題はまた違う。国会議員の地元事務所が依頼を受けたならば、祝電を送るかどうかはそこで判断するのが通例だ。結婚式や葬式への電報とほとんど同じ水準の判断だろう。祝電を送った安岡興治元法相の事務所が「出席依頼があったので電報を送った」というレベルのことだ。さらにいえば自分たちの集会に権威を付けたいときには勝手に政治家を装って祝電を送ることさえ行うのが統一教会である。ましてやもし仮に統一教会信者が私設秘書として働いていれば、祝電を送るぐらいは簡単なこと。
わたしは安倍晋三氏と統一教会問題で会話を交わしたことがある。安倍氏は言った。「北朝鮮と統一教会の関係はどうなっていますか」。わたしは北朝鮮の金正日体制と統一教会とが深い関係にあることを伝えた。安倍氏は「そうですよね」とうなずいた。「実は」と彼は統一教会がさかんに接触し、面会を求めてくると語った。「わたしは会わないですよ」と安倍氏は言った。北朝鮮に強硬な立場を取り、しかも有力な総裁候補である安倍氏が、自らの判断であえてこの時期に統一教会系の集会に祝電を打つことはないだろう。
http://www.the-journal.jp/contents/arita/2006/06/post_10.html
富の偏在とか、格差社会が話題になっている。一部の富裕層が、世界中の資産の大半を保持しているという。
その余ったお金はどこにいくのだろうか。有り余ったお金はどこに行くべきなのだろうか。
例えば、人間に無限の食欲があって、お金が余ったら全部食事に使うということが出来るとする。
世界中の資産がすべて食費に向かう、そうなると需要と供給のバランスから、食材価格は高騰して、庶民は食べる事ができなくなってしまう。
けれど、お金持ちだからって、1日100回食べる事はできない。
資産を持っているからといって極端な需要と供給のアンバランスは起きない。
だけど、株を買ったり、不動産を買ったり、金を買ったり、仮想通貨を買う事は、無限にできる
買い続けると、需要と供給のバランスから、本来の価値を超えた価格で取引されるけれど、
庶民が食べる事ができなくなったりという弊害はない。庶民は、株や不動産や金や仮想通貨を変えないだけだ。
仮想通貨の様に本来無価値なものに何兆円もの値段がついたりする。
世界には莫大な富があって、一部の人が保有しているんだけど、それは使ってなかったり、
長谷部先生の言う「政府がかならずしも個々人の権利には還元し得ない社会全体の利益としての公共の福祉の実現を任務としているという明白な事実」
これについて長谷部先生が度々例に出してるのが「大阪市屋外広告物条例事件」で、これって美観風致を守るためにビラ貼りを禁じたことを合憲としたものなんだけど、美観風致を失ってもそれで失われる人権なんてないよねっていう話をしたの
そして長谷部先生は人権と人権の衝突の調整の役割だけだと公共の福祉は不十分って批判したの
だから人権と人権の衝突の調整という機能そのものが失われたわけではなくて、公共の福祉には2つの機能があるよねっていう意見が今の主流になってる(法学用語だと二元的内在外在制約説っていうから詳しくは調べてくれ)
とにかく人権への対抗利益として公共の福祉が存在しているのではない、ってことは分かったんだけど、長谷部先生の言う「政府がかならずしも個々人の権利には還元し得ない社会全体の利益としての公共の福祉の実現を任務としているという明白な事実」というのが、具体的にどういう状況のことを指しているのか分からない。
間違い。
なんか、真に受けてる人が多いみたいなのでちゃんと書いておくけども。一部ブクマが指摘しているとおり、「公共の福祉」を人権相互の矛盾・衝突を調整するための実質的公平の原理であると解する立場は「一元的内在制約説」と呼ばれ、昭和30年代からわりと長らく憲法学の主流な学説とされてきた。
けれど、机上の空論に過ぎないことが既に広く知られている。
みんな大好き長谷部教授の「新法学ライブラリー2 憲法」(新世社。当増田の底本は第4版(2008年))から持ってきてみよう。
もっとも,一元的内在制約説については,より根底的な点で,その妥当性に疑問を呈することもできる。
第一に,人権を制約する根拠となるのは,かならず他の人権でなければならないとの前提は,「人権」という概念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難である。たとえば表現の自由を規制する根拠として持ち出される街の美観や静穏,性道徳の維持,電波の混信の防止などは,いずれも個々人の権利には還元されえないものであり,社会全体の利益(公共の福祉)としてしか観念しえない。一元的内在制約説のよって立つ前提は,政府がかならずしも個々人の権利には還元し得ない社会全体の利益としての公共の福祉の実現を任務としているという明白な事実をあいまいにするばかりでなく,現にある人権が制約されている以上,その制約根拠となっているのも人権であるという誤った思考を導く危険がある。
元増田は、一元的内在制約説という古い欠陥理論に依拠している点で誤っているのみならず、一元的内在制約説の解釈適用においてすら、「『人権』という概念をよほど拡張的な意味で用い」る必要があるにもかかわらず、表現の自由の対抗利益に置きうる「人権」を限定的にすることで「公共の福祉」概念を過小に設定している。
一元的内在制約説は1955年に登場した古い学説で、かつては一世を風靡したが、今じゃ(というか十数年前には既に)芦部憲法に高橋教授が個人の人権の間に損する矛盾の衝突の調整と、自由国家にとって最小限の任務とされる社会秩序の維持と危険の防止である
という定義を付記せざるを得なくなっている。すなわち、現代ではもはや維持されていない学説だ。
そもそも元増田自身が「最低限の性道徳」による制約を引っ張ってきた時点で気付かなかったのだろうか。
そして増田の論はその後、創作物規制・広告規制を行うとするならば、それは当然に『表現の自由』に対抗できるだけの権利・利益が無いといけない。
という独自の見解を開陳し、それを武器に、対抗利益の要保護性をお気持ちで断じてバッサバッサと巻藁切りを始める。
まぁこれは、一元的内在制約説の広く共有された欠陥である「制約の可否を判断する具体的な基準が導かれない」という弱点の犠牲になったものとみることもできるが、それにしても、トラバで指摘されている屋外広告物規制条例のように「そうはいっても結構規制されてるよな?」と気付かなかったのだろうか。今じゃ常識の三段階審査とまでは言わないまでも(交通事故が業務上過失致死だと書いているくらいだから、法律を学んだのは何十年も前のことなのだろう)、古来より伝わる二重の基準くらいは持ってきて欲しかったものである。
推しに命を救われたので、恩返しをしたい。
自分の人生には何の期待もしてないし、何なら明日にでも死にたい。
クソみたいな生活をなんとかやり過ごせているのは推しのお陰である。
そんな推しに何とかして恩返しをしたい。
おそらく最も無駄にならず無難なものは金だが、推しの推定年収は約一億円。
薄給の自分が捻り出した金額など、何の足しにもならないだろう。
自分の存在を認知してほしいとか、直接話したいとかそんなことは思わない。
むしろこんなこと考えてる奴がいるなんて知られたくない。普通に気持ち悪い。
与えてもらったものが多すぎて、少しでもいいから還元したいだけなのだ。
どうにかして役に立つことができないだろうか。
基本的には払いすぎた法人税を取り戻すために赤字にするはずだから、わざとだとそんな続かないだろうし 長く続くようなら経営方針として上げる見込みがないことがわかるじゃん 別に賃上げして社員に還元しても一応法人税は減るのにわざわざ赤字にすることを選ぶ会社なんやなってわかるでしょ したら転職よ
これに同意している人の多くは"ただ忘れているだけ"だと思います。
そもそも人間は完全にシャットアウトしている場合を除いて、聞いたことを脳は記憶しています。その中であまり参照しない情報は忘れていくのです。
でもこの人は、そもそも人間の名前という情報について完全にシャットアウトしたい、
覚えることがなければ忘れることもない、それでいて必要な情報だけは残るというのは、プロセスがいくつか省略されているので効率的と言えるでしょう。
自己中心的にも2つがあり、1つ目は自分を1番として他人に対して2〜n番と優先順位をつけている人、2つ目は自分を1番として他人全てに2番と優先順位をつけている人です。
多くの人は前者であり、後者の人であっても完全には他人の優先順位を同じにはできていないでしょう。
しかし、この人は完全に後者になりたいと言っているように見えます。きっと、この人に大切な人がいたとしても、名前ではなく「大切な人」と呼ぶんだと思います。
じゃあ「自己中心的の何が行けないの?効率的じゃん」って言うとそうではない。
これは個人が効率的になるだけで、社会全体として見れば非効率的です。
例えば自己中心的な人が、己の効率の良さによって9億円稼ぎました。そのせいで他の10人が非効率的になり稼げませんでした。この10人は効率的に動けばそれぞれ1億、合計で10億稼ぎます。
じゃあ「今度は20億稼げば他の10人を補なって余りあるぞ!」というとそうでもなく、そうするために更に追加で非効率的にされる人が出るだけです。
さらにそれだけでは収まりません。非効率的にさせられた人の周りの人も、そのまた周りの人もと非効率が伝播していきます。言ってしまえば貧困が広がるということです。
そうなってしまったら、今更稼いだ金額を社会に還元してももう遅いですし足りないです。
では最後に「だったら全員が自己中心的になればみんな効率的で解決じゃん!」
これは他社との関係、お互いを支え合う事の放棄、つまり人間はては動物であることを辞めるということです。
つまりこの人は人間であることを辞めたいのでしょうが、社会全体から見たら今の段階でも十分に"非人間"だと思いますよ。
これについて「資本主義はたまた個人の否定じゃない?」と言われそうなので補足しておきます。
そもそも何で世界は資本主義と名ばかり共産主義で占められているのかというと、この人含めて大小様々な"個人"を持っているからです。個人を捨てて完全に皆が皆のために動く事が出来たら完全なる共産主義となるでしょう。
でも現実問題としてそれは不可能ですし、自分も完全なる共産主義は求めてません。でも改善策はあります。完全なる共産主義とはいかなくともその手前までは個人を持った状態でも行けると考えています。
そのために突出した個人、自己中心的な人には今よりも少なくなってもらう必要があります。
その結果として今まで非効率に押し込まれていた人達の可能性を引き出すことが出来れば、今よりも効率的で今よりも多くの人が幸せになると自分は考えています。
なので先程はこの人の事を"非人間"と言いましたが、現状で最も人間らしくもあるが、多くの人からしたら否定したい人間と思われる、まさに世界がどうしてこんな風になっているのかを体現している人物と言えると思います。
参考になるサイト:https://choiceisyours2021.jp/
今回は説明するけど、本当は日本中の人に政治に興味を持ってもらって、政治をまじめに報道しないメディアを批判するようになってもらいたいよ…メディアは国民の人権、知る権利をまっっったく軽んじてる
こういうのってテレビと新聞とジャーナリストの仕事でしょ?首相はここのランチが好きとか馬鹿げた報道してる場合じゃないよ
・憲法は国民も守るべきと書き換えた(本来憲法は国の義務で国民の義務ではない)
・国民の権利は国益のために犠牲にする、個人の権利より家や国を優先する、と書き換えた
など
元々予算があるため、国民の権利は経済的に可能な範囲で優先して守られる感じなのだが、改正されると国益を優先することができるようになる。個人の自由が家庭や国のために犠牲になる法が通るようになる。
長年同じ政党だけが与党であり続けているため、汚職がひどい。市民のために努力しなくても大企業にお金ばら撒くだけでずっと安泰当選し続けられるんだからしょうがないよね。
・消費税20%にして最低賃金1000円で法人税引き下げた減収分を穴埋めがマニフェスト
・中抜きで絞れるだけ搾り取り、天下り先とお友達企業らはホクホク
彼らは大企業とお友達にだけお金回せば良いからね。政治家は年収4000万。ほとんどの先進国は1000万程度なことを考えると群を抜いてますね。庶民の言う事聞くより、お友達同士で仲良くお金分け合って投資して財産作って逃げ切った方がいいと考えてるのでしょう。
反対してるのは自民党です。他の政党はみんな夫婦別姓賛成です…理由は女の人は名前を変えたがるものだし、夫婦の関係が失われるからです!
高齢者は票を沢山入れてくれるからです。高齢者福祉をしないと落選します
・そもそも日本は内需で回してる国。国が貧しいのは国民が消費しないから。消費税は消費を歯止めすることになる。
・消費税はもともと法人税を引き下げる代わりの財源として作られたもの。
法人税が下がった結果、会社がお金を貯めてても税金で取られなくなった。いま、日本人従業員はかつてないほど給料が低いのに、法人のお財布には今までの何倍もお金が溜まってる状態。かつては法人税が高かったために、お金を貯めずに給料に還元したり研究投資したりしていたがその必要がなくなった。
・消費税は80%は国民から借金した分の返済に使われてるけど、実は借金が多いほど市場にあるお金が増えることになるため国民の生活は豊かになります。つまり消費税を取れば取るほど国民がどんどん貧しくなります
日本の軍事力の規模は現状世界3位。アメリカは兵器で稼いでる国であり、日本は敗戦国としてアメリカの下についています。そういうことです
郵政民営化のときも莫大な300兆円の債権を解き放っており殆どアメリカに売りました。300兆円ですから、ものすごい額の見返りがあった事でしょうね。国民の監視が機能しない日本は最高の国なのです。やりたい放題できます。こんなことしても他の国みたいにテロやデモが起きたり選挙で徹底的にボコられたりしません。
がん検診は失策により子宮頸がんワクチンを普及させられなかったことの子宮がん検診の罪滅ぼしの一環についても触れてそう。今時先進国では子宮頸がんなんてワクチンの普及で結核みたいな誰も罹らない病気なのに日本ではそれで人が死んでいます。また避妊、分娩、痛みの緩和などなど、女性医療が先進国の標準的水準に全く達してないので当然の危機感でしょう。また国連からつっこまれてしまいます
国力の基礎。教育が足りない国は次世代のバケモン外国人についていけません。
問題は、家に使ってないテレビが置いてあるだけで誰もテレビを見てない家でもテレビが割れてても強制契約・支払義務が発生するところです。法律で決まってるのでいくら見れないと言い訳しても払わなきゃダメです。
理不尽すぎると訴えてみても、
「裁判所は立法府じゃないから僕たちに言われてもね、三権分立を侵しちゃうのでどうにもできません。法律がある以上、義務は義務。それがイヤなら選挙で議員を選んで立法で法律を変えればいいだろ」と最高裁で言われてしまいました。
国民が選挙にいかないし国民に監視されないからです。盗んでもバレないお金が沢山あったら必ず盗む人が出てきます。盗み放題にして放置してる日本人しかいないから、必ず入れてくれる誰かにお金を渡して票をもらった方が偉いです。真面目に国民のために働いてても国民は関心ないので評価もされませんから盗みたくもなるでしょう
コピペだけど
オレオレFCは19日、ブラジル・ブラジリアからDFリシャルソンの完全移籍加入、韓国・チョンニダからDFユン・セフォンの6月19日から12月31日までの期限付き移籍を発表した。背番号はリシャルソンが「3」、ユン・セフォンが「48」をつける。
リシャルソンはブラジル出身。1996年生まれの25歳。180cm77kgで左サイドバックを主戦に左サイドハーフ、左ストッパーもこなす。今季までブラジリアに所属していた。ユン・セフォンは韓国出身。2003年生まれの20歳。186cm82キロの大型センターバックで、高いフィジカルを生かした対人の強さに定評があり、将来の韓国を背負う選手として期待されている。
リシャルソンはクラブを通じて「ブラジリアから加入しましたリシャルソンです。ナイトブルーのユニフォームを着て、闘えることを、とても嬉しく思います。シーズン途中での加入となりますが、自分の持っている力の全てをチームに還元していきます。よろしくお願いします」とコメント。
ユン・セフォンは「韓国から加入したユン・セフォンです。このユニフォームを着て、闘えることを、とても嬉しく思います。一日でも早くチームの力になれるようにがんばりますので、宜しくお願いします」とコメントしている。