はてなキーワード: 人差し指とは
姉はイケメンだ。かなりぶっとんでるし、ちょっとどうかと思うような行動に走ったりもするけど、総じてイケメン。性格は姉妹で正反対。私は人見知りで、基本的にいつもおどおどしている。今までいろんな局面で何度も姉に助けられてきた。そんな姉への感謝の気持ちを綴りたい。
うちは母が早く亡くなってる。私が5才になる年に喉頭癌でこの世を去った。姉は私より11才上で、私が小学校に入った年にはすでに高校生だった。
そんな姉が、私の入学式に母の代わりとして参加してくれたのだ。その時のスーツ姿がとても素敵だった。人指し指に緑色の翡翠の指輪をはめていて、それは母の形見だと教えてくれた。入学式の時の写真を見返すと、やはり姉は保護者の中で一人だけ幼げに見える。
姉は高校ではかなり目立っていた。たまに雑誌にも出てた。エルティーンという十代向けのファッション誌で、モデルみたいなことをしてた。私はまだ小学校に入りたてで、そんな姉を芸能人だと思い込んでいた。そのうちテレビにも出るんだと思ってた。その予想はのちに別の形で実現するんだけど、その話はあとに回そう。
姉はふだんはあまりエルティーンを読ませてくれなかった。小学生にはふさわしくないエロい特集が多かったのだ。そんな雑誌にちょくちょく載る姉の姿に、私は幼いながら、妖しい憧れのような感情を抱いていた。
父は土建業を営んでいたが、この頃には経営が苦しくなっていた。それまではずっと絶好調で、姉は何の疑いもなく「うちは金持ちだ」と信じ切っていたらしい。でもそんな幸福な時代はあっけなく終り、父は一気に萎れてしまった。母に先立たれて、経営も傾き、悲嘆にくれる日々。父がお酒に溺れ始めたのはこの頃だ。それでも父は姉を私立の大学に入れた。娘の教育は疎かにしない、それは母の遺言でもあったそうだ。
当時、私がまだ9才の時。姉が私をあるイベントに連れて行ってくれた。姉の大学の友達の中に、ひとりだけ9才の私が混ざるという、かなり無茶な形だった。野外で開催されるテクノパーティ。でもそんな詳細はすべてあとから知ったことで、当時は右も左もわからないまま、姉に連れられて、ただついて行った。そこはまさにカオスな空間だった。広大な森林のいたるところで人々が踊り狂っていた。真夜中にトランス状態で踊り狂っている大勢の大人たち。あの光景が私の音楽の原体験になってしまったのは、なんかちょっとまずい気もしている。
夜、私は姉と並んで芝生に寝転んだ。遠くではドンドンという無機質なテクノのビートが鳴っていた。私と姉はふたりで夜空の星を眺めながら話した。その時に姉がとつぜん言ったのだ。
「ママはもういないけど、私がお姉ちゃんとお母さんの両方をやるから」
後年、姉にこの話をしたら「そんなくさいドラマみたいセリフ言うわけない」と全否定した。でも私は完全に覚えている。ありがとう。あの言葉にどれだけ支えられたかわからない。
三つ目は、話自体がかなりぶっとんでる。
私が中2の時、父の会社が潰れた。全てを整理しなければならなくなり、家族は家も失った。私たちはアパートに引っ越した。父はもはやアル中の一歩手前みたいになっていた。
姉はすでに大学を卒業していたが、就職はしていなかった。なんと、カリスマキャバ嬢になっていたのだ。当時の某歓楽街ではかなり有名な存在で、テレビの取材も受けていた(冒頭に書いたテレビ出演の話はこれのことだ。ちなみに姉はこの後にもまた別の形でテレビに出るのだが・・・)。姉は客に媚びないSっぽいキャバ嬢という設定で、何度か深夜番組に出ていた。それはけっこうサマになっていた。
姉は家では父にハッパをかけ、とりあえず一労働者に戻って建築現場で働くことを勧めた。父は最初は経営者という立場にこだわり、かたくなに拒んでいたが、やがてしぶしぶ従った。
ここから急展開が訪れた。カリスマキャバ嬢としてのブームが一段落して、父もどうにか社会復帰できたというタイミングで、姉がいきなり海外に留学してしまったのだ。なぜこのタイミング?と思ったけど、どうも男絡みのようだった。色恋沙汰なら、もう誰が何を言っても無駄だ。姉の留学先はコスタリカだった。
姉は私に銀行のカードを託した。「本当にやばくなったらこのお金を使いなさい」と姉は言った。さらにもう一点、「絶対に父には秘密にすること」姉はそれだけ私に言い残して、さっさと異国へ旅立ってしまった。当時、私はまだ中2だった。おいおい、母親の代わりをするって話は?
預金は600万円だった。コンビニのATMで残高を見た時、足が震えた。私はこわくなって、すぐにカードを机の引き出しにしまい、鍵をかけた。それは中2の私に背負える額ではなかった。
そのまま中3になり、受験の時期を迎えた。姉がいなくなってからというもの、家の中はめっきり暗くなっていた。父は働いてはいるものの、お酒の量がどんどん増えていた。親子の会話もほとんどなくなっていた。学校でも、私の家が落ちぶれたという噂がうっすらと広まっていて、なんとも言えない惨めな気分だった。姉の600万だけが心の支えだった。まだ大丈夫、うちにはこれがある、そう言い聞かせながら日々を送っていた。とかいいながら、カードからお金を引き出す勇気なんてまるでなかった。私は根っからの小心者なのだ。大金を前にして、完全に怖気づいていた。どうしても心細くなって、ひとりで布団をかぶって泣く日もあった。勉強にも身が入らず、だんだん授業がちんぷんかんぷんになっていった。高校に受かる気がしなかった。この時期は私の人生でいちばん苦しかった頃かもしれない。
そんなときに、姉が帰ってきた。まるで私の危機を察するみたいに。姉は予告もなく、いきなり家に現れた。あの時、姉を見た瞬間、私の全身にぐわーっと広がった強烈な安堵感が忘れられない。自分がいかに姉を頼りにして生きているのか、骨身に染みて分かった。
姉のコスタリカでの日々は、それだけで一冊のルポルタージュが書けるぐらい強烈だった。でも私がここに書くのはちょっと無理だ。筆力が足りなすぎる。姉はコスタリカで日本人の恋人と暮らしていたのだが、やがてその男と別れて、現地でスペイン人と付き合うことになった。交際から数日後に、ふたりでパナマに小旅行に行ったら、国境を渡るバスから彼がいきなり逃亡してしまった。理由はわからない。ともかく姉は一人にされてしまった。それから姉は執拗な警察の取り調べを受けたりしつつ、どうにか事なきを得て、家に帰りついた。後日、彼が麻薬組織の幹部だということが発覚した。姉はそんなこと何も知らなかった。彼がなぜ逃げたのか、どこに逃げたのか、全てが謎に包まれていた。
そういう話が他にもたくさんあるんだけど、とても書ききれない。とりあえず姉は無事に日本に帰ってきた。そしてコスタリカでのエキサイティングな日々を迫力満点に語ってくれた。私はなんだか自分の悩みがバカらしくなってきた。受験が不安だとか、ほんとに小さなことって気がしてきた。姉に相談したら「勉強しろ」と言われた。2秒で話が終わってしまった。銀行のカードをいちども使わなかったと言ったら「あんたらしいね」と笑った。姉が相変わらず人差し指に翡翠の指輪をしていたので、私は「お母さんの指輪だ」と言った。姉はそっけなく「あれウソだよ」と言った。「蛍火の墓を見て、適当にでっちあげた」「マジで!?」「うん」私は脱力した。
それから受験勉強に身をいれて、私は無事に第一志望の高校に受かった。姉は父の酒浸り生活も、きびしくたしなめた。父は何だかんだ言いながら、姉には従う。酒の量を控えるようになり、少しずつ生気を取り戻していった。やがて昔の仲間と一緒に、また小さな会社を発足させた。最近は土建以外にも手を広げて、高齢に鞭打ちながら、建物管理の資格の勉強なんかをしている。
姉はコスタリカで築いた人脈を駆使して、某国の大使館でアルバイトをするようになり、そこで能力を見込まれて、正規の職員になった。大使館について詳しく知っているわけではないけれど、私は漠然と「超エリートの仕事」だと思っていた。姉のイメージとはどうしても結びつかなかった。最初に聞いた時は、女スパイが組織に潜入しているような姿が頭に浮かんでしまった。
姉の最後のテレビ出演は、この大使館がバラエティ番組の取材を受けたときだった。姉は有名な芸人さんにおいしくいじられていた。姉は完全にキャラ変して、シャイで生真面目な妙齢の職員を演じていた。「あなた、かなりの箱入り娘でしょ。男性経験も少なそうだな」芸人さんがそんなようなことを言って、姉をからかっていた。姉は恥ずかしそうに両手で顔を隠した。『かわいぃ~』みたいなテロップが入った。いやいやいや、と私は全力でテレビに向かってつっこんでしまった。
そんな姉も、長く勤めた大使館をやめて、今はスペインバルのオーナー兼マネージャーとしてバリバリ働いている。ほんとはここにお店のサイトのリンクを貼って、微力ながら宣伝したいんだけど、それをするには姉の許可を得なくちゃいけない(というか、こんなの宣伝にならないか)。
ちなみに私は普通に高校を出て、短大を出て、今はOLだ。ほんとに波風のない人生。何から何まで姉とは対照的だ。そのうち私にも、めくるめく冒険の日々が訪れるのだろうか。
結局、姉への感謝はたくさんありすぎて、とてもここには書ききれない。何でこんなことを書こうと思ったかというと、このあいだ何気なく実家で昔のアルバムをめくっていたら、幼い頃の姉の写真を見つけたから。3才ぐらいで、まだ私が生まれる前。姉は母の腕に抱かれていた。泣き出す直前みたいな、絶妙な仏頂面。姉を抱く母の人差し指には、緑色の翡翠の指輪が光っていた。なんだ、やっぱり形見じゃん。本当だったんだ。きっと照れくさかったんだろう。いかにも姉らしいと思い、うれしくなってしまった。それで姉への気持ちをまとめてみようと思ったんだけど、うまくまとまらなかった。無理もない、姉自身がまとまってないんだから。
いぼ痔もあったけど、どっちかっていうと脱肛の方が酷い感じだった。
自分で押し込むときもかなり痛くて、実際に切り取ったのを見たら人差し指の第二関節ぐらいまでの大きさのモノが出たり引っ込んだりしてたみたい。
(汚い話でごめん)
図書室というのは不良生徒の溜まり場で、よく同じ部活のKが顔を出していた。
掃除の時間、クラスに戻るよう嗜めると唇の前に人差し指を添える。見て見ぬフリをして仕事を続けた。本を期限以内に返却してくれない生徒が多過ぎたのだ。忠告しなくなった私に気を良くしたのか、不良生徒は図書室のベランダに居座るようになった。エアコンの室外機の影に体を縮こめて携帯を扱う。何をしているのかは知らないが追い出すのも可哀想に思えた。
どうせ頭の良くない彼らの将来なんて決まりきっている。いや、そういう事ではなくそこに居場所を見出した彼らにほんの僅か同情心が芽生えてしまった。何故教師の側ではなくそんな所を選ぶのか。不良生徒というのは全く考えが読めない。読めないなりに面白いと感じていた私がいる。彼らは成長して今頃何をしているだろうか。
26♀
帰りのちょい混みの小田急線、入り口横で立ってたら途中で入ってきた男(25くらい?)がやたらとこっちに寄ってきて窓側を向き腕を組んだ。そしてその手を私の体にくっつけ、人差し指で胸をつついてきた。
尻触られたりは今までもあったけど、前から来るタイプは初めてで。気づかないふりをしてスマホをいじってたら、エスカレートして指3本くらいで下から持ち上げるような感じで触ったり、押してきたり。
本当に抵抗もできず頭パニック。快速急行だったため外にも出れず。10分位ずっとそんな感じだった。意を決して自分も腕組んで胸ガードしたら、今度はそいつ腕下げて股と足をさすってきた。
私の横におっさんがいたが、多分気づいていたみたいでずっとこっちを見ていた。ねぇ、助けてよ。
充電式のハンドブレンダーが、なんか最近調子が悪いなーと思ってたら、とうとう羽が回らなくなって、
何かかみ合っていんか?とつい出来心で羽に指を突っ込み→回転するブレンダーの刃→流血。
我ながら酷いなと思うのは、一瞬だけ「指でブレンダー止められんじゃね?」と突っ込んだ瞬間があったこと。
すぐ我に返ってあわててスイッチを離したが。暑さで馬鹿になったのか?
指を突っ込んだ左手の人差し指から、ぼたぼたと血が落ちたのでとりあえず手近にあったティッシュペーパーをぐるぐる巻きにして
そのままぐっと患部を握り込んでしばらくドキドキしたまま胸の上に左手を置いて静止。
15分ぐらいで血が固まったのを確認して、消毒液ぶっかけながら恐る恐るティッシュペーパーをはがしたら、
人差し指の腹に2、3本切り傷ができただけだった。爪がイッてたらイヤだなーと思ってたのでほっと一息。そして今度は汗がどばっと。
色々ひどいことになってたら休日診療所に行かなきゃダメかなぁ、左手使えないと検索面倒だけど、へーい!siri!とか言うと教えてくれっかなー、
縫ったりすることになったらいやだなーとか、あーまだずきずき痛むなー指潰れてたらすげーいやだなーとか、色々考えてたけど
浅めの切り傷3本なら滅菌ガーゼとサージカルテープでぐるぐるっとやって、今ようやく人心地ついたとこ。あーあ。
ハンドブレンダーは、猫がいたずらして充電用の電源引っこ抜いてたみたいで、充電されてないだけだった。全然気付かんかったよ…
身近な発達障害者と左利きを見ると、左利きも人知れず生活に困難を強いられています。英語で障害は困難を意味する difficultyと言います。
なぜ左利きは健常者なんですか?
参考
世の中の製品(道具や機械、楽器など)は、右利き用に設計されているものが多い。これは左利きにとって不便なだけでなく、危険性が高い場合がある。また一般に左利き用の製品は右利き用に比べ割高であり、経済的負担を強いられる。
機械の操作ボタンの多くは(向かって、以下同)右側に配置されている。
エレベーターのボタン、パソコンのテンキーやエンターキー、カメラのシャッターボタンなど、ほとんどが右利きを前提にしている。ただし定員の多いエレベーターは左側にもボタンがある機種もある。
テレビ受像機の電源スイッチや、自動販売機の硬貨投入口は向かって右側にある。
ノートパソコンのマウスの差込み口(USBジャック)、DVDなどの光学ドライブは右側についているものが多い。また有線ネットワークアダプタのコネクタが左側に付いていることが多く、ケーブルを挿すと左側のスペースにはみ出るほか、CPUクーラーの排気口も左側に付いていることが多く、熱気が左側に排出されるためマウスを左側に置きにくい。
マウスを使用する際、メインでクリックする方を左ボタンとしている。(右手の場合に押しやすい人差し指が左ボタン、押しにくい中指が右ボタンに配置される)
電話機の受話器は左手で持つように配置・配線がなされている。右手でダイアル・またはプッシュボタンを操作したり、メモを取ったりするため。
缶コーヒーや缶ジュース等の飲み口(プルタブ)は右手で開けやすいよう、切り口が左奥方向に折れていく構造になっている。
アイロンの電源コードは本体右側から出ている物が多い。左手でアイロンをかけるとコードが邪魔になる。
机に引出しが付く場合は概ね右側にある(ただし学習机では引出し部分が机の左右どちらにも置けるものもある)。
公衆電話ボックスの折れ戸式の扉は、左手では非常に開けにくい構造になっている。
電子レンジやコインロッカーの扉は左開きであるが、これは左手で開けて右手で品物を出し入れするためである。
文字の多くは上から下への縦線と左から右への横線で出来ているが、左から右への横線が左手では書きにくい。これは習字や英語の筆記体で特に問題になる。左利きは紙を右へ傾けて字を書くと横線が左上から右下への斜線になるため書きやすくなるので、多くの左利きが無意識のうちに紙を傾けて書く。また鏡文字を書いてしまう左利きもいる。
横書きで左から右へ文字を書く場合、書いた文字に左手が触れ、乾いていないインクがにじんでしまうことがある。(縦書きやアラビア文字、ヘブライ文字ではその心配はない。)
なお左利きでも右利きと同様にペンの鞘を右手前に倒して(ペン先を左前につきだして)持つ者もおり、その場合は上記の左から右への横線の書きにくさや、横書きの際に乾いていない文字に左手が触れるといった問題が起こりにくく英語の筆記体も普通に書ける。
はさみの噛み合わせはほとんどが右利き用であり、左手では非常に扱いづらい。(刃が噛み合わない。)ただし左利き用や両利き用のはさみも存在する。
片刃である日本剃刀、小刀、和庖丁の多くも右利き用である。また両刃であるカッターナイフも左手で持つとロック部分を手のひらで覆うかたちになるのでしっかりと握ることが出来ない。
缶切りも本来は右手で引く力を利用して開けるが、左手では押し込む操作となる。(近年ではプルトップ式が主流になり、困難は減った。)
錠前、コルクスクリュー、パチンコなどは、右手で回転しやすくなっている。なおスロパチンコにはCRサンダーVという左ハンドルの機種があった[8]。
剣道では利き手に関わらず、右手が柄の鍔側・左手が柄頭を握るように指導される。
まだまだ山のように左利きは社会生活に困難があり発達障害者と同様、社会においてできないことも、右利きより得意なこともあります。人口割合もどちらも15%で日本にはそれぞれ1000万人暮らしています。困難があっても見えにくかったら障害者扱いされないのですか?
どうしても無理で5cmのものを履いてたけど。
その間、ほとんどずーっと立ちっぱなしだった。昼休憩は20分しかないようなブラックな環境だった。
とにかく足が痛くて痛くて毎日辛かった。
見た目的にはヒールが好きで、学生時代も長時間歩いたり立ったりしないときは履いていたけど、長時間勤務は物理的に不可能、くらい無理だった。
当時は気付いていなかったけど、私の足はギリシャ型というらしく普通の人と足の形が違う。
人差し指が長く、横幅も広い。ついでに甲も高い。
普通の形のヒールを履き続けていると5本の指が靴の中でおかしな形に圧縮され続け、薬指と小指にマメができる。
そんな状態の足で立ち続ける日々が続いた。
とにかく何もせず立ってるだけで足が痛いのだ。
当時は他の人と足の形が違うという事実に気づいてなかったので、何故みんな平気な顔をしてヒールを履いているのか不思議だった。
今は足の形がおかしいと分かったので、ヒールを履くのをすっぱりやめた。
オーダーメイドで作ったり、ギリシャ型向けの靴もあるようだがもういいやと思って履いていない。
今の仕事はヒールだろうがスニーカーだろうが何も関係ないし、誰も何も言わないのでありがたい。
ヒールって本当に辛い。
季節は春。
世には新社会人や新入生が溢れている。
何かを始めるにはとてもいい季節。
グッドタイミング。
さあお寿司を握ってみよう。
お寿司なんて買うなり外で食べるなりすれば良いじゃないと考えるかもしれない。
確かにそれも正しく、そして美味しい。
■準備がかんたん
火も使わない。
■楽しい
複数人でやるなら寿司パーティや寿司コンペを開くこともできるし、一人でやれば好きなネタを好きなだけ食べるとか、わさび多めとかやり放題。
コスパも悪くない。
■適当に作ってもそこそこ美味しい
すし酢と醤油、そしてわさびのパワーは大正義である。作ってみればわかる。
■謎の実績解除感がある
手巻き寿司と違い挑戦する人が多くないので、雑談のネタ(寿司だけに)になることも多い。
合コンで隣に座った気になるアノ娘の心も握れる(寿司だけに)かも知れない。
普通に暮らしているとお寿司を握る機会はあまりないと思うので、普通の人生からの脱却の一歩となりうる。
そろそろお寿司を握りたくなってきた頃合いだと思うので、手順を紹介しよう。
スーパー、手巻き寿司用のお刺身セットとすし酢を買ってこよう。
買うのはこれだけで良い。
次にお米を炊こう。
炊けたお米をボールに移し、すし酢をかけて混ぜよう。
もうシャリができた。
唯一注意して欲しいのは手酢だ。
手酢と言うのはお米が手にくっつかないように手を濡らしておくためのお酢だと思ってくれればいい。
とりあえずすし酢で手をびしょびしょにしておけばOKだ。
右手でシャリを掴み、両手をうまく使って親指大の形に整えよう。
ネタにわさびをちょっと塗りつけて、その上にシャリを置いて、人差し指と中指でぎゅっと押し込む。
裏返してもう一度ぎゅっ。
下手に上品ぶらずぎゅっとした方が箸で取ったときに崩れないのでオススメ。
これだけで完成だ。
余裕が出来たら海苔も用意して、シャリに巻いて軍艦を作るのもいい。
軍艦にスプーンでいくらを乗っけているときなんてまるでプロになったのではと勘違いしそうになる。
出来上がったらお皿に並べてみよう。
並べる際はなるべく詰めて並べるといい。不出来なシャリが隠れてネタしか見えないので、尚の事見栄えが良くなる。
シャリが大きくなってしまったり不格好になってしまう部分もあるだろうけど、それもまた愛嬌。
家のカレー、家の餃子、家の寿司、お店と違ってもどれも美味しいはずだ。
文章にすると長ったらしいが、やってみると非常に簡単なことがわかる。
そのくせ、やったことのある人は少ない。
是非この春はお寿司に挑戦してみてほしい。
どうしてもきれいな線が書けないという人必見。
30も半ばを過ぎて始めたペン字。そうはいっても教室にかよっているのわけではなく、あくまで独学。
おかげさまで頭のなかに正しい文字の形は入ってくるようになったのだが、どうしても線がうまく引けない。
ゆっくりと時間をかけて丁寧に引けば垂直・水平に引けるのだが、通常の速度で書こうとすると線がどんどんと歪んでしまう。
どうやら僕の字が汚い理由は、きれいな字をイメージできていないのではなく、思っているような線を書けていないことに原因があるっぽいということに気付いた。
そうして、ペン字の練習をペンの持ち方に絞って試行錯誤を開始。
ペンをもつ位置、指の角度、親指の位置、重心の位置、薬指・小指の置き場所などなど。
色々と効果が見られるが、どうしても根本的な部分で線の歪みを取ることができなかった。
そう先週まではね。
ペンは通常三本の指で支えるとされている。
それぞれの指がきれいな三角形を作ると、持ち方が安定するということがどのお手本にも書いて有ることだ。
それぞれがそれぞれに支えを失っているので、線が安定するわけがなかった。
ところで、箸はきれいにもつことができるだろうか。
試しにペンを2本、箸のように持ってみて欲しい。
そうしたら次に、親指側のペンをそっと抜いてみて頂きたい。
お気づきだろうか。
そう。その持ち方こそが、ペンを安定させて綺麗に線を引くための持ち方である。
自分が下手だった原因に限って言えば、人差し指と薬指が離れてしまっていたことでお互いに支えを失っていることが線を乱してしまう原因だったのだ。
ペンの持ち方の教え方の一つに、親指と人差指でOKマークを作って摘んでから中指で支えるというものがある。
あれは嘘だ。
それよりも、人差し指と中指をくっつけた状態でまっすぐに伸ばし、その後親指で挟み込むように軽く握り込むようにしたほうが、自然と安定した形でつかめるはずだ。
増田ではせっかくのきれいな文字をお見せすることはできないことが甚だ残念ではあるが、もし、線が安定しないことで字が綺麗にならないとお悩みの方はお試しいただきたい。
ペンは、実は箸と同じ持ち方でよかったと思った瞬間に、ペンが突然手に馴染む驚きを感じられるはずだ。
っていうか、本当に驚くよ。
だって、その持ち方に一瞬でも慣れると、もとの持ち方を忘れてしまうほど手に馴染むから。
考えてみれば箸の持ち方ほど複雑な操作に対応した持ち方はないのだから、線だって自由に書けるだろうことは当然のことなのかもしれない。
字を綺麗にしたいとお悩みの方は、是非お試しあれ。
親指と人差し指で摘まむようにしてよれよれのタバコを吸うシーンはほぼマリファナを吸っているシーンだ。
その後、隣の人にそのタバコを渡したりしたらそれは確実に大麻。そうやって1本のバッツをみんなで楽しむのがマリファナの嗜みかただ。
それを知りながら観てると洋画ではかなりの頻度でそういうシーンが登場する。ほとんどの映画でそういうシーンが一度は出てくると言っても過言ではないくらい。
若者が集うシーンでは必ずといっていいほどそのシーンが出てくるし、下手したら中高生くらいのティーンが親の愚痴とかこぼしながら普通にみんなでマリファナを吸って、それが大人にバレて「こらー!」なんて言いながら「まったくもう」なんつって怒られるシーンもよくある。
洋画でもテレビドラマでもしょっちゅうそんなシーンが出てきて、その怒られ方がちょっとしたイタズラを注意される程度のものだから、見る人によっては「タバコでも吸ってたのかな?」くらいに思ってる人が多そう。
でもあれ、マリファナなんだよね。大人も大抵、若い頃に同じ様にやってたからあんな程度の叱り方になる。
それを知ってるとお話の空気感がよりわかるし、まあそんな程度のもんなんだよねマリファナって。
良いとか悪いとか言うつもりはないけど、大麻ってだけでもう地獄の極悪非人道犯罪者扱いしたがるのもちょっと怖いなって思うかな。
同じ犯罪でも違法電波飛ばしたくらいだとみんな寛容なのに、なんか価値観が不思議だなとは思うよね。
つってもウルフ・オブ・ウォールストリートは最高だったけどな。