はてなキーワード: 創作物とは
日本のアニメ、漫画がハリウッドや海外にも影響を与えたとか、有名選手やセレブも漫画に影響されてるとか、創作物が人に与える影響力を自負してるのに(日本の作品ももちろん海外作品の影響は多大に受けてる。相互に影響しあってる)、
創作物の表現についての批判(芸人のルッキズム発言や性的役割に偏った広告とか)が出ると大したことないとか、そんなものに影響されるはずがないとか言うのなんかこう…矛盾は感じないのか?
これは習作だなと分かるやつなら納得できるんだよね。
Unity触ってみた結果報告だったり、自分で組んでみたプログラムのデバッカーを募集する方法の一環としてのフリーゲームは理解できる。
完全に趣味でやってるとしか思えないフリーゲームでも1,2時間でクリア可能なものなら納得は出来る。
売り物になるようなレベルのフリーゲームを作って無料で配ってる人達はなんなんだろう?
たとえば片道勇者なんかは後にSteamで配信されたけど、追加要素は+αの域を出なかった。
それが意味しているのは「元々商品として値段がつけられるものを無料で配っていた」ということ。
何も「人間がやることは最終的に金儲けの手段」なんていうつもりはない。
たとえばこの増田も、「フリーゲームがなぜ無料なのか」というテーマでどっかのニュースサイトから依頼されてたなら、こんな雑な話の展開はしないでもうちょいいろんな方面に気を配る必要がある。
少なくとも一人以上のフリゲーム製作者にキチンとアポを取って、最低限N=1でいいから「本人の声」を取ってこないといけないだろうけど、別に金もらってるわけじゃないから完全に自分の思い込みだけでキーボード打ってソレで終わりだ。
著作権的にグレーなネタを雑に使うだとか、フリー素材の使用要件が緩くなるとかそういうメリットは確実にある。
売れ筋のインディーズの中には絵にリッチ感なんて微塵もないし、クリアタイムも平均3時間ぐらいのだってあるが、物が良ければ高評価を受けている。
それに十二分に匹敵するだけのモノを作っておいて「無料です。感想よろしく」で終わらせる作者の考えが結局わからない。
多くのユーザーにプレイしてもらいたいということなのだろうか。
それとも「無料なのである程度のバグは許してね」で済ませたいのだろうか。
こういう話をすると「お前も作れば分かるよ」という人がいる。
ハッキリ言う。
「作って分かるのは、自分が作ったときの気持ちだけだ」がその答えだ。
たとえば自分が何かを無料で公開する場合は「作ったもののクオリティに対して責任を持ちたくない」に集約されてしまう。
つまる所、「気楽にやりたい」である。
私個人の価値観では創作において最もストレスフルなのは「他者からの評価に対する不安」である。
「制作と製作の違い」というありがちなお題目があるが、私にとってのそれは「制作は責任の介在が絶対ではないが、製作は責任が絶対的に介在する」となる。
生存や娯楽に必要なものを手にする対価として金銭を稼ごうとしたとき、金銭という絶対的な価値のものと交換するにあたって製作には責任がのしかかる。
そこから離れて創作を行いたい時に、私は無償で何かを作るが、それは社会への奉仕ではなく、ひたすら自分への奉仕活動となる。
全てのフリーゲーム製作者が私のように自己への奉仕活動のみを目的に創作物の無料公開をしているとは思えない。
論拠は単なる直感であり、その直感は「世の中はそんなに狭くない。皆が自分と同じ考えのはずだなんて、人間の多様性を軽んじているだけの馬鹿の思い込みだ」というものである。
だが、私は彼らではないので彼らの考えが分からない。
知る方法は結局の所は聞きに行くことになるのだろうが、私はコミュ障なので聞きに行きたくない。
好奇心を満たすことの対価としては、他者とコミュニケーションをとるのは重すぎる。
言い忘れた。
この話にオチはない。
漫画だけでなく映画とかドラマとか商業目的の創作物全般は面白ければなんでも良い、ではなく、多くの人が目にするもの(それが目的でそれでお金稼ぎたいもの)なので差別的現状をそのまま垂れ流す行為はそうした社会の現状の固定化に加担することになる。
創作をしたい、そしてそれで商業的に成功して生計を立てたい=社会に影響を与えた結果としてお金貰って生活したい、のであれば作品による社会的責任はつきまとうしそこを考えた上で創作していかなくてはならないのは当然なんですよ。
これは漫画がどうこうじゃなくて世の中、世界でのものづくり全般として当然なんだけど日本というかアジアはまったくそのへんの考え方の進歩が亀なのでちょっとこの表現まずくない?と言おうもんなら途端に
創作物における同性愛を過剰神聖視して異性愛のヘイトする人が嫌い。あれってたぶん大抵本質的には処女厨や独占厨とやらに違いない。
もちろん本物の同性愛者で異性愛や異性愛社会嫌いが書いてるのもあるかもしれない。女作者で目にすることが多いけど、BLだと部外者以外になれないし、百合だと異常に男や異性愛への攻撃性強いから目に入るだけでうんざりする。
百合やBLに割って入る異性は糞みたいなことやオリジナル百合やBLでの異性愛二次創作は糞なんてことをツイートを目にしやすい。実際原作では恋人と言われてない関係性でしかないのに近づく異性は馬鹿扱いやキャラの人格無視した応援役にしてたりするし、原作で異性に恋愛感情を向けているキャラを二次創作で同性愛者にしてるのが山のようにあるのに、なんか異様に攻撃性高くて引く。
ただでさえフェミなんて今ミサンドリストで自己中なんて見方がされやすいネットで表現やゾーリングなんて燃えやすいものでいわゆるオタク側に立てなかった時、そういう異性愛ヘイトな意見ばっか目立つと男女対立が激しくなって最終的に同じ女であるこっちの息がしにくくなる。
異性や異性愛自体が女を苦しめるものではなく、キャラの愛し方として同性愛だけが全てではないのに、同性と魅力的な異性が恋愛すること、関係性を持つことを嫌悪するわりに似たような内容の同性愛は歓迎してて面倒。
ルポ漫画や口コミは状況を正確に描写した上である程度真実性のある批判や情報が伝えられてるんだろ?
性について鈍感な創作物は例えるなら、業界について嘘や誤解や間違った対処法や考え方を含みまくって内在化させ偏見で歪んだマンガや口コミだよ
業界について滅茶苦茶な誤解や偏見をばら撒くような漫画があったら、現実の偏見の反映だし、現実の偏見をさらに再生産するものになり得るだろ?
ある意味これは真理だなぁ。
二次元性愛とかフィクトセクシュアルとか、何と呼ぶのかわからない人々とか、とにかく様々なマイノリティを包摂するアンブレラタームとしての「オタク」の権利というのは、本来は道徳とか倫理とか、あるいは「ポリコレ」とかそういったもので守らなきゃいけないものなんだけど、マイノリティというのは構造的に不利な立場にあるので、一般論としての「人権」で説得するしかないっていう側面が大きいんだよな。
ぶっちゃけて言えば、「オタク差別表現」というものを、女性差別表現や人種差別表現、LGBT差別表現と同じように、「許されない」表現として扱って欲しいというオタクがかなり多いんじゃないかな。ここで言う「差別表現」というのはもちろん、SNSなんかで拡散されるヘイト言説のことね。創作物のことではなく。
ただ単にジャップの遅れた人権意識(とイカれたコンテンツ倫理観)を国際基準に合わせるだけでは?感
未開人から文明人にまた一歩近づけて良かったなぁと言いたいところだが、
それらの利権に絡んでいる自民党様をはじめとした上級国民の方々の懐に入る金を無くしたくないので
建前だけ国際基準合わせると言いつつものらりくらり現状維持では?
というか、App Store も中国どころか英語圏の基準で余裕でキックされるようなゲームが
平然と『レーティング無し』で置かれてるし
まあ直球でアニプレックスがパブリッシャーのゲームの話ですけどね
本気で規制するつもりならまずSONYに「おいこら」するでしょうし
自民党様の身内が名を連ねている国内大手動画サイトに対しても何らかのリアクションを取るでしょう
そして元増田曰く、規制派に回ったという"共産党の公式サイト"からのコピペです
どう読んでも規制しようとはしてませんね
政策
2021年10月18日
「共産党は表現規制の容認に舵を切ったのですか」とのご質問に答えて
Q 共産党は創作物に対する表現規制の容認(賛成)に舵を切ったのですか? 「女性・ジェンダー」と「文化」政策は矛盾していませんか?
A 「7、女性とジェンダー」での記述にあるように、日本共産党は、児童ポルノは「性の商品化」の中でも最悪のものであり、児童に対する最悪の性虐待・性的搾取であって、社会からなくしていかなければならないと考えています。
同時に、「60、文化」の項にあるように、「児童ポルノ規制」を名目にしたマンガ・アニメなどへの法的規制の動きには反対です。
今回、「女性とジェンダー」の政策の中に、児童ポルノの定義を「児童性虐待・性的搾取描写物」と変えるとあることをもって、これまでの方針を転換し、マンガやアニメなどの表現物・創作物を法的規制の対象にしようとしているとの理解が広がっていますが、そうではありません。
「児童ポルノ」という言葉については、日本共産党は従来から、被害実態をより適切に表す「児童性虐待描写物」などに改めることを提起してきました(2014年6月17日、参院法務委員会議事録参照)。「児童ポルノ禁止法(1999年成立、2004年、2014年改正)」の保護法益は、実在する児童の自由と人格であり、その規定も、わいせつ性や主観的要素を構成要件とするのではなく、児童への被害の重大性を評価する必要がある、という観点からの提起です。
今回の「女性とジェンダー」の政策は、一足飛びに表現物・創作物に対する法的規制を提起したものではありません。日本の現状への国際的な指摘があることを踏まえ、幅広い関係者で大いに議論し、子どもを性虐待・性的搾取の対象とすることを許さないための社会的な合意をつくっていくことを呼びかけたものです。
そうした議論を起こしていくことは、マンガやアニメ、ゲーム等の創作者や愛好者の皆さんが、「児童ポルノ規制」を名目にした法的規制の動きに抗して「表現の自由」を守り抜くためにも、大切であると考えています。
ただの陰謀論ですよ
トランパーが信じている与太話と変わりはしませんし
ガチヲタは非実在性青少年の頃から『やいのやいの』やってる自称オタクたちをずっと冷ややかな目で見てますよ
少しは学習した方がいい
もしも(ファンタジーな設定だけど)人類に滅亡の危機が迫って、俺たち以外みんな死んだ!って状況のときに反出生主義者しかいなかったらどうなるんだろう
理性?思想?を守って大人しく滅亡を見届けて死ぬのか、それとも本能に負けて子作りしてしまうのか?
そういう思考実験?が見てみたい
似たような設定の創作物は無いのかと探したり(あまり詳しくないので)知恵袋で質問してみたところ、「猿の惑星」の続編?では積極的に主人公が滅亡を希望したとのことだが、
あらすじを読んでみると「主人公が、自身とは別時代の文明や倫理観の全く変わった人間たちを滅亡に追いやった」だったので少し違うかなと
今の社会、今の生活(物質的に豊かになっても不幸はあるよね)を知っている反出生の人間がいきなり種の断絶の危機にいきなり立たされて、その主導権を握れるとしたら、どんな選択をするのかが気になる
女目線で「幸せまっしぐら」になり、男目線で「ざまぁ」となるなら、それは単に「真の愛の物語」であって、NTRとしては消費されない
不倫もそうだが、「背徳感」なり「罪悪感」なりが必要なジャンルで、それを排したら、それはジャンル詐欺だ
そして元増田のNTRも含めて、普通にそこらに溢れてる創作物だが、別に男側からの批判で燃えてないだろ?
そういうことだよ
余談だが「性的な魅力を前面に押し出した女という性が社会で男に消費され、勝手に私たち女性に押し付けられる」に対応させるの
多分無理なんだよ
「筋肉モリモリマッチョマンの変態みたいな男の表象が社会で女に消費される」という事態になっても、男は「だから?」って感じだろ
それがチャラ男になって「高収入で誠実だけど詰まらな夫よりも、危険でゾクゾクさせてくれる彼(はぁと)」みたいな消費があったとして
(というか少女漫画でもレディコミでも、乙女ゲーでも普通にあると思うが…ってか、少女漫画はなんで半グレっぽい奴が最後勝つのか)
フェミニストの「ミラーリング」はなぜ失敗してしまうのか|やまもとやま|note
https://note.com/mt_yamamoto/n/n2c3c5ce3fe45
id:vbwmle 男性性の搾取に一番近いのは正直「チャラ男NTR」なのだが、現実世界で女性を搾取してるのはそいつらなのでさすがにネタにすることはできない。結局フェミが創作物という幻想に振り回されているだけなのでは…?
これだけではなぜ搾取になるか、特に女性は分からないと思うので解説する。
現状、女性は年収で交際相手を選んでいる。そのため、真面目に働いている男性からしたら自分に交際女性がいるのは自分の努力の成果と考える。
女性によっては相手の人間性に惚れて交際していると考えるかもしれないが、男性からしたら必ずしもそうは考えない。なので、努力の成果である交際女性を何の努力もしてないチャラ男に奪われるのは「性的搾取」になるのである。
世の中にはNTR好きというのもいるので男性全員にダメージを与えられるわけではないが、そういった物語を書けばダメージを受ける男性が少なからずいるであろう。
チャラ男は学歴、年収などのスペックが低く不真面目なやつほどダメージが大きくなる。実は努力をしてはいるが報われてないみたいな描写があったら興ざめだ。
アメリカのフェミニストがゲームなどの創作物に向ける批判は色々なものがあるが、その1つに、出てくる女性が少なすぎる、みたいな主張がある。
有名な「ベクデル・テスト」なんかもその1つだろう。映画において女性が主体性を持って描かれているかどうかをチェックする際の基準として、「少なくとも2名、女性が出てくる」「互いに会話をする」「話題は男性以外のものである」というものを挙げている(もともとはレズビアン漫画家のジョークだったらしいが)。
しかしこんなものは日本のオタク界隈にいれば「???」となってしまう基準であろう。アニヲタの私が見た範囲において、最もこの「ベクデル・テスト」に適合しているアニメは『ストライクウィッチーズ』や『ガールズ&パンツァー』や『ハイスクール・フリート』や『ウマ娘』であり、最も適合していないのは『刀剣乱舞-花丸-』だった。だが、前者は男性向けで後者は女性向けというのは常識だ。
以前、姉と「(『FGO』や『グランブルーファンタジー』のような)主人公のキャラがある程度立っていて主人公の性別選択が自由なソシャゲをプレイするときはどちらにするか」という話をしたところ、見事に、私は女性を選ぶし姉は男性を選ぶ、という結論になったことがある。そりゃそうだ。私はぐだ子やジータのようなかわいい女の子の活躍を見たいし、姉はぐだ男やグランのようなかっこいい男の子の冒険に興味があるのだ。異性愛者としては当然だ。
しかしこの感覚が意外とアメリカ的なカルチャーの文脈では通用しないのかもしれない。彼らは物語の主人公に自分を投影できることを求めている。
日本でも、子供向けの作品にはそういう傾向がある。女性キャラばかりが登場する『プリキュア』は女児のためのものだし、男性キャラが主役を張る『仮面ライダー』は男児のためのものだ。しかしこれが大人になると逆転する。成人男性オタクは『艦隊これくしょん』のような女ばかりの世界に耽溺し、成人女性オタクは逆に『アイドルマスターSideM』のような男だらけの世界を求める。つまり成人すると、創作は自己を投影させて楽しむものではなく画面の向こうを眺めて楽しむためのものになる。
そこでは、別に自分と同じ属性の者がいなくたって何も困らない。むしろいたところで邪魔である。『ラブライブ!』シリーズを見ていて、見事に画面に男が映らないことに安心する。男なんて鏡を見ればいくらでも見ることができるのに、わざわざ萌えアニメの中でまで見たくない。そりゃかっこいい男キャラを楽しみに見るアニメもないではないが、美少女アニメを見るときにはそういうのは求めてないのだ。
けれどアメリカではどうも違って、自分と同じ属性の者が少ない、という文句が社会的に受け入れられているように思える。もちろん自己を投影して楽しむという楽しみ方も別に悪くはない。それは個々人の自由だ。ただ、その楽しみ方が普遍的であるとは思わないでほしいなぁ、と思う次第である。日本では、主体性を持った女性キャラが大勢出てくるアニメは主に男性によって消費され、女性が好むアニメは男性キャラばかりが出てくるものなのだから。
中世ナーロッパ人に現代のメシを食わせる作品で白米が出てくるとだいたい
異世界人「え?まっず。味しないじゃん」→「オカズと一緒に食べるとまいう~~~」って感じになる。
コレ系で一番のヒットと言われる異世界食堂だと「味がしない」「かさ増し」「意外とケチくせー店だ」みたいな扱い。
前にシン・ゴジラの批判で「白米美味い美味いって粟や稗しか食べたことないの?」って感想が炎上したことがある。
あのとき「シン・ゴジラが白米とか見る目ねーな」派と「白米は本当に美味いのは超うまい」派と「コイツが好きだと言ってる作品ゴミばっかだぞ馬鹿舌かよ」派に別れた。
ここからわかるのは、白米は超うまいと考える日本人も一定数いるということ。
けいおんでは「ごはんはおかず」と宣いごはんはオカズにもなると言い張り続けるイカれた歌詞の曲がヒットした。
時は変わって昭和や大正では白米が銀シャリなんて持ち上げられてた時代もあった。
現代の作品では白米はコテンパンに馬鹿にされ、少し前だと割と評価され、時代が遡っていくほどに白米の価値は高まる。
この違いが何かって言うと、結局の所は食文化が年々豊かになっていることによる相対評価なんだと思う。
たとえば最近は食パンでも凄い美味いから1斤2000円で売れるようなのもあるけど、白米だと中身に具を入れることで初めてそういったステージに立つ。
塩むすびならともかく純粋な白米の塊に対する評価は、現代では地に落ちていると言っていい。
コレに対して現代人の味覚は大雑把になって繊細な味がわからなくなったと批判する事は出来るのかも知れない。
でもそれって結局は白米が時代に取り残されることを選んでいるようなもんじゃない?
なんなら品種改良で味の方向性を変えていけばいいものを、白米は白米らしい味であり続けることに執着しているようにさえ見える。
異世界人が語る「白米単体で食うとマジで味がしないね不味いよね」というセリフは、現代人の本音だよ。
他国の主食、たとえばタピオカなんてミルクティーに入れた粒粒でしかなくて、一時のはやりだから廃れたよねと平気で小馬鹿にさえする。
一方で白米は一粒残したら88の神様に呪われるなんて平気で言うんだ。
同じ主食系の穀物であっても、白米でないなら敬意を向ける対象ではなく、白米であれば畏怖さえ感じている。
だから日本人は創作物のキャラクターであっても日本人に白米を批判させるのは無自覚に避けがちなんだ。
結果として、抑圧された白米に対する不満感情は異世界人という免罪符付きのキャラクターの口からこれでもかと吐き出される。
「味がしない」「ベチャベチャ」「特有の匂い」「かさ増し」「パンの方がいい」「食べにくい」
散々言われ放題ではあるが、それはさも異世界人の教養の無さから来るもののようにカモフラージュされる。
でも待って欲しい。
異世界人は美味しものを食べたら途端にそれを現代人と同じ味覚で持ち上げるよね?
じゃあなんで白米だけがこんな扱いなんだろう?
玉袋某とか日本鬼子がたどった結末知らなさそう。
男オタの大多数の憎悪を煽れる創作物を作れたらそれは立派な才能だよ。
アイデンティティを否定されたりシリアスな展開になるのって創作物だとあたりまえじゃん。
それにわざわざ「尊厳破壊」とか「曇らせ」みたいに特別な名称付けてキャッキャしてる連中ってそういう展開を褒めてるようで実は心の底でバカにしてるんだろうな。自分の心の中でどう扱っていいのかわからないからとりあえずバカにするしかないんだろうな。
あー気持ち悪い。
アニオタ批判に対して二次元と三次元の区別がつかなくなるわけがないって一昔前によく聞いたけどさ
創作物のキャラクターって好感度や人間関係が超ファンタジーなのに、現実の三次元でもその感覚で生きてる人を見る。
二次元と三次元の区別ついてないヤツいっぱいいるじゃん!って思うんだがどうなんだろう
普通は嫌われることや軽蔑されるようなことをしても絶対に好感度自体が下がらないし(主人公がガチで嫌われたら話が終わる)維持のために手をかけないと好感度は消えてくものなのに何もしなくても常に高いし減らない
いい印象を与えないといい印象を持たれないのは当然だし、ちゃんと話して自己開示して信頼を示して信頼関係を構築しないと普通の人は相手に興味を持たないけどアニメのキャラクターはその過程をすっ飛ばしてみんな最初から信頼を寄せてる
主人公は常に好感度の獲得が約束されていて、一度嫌われても最終的には理解されるし必ず好感度が得られる