はてなキーワード: 結果的とは
結果的に消防法は全く問題が無かった。過去には消防局に表彰もされていた。
もしこの事件で何かが変わるとしても、今は全く問題が無いと言わざるを得ない。
NHKの事件当日取材のために外れていたセキュリティが叩かれいている。
犯人は金づちをナイフを持っていた。セキュリティを強固にして警備員を立たせていたら、きっと警備員は死んでいただろう。
確かに一人の死と34人の死は比べ物にならない。だが警備員一人で済んだだろうか。
NHKもNHKで、記事を削除したり「出勤のためにセキュリティを開いていた」などという虚偽報道は、報道精神として許されない行為だと理解してほしい。
このNHKの改ざんについては日常茶飯事であるので、むしろもっと叩かれるべきだとは思うが…できればテロと関連させたくないのは確かだ。
だがこういうことが起きたのだ。一人の精神を追い込むような真似はしないほうがいい。
これくらいでへこたれない人だとアンチは思っているのかもしれない。
しかし人間は弱いものだ。無関係の人がこの件について傷ついている。
元同僚が、古巣が、尊敬すると言っていた師匠が、一気に亡くなった人の気持ちなんて測り知ることができない。
今はただそっとすべきではいか。
アンチは言うだろう。「こんなことでは許されない」と。きっと彼が死ぬまで追い込む気なのだ。
正論の暴力について考えるべきだし、果たして本当に正論なのかも自身で疑うべきだ。
SNSは個人のつぶやきや書き込みが流れずに残っていく。蓄積データだ。
最近はテレビも配信サービスを使うようになったし、録画が残る時代ではある。
しかしテレビがNHK、民放各局と両手で数えられる程度なのに対してSNSはまさに数の暴力だ。
テレビは流れていくことが多いが、SNSは言葉の暴力が残り続ける。
テレビの影響力が減った今、SNSはテレビの馬鹿さも引き継いだ。
言ってることとやってることは、SNSもテレビもそう変わらない。
螺旋階段が問題派がテレビの検証番組に誘導されたことは一目瞭然だ。
螺旋階段も一応テレビは問題を理解して専門家を呼び模型実験やその映像まで用意していたが
SNSは又聞きばかりだ。
自分の発言に責任を持たない人しか居ないのではないか、と思わざるをえないレベルである。
憎むべき相手が分からず、手あたり次第むかつくものを荒れる心で叩いてしまう。
あげく被害者まで叩く始末だ。
そして本当に憎むだけで終わりにしていいのか。人間は理性を失っていいのか。
犯人の思想がなんであれ、そう呼ぶしかない。それ以外の言葉を私たちは持たない。
911のときを思い出すと、航空会社の不備や目立ちやすい建物といった『問題点』が国内で語られていたりもした。
しかし旅客機が2つ突っ込むなんて想定して建物なんて建てないだろう。
あの建物の中で働いた経験があり、喧嘩別れをして恨みつらみを語っていた人が居てもその人は責められるべきではない。
911テロは、結果的にその首謀者と呼ばれる者に憎しみが向かった。
ハイジャック犯にはアフガニスタン国籍は一人もいなかったこと。
憎しみを扇動したものが居たこと。歴史は繰り返してはならない。
たくさんの人の命が失われた。そして文化も。
そこから考えることはこれからも色々あるだろう。ありすぎて、疲れるくらいだ。
幸い日本は法治国家だ。人の理性が試される。思考を持って対応しなければならない。
まだ一週間も経っていない。もう少し頭を冷やすためにも、喪に服したほうがいい。
悲しまないと、次に進むことは出来ない。
この方はアニメーションに詳しい人の中では知らない人はいないだろう大物メーターではないかと考えられている。
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京アニ放火「2階から飛び降りた」迫る黒煙、決死のダイブ 男性社員が証言
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190722-00000647-san-soci
原文
阪神大震災は笑えた!
(よっしゃー2000人突破!よーし次は3000人突破しろーって)
でも結局は6000人しか死んでねえんだよね。全然、騒ぐほどじゃないし。
阪神大震災は笑えた。まじで
ニュースで知って、手を叩いてわらったなぁ。
アホだなーこいつらって思いながら
でも阪神大震災のおかげで何かしらの利益を得た人だっている訳だし
あそこらへんって部落が多いからそのまま全滅させたかったんだよね。
せこいんだよ!俺らの税金なんだよね。むかつく。
どちらにしろヘリからの映像はまさに温泉町のようで壮観だった!
気持ちの良い夕刻でした
上野千鶴子は、まともなフェミニストがやっとこ運動の成果が出たなあと一段落して去っていったとこを占拠して後継者を名乗って好き勝手やってる人という印象。選挙権だのガチでいわないと困ることを成し遂げた人は亡くなったか高齢で何もできず、まともなフェミニストになるかもしれなかった若いのはうわぁ一緒にされたくねえとフェミニストを名乗らなくなった。結果的に日本のフェミニズムはミサンドリー集団の隠れ蓑になってしまった。
普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくらい典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。
選挙権を与えられて初めての選挙のときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一と中田考のせいだと思う。
特に外山恒一の2007年東京都知事選の政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。
イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一元管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。
消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。
私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。
しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰な人間が唯一可能な意思表示であり、一種の反射であるからだ。
多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。
投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。
それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。
投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的な判断を正しく下せるとは思えない。
しかしまあノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。
さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。
顔出しアイコンがインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民の意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者よ選挙へ行けと叫びだす。
選挙へ行かない人間は非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。
こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人に押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。
選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。
単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義に時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党や個人が存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間に選択を委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。
結果的にそれが自分に不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義は愚行権を正当化したのではなかったか。投票を棄権することそれ自体が社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。
もしあなたが特定の団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物やマニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか。
少なくとも私はそういう人間である。選挙自体を否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対に選挙に行きたくないと思う。
なぜ若者は選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。
この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。
賃金上がっても消費が増えてないから、結果的に経済は良くなっていない。問題は消費。
人間にとって、100個ある正論の中に混じっている1個の誤謬を見分けるのは難しい。
どうしてなのか?
裁判で事件の加害者と認定された麻原彰晃の家族に近付いて、利益相反の行動を繰り返している。
滝本太郎氏は、麻原の娘(四女)の後見人的地位につきながら、その娘の父親の死刑を望む発言を繰り返していた。
四女も死刑を望む発言をしているが、家族の心情は複雑であり、一概にYes/Noで割り切れるものではない。
四女は精神的に不安定であったが、滝本の死刑発言が影響している可能性もある。
結果的に、四女も「死刑を希望する」と言わざるを得ない状況に追い込んでいた。
麻原の三女について、「オウムと離れていない」とか、「麻原の後継者だ」とか、子どもだった11歳、12歳のころの行動について責めている。
公安調査庁は、三女の立場について一度は役員だと主張したものの、現在は撤回している。
それにも関わらず、滝本太郎氏は過去の公安調査庁の主張を自分の主張の裏付けとして使い続けている。
滝本太郎氏は、ツイッターで脅迫されたとして、麻原の長男を根拠なく告訴し、記者会見を行った。
すぐに人違いだと判明したにもかかわらず、滝本太郎氏はまともな謝罪をしなかった。
滝本太郎氏の長男告訴の記者会見を唯一放送した日テレは訂正記事をホームページに載せている。
その後やっと滝本太郎氏も事実誤認を認め、謝罪コメントを公表した。
加害者(麻原)の遺骨を、被害者(滝本太郎氏)が、加害者の家族(四女)を介して、自分に引き渡すよう申立。
麻原が生きている段階から、遺骨をパウダー化して散骨する計画を四女と話し、法務省に引き渡すように申し入れていた。
その恐怖心を滝本はさらに増幅させ、それを利用しているのではないか。
遺伝子関連の技術や治療は今も日進月歩で進んでおり、100年もすれば物事はだいぶ様変わりしていると思われる。直近では、ips細胞による移植、ガン治療、アルツハイマー治療が出来ればだいぶ話は変わってくるよね。あとは「老化」という現象に関する知見が深まったらいいよな。過激な論者なら、そういう技術の発展は、結果的に人間を不老不死にするとまで言う。
バイオ関連技術は、食料関係の窮状も救うかもしれない。実は地球の面積では、今の全人類が先進国並みの生活をするだけの食料生産にできない。しかし過去、化学肥料の開発が単位面積当たりの収穫量を大きくあげたという実績があり、これからのバイオ技術はそれをもう一度起こすかもしれない。
あと代替石油を見つけ出すのもここらへんに期待されている。もはや原子力に頼れない以上、その辺は必須だ。
実用化すればムーアの法則をぶっちぎってちょうはやいこんぴゅーたーが出来る。
その速さたるや、今使ってる暗号通信が全て素で解読できるほどなので、ネット世界が荒廃するのとも危惧されたが、量子コンピュータでも大丈夫な新方式の暗号は開発できたらしいので、単にちょうはやいこんぴゅーたーの恩恵だけを受けられそうである。
コンピューターがちょうはやくなると何ができるか? これは単に、いま複雑すぎて出来ないことが出来るようになる。AI関連の話が一般向けにはわかりやすいが、最も大きいのは、先のバイオ関連と絡んだ話。今は1年待ちの予約とかで使ってる国家級コンピュータが全研究室に置かれたらどうなるか。もちろん研究結果がすぐ出る。世界の全てが加速することになる。
農産物を今よりたくさん作るなら、水が今より必要になる。既に灌漑のしすぎでアラル海が消えるとか言っているが、同じことが他のところでも起きるかもしれない。そうなれば、20世紀のような石油とか商圏とかではなく、水を巡る戦争が起きるのでは?という危惧がある。
しかも戦争は変わっていくだろう。既にドローンが爆弾落としてきてヤバイ、みたいな話はあるけれど、似たような自動化は進むだろう。ww2以後やベトナムを踏まえた今の戦争反対の機運は、「自国の兵士があまりに死にすぎた」ことの反省から盛り上がったところがあったが、兵士が自動化された状態で我々はまだ戦争反対とか言ってられるのだろうか? 昨今のポリコレ情勢もあって、左翼的価値観は人気を失いつつあることもあって、これは危惧しといた方がいいと思う。
・経済学の発展?
我々の日常生活がどうなるかは、結局は経済にかかっている。もしも政府がちゃんと経済をコントロールして、バブルも恐慌も不況も操作できるなら、我々はずっと豊かになる。
絵空事なようだが、どこかで実現というか、ラインを超える日は来るはずだ。いまいち一般に何をやっているか理解されにくいし、政治利権に翻弄されがちなせいで信頼されないと見られがちな経済学だが、実はここ50年ですごく長足の進歩を遂げている分野だ。今の理論なら、70年代の大恐慌はもう防げるだろうし、バブル崩壊やサブプライムローン関連のコントロールだって今なら出来るかも。
もし経済をコントロールする理論が順調に進歩するなら、我々はついに平和すら手にするかもしれない。テロも戦争も結局は貧乏が起こしている。経済学にこそ、暴力を撲滅するための役割が期待される。
・たぶん起こらないこと
宇宙に住むとかいうことはない。どうあがいても地球の重力を振り切るコストは高くなるし、工夫でどうにかなるとは思えない。割にあわない。金持ちの道楽に終わる。