はてなキーワード: 予告編とは
そこそこ面白かった。78点くらい。
なんだろうな、君の名はの方は、なんだかんだで主人公勢だけじゃなくて大勢の人を救ったけど、
天気の子はそういうのがなくて、こじんまりとした印象だったからかな。東京水没したけど。
後、なんか暗いからかな、最初に金がなくて都内をあてもなくさまよっているシーンはつらい。
この年になると社畜が身についてきて、
主人公勢よりも、仕事で家出少年の捜索なんぞをやらなきゃならない警察の気持ちを慮ってつらい。
また、主人公が一生懸命働いてヒロインを守るみたいなセリフがあったけど、
働くって辛いけどな、と全く共感しなかった。
天気を操るとか、変な魚みたいなフィクション部分は、ふーんおもしろいという感じ。
本田の演技は最初は気になったけど、次第に気にならなくなった。
小栗旬はよかった。かっこいい。
最近の政治情勢として、帆高という名前で丸山穂高を連想するみたいな話題をネットで見たけど、
前作主人公の苗字が立花(表札でてたシーンがあったし)なのも、ちょっと面白かった。
予告編で「空の青さを知る人よ」をやってて、来月公開らしく楽しみだ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が目前に迫っているというのにまだまったく心の準備ができていない。大波が押し寄せてくるのを確かに認めながら、砂浜で引き波に足を取られたまま呆然と立ち尽くしてしまっているような、そんな状態だ。
『Once upon a Time in...Hollywood』というタイトルをはじめて聞いたとき、マジで引退しようとしてるの…!?と思った。現時点では「10作品撮ったら引退する」と言っていたり(今回が9作目)、「今度のが大ヒットしたらこれでおしまい」と言っていたりまだ判然としないのだが、そういうゴシップ的な憶測はさておき、このタイトルが持つインパクトはあまりにも大きい。セルジオレオーネな意味合いもさることながら、それ以前にこの響きだ。
『昔々、ハリウッドで』。響きとしてあまりにも最終回すぎるのだ。仮に『クエンティン・タランティーノ』というドラマがあって、その主人公クエンティン・タランティーノが監督した作品が、ドラマの1話ごとのタイトルになっていたらと考えてみてほしい。第1話「掃き溜めの犬ども (Reservoir Dogs) 」、第2話「三文小説 (Pulp Fiction) 」、第3話「ジャッキー・ブラウン (Jackie Brown) 」、第4話「ビルを殺れ (Kill Bill) 」、……と進んでいって、第9話「昔々、ハリウッドで」である。どう見ても第9話で最終回じゃないか。こんなに引退作にふさわしいタイトルってなかなかないと思う。
なんてことをメモしていたら、タランティーノに子供が生まれるとのニュースが飛び込んできた。引退について語るのを話半分に聞きながら、だがこれで子供でも出来たりしたら本当に映画撮らなくなるかもな……とか考えていたのだが、うーん、思ったより早かったなあ。つまりこのところとみに饒舌になっていた引退話は、子供が生まれるという予測のもとに展開されていたわけだ。それにしてもさ。田中裕二に子供が生まれたり、タランティーノに子供が生まれたり、そんな日が来るなんておれは考えたことなかったよ。
といっておいて何だが、タランティーノの言う「引退」について想像するとき、たしかに寂しくはあるけれども、意外と悲観的な気持ちにはならないというのが今の正直な気持ちだ。
というのは、ひとつには、映画監督以外のフィールドでの仕事が見られる可能性に期待しているからだ。これは本人も言っていることだが、本を書いたりしたいらしい。タランティーノが書いた批評本なんて出たらぜひ読んでみたい。もしかしたら小説を書くかもしれない。それこそパルプなフィクションを。あるいは脚本を書くかもしれない。脚本タランティーノ × 監督デヴィッド・ロバート・ミッチェルなんて映画がつくられたら……など夢想するのも楽しい。
書く仕事ばかりとも限らない。いまのところ引退を語るうえでタランティーノが前提としているのは「劇場公開用映画」の監督業であって、フィルムに対する彼の偏愛と執着も、その前提があればこそ要請されてきたものだったと思う。その最前線から(いったん)身を引いたとき、ある意味でそれは「引退」だが、またある意味でそれは「解放」ともいえるのではないか。何が言いたいかというと、Netflixなどでタランティーノがドラマシリーズを制作する可能性はかなり高いのではないかということだ。この期に及んでタランティーノが劇場用長編映画をデジタルで撮る可能性はほとんど考えられないが、これがドラマシリーズだったら話は別だ。
タランティーノがつくるNetflixのドラマがあったら、それはどんなものになるだろうか。そのヒントになるような発言が最近あった。自身の監督作に登場したキャラクターのなかで、タランティーノが今でも折に触れて思いを馳せる人物がいるという。彼が挙げたのはザ・ブライド、ビル、ハンス・ランダ、アルド・レインの4人。タランティーノはそれぞれの人物にまつわる、いわばスピンオフ的なサイドストーリーについての妄想を語っていた。
①ザ・ブライドが10年後、15年後、どうしているか。娘はどんな人物に成長したか。これは長いあいだ噂されてきた『キル・ビル Vol.3』がもし実現した場合のストーリーになるだろう。
②ビルはいかにして巨悪となったか。エステバン・ビハイオ、服部半蔵、そしてパイ・メイという3人の「ゴッドファーザー」との関係を通して、ビルという悪魔的人物のオリジンを描く物語。
③ハンス・ランダはナンタケット島でどんな生活を送っているのか。ナチスきっての「名探偵」だったランダが、戦後20年くらい経ったナンタケットで起こる殺人事件を解決してゆく物語。
④アルド・レインは戦後どうなったか。教科書に載るレベルの「英雄」としてアメリカに帰ったはずのアルドが、ナチスにおけるフレデリック・ツォラーのように映画に主演する…という話。
なにこれ超おもしろそうじゃん!!!!! 全部見たい。見たすぎる。小説でもいい。読みたすぎる。ここで思い出したのだが、そういえばタランティーノこそ、地味に自分の作品世界を相互につなげてきた人だった。別の映画に登場するキャラクターたちが生きる一つの世界について語るとき、若き日の彼はたしかサリンジャーを引き合いに出していたように記憶するが、これって今風の言い方をすれば「タランティーノ・バース」だ。もちろんタランティーノの世界がMCUのようになってほしいなんて気持ちは毛頭ないけれど、ジャンゴのサイドストーリーはすでにコミック化されていることだし、劇場用映画としてはおそらくもう実現しないであろうヴィック&ヴィンセント・ヴェガ兄弟の話だって、何かしらのかたちで語られる可能性は全然あるわけだ……ということを、妄想できることがうれしい。それにしても「私立探偵ランダ in ナンタケット」は見たすぎるだろ。
で、仮に、タランティーノがこの次に撮る映画が本当に彼の「引退作」になるとするならば、その一本はやっぱり『キル・ビル Vol.3』であってほしいと、私はそう願わずにいられないのだ。
話を元に戻そう。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の公開が迫っているのに心の準備がなにもできていないという話だ。この映画、タイトルからしてこの有り様なものだから、映画監督クエンティン・タランティーノのいかにも「集大成」という感じがしてしまうのだけれども、しかし実際はそうでもなくて、むしろ今までになく「タランティーノっぽくない」映画になっていたりするんではなかろうかと期待している。それはひとえにこの作品が、タランティーノ本人にとってきわめてパーソナルなものとなっているような印象を受けるからだ。
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』について、現時点で、私は予告編以外の情報をすべて遮断している。サントラにも触れてすらいない。だから実際どんな映画になっているのかはまったくわからないのだけれど、タイトルをはじめポスターや予告編を通して強く喚起されたのは、「郷愁」の念だ。それは1969年、大きな変革を遂げようとしていたハリウッドとその時代精神(タランティーノは "zeitgeist" という単語を本当によく使う)に対する郷愁であり、タランティーノ自身の幼少期へと向けられた郷愁でもある。しかしながらこの郷愁こそ、これまでのタランティーノ映画からはほとんど感じてこなかったものであり、ゆえに今作はどうにも「タランティーノっぽくない」ような気がしてしまうのだ。
タランティーノは、過去の映画や音楽からさまざまな要素をためらいなく取り入れることで自分の映画をつくってきた人だ。その特徴はたしかにタランティーノについて語るうえで欠かせないものだろう。でも彼の作品に宿る魅力を考えるうえでもっと重要なのは、そうした引用(あるいは盗用)のひとつひとつが、観客に郷愁を呼び起こすための装置には決してならないという点だ。観客を過去へといざなうことで「懐かしさ」に浸らせるのではなく、かつてとてもエキサイティングなものとして消費された文化の「エキサイティングな感覚」自体をそのまま現在に再現してしまえる才能。それがタランティーノのすごいところだと思うし、その意味で、郷愁、というのはむしろタランティーノの映画から最も遠いところにあった感情ではないかと思う。ところが今回の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』からは郷愁が強く香ってくる。そのダイレクトさがとても気になるのだ。それはとりもなおさず今作の特異な舞台設定によるものだと思うけれど、開映が迫っているためちょっともう書く時間がない。超中途半端。
本当は普通にやってるブログで書きたいところなのだが、微妙に実名を調べられる名前でやってるうえに、嫁の安全のため「嫁の存在は絶対に実名の分かるオンラインには書かない」と約束しているので増田に書く。その分嫁成分も含めつつ。
これまでの10年ちょっと、新海誠と嫁と自分とはつかず離れずの位置にいた。べつに3Pしてたわけではないが、デートのあとに部屋に入って「笑顔」のDVDを見たりもした。嫁にアニメ成分はなかったし俺にもそれほどアニメ好きはなかったが、ゲームをやり込むよりもアニメを一緒に見るほうがいろいろを説明するには楽だったので嫁はアニメ好きに変わっていった。いつの間にか俺が見たこともやったこともない「ひぐらし」のアニメを全話走破したりしていた。なんだかんだで飛行機が止まって1泊多めに泊まらざるを得なくなったときに狸小路のアーケードをトボトボ歩いて見に行ったのが「雲の向こう、約束の場所」だった。夜の上映で女性は嫁一人、同類扱いされたくなかったがおそらく他の観客と自分はそれほど違うようには見えなかったと思う。パンフレットを事前に読んで設定を把握しないと意味のわからないストーリーに感想は「三ツ矢雄二が監修してたんだね」「主題歌の♥って川嶋あいに似てるよね」という微妙にストーリーとは関係ない話に終始した。その後地元でも上映した「秒速5センチメートル」には嫁は誘わず一人で見て、そのあとでDVDを買って自宅で一緒に見た。「星を追う子ども」はまともには観ず、大成建設のCMを見かけるたびに「新海パイセンらしいね」と話し、いつの間にか動画配信が始まっていた「言の葉の庭」を一緒に見て、その流れだったかは忘れたが「君の名は。」を先に見に行ってから「たぶん大丈夫だ」と改めて誘って劇場で鑑賞し「パイセン頑張ったね」とお互いに喜びつつ今に至る。
長くなったが今回の「天気の子」はいずれ見に行く予定だった映画だった。アニメをよく見るようになった嫁とは言え、二言目には「犯人誰?」と聞く性だからこちらも最低限調べて「セカイ系らしいよ」とは応えた。「おおまかに言って、『彼女を救えば世界が滅びるし、世界を救うためには彼女を見殺しにする必要があるジレンマの映画』」と答えたのが正しい反応だったかはわからないが鑑賞の2時間前だ。劇場は8割の入りで、スクリーンを正対して見られる席の中央を予約してしっかりと終わりまで鑑賞した。
終わったあと、適当に入った喫茶店での感想は、「いや、『君の名は。』と同じかどうかはわからないけどそれなりに名作だとは思うけれど、微妙だよね」だった。ここのところ「入れ替わってる!?」と同じくらいにハモったと思っていい。何かが微妙だったのだ。同じ場所で「微妙」だと思ったかどうかはわからない。ただ微妙だ、と思ったことだけは一緒だったのだ。
なんだかんだで瀧くんは似た風貌だったけど嫁は「瀧くん居たね」と声で特定していた。三葉かどうかはわからないがMIYAMIZUの文字は自分にも読めた。スタッフロールだけで確認した四葉は嫁もどこにいるか特定できなかった。犬の2度めがわからないのも一緒だった。未成年に酒を飲ませないのと何があってもシートベルトは締めるのは今どきらしいなとも思った。幻の魚はいまいち意味がわからなかったうえにそのうちいなくなっていた。
「それにしても言ってた『セカイ系』とあそこまで同じストーリーだったとはね」と嫁には言った。ものの流れで序破Qみていて「翼をください」のあのシーンも見ているから構図が全く一緒なのもわかるし、予告編では:||の新画像も出ているしそれは思ったことだ。水に沈んだとは言え、二人とも「ポニョ」に思いをはせなかったのは今考えてみれば不思議かもしれない。
まあでもさ、北海道滅ぼしたこともあるパイセンだからさ、東京くらい滅ぼすよな、と自分は思った。実際に滅んだのは「ガメラ2」での仙台のほうが、もしくは糸守町のほうが大きいのかも知れないけれども。
それにしても新宿の再現具合は驚いた。大ガード越しに東口方面のネオンをなめる画面、どれも架空の名称には見えなかったから。もしかしたら意識外で架空の名前に変えられていたものがあるかもしれないけれどね。あとK&Aプランニングが新宿から(区はいっしょだけど)微妙に離れて、主な地域が田端になるの、新海誠が引っ越したのが理由だったりしたら笑うね、たぶん違うとは思うけど。
そういえば全国を巡回していた新海誠展にも別件での用事を作って嫁とは見に行ってたんだった。高校卒業してから大学入る前に1年の空白ができるの、あの頃の大学進学希望の高校生にはありがちだったけどなんとなく親近感を持ったな。まとまらない話だけど、こんなところで。
だから作るなって言ったろうが!!!どうせ3は超えられねえんだから!あのクライマックスにケチが付くから!その通りになってんじゃねえか!!!!!!!!!!!!
まずウッディはあんなポンコツじゃねえ!1,2を幼少期に見てた俺らからしたらウッディはヒーローなんだよ!女を格好良く描くのは一向に構わないけどそのために男を貶めるなよ!!!!!「シュガーラッシュ:オンライン」でも顕著だったけど単純に下手クソなんだよ!!!!!!!
ウッディの決断自体は分かるよ、あいつは気まぐれだから!!2でも帰りたいと美術館行くをコロコロ変えてたし!独善的なのも今までのシリーズ踏まえれば理解できる!そこはキャラが動いてた!!!!!
だけどボニーだよ問題は!!!!あんなにおもちゃを雑にする子じゃねえだろが!「大事にするって約束してくれるかな?」約束はいずこ!?なんでおもちゃがなくなっても気づかねえんだ!?!?物語のために性格改悪されてんじゃねえか!!!海外の感想見たらFワード使って叩かれてんぞ!脚本家は「bonnie fuck」で検索してコトの重大さを認識しろ!!!!
ポリコレを重視したいのは分かる!!!ただやるならとことんやれよ!ボニーが保安官バッジをジェシーに付け替えるシーン必要だったか!?「女の子は女のおもちゃで遊ぶ」って偏見助長してんじゃねえか!脇が甘いんだよ!!!!!
この前ピクサーのひみつ展行ったよ!一つのアニメーションに天才たちが知恵を振り絞ってるのを見て「はえ~すっごい」って思ったさ!!!でも脚本がクソじゃどうしようもねえな!!!!!!きれいな移動遊園地も残念に見えてくるわ!!!!!
予告編もクソの塊だ!!!!!あんだけウッディの決断とか推してたらだいたい結末読める!!!唐沢寿明と所ジョージの対談のやつなんてほぼネタバレじゃねえか!!!!!ドキドキさせてくれよもう少しよぉ!!!!!!
はぁ………期待した俺が悪かったのかもしれん
ジョン・ラセターは死んだんだ。いくら呼んでも帰ってこないんだ。もうあの時間は終わって、僕も人生と向き合う時なんだ。
いや!!!!!!!!!それでも!!!!!!!!もう少し前作を慮るとかはできただろうが!!!!!!俺らはアンディとともに子供時代を過ごしてきたんだ!!!あの別れと自分を重ね合わせて涙したんだ!!!こんなんでウッディが離れていくなんて許せねえよ!!!!!!!
Twitter見たら「傑作だった」って声も挙がってる!多分そいつらは脚本の粗もウッディの決断も素直に飲み込めたんだ!!!人の評価に正しいも間違いもないが、そっちの意見の方が間違いなく「大人」なんだ!!!!
でもな!!!!!!そう簡単に割り切れるもんじゃねえんだよ!!!!俺たちにとっちゃトイストーリーはもういち映画じゃなくドキュメンタリーなんだよ!!!!!!トイストーリー4が許せねえってやつと心のアンディを持ち寄って飲み明かしたい気分だ!!!!!!
まあでも5あるよね?さすがに
そっちを傑作にしてくれたら俺はもう何も言わん
あくまでうちの系列、劇場でのはなしなので違うところもあるとおもう。
■幕間と予告編と本編
ブコメでもちらほら見かける「チケット記載の上映時間に行くと予告編見せられるのウザい」「チケット記載の時間を本編始まる時間にしろ」について。
ぶっちゃけ無理。
なぜなら、あれは配給・企業側から興行側に広告料が支払われたうえで、上映しているものだからだ。
客に見てもらわなければ意味がないし、チケット記載時間を本編に合わせたら、たぶん契約的に成立しないんじゃないかな。
予告編の長さ自体は、だいたい10分が目安だけど、本編の分数によって前後する。上映開始・終了の時間を5の倍数にしたいので、予告編で調整してる。
ちなみに、予告編が始まる前の、スクリーン内が明るい状態で流れているのが幕間映像。あれは無料の広告。
マナーCMとか映画泥棒がしつこい、マトモな客のみんなには付き合わせて仕方ないけど、実際映画泥棒はいまでもいるんだよ。
マナーも、正直流したところで気にしない、気付かないひとはいるんだけど、観客全員に「おしゃべりしない」「スマホ見ない」などの共通認識があるわけじゃないからね。
とりあえず、本編が始まる直前に着席したいようだったら、スタッフに予告編が何分あるか聞いてみるといいんじゃないかな。
絶対教えてくれるわけではないけど、たとえば10分未満かどうかくらいは教えてくれるんじゃないかな。
あと、これは余談だけど、幕間で流れてる「カップルの男がポップコーン買いに行く映像」について、「上映中にポップコーン買いに行くCM」と言ってるひとがいるけど、あれはCMのなかでも予告編の設定のはず。分かりにくいのは自分も同意だけどね……。
うわ!超観たい!ってなるけど、
なんか日頃目にするところに映画の予告なんかが流れてたら覚えてそうだし、
観に行ってみたいな欲がひしひしとことことと
強めの中火ぐらいにはキープできそうなんだけど。
弱めの強火でもいいんだけど、
あ、そっかテレビで新しい映画のコマーシャルはやってるわよね。
でもそれテレビを見てる層には伝わるけど、
きっと、
テレビは見ないけど映画館にいって映画を見るのが好きな人だっているはずよね。
まあなんでそれ思ったかって言うと
そのときの映画のチケットの半券がキッチンに洗濯ばさみで止めてあって、
へーもう1年以上映画館行ってないんだーって思っちゃったのよ。
だから、
私をスキーに連れてって!言われても、
波の数だけ抱きしめてってそれホイチョイ三部作の一作目!
劇場貸し切りみたいでなんて贅沢なのかしら?って思うわ。
まあこっちの方が当たり前な風景なんだろうけど。
なんか今日は
たまにはこういう日もあるわ。
うふふ。
夜張り切って食べようと思ってたサラダ食べ損なっちゃったまま朝を迎えて結局食べないまま冷蔵庫に。
この時期なぜかよく売ってる冷やし中華が気になって、
これはきっとアイスクリームは冬売れる説なのかなーって。
そんな何かを食べ損なった朝でした。
味も香りも一番いいと思うわ。
まあ何度も言ってるけど、
果物は一番美味しいのは直に直接食べることだって言うのを忘れないでね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
実際会う事が決まってる相手になら現物より微妙に撮れてしまった画像を送って自分だよって言いたい
メイクが崩れ始めたぐらいのあんまり服が似合ってない時のを見せたい
でも会う予定なんてない人にはキレイに見えるのを選んで見せたい
だけどその人とその後会わないとは限らないのでそもそも本当は顔を合わす事が決まるまでは何も晒したくないし情報も与えたくない
でも自己顕示欲はある
よく思われたままその人の中での私が人生を送れるならそうしたい
人の期待による脳内補正はアプリの修正なんかよりすごいしその分何も期待しなかった時より落差が激しい
ジュラシックワールドの予告を見た人と見ていない人で評価に明らかに差が出ていたのを思い出す
よく見せる事で期待を煽れても実際に見たらそれが逆の効果になる場合がある
難しい
仕事でよくレンタルビデオ屋さんに行くんだけど、新作映画情報つってこれからレンタルになる映画の予告編がずっと流れてんのね。
映画は去年カメラを止めるな1本しか見てないから、面白そうな映画あったら観たいなーと思ってチラっと見るんだけど、「うわ、今時これかよ、ダッセえ」って映画にあまり詳しくない俺ですらドン引きするような内容の予告ばっかり流れてるわけ。
主に二種類で、
って内容ばっか流れてるんだ。
①なんて電車男以上の何者でもないし、
②なんてバトルロワイアル以上の何者でもないでしょ。
予告からして、二番煎じ丸出しでこちらの予想を明らかに越えてこないんだ。どうせ見ても「あ~こりゃ~電車男だな~つまんねえな~」ってガッカリすること確定っていうか。予告編観てもそそられないっていうか、一ミリも観たくならない。
俺が驚いたのは、電車男は15年前、バトルロワイアルに至っては20年前のコンテンツよ。
それと全く同じ内容を2019年の今も「新作映画でござい」って堂々と出してくる日本映画界、やばくない?ってこと。
そりゃあ、どちらも当時は今までになかった内容で賛否両論社会を巻き込んで騒がれたコンテンツでセンセーショナルだったよ。
でもそこから20年経った今、それはもうクラシック、古典でしょ?
20年間時が止まってんのか?
映画に詳しくない俺ですら「今時それは寒いわ…」って思っちゃうもん。
学生殺し合いの発展系でよく見るのが、「ゲーム(ギャンブル)やって負けたら殺される」って奴。いや、それカイジじゃん?
バトルロワイアルとカイジ足してオリジナルです!ってか?あれはカイジこそオリジナルで唯一無二の面白いところであって、女子高生がゲームに負けて殺されてもカイジのパクリ以下の何者にもならないよ!
こんな陳腐で賞味期限がとうに過ぎ去った内容で今時勝負できるのかと思うが、そんな内容の映画の予告しかやってないところを見ると
今時の若者にはそこそこ受け入れられてるのかな。その店の客層にウケる映画の予告を厳選してるんだろうから、そういう内容が特にレンタルされるってことだね。
バトルロワイアルや電車男なんて今時の10代・20代は知らないだろうしね。
でも、「内気なアニメオタクがクラスのイケてる奴に恋する」みたいな内容って時代錯誤すぎじゃないか?
今は10代の学生は深夜萌えアニメをまるで月9ドラマを観るかのようにカジュアルに消費してカラオケじゃアニソンしか歌わない時代なのに、今時学校にいわゆるステレオタイプな「内気でダサいアニメオタク」なんて存在するんだろうか?
そんなステレオタイプなオタク像、今時共感できないと思うんだけどなー。
あと、広瀬すずとか土屋太鳳が主演やってるような、「どれ観たって内容同じだよ~」って感じの女子高生しか観なさそうなやっすい恋愛映画の主演、最近はぐっさんの娘って印象しかない杉崎花も主演やってんのね。
まだ中学生くらいにしか見えない幼い顔つきだから、イケメンとのキスシーン観て「すわ!児童ポルノ!」って思っちゃったよ。