はてなキーワード: 紙幣とは
香典をいくらもらったのか確認するのがめちゃ大変。Excelと紙幣を数える機械があると楽できる。(理想は電子マネー決済だけど)
地元が田舎だから新聞に訃報を載せる依頼をするんだけど、これが結構高い。私の地元では十万円かかった。
それとは別に故人のFBで報告をした。んで、FBで訃報を知る人が結構いた。やっぱり新聞を取ってる人は年々少なくなってるっぽい。
契約書、請求書、借用書、領収書なんかは分かりやすいように保存すると遺族は助かる。あとは通帳。無くしたなら、早めに銀行で再発行しろ。
いくら借金があるのか把握するのは結構大変。故人の銀行口座は凍結されるし、凍結後に残高を確認しようにも色々と手続きを踏まないといけない。
・現金の取り忘れ
・キャッシュカードの取り忘れ
・明細の取り忘れ
自分は3点を毎度指差し確認しながら取っているんだけど、その作業すら自動化されているの直後に気になって結局財布を確認してしまう。
実際に忘れたことなんて無いんだけど、このストレスなんとかならないのかな。
ライトかヘビーか分からないけど、強迫性障害の傾向なのかなとは思う。
ATMのUIが、そもそも忘れ物を防止するような手順になっているのでまぁ杞憂。でもその杞憂がストレス。
1. 明細書とカードを受け取る
2. 現金を受け取る(1が終わらないとキャッシャー(?)が開かない)
[改善策]
・引き出し都度にチェックリストにチェックつける(面倒)
童貞を捨てると言うと人権警察の人たちが「そんな自分本位な考え方だからダメなんだ」とか言い出すから付け加えておく。
童貞を捨てるということよりも、女性と楽しくドキドキする経験がしたい。
スケベなこともしたいけど、恋の駆け引きもしたいし、バーで延々と駄弁ってもいいし、一緒に買物に行ったっていいし、フラれたって構わない。
こう思い立った。
童貞の男に女性をドキドキさせる能力があるとは思えないし、童貞僕も余裕がなくてドキドキしてしまうだろう。
自己研鑽もしたし、出会いがないなりに交友関係を広げるために手を尽くしたし、勇気を出してナンパもやった。
でも26歳クソ童貞は変わらなかったし、人を愛する才能がなければ人から愛される才能(魅力)もないんじゃないかという不安を抱えてしまった。
まず「人を愛する才能」について26歳クソ童貞の考えを書く。
人を愛することのゴールは自分の愛を受け入れさせることだと思う。
このため、「愛を受け入れさせるまでに拒絶されないこと」が前提となる。
人によって拒絶されるラインは違う。違って当然だ。だから自分なりに痛い目に遭いつつラインを学んでいる。
学んでいるのだが、学んだことがことごとく裏目に出てしまうのだ。
あの人のときはラインを過ぎてしまった、だから今回はちょっと控えめしたら押しが足りない。
じゃあ今度は押そう、でも今度は拒絶されてしまう。この繰り返しである。
女性は気まぐれな生き物だと人は言う。日によってラインが変わるのも仕方ないだろう。
次に「人から愛される才能」だ。
人から愛されることで大事なのはゴールではなくスタートになると考えている。
なぜならゴールは自分で設定するものだからだ。ゆえにスタートを見極めるべきだ。
そして人から愛されることのスタートは魅力のある人になることだと思う。
人によって魅力のツボは違う。ちなみに26歳クソ童貞は背の高い女性が好みだ。
魅力のツボが違うので、いろんな魅力を備えるべきだ。
ところが魅力は才能による影響が大きい。
もちろん努力による振れ幅はある。だが、才能を紙幣とすれば努力は硬貨に相当する程度の価値しかないだろう。
顔の造形は言わずもがな魅力に大きな影響を及ぼすが、これはほとんど才能である。
化粧、顔面筋のトレーニング、および日々の肌のケアによる向上は見込めるが、それでも真皮まで及んだニキビ跡が治ることはないし、造形が変わるわけでもない。
ファッションだけは上手くいったと思う。これは収穫だと思う。でもファッションは足切りを免れる程度で十分なので向上させる意味をあまり感じない。
そもそも26歳クソ童貞が女性誌を読んで得るものがあるのだろうか。モデルみんなかわいいなぁ(小並感)で終わった。
会話術は調べたけどそもそも女性との会話にたどり着けないのでフィードバックもクソもない。
整形も視野に入るが、整形するくらいならモテなくていい。魅力がないのは分かっているがこれでも愛着はあるし両親を悲しませる行為はしたくない。
そもそもこんな26歳クソ童貞である。普通にしてても一般人からしたら酔っ払い程度の判断力しかないだろう。
26歳クソ童貞はどうすればいい。
誰か教えてくれ。頼む。
記事に書こうと思ってた。
いいの…?僕男だよ…?(男の娘風)
筆者は間違いなく男です信じるか信じないかはあなた次第。
経験上そういう趣味が続く気はしないけど、なにか無いか考えます。
ちなみに26歳クソ童貞には姉も妹もいません。
男友達はいるけど女性との交友関係があるような男友達は現状いない。
こんばんは、貯金箱です。正確には前世で怪獣の形をした貯金箱でした。お金を食べる生物として寓話的にも唯物的にも適任かと思いましたので、食にまつわる思い出を、少し。
この業界では「喉元すぎれば半人前、口からこぼして一人前」といわれています。持ち主の三日坊主や途中解約などにより、お金に満たされて天寿を全うする例は多くないぞ、という戒めです。常に飢えた私たちは体内の空白に敏感で、あと何円でそれを埋められるか計算ばかりしていました。お互いを見張り、その食事内容に一喜一憂し、とても健やかとは言えなかったと思います。
稀に、高額紙幣を口にする機会もありました。あのゴワついた紙が口に押し込まれるとき、他の仲間を出し抜いた心地良さで口の端が歪み、秘めやかな興奮が心に渦を巻いたものです。一度その味を覚えると、少額の硬貨を口にすることは砂を噛むような苦行となりました。
実は私、あと数百円で完全に満ち足りるまでお金を食べた経験もあるのです。最後の時を待つ私の態度は高慢そのものだったでしょう。周囲の貯金箱が等しく低俗な存在として映り、それと比べて自らの体には高貴な甘い蜜が流れているようでした。ところが、いよいよというところでフト持ち上げられてお尻を外され、衆人環視の中で全てのお金を抜きとられたのです。ジャラジャラと続く思いやりのない音が頭から離れず、心細さと恥ずかしさに我を忘れて泣きました。
その暗い空白に灯りをともしたのは小さな5円玉でした。数日後、再び最初の一枚が私に施され、カラン!と無邪気に舞い降りたのです。それは明るい音でした。恐る恐る体を揺らすとカラコロと鳴りました。5円玉は縦横無尽に転がりまわり、私は初めて空白の輪郭を知りました。やがて空白は香ばしい稲の香りでいっぱいになり、一層愉快になった私は体を揺らし続けました。不器用に揺れる茶色の怪獣はことさら不気味であったでしょうが、かすかに響くカラコロという音を聞けば、それが私と五円玉によるウエディングワルツのようだと気づいた人もいたでしょう。お金は、無いことに焦れるより有ることを喜ぶほうが楽しい、そう思いました。
「野菜350g」が「健やかになるための食事」のことであれば、私にとってのそれはあの時の5円玉1枚です。以来、私は1円玉も1万円札も等しく消化することができました。ですので、真に満足する食事とは、何を食べるかよりどう食べるかではないかと、今ではそう思うのです。
いつしか「経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。
アベノミクスの大黒柱である日本銀行の異次元緩和はお札をどんどん刷って国債を買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。
思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。
希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札「マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。
政府も国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度や人生を設計してきた。
だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府が財政出動を繰り返してきた結果が世界一の借金大国である。
そこで疑問が浮かぶ。ゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。
その間、日本のミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。
若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。
スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能の機能となると、25年前ならSF映画の世界の話だった。
ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産(GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。
そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクスの思想である。
人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。
実は、いまのような経済成長の歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代の大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。
昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁の内閣府に日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。
きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部の意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。
数字ひとつで財政や金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。
世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代に英国、米国で大恐慌の対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDP』ダイアン・コイル)
一般的には1760年代の英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代の世界の成長を人口や歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。
その理由を投資理論家で歴史研究家のウィリアム・バーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度や資本市場が整い、迅速で効率的な通信や輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデアを評価する文化や制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。
社会思想家の佐伯啓思・京都大名誉教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」
冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界や弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。
1970年代初頭、世界の科学者や経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書『成長の限界』は、経済成長を謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。
いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。
佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題の重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争や格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。
紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国のイングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正で中央銀行に進化した。
つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。
いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックでマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。
サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国は簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。
日米欧の中央銀行はまるで自分の存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和、マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。
「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身で金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。
中央銀行が政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金の価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事だからだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行に独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。
経済史の泰斗である猪木武徳・大阪大名誉教授は、成長を謳歌したこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近の政策に異を唱える。
「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」
成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのものの役割が変質してきたからだ。
「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近は国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」
主要国の成長戦略、金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層、低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。
19世紀の経済思想家ジョン・スチュアート・ミルはゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学は事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。
むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。
四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。
博報堂生活総合研究所の定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さらに身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。
同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。
いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。
成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人)
元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
ブコメ: http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html
ときは8月、黒海沿岸の町。雨にぬれる小さな町は活気がなく、すっかり寂れていた。
その町へ、一人の旅人がやってきた。そして町に一つしかないホテルに入ると、
受付のカウンターに100ユーロ紙幣を置き、部屋を選ぶために2階へ上がって行った。
ホテルの主人は100ユーロ紙幣をひっつかんで、借金返済のために肉屋へ走った。
肉屋は同じ紙幣を持って養豚業者へ走り、100ユーロの借金を返した。
養豚業者はその紙幣を握ると、つけにしてある餌代と燃料代を払うために販売業者に走った。
販売業者は100ユーロ紙幣を手にすると、この厳しいご時世にもかかわらず、つけでお相手をしてくれる
町の遊女に返そうと彼女のもとに走った。遊女は100ユーロ紙幣を懐にしてホテルに走り、
たびたびカモを連れこんだホテルに借りていた部屋代を返済した。
ホテルの主人は、その100ユーロを受け取ると、紙幣をカウンターの元の位置に置いた。
ちょうどそのとき、部屋をチェックして2階から降りてきた旅人が、どの部屋も気に入らないと云って
誰も稼いでないけど、町中の誰もが借金を返し終わり、町は活気を取り戻した。