はてなキーワード: 他力本願とは
上司の愚痴を聞き続けるのが疲れ果てたので、ここで吐かせてもらいます。
優しく気さくな性格で仕事にも責任感があり、頼りになる上司だ。
待機時間が多い仕事で、会話をする機会はどうしても多くなってしまうのだが、話題に上がるのは上司の家庭の話だ。
上司は夫と3人の娘と暮らしてるが、長女は求職中で次女はひきこもり(10年近く)で三女は大学生だがコロナ禍で休校中らしい。
主にこの3人の娘がワガママを言いたい放題なので困る!といった愚痴が中心なのだが、数年間毎日同じような内容の愚痴を聞かせられ続けて本当にうんざりする。※リモワできない職場です
子供がワガママを言う(本当にレベルが低く容認されないのが当然のような内容)なら、駄目なものは駄目!とハッキリ親が主張すれば良いのではないのか?親ならそれができる立場なのではないか?と何度か言ったことはあるが、上司が娘の言い分やワガママを却下すると上司の伴侶(夫)が、「そんなに厳しく言うこと無いじゃないか。そんなわがままぐらい許せよ」と止めに入ってくるらしい。挙句、「母親ならそれ(娘のわがままの尻拭いや世話)ぐらいしろ。お前の言い方が悪い」と、上司の非難に繋がって、それを見てる娘たちも「そうだそうだ!私達の言うことを聞かない母が悪い!なんでもかんでも母のせいだ!」という思考回路になってしまってるみたいで、話を伺っている感じだと家庭内カーストの最底辺に上司が居て、元来の責任感の強さもあり掃除・家族の洗濯等細々とした家事を全てやっていて、コロナ禍で家で暇そうにしてる娘たちに何か軽く家事仕事をお願いしたものなら、聞く耳も持って貰えない所か、反感を買い逆に家事の邪魔等嫌がらせをされたりするそうです。(←この件を上司夫に話しても、お前の言い方が悪いし家事ぐらい娘にやらせず一人でやれ、とモラハラ発言されて終わるらしい)
とにかく娘達も酷いが、上司夫も酷いモラハラで言葉の暴力も酷い上に上司が相談しても聞く耳持たない上に、娘が常識外れの酷い事を言っても娘の肩を持って、まず上司を非難する(夫の理屈曰く、言ってもきかない娘より、言えば大人しく従う上司の方が楽で話が早い)事が前提で考えてるのでタチが悪い。
じゃあ上司夫はさぞかし子煩悩で、娘達の面倒をよく見てるのだろうと思われるが基本的に放置で一年の半分は海外出張している仕事です。今はコロナ禍で在宅ですが、娘のご機嫌取りや買い物は「女の事は女でやれ」と言ってだいたい上司に押し付けてくる上に、娘のことを真剣に相談(ひきこもり子の社会復帰など)すると逆ギレして「じゃあ俺が家を出て行く!or家族を置いて海外駐留してやる!」という脅しが常套句。
そんな酷い環境だったら、まず別居した方がいいんじゃ…と思いますが、別居したらこの家庭が崩壊する+別居するなら二度と家の敷居は跨がせないと夫から脅されていて実行できないそうです。
誰か上司身内に味方になってくれそうな人はいないか?とも思うのですが、上司の親は「あなたが黙って耐えて家庭を支え続ければ良いのよ」という風に追い詰めて昭和の母親像を押しつけくるタイプの人です。この上司の母親も固定観念が強くて、上司の家庭に無駄に口を出して悪影響を及ぼしてる厄介の種。自分と同じ様に昭和の母親(家庭のことを何不自由なく全てカバーする専業主婦)になれ!と正社員で働く上司に押し付けてきて、出来ないと駄目な母と上司家族に愚痴る事でより家庭内カーストで上司が貶められる。
本当に数年間愚痴を聞き続け、なんとか穏便な突破口無いものかと探し続けてましたが、そもそも上司の周りにモラルが低い人が多すぎて地獄絵図。
上司はもともと気が弱くて争い事が嫌いな性格で自分が我慢する事で調和が成り立つならそうしようという優しい性格なのだろうなと思います。
自分だったら耐えられないような酷い環境で、数年間毎日聞いてるとこちらもあまりにストレスが酷くて、上司ほどの忍耐が無い自分にはもう愚痴を聞くのもしんどいです。(自分が上司の立場だったらとっくに逃げてるか暴れてる)
愚痴の内容が悲しすぎて、聞いてるこちらが泣いてしまう事もあります。
数年前から脱毛症にも悩まされてますが、おそらく(他にも原因はあれど)上司のモラハラ家庭の愚痴も影響があると思います。
業務内容は良いので転職はあまりしたくないのですが、コロナ禍で大変ですが転職も考えないといけないのかなとも思います。
あまりに辛かったので、愚痴を聞き続けるのが辛い、プロのカウンセラー等を利用した方いい、もう家庭の話をするのはやめてくれませんか?と伝えたら、
「話を聞いてくれる人(自分)が居ないと私はますます追い詰められる。カウンセラーは聞くだけで真摯なアドバイスなどしてくれない。味方だと思ってたのに…」と泣かれてしまいました。
そもそもアドバイスなど、5年間に渡って(他所の家庭に口出しするのは野暮なので)控えめに言い続けてきた…娘さんを少しずつ自立させる為にケータイ代を払ってもらったり洗濯なども自分の分は自分でやるようにしてみては?別居して距離を置いてみるのはどうか?等色々としてきたが、いろんな理由があって何一つ採用された事は無いです。(娘自立作戦は娘と旦那の反発に合い無理。別居も脅されて無理)
最初からアドバイスなど本気で実行する気もないのなら、傾聴のプロのカウンセラーに話せば良いのに、人を無料のカウンセラーがわりにするなという怒りも湧きます。
家庭がモラハラで、未成年や金銭面に不安があって脱出できないのは理解できますが、未成年でもないし金銭面でも十分生活できる収入があり、やろうと思えばいつでも別居を実行できるのに、わざわざモラハラ家庭に居続ける意味が本当によく分からないです。
ここまで来ると、好き好んでその環境に望んで居るのか、それともある日夢のような奇跡が起こって急に全て上手くいくように考えてるのか…上司の考えも理解不能です。
おそらく後者の考えが強そう。社会に出れば娘達も学習してわがままを言わなくなる…だから家庭では伸び伸び過ごさせようみたい他力本願な事も言ってますし。
けれど実際は社会の厳しさにぶち当たって、就職したけど一年保たずに辞めるを繰り返してるパラサイト無職になってますけどね。家庭内でのわがままも相変わらずですし。
極東某島国の総理大臣氏はずいぶん苦労してきた人らしいが、彼は一般市民に対して
「俺は苦労して苦労して苦労に苦労を重ねてここまで来た。お前らがその位置から上がれないのは苦労が足りないがゆえの自業自得だ。それを国のせいにするな。他力本願など言語道断、全ては自己責任だ」
とでも言いたいのだろうか。
あまり関係ないが、警察官氏が市民に対して威圧的なのも、警察学校などで苦労させられた裏返しなのだろうか。
「一般市民は俺らに頼らなければ自分の身すら守れないくせに、ちょっと目を離すと違反や犯罪に走る。甘えてやがる。全市民は犯罪予備軍だ。」
みたいな。
真宗宗派は「門徒」で合っております。よくご存じでと申しましょうか、よくお寺での説法を聞いていただいているようで、謹んで敬意を表します。
横からの増田さんからのお返事も拝読して、私も少し分かってきたことがあります。
僧侶増田さんに違和感を感じたり反発したりされている方は、この言葉が非常に不快に刺さっているのだろうと思います。
私の受け取り方(そのおそらくは、真宗宗派の考え方を下地にした受け取り方)は、「切り捨ててしまう」ほど強権的な物言いではなく、しいて言い換えるなら「去る者は追わず、来る者は拒まず」というような意味合いです。
元増田の話でいえば、反発されるご親戚の方々を元増田がいくら説得しようとも、ご親戚の方々が聞く耳をもとうとされないのであれば、元増田もまたそのご親戚の方々の態度・考えを尊重されて、無理矢理にでも納得させるようなことはおやめなさい。無理に引き込んだり、引き込まれたりしても、お互いにわだかまりが残ってしまってはよくありません。・・・僧侶増田の説かれたいところは、そんな説法だと私は受け取っておりました。が、たしかにそれに続く説法の中で、ご親戚の方々に強く当たるような表現もまたあり、そこまで言わなくともという感想は私増田も理解するところです。
宗教・宗派・背景によらず、みんなが分かる考え方・言葉遣いが求められるのでしょうけれども、私増田はどうしても個々人の背景の上に成り立った考え方・受け取り方からは逃れられないとも考えています。
同じ言葉でも受け取り方が、宗派・宗教が違ったり、仏教用語として理解されるか現代日本語として捉えるかによっても変わってきます。真宗宗派でよく話題にされるのは「他力本願」という言葉です。Wikipediaにもある通り、真宗宗派のことば(Wikipediaの前者)として理解されるか、現代日本語(Wikipediaの後者)として捉えられるかによって大きく意味が変わってきます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98
・・・などと長々と書いておりますが、私増田は真宗宗派のお寺にお墓があるだけのごく普通の家に生まれた者です。少しだけ、お寺さんでの勉強会に通っていた時期はありますが、正信偈も冒頭が読めるかどうかの程度です。寺の生まれでも、檀家でも、熱心な門徒でもありません。
お近くのお寺で、よいご縁の中で、仏法に出会えるとよいですね。もしくは、ある程度大きなお寺であれば、月1回とか週1回のペースの勉強会を行っているところもあります。なんでもなしにお寺に行くことが難しいのでしたら、そうした勉強会をきっかけに仏法に触れられて、またご同朋やお寺の方とお話するご縁が見つかればと思います。お寺による・檀家によると言ってしまえばそれまでですが、真宗宗派のお寺の多くは、ご縁のある方は暖かく迎え、ご縁のつながらなかった方にもまた暖かく送られる姿勢です。
今一度、お付き合いいただければと思います。
まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わず、ブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからからに渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。
「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」
「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」
とコメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います。
お祖父様の生前のご希望・ご親族のわだかまり・元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。
一連の記事を読まれた方はみな、会ったことも見たこともない元増田さんのお祖父様の死を受け止め、素性も分からぬ私の法話に心を傾けてくださり、それぞれがご自分の「今」、ご自分の「これまで」と向き合った。そのような瞬間に立ち会えたこともそうですが、私がそのささやかなお手伝いができたのだとするならば、返す返すもったいないことであります。
たとえ学んだ経験を持たずとも、皆様は真宗の心をよくよくご承知なのだと、喜ばしく思いました。
しかし同時に、私が一方的にご親族を非難するような語り口になったことで、一部の方にご不快な思いを抱かせてしまい、本当に申し訳ありません。
元増田さんの痛みが少しでも和らげばと思い、思い悩む側に立ってお伝えしたつもりでしたが、その主張に至る論拠も背景も提示せぬまま、語調への配慮もなく投稿してしまった浅はかさ。ひいては、浄土真宗の教義や宗旨そのものに対する誤った印象を広めかねない軽率さを、深く悔いております。
身口意の三業(しんくいのさんごう:苦しみを生み出す元ともなる、身体と言葉と心の在り方)を正さなければならないのは私こそだと、改めて皆様からお教えいただきました。
今回の投稿を機に、様々な声をお寄せいただきました。その中からいくつか、私が個人的にお伝えしたい、或いはどうしてもお答えしなければならないと感じた点について、一つ一つ書き綴っていきたいと考えました。
ところが、お答えしたいと感じたコメントも、それに対してお伝えしたいと考えているお話も、あまりに膨大な量になってきてしまったため、今ここでそのすべてを書き記すことはできません。
そこで、ある方からコメントでご希望をいただいたこともあって、note等の他媒体で一つずつ回答を掲載してゆく形を取れないかと検討しております。今しばらくお時間とご猶予いただければ幸いです。
また、すでに書き終えた箇所については、以下に記しますので、暇つぶしがてらご一読いただきたく思います。
お同行(どうぎょう:人生をよりよく生きたいと願い、共に歩む仲間たち)の皆様に、何か少しでも響けばと願って。
合掌
お釈迦さまがご存命の頃、覚者として名高いお釈迦さまの噂を耳にしていた方が、お釈迦さまの姿を見掛けるなり、突然敬いの態度を取られたそうです。その方に対してお釈迦さまは、
と仰せになりました。
お釈迦さまという人間(物質)そのものは何も尊くなく、その姿をただ拝んだところで意味はない。仏を本当に敬う心というのは、仏からもたらされた法 (= 真実 = 悟り・気付きへと至る教え) を深く信ぜられる心があって、初めて沸き起こるのだということです。
100人いれば100通りのものの見方が生まれます。なぜなら私たちはみな一様に、自分の都合のいいように物事をねじ曲げて捉える色眼鏡、「邪見(じゃけん)」の持ち主だからです。
信じる方もいれば、信じない方もおられるでしょう。私自身は信じられなくとも、一向に構いません。後はあなたのお好きなように受け取ってください。
信じてくださった方には、
とお伝えしたく思います。
法務が忙しく、自坊で取り入れることは現状難しいですが、私は賛成派です。
どんな形であっても、そこで出遇うのは人と人です。これまで仏縁をいただくはずもなかった方のお宅を訪ね、仏事作法・死生にまつわるお悩みに、私どもの信ずる教えをお伝えできる機会を賜われるとしたら、ありがたいことです。
という言葉を遺しておられます。理想的とはいかないまでも、それぞれに合った形で、仏法は平等に一切に施されるべきなのです。
これは浄土真宗の三大経典のひとつ、大無量寿経において、お釈迦さまが弟子の阿難(あなん)に対して、
と、身も心も改めるよう告げられた場面に由来しております。
我々僧侶は、法務に臨む上で、常にこの阿難に求められた姿勢を貫くことを責務としています。
さしたる戒律も持たない浄土真宗を“寛容”と捉えるのか、“険しい道”と捉えるのかが、俗世と求道者の大きな分かれ目となるのでしょう。
たとえば、もしもあなたが、
「世間の人たちが当たり前にしてることをあなたもしていいよ、それであなたも仏になれるよ」
と言われたとして、あなたはその言葉をどれほど信じられますか?
「他の宗派みたいに滝に打たれたりとか山籠りとかそれっぽい修行しないんですか?(笑)」
「何なのその髪の毛? ありがたみが足りないね」
と好き放題になじられ続けて、それでも自分は間違いなく仏になれるのだと、あなたは胸を張って言い切れますか?
我々の求道の在り方は、甘えでも寛容さでもなく、「覚悟」です。
世間は常に、自分たちで勝手に作り出した意味もない物差しに、自分たちで勝手に縛り付け合ってああでもないこうでもないと罵り合い、争い合っています。そんな人々の下世話な好奇の目や嘲りにも耐えて、たとえ自力聖道門の尊いお坊様のような修行は積めずとも、ごく普通の人間と変わらぬ平凡な生活を営みながら、それでも間違いなく仏になれるのだと、己が第一に身をもって証明していく勇気を見せなければならないのが浄土真宗の僧侶なのです。
という言葉で表され、また
と仰せになり、決して退くことのない浄土への道をひたすらに歩まれたお方でした。
であればこそ、親鸞さまに救われた私もまた、親鸞さまと同じ生き方を願い、その道を皆様と共に歩みたいと思うのです。
ありがとうございます。しかし、現実の私はそのような人間ではありません。何しろ私は、この教えに出遇わなければ死を選ぶしかなかったほど、弱く、もろく、そして愚かなためです。
もしもあなたが私の書き込みに何らかの功徳を感じてくださったのだとして、ではその功徳をもたらしてくれたのは誰で、どこからきたものなのでしょうか。命を断つしか選択のなかった、世間と人間社会を呪うしかなかった私のこの頭から、口から、心から、仏の教えがこぼれ出てくるという不可思議な現象は、なぜ起きたのでしょうか。
今回の場合は、すでに冒頭で述べた通りです。私が言わんとするところはつまり、私自身が尊いのではなく、私のような者に教えを語らせた諸々のはたらき、「わたし」と「あなた」の間に結び付きを与えてくださる種々のはたらきが尊いのです。
すべては響き合い作用し合い、そして悲しみやよろこびを生み出しています。
私はできるだけ悲しみを減らすお手伝いをし、できるだけよろこびを増やすことを務めとして生きてゆきたい。そう願っています。
と、開祖である親鸞さまが仰せになったように、煩悩具足(ぼんのうぐそく:煩悩に満ちた状態)の凡夫(ぼんぶ:弱く無力で自力で悟れない愚かな存在)の身には出過ぎた願いではありますが、様々な縁によって助けられ支えられ励まされ慰められ育てられて生きてこられた、その力だけは、私には絶対の事実です。私は私以外からもたらされた力を一心に信じさせていただき、今日まで生かされております。この歓喜と慚愧の念に頭が下がり手が合わさる心を、他力本願といいます。
真に功徳に満ちているのは、真にありがたいのは、私たちに「あなたが救われて欲しい」と種々にはたらきかけてくださる、阿弥陀如来さまであります。南無阿弥陀仏。
件の投稿よりももっと長く書き綴っていた文章が、残り数行というところでうっかりページバックボタンに触れてしまい、全消失しました。あまりのショックにじたばたと暴れ、ウワー!と叫びました。
「諸行は無常、こんな記事を書いたところで誰が読むでもなし、諦めて他のことをしよう」
と思って立ち上がった途端、リングコンを握り締めながら涙をこぼしている増田さんの姿が脳裏に浮かび、いやこれでは駄目だ、多少は簡素になってもいいからお伝えしよう、と踏みとどまりました。
結果、この拙文によって一部の方を戸惑わせたり憤らせもしてしまいましたが、多くの喜びの声を受けて、私が信じてきた教え、私に教えを授けてくださった諸仏と数多のご先達が、私に微笑みかけてくださるような感慨に胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。至らぬところも多く、本当にごめんなさい。南無阿弥陀仏。
現時点では、以上のコメントについて、今後時間をかけて回答したく思います。
準備ができ次第、こちらの投稿に言及する形で戻って参りますゆえ、今しばしお待ちください。
最後になりましたが、皆様とこのような法縁に恵まれるきっかけを与えてくださった元増田さんを始め、すべての方のお命とお心に、敬い申し上げます。
以前こちらにて「今後のことを考えるならGotoキャンペーン中止だけではなく、観光産業自体もなくすべき理由」を書かせて頂いた者だ
もちろんGotoを失敗にさせるよう合法的方法において仕向けてきたが
そうでなくとも 冬というのは
ただ今年の方が インフルエンザが減少したとも聞く
散々、我々はずっと毎年多数の感染者を出していた
インフルエンザが蔓延していた時に営業を強いられたというわけだ
で、Goto一時停止を決めたとか言っているが
少しでも存続をさせようってか
違うな やるべきことは
観光業をなくすべき
解除されないような状況にすべき
副作用を一切出されない状況になるまでは
もちろんオリンピックに間に合われても困るが
「食」なんてのも
自分で作らず、他人につくってもらったものを食べてるという行為も
他力本願もいいところだ
「ポテサラ」論争があったのもつい前の出来事だったのを忘れた奴も多いが
素材買って調理したらそれでいいだろう
酒提供する店なんてわざわざ人間の本性を暴いて酷い時は事件を起こすもの提供するのも
なぜ存続させる必要があるか?
性産業は論外
(太田啓子弁護士、石川さんや小砂さんをはじめとした活動者には頑張ってもらいたい)
医者も不足していると聞く
なのになんだ、職業的にも「遊ぶ」ことばかりしか考えない奴らは
これは駄目だとしか考えられなかった
深刻だとしか言いようがない
言いたいことは他にもあるが
機会があればまた書いてやる
https://www.buzzfeed.com/jp/rihotakatsuto/kodomo-to-oya
上の記事のブコメで、臭い物に蓋をする方法とか、クソマナーとか、ただのプライバシー教育とか書いている方がいたので、それは誤解だよと伝えたい。
プライベートパーツの概念は、性教育の「はじめの一歩」であって、決して全てではない。ちゃんと子供の発達段階に応じてステップアップしていく。漫画でも言及されている。
プライベートパーツは、未就学の子供たちへ、先ずは自分や他者の身体を大切にすること、守ることを教えるために導入する。
体のどこが大切なのかは本人が決めれば良いとか、好きな格好させろとかそういう主体的な性のあり方はもっと成長してリスク判断できるようになってからで、最初は自分や他者を守ること、尊重することを大人は教えておこうということ。子供への伝え方も、恥ずかしい部分だから隠せではなく、大切な部分だからしまっておこうね〜って感じで伝えるのが重要だと書いてある。
性的な抑圧については、親ガチャな部分もあるとは思うけど、こういう情報に触れることで親自身が抑圧からとかれる部分はあると思う。それに、この方法まで抑圧と言われたら、正直親としてはどうするのが良いのか途方に暮れるよ。幼児は簡単に人前で脱ぐし、連呼するし、触りまくるから。相手が嫌がっていても気が付かない子もよくいる。もちろん、その場で注意もするけど、逐一脱ぐな触るなというよりは、そこはプライベートパーツだから触らないでねっていう方が、円滑にコミュニケーションできるよ。
生理や精通、生殖の知識について教えるときも、同じように性に対して悪いイメージを持たせないようにすること大切と書かれている。
もし、知識を持たずに生理や精通、漫画などでの性表現に遭遇すると、性に対して気持ち悪くて汚れたイメージやいやらしくてよくないものという負のイメージを強く持ってしまったりする。予備知識を与えることで、そういう性的トラウマを緩和できるし、トラブル予防になる。
また、漫画、アニメ、AVなどのアダルトコンテンツについても、遠ざけるのではなくしっかり現実と虚構の区別がついていることが大切、と書かれている。
親がフィルタをかけるにしても、結局それにも限界があるし、子供自身の見分ける能力を育てるしかない。幼い頃から自分や相手の心や体を大切に扱うことが、その土台になると書かれている。
あと、知識と並行して、コミュニケーションに関することも重要で(プライベートパーツには触れないというのも対人スキルの一つだよね)、パートナーや他社との性的関係性、性の多様性、ジェンダーとかについて考えたりする。性教育はそういう包括的な関わり合いに関する部分までカバーする。
これは私個人の考えだけど、現実の性を具体的に教える必要性を感じている。今はネットであまりに簡単にアダルトコンテンツを見る事ができすぎるし、悪気なく現実と混同しちゃう子はどうしてもいると思う。特に思春期を迎えた子供たちに対する具体的なセックスの話は、生殖のしくみ、感染症、妊娠リスクなどの話だけに止まらず、コミュニケーションの取り方、マスターベーションの仕方、セックスの方法、危険な性行為の知識、性暴力にあった時の対処まできちんと踏み込むべきだと思う。私自身は子供の時には恋愛経験なかったけど、大人になっていきなりセックスする前に、そういう具体的なリアルな知識は知っていたかったと思うよ。
BuzzFeedの同じ記者さんの下の記事とかはその辺とても参考になるので、老若男女ぜひ読んでいただきたい。
https://www.buzzfeed.com/jp/rihotakatsuto/yubiire-honto
性教育に関する漫画や動画についての情報が一つにまとまっていて、子供が目にする機会があると親としては助かるなあと思っている。(他力本願だけど)
というわけで、おうち性教育の漫画、良い内容だと思うので、胡散臭がらずに読んでみてください。
↓ここでも読めるし、